春に芽吹く
私はあなたのことを知らない。話したこともなければ、会ったことすらないはずだもの。私はあなたの名前さえ知らないのに、どうしてあなたは私のことを懐かしむの。どうして、芽衣と呼ぶの。解からないわ。ねえ、教えて。あなたは私にとってどんな人だったの。
序章 猩々緋に染まる若苗
【18XX.11.19】
わけのわからない男がわけのわからない手紙を持ってきた。見たこともない紙に、見たこともない墨と、見たこともない筆を使って器用に書かれた、小さな小さな俺の字。でも俺はこんなもの知らない。気になるのは、彼女のことが事細かに書かれていたことと、消印が20XX年だったこと。じゃあ、なに。これは未来から届いたっていうの。一体どうやって、どうして、真か偽か、あの男の正体は、疑問はあふれるばかりだ。ただひとつ解かることは、差出人は俺で、俺と彼女はもういない。手紙によると俺は彼女より早くにこの世を去る。そして、俺の死を悼む彼女が俺の絵を描く。手紙を書いた俺はその絵から抜け出し、彼女を何百年と見守ってきた。そして、俺に託した。未来が変わることを。・・・はっ。思わず笑ってしまった。何を考えているんだ、俺は。まさかこんな奇天烈な話を信じているのか。冗談じゃない。きっと、あのわけのわからない男の悪戯に決まっている。第一俺が死ぬって?彼女を遺して?馬鹿げている。そんなわけないだろう。俺は彼女を泣かせはするが、悲しい顔なんてさせたことはないんだから。
【18XX.11.26】
全身から血があふれた。ついさっきまで俺は団子屋にいた。今はただ、止めどなく流れる命に為すすべもなくただ地面に横たわっていた。上野で用事を済ませ帰宅している途中で、俺は彼女の好きそうな団子を見つけた。普段なら気にも止めないで家路につくところであったが、あの時は買って行ってやろうと思った。きっと彼女は大喜びで食べるだろう。夕餉のことなんて気にもしないで一瞬で食べてしまうだろう。・・・。なんとも彼女らしい。両頬に団子を溜め込んで、幸せそうに笑うのだろう。そんな彼女の顔を見て、家主も、そこに通う女中も、俺も、ひと時の安らぎを得るのだ。本当に、不思議なやつだ。突然家主が連れ帰ってきたと思ったら、あっという間にあの家になくてはならない存在になった。昔からそこにいたかのように、するりと輪の中に入り込んで、挙句心の中にまでいとも簡単に入り込んでしまったのだから、やっかいだ。ああ、最近は目が霞みがちだったが、今は彼女の顔がはっきりと見える。そろそろさっきの痛みも引いてきたし、家に帰ろうか。早く彼女に団子を食べさせて、見返りに愛らしい笑顔を見せてもらおう。勿論、俺だけのために。
【18XX.11.27】
最後に交わした言葉は何だったっけ。それさえも思い出せないくらい、私は彼との思い出を無駄にしていたのかな。昨日、この家の家主が血相を変えて飛び込んできた。今まで一度だって見たことがない慌てようだった。彼曰く、この家の下宿人で、書生の彼が事故にあったらしい。またまたあ、冗談にしたって、ひどすぎますよ。本当に、いくら私が騙されやすいからって、流石にそんな嘘には騙されませんよ。絶対に、絶対に。ねえ、嘘ですよね。あなたがいなくなったら、私は明治の世に残されたままどうやって生きていけばいいの。もう、現代に帰らない、帰れないというのに。こんなところに私を一人置いて逝かないで。お願いだから、ただいまって帰ってきて。私、いつもみたいにご飯作って待ってるんだよ。今日の夕餉は特別美味しく出来たんだから。だから、早く帰ってきてよお。一人にしないで。ずっと一緒にいるって言ったじゃない。そう約束したじゃない。もうわがまま言わないから、牛肉食べたいとかくだらないこと言って呆れさせたりしないから、意地悪でもかまわないから、大好きだから、だから私を置いていかないで。
第一章 濡羽に浮かぶ海老茶
【18XX.12.27】
