今日と明

今日と明

今日と明


日は昇るのだろうか、ふと、長い夜の黒を眺めているとそういった不安にかられることがたまにある。ざあざあと雨粒が屋根の上に落ちる音もそれをせきたてている。もしかしたら、もしかしたらで、いつまでも空は月の独壇場で、雨はいっこうに止む気配、それもみじんもなく、そのままたぶん、あの自分の家の前にある、今はほんのちょぴっとのみなもに、薄い黄色の、かれの頭上の街燈を映すくらいの規模しかない水たまりが、みるみるうちにかれ自身の鏡の面積を増やしていって、アッときづいたころには道に濁流をつくってしまうのではないだろうか。ごうごうと泣く雨音がいつのまにか氾濫直前の大河のうたきとなるのではないか、雨音なんて聞き間違いではないか、という杞憂が自分を窓の前までもってこさせ、硝子(しょうし)に映った顔面にその存在を誇示しているのが、よくわかる。ばかにするんじゃあない、と自分は吐き捨ててカーテンでそれを覆ってやった。電気も消してやった。暗順応のそれのあいだ、束の間の不安、そう、この一瞬はいつもヒヤヒヤとする。夜の暗闇の不安ときたらこれはジワリジワリ、と、まるでそう、紙にインクを浸していくような不安であるが、こいつははたして、自分の脊髄を背中から引っ張り出して、それにじゃりじゃりと(やすり)をかけるような乱雑な不安因子である。しかしこいつは気合がないのか根性なしなのか知らないが、一瞬刹那でおわるのがせめてもの救いである。かくして部屋が暗くなり、目が慣れると、自分は見慣れたはずの自室をキョロキョロとみわたす。

音はあいかわらずの水の音、目に見えるのは見慣れたようでそうでないような真っ黒な家具たちで、だれもかれもみな一辺倒にこちらをのぞいている。特にけばけばしいのは時計で、壁にかけてあるのだが、そいつは文字盤に特殊な塗料が塗ってあって、つまるところ昼間に光を十分受けていれば、暗くなると薄緑色にひかりだすのだけれど、これが気色わるい。そうやって景色観察にも飽きてくると、自分はようやく仰向けになってサア寝てやろうという気前になる。ところがここでふと我に帰ったように、今まで忘れていたかのように、思い出したように雨音が聞こえてくる。ざあざあざあ、これがたまに人間のアー、アー、アーという声にも聞こえる。今晩は颱風(たいふう)が通り過ぎると来たものだから、たぶん今日一晩はこの叫び声にはガマンして寝なくてはならない。いやなものだ。そのうちやっぱり考え事にも飽きてくると天井を見ながら私は眠りに落ちる。だがまた真夜中にふと目が覚める!なんだ、こんどはなんだ!風だ、突風だ、颱風だ!そりゃもう、山颪のように上から叩きつけられるようなひどい風が延々と壁をゆさぶってはオウウオウウと唸っていくもんだから迷惑以外のそれものでもない。カーテンを開いて見てもやっぱりまだ黒で、夜は続いていた。オウウオウウと風が唸り、近所のどこかで物がそれにもっていかれる音がいくつもした。しかし、その猛烈な風と雨がふと、まるで耳鳴りにあったかのように止んだ。なんだと思ってもう一度硝子のむこうがわをチラとのぞくと、天は晴天だ。まるで、今までの天気が自分の幻覚だったのだろうか。真っ黒な空を覆っていたはずの薄暗い禍々しい大雲は、どこへいったのか、いや、はるか向こう側に雲が見える、いや、あっちにも、こっちにも、そうだ、これは巨大な颱風の目だ!今自分は颱風の目のなかにいるんだ!まるで自分の家の屋根を中心に、雲がぱっかりと割れて純粋な、月がひとつ浮かぶ元来の空を見せていた。なんて綺麗なんだろう、そうやって見惚れていると、東南東の空の方角から赤と白の光を放つ星がやってきて、月の下で止まってみせたと思ったらすぐに消えてしまった。あれはただの飛行機だったのか、それとも宇宙人の乗り物だったのか。よくはわからなかったが、その星が消えた直後、それが合図だったかのように、また、雲がどんどん狭まってきて、空をふたたび覆い尽くしてしまって、風と雨をも一緒に持ってきた。自分は空気の読めない颱風天気にひどく嫌気をさして、空のことはわりきってすぐに布団に潜り込んでしまった。しばらくして目が覚めても夜は覚めず、今日は冷えるばかりで、既存のタオルケットだけじゃとてもやりきれなかったので、自分はクローゼットから羽毛布団を引っ張り出して、それに包まって寝た。それでいて、ここからは夢か現か分別がつかないものだけれども、自分はもういっかい起きてしまった。-そのとき迎えたのはまだ夜で、私は気落ちした。もう一回寝てやろうとしたものの、どうにも寝つきが悪いので、塩を舐めたり寝方を変えてみたりいろいろがんばったけど、最後には自分はあきらめてベットから降りた。机のスタンド照明をつけて、椅子に座った。手みぢかにあったコピー用紙(A4)をひきよせ、万年筆で文章を縦書きで書きだした。一通り文字を書き終わると、私はその書いた用紙を丸めて口の中に放り込んでやった。ムシャムシャと咀嚼していると、窓のむこうがわがパッと明るく輝いたので、なんだろうとカーテンを引き払うと、そこには玄く光る二等辺三角形があって、窓の前のバルコニーには、それの持ち主らしき人々が立っていた。自分はおどろいて、窓開けてバルコニーに裸足で出た。宇宙人は二人ほどいて、青黒い服を着ていた。彼らは私を見ると近寄ってきて、持っていた革のバックから透明なファイルを出して、私に押しつけた。ファイルにはA4サイズの紙が何枚か入っており、それぞれ両面、文字がびっしりと印刷されていた。宇宙人は、それは大事なものだから、厳重に管理してくれ、決して人に見せないように、と云った。私がうなずくのを見ると、彼らは二等辺三角形にするすると吸い込まれていってしまい、跡形もなく消え、母船もものすごいスピードで西北西の空の彼方へ駆けて行った。すると空はこれをまっていたかのように目の前で幻想的なグラデーションを次々と展開させ、私を虜にした。虹色、そして形容できない美しく妖艶でどことなく応禍をにじませたそれは、しゅっと一点に吸い込まれたと思うと、ブワッと艶やかな帯を放出させた。その帯を携えながらあらわれたのは一人の女で、その帯を身体中に巻きつけていた。私は思わずファイルをぎゅっと手で抱えて身を締めた。

