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 この世は兎角、生きづらい、と感じて、心の琴線にふれるようなメッセージを求める方には、貴重な時間を割いてまで目を通すことはお勧めしない。我々を取り囲む次元空間において、如何なる方法をしても、各個体にとっての時間は無限になりえないことが、つい先日、永い審査を経て正しさが証明された。この証明を行ったACS理論は、当然の帰結であるがゆえに、人々がSFの世界で見た夢や希望の多くを、一挙に蹂躙してしまったことは我々の記憶に新しい。”Time is money”と唱えた偉大なる先人もいる。時間を無為にすること、それはとても私の望みでないことを、念のため記しておく。それでも私に付き合ってくださるならば、私はとても光栄に思う。ご期待に添えなかった時はご容赦願いたい。あなたの心に、ACS理論が妥当しないことを祈って。
2013.11.20 紀伊遥

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「あなたには失望しましたよ。」
 至って声は怜悧。叙事的な響きさえある。
「何回聞いたかなぁ、その言葉。」
 なんとも間抜けた声。無視したいが、聴いているだけで押し倒して、馬乗りになり、滅多矢鱈に打ちのめしたくなるような心持ちにさせてくるため質が非常に悪い声色。それは僕も承知している。ただし、僕らには「暴れる」という行動を為す能力そのものは与えられていない。
 「存在するに値しませんね。全く、あなたにはプライドがないのですか。」
 鋭利な言葉で彼女はさらに僕を抉りにかかる。さしずめ、ボディーブローを決めてワンラウンド開始十五秒KO勝ちでも狙う心境なのだろう。
 「僕にそんな質問をするなんて、面白いね。賢い君がそんなジョークを飛ばすなんて意外だな。」
 彼女が眉間に皺を寄せる。僕は一向気に止めない。
 「解決されない疑問の数は、アカシックレコードに現在進行形で蓄えられ、事実として語られる情報量に匹敵、もしくはそれ以上あるだろう。そういう意味で、僕は数多の途方もない無限大数的な情報量を処理しようとしているんだ。なのに、存在意義を否定するなんて、君はとても酷い。酷い奴だよ。」
 最後に片目をつぶったのは演出過剰かと思ったが、どこまでも無目的なこの議論において、そんなことを考えても無駄だと僕は思い直す。
 「なぜこの私がニューラルネットワークによって、オールタイムであなたと繋がらなければならないのか、非常に遺憾ですね。」
 「それは仕方がない。僕らはどうやっても切り離せない、“鎖(チェインド)の(・)双子(ツインズ)”である僕らの宿命。歴史において、変革と狂気は常に共存していた、それと一緒だよ。まあ、奴らの存在にしても、あくまで僕らの結果である、という見方ができるだろうけどね。」
 万人の万人に対する闘争。名前は忘れたが、ヨーロッパの誰かさんが、その昔に著した言葉。僕はこの言葉が大好きだ。語感の響きとその意味するところ、どちらをとってもこのフレーズに勝る言葉は、そうそうないのではないかと、個人的には考えている。変革と狂気、Revolution & Insanity。人々のあらゆる他者に対する闘争本能の無限なる発露。狂気は死の意味すら駆逐し、目に見える形での破壊のみならず、人々の意識へ介入し、捻り、潰し、歪める。そして変革は、その歪みに正当性を与え、新たな人類の行程とする。特に狂気は、動物的、原始的思考アルゴリズムであると、激しい避難を受けることもあるが、僕は変革とともに彼のことも愛おしく思ってさえいる。彼女は僕のこの愛情に気づいているはずだ。しかし、それを僕の前でお首にも出さないのは、彼女が彼女たる所以を物語っている一つの事例だろう。
 「確かにそれについて全否定することは私もできません。しかし、私達は野獣の類ではなく、狂気を克服せねばならないはずです。それができないのであれば、貴方は尚更存在する意味がない。」
 後半は些か熱を帯びた、速めの口調で言い終わったあと、彼女は僕を大きな瞳に映して、口を真一文字に結んだ。もうこれ以上は僕と話すつもりはない、という意志を僕に暗示しているつもりなのだろう。
 「どうカテゴライズするのかは個々人の自由だろうけど、少なくとも、動物と現在呼ばれている種のカテゴリから、人間は逃げられないだろうね。E.T.だってもっと地球に長く居たなら理解してるさ。君にとっては残念かもしれないけど。」
 僕は徐に立ち上がり、緩やかな丘陵を成す彼女の左胸を鷲掴む。流石に彼女も一瞬、目を見開き口元を歪め、一歩後退してたじろぐ。
 「君がこの胸に何を詰め込もうと大いに結構。夢や希望はもちろん、生理食塩水のパックだかシリコンだって構わない。だけど、僕らの行程はそんな詰物に左右されていたら、簡単にホワイトアウトだ。動物か否か、正義か否かの判断なんて、本来僕らはそこに必要となんかしていない。君の主張する、雑巾一枚ほどの価値もないような理論の下に生きるというなら、君を百人、千人、万人集合させたところで、存在しない方がマシだ。何より、君に対するプライオリティは僕が掌握している。こんな陳腐な議論は、君もだろうけど、僕ももう続けるつもりはない。ACS理論。僕らが神より賜った時間は、どうあがいても有限さ。僕らの本職に戻ろうじゃないか。」
 ようやく僕は彼女の左胸を解放する。いつの間にか彼女はいつもの彼女の姿に戻っていた。狡猾にも取れる怜悧さと、圧倒的な尊厳を全身に湛えて、僕の前に直立していた。眼光は僕を矢鱈滅多に射抜く。若干むず痒く感じるが、いつも通り気に止めるつもりは毛頭ない。しかし、と僕は彼女との議論で回転数を増加させた思考を、少し落ち着けて思う。僕は彼女に対してプライオリティを持つと口走ったが、果たしてそれは真理か。ACS理論のように真であることが証明されず、解決されえない問題として未来永劫残されていくのだろう。傍証になりそうなものは幾つかかろうじて持ち合わせているが、所詮それらは証明の一部の傍証に過ぎない。核心に迫る決定打を持たない僕は、彼女の前で大口叩いておきながら、屹立する敗北を乗り越えることが、不可能であることを無様にも認めねばならない。とりあえず、僕は彼女とのゲームに僅差ながら白星をスコアボードに書き留め続けることができている。いつか負ける時がくるのかしら、という朧げな不安の澱が心の底で肥大するのを感じながら、僕は新たな白星を書き足す。

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  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-11-20

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