薄桜鬼(改想録≠メモワール) 藤堂平助編4

仄めく心

「蒼ーーー!!
支度できたかぁ?そろそろ行くぜーー!?」

旅日和の晴れた朝、千鶴の部屋の前で大声で呼ぶ。
しばらくして、ひどく慌てた様子の千鶴が部屋から出てきた。

「ご、ごめんなさい。ちょっと寝坊しちゃって。」

へへへ…と照れるように笑って、彼女は俺の横に来た。

「そいじゃ、行くか!!」

「うん!!」

夏の日差しが街道に陽炎をゆらめかせる。
道脇のこんもりとした繁みからは、蝉時雨が絶え間なく聞こえてくる。
風はなく、じりじりとまとわりつく空気は息をするのも煩わしいほどだ。
真夏の旅路はなかなか過酷だ。
ましてや、男より体力のない女は、もっとしんどいはずだ。
俺は、やや後ろを歩く千鶴を振り向いて声をかけた。

「蒼、大丈夫か?少し休むか?」

「う…ううん。大丈夫。
ごめんね、私歩くの遅くって…」

彼女は、額や鼻の頭にたくさん汗の粒を浮かべながら、肩で息をしている。

「…いや倒れられちゃ困るし、あそこの茶屋で休もうぜ。」

俺たちは茶屋の店先に腰かけて、水をもらう。

「…本当に暑いね。今日。」

「そうだなー。
朝と夕は、もちっと動きやすいんだけどな。なんなら、ちょっと日が傾いてから歩き出すか?」

「え、いいよそんな…
足引っ張らないようにするって約束したもの。」

千鶴は両手に持った茶碗なかの水を一気に飲み干すと、口元をぐいと拭った。

「うん。もう大丈夫。行こう!!平助くん!!」

と言って急に立ち上がる。

「蒼…お前さ…」

言いかけると、千鶴が遮る。

「あ、ふたりきりのときは、千鶴でいいよ?」

「あぁ…うん。
千鶴お前さー、なんか行き急いでるけど、別にのんびりしてたって平気なんだぜ?」

「そ、そうなの?
でも…早く行って早く戻らないとなのかなって…」

「どうせ早く戻ったって、新隊士をたくさん連れてこなかったら、また土方さん達に大目玉くらうだけだからなー。
向こうついたらとりあえず、俺達がもといた試衛館道場ってとこに置いてもらってー、
そっからつてで、他の道場を廻って隊士を募るつもりなんだ。」

「そうなんだ。試衛館…
私も一緒で平気かな?」

「ん?別に大丈夫じゃねぇかな。試衛館には、近藤さんの留守を守ってくれてる人がいてさ、親切な人だから事情を話せば滞在を許してくれると思う。」

「…そっか。」

なんだか妙に腑に落ちない様子の千鶴に尋ねてみる。

「なんか他に、急がなきゃなんねぇ理由とかあったっけか?」

すると彼女は、はっとした様子で俺の顔を見て、

「あ、ううん…なにもないよ。」

と否定して、また顔をそらした。


だいぶ陽が落ちてきたところで、最初の宿をとることにした。
だけど、いきなり予想していた良くない事態が起きた。

「えろうすんまへんなぁ…お兄ちゃん。
今日はどの部屋も一杯で…ひと部屋しか空いてへんのよー。」

そう、ちょっと出遅れてしまったのか、千鶴と俺、ひと部屋ずつ宿をとるのは難しい時間帯になってしまったらしい。
別々の宿なら、ひと部屋ずつ空いてないこともなかったんだけど、
さすがに俺の目の届かないところに千鶴を泊まらせるわけにもいかず、頭をかかえた。

