あの日のコロッケパン -中-

 商店街は今日も寂れている。というよりも寂れていない日がないと言った方が正しいだろうか。
まず入り口からして活気が感じられない。明かりが切れていない文字の方が少ないネオン、それを支える錆だらけの頼りない柱。
これに活気を見出すのは、町内会長の生え際の後退を食い止める事に匹敵するほど、難しい。
そんな事を思いながら、今日も部活の帰り道にこの門をくぐる。

 商店街に入るや否や古臭い町の匂いに紛れて空きっ腹に響く良い香りがしてきた。
そう、あのコロッケパンの香りだ。どんなに悪臭がしていたとしても、あの香りを嗅ぎ分けられないはずがない。
 北海道産のジャガイモを丹念に潰し、絶妙な味を付け、丁寧にパン粉がまぶされたタネをじっくりと低温の油で揚げる。
それを自家製の石釜で焼いた焼きたてのパンにはさむ。ふんわりとしたパンとサクッとしたコロッケ。
ソースなどのトッピングなど、逆に邪魔になってしまうくらい最高のコンビネーションが織り成すコロッケパンは
この町に暮らす者なら誰もが一度は食べているほどの一品だ。
現に地元のローカル番組やフリーペーパーなどで何度も紹介され、遠方よりわざわざ買い求めにくる客も珍しくはない。
この商店街唯一の名物と言えよう。

 そんな人類誕生以来最高の発明品を販売している総菜屋を、今日も通り過ぎる。
ただ、通り過ぎる。そう、目もくれずに。
中学に上がり、部活という今までになかったエネルギー消費の回復を担ってきた、人生最高のパートナー・コロッケパンの前を、今日も通り過ぎる。
ただ、通り過ぎる。そう、目もくれずに。

 そんな心変わりにはワケがある。それは至ってシンプルだ。
今はそれ以上に夢中になるものがあるからだ。
「アイ」。情熱的な、アイに対する「愛」。それは突然自分の頭の中からコロッケパンを追いやった。
アイに出会ってから14日と32分が経つ今この瞬間も、恋に落ちたまま這い上がれないでいる。
いや、むしろこのまま落ちたままでもいいのかもしれない。
この世で変わらなくていいもの、それは、うん、もうこの話はいいか。

 出会いから今日まで、毎日足しげくあの花屋へ通っている。
一度、アイから何故こうも毎日顔を出してくれるのかと訊ねられたが、まさかアイを愛しているからなどという親父ギャグのよう事を言えるはずもなく、
一言「花が好きなんだ」とだけ言うにとどまった。実際は花より団子なわけだが。
アイと一緒にいる時間が、今まで過ごしてきた短い人生の中で一番安らぎを感じる。
コロッケパンを食べている瞬間がこれまで安らぎ度1位の座を死守していたが、その座は容易くアイに奪われた。
あぁ、アイ。アイ。アイに早く会いたい。決して親父ギャグではない。
制服の袖をめくり、腕時計に目をやる。アイと出会ってからすでに14日と36分が経過しようとしていた。
「早く花屋に行かないと話す時間がなくなっちゃうな。」
商店街の掲示板に貼られている指名手配犯、年老いたシャンソン歌手、市長など錚々たる顔ぶれに見送られながら、足早に呉服屋の角を曲がった。



 その時だ。別に第六感や特別な力を持ってるわけではない。ただ、なんとなく視線を感じ、ふと立ち止まった。
そして、恐る恐る視線のする方へと目をやった。そこには一人の男が街灯の影に身を隠してこちらの様子を伺っていた。
短髪で無精ひげを蓄え、スーツを着ているその男は、明らかに挙動不審だった。
まるで自分に姿を見られたのが信じられないといった動きでうろたえ、後ずさりする際には空き缶を蹴り飛ばし甲高い音がそこら中に散らばった。
もし自分がドラマか映画の監督だったなら、即座に「カット!カット!」とカメラを止めさせるだろう。
普通、というか自分の中の「怪しい男」とは、こちらに存在がバレたとしても決してうろたえずにスッと姿を消す。「ちっ、出直すか」などと捨て台詞を吐けばなお良い。
そんな自分の理想の怪しい男像を台無しにした男には不信感というよりも苛立ちを感じてしまうほどだった。
偽怪しい男は慌てふためきながらもその場から離れていった。一体何だったのだろう。

