降り続くあめにはウィンナーワルツを
缶コーヒーのプルタブの音はしばしの休息を告げる福音だ。いつもより早く時間がとれた為か、喫煙ルームには自分以外誰もおらず、役目を果たせぬ灰皿のみが静かに鎮座している。簡素な席もあるにはあるが、なんとなく座る気になれず、自販機と窓とに挟まれる形で壁にもたれかかると、小さくため息をついた。
デスクに向かっている間は気がつかなかったが、昼間にも拘わらず室内は異様に暗い。ふと外に目をやると、小降りではあるが雨が降り出していた。道理で、朝から冴えない天気だと思っていたのだ。念のために折りたたみ傘を持ってきておいてよかった。帰りの電車は混むだろうか。そんな事を考えながら、音もまばらに降る雨を眺めていた。
「こんぺいとうはお星さまの涙なんだよ。お星さまが泣くと、アメが降って、お星さまは恥ずかしいから雲の中にかくれちゃうの」
ふと、いつかの娘の言葉を思い出した。自分に対してでなく、妻に向けて発した言葉だ。そのときはさして気にもとめなかったが、成る程、雨と飴の金平糖とをかけているのは中々に面白い。娘の言葉と色とりどりの星の形をした金平糖の甘さが甦り、無糖のコーヒーを更に苦く感じさせた。
ああ本当に、この雨が金平糖であったならどんなにいいだろうか。
鞄いっぱいに集めた色とりどりの星の涙を、娘へのお土産にできるのに。
もし、雪の結晶のように、雨にも結晶があるのなら、おそらくそれは本当に金平糖の形をしているのではないだろうか。柄でもないと思いながらも、とめどなく降り続く透明な粒の中に、パステルカラーの結晶が輝きながら落ちていく様を想像した。
一粒一粒、花の形や本当に星の形をした金平糖がぱらぱら、ぱらぱら地に降り注ぐ。想像の景色とともに、無意識に目線も、窓の外を下っていく。目下には、横断歩道を渡る信号待ちの人々がさした傘の花が咲いていた。その上を、金平糖の雨は滑り降り、時には弾け、時には踊る。想像と現実が入り交じったその情景は、なんとも美しいものだった。
灰色の世界の中で一際赤く光りを放っていた信号機が青になると、色とりどりの傘の花も、横断歩道のこちらからあちらへ、またはあちらからこちらへと移ろいでいく。真ん中で交差したかと思えば、ぶつからないようするりとお互いの脇を通り抜ける。たくさんの色が入り交じった花の上に、金平糖の雨が降る。
その情景はさながら、遠く昔の西洋のダンスパーティのようだった。実際にこの目で見たことはないが、華やかな衣装に身を包んだ貴婦人達が踊る姿は、ちょうどこんな感じなのではないだろうか。愛らしい小さな傘がすれ違い様にくるりとまわると、まるでその傘を差した少女の纏ったドレスがひらめくようで。
傘を打つ雨音などここからは聞こえるはずもないのに、耳の奥では軽やかなワルツを奏でている。その旋律にしばし、目を瞑って聞き浸る。優雅な三拍子に合わせて手を取り踊っているのは、美しく着飾った妻の姿だった。
きっと、我々が住むこの世界は、神にとって一つの舞台なのだろう。
…ならば普段億劫でしかないこの雨さえも、なかなか粋な演出だ。
「…さん、お昼、出前とろうって話なんですけど、どうしますか?」
ふいにかけられた声で現実へと強制帰還させられる。虚をつかれてしどろもどろに承諾すると、声をかけた若い社員は、不思議そうに喫煙室から姿を消した。オフィスはどことなく気の緩んだ空気が流れている。他の社員も昼休憩に入ったのだろう。
ここもまた本来の役目を取り戻し、有害な副流煙を蔓延させる一角と成り果てるのだろう。早々に立ち去りたい。立ち去らねばならないとは思うものの、未だ幻想の入り交じった情景から離れがたく、半分ほどになったコーヒーを惜しむように啜った。
(了)
降り続くあめにはウィンナーワルツを