Last Letter~天国までの距離~
「今日は一段と寒いね。
明日辺りは雪でも降るかもよ。」
そんな言葉から始まる一方通行の会話。
もう貴方が亡くなって1年経った。
用意されていたかのように、
通夜、葬式とすぐに済まされ、
あっという間にお墓の中へと眠りに付いてしまった貴方。
本当にこれで良かったの?
癌だと知らされた時。
治しようがないと知った時。
もう長くないと知った時。
死のうと決めた時。
飛び降りる事を決めた時。
飛び降りた時。
本当の貴方は何を考えていたの。
私自身二度の死から生還しているとは言え、
それと彼の癌は別物なのかもしれない。
刻々と迫る死。
私にはそれに耐える力なんてあるのだろうか。
私が病に倒れた時。
死なんて物を考える余裕すらなかった。
ただ必死に生きたいと願った。
死にたくないと。
他には何もいらない。
だから助けて、と。
私にはその記憶すらなかった。
気が付くと何日も経っていて、
その時から毎日何度も質問された言葉がある。
「今日は何月何日ですか?」
私が聞くのならそれも普通かもしれないと、
今では思ってしまう。
そんな簡単な事すら答えられない日が記憶の中に、
鮮明に残されている。
ベッドの上にただ横になっている。
その時間の長さはそれまでに感じた事の無い程に長い時。
1日がいつもの何倍にも感じられ耐えがたい日々。
もちろん24時間頭痛との格闘は続く。
体もまともに動かせず意識もあるんだか分からない。
ただ痛みだけが先を行く。
だけど1日。
それがこんなに長いのかとその時再確認させられた。
嫌な事がある日。
それが来ると分かっていると、
そこへ辿り着くまでがとてつもなく長く感じられた。
何度もそれへのイメージを膨らませ、
出来るだけ無難に回避しようと日々を暮らしていた。
嫌な事からは逃げたい。
したくない。
そんなものは誰にでもある普通の事だと思っていた。
それでも初めての感覚。
予期していなかった痛み。
それがあの時だったのかもしれない。
逃げ場なんてない場所。
同時に生きている証拠を得た瞬間。
皮肉なもので対照的なものというのは、
片方を感じられないと感じようがない。
死に直面して生を知る。
普段では経験できない体験。
生死の狭間からの脱出。
そんな時その場で働く人たちを見た。
どれだけ凄い人に見えた事か分からない。
本当に天使にすら見えた命を救う人たち。
2~3週間で痛みも多少治まると一般病棟へと移った。
それまで集中治療室で何でもしてもらっていた状態から、
一変して全て自分でする生活と他人との共同生活。
4人部屋とか6人部屋。
何よりその当時雑音が嫌だった私には苦痛でしかなかった。
隣の人の声。
話しかけるな。
何度そう思ったか分からない。
同じ事を何度となく聞かれてはそれに答える。
そんな義理も義務も全くないのにその場に居辛くなる。
そう思うと答えざるを得ない。
それでも出来るだけ答えたくない私。
音楽なんかかけて無視。
それしかない。
それしか出来ない。
それでも話しかけてくるおばさん。
新しい人が来ると来た回数だけ、
なぜ入院しているのかを聞いてくる。
いっそうの事ベッドの前にでも、
病名を書いた紙を張っておこうと思ったくらい。
それから更に数週間経つと、
せっかく少しは慣れた場所なのに再び移動となった。
そこは治療よりもリハビリ、定期検査なんかで、
数日入院するだけ。
早ければ1日。
そんな病棟へと移された。
頻繁に人が入れ替わり入ってくる。
はじめましてよろしく。
なんて言ったと思ったら次の日にはもうお別れ。
なんて面倒な病棟だろう。
そんなイメージが最初にあった。
気晴らしで携帯をいじりに病院の玄関まで出ていった時、
貴方と出会った。
一見どこも悪そうには見えないその姿。
1日だけの検査入院にも見えた。
「キミ寒くないの?」
病院の服にカーディガンを羽織っただけの私。
確かに10月も中旬。
長くいれば寒くて別の意味で通院しないといけない所だ。
気軽に話しかけられた私は答えに困ったが別に、
変な人でもなさそうに見えた彼に返事をしたが、
彼にとってその返事はおかしかったらしい。
今となってはその言葉が良かったのかもしれない。
人が人と仲良くなるきっかけなんていくらでもある。
時には会話なんていらない場合だって存在する。
生きてさえいればいくらでも出会える。
そのはずだったのに。
何度か彼と病院の玄関で話す事が出来た。
そして6回目の時、
彼が癌だと知った。
それでも生きようとしている。
今の彼の願い。
それを聞いた時なんとも言えない気持ちだった。
それをどんな気持ちで言っていたのか。
実際なってみないと分からない。
分かるはずがない。
それから間もなく私は退院。
彼はそのまま。
何も変わらない。
私はいつしか彼のお見舞いへと毎週行くようになっていた。
自宅療養の合間に週1度の病院での検査とリハビリ。
その日に20分もない間にする会話。
内容なんて全然覚えてない。
そんな程度の会話。
誰とでもするようなどうでも良いような会話。
それでも彼の笑顔は未だに私の目に焼き付いている。
それが貴方にどんな気持ちで届いていたの?
