黒い靴とモモコ

12月のトーキョー

 一年の、最後の一ヶ月、この街は週末ごとに買い物客を道いっぱいに集めておいて、なんともないふうに取り澄ましている。氷のような白灰色のアスファルトには塵ひとつないようにみえ、それを蹴って歩く人々も新しい服か、もしくはクリーニングから戻ってきたばかりの服を着ている。
 黒い靴はショーウィンドウの中、爪先立ちの姿勢を崩さずに静かにそこにあった。ブーツ、それからパーティー用のスティレットヒールがこの時期の主役。彼らと並んで、しかし黒い靴は静かに考え込んでいるようだった。ウィンドウを覗いてゆく顔は、みな寒さに頬を染め、たいていは二人組だ。
立ち止まり、じっと黒い靴に目を当てる女性がいる。黒いつやのある短い髪をしていて、頬は誰よりも赤い。鼻先までも染まっている。長いコートに、ジョッキーブーツを履いている。唇はマフラーに埋れてほとんど見えないが、目は何かを探している人らしい、落ち着きのない、しかし豊かな輝きを放っていた。
 イタリアの、年寄りの靴屋が作った黒い靴は革底で、冷たい地面ではすべってしまうかもしれない。しかし、黒い靴に足を入れてみたモモコの土踏まずと、黒い靴の内側にあるなめらかな曲線は、ぴったりと合わさったのだった。
 だから結局は、その日の夕方から黒い靴はトーキョーに暮らすモモコの靴になったのだった。
 モモコは小さくて古い商店街のある町に住んでいた。黒い靴の包みを提げて帰る途中、モモコは地下鉄でネズミを見た。いつもなら汚らしく感じるだけのネズミが、今夜はそういう気持ちにはならず、ちょっと立ち止まってふりかえったそのネズミが、まるで昔からの友人のように挨拶をしたふうにすら見えた。モモコは、自分の期限が良いことに気付いた。
 モモコの部屋は少し変わっていて、三角屋根の三階建ての家の、屋根裏のような部屋を借りている。テントを張ったような形をしていて、三角の部分はガラス窓になっていた。古い商店街には銭湯もあるので、小さなその部屋は持ち物の少ないモモコには十分な広さだった。モモコは三角の部屋に帰るなり黒い靴の包みを開いた。つま先は少し四角く、ヒールは低いが革の巻いてある、丁寧な作りのようだった。内側に何か印字されているが、イタリア語のようでモモコには読めない。柔らかく、革の良い香りがした。
 ちょっと履いてみて、鏡に姿を映していると、三角の窓に、こつりとぶつかる音がした。外は屋根だから、人は入れないはずだ。モモコはいぶかしく思いながら、そっとカーテンを細く開けた。何かが窓のすぐ下に落ちている。窓を開けてみると、それは大きな椎の実だった。二つ、笠のついたものが落ちている。動物が落としただろうか。近くには公園もある。何かが巣に持ち帰ろうとして、落としたのか。窓が曇るほど冷えた外気が清々しく感じられた。ふと思いついて、脱いだ靴の中に椎の実を入れた。黒い靴は怪訝な顔をしているように見えた。
 

黒い靴とモモコ

黒い靴とモモコ

年寄りの職人に作られた特別な「黒い靴」と、トーキョーに住むモモコが出会ってから、モモコが黒い靴を履いて出かけるたびに今までと違うことが起こり、会ったことのない人に出会うようになる。わからなかったことがわかってきて、知っていたはずの景色は変わってゆく。 ずっと住んでいる町で、旅人になった女の子の話。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-11-20

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