彼はこの1ヶ月帰っていない。私は今日も、待っているというのに。会いたいなあ。彼は道草を食うような人ではないのに。ああ、また描きたいものでも見つけたのかな。黒猫や伊勢海老や、彼の創作意欲を引き出すものはよく分からない。そういえば、一度だけ私も描いてもらったことがあったなあ。随分と昔のことみたい。懐かしいなあ。また、目をキラキラさせたあの顔を見たい。普段のクールな姿からは想像もできないようなあの彼を、瞳を輝かせてはしゃぐ無邪気な彼を、家主の言う「対象を口説く」という言葉がピッタリ当てはまる、あの楽しそうな彼を、もう一度見たい。会いたい。話をして、見つめ合って、笑い合いたい。手をつないで、隣に立って、同じものを見て、きれいだねって言って、肩を寄せ合って、そうやっていくつも季節を共に過ごして、年をとっていく。そんな一生を願っていたのに。上野まで会いに行こうかな。彼を、迎えに行こうかな。そうだ、どうして気付かなかったんだろう。帰ってこないなら、心配なら、探しに行けばいいじゃない。なんで気付かなかったんだろう。そうと決まれば今すぐにでも行かなければ。ああ、早く会いたいなあ。
【18XX.12.28】
昨夜は本当に驚いた。真夜中に彼女の部屋でなにやら物音がしたのだ。不審に思った僕は彼女の部屋をノックしたのだよ。すると、中から彼女が出てきて僕に向かって言うではないか。「今から、彼を探しに行ってきますね。遅くならないうちに帰りますから、心配しないでください。」医者である僕は、彼女の異変を前々から察知してはいたものの、こうも突飛な言動をされてしまうと、どうにも手の施しようがないのだ。原因はただ一つ、彼の死だ。1ヶ月ほど前、彼は馬車に轢かれこの世を去った。彼の妻である彼女はこの受け入れがたい事実に対応できなかったのだろう。涙を流すことなく部屋に閉じこもり、翌朝にはいつも通り(いや、正確にはもうあの時点で彼女の精神は崩壊していたのだが)朝餉を作り、食事を共にして、僕を見送った。あれから1ヶ月、彼女は以前と変わらなかった。振る舞いも、言動も。たまに彼の話題を振ってみるものの、彼女はただ、「遅いですねえ」と言うばかりで、他には何も言わなかった。そして、昨夜だ。突然、探しに行くと言い出したものだから、僕は悟った。彼女は、彼が死んだことに気づいていないのだ。
【18XX.12.30】
年の瀬も近い今日、下宿人であるあの子にお使いを頼みました。ちょうどお醤油を切らしてしまいまして、でも手が離せないものでしたから、お手すきのあの子に買ってきて下さらないかとお願いをしましたの。最近では以前のような気味の悪い笑顔も減りましたし、楽しいお話もまたするようになりましたから私も何も考えずにお使いを頼みましたの。それが、いけなかったのでしょう。すっかり忘れていたのです。あの子はずっと外に出たがっていたのだということを。つい先日の夜、旦那様に外出を禁じられて以来、ずっと私たちの隙を狙っていたということを。そして、お使いを口実にまんまと外に出てしまいました。以前のこともありますが、朧の時には物の怪も出ますし、何より人さらいに会っては一大事です。慌てて私は旦那様にこのことを告げ、あの子を探しに行こうとしました。すると、門の所にお醤油の瓶がひっそり置いてありました。一瞬見えたあの子の姿はすぐに闇に飲まれて見えなくなってしまいました。ああ、僅かに残された以前のあの子ごと、置いて行ってしまったのですね。お使いありがとうございます。どうか、お元気で。
第二章 輪廻する若苗と無知な少女
【19XX.3.28】
桜がきれいに咲いてきましたよ。ねえ貴方、そろそろお花見の時期ではございませんか。柔らかな日差しと心地よい昼下がりですもの。縁側で少しお花見でもなさいませんか。えっ、単にお菓子が食べたいだけではないかって、ひどいではありませんか。ま・・・まあそれもないわけではないですが、でも、本当にお庭の桜も見事に色付きましてよ。まあ、貴方はどれだけ私をからかうのです。私はお菓子よりも牛肉の方が好きなのは事実ですが、だからといってお花見のお茶請けまで牛肉にしたりはいたしませんよ。それくらいの情緒は私も備え持っています。もう、いくら貴方でも怒りますよ。・・・ふふ、そこまで言うなら仕方ありませんね。では今度は本当に牛肉を食べに行きましょう。それで、許して差し上げます。いいえ、私は貴方と食べたいのです。ですから、必ず二人で行きましょうね。さて、私は今からお茶の準備を致しますから、桜吹雪でも眺めながらゆったりとしたひと時でも過ごしましょうよ。ええ、それがいいですよ。お茶請けのお菓子は確か戸棚にありましたよ。先に準備していますから、お仕事が一段落したら来てくださいね。
