似顔絵描きの一生

中世のフランス、宮廷画家が出始めたころの物語です。

中世のフランス。似顔絵描きジョエルが求め続けたものは、あの人の瞳の色だった


むかしフランスの田舎にジョエルという名の十歳の少年がいました。ジョエルは絵を描くのが好きで、今日も木炭で板切れに一心に絵を描いていました。
「お前、また遊んでるのか!」
父さんがふらついた足取りで近づいてきました。またお酒を飲んでいるようです。
「遊んでるわけじゃない。父さんこそ昼間から飲んで……」
「なんだとぉ、口答えする気か」
 父さんがこぶしを振り上げたので、裏口から素早く外へ逃げました。
ジョエルは裏通りの樽の上にすわりました。樽の上で昼寝をしていた野良猫が、うらめしそうな顔をしてジョエルをにらむと、塀にとび移りました。
ジョエルは絵の続きを描きました。輪郭だけ描いたのですが、母さんの顔がうまく書けません。頭の中でははっきりと母さんの顔がみえるのに、いざ描こうとすると真っ白になってしまいます。
(どうして思い出せないのかな……。母さんが天国へいったのは、先月のことだったのに……)
髪は目に浮かびます。自分と同じ栗色です。腰まで長くてひとつにしばっていたのですが、半年ほど前に突然ばっさりと切ってしまいました。
母さんは、小麦粉とバターを買ってきて、たくさんパンを焼いてくれました。久しぶりに食べる白いパンに感激してジョエルは五つも食べました。あのとき、母さんはパンを食べたのでしょうか。自分が食べるのに夢中で気づきませんでしたが、ひとつも食べなかったような気がします。
夜、スカーフを取った母さんの頭をみたとき、心臓が止まるほど驚きました。髪を売ったお金でパンの材料を買ってきたのでした。
父さんが働きさえすれば、こんな貧しい暮らしをすることがないのに……。母さんは働き過ぎて病気になったのです。母さんが死んだのは父さんのせいだと思うと、怒りがこみ上げてきました。
ジョエルは母さんの後ろ姿を描くことにしました。腰まである栗色の毛を描いていると、隣の家のニコラがやってきました。年はジョエルより十歳年上で、兄さんのようにやさしい青年です。
「やあ、細かいところまでよく描けてるじゃないか」
 ニコラは絵をのぞきこんでほほえみました。
「でも、顔が描けないんだ……」
ジョエルが悲しそうな目でニコラをみつめました。
「後ろ姿の方がいいぞ。顔は想像できるからな。母さんは、笑っているときも泣いてるときもあっただろ。いま、どんな顔してるんだろうって想像するのは楽しいじゃないか」
ニコラの言葉を聞いてジョエルの暗い心にぽっと灯がともりました。
「ジョエル、お願いがあるんだ……」
ニコラが少し改まった顔でいいました。
「何?」
「おれの……似顔絵描いてくれないか」
 ニコラは顔を赤らめてポリポリ頭をかきました。
「えっ、ニコラの?」
「おれ、来月戦地へいくんだ。だから、おれの似顔絵を母さんに渡したいんだ。絵があれば、少しは寂しさもまぎれると思って」
「うん。わかった」
ジョエルはニコラの少しとんがった口、口のまわりに生えているポシャポシャしたひげ、太い眉毛、大きな目、そして高くてカッコイイ鼻を一生懸命観察して描きました。
次の日、できあがった絵をニコラに渡すと、
「ありがとう、ジョエル。お前、天才だな」
ニコラは喜び、一週間後に戦地へ向けていってしまいました。


ニコラが戦地に行った次の日、ジョエルの家に村の人たちがぞろぞろやってきました。ニコラのお母さんがジョエルの描いた絵を近所の人にみせたので、それが評判になっていたのです。
「ジョエル、わたしのことを描いてちょうだい」
「わたしの子どもを描いてほしいの」
「おばあさんの絵を描いて」
 次々注文がきて、ジョエルがとまどっていると、めずらしくお酒を飲んでいない父さんが、にこにこして番号の書かれた布きれを配りはじめました。
「お金を払える人が先だよ。並んで、並んで」
「前金だなんて、がめついわね」
「当たり前だ。金を持ってないやつは、帰った、帰った」
お金を持ってこなかった人たちは、プリプリしながら家にもどっていきました。
「父さん、ぼくの絵は、お金をもらえるようなものじゃないよ」
ジョエルが父さんのシャツを引っ張りました。
「うるさい。お前は黙って絵を描けばいいんだ!」
 ジョエルは仕方なくいちばんたくさんお金を出してくれた人から描きはじめた。
 父さんはもらったお金で酒を買ってきて飲みました。ジョエルがいくら止めてもききません。
「ぼくは父さんの酒代をかせぐために描いているんじゃないんだ!」
 ジョエルは裏通りに出ると、樽を蹴りながら叫びました。
 
