野菜球場

プレアデス

人が野菜に見えるようになってしまったぼく。
僕が大事にしているものはなんなのだろう。

 グラウンドに出ると、カボチャが叫んでいた。
 緑色のいかつい頭を、重そうに揺すって、セカンドベースで立ち尽くしているニンジンをどやしつけていた。
 どうやら、加藤という名のニンジンが、ホームからの送球を取り損ねたらしい。
 彼のグローブには、食用油を塗ってあるのではないかと思うくらい、ボールが落ち着かない。
 そして、落ち着かないグローブと同じくらい加藤ニンジンは落ち着かない少年だ。
 
 僕とバッテリーを組む佐々木カボチャは、普段は温厚な人間だ。カボチャらしいカボチャだ。
 どっしりとした顔、どっしりとした体、どっしりとした性格。
 そんな佐々木カボチャが、あれだけおこっている。
 明日の試合に向けて、相当神経質になっているのだろう。
 あんなにぴりぴりしていては、カボチャではなく、ピーマンになってしまう。
 佐々木カボチャには、佐々木大作というたいそうな名前がついている。名前や体にぴったりあったどっしりとした目、鼻、口も、たしかについていた。あの日までは。

 三週間前、ぼくは人の顔が野菜に見えるようになった。
それは、佐々木のアドバイスがきっかけだった。
「大丈夫だよ。バッターなんてジャガイモだと思えばいいんだから。」
 佐々木にのんきなアドバイスをされた前日、僕たちの最後の県大会予選の対戦相手が決まった。
 私立海山高校。
 四番齊藤が率いる強豪校。
 
 優心高校のエースである僕は、対戦相手が決まったその日からストライクが入らなくなった。
 正確には、バッターの周囲三十?以内にボールが投げられなくなった。
 齊藤とは、リトルリーグ時代のチームメイトだった。同じピッチャー候補として、一緒に練習することが多かった。身長も体格も同じくらいなのに、性格が正反対だった僕たちはよく気があった。
 
 あれは、高校のスカウトが見に来るという噂のあった試合の前日。
 リトルリーグに入った時から「プロ野球選手になりたい」と、常に堂々と公言していた齊藤。
 齊藤は、練習で常に一番を取りたがっていた。練習開始の一時間前には到着し、自主練していた。みんながのんきに集まってくるころには一人でボトボト汗を流していることが当たり前だった。走塁練習では、まわりを押しのけてでも一番になった。
 僕は、そんな齊藤を素直に尊敬していた。素直に自分を表現できる齊藤がうらやましかった。齊藤みたいな奴が甲子園に行ったり、プロになったりするのだろうとぼんやり思っていた。
 ぼくだって、手を抜いていたわけではない。
 野球が好きなことに関しては齊藤に負けていなかった。ボールの握り方、腕を振る角度、ボールの初速。
 プロ野球や大学野球を見ては、分析してノートに記録、実践をするという、実に「マニアック」な練習が大好きだった。少しでも速く、正確な球を投げられる要になることが楽しくて仕方がなかった。
 僕と齊藤の一番の違いは「プロ」を意識していたかどうかだった。
 野球が好きなことに関しては齊藤に負けないと自負していた。
 齊藤は本能で野球に立ち向かっていく。どこかでその野心をもてることがうらやましくもあり、僕にはできないと思っていた。
 
 スカウトの来る試合前日の齊藤に、いつも以上に気合いが入っていることは誰の目にも明らかだった。
 グランド中に響き渡る声で叫びながら、バッターボックスに入ってきた。バッティングピッチャーをしていた僕は、慎重にコースを突きながら投げていった。齊藤は、気持ちよく打ち返していった。
 五球目を投げようとした時、齊藤が明らかに敵意をもった目でこちらをにらみ、どなった。

「おまえ、本気出せよ!」
「は?」
「本気だせっていってんの!」
「本気だよ!何いってんのか分かんねぇよ!」
「なんだよ、さっきからのそのそした球ばっかり投げやがって。そんなに明日俺に活躍されるのが悔しいのかよ!」
「は?そんなわけねぇだろ!」

 堪忍袋が切れる音って、「ぷちっ」っていうんだということを初めて知った。
 肩をいからせてバットを構える齊藤に、ぼくはそれまで抱いたことのない感情を持った。齊藤が一番苦手にしている内角の高めを狙って、全力で投げ込んだ。
 
 ふざけるな。おまえの目には、おれがそんな小さいやつにうつっていたのか。
 
 次の日。試合が始まっても齊藤はベンチに座っていた。右肩に包帯を巻いて。
 一週間後、ぼくはチームを辞めた。
 齊藤を傷つけるつもりはなかった。感情に流されて力任せに投げたのはあれが最初で最後だった。
 
 ぼくが隣の県の高校に入学したのは、親父の転勤の都合だった。
 転勤がなかったら、僕は野球をやっていなかっただろう。佐々木がたまたま同じクラスでなかったら野球をやっていなかっただろう。そして、齊藤が同じ県の高校に入学していたことを知っていたら、もちろん野球部に入るつもりなど無かった。

