ガラスペンで貫いて。

ガラスペンで貫いて。

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ノストラダムス『予言集』100詩篇第10巻72番より

―Du ciel, un grand Roi d'effraieur viendra ressusciter le grand Roi d'Angolmois.―

「恐怖の大王がアンゴルモアの大王を蘇生せんと天より降臨せんとす」



 何やら数千年も前の大昔、世界の人々はたったこれだけの、子供を騙すにも彼らに失礼無礼千万とも思えるような、この文章に慌てふためいてバカ騒ぎをしていたとか。
 インターネットはまだ一般に馴染みのない時代だったが、その代わり今やデッドメディアのナントカ管を用いたテレビや紙媒体の新聞など、当時の地球上で信用に足る権力を持ったメディアが、かつてヨーロッパと呼ばれた地域の、胡散臭い占星術師の言葉を喧伝し、58億4千万人の大衆を右に左に上に下に、縦横無尽に振り回した。

 よくもまあ、それだけの人々の動揺にこの惑星そのものがシェイクされて、地軸を傾けいつの間にやら北半球と南半球が入れ替わってました、みたいなことにならなかったと僕は思う。このバカ騒ぎのあらましについては、そういった昔のウソかホントかも怪しいような話をせっせと集めるのが趣味という、好事家の叔父が僕がまだ小ちゃな脳味噌と、真白で貧弱な手足の指をフル活用しなければ計算が出来ないほど幼かった頃、初めて教えてくれた。
 
 その時僕は、サンタクロースは近所に雪がなくなって仕事がしやすくなるだろうなぁ、と考えつつ、目を輝かせて語る叔父をまじまじと見つめていた。ひとしきり彼が喋り終わったあと、僕のその考えを叔父に言うと、頬を上げニッコリと頷きながらよく褒めてくれた。多分、それから22年を経た僕の人生において、残念ながらそれが最も僕が褒められた瞬間ではないかと思う。

 「フォルマ、それは確かにそうだな。私じゃとても思いつかなかったよ。よし。それじゃあ少し、そんときのサンタについてそういう議論が無かったか調べてみるか。」

 そう言ってから、叔父は口を真一文字に結んで真面目な顔になり、オーグ(拡張現実)でリファレンスアプリを呼び出し、「アレクサンドリア」にアクセスし始めた。そのままこちらには目もくれず、ねぇ、と呼びかけても「あぁ」とか「はぁ」とか間抜けた返事しか寄越さなくなったため、僕は閉める扉の音を響かせて叔父の部屋を出た。遠い昔の思い出。

 ところでもちろん、僕がこうして日記を付けているということは、この世界が無事に今日も存続して、僕という人間が自由に生きていられることの証なわけでもある。そして明日も、明後日も、明明後日も、世界の人々のウェブダイアリー、ライフログが更新されてゆくのだろう。

 旅先で昔の恋人をリニアの車窓から見かけた。いつもの帰り道から一本外れた通りでランチの美味しい店を見つけた。庭先で沈丁花の花が綺麗に咲いた。そんなありふれた日常が、こうして僕が旧時代の方法でセンテンスを綴っている間にも人々の記憶に刻みつけられている。

 でもきっと、風は穏やかで太陽は真南で輝いて、そろそろメルトンのコートもクローゼットの奥に仕舞い込んでもいいかしら、と思われた暖かな陽気の2週間前の日曜日、地球上にいた全ての人達は共通した記憶を大脳新皮質にぶち込まれたに違いない。

