practice(23)



二十三



 吸水性スポンジは水を手放さず,頑丈な木製の幅広い机の上で茎は斜めに鋏で切られて,葉柄の数は減ったところで確認が黙々と行われた。店内の奥まったところ,白色蛍光のデスクライトを高々とさせて,白壁に抜けない緑の陰影に大きく一つ花弁をつける。細い印象はそれで目立ち,一輪はとても際立つ。なのにこれでいいかの判断が,自信を手元に見せない。花のことを考えるのが男は苦手である。それをまた束にするなんて,以っての他なのである。
 駅構内の一角,玄関代わりにしているシャッターは開いていて店全体が比較的,陽に明るく照らされる。男は来店した時にはきちんと身に着けていた背広のジャケットを脱いで,首から提げている紺のエプロンに浮いている。強面というわけでなく,鼻筋の通った面長の顔には表情が微細に囁くだけなので能面に近いと評されて止まない。一重に細められた分だけ視線は鋭く尖って,それが好みと言ってくれた妻以外の者の大体の関心を受け付けずに,主に男性を中心として竦むとは何かの好ましくない例を男の目の前に立たりもする。笑顔の口角の上がり具合もこの場合,天から誤解を連れて来るものだ。自主退職をした部下が居る,と言えば「またまた,話を大きくしちゃってまあ。」と言いたくなる気持ちも分かる。というか男はそう言われたいのだ。冗談でも何でもなく,厳然たる事実として。
 男の仕事に因ることも,少なくない。卑近なところからいけば一人娘とのすれ違いに二人息子と接する時間の少なさが合間って,雑草は丈高く育った上に鬱蒼と生い茂って,強め弱めを行ったり来たりしている風が穏便でないように親子関係を隠したりしている。「お早う。」でも「おやすみ」でも,言うべきこととそれを掻き分ける努力はしているという男の自身への評価は,しかしここで意味を持たないんだろうと男は当たりを付けている。問われるのは量でなく,また質でもない。通じ合っているとお互いに感じている,と感じられるコミュニケーションの結果,場所を選ばずに漂う雰囲気。音楽よりも気持ちに阻まれる父親の言葉に,ぶら下がる安心感はキャッチボールが出来るぐらいに種のまま,きっと硬く大きくなっているという男の言い草に,妻が水をあげている。
 入院しても妻は元気だ。
 相変わらず飄々として,変わらず好きな花を近くで見たがっている。花を生かすための瓶も用意した妻は,時間を作って見舞いに来る男に花を束で持参することを一つの条件とした。花のことが男が苦手なことを妻は知っている。だからその条件には妻の我が儘が香り立つように詰まっていた。それを断ろうとするには男に理由が足りない。「種類とか,そういうのは僕の裁量でいいんだよな?」と聞いたところで,妻は笑んでお断りを入れる。注文は前日に口頭か電話で伝えられた。男はそれに従い,それを忠実に再現する。耳に残した名称たちが目の前に現れて,束ねられて手渡される。妻は小さな花がそんなに好きではないようだった。色は淡いのを好んでいた。
 見繕って貰うはずだった予定が,自分で拵えなければいけなくなっている今日限りの理由を上手く説明しようと男が考えている最中にも,来店者はある。応対をする見習いの子は手短に接客をして,店の主が必要とする連絡役に徹している。男と同じ時に来店したお婆さんはどこから見つけてきたのか分からない,しっかりとした作りの椅子に座って店の真ん中辺りで聞かれれば,詳しい花の知識を披露している。結果としてそれが見習いの子にも男にも,助けとなっている店内の時間は部外者を二名も抱えているのに妙に整ってきている。しかし男は落ち着かない。
「好きなだけ,店内の花をお使い下さい。」
 と,今は不在の店主にそう言って貰えたことを有り難いと素直に思えない男は,お婆さんに送る視線を多めにして,さっきから「これぐらいでいいですか?」と聞いている。
「こういうのはね,気持ちですよ。」
 そうしてお婆さんは店内入り口へと意識を向ける。それから早々には帰って来ない。
 途方に暮れる男の横を子機を抱えて走り回る見習いの子は引き連れて移動する小柄な影までてんてこ舞いと言っていて,正に事態への対応に追われている真っ最中で,こちらを見る余裕もない。
『花屋の影を踏んではいけない。』
 そう言うのはそこにいる誰かではなく,入院している妻でもない。男の記憶にあるのは花は大きいものが良いということと,淡いものが好ましいはずだということだった。そこに加えられることがあるとすれば一人娘のぼやきと,二人の息子の好みのこと,それと「そんなことも知らないの?」と叱られている自分。確かに知らないことは少なくなかった。
 同じ種類の花を同じ数だけ揃えて,味気ない謎に異なる種類の花をまた手に取って眺めては切り,整えては置いて,束ねるまでにはまだ時間が掛かりそうだ。妻には連絡の一報を入れ,一人娘には代わりのお願いもした。「それで,今日は来るの,来ないの?」と言う選択には来るつもりだと答えて。
 電話が鳴った。
 表示される番号にいち早く反応した見習いの子の表情には安堵と喜びが浮かんでいる。手を止めてそれを注視していた男は,それからお婆さんと目を合わせて笑みを交わしてしまった。笑顔をすぐに消そうとして,お婆さんに窘められる。「私は老眼だから構わない。」と言うのだった。二度も浮かぶ笑顔を男は味わった。
「一花でも贈りたいものですね。」
 そう言うお婆さんに,同意する男は冗談とばかりに「私が一つ拵えましょうか?」と返した。良い提案とばかりに,手を叩くお婆さんの返事は意地悪くも素敵な笑顔に溢れていた。
「そうね,一つお願いしましょうか。」
 それから続ける。
「こういうのは気持ちですから。」
 男は花のことを考えるのが苦手である。束にするなんて,以っての他である。




 外は暗い。
 廊下を歩く中,窓は鏡のフリをする。微細な気持ちに動く顔は男に穏やかに写っていた。鞄を持っていない手を上げれば動く花々も,ひと束になって気持ちの良い紙の音をさせている。ゆっくりとして,その形を気にした。気になる箇所は一つや二つで済みそうにない。男は鋏を手にして,葉柄を一つ減らしたくなった。しかし持っていない。鋏は花屋の,机の上にある。
 諦めたわけではない。忌憚の無い意見はノックをした先で待ってる。




 

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-11-25

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