鑑賞記録-映画「マンダレイ」より


2005年、ラース・フォン・トリアー監督。
トリアー監督による時代論の結晶。その時代・共同体にはその時代・共同体のルールがある。“救済”を掲げれば響きはよいが、たとえ自由を享受することに慣れきった支配階級が、束縛を続けられている奴隷たちのあり様をみて同情心を抱こうとも、簡単には手を出さぬことだ。我々と彼らとでは、そもそもの感覚的な価値基準が違いすぎる。「善き行い」も受け手に対する十分な想像力と配慮がなければ、事態をただただ悪化させるだけのおせっかいに過ぎないのだから。
劇中、元奴隷たちの中で一番の年長者がいう。「アメリカには黒人を受け入れる準備がない。過去70年前から今も、そしてそれは100年後も変わらないだろう。だからこそ我々は、過去の取り決めのうちに生きることを決めた」。自由とは解放を意味するが、人間とはそもそも共同体的役割を担わなければ、非常に生きにくい動物なのである。自由であるがゆえ、明日の生命までも「自己責任」で身を納得させなければならない世の中。しかし厳密にいえば、「使われること」を常として何世代も生き抜いてきた元奴隷たちにしてみれば、その習慣を突然に取り除かれ、支配階級がいう自由の海原へ放り出される方が、よっぽど万死に値する。だからといって、もちろん古い習慣をただなぞり続けるだけが良いとは言わない。悪しき習慣を是正してこそ、皆に誠実な明るい社会が築かれるというもの。重要なのは、移行期にあらゆる問題に対しての解決策を設けることだ。それもなしに権力に任せた気紛れな正義感を振りかざそうものなら、主人公グレースのように必ずやしっぺ返しを喰らうこととなるだろう。
本作はナレーションによってこう締めくくられる。「アメリカは手を差しのべた。極めてひっそりと。だが、その手を握ろうとしない者は自らを責め続けるしか道はない」。万人に幸福な世界の建国は、なかなか容易ではない。

鑑賞記録-映画「マンダレイ」より

鑑賞記録-映画「マンダレイ」より

「2005年、ラース・フォン・トリアー監督。トリアー監督による時代論の結晶。 ……」

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-11-19

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