 高さ34m74cm、幅12m87cm、奥行7m56cm、直方体、材質は黒檀を思わせる御影石。各地域のWSG(世界衛星政府)の調査統計を鑑みると、全世界に783個が存在していることが確認されている。2週間前の日曜日にこれらはほとんど同時に、突然落ちた地域に轟音を響かせ、場所によっては地盤沈下や隆起、土砂崩れも伴って世界の主要都市だろうが、インディアン部族の保護区だろうが、人間の事情などお構いなしに降ってきた。パリではこともあろうに凱旋門を直撃、粉砕し、崇高なるナポレオン時代以来の歴史を、一瞬にして跡形もなく消し去ってしまった。パリの民衆は代わりに凱旋門と呼ぶには余りに奇妙奇天烈、まるで初めからその居場所が我がものであるかのように慇懃無礼な直立姿勢を取った石を見上げるより仕方がなかった。

 石にまつわる各WSGの調査レポートには共通点が見られた。1つ目は、地球からすれば寝耳に水の突発的事故であったにも関わらず、石に潰されたとか、石が引き起こした厄災に巻き込まれて犠牲者が出た、という報告が一切見当たらなかったこと。誰ひとり死んでいやしない。それどころか、農産物や家畜に至るまで被害は及んでいなかった。2つ目は、石には4つの側面の一面にのみグロテスク様式の紋様が縁に施されており、その面の中腹に次のような意味の文面が刻まれていた。

Dear Stray Sheep

If you don't sacrifice a body for me, ALL YOU shall be burned in the Inferno.

 実際に石に刻まれた文字は7種あり、いずれもこの惑星に存在しないものだったが、解読自体はさほど難しいものではなかったらしく、石の降臨からわずか三日後には完全解読された。拡張現実のモニタパネルに解読を伝えるニュースが流れ込む。一夜にして、この美しい、青い惑星は、出来損ないにも程がある虫食いだらけのリンゴのようになってしまったというのに、歴史的瞬間に立ち会ったのだと、世界中の人々が歓喜した。スペイン地方では死者も出るほど盛り上がった。死者が一人も出なかったという事実(fact)が、特にキリスト教、イスラム教圏内において、この一連の騒動を神の恩寵と錯覚させていたらしい。
 しかし、ここ最近で人気が出てきた、シルクを思わせるストレートのブロンド髪が特徴の女性キャスターが真直ぐにこちらを見つめ、至って平坦な声で解読内容を読み上げ終えると、たちまち人々は表情を怪訝なものに変えた。その意味に戸惑ったのは無理もないだろう。なにせ「生贄を寄越さなければ、お前らは全滅だ。」と突然に宣告されたのだ。
 数年後に地獄への片道切符を渡される予定だった僕だって少しばかり驚いた。
 だが、やはり人間という生き物(animal)は、流石に幾度となく世界大戦を繰り返してきただけのことはあり、今回の件においても、どうしようもない鳥頭っぷりを発揮した。終末思想に憧れたカルト集団に始まり、その解読文に対する意味付けへの情熱は、あっという間にある種の狂気(Insanity)へと加速し、宗教も国境も関係無しのバカ騒ぎを引き起こした。一部報道によれば、この騒ぎを利用した霊感商法もすぐさま流行ったらしい。彼らの商魂逞しさには恐れ入る。
 しかし、と私は思う。”I”の虜囚となったこの世界の人々の殆どは、もはや生き物”animal”ではなくて、生き物“creature”ではないかと。ある意味で、そのような狂気が乱舞する中で、人間らしい欲を失わず、商売に邁進したという彼らの方が、断然”animal”であり、”human”らしいのではないかと。

 ACS.1467年3月18日午後17時22分、ウィンド7番図書室にて記す。  Forma Grey Auster

2

 子供騙しは今や子供には通用しないというのに、大人には通用するのだから皮肉なものだ。

 戸惑いはその内容そのものはもちろんだったが、一体全体、どんな、いつ、どこで、どのように、生贄を捧げれば良いのか。こちらに要求を提示しているにも関わらず5W1Hが不満足であり、一方的すぎる文章だったため、WSGレベルでの議論を始めようにも、何がなんなのやら訳が分からず、どうしようもない状態だった。とりあえず三度のカンファレンスが開かれたが、1時間も経過すると議論は行き詰まり、意味もなく幾度も天を仰いだり、頭を前傾させてうつらうつらの評議員が数多く見られた。普段ならば更迭建議がなされるところだろうが、そもそもこの時点では議論の余地が無いことを多くの人が理解していたため、空虚で退屈なカンファレンスに付き合わされている評議員らにはむしろ同情の目が向けられた。