「かえしてください。それは大事なものなのです。」

と、空が言うので、

「いやだ、これは、私のものだ。」

と言うと、女は帯を私の周りに漂わせ、威嚇するようにそれを波打たせた。

恐ろしくなった私は、一斉に部屋に飛び込むと、窓をぴしゃりと閉めた。それからというもの、空は私の部屋をのぞいては、かえせかえせとせがんでくるので、以来私は一度もカーテンを開けることも窓を同じくそうすることもなかった。宇宙人からもらったファイルには、こう、書かれていた。



「…爾来のわたしは、XXXを見ることがままならなくなってしまったので、ここに記すこととする。彼はXXXの恋人のようだ、毎週月曜日の夕方には、彼もXXXが住む家の前までXXXを送る。XXXは自転車を押しながら、隣を歩く彼を見上げては幸せそうに笑うものだから、わたしはひどくきずついた。XXXはわたしのことを覚えているのだろうか、もしかして、もう忘れているんじゃあないだろうか、今更会っても、わたしの傷口に塩を塗るくらいにしかならないだろう。それに、彼女の隣を歩く彼が居るからこそ、既にわたしは意気消沈していて、すっかり首をもたげて帰路につこうとしたところだった、舟に半分身体をつっこんだあたりで、ふと気配を感じて後ろを振り返ると、彼女がそこにはいた。彼と別れたあと、すぐにわたしを見つけて駆け寄ってきてくれた。XXXは100年経っても変わらない笑顔で笑って、そう、彼に見せていた、幸せそうな花も恥らうような咲いたその笑顔、わたしはとても安心しきってしまい、すべてを話した。彼女はやさしくうなずき、承知したので、わたしはかばんからクリアファイルを取り出し、彼女に手渡した。そのとき、ちょうど彼女の人差し指のしろい爪が、わたしの指にあたった。それだけで、わたしはひどく冷や汗をかいたものだった。彼女はありがとうと礼を述べて、家に帰っていった。XXXに触れたわたしの指は、ずきずきと痛んだ。わたしは彼女が見えなくなるまで、その場に突っ立っていた。既に日はビルの向こう側に沈み 、そんな暗い青い空を見上げていると、まるでもう、この先おもしろいことなんてこれぽっちもないんだぜ、と諭されている気分になった。わたしは彼女に逢ったことをひどく後悔した。」

今日と明

今日と明

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-11-25

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