「申し訳あらへんけど、ひとつの部屋をおふたりさんで使こてや!」

宿のおかみさんは、千鶴がまるきし男の子に見えるみたいで、さぁさぁと、なんの疑いもなしに俺たちを招き入れようとする。

俺が何も言えずにいると、千鶴が後ろから小声で耳打ちした。

「平助くん…
私、平気だから。もうここにしよう。」

「…で、でもよ…」

「もたもたしてると混んできて、他のお客さんと相部屋とかになっちゃうかもしれないでしょ?そしたらもっとまずいと思うの。」

と、申し訳なさそうに言う。

「……」

情けないけど、他にいい考えも思い付かなくって、結局千鶴の言う通りにした。

通された部屋は六畳間で、宿の人が気を使ってくれたのか、少し広めだった。それでも二人で部屋に入ると、急に千鶴との距離が近くなったように感じて、緊張した。
千鶴も、所在なさげに部屋の隅に黙って正座した。
…なんか息がつまる。

「ご…ごめんな千鶴。
俺が宿を探すのが遅ぇから…
やすむときは、俺、廊下に出るからよ。」

「えっ、そんな悪いよ!!」

俺は落ち着かず、部屋の奥に歩いていき、バタバタと大袈裟な音をたてながら障子窓を空けた。外はまだまだ明るいけど、東の空を見やると、うっすらと薄闇が覆い始めていた。

結局、俺達は同じ部屋で寝ることになった。
俺が廊下で寝ると言い張っても、千鶴は体が休まらないからと、頑として譲らなかった。彼女は、妙に頑ななところがあるらしい。
最後は俺が折れて、仕方がないのでせめて衝立(ついたて)を借りることにした。
借りるとき、おかみさんに一瞬不審な目を向けられた気もするが、気にしないことにする。

女の子と二人で旅に出るのだから、こうなることも、ある程度覚悟していたことなんだけど、いざ床について眠ろうとすると、緊張してしまってなかなか寝つけない。

衣擦(きぬず)れの音まで聞こえるほど近くに、千鶴がいる。
当然、何かしようなんてつもりはない。
千鶴は新選組の大事なお客様だし、今回、彼女のことは俺が信用されて任されている。
それに、今までだって近くで暮らしていたのだから、今さら意識するのもおかしいだろう。そう自分に言い聞かす。

眠れずにいることを知られたら、かなり格好つかないので、音をたてないよう注意しながら寝返りを打つ。
そして、固く目を閉じた。
そのうちに、昼間の疲れが滲み出てきたのか、徐々に眠たくなってきた。
よしよし、この調子で寝ちまおう…

「…平助くん、起きてる?」

突然に声をかけられて、心臓が口から飛び出そうになる。

「…ん、あ、あぁ。」

思わず胸を手で押さえた。

「あ…ごめん。起こしちゃった?」

衝立の向こうから、気づかう声が聞こえてくる。

「いや…起きてるよ。
どうかしたのか?」

「……」

「…千鶴?」

俺は仰向けに寝返りを打ち、目線だけを衝立の方へ向ける。
千鶴は、急に真剣な声音になって切り出した。

「…あのね、平助くん。
本当は黙っていようと思ったんだけど…」

「…?
なに?なんだよ急に…」

なにやら秘密の話が始まる予感に、ひとりでに胸がドキドキとする。
少し沈黙したあと、彼女は、意を決したように話し始めた。

「私ね、実はこのまえ聞いてしまったの。
その…私が見たものの正体と…父様のこと。」

その告白に、俺の心臓は、今度は別の意味で鼓動を乱す。

「夜中に目が覚めて、なんとなく広間に行ってみたら、明かりが灯っていて…
見たら、何人かの幹部の人達が、父様について話してたんだ。」

囁くようなその声は、土方さんに意見してたときと比べると、ずいぶんとちいさく頼りない。
私は聞いちゃいけないんだって、そう思ったんだけど、身体がその場から動けなかった、と千鶴は続けて言った。

「新選組のなかにもうひとつの新撰組があって、その人達はみんな血に狂った、人ではないもので…
それから、ある【薬】が関わってるって…しかも、その薬の研究は数年前から父様が任されていた。」

