鑑賞記録-映画「ダークシティ」より
1998年、アレックス・プロヤス監督。
常に怪訝な音楽につつまれた、まるで冒頭からクライマックスのような前半の展開。おまけに観客に理解させる情報が少なく、当初はついていきにくい感じが強かった。しかし次第に、その「謎」こそが本作の醍醐味であり、想像を裏切るクライマックスへと駆け抜けるための布石であったと気付かされる。いや、そうした理解を拒む姿勢すらも、主人公ジョン・マードック同様“奇妙な記憶喪失”と酷似した状態に観客を座し、展開を観る(体験する)ことで記憶の欠片集めていくような、いうなれば、我々観客を主人公そのものにさせたかったのではなかろうか。
いずれにしても、SF体験としては希有なものだった。記憶の捏造、それを液状化し人間に注入することで過去を、街そのものを作り変えてしまう“チューン”と呼ばれる超能力。そうして幻想化され積み上げられたアイデンティティー<街>はどこへゆくのか。そもそも「自分らしさ」とは、すべて記憶に依拠するものなのか。
現実世界のメタファーとして色々と重なり考えさせられる点は多い。興味は尽きないが、<街>の終点が宇宙でしかない絶望に駆られる前に、われわれは<街>のあり方を根本から見直さなければならない。超能力で即座に理想郷を創り上げるわけにもいかないのだから。また、絶望の先にも終幕はないのだから。
鑑賞記録-映画「ダークシティ」より