父さんが出かけているとき、トントン戸をたたく音がしました。戸を開けると見知らぬ男の人が立っていました。
 その人は、やせていてほおがげっそりとしていましたが、目は深い泉のようで、すいこまれそうな瞳をしていました。服は穴だらけで裾はぼろぼろでした。その服は何日も洗っていないように汚れやシミがついていました。
「何か用ですか?」
ジョエルがたずねると、男の後ろから小さな女の子が顔を出しました。
「うちにきて。母さんの絵を描いてほしいの……お金は持ってないんだけど」
女の子はすがるような目でジョエルをみつめました。
「母さんは、あと一週間の命だっていわれたの」
女の子の目から涙がほろりとこぼれ落ちました。
ジョエルは自分の母さんが死んだときのことを思い出して、胸がズキリと痛みました。
「いいよ。きみの家にいこう」
女の子の家は隣村でした。ベッドにはやせて顔色の悪い女の人が寝ていました。ジョエルは、女の人が元気だったときの顔を想像して描きました。
描き終えたとき、家の中には病気のお母さんと女の子しかいませんでした。
「父さんはどこへいったんだ?」
 女の子にたずねると、
「あの人はお父さんじゃない。知らないおじさん」
と答えました。
「わたしが、『お母さんそっくりの絵を描ける人がいたらいいのに……』っていったら、あのおじさんがきて『その人のところへ連れていってあげよう』っていってくれたの。あたしは、だれにも聞こえないような小さな声でいったのに不思議ね」
 女の子は出来上がった絵を満足そうにながめました。
「あのおじさんはね、真っ白な服を着て青いマントをはおっていたの。でも、ジョエルの家にいく途中で道路で寝ていた人と服を取りかえたの。だから、あんなボロボロな服を着ていたの。それから、その人にマントもあげちゃったのよ」
 女の子は大きな目をくりくり動かしました。
家に帰ると、いきなり父さんにほおをなぐられました。
「お前、お金も出せないようなところへいって似顔絵描きやったんだって!」
 女の子のお母さんの絵をただで描いたことが早くも父さんの耳に入っていました。
「悪いかい?」
「悪いに決まってるだろ!」
「どうして悪いんだよ」
「金も払えないやつのために絵を描くなんて……」
「金、金、金……何でも金だ。金が入れば全部酒代になってしまうのに」
 ジョエルがいいおわらないうちに反対のほおをなぐられました。
「もう、がまんできない!」


ジョエルは画材と着替えをかばんにつめこむと、家をとび出しました。冷たい秋風がジョエルを追いかけてきました。ジョエルは町へ向かって息の続くかぎり走りました。
 ジョエルは村はずれの家畜小屋で一晩過ごし、翌朝町へいきました。町にはいろいろな人が歩いていました。シルクハットをかぶりステッキを持って歩く紳士。羽飾りをつけた大きな帽子をかぶって歩く婦人。でっぷり太った商人風の男性。はだしでぼろぼろの身なりをした子どもたちもいました。
ジョエルは道端の石に腰を下ろして、ひとりの婦人を描きはじめました。婦人が気づいて近づいてきました。
「まあ、わたしのことを描いているの?」
「勝手に描いてすみません」
ジョエルは叱られるのかと思い、深く頭を下げました。
「買わせてもらうわ」
目の前に銀貨を出されて、ジョエルは驚きました。これなら立派にひとりで生きていけると思いました。
ジョエルは似顔絵描きとして生きることを決意しました。スタートはよかったのですが、その後はいいことばかりではありません。どんなに心をこめて描いても、「似てない!」と文句を言われ、お金をもらえなかったり、逆に簡単に描いただけで喜ばれたり。銀貨をくれる人はそれから現れず、収入はわずかです。その日の食べ物を買うのがやっとの生活でした。夜は道端に寝て、雨の日は教会に泊めてもらって暮らしていました。