聞いた内容をとつとつと語りながら、彼女がそれらの情報を繋ぎあわせようとしているのが分かる。やがて、彼女は行き着いた答えを口にする。

「つまり、私があの夜出遭ったのは…あれは、父様がつくった薬を飲んで、血に狂ってしまった人達…なんだよね?」

「……」

俺は答えずに、彼女の次の言葉を待つ。

「父様は…私と江戸にいた頃、時々、お城に呼ばれて出かけてた。
それは知っていたの。
極秘でとても大事な仕事なんだって言って…
でも、まさかそんな薬の研究をしてたなんて…」

声が消え入るように途切れる。
…なんてことだ。
ちゃんと誰かに明かされるまえに、知っちまうなんて。
けど、それも当然かもしれない。ずっと幹部のすぐ近くで暮らしてきたんだ。秘密も、そういつまでも隠し続けられるもんじゃない。

「…千鶴。
そのことは俺以外には言うなよ。
俺も言わねぇし…
あれって新選組のすげぇ機密事項なんだ。お前に知られたってわかったら、やべぇし…
その…綱道さんのこと、は…」

なんて言っていいかわからずに口ごもる。

「…うん。それはわかってる。
平助くん…
私…土方さんに、父様を探しに江戸に戻りたいって言ったけど、本当は違うの。」

「…えっ?」

千鶴はそう言って起き上がると、衝立の横にいざってきて座り、ひょいと顔をだした。
夜着で髪をおろしている彼女は、本当に女の子にしか見えない。
背後の窓から差し込む月明かりが、その頬を青白く照らす。真っ黒な瞳は水鏡のように、光り揺らいで見える。

とても、とても静かな夜だ。
自分の胸の鼓動ばかりがやけに耳に届く。

「父様は本当に優しくて、ときに厳しくて…母様が死んでから今まで、男手ひとつで私を育ててくれた。」

「その父様が、どうしてそんな薬の研究をするようになったのか気になって…
自分の家のなかに、何か手がかりがないか調べに行こうと思ったんだ。」

俺は半身を起こして千鶴の顔を見た。

「それに…その薬を飲んだ人達の、血に狂ってしまうという性質…土方さん達はそれに頭を悩ませてるみたいで…
そのことがなければ多少は使える奴等なのにな、って話してたわ。
だから、それを抑える方法がないかってことも、父様の部屋で探してみようって思いついて。」

「千鶴。」

俺は彼女の先走りすぎている思考に歯止めしようと、口を開いた。

「お前は、あんまり首突っ込まない方がいいぜ。」

千鶴は顔をあげ、俺をまっすぐに見つめた。

「あいつらは【羅刹】って呼ばれてるんだ。
普通の人間より物凄く力が強いし、怪我の治りも早ぇ。まぁ、欠点として、昼間は動けねぇってのがあるけど、夜は明け方まで活動できる。
だから、土方さん達は使えるって言ってんだろうけど…」

俺はそこで一旦言葉を区切り、口にするか少し迷ったが、再び口を開く。

「ーー俺は、あれは失敗だと思う。
あの薬は、幕府の密命で研究をすすめてたものなんだ。血に狂わない強い【羅刹】を作り出すために。でも成功した羅刹はまだいないらしい。
…だから、今いる奴等、みんな失敗作なんだよ。」

