夏の終わりの静かな風 14

 狭山さんのお姉さんと別れて病院をあとにしたのはもう午後の五時過ぎだった。

 帰りもやはり狭山さんが車を運転して帰ったのだけれど、その車を運転する狭山さんの表情は病院にいるときに見せていた明るい表情とは違って、どこか沈んで見えた。言葉数も少なく、僕が話しかけても、狭山さんは何か物思いに沈んでいる様子で、ひとつの質問が次の話題に繋がって会話が広がっていくというようなことがなかった。

 車が再び海岸線の道に入ったあたりで、狭山さんが僕に音楽をかけてもいいかと訊いて、僕はもちろんどうぞ答えた。

 狭山さんが車のカーステレオのボタンを押すと、車のスピーカーから流れはじめたのは、微かに水色の色素を帯びたような、静かで繊細な感じのする女の人の歌声だった。英語の歌だった。

「きれいな曲だね。誰が歌ってるの?」
 と、僕は気になったので振り向いて狭山さんに尋ねてみた。すると、狭山さんは目の前に道に視線を向けたまま、
「エミリー・ローレンスっていうひとだったかな。」
 と、ちょっと自信なさそうに答えた。

「エミリー・ローレンス?」
 と、僕は彼女の言葉を反芻してから、
「結構有名なひと?」
 と、続けて尋ねてみた。
 すると、狭山さんは苦笑するように軽く口元を綻ばせて、
「実はわたしもあんまり詳しくないの。」
 と、答えた。

「ラジオでたまたま流れてて、それでいい曲だなって思ってあとでCD屋さんで探して買ったんだけど・・でも、そのときすごくわかりづらい場所に一枚だけしか置いてなかったから、そんなに有名じゃないのかも。」
「そっか。」
 と、僕は狭山さんの説明に頷くと、少し間をあけてから、
「でも、いい曲だね。僕もこういう感じの曲結構好きだな。」
 と、微笑して言った。

「・・・目を閉じて聞いていると、雨の日の日曜日の朝って感じがしない?」
 と、狭山さんちらりと僕の顔に視線を向けると言った。
「雨の日の日曜日で、家にいてなにもやることがなくて、それで窓の外に降る静かな雨を見てるって感じ。」

 僕は試しに狭山さんがいま口にした情景を思い浮かべてみた。すると、さっき狭山が口にした通りのイメージが、今見えている視界のなかに重なるようにふうっと鮮やかに浮かびあがってきた。
「ああ。ほんとだね。確かにそんな感じがするかも。」
 と、僕は微笑んで言った。

「でしょ?」
 と、狭山さんは微笑んで言うと、
「確かそこのダッシュボードのなかにCDのケースが入ってたと思うんだけど。」
 と、思いついたように言った。

 僕は狭山さんの方に視線を向けて、見てみていい?と尋ねた。狭山さんは微笑んでどうぞと答えた。

 ダッシュボードを開くと、確かに狭山さんの言ったとおり、一枚のCDケースが入っていた。ジャケットにはあまり見たことのない鳥の絵が描かれてあった。

「その鳥、絶滅しちゃっててもう世界にはいない鳥なの。」
 と、狭山さんは僕が手にしているCDケースにちらりと視線を走らせて言った。へー。詳しいんだね。と僕が感心して言うと、狭山さんは、
「ケースに入ってるライナーノーツにそう書いてあったんだけどね。」
 と、小さく笑って言った。

「そっか。」
 と、僕は狭山さんの科白に軽く笑って頷くと、CDケースのなかからラナイーノーツを取り出して広げてみた。

「この曲、歌詞も結構いいの。」
 と、狭山さんは微笑んで言った。
「だいぶ前に読んだから、詳しい内容は忘れちゃったんだけど、確か暗闇のなかで希望を見つけようとする、静かな感じの詩だった思う。」
 と、狭山さんは言った。
 僕は日本語に訳された歌詞を辿ってみた。


 夕暮れの光は次第に薄れていって
 透き通った青い闇が静かに世界を覆いはじめる

 もうすぐ夜になるんだなってわたしは思う

 夜の訪れと共に気温は下がり
 冷たい風がわたしの心から体温を奪っていく

 わたしは夜が嫌い
 だって嫌なことは大抵いつも夜に思いつくから

 ねえ わたしはときどき不安になるの
 このさきわたしはどこにも辿り着けないんじゃないかって

 このさきどこまで歩いていっても
 出口なんてどこにもなくて
 ただ同じ場所をぐるぐると
 永遠に歩き続けことになるんじゃないかって

 きっと大丈夫だって
 声に出して
 自分に言い聞かせていないと心細くて

 だけど 今はそんな自分の声さえ
 訪れた新しい闇のなかに吸い込まれていってしまう

 所詮こんなものだって
 諦めるしかないのかな?

 時間の経過と共に
 どんどん夜の闇は深く濃くなっていく

 でも
 今日は月の明かりがとても明るいから
 少しだけ
 闇のなかでも平気でいられる気がする

 月の光は友達の声みたいに明るくて
 わたしの気持ちをそっと温めてくれる

 そういえば今日、花の種を植えてみたの
 きれいな花が咲くんだよって
 友達がわたしにプレゼントしてくれたから

 わたしは植物なんて育てことなんてないし
 ちゃんと花を咲かせられるかどうか自信がないんけど

 でもね 頑張ってみようと思うの
 だって どんな花が咲くのか楽しみだし
 花が咲いたときのことを想像すると
 心が希望を持ったみたいに弾むから
 
 そしてもしも花を咲かせることができたら
 一番最初に見せてあげたい
 友達に
 ありがとうって


 想像の花が
 わたしの心の周りを
 そっと明るく輝かせてくれる


「何か静かな感じのする詩だね。」
と、僕は日本語に訳された詩を読み終えると、狭山さんの方を振り向いて言った。
「まだ希望は見つからなくて不安なんだけど、でも、そこには前向きな意志があって・・なんか読み終わったあと、心がふわって軽くなるみたいな感じがする。」

「ね、いい詩でしょ?」
 と、狭山さんは僕のリアクションに明るい微笑を目元に浮かべて言った。
「何か特別メッセージみたいなことは書かれてないんだけど、でも、作者の優しい想いというか、何かを信じようとする想いみたいなものが伝わってくるような気がする。」
「そうだね。」
 と、僕は狭山さんのコメントに頷いた。

「でも、この詩に書かれている、嫌なことは大抵夜に思いつくっていうのはほんとうにそうだなって思う。」
 と、僕は再び歌詞カードに目線を落としながら何気なく言った。
「僕も嫌なことは大抵いつも夜に思いつくから。」

「嫌なことって?」
 と、狭山さんは目の前の道に視線を向けたまま興味を惹かれたように尋ねてきた。

 僕は少し躊躇ってから、大久保にも話したことを、狭山さんにも話して聞かせた。自分が書いている小説のことについて。それから、これから先の将来のことについて。

「・・・確かに将来のことを考えると色々考えちゃうよね。」
 と、狭山さんは僕の話を聞き終えると、少ししんみりとした口調で言った。それから狭山さんは何か考え事をするように難しい表情を浮かべて車の運転を続けていたけれど、やがて、
「わたしもね。」
 と、口を開くとポツリと言った。
「わたしも将来のことを考えるとときどき不安になるかな。」
 狭山さんは少し弱い声で言った。

 僕は歌詞カードから目線をあげて狭山さんの横顔に視線を戻した。
「・・・不安になるっていうか、怖くなるの。・・・もしもこのまま上手くいかなかったらどうしようって。もし、お姉ちゃんの病気が治らなくて、それでお姉ちゃんが・・。」
「大丈夫だよ。」
 と、僕は狭山さんの言葉を遮るようにして言った。

夏の終わりの静かな風 14

夏の終わりの静かな風 14

夏の終わりの静かな風の続きです。

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更新日
登録日
2011-09-24

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