それは意外にも静かに 8
うた
彼らの音楽は、簡単に聞き流せるように軽い音が流れているように聞こえるが、言葉を拾っていくとポンと肩を叩かれて落し物を届けられているような、そんな大事なことを言われているような気分になるものがある。
その言葉たちがよく響くようにバックはシンプルに作ってある。
コピー用紙に単純に印刷されただけの歌詞カードを片手に一人で彼らの新曲を聞いてみた。
美しく紡がれた言葉たち
そうでなく意外にも雑に置かれている言葉たち
優しい言葉たち
厳しい言葉たち
ギターのアルペジオが鳴り響く綺麗な曲
歪んだ音を響かせるかっこいい曲
彼が渡してくれた4曲はどれも特徴のある、ファンとして期待を裏切られない曲たちだった。
ソングライティングを手掛ける晃央がどこで聞いた話を元に書いた曲なのだろうかと想像してみたが、全く見当がつかなかった。
きっと、今までに読んだファンレターのことや、友人からの相談の答えとかその類なんだろう。
今までと、作り方は変えない。
私がいようといまいと。
彼らが時間と体力とアイデアを出してやっと生まれた大切な曲たちに私は嫉妬していた。
それでも私は個人的な感情を伝えるべきではないと、率直に一人のファンとしての感想を晃央にメールで伝えた。
『すごく親切だけど、厳しいことも言う曲たちだね。
私はすごく気に入ったよ』
私は支度をして、バイトに行くために家をでた。
夜からの出勤にはまだ時間があったのだが、ひと駅かふた駅分くらい歩きたかったので、少し早めに出た。
夕方の時間、いろいろな人が歩いている。
【本気なら、時間をかけて2人で考えようよ】
福岡のホテルで健さんに言われた言葉が蘇る。
本気って、どういうことだろう。
私はいつだって本気だったよ、ずっと健さんのこと忘れなかった。
ずっと好きだった。
でも、付き合えないってわかってたから。
じゃあ、自分の中の奥のとこにしまっておいた。
でも、この気持は本気だったのに。
伝わらなかったか。
【キスマークなんて付けちゃってさ】
私には晃央がいる。
彼氏がいたまま、いやあれは本気なんだって言ったって伝わるわけないのか。
じゃあ、晃央と別れるの?
歩いている足が止まりそうに速度を下げた。
自分を幸せにするのは自分自身だ。
健さんは、暇つぶしや刺激ほしさの為だけのために関係ではないし、そういう関係にもなりたくない。そんな相手はここらへんで見つけられる。
自分を幸せにするためにも、天秤にかけなきゃけいないのか。
人を天秤にかける。
そんな作業、なんて非情なんだ。
いや、可愛いかわいい自分の為に決めた方がいいんだろうな。
自分が自分の母親兄弟、あるいは大事な友達だったら、私は彼女になんて言うかな。
「寂しい思いをさせられるような人は早く離れて、自分を幸せにしてくれる人のところに行けばいいじゃない」
「過去に縛られないで、新しい人を見つければいいじゃない」
「そんなのは一時の気持ちの揺れだよ。ただ寂しいからって他の人になびいてるだけだって」
「っていうか、どっちが好きなの?」
バーカウンターに並ぶ自分の顔が映るグラスとにらめっこをしていた。
最後に睨みあったグラスはこう言った。
「決められないなら今決めることはない。キャパが小さい不器用な君のことだ、2人の人間を同時に思い続けることはどうせ不可能だ。そのうち、自然と答えが外から内から出てくる」
沢山の己の意見を述べたグラス達は、各種のアルコールが注がれ今晩も客の手の中に渡った。
今日もバイト先は、大人たちで賑わっていた。
仕事のイライラを沈めるためにお酒を飲む人。
久しぶりに会う友人と近況を楽しく報告しあう人。
デートを楽しむカップル。
どの客、そして私自身にも同じ時間が流れている。
もちろん、晃央と健さんにも。
時間は、どの人間にも公平に与えられるもの。
どの人間にも生きてさえいれば朝日は当たるし、夜も来る。
どんな忙しい一日も、すごく暇で退屈な一日も、楽しい一日も、苦しい一日も、
それは過ぎていくもので、また新しい一日も来るのもだ。
その過ぎていく時間に、価値を持たせるのも持たせないのも自分次第。
あるいは、過ぎていくもの、こと、ひとにも価値を持たせるのも自分次第。
何が正しくて、何が間違いなんていう定義はない。
危ない考えかもしれないけど、こう思っていないとやっていけないと思うから。
面白い客がいた。
それはそれはお洒落なコートを羽織って入って来た、とても綺麗な女性。
コートの下は、それはそれは上品なベージュ色のニットのワンピースを着ていた。
カウンター席に腰を下ろすと、ただちにカバンから携帯を取り出し何やらいじっている。
携帯を持っていた側の腕の綺麗なビーズで作られたブレスレッドが目に付いた。
注文されたビールを出すついでに一言添えてみた。
「綺麗なブレスレッドですね」
ビール迎えていた目線がこちらに向いた。
「ありがとうございます」
凛とした雰囲気で礼をする彼女。
「でも、これ実は全然安物なんですよ」
微笑みながら話し始めてくれた。
「先週、たまたま行ったフリーマーケットで見つけたんです。職業上、他の商品との関連を考えなければいけないんですが、それがすごく気に入ってしまって。仕事以外の時間だけでも着けれればいいやと思って買ったんですよ」
「職業上といいますと?」
「ええ私、アクセサリーを販売する店で働いているので販売促進も兼ねて、店の商品を付けなければいけないので、自分では滅多に買わないんです」
「なるほど」
「ましてや、フリーマーケットで買ったものなんて、正直同僚たちには言えないですよ。
でも、これがどうしても可愛く見えてしまうんです。
だから自分の感覚を信じて買ったんです。値段とか名前とか有名な商品はもちろんデザインの安定性はありますけど、こうして偶然出会えた安物でも素敵なものがあるんですよね。だから、自分の時間くらいは自分の好きなものを付けようと思って。」
「でも私は素敵だなと思いましたよ」
「だからすごく嬉しくて。これから来る人がなんていうかわかりませんけどね」
「どうでしょうね。その方にも気に入られるといいですね」
数分後、待ち合わせのお相手が店のドアを開いた。
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今日は、久しぶりに昼まで寝ていようと決め込んだ午前中に枕元でメールの着信音が鳴って起こされた。
『来週の週末から数日間東京に行くことになったよ。時間が合ったら会えたらいいね
けん』
健さんが東京に来る。
返信をせずに枕に顔をもう一度埋めたが、もう寝れなかった。
再び体を起こすと、手帳まで引っ張り出して律儀に返事を書いた。
『来週の週末なら、夜からバイトが入っているけど午後なら空いてるよ。
どっかでご飯でも食べようかね』
『夜ならどっちにしろ接待があるからちょうどよかったよ。楽しみにしてるね』
寝室を出て、リビングのソファーに座ると、奥の部屋から晃央がギターを背負って出てきた。
「あれ、もう起きたの?今日はゆっくり寝るって言ってたのに」
黒いレザージャケットに細身のダメージジーンズを履いていた。
「うん。メール来て目覚めちゃった」
「おやおや。ごめん、俺行かなきゃ」
「うん。いってらっしゃい」
今日は何時間一緒にいれたんだろう。ちゃっちゃとやることだけやって一緒に睡眠を取っただけじゃないか。
私の晃央との関係は、そこらへんのセックスフレンドのそれと変わらないんじゃないかな。
それは意外にも静かに 8