「…羅刹…
…失敗…」

暗くてよく見えないけれど、千鶴は驚愕の表情を浮かべているようだ。

「だから、あんま深入りしない方がいいって。
危険な目に合うだけだと思う。」

俺はそう短く告げると、再びごろりと横になる。

「まぁ、気になる気持ちも分かるけどよ…。
俺はお前に危ない目に合ってほしくねぇから。
…たぶん、皆もそう思ってる。
だから、今までなにも言わなかったんだし?」

天井を見つめて、素直に言ってみる。
父親のことで、自分の家を調べたいという千鶴を止めるつもりはない。だけど本当に、あのことには触れ近づいてほしくなかった。

「…うん。そうだよね。ごめん。」

「あー…なぁ、もう寝ようぜ!
あれこれ話してても始まんねぇし!
綱道さんが見つかったら全部分かることじゃん?」

俺は、重たい空気を振り払うように、なるたけ明るい声を出した。

「うん。
ありがとね、平助くん。
あの話を聞いてから、なんだか胸がもやもやして…でも平助くんに話せて少しだけ楽になったよ。」

「お?そっかぁ?なら、よかった。」

寝転んだまま、逆さまに千鶴の顔を見上げる。

「うん…
平助くんがいてくれてよかった。」

「…えー?いや、そう言われっと、
て、照れるな、なんか!!」

「ほんとだよ!!最初はひとりで行こうと思ってたんだもの。」

「ま、あんまりひとりで考え込むなよ。」

「うん。
えーと…それじゃ、寝るね。
おやすみなさい。」

千鶴は微笑むと、再び衝立の向こうへ引っ込んだ。
俺は、天井を見つめたまま、しばらく考え事をする。そのうちに、かすかに寝息をたてる音が聞こえてきた。

千鶴には言わなかったことがある。
羅刹にさせられてしまう隊士の大半は、死に損なったやつ、病気になったやつ、そして、隊規を破ったやつ…
どいつもこいつも、やむを得ずそれを口にするのだ。俺達や綱道さんにとっては、ただの実験台だが、彼らにとっては死ぬか羅刹化かの二択だ。誰のためでもない、自分のためにそれを飲む。

そういうのって、どうなんだろうか。
利用されながら生かされ、最期は血に狂い、己が何者かも分からずに死ぬ、隊士達…
それを知りながら、実験と称して薬を飲ませ続ける新選組…
そんなのは、やる方もされる方も、仮にも武士として許されることなのだろうか。
俺達は、何のためにここにいるんだ。武士の真似事だと蔑まれながらも、真剣を振るい、自分の存在価値を世に知らしめるためじゃないのか。
決して、血に狂うためなんかじゃない。

こんなことを言ったら、きっと武士の風上にもおけぬと叱られるだろうけど、
俺は、新撰組のためでも、幕府のために生きているのでもない。自分のために生きている。
だから死ぬときも、最後まで自分を見失わずに死にたい。

もし俺が、どこかの藩の藩士で、親兄弟がいて、武士として主君に尽くすよう教え育てられたなら、そんな風には思わなかったかもしれない。
でも俺には、敬うべき主君も、倣(なら)うべき親兄弟もいない。ずっと俺自身のために強くなりたいと願ってきた。
だから、もしも薬を飲まざるを得ないことになっても、俺は羅刹にはならない。
生ける屍となってまで、誰かに利用されるなんてごめんだ。だったらそのまま死んだ方がましだ。

そう、強く心に決めて瞼を閉じた。
愚かにも、我ながら誇り高い考えだと少し自惚れながら。

だけど翌朝、強い陽の光で目が覚めたときには、自分がそんな風に思ったことは忘れかけていた。

眠る間際に考えたことなんか、所詮そんなものかもしれないけど、考えが甘かったことは認めようと思う。
そう遠くないうちに、俺は痛いほど思い知るのだ。
本当は、自分のためになど、生きられないのだということを。…そして、俺は自らが思うほど強くはないのだということを。

薄桜鬼(改想録≠メモワール) 藤堂平助編4

薄桜鬼(改想録≠メモワール) 藤堂平助編4

乙女ゲームの薄桜鬼にインスピレーションを得て書いた、二次創作小説藤堂平助編その4。江戸まで二人旅する平助と千鶴。行方不明の父…新選組と羅刹…ふたりがそれぞれに抱く思いとは…

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 冒険
  • 時代・歴史
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-11-19

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