 政治的議論は進まなかったものの、これぞまさに神からのお告げであるぞ、と一部のキリスト教の司祭団が騒ぎ始めたのを皮切りに、各宗教で石の所有権争奪合戦が始められた。主に騒ぎ立てたのは、火種となったキリスト教勢力だったが、手段ときたら混沌を極め、旧約・新約聖書はもちろん、偽典・外典の類まで持ち出すわで、宗教界は勝手に混乱の道を歩んでいった。最初は静観を決めていた教皇も、流石に目に余る乱れに耐え切れず事態を収拾させようと方々に促したが、イエスもブッダもムハンマドもアーリマンも最早一緒くたにされ、論敵に投げつける生卵も同然の扱いされた論争の渦中で、たかだか一宗教の首長が力を振るうことができるはずもなかった。ダライラマもまた同じ道を辿ったことは言うまでもない。

 宗教論争はとうとう現在に至るまで収束するどころか拡大の一途を辿り、今では何やら得体の知れない新興宗教やクトゥルフ神話も論争の坩堝に投げ込まれて、由緒ある聖人たちと同等に煮込まれ続けているらしい。どんなスープがその結果出来るのか気になるところではあるが、一方で、石が現れて7日後に政治的議論は突如として急速な進展を見せた。

 理由はシンプル極まりなく、降り注いだのが世界で同時であったように、石に新たな文章が最初の文書の下に世界中で時を同じくして刻みつけられたのだ。筆者は地球上での文章に対するやり取りを全て聞いていたのか、前回の文章の反省点を全て解消する形で新たな文書は作られていた。言語も英語、日本語、スペイン語、中国語、アラビア語、エスペラント、果てにはラテン語や古代ギリシャ語など、地球上に存在する言語で書かれていた。

 
拝啓、迷える子羊たちへ

前回の文章ではこちらの要求が十分に伝わらず非常に申し訳ないことをした。
私がこうして君たちに願いを伝えるようなことは、初めてであるからどうか許して欲しい。

私の願いは、君たち人間という動物の中から生贄を、2週間後の日曜日午後23時に、オーストラリアのウルルへ1人寄越して欲しいのだ。彼の貴賎は問わず、格好はどんなものでもよろしい。彼が一人、私の示す場所へ歩いてくればよい。

死後の安寧は保証する。

ただし生贄となる人間には注文を付けておきたい。

1、五体満足かつ健康であること
2、20歳~35歳であること
3、男であること

君たちが“神”と呼んで恐れるものより


 新たな文書が加わることはこれ以後は無かった。この文章は最初の文書と合わせて、聖文書(Holy Script)として崖っぷちのところで各々の体系を保っち踏ん張っていた各宗教で崇め奉られることとなった。しかし、世界の反応はそれどころではなかった。当然ながら「誰が生贄になるか」で今度は宗教界どころでなく、WSG総会を筆頭に、その下部組織内で、各企業内で、近所の主婦たちによってスーパーマーケットで、ありとあらゆる場所でディスカッションが大なり小なり行われ、ついに太陽系第三惑星の青い星は、橙色の論争の津波に飲み込まれた。飢えに飢えて目に付いた相手を片っ端から対象として屠る、そんな猟奇性を纏ったうねりの暴挙は、程なく逃げきれなかった僕をも容赦なく引きずり込んだ。

ACS.1467年3月23日午前11時37分、フレイ14番自由室にて記す。  Forma Grey Auster

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『Forma Grey Auster手稿』セクション13より。

 オイラーが遺した定理の美しさに魅了されたと思ったら、アインシュタインの相対性理論に感服し、ハイゼンベルクの不確定性原理に唸り、イフジの多次元空間における万有引力発散予想に憔悴し、アドラムスのACS理論に失望する。人間という生き物はどんな学術的意味をその証明が持っていたとしても、何を自明なものとするかで非道く自分勝手な振る舞いをするものだ。

 僕はそれらの理論の証明プロセスを事細かに知っているわけではないけれど、とりあえずその証明から導かれるものが何を意味するのかぐらいは分かるし、それによって多くの人が抱くであろう白けた感情を抱いている。僕もまた無邪気で非道く自分勝手な人間であることを認めなければならない。例えば、僕がピタゴラス定理や二項定理のおかげで、高校やカレッジの入試をパスしたのは紛れもない事実だけど、そんなものに感謝した記憶はこれっぽちも無い。カレッジの学生だった頃、どこまでも無色透明に近いブルーの理論の深海に溺れさせられたせいで、学術雑誌は手に取るだけで首筋がむず痒くなる。

 こんな自分勝手な僕が、ここまで僕の駄文に付き合ってくれた方ならもうお気づきではあるだろうが、あの無骨で人を舐めきった石に刻まれた“生贄”役を引き受けたのは、今にして思えば随分と面倒なことをわざわざ引き受けたと思う。ただ、当座の面倒くささをちょっとした努力で乗り越えてしまえば、後はもう「安寧が保証されている」とやらで、それはそれで楽ではないかしらと、この文章をガラスペンと紙という、オールドファッション気取りもいいとこなアナログなやり方で書き記しながら僕は考えている。

 僕だって大学を卒業してからは汗水垂らし、進んで泥に塗れて、より良い未来とやらに希望を膨らませて一筋の光を見出そうと躍起になっていたのだけれど、いつの間にか僕の時間軸向こう側の人生は、四方八方を塞がれていて、そのくせ隙間風は吹いてくる無機質な冷たい壁に阻まれているみたいだと、石が降ってくる少し前から身に染みて感じるようになっていた。
 そんな中で生き続けねばならないのなら、肝心の死んだ後で具体的にどのような扱いを受けるかは判然としないけれど、これは相当な役得のようにも思える。これは神様直々のご命令を達成しながら、スラム街の荒みきった軒下に佇む老婆を、照りつく太陽の下で銃を携えた精悍な少年を、いつの日か僕が校舎3階の窓からこっそりと眺めていた彼女を、そんな彼ら彼女らの明日を守ることにもなるのに違いないから。

 古い言葉だけど、正しく「誰かが必死に生きたいと望んだ明日」を、僕一人で83億人分全てを守り通すのだ。


ACS.1467年3月28日グリニッジ基準午後20時34分、太平洋上空1万2千メートル、飛空艇「アーケロン」にて記す。
Forma Grey Auster
                                                  

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『Forma Grey Auster手稿』セクション15より。

 僕にとって最後の旅もいよいよクライマックスだ。

 アーケロンからこの大陸に降り立ったのは昨日のこと。技術は昔に比べれば、人工筋肉の採用やジェネリック・スタビライザーの登場によって随分と進歩したものだが、飛行機というのがどうにも僕は苦手だ。加速度変化による酔いからは逃れようがないし、狭苦しさ息苦しさに気が滅入る。3年ほど前にようやく実用化された光全透素材のみで設計され、全方向絶景パノラマを楽しめる旅客席もあることにはあるが、やはり仕切られた空間には違いなく空飛ぶ鳥籠に過ぎない。