 家を出て二年目の冬、寒気がして震えが止まらなくなりました。道端で一枚きりの毛布にくるまってうずくまっていると、今度は火のように身体が熱くなりました。はやり病の熱病にかかったのだと気づきました。でも、ジョエルのことを気にかけたり、世話をしてくれる人はひとりもいません。
 のどがかわいてたまらなくなりました。でも、体が弱っているので水を汲みに行く力がありません。そのとき、目の前に小さなコップが差し出されました。差し出したその人はやせた男の人でした。どこかで会ったことがある気がしましたが思い出せません。
ジョエルはコップを受け取ると一気に飲み干しました。冷たい水がのどを通っていくとき、熱が下がり、病気が治ったことに気づきました。
 家を出て四年目、小さな小屋に住むようになっていましたが、雨ばかり降って仕事がない日が続きました。何日も食べるものがありません。体を動かす気力もなく、床に横たわっていました。
「このまま、飢えて死ぬんだな」
 ジョエルがひとりごとをいったとき、戸口が開いて、あの人が入ってきました。その人はひときれのパンをジョエルの手ににぎらせると、にっこりほほえんで何もいわずに出ていきました。
 パンを食べたとき、体に力がよみがえってくるのを感じました。雨音はぴたりとおさまっていました。
 ジョエルは、助けてくれた人のことを忘れないため、その人の似顔絵を描きました。木炭しかないので、黒一色で描き、壁にはりつけておきました。


六年の月日がたち、ジョエルは二十歳の青年になりました。顔料を手に入れて、色つきの絵を描くようになっていました。あるとき、道端で絵を描いていると大風がふいてきて絵がとばされてしまいました。
その数日後、貴族の馬車がジョエルの小屋の前に停まりました。立派な身なりをした男が降りてきて、ジョエルに深々と頭を下げました。
「宮殿までお越し願いたい」
「……?」
 あまりにも突然のことに、ジョエルは声も出ません。
「あなたの描いた絵が、王様の目に留まりました。」
 絵が王に仕える貴族の馬車にとんでいき、それをみた貴族が王にみせると、王はたいそう気に入って、「この絵を描いた人を捜して王宮に連れてこい」と命令していたのでした。
「王様があなたに肖像画を描いてほしいといっておられます。どうか宮殿においでください」
「き、宮殿に……」 
ジョエルは夢をみているのではないかと思いました。
 
 ジョエルは王様に気に入られ、宮廷画家として住みこみで絵を描かせてもらうことになりました。
ジョエルに与えられた部屋には、まわりにダイヤがちりばめられた豪華なベッドがありました。床は大理石です。天井からは何十本ものろうそくが灯るシャンデリアが吊るされていて、夜でも絵を描くことができます。
夢にまで見た高価な絵具、絵筆や紙、イーゼルもそろっていました。一日三回食べきれないほどのごちそうが運ばれてきて、夜は羽根布団にくるまって寝る生活にジョエルは雲の上にいるような気持でした。
今日は王がキツネ狩りに行くのでついてくるようにいわれました。狩りをする王の姿を描くように命じられたのです。
ジョエルは約束の時間より早くしたくをすませ、門の近くで待っていました。
貧しい身なりをした女の人が門に近づいてきました。
「似顔絵の天才と呼ばれている画家に会わせてください」
 婦人は門番にすがるようにしていいました。
「おまえのようなみすぼらしい者がくるところではない。帰れ!」
門番は女の人を追い払おうとしています。
「お願いします。天才画家にお願いがあるんです」
 女の人はますます大きな声を上げて叫びましだ。そのとき、宮廷にいる画家はジョエルひとりでした。
「天才画家ってぼくのことかな」
天才画家だなんていわれたことに気をよくしてジョエルは女の人に話しかけました。
「ああ。あなたでしたか。お願いです。わたしの娘が死にかけているのです。どうか娘の絵を描いて下さい」
 婦人はひざまずき、地面に頭をすりつけるようにひれふしました。
「うーん……」
 ジョエルが考えこんでいると、ラッパの音が鳴り響きました。王を乗せた馬車がやってきたのです。  