 花屋に入ると、そんな偽怪しい男の事などどうでもよくなった。アイがいつもの仕事着と違う私服姿だったからだ。
アイの心の中のように純白な色をしたシャツ、脚線美が映えるタイトなパンツルック。
まるでハリウッド女優のようにも見える姿に思わず卒倒してしまいそうになるほど、アイは今日も美しかった。
「珍しいね。どこかにおでかけ?」 パンプスのつま先を床に軽くトントンと打ち付けているアイに話しかけた。
「あらヒカルちゃん。そう、これから高校の頃の友達と食事会なの。」
顔を上げたアイは心なしか、いつもより化粧が濃いめだった。
カウンターの上に置かれていたダウンジャケットを羽織りながらアイは言った。
「だからせっかく来てくれたのに申し訳ないけど、今日は店じまいなのよ。」
それを聞いた瞬間、昨日アイと別れてから今この時までの時間、脳内会議でリストアップされていた「アイと次に話す会話のテーマ」の数々が音を立てて崩れ落ちた。
だが、ごめんねと言いながら頭をポンポンッとしてくれた事でそんな事もどうでもよくなった。中学生は単純なのである。

 しばしの間店の片付けを手伝い、アイと一緒に店のシャッターを下ろした後、食事に向かうアイの背中を手を振りながらぼんやりと眺めていた。
なんだろう。この胸のモヤモヤは。
例えるなら、行き先を告げずにただ「出掛ける」と言っている同棲中のガールフレンドに対する男のような酷くモヤモヤとした気分になった。
もちろん、そんな感情は経験した事がないため、昨日見た人気ドラマのワンシーンになぞらえてみただけだ。
別に問い詰めた訳でもないので、今日これからアイが食事をする相手が男性なのか女性なのかは分からない。
ただ、どちらにせよ自分以外の誰かがアイと時間を共有するのがたまらなく嫌だ。かろうじて許せるのはアイの祖母である、生まれながらのお婆ちゃんだけだ。
そもそもあのお婆ちゃん以外にアイには親族がいるのだろうか。思えばこの14日と1時間3分の中では一度もお目にかかっていない。
親しき仲にも礼儀ありということであまり踏み込んだ会話はしていないが、気にはなっていた。
ご両親は何をしているのだろうか。アイがお婆ちゃんの面倒を見ているところを見れば近くにはいないのかもしれない。
他の家族・・・。そこまでで、考えるのをやめた。
そこから先を頭に浮かべるのがとても嫌になったからだ。それでも考えずにはいられなかった。


  アイには、アイ自身の家族はいるのだろうか。旦那さんは、子供はいるのだろうか。


「かろうじて20代」と自嘲気味に言っていたので、子供まではいかなくても結婚くらいはしているのかもしれない。
それとも、あの美貌から周囲に高嶺の花と思われ未だパートナーと巡り合えていないのかもしれない。
どちらにしろ、まだまだ未成熟な中学生の思考回路を停止させるには充分な疑問だった。
アイにパートナーがいるかもしれないという可能性に気付いてしまっただけで、胸が張り裂けそうになった。
思わず周囲の事など考えもせず大きな声を上げた。それでも寂れた商店街は返事をしてくれなかった。
ただひとつ、甲高い音を立てて飛び跳ねる空き缶の音以外は。



 沸々と湧き上がってくる苛立ちの中、商店街を出てすぐの交差点を曲がった。
その時、何を思ったか設置されているカーブミラーを"見てしまった"。すぐさま「しまった」と思い目を反らした。
イライラしていたとは言え、普段かなり気を使って視界に入れないようにしている鏡を見てしまった。
自己嫌悪がますます酷くなっていった。思わず自分を殴ってしまいそうだった。

 中学に上がった頃から、鏡が嫌いになった。
自分の容姿に自信がないだとかそんなレベルではなく、自分の姿を見るのがとてつもなく嫌だったから。
「自分」という存在を他人から見た場合、その印象は人それぞれだろう。
だが、自分自身が自分を見てしまうと客観的に自分の事を見る事が出来てしまう。そうすると自分で自分を分析してしまう気がしてならなかった。
もちろん、世間一般的には自己分析は大事だと認識されているし、自分でもそれが大事だと言う事は理解している。
それでも、今までの少ない経験から半ば強制的に得た概念に、自分を閉じ込めたくなかったのだ。

 家に着くなり台所に向かい、目の覚めるような冷たい水で顔を洗う。今日の下校時間に考えてしまった全ての物事を洗い流すように何度も、何度も。
顔を拭き、冷蔵庫に貼ってあるカレンダーを見た。「18:00 ダンス教室」などと書かれた自分にとっては無意味な日を飛ばし、ある数字の前で目を止めた。
「この日だ。この日・・・・いよいよだ。」
静かに呟き、近くにあった赤い油性マジックで乱暴に日付を囲う。


  12月25日。クリスマス。決戦は、この日に決めた。

あの日のコロッケパン -中-

あの日のコロッケパン -中-

アイと出会ってからのヒカルは薔薇色の日々を送っていた。 そこに忍び寄る様々な影。そしてそれはヒカルの中からも顔を出す。 果たしてヒカルはアイとコロッケパンのような最高の関係になれるのだろうか。

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-11-27

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted