神皇様のお嫁さん
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まだ完結してないです(笑)( ̄∇ ̄;)
物心ついた頃から、ずっと言われ続けて来た言葉、
「お前は巫女だから…」
幼心に鍵をかけた言葉。
居もしない゛神゛に私の家は代々仕えてきた。
そんな家だから、しきたりも厳しくて、考え方も古い。
゛神゛が祀ってある孤島と共に現世から浮き出た存在。
だが、家は絶対的な存在。
だから、一生従って生きて行くのだと思っていた。
゛巫女゛という名と共に。
「母上、父上、朝のお仕えにいって参ります。」
畳の上に正座し、深々と頭を下げている少女は、この家の次女、神司椿(16)。
色白で、黒髪を後ろで低く束ねており、世間から見ると美人の部類に入る容姿だ。
「椿、くれぐれも失礼の無いように。巫女なのだから。」
幼い頃から、聞かされている決め言葉に、椿は内心ため息をついた。
「心得ております。」
短く返事し、大広間を後にした。
家着の着物から、巫女服に正装し、家の門をくぐった。
すぐ目の前にある湖へ向かう。
湖の真ん中には小さな島が浮いている。
その昔、神が現世に降り立った際に、寄りどころにされていたのが、この島だった。
人々は、富を与えてくれた神に多いに感謝し、神が去られた後、この島に神社を造ったという。
名を、貴城神社という。
その神社ごとこの島を代々守って、祈りを捧げてきた家が、神司家なのだ。
今となっては、初詣くらいしか人が、寄り付かない場所である。
椿は、こちらと島を繋ぐ橋を渡り始めた。
(毎朝毎晩お祈りお祈り…私の青春はどこなの?本当に神様なんているの…?)
「‥‥‥ハァー‥」
ため息をつけるのも、弱音を吐けるのも、此処までだ。
橋を渡り終えると目の前には鮮やかな赤の鳥居がそびえ立っていた。
鳥居は来る者の心を試すかのような威厳があった。
表情を引き締めて、今にも殺気に変わりそうな程の、緊張感を出した。
椿は、自分が巫女だという事実には、納得していないが、
中途半端にすることは、絶対にしない。
やるときは、けじめをつけて、一生懸命になる。
そういう性分なのだ。
パンっと頬を一括すると、
鳥居の奥へ進んだ。
島といっても、小さなもので、一周するのに、30分程しかかからない程度のものである。
その小さな島の真ん中に、それはある。
これもまた、小さなものだが、装飾や、建て付けは立派なものであった。
神を祀る祠は、本殿の中に鎮座している。
椿は厳重な鍵を開けると、祠の前に正座し、頭を下げた。
「巫女の椿で御座います。
今朝も、祈りに参りました。
何卒よろしくお願い致します。」
顔を上げて、鈴を一振りする。
大きく息を吐いて、ゆっくり吸う。
閉じていた目を、開けて、
祈りを始めた。
「神子様の御心のままに…」
そこで、大きく息を吐く。
「ふーっ、終わったわ。今何時かしら?まぁ、いっかぁ」
祠の前にゴロんと、転ぶ。
椿の日課だ。
だが、今朝は何かが違った。
急に怖くなって、居住まいを正した。
「何だろう、この空気。いつものように、解放感がないというか、ピリピリしてる‥‥。」
「ほう、さすが巫女だ。伊達に祈りを毎日してる訳じゃなさそうだな」
「だっ、誰!?」
声のする方へ振り返ると、椿は息を呑んだ。
入り口の、ドアに背中を預けて、もたれかかった青年がいたからだ。
目を見張るような、神々しい銀髪に、すらっと伸びる肢体、形の整った口に、筋が通った鼻。
そして、自分を見つめる、金色の瞳。
「椿と言ったな?」
「はっ‥‥い‥」
「花言葉は、誇り、完璧な魅力、気取らない優美、理想の恋…、良い名だ。」
「あ、ありがとう御座います。あの、貴方は一体?」
祈りを捧げる際は、誰も入れないように、鍵と結界がしてある。普通の人間や、霊魂は、入って来れないはずだ。
「この程度の結界、俺が入れない訳無いだろう、」
一歩一歩、青年は椿に近づいて来る。
(に、逃げちゃダメっ!!祠を守るのよ!命にかえても!!)
「ほう、祠を守るか。いい心がけだ。だが、そんな警戒するな、誰も命なんて奪いやしない。俺の名は、尊(みこと)だ。」
「‥‥みこと?‥‥」
(どこかで聞いた事ある。大切な名前だったような‥‥あ!)
「思い出したっ!き、貴城の神!」
どんどん、血の気が引いていくのが、分かった。
そんな椿の目の前に、顔を寄せた青年は満足気に頷いた。
「ご名答!椿、お前は今日から、俺の嫁だ。」
「………………はいっ!!?」
頭が混乱して、思考回路が上手く回らない。
呼吸の仕方まで分からなくなった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
「おい、大丈夫か?」
尊は、過呼吸になった椿をふわりと、抱き締めた。
「ゆっくり、落ち着いて息を吐け。そう、ゆっくりだぞ?大丈夫、俺がついてる。」
(あれ‥‥この香りどこかで嗅いだことある‥‥、懐かしくて、安心出来る。)
しばらくして落ち着いた椿は、深々と頭を下げた。
「取り乱して、失礼致しました。あの、無礼なのは百も承知です!‥‥何を目的に降りて来られたのですか?本当に神様なのですか?」
「んー、元々信じてなかった者に、信じろって言うのも、酷な話だ。」
「す、すみません!」
「いや、お前が謝ることではないが。‥‥んー」
尊は、しばらくの間考えて、
よしっ!っと、立ち上がった。
「神世(しんせ)に行こう。御披露目がてらだ。」
「へっ?‥‥」
「ほら、早く立て。思いたったら吉日だ!逝くぞ!」
椿は、尊の流れに逆らうことなど、出来なかった。
(さよなら、現世、逝ってきまーす)
「ん?逝くじゃねーぞ?行くだぞ?お前、馬鹿だな!」
「なっ!存じています!というか、用事がおありで降りて来られたのじゃないのですか?」
尊は、ずいっと椿の顔に自分の顔を近づけた。
「わっ‥‥えっとー?」
(ち、近過ぎ!)
「さっき言っただろ?嫁を迎えに来たんだよ!分かったら行くぞ。」
(意味不明なんですけどー!)
「お待ちください!そんないきなり言われても、困ります!両親にも言わないとですし‥‥、第一、人違いなのでは!」
尊は、掴んでいた椿の手首を離した。
「神司椿、16歳、神司家の次女、黒髪、そして、巫女。
これのどこが人違いだ?」
椿は怪訝な顔をして、わざとらしく一歩下がった。
「やめろ。俺はストーカーなどといった、変態の類ではない。自分の嫁になる娘の情報など、幾らでも手に入る。」
「‥‥嫁って何なんですか?
私そんな話聞いたことありません。」
「なんだ、両親から聞かされてないのか?」
尊の眉毛が怪訝そうに寄せられた。
「何も‥‥ただ、お前は巫女なのだ。しか聞いたことありません‥‥」
思い返せば、それ以外の言葉を余り聞いたことがない気がする。
「‥‥ふん、しょうがない。
お前の家に先に行こう。案内しろ。」
「はい‥‥。」
「母上、父上只今戻りました。」
居間の襖を開ける。
全面畳の床の上には、30人は軽く座れる長机が置いてある。父と母は、その神座に鎮座していた。
二人は椿が連れてきた、青年を凝視している。
「父上、お話しがあります。私に隠し事は御座いませんか?巫女の事について。」
「‥‥」
どちら共目線を机に下げて、黙り込んだ。
「父上!母上!」
たまらなく、声を荒げる。
興奮した椿を宥めるかのように、白いしなやかな手が頭を撫でた。
「‥‥椿、その御人はどなたか?」
「これは、これは、申し遅れました。
私は椿お嬢様を迎えに上がりました、貴城尊と申します。‥‥用件は、お分かりですよね?」
二人共顔から、血の気が引いていく。
「‥‥貴城の神よ、何故に椿なので御座いましょう。これは、まだ世のことも十分に理解しておらぬ。貴方様から見れば、赤子と同じで御座います。」
父、継人が切実に問うた。
尊は、何処からか出してきた扇子を口元にあて、答えた。
「椿は私の心を変えた。それ以来私は、椿しか結婚相手に考えておらぬ。もう16だろう?現世ではおなごは、結婚出来るのだろう?私はもう十分待った。」
「ちょっと、待って下さい!
そもそも、私結婚なんてお話聞いたことありません!」
椿が、勝手に進んで行く話に杭をうった。
「すまない、椿。いつかは話さねばと思っていたのだが、なかなか言い出せなかったのだ。巫女は、13歳を過ぎると自動的に、神の嫁候補になる。
そこで、神に気に入られた巫女は、晴れて神の妻になれるのだ。
妻になった娘の家は、未来永劫繁栄すると、言われている。しかし、神が花嫁を娶るのは、500年に一回と言われているんだ。椿が選ばれるなんて、思っても見なかった‥‥。本当に、すまない。」
継人が、深々と頭を下げた。
「父上‥‥‥。」
「椿さんは、どうしたいの?」
母の妙が決まってるよね?と言わんばかりの顔で、椿を見つめる。
「どうって‥‥私はっ‥‥」
椿は、本殿に入ると、無意識に尊の手を握る手に力を込めた。
「本当にいいのか?」
「はい。今生の別れという訳でも有りませんのでしょう?」
「まぁ、そうだが。じゃぁ、行くぞ?」
「お願い致します。」
(強がってるな、何故弱みを見せないんだ。変わってないな、今も、昔も‥‥。)
尊が空いている片方の手を祠に翳すと、眩い光が本殿の中を包んだ。
「っ‥‥眩し‥‥。」
「もう大丈夫だ。目、開けていいぞ」
言われた通りに開けると、見知らぬ世界が広がっていた。
青々と茂った草原に、堂々と居座る山。
その山のふもとに拓かれた街。心地よく椿を包む風。
蒼く透き通った空。
鳥の囀りに、川のせせらぎ。
神世の景色に圧倒されて、椿は立ち尽くしたままだった。
「どうだ?気に入ったか?」
「‥‥」
「椿?生きてるか?」
「‥あ‥‥す、凄く、きれいです!」
目を爛々に輝かせ、尊の手を握り締めた。
「そうか、なら良かった。」
「でも、何故かここに来たことある気がします。ずっと昔に‥‥」
「‥そうか。やはり記憶は完全に消えたわけじゃないな。」
薄く微笑みながら呟いた。
「すみません、聞き取れませんでした。何と?」
「いや、いいんだ。それより俺の家に行こう。」
「はい。」
街の中には、出店が幾つも立ち並んでいて、大勢の神で賑わっていた。
「すごい!本の世界みたいっ!」
「気に入ったか?」
「とてもっ!雰囲気が昔の中華風ですね」
ちょこちょこと歩き回るので尊は、見失わないだけで、精一杯だった。
「──っ。」
椿が、何か言いたげな顔で尊を見た。
「なんだ。言いたいことがあるのか?」
「あの‥‥、なんとお呼びすればいいのですか?」
「そんなことか。尊でいい。」
「では、尊様。何故、こんなに沢山の神様が居られるのですか?自分の社へ行かれないのですか?」
尊は、不機嫌そうに言った。
「神が自分の社に降りるのは、祈祷をされている時、迷魂が居る時だけだ。その時意外は、神世にある家へ戻るんだ。まぁ、極稀に人の世を好いて、人間と共に生活している奴もいるがな。」
「そーなんですか。迷魂は何処へ行くのですか?」
尊が目を見開いて椿を見た。
「お前、巫女のくせに、黄泉の国も知らないのか?」
「‥‥残念ながら。私は祈りを捧げることしか、教わって居りません。」
尊は、小さく溜め息を吐くと通りの一角を指差した。
そこは、この煌びやかな風景とは違い、薄暗く、気味の悪い雰囲気をかもし出していた。
「あれは黄泉の門つまり、迷ってあの世へ行けれなくなった魂、迷魂だな。を黄泉へ連れて行く際に通る門だ。黄泉の国とは、まぁ、あの世だ。分かったか?」
「あの世‥‥。本当に有るんですね‥‥。」
椿が黄泉の門へ近づこうとすると、手を力強く掴まれた。
振り返ると、尊が掴んでいた。
「駄目だ。黄泉の門に近づいては駄目だ。」
「何故ですか?」
「‥‥連れて行かれる。例え神であっても、門官は、無情だ。門に近付く者は、迷魂と見なされる。‥‥助けることも出来ない‥‥出来ないんだっ。」
尊は唇を強く噛んだ。まるで、自分の身に起きたかのように。
「み、尊様?」
椿の拍子抜けした声に尊は、我にかえった。
「‥‥何でもない。忘れてくれ。」
尊は苦虫を噛み潰したような、顔を反らした。
尊の苦しそうな表情を見て、椿は自分の胸に手を当てた。
「分かりました。しかし貴方様が、ご自分の意識で話してくださるまで、待っていては駄目ですか?
話した所で、何もならないかもしれませんが、少しくらい悲しみ、苦しみを取り除くことは出来ます。
私は、貴方様の側にいて何も出来ないことが、苦しいのです‥‥‥。」
「椿‥‥。分かった。いつかは分からないが、話そう。お前になら、な。」
ありがとうこざいます!と、頭を下げる椿の手を、今度はゆっくり優しく掴んだ。
「行こう。随分時間をとった。」
「あ、はい。」
神々で賑わう街を手を繋いで、駆けて行った。
尊の家は、大変大きな物であった。家というより、城と言った方がピッタリくるであろう。
神世の中心街にあるそれは、尊が神様でその上、何者であるのかを、語っていた。
「お帰りなさいませ、神皇様。いらっしゃいませ、椿様。」
玄関先に並んだ神々達に言葉も無く立ちすくんだ。
「何をしている、椿。早く中に入れ。」
「いやいや、えっ?尊様?あの、これは、家なのですか?神皇様って何ですか?貴方様は一体何者なのですか?」
目が回りそうな椿をよそに、尊はしらっと答えた。
「俺?‥‥神皇。まぁ、現世で言う天皇かな?」
(えーっ!じゃぁ、世界で一番偉い人?いや、宇宙一?そんな人が私を?なんでぇ?分かんないし───)
椿の思考回路はそこで、切れた。
真っ白になった。
「は?椿っ?おい!」
何も分からなくなる前、尊の声が聞こえた気がした。
椿は、そのまま意識を手放した。
「-ばき‥‥、つばき、」
(誰‥‥?ここ、どこ?)
「椿、こっちだよ。おいで、」
(待って、分かんないよ!どこに居るの?)
「こっちだよ」
(待って、待って!貴方は誰?)
「私は──だよ!」
(えっ?聞こえない。)
「大丈夫、そのうち思い出すよ。それより早く来て、あの人が待っているよ。」
(分かんない、思い出す?ねぇ、あの人って誰?)
「またね、椿。またね、」
(待って──)
「待って!」
目を勢いよく開けると、見知らぬ天井が広がっていた。
「待てと言われても、行く宛はない。」
少し呆れた声が聞こえた。
声のする方に顔を向けると、少し離れた場所で、本を読んでいる尊がいた。
「あ‥‥、夢‥‥?」
「そうに違いないな。」
ヨイショと、大儀そうに立ち上がり、襖へ向かった。
「何か欲しい物はあるか?」
「欲しい物‥‥?なぜですか?」
「病人を看病するのは、現世でも、神世でも同じだ。」
その言葉に椿はあわてて、額に手をやった。
「‥‥熱がある‥‥。どうして‥‥。」
「一気に環境が変わったからだろう。疲れたんだ。治るまで体を休ましてやれ。」
「はい‥‥‥。」
大人しく布団をかぶると、尊は「果物、持ってくる」と言って、部屋を出ていった。
「‥‥結構俺様だと思ってたけど、優しい所もあるのね。そういえば、手ぇあったかかったなぁー‥‥。」
街を歩く際、終始握られていた右手を頬に当てた。
「温かくないよ‥‥。」
尊は、襖の外で左手を見つめた。
スーッと襖が開く音に、微睡みかけていた瞼が上がった。
「悪い。起こしたか?」
こちらを見下ろす青年が、両手に抱えている籠の中には、色鮮やかな果物たちが山々入っていた。
その果物たちにも引けを取らないくらい、青年は美しかった。
うっとりと眺めていると、青年が怪しく灰色に光る、鋭利なものを手にした。
一気に夢見心地な気分から冷めると、椿は急いで布団に潜った。
「いやーっ、命だけはとらないでーっ!!」
「何言ってんだ。お前は寝起きは必ず寝ぼけるのか?」
「へ‥‥‥?」
もぞもぞと布団から抜け出すと、リンゴの皮剥いている尊がいた。
「リンゴだ‥‥。」
「やっと目が覚めたか。リンゴでいいか?体起こしてても平気か?」
「あ、はい。‥‥」
「‥‥。なんだ。リンゴは嫌なのか?」
ジッと尊を見つめる椿に眉を寄せた。
「あ、いや!違うんです。その、お料理なされるんだーって思って‥‥」
「たまにな。だが、厨房に入ると追い出されるから、週に一回しかできないがな。」
しかし、その包丁さばきは完璧だった。
見惚れていると、目の前に皿が突き出された。
「え、あ‥ありがとう御座います。」
「他に欲しいものはあるか?」
リンゴをしゃくりと噛みながら、椿は首を傾げた。
「なんだ?」
「あの、分からなくて‥‥。」
「何がだ?」
「何故そこまでしてくださるのかが‥‥。病人の看病ということは、分かっています。ですが、病人の看病とはここまでするものなのですか?」
椿の問いに尊は眉をひそめる。
「お前‥‥風邪引いたこと、無いのか?」
「いえ!幼い頃はよく引いておりました。ですが、今はそれほどですね。」
その話を聞いた尊の眉は、更に皺を濃くした。
「じゃあ、その風邪を引いた時は、どうしていたんだ?」
「どうって‥‥、普通の日常生活を送っていました。」
「今のように休まないのか?」
椿は腫れぼったくなった瞼を、ゆっくりと上下させた。
「‥‥どれだけ大変な病気にかかろうと、どれだけ高い熱が出ようと、巫女は神に祈ることを、怠ってはいけないのです。
第一、床に伏せた所で、私のお世話をしてくださる人など、居りませんでしたから‥‥。」
どこか、寂しげな笑みを浮かべる椿の肩を、かき寄せた。
いきなり抱き寄せられて、椿の思考回路は停止した。
「‥‥れからは、これからは、頼って良いんだぞ。辛かったら、辛いって言って良いんだぞ。神に祈ることも、しなくていい。
お前が、やりたいことをするんだ。思ったことをするんだ。いいか?」
壊れ物を扱うように優しく、それでいて力強く抱き寄せられた肩が、ふるえだす。
尊の言葉で、全てが許される気がした。
自分を巫女ではなく、゛椿゛として、一人の人間として生きて行くことを認めて、許してくれる気がした。
人から愛情を受け取ることを許してくれる気がした。
全てを許してくれるその声は、温かくて、心地良くて、たくましさがあった。
凍った心が溶け始める音がした。
溶けた氷は水となって、椿の視界を滲ませた。
それが涙なのだ、ということが分かるまで、少し時間が掛かった。
もう、随分と゛泣く゛ことをしていなかった。流れ出した涙は、とめどなく流れ始めた。
「うっ‥‥ふっぅ‥‥ふうっ」
「それでいいんだ、いいんだ‥‥。」
「落ち着いたか?」
椿は再び布団に横になり、目に温めたタオルをのせていた。
「久し振りに泣いたんだ、腫れて当たり前だ。」
「‥‥とは、」
「ん?」
「本当は、ずっとこうして欲しかったんです。いい子にしてたら、両親がいつか自分に目を向けてくれるかもしれないから、いい子を心がけてました。ですがその願いは、叶いませんでした。だから私は、期待をしないように、思う心に何重にも鍵をかけました。裏切られても、平気なように。でも、心のどこかでまだ、ずっとこうして欲しいという思いが残ってたんです。」
尊が椿の手を握った。
「その思いは、俺が叶えてやる。絶対俺がっ!だから、俺の側にいてくれ。」
尊の言葉は、子供のように椿に縋ってきた。
「はい、ここに居ります。ここに、」
言うなり、椿は意識を手放した。
「椿?‥‥なんだ眠ったのか。」
心配しすぎだなっと呟いて、椿の手を布団にもどす。
静かに立ち上がって椿に笑顔を向ける。
「椿、また、明日な。」
笑みを引っ込めて、襖に向かう。
廊下にでると、そのまま庭の方に向く。
「八代。」
その一言で、尊の目の前に影が降りてきた。
「至急、椿の両親を調べろ。何か引っかかる。」
「御意。」
そのまま影は一瞬にして消えた。
あけ放たれた窓から入った日の光が、部屋に朝を告げる。
耳に響く小鳥たちの鳴き声が、椿を眠りの中から優しく連れ戻す。
いつもより軽い瞼をゆっくり開け、身体を起こした。
辺りを見回すと、壁の側に胡座をかき、もたれかかって寝ている尊がいた。
(ずっと付いていてくれてたのかなぁ?)
そう思うと昨日のこともあり、胸が音を立て始めた。
(な、何だろう!これ!病気、かなぁ…)
感じたことのない、感情に戸惑っていると、尊が目を覚ました。
「椿!どうした!苦しいのか?痛むのか?」
必死の顔で、尊が椿の顔を覗き込む。
「痛くて喋れないのか?」
「……プッ…」
「は?」
尊の必死の顔に堪えきれずに吹き出した。
すると尊は、ばつが悪そうな顔をして、顔を逸らした。
「えっと…すみません。あの!でも、苦しいのは本当です。なんだか、尊様のことを思い出したら、こう…胸がキューっとなって……。これ病気ですか?」
「えっ…それは、本当か!?」
「はい…。やっぱり病気ですか?」
驚いた様子から、嬉しそうな様子へ早変わりする。
(喜怒哀楽が分かりやすい…なんか…可愛いかもっ)
「椿、それはこ──」
尊が何かを伝えようとしたのだか、それは突然遮られる結果に終わった。
「尊様っ!!」
突然部屋に入ってきたのは、尊よりも上背がある青年だった。
細い垂れた目に、胸まである金髪。
白く透き通った肌、女物のような着物を難なく着こなしていた。
「尊様っ!!ここに居られたのですね!」
「………椿、それはこ」
まるでさっき起きたことを水に流すかのように、話しを戻した。
だか、またしても同じところで遮られる。
「尊様っ!!罵声を浴びせられることより、存在を無かったことにされる方が泣きそうです!!!」
「チッ……何だよ!邪魔すんなよ!馬鹿一都!」
「何とでもおっしゃいなさい!それより、八代にまた何か調べさせてますね!
そんなこと…」
「な、何だよ」
「そんなこと、私がやりますっ!!と言うか、私にやらせてくださいっ!!」
椿は危うくお茶を吹き出しそうになった。
「だめだ。」
「何故ですかっ!!この一都、必ずや尊様のお役に立てます!」
「だから、何度も言わせるな…お前は、とろいし、頭体がデカいから、目立つんだよ」
「なんと!」
「お前には、もっと適役があるだろ?俺の世話とかさ!」
「尊様…分かりました!この一都、尊様の世話係りとして、精いっぱい勤めさせていただきます!」
「あー、そうしてくれ。」
一応終わったのか、尊が椿に顔を向けた。
「ごめん、椿。あの暑苦しいやつは、俺の世話係りの一都だ。」
「一都様ですね。よろしくお願いします。」
「これは、これは、地上の麗しきお姫様。
噂通りお美しい。お名前はなんと申されますか?」
先程の態度とは一変した一都に、戸惑いながらも名乗った。
「神司椿です…。」
「椿様ですね。貴女のような可憐御方にはぴったりの名ですね。」
「さっきから、口説いてんじゃねぇよっ!」
一都の後頭部を尊が叩いた。
だが、叩かれたことなど微塵も気にせず、尚も椿に近づこうとする。
「い、一都様…?……尊様!…怖いです」
尊が一都を止めよとすると、襖が勢いよく開いた。
「一都っ!!やめなさい!!」
凛とした声音が部屋に響く。
振り返った先にいたのは、前髪をセンターでわけ、顎まで伸びた横髪が同じ高さで切りそろえてある髪型に、すっきりとした目元が印象的の、少女が立っていた。くのいちを思わせる衣装からは、白く華奢な腕と足が伸びている。
背丈は、椿と同じ位だが、身体の出来方は全く違うものだと一目で分かった。
「おお、二世!!助かった!」
「尊様、しっかりしてください。」
「すまない、油断していたんだ…。」
「ま、何でもいいですけど。一都っ!!あんた仕事中でしょう!?こんな所で油売ってんじゃないわよ!!」
一都は二世の顔を一目見ると、いそいそと何も無い部屋の隅に隠れた。
「……ナニソレ、隠れたつもり?」
「………一応…。」
部屋に降る沈黙は、重苦しいものだった。
「馬鹿やってないで、早く戻ってきなさい!今なら許してあげよっかなぁー」
「本当かい!?分かりました!行きます!それでは椿様、またいつか。」
「ごめんなさいね、椿様。では、こいつは連れて行きますので、ごゆるりと。」
一都は素直に降参すると、ガシッと腕を掴まれた。そのまま退散していく。
「ゆるすのやっぱり、やーめた!」
「えっ……?嘘だよね?私をはめたのかい!?」
襖の外で一都の断末魔にも似た叫びが響いた。
「……なんか、ごめんな。」
「いえ!少し怖かったですけど、賑やかで楽しいですね!」
少しというのは嘘になるが、楽しいというのは本当だった。
「それより、あの方々は何故私のことを知っておいでだったのですか?」
一都は、″噂通り″と言っていた。
二世は、″椿様″と名前を知っていた。
「あぁ、俺が話したからな。」
「尊様が…ですか?」
あぁ、と言って椿が入っている布団のそばに、腰を下ろした。
「あいつらは、全員で八人いる。みんな俺の友達だ。因みに名前は、一都、二世、三木、四土、五海、六空、七水、八代だ。
みんなお前のことを知っているぞ。お前のことは、昔から知っていたんだ。だからお前が、16歳になったら迎えに行くとずっと前から伝えてある。」
そう言う尊の顔は、どこか遠くを儚げに見つめていた。
「そう、だったのですか…あの、ずっと気になってたんですけど、私は以前尊様にお会いしたことが、あるのですか?もしそうだとしたら、私っ!!」
尊はゆっくりと椿に顔を向けると、優しく微笑んだ。
「あぁ、ずっと昔だ。お前は覚えてなくて当たり前だ。」
何故だか、その言葉にモヤモヤしたものを感じた。
「……。なんで覚えてないのかなぁ。」
「ん?何か言ったか?」
「い、いえっ!あ!それより、私もう熱も下がりましたし、この通り元気いっぱいですが、何かする事はありませんか?」
布団から抜け出して、肩をブンブンと回した。
「本当か?」
「はっ、」
はい!と言おうとしたが、目の前に来た尊の顔が遮った。
近づいた顔は、鼻の頭が擦れそうになるくらい近く、尊の金色の瞳で椿の瞳はいっぱいになった。
身構えた椿は、きゅっと目を瞑った。
が、あたったのは予想したものとかけ離れていた。
ゴツン
「へっ!?」
「よし、本当だな。熱はないな。…なんだその顔は?」
あたったのは、額と額だった。
勘違いした自分が恥ずかしくなり、赤面する。
「な、な、な、何でもありませんっ!!」
後ろを向き、顔を覆った椿の耳元に、心地良い低音が響いた。
「キス…するかと思った?」
図星の椿は、熟れたトマトのように顔を染めた。
「だっだって、尊様が何も言わずに近くからっ!!」
必死で言い訳する椿を見て、尊は楽しんでいた。
「キスかと思ったわけ?」
「やっ…ちがうっ、くもなくもないけど…」
もぞもぞと言い訳をする椿の耳元に、フッと息を吹きかける。
「あっ…」
ヘナヘナと崩れ落ちた椿は、尊を睨み上げる。
「そんな顔したって、誘ってるようにしか見えないんだけどなー。キスは、その内するから、それ以上のこともね。覚悟よろしくー。」
それだけ言うと、そそくさと部屋から出て行ってしまった。
しばらく放心状態だった椿は、朝も聞いた小鳥の声で我に返った。
「…結局…何すればいいのよーーーっ!!」
椿の声は、広い屋敷中に響いた。
「あれが、尊様の思い人ぉ!?私、あんなやつに負けた訳!?」
「いや、お前より美人だと思うぞ。」
「うっさいわねっ!!その口縫い付けるわよ!!五海!!」
「はいはい。…七水が黙ればいいのに…」
「ぼそぼそ言ってんじゃないわよ!本当キモイわねっ!」
七水は近くにあるくず入れを、力の限り蹴っ飛ばした。
「あんなチンチクリンに、この七水が負けるはずないわ!ぶっ潰してやるっ…」
「ゴミ、入れ直せよ」
「もうっ!分かってるわよ!うっさいわねっ!!」
五海は七水に気づかないように、こっそりと息を吐いた。
「あーっもうっ!なんなのこの屋敷!全然道分かんないし。家で迷子ってどうなの!?しかも部屋に帰れないし。尊様はどっか行っちゃうし…、誰もいないし…。」
グスッと鼻をすすったとき、肩をたたかれた。
「へっ?」
素早く振り返ると、目の前に男が立っていた。
「なっ…!ど、どちら様で…」
「俺は、六空だ。尊様から、聞いているだろ?」
「あ、はい!」
六空と名乗る青年は、腰までつきそうなくらいに長い赤茶色の髪に、尊と同じくらいの背丈。細身だが、がっしりとした肢体。
一見冷たく見える瞳は、鋭く、ギラギラと光るものを持っていた。
「ついてこい。尊様がお呼びだ。」
「え…あ、はい。」
有無を言わさぬ物言いに、思わず首を竦める。
スタスタと自分が歩いてきたのとは、反対方向へ歩き出す。
それから、尊の部屋に着くまで終始無言だった六空は、椿を部屋に送るやいなや、
少し目を離した隙に気配も無く消えた。
「………。」
「六空はあんなやつだ。気にするな。」
「はぁ、そうなのですか…。じゃぁ、六空様に会ったら、ありがとうございました、と伝えて頂けますか?」
「あぁ、構わんが、椿はもう会う気は無いのか?」
「いえ!何となく、あちらが、会ってくれなさそうなので。」
寂しそうに微笑むと、尊がむっとする。
「尊様?」
覗き込むようにたずねると、いきなり引き寄せられた。
「わっ!は、え?」
「まるで、会うことを禁止されている恋人のように言うんだな…」
「へっ!?恋人?違いますよ?」
その言葉を聞いてさらに腕に力が加わった。
「く、苦しい…です…」
椿の声にはっとした尊は直ぐに拘束を解いた。
「す、すまない…。ちょっと嫌なことを思い出したんだ。大丈夫だったか?」
「はい、…。」
(過去に私と何かあったのかなぁ?)
『…………。』
部屋には、重々しい空気と、沈黙が降った。
「あっ…あのっ!私に何か用事だったのでは……?」
「あ、あぁ、そうだ。祝言のことなんだが、いつがいいかとか希望はあるか?」
「祝言?…あっ!?」
神世に来てからバタバタとしていたため、すっかり当初の目的を忘れていた。
そう、神世に来た目的とは尊と、縁を結ぶためなのだ。
そんなことを忘れていた椿は、あたふたと慌て始める。
「なんだ、忘れていたのか?」
「いえっ!そんな、バタバタしていたから、忘れていたとか、別にそんな事ないですよっ!!」
「……。」
尊は、生暖かい目で椿を見る。
「そ、そんな目で見ないで下さい。あ、祝言!祝言いつにします?」
「お前は、本当に俺と縁を結んでも後悔しないか?」
「え?はい。当初の目的はそれでしたし…
それに…」
「それに?」
「尊様のこと、もっと知りたいと思いましたから!」
顔を真っ赤にして言う椿は、花の椿のように可憐で、愛おしかった。
「俺の…こと?」
「はいっ!」
尊は、片手で顔を覆った。
いきなりの仕草に椿は慌てふためく。
「み、尊様!?大丈夫ですか!?あの、何かしましたか?」
すると、顔を覆っていた手を外した。
「あぁ。反則だ。」
その微笑みに不意に心臓が音を立て始める。
いきなり上気し始めた頬の色を悟られないように、思わず顔を逸らす。
「──っそれより!私、祝言を挙げるのは一週間後がいいです!」
「……?あぁ、そうか。じゃぁそうしよう。いきなりどうしたんだ?」
「いや、その!…ほら!あれですよ!祝言を挙げる前に、屋敷の方々に挨拶まわりをしたいのです!あと…えっと…そうそう!屋敷で迷子にならないように、屋敷のことも分かっておきたいですし!」
我ながら急な言い訳とは言え、上手くできたと、椿は内心自分を誉めた。
そんな言い訳に必死な椿の目の前で、尊は必死に笑いを堪えていた。
そして最後に、
「本当なんですからね!!本当ですよ!!」
と念をおされたあかつきには、ついに吹き出してしまった。
清々しい笑い声をあげる尊を、椿は横目で一瞥する。
「ごめんごめんっ!本当ってのはっ、分かったから!」
「本当ですか?」
「本当本当!もう笑わない。」
「じゃ、許します!次は無いですからね!」
───「じゃぁ、許します!次は無いですからね!絶対無いですからね!」────
「椿っ!!」
それは一瞬であった。
悲しいような、苦しいような、でもそれでいて嬉しいような、そんな表情だった。
切なく愛しく呼ばれた名は、自分のものと同じであったが、明らかに尊が見ている“影”は、椿ではなかった。
「…ち、違います。私、貴方が…尊様が想われている方とは、違います」
とっさに出た言葉は、あまりにも感情の無い、冷たいものだった。
その声音に“影”を追っていた尊が、“椿”を見た。
気まずそうに顔を逸らす尊に、椿の胸は張り裂けそうになる。
苦しさに顔を歪める。この感情の名前が分からない。喉の奥からせり上がってくる感情を、必死でこらえた。
「……先程から、尊様は誰の影を追っているのですか?尊様が、影を追うのは構いません。しかし、私は…私はっ椿ですっ!!
神司椿です!!…御無礼、お許し下さい。」
そのまま部屋を飛び出す。
「椿っ…くそっ!俺は何をしてるんだっ…」
どうしようもなく、湧き上がってくる自分への嫌悪感を、振り払おうと壁を殴る。
「ダメじゃないですか、重ねたら」
可愛らしい声が尊を諫なめる。
振り返ると、椿より頭半コ分小さい背丈の男の子が立っていた。少女を思わせる丸い瞳に、2つに結んである艶やかな髪の毛。
色の白い肌に、細い肢体。
「四土!!!…、見てたのか…」
四土と呼ばれた少年は、そのくるくるの目を細めた。
「そんな事より、椿ちゃん追わなくていいんですか?」
「……、追ったところで、なんと声をかければいいんだ。俺は最低な事をしたんだ…」
視線を足の先に落とした。
そんな主をみて四土は軽く溜め息をつく。
「主ー、この状況の中、椿ちゃんを放っておく方が、僕は最低だと思いますよ。」
「この状況?」
ふと視線を窓に移した。
空は曇天でポツポツと雨が降り出している。挙げ句の果てに、ゴロゴロと空が唸り声を上げだした。
「ここは外じゃあるまいし、濡れることはないだろ。」
「主はね!椿ちゃん、玄関の方に向かって行きましたよ?」
「なに!?玄関だと?」
慌てて部屋から出る。
「主ー!傘さしてくださいねー!」
「あぁ、分かっている」
何かわからない、一抹の不安を抱えながら廊下を走る。
「椿っ…」
ひたすら走っていた。とにかく闇雲に。
いつの間にか、室内の風景から、仕切るものが一つもない、外の風景にかわっていた。
「いつ玄関をでたのかしら…ここはどこ?」
神世に来てからまだ3日ほどしか経っていない。まして、外に出たのは神世に来たとき以来だ。
完全に道を見失った椿は、一人焦りだす。
「ど、どうしよう…なにか来たときに見たもので目印になるものは……」
軽くパニックを起こした頭を、フルに回転させ、記憶を辿る。
「大草原…大きな山…沢山の出店…賑わった大通り……そして、暗い門……!!!暗い門だっ!!!」
一つだけ印象深く、明確に残っているのが
あの暗い門、そゔ黄泉の門゛だった。
辺りを見回すと、異様な空気を纏う門はすぐそばに仁王立ちしていた。
「あそこからの道を思い出せばっ!…思い出せば…いい…の?思い出して、どうするの…私に、帰る所なんて、あるの…?」
ふと浮かんで来たのは、尊の笑顔だった。
「風を引いたとき、尊様を、私を認めてくれるただ一人の人だと思って信じてみようと思ったんだ。だけど…結局尊様も、私を、私自身を見てはいなかった…、」
自然と足が暗闇へと近づく。
ポツポツと降り出した雨など、気にもならなかった。
「結局私はどこの世界に行っても、帰る場所も、帰りを待ってくれる人も、神司椿を私として見てくれる人も居ない。それって、生きて行く意味あるのかなぁ…、」
門から大男が音もなく出て来る。
今まで抑さえてきた、感情が堰を切って溢れ出る。
自分は居ても意味がない
死んでも変わらない世界
生きていても変わらない世界
椿という名に縛られた自分
自分を見ない周りの目
そんな世界にいる意味は一体、どこにあるのだろう。
どこに行ったら答えを見つけれるのだろう。
……多分どこにもない。
どこにいっても、変わらない。
もう涙も出ない。
頬を濡らすのは涙じゃない。雨だ。
「もう…やだなぁ、神様なんて居ないじゃない…」
大男が手を伸ばして来る。
その動作がひどくゆっくりに見えた。
避けようとすれば簡単に出来るが、椿は避けようとしなかった。
「ヨミノモン、チカヅイタ。モウ、モドレナイ。」
門が不気味な音を立てて開く。
暗闇が笑う。
どこか遠くから自分を呼ぶ声がする。
「椿…」
懐かしくて、切ない声に胸が詰まる。
一歩、また一歩と声のする方へ進む。
門が閉まる手前、断末魔にも似た叫び声が耳を、通り抜けた。
「椿ーっ!!」
尊様…私はもう、疲れました。どうか、休ませて下さい…。
心で呟く。
もう、黄泉の国。
「椿ーっ!!」
腹の底から声を絞り出したが、もう届かない。
「…うそ…だろ…、うそだろ!椿!」
必死に走った。
何ともいえぬ焦燥感を抱きながら。
だが、間に合わなかった。
焦燥感だけでは、済ませられない大切なものを失った。
自分の愚かさ、無力さを呪いに呪った。
「俺はっ!…俺は何がしたかったんだ!」
力の限り地面を殴る。
重ねていたのは、椿の先祖にあたる椿だ。
まだ神司家が、神に直接使えていた頃の話しだ。
司家には一人の巫女がいた。
尊は、巫女に恋心を抱いた。
巫女もまた同じだった。
しかし世継ぎ争いに巻き込まれ、巫女は命をおとした。
黄泉の門に連れて行かれたのだ。
尊は、自分を責め続けた。
と同時に、次こそは守り抜くとちかった。
しかしそれはだだの自分のエゴに過ぎなかった。
椿の見せた花のような、純粋な笑顔。
その笑顔を見せる椿に、惹かれていった。
それは事実だった。
だか、過去の椿を忘れたくなくて、認めたくなかった。
過去の椿と、今の椿。
同じだが、心は違う。
過去はもう過去であって、今ではない。
過去に縛られ過ぎて、今をも見失った。
結果がこのざまだ。
失って気付いた。
もっと早く気付いていれば…
椿を失わずに済んだかもしれない。
過去は消せない。しかし、それを乗り越えることは出来る。神司椿がいる今は、思い出になんかしない。させない。
「絶対取り戻すっ…!」
「尊様、只今戻りました。」
煌びやかな衣装についた、泥をはらいおとしていると、八代が戻ってきた。
「おぉ、八代か。で、どうだった?」
「はい、尊様の察しった通り、母の妙は実の母親ではありませんでした。椿お嬢様の母親は、父親の愛人だったことになっています。本当の妻は椿様のお母様ですが、愛人の妙の方が先にお子を産んでおり、立場が逆転したようです。椿様のお母様は椿お嬢様を産んで直ぐに他界しております。つまり、椿お嬢様は世間から見ると、隠し子になります。故に、生家では酷い扱いを受けておられます。巫女にならなければならないのは、椿お嬢様のお姉様にあたる、野薔薇様でしたが、妙の意向で椿お嬢様になっています。」
淡々と告げられる椿の過去に、尊は納得していた。
「だから、風邪を引いたときあんなことを言っていたのか…父親は?何もしていないのか?」
「父親は、椿お嬢様を愛しておられましたが、妙にとめられていたそうです。」
「なんだ、全ては妙が元凶か…」
「はい、そうなりますね。」
全ての事実を知ったところで、どうするわけではないが、一つ気になることがあった。
「今、巫女はいるのか?」
その言葉に、八代は少し俯き、難しい顔をした。
「それが、居ないのです。」
「なに!?居ないだと?」
さすがにこの事実には、驚かされた。
「はい…」
「野薔薇は何をしているのだ!?」
「かたくなに拒否…と言ったところですね…妙もその考えは無いようで」
さすがの尊も言葉を失った。
自己中心的とは、こういう奴らのことを言うのだと、尊は納得した。
「拒否権があると思っているのか?そいつらは!神司家に生を受けた以上、そういう運命と共に生きなくてはならないのだと、理解していないのか?椿だってっ…いや、何でもない…。とにかく、それは一旦保留だ。八代、冥府へ連絡を取ってくれ。訪問したい、とな。」
「御意。」
そのまま一瞬で姿が見えなくなる。
「さぁ、戦争だ。冥府」
そこは、重力も、物体も、光も存在しない、この世の果てだった。
椿は、闇に身を委ねて、空間を漂っていた。
「疲れた…お母様に、会いたい…」
すると、空間に声が響いた。
「椿、椿、ここで何してるの?」
その声は、黄泉の門に入る時に自分を呼んだ声だった。
「あなたは、誰?私を知ってるの?」
「もう忘れてしまったの?椿の夢の中にも、お邪魔したことがあるのに…」
その声は、鈴を転がしたような可愛らしい声だった。
「!?夢って、私が初めて神世に来たときのあれ?」
「そうそう!なんだ、覚えてるじゃない、
」
声が嬉しそうに笑った。
「あの、あの時名前、聞き取れなくて…
それと、あの時案内して下さってありがとうございました!」
「いいのよ!第一、案内というか、手助けしてあげただけよ?戻るか戻らないかは、椿と、尊様次第だったのよ。」
そこで予期せぬ名前が、空間に響いた。
「…尊様…?ねぇ、あなた、誰?」
「私は、椿の先祖の、祈灯椿よ。椿のことは、あなたが生まれた時からずっと見てた。」
「…私の…先祖様…祈灯、椿…!?」
全てが繋がった気がした。
尊が見ていた影は、この、祈灯椿だったのだ。
「どうかした?黙り込んじゃって」
「あ…あの!教えて欲しいのです!過去に尊様と何があったのか…」
暗闇に響いていた声が、急に止んだ。
音がなく、光もなく椿は急激に心細くなった。
「祈灯様?」
「こっちよ、椿」
空間全体に響いていたさっきとは違い、椿の背の方から声が聞こえてきた。
振り向くと、一人の女性が立っていた。
女性の周りだけ、薄い光が纏わりつくかのように、光っていた。
透き通るような白い肌に、艶やかな黒髪、切れのよい目に、形の整った口と鼻。まるで椿を大人っぽくしたような容姿だ。
「祈灯様?」
「そうよ、祈灯様よ。…教えるわ、過去に尊様と何があったのか…」
その昔、この世の全てを統べる神と、その神に祈りを捧げる巫女が、恋に落ちた。
2人は心から愛し合った。
全てが順風満帆にいっていた。
が、結婚を間近にしたある日、巫女は神の元婚約者に呼び出された。
場所は市場。
あの煌びやかで華のある市場だ。そこで元婚約者はお祝いをすると、理由付けて巫女を呼び出した。
巫女は、ようやく認めてもらえたのだと、信じて待った。
しかし、元婚約者は巫女の事など認めてなどいなかった。
市場の一角にある黄泉の門へと、突き落とされたのだ。
巫女は必死で神の名を呼んだ。
神もまた巫女の名を呼んだ。
しかし黄泉の門は三度開く事はなく、虚しく巫女は消えていった。
「ってとこかしら?」
話し終えた黄泉の椿は、悲しそうに微笑んだ。
「どうして…」
「え?」
「どうして私を助けたりしたのですか?私は祈灯様が、恋しくて仕方なかった御方と縁を結ぼうとしていたのですよ…、つらくは、ないのですか?」
