賭博場の女神と死神
アレクサンダー・ニースが勝負事に滅法強く、そして脆弱だということをウォルターは嫌というほどよく知っていた。勢いばかり良く、挑発を全て買い、直感に頼り、気に入らなくなれば暴力に頼る。彼を友人とする限り、一生のうちであと三十回は、彼でなく自分が人に頭を下げることになるだろうとウォルターは覚悟していた。それでいいと思っていた。
思っていたが。
「コントラクトブリッジで、掛け金は五千ポンド。ペア戦だ」
五千ポンド。ウエストエンドの賭場では珍しくない金額かもしれないが、ウォルターの住むウェールズの片田舎では大金だ。ウォルターはあからさまにアレックスに冷たい視線を送ると、それを受け取った者は唾を飲み込んだ。当然ウォルターからアレックスに言いたいことはいくらでもあったが、叱られる前の犬のような様を見ては彼の怒りも失せて、ため息を吐くだけにしておいた。
「へえ、そう。誰とやるの?」
「ルシオとジョーイ」
すなわち、博打王とウォルターの兄であった。
「で、俺のパートナーにお前を推薦しておいた」
「ま、待ってよ、君とじゃ勝てない!」
「失礼な奴だな。お前だってジョーイに積もり積もった恨みを晴らす良いチャンスだろ」
「晴らすなら博打はしない。彼の家を抵当に入れるか結婚を挫くだけで充分だ」
「ルシオとジョーイの汚いやり方に勝つにはお前の力がいるよ、頼むよ」
だいたい、ジョーイは兄といっても十歳以上歳が離れているし、人生の半分ほどしか一緒に生活しなかったのだから、弟が作戦を立てたからと言って勝算が高くなるわけではないのだ。
「俺が負けて消費者金融に手を出すのは嫌だろ。それともこの家の広間に掛かってる飾り時計くれるか」
「アレックス、僕は教師だ、小学校の!ウエストエンドで博打通いしてるとこんな小さな町で噂でも立てられてみろ、僕は君と心中だ!」
「ごめん、ごめん、ごめん」
「五千ポンドなんて……」
「悪い、悪かったよ。でも俺たちが勝てばいいんだ、勝つことを考えようぜ」
「君って本当……」
頭が悪いし身勝手だしどうしようもなく情けない男だ。そして僕もそれに同等の男だ。僕の人生は、何度君に寄り切られたことか……
「都会は日が沈むのが早いね」
石造りの城が立ち並ぶ通りに夕日が隠れ始めたころだった。地下へ続く階段を降りて、カウンターに私物のほとんどを彼らは預けた。ウォルターは他の客同様にコートと財布を、アレックスはベレッタM92だ。周囲の空気が逼迫する前にアレックスは、自分は麻薬課の刑事であり、客として来たのだと伝えたが、それでもアンダーグラウンドに警察の匂いは嫌われる。自分たちが大した聖者ではないことをアレックスもウォルターもよく知っているだけに、どうにも居心地が悪くなった。
ああ、ここはまさに、ルシオやジョーイのテリトリーなのだ。そんな場所で勝って帰るなんて無茶だ。二人ともそう考えていた。
「ヘーイ、ガーイズ」
ルシオの握手はいつも人懐っこくて、初対面の人間はこれに騙されるのだが、アレックスは彼の腹の一物を知っているので求められた右手を出さなかった。
「悪いな、俺は左利きだ」
「あ、そ。相変わらずつめてーな。ハイ、せんせ。相変わらずお上品だね」
「君も相変わらず背が低いね」
「あっ!それひどいよ!」
丸いテーブルの後ろに王のごとくジョーイはいて、彼の膝に腿を乗っけて脱げかけのハイヒールをぶらぶらと揺らしている女もいた。ヴィオレッタだ。
「ハアイ」
なんでお前までいるんだよ、とアレックスは言いかけて、席に着いた。
「やあ、ウォルター。バカでドジなお前がどれくらい俺に快感くれるようになったか見せてちょうだいよ」
「ジョーイ君って本当、言い方が粘着質だよね」
四人はそれぞれハイランドモルト、モヒート、ドライマティーニ、スプリッツァーを注文した。ヴィオレッタがカードを切り始めたときにはもう既に、ゲームは開始していた。
4回のゲームすべてに勝者はいて、最下位もいた。
結果を言えば、だ。
アレックスは全てのゲームで4位だった。もう、最後のゲームでは彼はひたすら酒を飲むしかなかった。しかし、全てのゲームでウォルターは、勝っていた。1位だった。それも幸運の神を味方につけているルシオや、策略も汚い手も何だってお得意のジョーイより20ポイントも差をつけての、勝利だった。
ジョーイは純粋に弟に感心していて、ルシオは最後のゲームでトランプをテーブルに叩きつけながら、詐欺だと叫んだ。
アレックスはウォルターを抱き締めてその場で無理やり彼とホールドを組み、会場のテーブルを縫うようにクイックステップを踏んだ。ウォルターの表情はいつも通り微笑をたたえていたが、それはほとんど死んだ者のように冷たく無感情だった。
後日、捥ぎ取ったポンド札を何十枚か束ねてアレックスがポストに突っ込んでいるところを、家主が止めた。
「何してる」
「二十枚くらいなくなったってまだたくさんあるぜ」
「そうかい」
勝ってから、少しも笑顔を見せないウォルターにアレックスは困惑した。
「嬉しくねえの?」
ウォルターはまた、ため息を吐いた。
「アレックス。なぜあの場にヴィオレッタが居たか、ここ数日、たった一度でも、考えなかったのかい」
買収したのだ。三人目の詐欺師を。
「いくらで買ったんだよ」
「五千ポンド」
賭博場の女神と死神