【19XX.同日】
彼女は、人ならざるもの、つまり、物の怪を見る目を持っている。私が生まれる時代のもっともっと以前の時代では、皆が「そう」であった。しかし、時代を経るごとに彼女のような存在は稀になり、畏怖と敬遠の対象になっていった。でも彼女は自分が特別な存在であることに気づいていない。自分が物の怪をみていることに、気づいていないのだ。その声を聞くことも、その姿を見ることも、その温もりに触れることも、全て彼女にとっては当たり前のことで、誰が人で、誰が人でないのかなんて、きっと考えたこともないのだろう。私には見えないが、おそらく彼女はたいそう物の怪に好かれているのだろう。彼女の1番近くにいる私でさえ、彼女が物の怪と交わっている場面を数える程しか見たことがない。物の怪と交わっている場面など、見えない者からしてみれば奇妙でしかない。一人で話し、笑い、怒り、泣く様は端から見れば奇妙を通り越して気が狂ったのかと勘違いしてしまうほどである。物の怪たちはおそらく彼女を愛しているがゆえに、彼女を畏怖と敬遠から守るために、そのような行動に出たのだろう。そして愛しているがゆえに、彼女は気づけなかったのだろう。
【19XX.3.29】
彼女と目があった。ような気がした。俺の気のせいか。いや、でも確かに彼女は俺を見て、笑いかけた。何年ぶりだろう。彼女が俺に笑いかけたのは、俺のためだけに笑ってくれたのは。俺は、妙に気恥ずかしくなって逃げ出した。同時に、高揚した。彼女は俺が見えるかも知れない。俺と話してくれるかもしれない。俺と笑って、怒って、泣いて、過ごしてくれるかもしれない。あの頃のように。・・・はっ。そんなわけあるか。今の彼女には夫がいて、相変わらずぼんやりと幸せそうに送る人生がある。俺のことを知っている保証もない。なにせ彼女はうっかり記憶を落としてしまうやつだから。・・・彼女と彼女を重ねるわけではないが、つい彼女の面影を探してしまう。似ているどころじゃないんだ。彼女は間違いなく彼女の生まれ変わりだ。ねえ、もし俺が君の前に現れたら、君は俺を俺として見てくれるの。俺が君を愛しているように、君も俺のことを愛してくれるの。俺が君を求めていたように、君も俺のことを求めてくれるの。ねえ、どうなの。俺は今でもこんなに君のこと愛してるのに。勝手に忘れて、生まれ変わって、ホント、君ってやつは。
第三章 交差、並行、ねじれ。
【19XX.4.1】
先日、軒先に立っていらした少年を、また見かけましたの。先日は目が合ったと思ったら逃げ出してしまわれたので、声をかけることすらできませんで、大変残念に思っていたところなのです。せっかくですから、今日こそはお誘いしましょう。何を食べるにしても、人は多い方が賑やかで楽しいのです。ねえ、そこのあなた。・・・そう、あなたですよ。あなた、つい先日もうちの桜を眺めていたでしょう。そんな遠慮していないでこっちに来て一緒に眺めたらいいではないですか。あっ、待っていてください。今お茶とお菓子もってきますからね。確か、おいしいお饅頭が、戸棚に、、、あっありました。どうです、一緒に食べましょうよ。ふふふ。って、ええと・・・。白米も、、、ですか。え・・・ええ、かまいませんよ。お腹がすいているのですね。・・・・・・お待たせしました。白米と、煎茶と、お饅頭ですよ。たんと召し上がってくださいな。って、、、えええええ。何をされているのですか。いえ、どのように召し上がっていただいてもかまいませんが。初めてですよ、そんな風に白米の上にお饅頭を乗せて、煎茶をかけて召し上がる方。美味しいのですか。・・・。
【19XX.同日】
