『私のための日々』

――白い布をそっと取ると、彼は安らかな顔で眠っていました。微動だにしない瞼、鼻、口……私はただ、その表情を見つめることしか出来ませんでした。彼はもう、戻ってこないのです。彼は、若くして命を絶ってしまいました。享年、十八歳でした――


 私、田中は高校二年生の時に彼、藤翔太という人に出会いました。彼の印象といえば、とにかく普通でした。私もこれといった特徴はなく、今どきの子だと思っていました。たまたま掃除時間に話す機会があり、彼は私の持っていた筆箱について話しかけてきました。
「田中さんのリラックマの筆箱、可愛いね」
その一言に私は最初驚きました。彼の口からリラックマ、という単語が出るとは思わなかったからです。また可愛い、なんて発言も予想できませんでした。彼については何も知りませんでした。だからでしょうか、私は彼に対して興味を持ち始めました。私は興奮したのを悟られないように彼と色々お話ししました。
「私、リラックマと過ごすだけで毎日が楽しいんだ」
 私は凄くリラックマについて語りました。ちょっと熱くなりすぎたかな……と思ったりしたのですが、彼は私の言うこと一つ一つに耳を傾けて、親身に聞いてくれました。きわめつけのセリフもありました。
「僕も、リラックマの目の部分見てると本当に釘付けになるんだ。田中さんもこの気持ち分かる?」
 なんと彼がリラックマについて食いついてきました。リラックマは世間的には有名ですが、先ほども述べた通り、彼は特徴、趣味といったものが無いように見えた……といえば失礼ですが、とにかく私はずっと驚きました。私は彼のことをもっと知りたい、と段々思えるようになってきました。その掃除時間だけに限らず、休み時間、さらには登下校まで彼に付き切りでした。彼は嫌な素振りも見せず、私といることを楽しんでいました。
 どこからか、私は彼のことを好きになったのでしょう。出会って四か月ぐらいでしょうか、夏休みに入る前、一学期最後の日に人気の無い公園で、思い切って彼に告白しました。
「藤くん、私と付き合ってくれませんか?」
 その時の私はきっと心臓が飛び出るぐらい緊張していたのでしょう。手足が震えて、暑い日の中汗をダラダラ流して、早くその場を立ち去りたい気持ちでした。彼の返事は、すぐに来ました。
「こんな僕でよければ……」
 私たちは確か笑ったのでしょうか。お互い、緊張が解けてほっとしたのでしょう。彼もいつの日からか私のことを意識し始めていたらしいです。それには私も驚きました。普段無表情である彼からは想定できないことでした。その日から私たちは付き合うことになりました。

 付き合い始めた年の十二月。私はさりげないことを言いました。
「今年のクリスマスは何しようか?」
 下校中、彼と二人でいつも通り帰りました。私は彼と過ごす初めてのクリスマスだったので、彼の返事に期待しました。しかし、彼は口を濁しました。
「あ、うん……何しようかな。どっちかの家でまったり過ごすのもありじゃないかなー」
 その時、なぜ彼は口を濁したのか、私はただ考え事をしていたのだろうと思い、何も気にしませんでした。
「私の家にくる? 二人で一緒に過ごそうよ!」
「そうだね、僕は君と居るだけで何でもいいよ」
 彼は躊躇いもなく言ったので、私は思わず眩んでしまいました。かなり恥ずかしかったです。時々ストレートに物事を言うので何度もびっくりします。でも、そんな彼が好きでした。私は思いついたことを言いました。
「今だったら翔太と死んでもいいかなー、なんて!」
「…………」
 私が冗談混じりで言うと、彼は黙ってしまいました。私は場の空気を察して、黙ることにしました。しばらくして彼の口が開きました。
「ごめん……ちょっと考え事をしてたよ。本当にごめん」
 彼はひたすら謝ってきました。何度も何度も頭を下げるので、私は必死に止めました。
「や、止めて。大丈夫だから、さ……今日は早く帰ろう!」
 私は少々無理をして笑顔を取り繕いました。そしてお互い帰路につくため別れました。私は再び、先ほどの原因を探ってみましたが、その時は答えが出ませんでした。

 迎えるクリスマス、私は彼と二人で過ごしました。その日の夜、雪がパラパラ、と降って二人は気分が高揚しました。彼も喜んでくれたみたいでした。こんな時間を過ごせるなんて私は幸せ者だと思いました。本当に嬉しいクリスマスとなりました。

