それは意外にも静かに 9
天秤
晃央の家に一人でいることも慣れた。
少し広いけど殺風景な部屋。
入ってもいいけど、くれぐれも機械にはむげに触らないでくれと言われた彼の小さな機材室を通るとベランダに出れた。
しかし、ベランダからの景色が東京を一望できる絶景ということではない。下を見下ろせば車が沢山通っている幹線道路だし。人の顔だってちゃんと見える高さだ。道路沿いの騒音が多少あるところでないと、音だしが多少可能な物件はない。
そこそこ売れているミュージシャンであっても、都心の超高級マンションに住んでいるわけではなかったし、彼も望んでいなかった。
そういういわゆる庶民の感覚があるところが好きだし、だから私達の関係はやっていけてるんだろうなと思いだした。
ヨーロッパにある大きな教会、大聖堂に行きたくなった。
望んで留学から帰って来た日本だけど、ときどきその景色は狭かったし何か足りないものを感じていた。
向こうにいるときだって、逆だけど同じことを考えていた。
ヨーロッパの景色は頻繁に大きくて広い。でも、日本にあるような小さくてどこか懐かしいそれはない。
どっちも持つことはできなかった。
別に神様にお願いしたいわけではなかったけど、
大聖堂の中で高い天井とステンドグラスや、大規模な装飾を見つめながらぼーっとしたかった。
それらは、昔の人たちの沢山の労働があってこそのもの。
私は、そういうものには沢山のエネルギーが今も宿っていると信じていた。
神を信じて、一心不乱に働いた当時の人たちの労働をすべて受けたその大聖堂の中には不思議なエネルギーが渦を巻いているように感じていた。
その日も健さんは、待ち合わせの場所にそれはそれは綺麗な出で立ちで少し遅れた私を待っててくれた。
いつもより、少し綺麗めな格好をして出かけた。
スマートで綺麗な格好をする健さんに少しでも見劣りしないように、対抗してみた。
家の鏡の前で、試行錯誤をするのはそれなりに楽しかったけど、あまり着慣れていない格好をしている自分をみて、これは誰だろうと少し思った。
健さんに今日の格好をどう思われているか聞きたくても聞けないまま、一緒に歩きだし、食事のできる店を探した。
運良く私達は、おいしいイタリア料理店を見つけて楽しい昼食を過ごすことができた。ゆっくりと流れる時間の中で、今回健さんは東京に出張してきた理由と、仕事のことについて軽く話をしてくれた。この2、3日という短い時間の中で本当の沢山の人と接見をし、沢山の意見交換や情報交換などもしているという。
店を変えて、ゆっくりコーヒーでも飲もうということでまた外に出てしばらく歩いた。
何年振りかに履くいつもより高いヒールの靴が少し足に痛い。
そのストレスよりも、健さんとこの東京の街を肩を並べて歩けていることが私の足の痛みを忘れさせてくれた。
いつもは、物が多すぎて主張の激しい店の陳列も今日ばかりは、私達の話題の矛先ともなっていた。
右に首を回したまま小さな店の陳列が並ぶ通りを歩いて、いつか丁度いい喫茶店が見つかるだろうと歩いていた。
ふと小さなリサイクルショップの籠に目が行った。
籠の中には、大きさが様々なピンクやオレンジ、赤などのビビットカラーにドットや花柄などのついた、強烈なデザインのポーチや小銭入れが沢山入っていた。
籠の上には、≪全部80円!!!≫と黄色い地の厚紙に赤い字で値段の安さを強調されていた。
丁度、小銭入れと楽器の小道具を整理するための小さなポーチがほしいなと思っていたところだった。
手に取ってみたら、全てビニール製で水にもある程度強そうだし。
何しろ、この強烈な配色がとても気に入ってしまった。
すばやく籠の前にしゃがみこみ、自分の要望に丁度いい大きさと好きな色のものを選んだ。
「ごめん、ちょっとこれ買ってくるね」
振り返ってみた健さんの顔はどことなしか曇っていた。
気にすることなく支払いを済ませて、外に戻る。
引き続き喫茶店を探す旅に出る。
健さんがさっきより少しキョロキョロしている気がした。
「ここ寄って行っていいかな?」
健さんの指差した先は、カジュアルでお洒落な有名ショップだった。
少し細い階段を上ると、ガラス張りの扉を開く。
中は、薄い色の木の板張りの床でカジュアルに内装された店だった。
洋服には目もくれずにカバンなどのコーナーを見つけて足を進める。
私は、買わないけど時間つぶしのために女性用の洋服のコーナーを閲覧していた。
少ない商品はすぐに一通り目を通してしまったので、健さんの見ているショーケースに近寄ってみた。
ユニセックスなデザインのカバンや財布たち。
少しカラフルなデザイン。それでもどこか落ち着いて見えるのは、やはりデザイナーが思考をこらしてるからなんだろうか。
それにしては、健さんには少し似合わない気がする。
彼は、もうすこし渋いものが好きだと思っていたんだけど。
一番上の最小サイズの財布を指差して健さんが
「これ、いいよね?」
良いか悪いか聞かれたら、それはもちろん
「うん。いいんじゃないかな」
ショーケースの向こうには品の良い香水の匂いがするさわやかで、スタイルのいいモデルのような店員さんが待っていた。
「じゃあこれお願いします」
「かしこまりました」
と店員が軽く頭を下げると、すぐさまレジに向かった。
支払いを済ませると、店員から中身の入った濃い色のボール紙で出来ている小さな紙袋を貰う。
このショップのシンプルでおしゃれなロゴが入っている。
店を出て降りる階段の途中でその紙袋を渡された。
「え、どういうこと?」
私は戸惑って聞くと、健さんはクールに口角だけをあげてうなずいた。
ショップの隣にすぐ喫茶店があったので、入る。
ゆっくり歩いたので、距離はそんなにないが、長い散歩だった気がする。
高いヒールに慣れない足が少しむくみ始めてる。
窓辺の2人用の席に場所を取る。
すぐに注文を取りに来てくれた店員さんに、カプチーノとダブルエスプレッソをお願いした。
椅子の背もたれの上に小さく突起があったので、そこに先程渡された紙袋と、私が自分で買った店の白いビニール袋を一緒に掛けた。
「ごめんね、こんなやり方になってしまって。腹を立てないでいてくれたら嬉しいな」
優しい顔で健さんが言う。
薄々、勘付いてはいた。
健さんは私に安物を身につけて欲しくないんだ。
「葉子は、自分の価値をさげちゃいけないよ」
やっぱり。
それは意外にも静かに 9