どうしても、どうしても会いたかった。声をかけられて、反射的に返事をした。え、俺のこと。なんとも間の抜けた返事だ。えっちょっと待って。いや、遠慮とかそういうのじゃなくて、って聞いてないし。いやいや別に饅頭とかどうでもいいし。食べましょうよって・・・はあ。なんなの君って。そんなに嬉しそうに笑うなよ。そういう顔されると俺が断れないってわかっててやってんの。もしかして君、俺のこと覚えてるの。・・・白米もちょうだいよ。そんなこと有り得ないのに、つい昔みたいに饅頭と聞いてあの食べ物を思い出した。とてもじゃないがあの人の味覚は未だに理解できない。別に空腹なわけじゃないよ、君じゃないんだから。台所に行った君を待ちながらあの日々を思い出す。ただただ楽しかった日々。君がいて、あの人がいて、みんながいた日々。もしもあの日々に続きがあったら、どんな物語ができただろう。もう、叶いはしない。昔々の思い出。白米と饅頭と煎茶が目の前に出された。俺は、勝手にあの日の続きを演じる。目を丸くする君を余所に、ひたすらあの頃のように君と俺とであの茶漬けを眺める。君、何言ってるのさ。これが美味しいなんて、あるわけ無いだろ。
【19XX.4.8】
彼は不思議な少年です。先日はなんとも言えない食べ物を作り出したかと思えば、それを美味しくないと言いながらぺろりとたいらげてしまわれて、他愛もない話でもと思ったのですが私がお皿を台所へ片付けに行ったすきに帰ってしまわれて。その後も現れたかと思えばいつの間にかいなくなってしまうのです。家を尋ねても、曖昧にしてはぐらかしてしまわれる。今日はそんな彼に言いたいことが・・・って、いらっしゃい。今日もいらしてくださったのですね。たまたま通りがかっただけって、毎日ですか。ふふ、じゃあそういうことにしておきますね。あっ、そうですそうです。あなたに言いたいことがあるのです。あなたはいつも私が知らない間に帰ってしまってひどいです。ちょっと目を離したすきに帰ってしまうものですから、私はおちおち目も離せませんよ。良くないですよ、あなたはもう私の大切な友人なのですから。どうして突然いなくなってしまうのですか。あなたが突然いなくなってしまったら、私は不安ですし、寂しいです。悲しいです。ですから、どうかお願いです。勝手にいなくならないでください。次に会う約束もないままにいなくならないでください。
第四章 そして少女は旅に出る
【19XX.5.15】
突然いなくならないでくださいと言ったのに、あれ以来彼は来なくなってしまいました。最後に彼が見せた泣きそうな顔を思い出すだけで、私は胸がとても苦しいのです。ねえ、どうしてあんなに苦しそうに笑ったのですか。私はあなたの苦しさの理由を知りたいです。今すぐにでもあなたを探し出して、理由を問うて、取り除きたいです。私は、あなたに楽しそうに、幸せそうに笑って欲しいのです。あなたは本当に不思議な人です。私は、あなたが笑うとうれしい。あなたが泣くと痛い。あなたがいると暖かい。あなたがいないと何も感じられない。こんなに世界が空虚だったなんて思いませんでした。全てに感動してはしゃいでいた私は、あなたに拐かされてしまったのですね。ふふ、やっぱりあなたは物の怪だったんですね。本当はずっと前から知っていました。私が魂依だということを。でも、周りの物の怪や夫が隠したがっているから、周囲に知られないように守ってくれるから、知らないふりをしていただけなんです。あなた、ごめんなさい。私は物の怪に恋情の念を抱きました。狂っていてもいい。今までのあなた方の苦労を水泡に帰しても、彼に会いたいのです。
【19XX.5.16】
一ヶ月前からだろうか。彼女の様子がおかしいと思った。昼間に急にお客が来たと言い出したが、私に来客の予定はなかった。彼女の旧友かとも思い、帰るまでそっとしておいてやったが、誰が訪ねてきたのかと問うても反応が悪い。名も知らぬ客はそれから頻繁に来るようになったらしく、彼女は毎日饅頭と煎茶、白米を用意して待っていた。あまりにも頻繁に来るものだから、一度顔を見てやろうと思ったが、彼女があまりにも楽しそうに会話をしているので邪魔しては悪いと思い、こっそり彼女とその客がいる縁側を覗いてみることにした。私は驚愕した。誰もいないのだ。柱の影で見えぬのではない。そこには、彼女しかいないのだ。誰もいない空に向かって彼女は笑い、茶を差し出しているのだ。彼女は魂依だ。そこに物の怪がいるとしても、実際に見えぬものの存在を知らしめられるのはなんとも言えず、気味が悪かった。そして、昨日。彼女はその物の怪を探しに行くと言い、信じられないような力で私を振り切っていこうとした。何が起きたのか私には理解できなかった。彼女はどうしてしまったというのか。