 四月、高校三年生へと進学する時、クラス替えがとても心配しましたが、また彼と同じクラスになれました。受験の年、というのもあって勉強により励まないといけなかったのですが、私はまた彼と同じクラスになれた、それだけで喜びに満ち溢れました。
 時はあっという間に過ぎ、高三の冬休み、世間はセンター試験に向けて必死に勉強する時期でしたが、私は息抜きがしたい、と思い彼に電話をしました。しかし、彼は電話に出ませんでした。メールの返信もありませんでした。冬休みで、夕方ぐらいの時間だったので大丈夫だろうと思っていたのですが、忙しかったかな、と思い私は再び勉強に励みました。その日の夜、数時間経ってから彼から連絡がありました。
「息抜きしたいよー」
 と私が言えば彼は、
「勉強しなきゃ。頑張ろうよ」
 と言われました。でも私はめげることなく再び勉強に精を入れました。

 センター試験も無事終わり、続いて二月下旬、すぐに国立前期試験も訪れ、お互い死力を尽くしました。試験が終わった日の夜は二人で会って、お疲れ会、的なものをしました。
「受かってるといいなー」
「大丈夫だよ、舞は必死に勉強してたんだから大丈夫。この僕が言うんだから合格してるよ。信じて」
 私はまた彼の言葉に励まされました。心強い台詞でした。

 後期試験に備えながらも卒業式を待つ二月下旬。昼前に起床した私は彼から届いた携帯のメールに気付きました。「今日話があるんだ。都合のいい時間を教えて」と一文書かれていました。私は特に予定というのは無かったので、夕方に会いたいって返信をしました。

「ごめんね、呼び出しちゃって……」
 彼が先に、とある公園のベンチに腰かけていました。どこか元気のなさそうな様子でした……。
「こっちこそゴメン! ちょっと遅れちゃった……」
 私は慌てて彼の横に並ぶように座りました。私は公園で屯している小学生たちを眺めながら何気なく彼の言葉を待ちました。そして、ようやく口を開きました。
「舞、よく聞いてね。俺、もう……死ぬかもしれないんだ」
「…………え?」
 私は耳を疑いました。急に何を言い出したのかな、と。ただ、彼の表情は真剣でした。私は、辛い表情を浮かべる彼にもう一度聞き直しました。
「翔太……今、何て言ったの?」
「……もうすぐ死ぬかもしれない」
 私は思考が止まりました。翔太が死ぬ……なんて、いつ考えたことがあったのか、いや、一度もありませんでした。彼は私の顔を見ずに話していました。きっと正面では言いにくいことなんだろうと思いました。彼は重い口を再び開きました。
「隠しててゴメン……俺、小さい頃から早老症っていう病気を抱えていて……もう、俺の身体、駄目なんだ」
 早老症というのは、加齢を促進する病気で、私も曖昧な知識しか持ち合わせていませんが、いつしかテレビで見た、アシュリー・ヘギの特集で有名だったのを覚えていました。十七歳という若さでこの世を去った少女でした。彼の言葉から解釈すると、その早老症、というのが彼の体に潜んでいた、ということになるのでしょう。信じられませんでした。私は咄嗟に聞き返しました。
「そんな……か、隠してたの? ほ、本当……なの?」
 私は彼の本心を知りたかったので、恐る恐る聞きました。
「もし言ってたら、今日まで……こうやって一緒に居られなかったから……一秒でも長く舞と……居たかった。ごめん」
 彼の言葉は聞き取れました。ですが、私の本能が受け付けてくれませんでした。すぐに現実を受け止めることが出来ませんでした。彼の言葉が重く、悲しく、辛く、嘘みたいでした。
「じゃあ、受験……なんてどうして?」
「……舞が頑張ってくれるかなって……舞が大学のことを語ってる時、本当に楽しそうだったんだ。そこに行きたいんだって心から感じた。だから……傍で僕も頑張って、舞の力になれないかなって……」
 途中、彼の笑顔が見れました。しかし、無理をして演じたものだったので、私は心を痛めました。彼は受験まで付き合ってくれたみたいです。私の夢へのアシストをする為に。この時は言葉に出来ない何かが私の中で渦巻いていました。
「舞がいつかクリスマスで……言った言葉が忘れられなかった……今だったら僕と死んでいいかなーって」
 去年、私がそう言った時がありました。私はその時の場面を思い浮かべました。
「その時はもう、死について少し怯えてた……僕はいつか死ぬって分かってた。けど……まだ話せなかった。舞の悲しむ顔を見たくなかったから。舞にはもっともっと……楽しく生きていて欲しいから」
 私は今、あの時の状況を理解しました。私は軽い気持ちで死を発言したことが馬鹿みたいでした。彼は言い終わると目をつぶり、黙りました。よく見ると頬がこけて、腕も付き合い始めた頃より大分細くなってました。今になって気づき、自分が情けなかったです。私はこの話が本当なのだと徐々に実感し、しかし虚無感に襲われていました。ただただ、反論の弁しか出ませんでした。
「どうして……? 何で言ってくれなかったの……」
 彼は既に説明してくれました。分かっているのです。でも、何ででしょう……彼の命が終わる、私との時間も築けなくなる、というのが信じられないのです。全部、嘘だ、嘘なんだ、と自分の心に何度も何度も語りかけました。
「ごめん、舞……本当に、ゴメン……」
「じゃあ、どうして私なんかとずっと、ずっと仲良くしてくれたの……? その病気、分かってたんでしょう……?」
 彼は真剣な表情のまま、語ってくれました。
「僕は後数年の命と分かってて……生きてる実感ってのが無かったんだ……見失ってたのかもしれない……でもその時舞の存在が目に入ったんだ……舞がリラックマの文具を一杯持ってて……」
 私と彼が今に至るようになったきっかけ……私は泣きたい思いをこらえながらその情景を思い出しました。彼は一言ずつ言葉を振り絞って語りました。
「いつも楽しそうな姿を見ていると……なんか少しずつ生きてる実感湧いてきたんだ……よく分からない……どうしてそう思ったのか全然分からない……ただ、舞はいつも充実してるなって……僕とは真逆、とまでは言わないけど……違う世界に住んでた……たまたま声をかけたら君が話し相手になってくれて……嬉しかったんだ……」
私は何も言えませんでした。彼は、色んなことを考えながら私に話しかけてくれてました。私は当時、楽観的に過ごしていましたが、彼は違いました。
「冬休み……舞の電話に出れなくてごめんね……病が急に進行し始めて……病院に行ったり、家族と相談したり……忙しかった……こうやって死ぬのを分かってて受験なんてさ……でも、舞のために僕は懸命に説得したんだ……だから、冬休みは構ってあげられなかった……」
 彼は全てを吐露すると、咳き込みました。私は彼の背中を摩ろうと思いましたが、彼は私を制止しました。私は何もできませんでした。彼は無理を承知で頼み込んだ、その事実が嬉しく、でも私……のためになんて、本当に彼は馬鹿だったんでしょうか。どうしてここまで……
 私が悲観的になっている最中、彼は私の方を向いて言いました。
「そろそろ戻らないと……怒られちゃうな。舞、本当にごめん……舞と過ごした時間、とっても楽しかったよ……ありがとう……」
 そう告げると翔太は立ち、ゆっくりとその場を後にしました。私は彼を追いたかったのですが、力が残っていませんでした。衝撃的で、立ち上がることさえ出来ませんでした。その日の夜以降、彼にメールをしても、電話をしても音沙汰がありませんでした。ベンチで語ったのが、彼と過ごす最後の時間でした……