椿の言葉に驚いたのか、黄泉の椿が大きく目を見開いた。
そして、すぐにため息混じりの微笑と共に、椿を見据えた。
「つらくないと言ったら、嘘になるわ…、でもね、椿。私はあなたが生まれて来たとき、本当に嬉しかったわ!尊様と縁を結ぶことが決まったとき、泣いて喜んだのよ!私の無念を晴らしてくれたのだもの。でも、あなたの気持ちなんて考えて無かったわ…。ごめんなさいね…。」
黄泉の椿は、そっと椿を抱きしめた。
まるで母が子を抱くように。
「祈灯様…。でも尊様は、私を見てはおりませんよ、あなた様を見て居られます。」
「いいえ。あの方はとっくに私のことは見ていないのよ。本人も気づいてなかったようだけど、尊様はずっと、椿、あなたを見てるのよ。本人もやっと気づいたようだし。」
そう言って、黄泉の椿は椿に優しい笑顔を向けた。
「耳を澄ませて聞いてごらん。」
意味も分からなく耳を澄ませる。
「……なにも聞こえないわ…」
「聞こえる。もっと尊様を信じてみて。必ず来るって、助けてって。」
「……き!…ばき!…だ?」
突然どこからともなく聞こえて来た声は、心の奥底で求め続けていたものだった。
愛おしい人の声。
大切な人の声。
かけがえのない、たった一人の声。
こぼれ落ちそうな涙をこらえ、本心の感情を叫んだ。
「尊様っ!!ここです!椿は、ここに居ります!どうか…どうか助けに来て下さいっ!!尊様っ!!」
と、その瞬間一筋の光が底の無い闇にさした。終わりは見えない光は、椿に道を指してくれているのかのようだった。
つられるように光の道を黄泉の椿と進む。
すると、重々しい扉がでてきた。
ゆっくりと開き始める。
「ほら、椿。行きなさい、あの方の元へ戻るのよ。あなたはまだここに来るには早すぎる。だから、もっと年老いてから来なさいな。その時はまた、お話ししましょ?たくさん、お話しするの。ね?」
「はい…。きっと、きっと祈灯様の分まで幸せになります。ずっと見守って下さってありがとうございました。」
「うん、こっちこそありがとね。ほら、振り返らずに行くのよ。振り返ってはダメよ、絶対に。今度こそ戻れなくなるわ。」
「はい。もう、振り返りません。」
深々と一例をして扉へと向かう。
光と共に闇が消える。
どんなに悲しくても、辛くても、もう振りかえらない。椿は固く決心し、黄泉を出た。
光の向こうに見えた愛しい人の姿に、こぼれる涙も気にせず、抱きついた。
もう、一人じゃない…
尊は、冥府へと乗り込んだ。
冥府を治める長と喧嘩も同然の『話し合い』で、チャンスを一度もらった。
「一度だけだ。一度だけ、門の中へ呼び掛けてもいい。だが、そこで相手の返事が無かったら、もう終わりだ。その椿とやらには消えてもらう。もし返事があったら、出してやろう。」
「本当か?二言はないな?」
「あるわけなかろう。」
「その言葉、忘れるなよ。」
元々冥府と神世現世は分離しており、冥府では尊の権力も無いに等しい。
そんな尊が、椿を取り返そうとして来ても、取り次ぐわけがなく、
「返せ」「返さない」の押し問答が続いていた。
だが、尊が一向に引き下がろうとしないので、とうとう冥府の長が折れて、チャンスが与えられたのだ。
(椿…神司椿。お願いだ。俺を信じていてくれっ…)
尊は、扉の前にたつと、大きく息を吸った。
「椿!神司椿!返事をするんだ!」
「‥‥」
何も返ってこない時間を、尊はただひたすら祈って過ごした。
「…ほ、ほらみろ!返事なんて来るわけないだろ」
冥府の長が愉快そうに笑い声をたてる。
「静にしろ!!返事が聞こえんっ!!」
物凄い剣幕で怒鳴りつけると、冥府の長はピタリと口を閉じた。
「…様っ!!…です!椿は…ここに居ります!どうか…どうか…けに来て下さいっ!!尊様っ!!」
やけに尊様の部分が鮮明に聞こえた。
尊は、いてもたっても居られなくなり、扉を開けた。
チラリと振り返ると、目を大きく見開いて、だらしなく口を開けっ放しにしている冥府の長が、目に付いた。
自分は、勝ったのだ。
冥府に、過去の自分に、運命に…。
小さくて愛しいその姿をずっと、ずっと、守り続けようと誓う。
艶やかな黒髪を揺らし、子供のように涙を流して駆けてくるその存在を、一筋の光を、力の限り抱き締めた。
黄泉の門からでると、先ほどまで降っていた雨はやんでいた。
どんよりとした空に打って変わり、晴れ晴れとした清々しい空が広がっている。
尊は椿の手を握る手に力を込めた。
不思議そうな顔をした椿が尊を見つめる。
尊は前をみすえたままだ。
「尊様?」
「椿」
短く呼ばれた自分の名前に以前とは違う温もりを感じる。
何故か名前を呼ばれただけで、体温が上昇した。
「はい、」
赤くなった顔を隠そうと、うつむいて返事をする。
「椿…」
力の籠もってない弱々しい声が頭上から響いた。
はい、と返事をしようとしたが、突然顔の前に現れた、たくましい手に遮られた。
その手は、うつむいた椿の頬に優しく不器用に当てられた。
ゆっくりと上を向くと、
夕暮れの日に照らされ、キラキラと光る瞳と視線がぶつかった。
悲しそうな、嬉しそうな、苦しそうな、怒ってそうな、感情が混ざり合った愁いを帯びた、そんな表情をした尊が椿を見ていた。
「…みこ──」
言葉は遮られた。
熱いものが触れ合った。
それは一瞬であったが、一生のように長かった。
「──っん、」
「椿…」
まだ熱が残る唇で名前を呼ばれた。
顔から火がでそうなほど熱くなる。
「─っはい、」
「逢いたかった」
広い胸に抱き寄せられ、息がつまった。
「…っ私もです…、お逢いしたかったです…尊様っ…」
溢れ出した感情は、頬を伝って尊の肩へと吸い込まれていく。
「馬鹿椿。泣くぐらいなら、黄泉の門など入るんじゃねーよ…、二度とすんなよ…、もうあんな怖い思いはしたくない」
「はい…、二度としません。黄泉の門なんて怖いですもんね…」
「……本当お前馬鹿だな!」
こもっていた力が急に緩んだ。
再び向かい合う。
「馬鹿とはなんですか!」
「馬鹿は馬鹿だ!」
「何が馬鹿なんですか!」
「黄泉の門なんて怖がねぇーんだよ!」
「へ…?」
「だから!お前を…その…、椿を失うのが怖かったんだよ!」
夕暮れが照らす尊の顔は、椿に負けないくらい赤らんでいた。
「尊様…、すみませんでした、二度としません。約束します。」
「ほんとか?約束だぞ!?」
「はい。本当です!」
「まぁ、俺がお前を守れば一番手っ取り早いな」
「じゃぁ、守ってくださいね!」
そう言って、まだ熱が残る唇を今度はしっかりと重ね合った。
神皇様のお嫁さん