【19XX.5.19】
鏡台の前に立った。そして、力いっぱいそれを叩き割った。キラキラと、月の光に照らされながら破片が舞う。ああ、なんて綺麗なのだろう。私はその細かく砕けた破片の一つを手に取ると、瞼をめくりあげて白い眼球に収めた。ぷつっと弾ける音がする。涙で滑る手を拭って、もう一度瞼をめくりあげる。もうすぐ、彼のもとへ行ける。ひとつ、またひとつ、破片を眼球に収める。右目に収まらなくなったら、左目に。だって、何も感じられないなら、いらないじゃない。目も、耳も、鼻も、口も、手も、足も、命さえ、私にはもう必要ない。彼は物の怪だから、きっと空の向こうにいるはず。私もそこへ行きたいの。でも、空は遠いわ。だから、必要ないものは全部置いていくの。体が軽くないと、お空から落っこちてしまうもの。私は彼への思いだけ持っていればそれでいいの。他には何もいらないわ。ひとまず、目は潰した。次は、鼻と耳を削ぐ。その次は口を裂く。足を切り落とす。腸を掻き出す。脳みそをきれいにこそげ落とす。骨も抜かなきゃ。ああ、軽くなってきた。もうすぐ彼のもとへ行ける。私、あなたのことが好きよ。
第五章 始まりのための終わりの始まり
【20XX.3.5】
今日、雪降るかなあ。寒いの嫌だなあ。朝起きるの辛いし、スカートだから足が冷えちゃう。三月になったのに、春はまったく来そうにない。寒いなあ。登校するときに通った公園にはまだ霜が降りてたなあ。あっ、おはよう。今日も寒いね。今日の宿題・・・数学のプリントだっけ。私もあれ、わかんなかったから学校着いたら見せてよ。英語の訳は途中までやったけど、うん、一緒だー。私もここら辺から意味分かんなくなっちゃったからやってない。ねね、後で一緒にやろうね。・・・テレビ。昨日は・・・見たよ。うん、あれ面白かったねー。ねー、新しくお笑いコンビで出てたのって名前なんだっけ。・・・そうそう、あれ面白かったー。えっ、微妙・・・確かに、他のに比べると微妙だったかも。・・・そうだね、ドラマもやってたね。うんうん、まさかあそこで元カレが出てくるとは思わなかった。意外な展開だったよね。今日の帰り・・・大丈夫だよ。予定ないから、一緒に買い物行こう。どこに行くの。そういえば新しくケーキ屋さんできたって言ってたね。うん、私も行きたいと思ってたの。一緒に行こっか。あっ、おはよう。今日も寒いね。今日の宿題・・・・・・・・・
【20XX.3.8】
彼女を何十年ぶりに見たかな。生まれ変わっても何も変わっていない。相変わらず明るくて、肉が好きで、物の怪が視える。ただ、今回の彼女は、自分でそれを隠している。きっと幼い頃に気味悪がられたから。今回の彼女は、自分で生きる術を見つけた。俺は影から見守る。それだけでいい。変に関わって、彼女を苦しめるくらいなら、見てるだけでいい。彼女と会ってからもう百年ほど経つのか。長かった。いろんなことがあった。ねえ、君は最初からこうなることを分かっていたわけ。俺が、手紙を信じなことも、百年先まで成仏できずにいることも、彼女が死ぬところを何度も見ることも。いったい今までに何度、このやり取りを繰り返したの。君はなんのために彼女をあの時代へ連れて行くの。幸せにしたいなら、このままこの時代で暮らせばいいじゃないか。・・・はっ、前回はその選択をしたって。それで、どうなったの。・・・いや、どうせロクなことにはならないんだろう。わかった。今度の満月の日に俺は彼女の前に姿を現し、全てを話す。知ってるよ。でも彼女の心に何か残るかもしれない。そして、あの時代に送り出そう。
【20XX.同日】