 卒業式、彼不在で私の高校生活は幕を閉じました。最後に会ったあの日の深夜に彼は帰らぬ人となりました。これを聞いたのは、彼、藤翔太の母親からでした。彼のお母さんは彼……翔太のために、そして私を見守るために卒業式に参加して下さったみたいでした。そしてお母様は卒業式が終わった後、教室で私に、翔太直筆の手紙を頂きました。内容は、これまで一緒に過ごした時間、思い出といったものでした。何枚も何枚も書き連ねて、私は一つ一つ思い出しました。最後に私の心を揺るがす言葉が書かれていました。

「舞に出会えて、最高の時を過ごせました。
 天国で、ずっと、ずっと見守っているよ……」

 私は膝から崩れ落ち、大声を上げて泣きました。本当に彼は、もう居なくなったのだ、もう二度と私の目の前には現れないのだ、と思い心のダムが決壊しました。紛れもない事実ですが、重い、出来事でした。私はしばらく、泣くことしか出来ませんでした。必死に彼の母親、私の母親、またクラスの人は宥めてくれました。迷惑をかけてしまいました。ですが、彼、翔太のことを考えると次から次へと涙が流れ、枯れるまで泣き続けました。


――後日、私は彼の眠る病院を訪れました。病室まで案内されると、彼は横たわっていました。白い布をそっと取り、彼の顔を窺いました。安らかな表情でした。もう、この一言しか出ませんでした。私は彼の身体がこのベッドに留まるまで見舞いに来ます。彼と過ごした日々は、一生モノでした――

私は、幸せでした。
ありがとう、翔太……

『私のための日々』

『私のための日々』

処女作。色々ボロがあります。語調を勉強しなければいけません。 お手柔らかにお願いします。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-09-24

Copyrighted
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