 
 佐々木はそんな過去を知らない。突然ストライクが入らなくなった僕を心配した佐々木は、のんきなアドバイスをするだけでは気が済まなかったらしい。
 俺をしんきくさい古ビルに引っ張っていった。

「なんだよ、ここ」
「俺を信じてここに入ってみろよ」
「やだよ、こんなうさんくさいとこ」
「失礼な。俺のにいちゃんが引きこもった時、ここの先生が救ってくれたんだよ」
「は?俺はひきこもりじゃねえよ」
「おまえは精神的引きこもりだよ!対戦相手が決まったとたんびびりやがって。おまえみたいなけつの穴の小さいやつと俺は最後の試合を迎えたくないんだよ!俺はおまえの女房なんだからできることをやってやりたいんだよ。俺はおまえと一緒に野球がやりたいんだよ!」
 
 ここまで言われて抵抗できるほど、ぼくは鬼じゃなかった。
 でも、やっぱり抵抗しておけばよかった。
 樺沢メンタルクリニックの室内はやたら暗かった。
 よれよれの白衣を着た、黄ばんだ歯をしたじいさんが、よれよれしながら僕に近づいてきた。じいさんは静かに診察台に横になるように指示をした。よれよれした手で僕の手をつかむと、耳元でささやいた。
「みんな野菜だよ。みんな野菜なんだよ。みんな野菜だよ」
 何分寝ていたのだろう。重たい頭を持ち上げると、じいさんは笑って退出を促した。
 いや、じいさんではなかった。大根だった。しわしわの大根だった。
 大根じいさんのおかげで、みんな野菜に見えるようになった。そして、なぜかストライクが嘘のように入るようになった。
 
 
 ニンジン加藤をどやしつけていたカボチャ佐々木は、僕を見ると、笑顔に変わった。
 いやぁ、ぼくは女房に愛されちゃってるな。

 いつも通りの練習を終えた僕は、いつも通り佐々木カボチャと一緒に帰った。
「カボ、いや、佐々木。明日の試合の前に、おまえに言っておかなきゃならないことがある。」
「なんだよ、あらたまって。気持ち悪いな。」
「突然ストライクが投げられなくなった理由、おまえに言っておきたいんだ」
 佐々木カボチャは、だまってぼくの話を聞いた。つぶらな目を見開いたまま、だまってうなずいていた。

 県大会予選当日。天気は憎らしくなるくらい快晴だった。球場が近づくにつれて鼓動が速くなっていた。佐々木カボチャがやたら静かだったことに気がつかなかった。いや、気づいていたが、試合勝利に向けて緊張しているんだろうと思っていた。
 グランドに出ると、キュウリやキャベツ、サツマイモ、ジャガイモ、見慣れない野菜たちがアップをしていた。もとの顔なんてとうてい分からない。ちょっとほっとしながら、ぼくはカボチャに向かって投球練習をした。
 審判のコールがかかり、ぼくたちはベンチに引き上げた。汗を拭きながらマウンドに目をやり、ぼくは固まった。
 キャベツ、ニンジン、ジャガイモに混じって、人間がいた。齊藤がいた。齊藤は齊藤のままだった。
 目を見開いたまま、微動だにしないぼくに気づいた佐々木カボチャが、そっと近寄ってきた。

「おい、どうしたんだよ」
「齊藤だよ。齊藤は齊藤のままだったんだよ」
「は?」

 向こう側のベンチと俺の顔を交互に見ながら、佐々木は俺の肩をつかんだ。強引に俺の体を自分の方にむけると、俺の顔にカボチャを近づけてきた。

 キスだ。ぼくはカボチャにキスをされたのだ。三秒ほどたってやっと気づいた。

 まっしろな頭のまま、佐々木カボチャの両肩を全力で押し返した。しかし、全力で抱きつかれた。
「おまえは俺のものだ!齊藤のことなんか忘れちまえ!」

真っ白になった視界が再び、風景を取り戻した時、カボチャが佐々木に戻っていた。ぶっとい眉毛に存在感満載の鼻。
今度は僕が抱きしめてやった。
「当たり前だろ。俺の女房はおまえだけだ!」
 
 
 試合後のミーティングが終わると、僕は加藤たちがぼろぼろ泣きながら部屋を出て行くのを黙って見送った。静かになった部屋で、ぼくは立つ気にならなかった。
 佐々木がぼくの頭にタオルをのせると、ペットボトルをぼくの顔の前に出してきた。

「こちらは敗者インタビューです。今のお気持ちをお聞かせください」
「さわやかな気持ちです」
「三発もホームラン食らっちゃったのにですか?」
「ストライクが入ったことに安心しちゃいましたね。それに、打たれても、女房が返してくれるって信じてましたから。」
「期待に応えられなかった女房が敗因ですか?」
「女房の期待に応えられなかった僕の責任です」
「その女房に一言お願いします」
「これからも、ずっと一緒にいてください」

野菜球場

野菜球場

突然人が野菜に見えるようになってしまったぼく。 ぼくをとりまく佐々木と齊藤。 ぼくが大事にしているものはなんなのだろう。

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