「悪いけどそんな暇はないね。似顔絵を描く画家はいくらでもいるだろう。別の画家に描いてもらいなさい。それでは失礼」
 ジョエルは女の人に背を向けると馬車に乗りこみました。馬車の中から振り返ると、女の後ろにやせた男の人が立っていました。その人は悲しそうな目でじっとジョエルをみつめていました。ジョエルの胸はずきりと痛みました。
(仕方なかったんだ。王様に待ってもらうことなんてできない。そんなこと言ったら機嫌を損ねて宮廷から追い出されてしまうかもしれない)
ジョエルは心の中で必死に言い訳をしていました。

 5
それから三年の間は夢のような日々でした。ジョエルは王や王妃の絵だけでなく、頼まれて宮廷に出入りする貴族の絵を何枚も描きました。
ところがある日、女王が新しい画家を連れてきて王に紹介しました。王が新しい画家に命じると、画家はすらすらと絵筆を動かしました。その絵はちっとも似ていませんでした。王は十歳も若いように描かれ、女王は実際より鼻が高く、目がぱっちりと描かれていました。
 王と女王は新しい画家をたいそう気に入って、その画家にばかり絵を描かせるようになりました。ジョエルにはちっとも声がかかりません。とうとうジョエルは宮殿を追い出されてしまいました。
ジョエルは、しかたなく前住んでいた場所に帰っていきました。小屋に入ると、壁に自分が描いた一枚の絵が貼ってありました。
(あっ、この人は……)
ジョエルは男の似顔絵をみてはっと胸を突かれました。宮殿の門前で女の人を追い払ったとき、女の人の後ろにいたその人の悲しそうな顔を思い出しました。
ジョエルは宮殿でもらった絵具で男の顔を描きはじめました。瞳を描こうとしたとき、絵筆が止まりました。
(何色の目だったかな?)
前に描いた絵は黒一色で描いているので、瞳の色はわかりません。
その人のやせたほお、とがった鼻、うすいくちびるははっきり思い出せるのに、目の色だけはベールに包まれているようにぼんやりとした記憶しかありません。
(あの人と、もっと前にも会っているぞ)
ジョエルは子どものころ、死にかけている母親の似顔絵を描いてほしいと家にやってきた女の子を思い出しました。そのとき女の子と一緒にいた男があの人だったのです。
(あの子に聞いてみよう。あの子はまだあの家に住んでいるだろうか……)
記憶をたどりながら、女の子の家を捜し歩き、ようやく見つけることができました。女の子はすらりと背の高い娘になっており、年とった母親と暮らしていました。
「あのおじさんは、あれからもう一度きてくれて、母さんの病気を治してくれたのよ。でも、その後は一度も会ってないの……。瞳の色? うーん。覚えてないわ。もし、おじさんに会えたらわたしにも知らせて。お礼が言いたいから」
 娘は目をキラキラさせていいました。


 娘の家をあとにすると、いつしか足が自分の生まれた村に向かっていました。
(父さんは元気かな。相変わらずお酒を飲んでいるんだろうな)
 窓から家の中をのぞくと部屋はきちんと片づけられており、人の気配がありません。隣の家から男の人が出て来ました。濃いひげが生えていたのですぐにはわかりませんでしたが、太い眉と大きな目をみてニコラだと気づきました。
「ニコラじゃないか。戦地からもどってきたんだね」
 ニコラは不思議そうな顔をしてジョエルを眺めました。
「ぼくだよ。ジョエルだよ」
「えっ、ジョエル! 大きくなったなあ」
 ニコラは自分より背の高くなったジョエルをみて驚き、肩を抱きしめました。二人はしばらく再会の喜びに浸っていましたが、ニコラがふと口をつぐみ、悲しそうな目でジョエルをみつめました。
「お前、あれから家を出て一度も帰らなかったんだって? 三年前お父さんは病気になって死んでしまったよ。ベッドの中でお前の名前をずっと呼んでいたんだぞ」
「お酒ばかり飲んで、ぼくのことを殴っていた父さんが、ぼくの名前を?」
ジョエルは不思議でなりません。
「父さんは、弱くて寂しがり屋だったんだよ。だからお酒がやめられなかった。ジョエルのことが憎くて殴っていたわけじゃなかったと思うよ」
ニコラの言葉を聞いて、父さんに悪いことをしてしまったと思いました。三年前といえば、宮廷画家として王宮にいたころです。父さんのことなどすっかり忘れて王様に喜ばれる絵を描くことに夢中になっていました。(王様を描くことより大事なことがあったのに……)そう思ったとき、またあの人の姿が頭に浮かびました。


