雲とその彼方
雲とその彼方
雲とその彼方
四階のバルコニーの手すりに寄りかかって、街の家々の屋根を見はるかすのは、土曜の昼下がりに似合っている。この丘の上という立地のよさと、金曜日の雨のあとのこの土曜日は、たいてい晴れていたものだ。
右側には、海が見える。ここからみると、その岬に立てられた灯台の丁度てっぺんと、水平線が重なって見える。今日の海はいつもにましてまっさらで、黒かった。その上を、滑るように軍艦が、もくもくと煙を出しながら汽笛をボーと鳴らした。
対してそちらの雲は、蓮連とした雲の大同団結、はるかに続いてゆくのを見てしまっては、君も今や同じ空を見ているのか、と密かに思う。この雲は君の頭の上まで連なってるとして、どうして私が彼等に身と思いを寄せないと言えるのだろうか。そしてそのなかに、私は小さな黒い点を見つけた。あれはなんだろう。隣にいたその人にその事をつたえると、その人はこう言った。
「ありゃあ、旧日本軍の風船爆弾ですよ。きっと大昔に飛ばしたんでしょうけど、あいにく気流に乗れなかったんでしょうなあ。メリケンのところに行き着くどこか、こっちに帰ってきちゃったもんですよ。…厄介なのは、今でも爆弾をかかえたまま放浪しているってところです。いつ落ちて来るか、いつドカンと破裂するもんか、と、そりゃ昔はみんなでヒヤヒヤしていたもんですが、今じゃすっかり、この街でアレを意識するものはおりませんよ。」
風船爆弾はたったひとつ、肉眼で見えた。大昔の憎悪が、いまでも、どこの国にも目的もなく、ただずっと海の上を渡り歩いているのは、滑稽にも、悲しいことにも思えた。自分よりも、あいつらの方が、よっぽど辛くて、ひとりぽっちなのだろう。私はふと、テレビで観た、爆弾の旧い実験映像を思い出していた。ごうごうと嵐の荒浪のように沸き立つ煙が、一瞬の雲の帝国をつくりそして朽ちていく、すり切れた画像の中で私は、それと同じものを見いだしていた。あの爆弾の煙も、天まで届いてしまうと、元来の雲と見分けがつかなくなってしまって、それに入り混じり、今、もしかしたら私の頭上にあるのかもしれない。それと同じように、君も今、この眼下の街にいるかもしれないと思うと、いてもたってもいられず、私はバルコニーを降りた。
雲とその彼方