 到着したのは現地時間で19時46分、天には僕が今までに見たことない星座が散りばめられ、節操なく煌めいて眩しすぎる光を僕にぶつけてきた。初秋の夜風はどこからともなく吹いて首筋を撫で、襟足を靡かせると虚空に消えた。空港を出ると旧時代の黒光りした趣味の悪いリムジンが僕を待っていた。旧時代の文化にインスパイアされたアクション映画が世界的に流行ったことで、ここ最近オーストラリアでは特にクラシックスタイルが最新ファッションだそうだ。クラシックが最新とは言葉の自己矛盾を僕自身こうして書いていて違和感を禁じえないが、他に表しようもないので仕方なくそのままガラスペンを走らせている。しかし乗り込んでみると内装は今時の高級車にありふれたもので、ダグラス社の車用超高性能CPU搭載で事故率0%保証付き最高級オートドライビングシステム、乗る人の体型に沿って自在に変化して至福の座り心地を提供してくれる最高級スーツシート、最高級3次元立体音響アンプなどなど、最高級と付くもの全てをとりあえず片っ端からぶち込まれたような空間が広がっていた。

 アーケロンは働き始めて3年ほどした頃にセクター8へ出張した際に乗る機会があったが、こんなクラシカルで大層なものに乗り込むのは初めてで心浮き立ったが、乗り込むと余りの快適さゆえにそれ自体を楽しむのをすっかり忘れさせられてしまった。代わりに何を考えていたかといえば、歴史の教科書には欠かせないアリストテレスやプラトン、ダ・ヴィンチ、始皇帝、卑弥呼だって生きているうちに南半球の星々は見たことが無い、サザン・クロスを知る由もない。彼らにこれから出会ったらきっと自慢してやろう、自分は生きているうちに北半球の星も南半球の星も確と目に焼き付けたのだ、と。しかし、今までに同じことを考えて実行した輩はいるのだろうか、まあそれでもいい、やってやろうじゃあないか。そういえば言葉は大丈夫だろうか、いやきっと大丈夫なんとかなるさ。適当に説明して奴らが僕を笑うなら、世界を常に夢見た人間たちが世界を知らないなんて、こいつぁ皮肉だと、背中を反らせてより大きな声で笑ってやる。

そんな下らないことを頭の中で逡巡しているうちに微睡んで、見慣れぬ景色を楽しむこともなく気付いたときにはウルルから5キロほど離れたホテル『パレス・オブ・ホワイト』に到着していた。
 
ACS.1467年3月30日午前0時33分、パレス・オブ・ホワイト46階3号室にて記す。 Forma Grey Auster

5

校庭を駆ける私を彼が校舎の窓から頭の目より上の部分だけを覗かせて見つめている。

それに気づいた私は立ち止まって彼に思いっきり手を振る。

壊れたメトロノームのように私は彼に向けて小さな掌でせっせと弧を描く。

すると彼がキラリと光る何かを投げ落とす。

それは私の目の前に落ちて尚も輝きを放つ。

「これなーにー?」

「僕が僕で、君が君で、世界が美しいものである証拠」

「それってどーゆーことー?」

「いつかきっと、僕が君で、君が僕で、僕と君が世界である証拠」

「私は今でも君だよー」

「なら、僕は安心して君になって、世界になって、〇〇を届けることができるよ」

「また明日ねー」

群青の空に鰯雲。

明日は天気が良くないのかな、残念だな、でも彼が私に〇〇を運んでくれる。これからも。


ID不明のウェブダイアリーより。
備考:テキストデータに一部損壊?

6

 彼がこの世からいなくなったのは38年前の今日だったか。
空は当たり前に青く、街は当たり前に人々が行き交い、私は当たり前に日記を今日もこうして付けている。彼が好きだったガラスペンに紙というオールドファッションなやり方で。

 とにかく38年前というのは確かなはずで、38年前のあの日に少なくとも1人の人間の存在が地球から消えて、この惑星(ほし)はその分だけ寂しくなった訳だけれども、東京区のドミトリーで私はそれ以上の寂しさを独り感じていた。春が来たというにはまだまだ寒い季節、窓を少しだけ開けていたけれど無邪気に部屋へ入り込んでくる風は若かった私の頬を切りつけた。あの日の月は雲のかかった十六夜で、神様とやらがやってくるにはおあつらえ向きじゃないなと考えつつ、今後の彼はどうなるのかとその身を案じた。一方で心の底から神様を呪った。