数年後、ジョエルはあの人に出会ったとき一緒にいた娘と結婚し、ふたりの男の子が生まれました。でも、あの人に会うことはありません。
 ジョエルはあの人の姿を求めながら、似顔絵描きを続けていました。貧しい人からはお金をとりませんでした。
 六十年の月日がたち、ジョエルの腰はすっかり曲がってしまいました。奥さんは天国へいき、息子たちはふたりとも外国で暮らしていました。
ジョエルはリュウマチという病気になって、絵筆を持つのも大変になりました。それでも絵筆を指にしばりつけて描いていました。あの人の似顔絵はずっとイーゼルの上に乗せたままです。あと、瞳の色をぬるだけで完成するのに……。
ジョエルは自分のいのちが長くないことを知っていました。最後に絵を仕上げてから死にたいと願いました。
朝から雨が音をたてて降っていました。リュウマチの痛みがひどくて、ジョエルは横になっていました。何日も食べていませんでした。

 子どものころのことや宮殿で王に気に入られていたときのこと、宮殿から追い出されたことなどが次々と思い出されました。最後にあの人に会ったときのことを思い出しました。  
悲しげな眼で何かを訴えているようでした。
「わたしが間違っていました。王宮でぜいたくに暮らしているうちに、貧しい人を無視するようになってしまったのです」
 ジョエルは手を組んで祈りの姿勢をとりました。そのとき、自分の手が思うように動かせることに気づきました。体中の痛みもうそのように消えています。
ジョエルはとび起きると、描きかけの絵の前にすわりました。ふと窓に目をやると、あの人の顔がみえました。はっとして窓辺までいくと誰もいません。もういちど絵の前に座って窓に目をやると、あの人の顔がありました。瞳の色がはっきりとみえます。
「この色だ!」
 ジョエルは白と黒と茶、青と藍色の絵具をまぜ、紙切れにためし描きをしました。
「少し違う。何かが足りない」
 水を足したり絵具を足したり減らしたりしながら何度も何度も色を作りました。
「もう少し、もう少しなのに……色が作れない」
 ジョエルは絶望して頭をかきむしりました。
「ジョエル、あきらめるな」
耳元であの人の声がしました。あの人がジョエルに寄り添うように立っていました。
(熱病で死にかけていたとき水をくれたのも、飢えていたときパンをくれたのもあなただった。あなたはいつも一緒にいてくれたのですね)
「ありがとうございます」
ジョエルの目から涙がこぼれ落ちました。それがパレットの上にポトリと落ちました。筆でまぜると、あの人の目の色そっくりになりました。ジョエルは震える手で瞳をぬりました。
「涙色の瞳」
ジョエルは満足そうにつぶやくと、あの人の腕に抱かれて目を閉じました。
 
翌日ジョエルの家を訪れた人は、安らかなほほえみを浮かべて死んでいるジョエルと、完成した肖像画をみつけました。肖像画は後に美術館におさめられ、多くの人の心を慰め続けました。
                                                   おわり

似顔絵描きの一生

あの人は誰だったのか・・・・・・。
読まれた方の想像におまかせします。

似顔絵描きの一生

父親がアルコール中毒で、母親は病死。ジョエルは貧しい暮らしのなかにあって、絵を描くことに生きがいを見出していました。 似顔絵がうまいと認められて、近所の人から絵を頼まれるようになりますが、お金儲けのために絵を描かせようとする父親と衝突。家を飛び出してしまいます。 路上で似顔絵描きをするうちに病気で死にかけたり、飢え死にしかけたりしますが、そのたびにあの人に助けられます。宮廷画家として認められますが、宮殿から追い出されたとき、あの人の似顔絵を描こうとします。ところが、あの人の瞳の色がわからずに、あの人を捜しながら何十年もたってしまいます。 絵は完成するのでしょうか・・・・・・。

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-11-21

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