今回も、バッドエンドだったねえ。いやいや、人生にはいろんな選択肢がある。いつもハッピーエンドにいけるとは限らないし、そもそも何がハッピーエンドなのかも定かではないじゃないか。ん、なんだい。いやだなあ。最初から結末がわかるなんてあるわけないだろう。確かに、あの時代の君は君だ。しかし、どうすれば信じてもらえるか、毎回手紙の内容は違うんだ。だから、結末は僕にだってわからないさ。僕が彼女をあの時代に送り続ける理由・・・それは君だってわかっているはずだよ。彼女を幸せにするためだ。ははは、ごもっともだ。しかし、このまま生きているからって幸せになるとは限らない。それに、前回の君はそれをしたじゃないか。その結果、僕が現代まで戻って彼女をあの時代に送ることになったんだ。きっと今も百年先で後悔しているはずだよ。詳しく聞くかい。はは。彼女に全てを話してどうするんだい。彼女はこの時代に記憶を全て置いていってしまうと、君も知っているだろう。・・・ふうん。まあ、どっちにしろ、今度の満月の夜、彼女をあの時代に送ればいいんだね。今度こそ、幸せになると信じているよ。
第六章 幸せにするために私は行くよ
【20XX.3.15】
さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。松旭斎天一の奇術ショーが始まるよ。・・・今から彼女は僕の奇術ショーによって明治時代に送られる。正直、僕の力では今回が最後のチャンスになりそうだ。これが失敗したらもう二度とやり直せない。彼女も、彼も、幸せになれない。だから、今回はどうか成功してほしい。僕だってずっと彼女を見守ってきた。さあ、そこの可愛いお嬢さん。僕のマジックを手伝ってはくれないかい。君はもう、彼から全てを聞いたはずだ。自分がこれからどうなるのかも、どんな運命を辿るのかも。お嬢さんは、この箱に入って目を瞑るだけでいい。っと、その前に何か言い残したことはないかい?どうして、彼の言うとおりにしたんだい。彼の言うとおり、悲惨な結末になるかもしれないのに。さあ、この可哀想なお嬢さんの運命やいかに。じゃあ、気をつけて行くんだよ。3。でもやっぱり幸せになってほしい。今度こそ、ハッピーエンドがいい。2。大丈夫って、やっぱり心配だなあ。君はいつも心配しないでって言うから。1。でも、僕は信じるよ。今度こそ、幸せになるんだよ。そして、僕は指を鳴らした。
【20XX.3.15】
今日は彼女が明治時代へ送られる日。俺は勇気を出して、彼女の名前を叫ぶ。芽衣。芽衣、よく聞いて、君は今から明治時代に行く。そしてそこで俺と出会うんだ。俺は芽衣のことがすごく好きだ。芽衣も、俺のことを好きになってくれた。でも、俺は芽衣を置いて死んでしまう。本当にごめん。さみしい思いをさせてごめん。置いていってごめん。ごめん、ごめん、ごめん。って、くしゃみ。何、寒いなら早くそう言って。しょうがないな。いいから、芽衣はそれをつけていればいいんだよ。俺は明治時代で芽衣を待ってるから。明治時代まで、返しに来て。じゃあ、元気で。・・・あとは奇術師のショーとやらで彼女を送るだけだ。これで、本当にお別れなんだな。箱に入ろうとする彼女と、目が合ったような気がした。いつかも、遠くで彼女を見ていたら彼女と目があったことあったな。絶対に、幸せになって。そんな不安な顔、しないでよ。今度こそ、ちゃんと幸せにするから。だから、笑ってよ。明治時代にいる俺が、幸せにするから。俺の全てをかけて、願うから。幸せになってよ。さあ、いってらっしゃい。
【20XX.3.15】
その日は真っ赤な月が煌々と夜空を照らしていた。・・・何だか、気味悪い。・・・えっ・・・と・・・あの、誰ですか。・・・何を言っているのか理解できない。私とあなたが出会う?明治時代で?何がなんだかわからない。なんでこの人はこんなに必死なの?どうして私のことを知っているの?なんで、こんなに泣きそうなの?あの、落ち着いてくださ・・・っくしゅ。・・・って、何してるんですか。そのマフラー、あなたのじゃないですか。私に貸したらあなたが寒くなっちゃいます。いいですよ。もう家に帰りますし、次にいつ会えるかわからないですし。・・・いいからって。わかりました。明治時代で、必ず返しますね。私は、これから明治時代に行く。本当か嘘かはわからないけど、彼が必死だったから、信じてみることにした。目の前の奇術師が問う。言い残したこと?たくさんあるよ。突然、みんなと別れるんだもの。でも、ついさっき会ったばかりの彼にもう一度言っておこう。彼は・・・いた。不安だし、怖い。でも私は彼に向かって叫んだ。私、今からあなたに会いに行くよ。幸せになるためじゃない。あなたを幸せにするために行くの。