 「神様なんてロードローラーで押しつぶされてその上に激ったコールタールをぶち撒けられて死んでしまえばいい。
それでも死なないならこれを1000回繰り返して、残ったものを濃硫酸に入れてシェイクしたら絶対零度でフリーズドライして、私自身の手でハンマーで1億回でも1000兆回でも、ハンマーが先に磨り減ろうが私の魂をハンマーに変えてでも叩き続けて粉々にして、私から彼を奪った罪で地獄に叩き落としてやる。」

 今でもこうして諳んじることができるほどにその時の呪い節を覚えている。荒唐無稽もいいところ。でも、もし私が神様にお目見えすることがあるなら、神様の目の前で堂々と叫んでやるつもりだ。温厚篤実や清廉潔白というよりも、傲岸不遜、佞悪醜穢という方がお似合いな人生を送ってきたので、十中八九地獄に落とされるだろうから、私には何も失うものは無くて尚更丁度いい。もしかすればあまりの酷さにこれは新手のギャグではないのかと、神様も失笑とともに私を買ってくれて、よきかな君は天国送りだあっぱれだ、という名誉にあずかれるかもしれない。それならそれで大変な儲けもので、この可能性は残り少ない人生の中で私が宝くじ一等前後賞含めて当選する確率よりは高いだろう。

 夢なのか現実なのか判然としないけれど、その日の夜、窓を閉めカーテンで世間を遮って毛布に包まった私は彼に出会った。正確には、いつの間にやら私はウルルのてっぺんにいて、点在する煌きと漆黒を背景に浮かび上がった彼を真正面に見据えていた。太陽の出ている昼間というほどではないにしても、周辺に照明の類はないはずなのに妙に私たちがいるところだけ明るかった。思わぬ形での逢瀬に、涙を滲ませ非道く顔を歪ませて全身を震わせる私に、彼は両頬を釣り上げ微笑んでいた。寝巻きに裸足という格好も気にせず、冷ややかな風を切って私は10メートルほど離れた彼の元へと脇目もふらず駆け寄った。

 「こんなところに来ちゃって、どうしたの。何でも一番が好きな君ならバリングラの方に行くべきじゃないかな。」

 彼の胸に収まって声を出せずに泣く私に最初に彼が発した言葉。外気の冷え込みに反比例した、まるで体内でプラズマ反応が起きているような体の熱さは今でもよく覚えている。もしかしたら、私が今なお持つ体温はあの時の残り香なのかもしれない。

 「でも674日ぶりにまた君に逢えて本当に嬉しいよ。しかも触れ合えるほど直接にね。今度ばかりはこの世でもう僕らが二度と逢うことはないだろうけど、君は君を楽しんで。多次元空間はあれど究極的には世界はいつだって一つで、僕らが持つ時間は限りがあって、君が君を楽しんでこそ、それらが具体的な意味を持って僕も含めた君を貫くはずだよ。正直なところ、僕は僕自身を貫き損ねてしまったんだけど、君を貫くことは出来たみたいだから安心して次のステップを踏み出せる。この惑星(ほし)によろしくね。」

 そう言い遺して彼は私を徹底的に貫いて、私はベッドの上で朝を迎えていた。

 私が私自身を楽しみ貫くことが出来たかに関して、蜃気楼より濃く確かで、私の存在性より薄く不確かかな、という確信を持っている。概ね彼が遺した言葉を達成できたのじゃないかと考えている。
いつの日かまだ私たちが幼かった頃、私に彼が校舎の窓から投げたものは今も私の中で燦然と輝いているから。

ACS.1505年3月28日午後8時33分 自宅の書斎にて。 Karen Makino

ガラスペンで貫いて。

ガラスペンで貫いて。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-11-23

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