本当に良かったの?
その笑顔は本物だったの?
1ヶ月、3ヶ月、半年…。
時間は嫌でも過ぎていく。
あの時の1日はとても長かったのに、
この頃の1日はあっという間。
そんな間に貴方は日に日に弱っていく。
そんな貴方は私にそれを悟られないように接していた。
それが分かっている私も、
それに気が付かないふりをして接していた。
だけどそんな事貴方は知っていた。
痛みは無いの?
苦しくないの?
怖くないの?
寂しくないの?
逃げたくないの?
様々な疑問が日々頭の中を乱していく。
聞く事の出来ない疑問を抱きかかえて。
そして運命の日は突然やってきた。
貴方は陽が昇る前にこの世から去った。
癌の転移。
もう体中を癌が埋め尽くしていたらしい。
それでも彼は最後まで必死に戦った。
誰よりも強く前を向いていた。
助からないと知っていても私に一言も弱音なんて吐かなかった。
それでも、
貴方は自らの手で命を絶った。
なぜ?
どうして?
なんで?
どして?
どうしたの?
疑問と悔しさばかりで他に何も出てこない。
通夜では彼の両親や親戚、知り合いやなんやでごたごたした。
お見舞いなんてほとんど誰も来てすらいなかったくせに。
死んでから来るなんてどうかしてる。
なんの意味があるのか分からない。
やり場のない怒りなんかをそんな人たちに、
ぶつけてみても亡くした哀しみなんて消えようがない。
まだ彼がこの世から去ったなんて事認められなかった。
疲れきった私は告別式には出ずに1人自宅から空へ見送った。
そんな遠く澄んだ空の日の正午丁度の事だった。
1通の封書が郵便受けに届いた。
差出人は書かれていないが私には誰からかの見当は付いていた。
だから余計に開封に戸惑った。
何が書かれていようがそれに対する返事を私を書けない。
そんな一方通行な手紙。
そんなのは嫌だった。
放心状態の私の手が勝手に動きだすまでに、
どれくらいの時間が経っていたのだろう。
彼の映像が頭の中をぐるぐると回り私の中を埋めて行く。
寒さで揺れる体、
コーヒーを飲む動作、
私と会話している時のしぐさ、
玄関から部屋に戻る時の後姿。
二度と変わらない映像と会話。
新しい1ページなんてもう存在しない。
そう思っていた。
封書をちぎるようにびりびりと糊付けされた所を開けると、
無心で私はその文字を見ていた。
いや正確には見ようとしていた。
だけど読み始める事が出来たのは何分も後の事。
その文字を見るだけで泣いていた。
文字なんて読めるはずもない。
色んな感情が交錯してまともに読む事も出来ない状態だった。
ようやく落ち着きを取り戻した私は、
彼の書いた文章に目を通した。
そこには彼のしたかった事が永遠と書かれていた。
例え治ってももう出来ないと知っている事も。
何もかも失ってしまった事。
それから私に対するごめんの一言。
それは返事なんて必要としない手紙だった。
彼はわざと返事のいらない手紙なんかを私に送った。
余計な事をさせないように。
後なんて追わせないように。
彼は私の突き飛ばして飛び降りたのだ。
彼は卑怯。
こんなにやりたい事を書かれたら。
こんなにあるのに誰にも言わずに去ってしまったら、
誰が彼の意思を受け継げるのだろう。
せめて私に出来ないとしても、
この言葉を誰かに伝えるまでは絶対に死ねない。
人間なんていくらでもいる。
生きてさえいれば出会いなんていくらでも作れる。
それでも彼は一人。
たった一人しかいない。
【僕は生まれ変わったら鳥になりたい。】
空を自由に飛べる鳥。
外に出ても飛び立てない彼。
彼が玄関まで出ていたのはそういう事だった。
ささやかな抵抗。
いつでも飛び立てるんだっていう意思表明。
彼は最後の最後で鳥になった。
それはほんのわずかにも満たない時間。
だけど、きっと、
彼にはその時間が全てだった。
その時間だけがやっと自由になれた時間。
痛みも苦しみも不安も吹き飛ばしてやっと掴んだ時間。
それは逃げたんじゃない。
私に言いたかったんだ。
僕は飛べる。
って。
お墓の前で私はこうして毎日彼と会話している。
それが私の彼へ対するささやかな反抗かもしれない。
彼との全てを思い出にしないように。
ずっと忘れないように。
そして私は貴方が笑ってただいまと言えるように、
毎日天国へと手紙を送っている。
Last Letter~天国までの距離~