末章 春に芽吹く
【18XX.3.15】
彼女を明治時代に送った。これがおそらく最後のチャンスだ。現代で彼と約束したとおり、今回僕は彼女にいっさい干渉しない。日比谷公園で目覚めてから、何もしていない。それでもなんとかなるもので、一応まだ、生きている。いや、けっこういい暮らしをしている。でも、まだ彼とは出会っていない。
【18XX.4.10】
そろそろ一ヶ月経つ。彼女はまだ何も思い出していない。そもそも、未来から来たことさえも忘れてしまっている。これが、彼の望んだことなのか?いや、どんな結末になったとしても、僕も彼も受け入れる覚悟は出来ている。僕はただ、見守るだけだ。
【18XX.5.16】
二ヶ月経った。何も変化はない。
【18XX.6.13】
三ヶ月経った。何も変化はない。
【18XX.7.23】
四ヶ月経った。何も変化はない。
【18XX.12.10】
もう何年経ったかわからない。彼女はもうすぐ嫁ぐ。相手はわからない。
【18XX.1.21】
彼女が嫁ぐ日。相手は・・・相手は、君だ。驚いた。本当に出会ってしまうなんて。
【19XX.10.23】
結婚生活は何事もなく平凡としている。
【19XX.9.16】
彼がなくなった。僕は彼女に尋ねに行った。やあ、僕はチャーリー。この際僕が何者かなんてどうでもいい。君に聞きたいことがあるんだ。君は、彼と一緒に過ごして、幸せだったかい。彼を、幸せにしてあげられたかい。・・・教えてくれ。君の返事を待っている人がいるんだ。祈るように彼女をみると、彼女は笑っていた。笑って、幸せと、一言。それから、僕に会いたかったと。何が起きているのかまったく理解できなかった。彼女は、僕を知っているのか。なぜだ。今回はまったく干渉していない。思い出すことなんてありえない。
【18XX.1.21】
ずっと、心に引っかかるものがあった。私には記憶がない。何か、大切な何かを忘れている。正直、顔も知らないような人と結婚するのも気が重い。でも、顔を見た瞬間に、いろいろな映像が浮かんだ。何・・・これ。彼と出会った日、会話をしている時の楽しさ、絵を描いてもらっている瞬間のドキドキしている気持ち、彼が死んでしまった悲しさ、信じたくなくて探しに行った日の寂しさ、再び出会えた喜び、突然いなくなってしまった痛み、幸せにすると言って入った箱の暗さ、忘れていた何もかもが一気に蘇った。ああ、私はなんてたくさんのものを忘れていたのだろう。彼を幸せにするために現代から明治時代に来たというのに。随分と遅くなってしまってごめんなさい。私は、あなたを幸せにするために生きてきたんだよ。
【19XX.9.16】
今日彼がなくなった。でも、不思議と悲しくはない。もともと、知っていたからかもしれない。彼が若くしてなくなることを。ふと、呼ばれ顔を上げると、チャーリーさんがいた。私に聞きたいこと?私が幸せだったかって?そんなこと迷いなく言えるよ。幸せ。それから、会いたかったよ、チャーリーさん。私をこの時代に連れてきてくれてありがとう。あなたのおかげで私は彼を幸せにすることができたし、私も幸せになれた。今までずっと見守ってくれてありがとう。もう、未来の私をここに連れてこなくていいんだよ。きっとこの先、何度でも彼と会って、幸せになれる。ありがとう。本当に、ありがとう。
【20XX.3.15】
僕は一人で現代に帰ってきた。彼に、結末を伝えるためだ。やあ、元気だったかい。彼女は・・・。それを聞くと彼はふっと笑って空に消えてった。
春に芽吹く
めいこいをもとにしたお話。題名のとおり、春草さんと芽衣ちゃんのお話です。なんとなく時系列追ったつもりだったけど、1900年代はもはやはぁ~?みたいになってしまって。最終的には上手くまとめられず、とりあえず完結させることを目標にしてみた。ひとまず、完結です。これから修正していきまずが、最後まで読んで下さってありがとうございます。