Talk that"The election law violation by Emperor"

Stewdguld Hormbert Kneyscrown MacQuarter 作

Talk that"The election law violation by Emperor"

序章 ノブレス・オブリージュ

 あなたは「ノブレス・オブリージュ」という言葉を知っているだろうか。この言葉には「高貴なものに課せられる義務」という意味がある。つまり、身分の高い者はそれだけ徳が高く、社会の模範とならなければいけないという意味である。イギリスの王族や、その他の君主国家の多くの王族が軍に属するのは、この為である。
そんなノブレス・オブリージュを初めて知った男の物語。


俺はフィランス。戸籍上は「フィランス=アルバール=キャトリエム=サンクトキン」という長い名前だ。クリザンテム=デサンピアという国の第四王子。王子様だ。

俺は小さいころから能力者になるために、幼年育成学校に入学させられ、新暦で六歳の時、俺は能力士官学校へ入学させられた。
この国では、戦うことを義務付けられた者にのみ、能力の保有が認められる。いわゆる軍人のようなものだ。この士官学校では爆発の能力と、物を超高速で飛ばす能力と、敵の攻撃を防ぐ能力を身に着けることができる。能力は呪文などではなく、自分の意志で使用することができる。結構便利なものだ。

学校は楽しい。体力増強は本当に疲れるけど、やればやる分、自分の能力の性能が上がっていくし、普通の授業も楽しい。学友も、俺が「王子様だと思うな」と言ったら、結構親しみ易く接してくれている。渾名でフィルと呼んでくれる仲だ。俺の人生充実しまくりだ。
だけど、あの時ちょっと不安になった。
新暦で一四歳になった時、国を守るはずの能力保有者達がクーデターを起こしたらしい。幸い失敗に終わったけれど、首謀者の五人は逃亡して、今親父たちが全力で探しているが、まだ捕まっていない。いつ攻撃が来るか分からないから気を付けろ、とは言われているけど、実際、父さんと年の離れた三人の兄貴たちが片付けてくれると思っていた。
この時までは…。

 第一章 デイト オブ ディパーチャー Date of Departure


ある浅春の日の夜。
星の瞬く静かな夜に、クリザンテム=デサンピア王国の王城宮殿を春の風が吹き抜ける。
この国の第四王子フィランスは、父親であり、国王であるウィラードと、母親で王后(おうこう)のミラーナに玉座の間へと呼び出された。
彼が玉座の間の扉を開くと、礼服に身を包んだ初老の国王と初老の王妃が待っていた。
「父さん。大事な用って何?」
彼の目が眠そうにゆっくりと瞬き、髪を掻き毟る。対峙するウィラードが低い声で話し始める。
「お前にもそろそろ、この国のことについて協力してもらうことがあって、呼び出した次第だ」
「ふーん、で何?協力してほしいことって」
「まあ待て。あぁ、誰か椅子とテーブル、持ってきてくれるか?」
ウィラードが呼び掛けると、執事服を着た男たちが椅子を三つと、正方形のテーブルを運んできた。
「座りなさい」
「もう座ってるよ」
「そうか」
国王と王后がゆっくりと椅子に腰かける。
「さて、お前は男としては四人目の末っ子だから、あまり政治のこと等には干渉してこないが、お前の三人の兄が今どこで何をしているか知っているか?」
「さあ。あ、でもたしか、どこか別の国に行ってるんだっけ?」
「まぁ、そうなんだ。ただ、行ってる場所は正確に言ってなかったな」
「確かに」
「実はな、あいつらは今。日本という国に行っているのだ」
「日本。あー、兄貴たちが言ってたな。確か、俺たちの先祖の誰かが開け口作っちゃって、行けるようになった国だろ?」
「まぁ、国というより世界だな」
「世界?世界が違うのか?」
「そうだ。本来交わることは決してなかったはずの二つの世界が、昔に繋がってしまったわけだ」
ほーすげー、と言わんばかりの声を出すフィランス。
「で?こっちの世界と向こうの世界は何が違うんだ?」
「向こうの世界では、こちらの能力が基本否定されている。もし力を使った場合、大体の時は人が寄ってくる」
「それは面倒だな」
彼は少し笑いながら答えた。
「そうだ。我々にとっては非常にやりにくい世界なわけだ」
「ところで、俺を呼び出したのは、そんな先祖の歴史を話すためなのか?」
「いや違う。ここからが本題だ」
「ほいほい」
ふざけた応答を取る彼に対し、対峙するウィラードの顔が真剣味を帯び始める。
「お前には日本に行ってもらう」
「やだ」
「即答で断るんじゃない。話を聞いていなかったのか?」
「やだよ。こっちでさえ教育が済んでいないのに、異世界行ってくれってどういうことだよ?」
暫しの沈黙が玉座の間に染み渡る。そしてそれまで一切喋らなかったミラーナが口を開く。
「フィランス」
「何だい母さん」
彼は再び大きな欠伸をしながら彼女に問う。
「あなたには、ノブレス・オブリージュという言葉を覚えて頂きますよ」
「ノブレス・オブリージュ?何語だよ、それ」
「ある国の言葉で、高貴なるものに課せられる義務、という意味があるのです」
「???全く分からないのですが」
彼が首を傾げる。
「つまりだな。身分の高い者は、徳も高くなければいけないということだ。お前を幼年育成学校や士官学校に入れたのも、これが理由だ」
「で、そのオブリージで俺に何しろと?」
彼が不機嫌そうに問いかける。
「日本でクーデターの首謀者を探してもらう」
「あれの首謀者?まだ捕まってねえの?」
フィランスが不満そうな顔でウィラードを見つめる。ウィラードは溜息を一つ吐き、話を進める。
「だからお前にも、手伝ってもらいたいと言っているのだ」
「………、俺はまだ士官学校を卒業してもいないんだぞ?兄貴達ならまだしも、俺を使うのか?」
「そうだ」
はーん、と呆れたような声を出すフィランス。
「で、日本のどこに行けと?」
「フラウエンフェルド中将の情報筋によれば、首謀者の一人は、日本の首都トーキョーにほど近いサイタマという場所にいるらしい」
「首都近郊ってことは、ベッドタウンが多い地味な場所なんだろうなー」
彼が椅子の後方に重心を掛け、ゆらゆらと天井を見つめる。
「だからこそ、潜入しやすいのかもしれない。行ってくれるか?」
彼が俯き、しばらく考え込む。そして。
「兄貴達はいるのか?」
「既に向かわせてある。そうそう、日本は土地に詳しいものとパートナーとなってもらう」
「パートナー?」
「そうだ。お前はまだ若い。いろいろと未熟な部分があるからな。大丈夫だ、まともな人間を選んである」
ウィラードが執事を呼び寄せ、執事の持つ書類を差し出す。書類には写真も付属され、そこには茶髪でふわふわのセミロングヘアの女性が微笑んでいた。
「誰こいつ?」
「篠舘真理(しのだてまり)。日本人の女性で、お前とほぼ同じ時期に生まれた」
「ほへーーー」
女……、男ならまだしも、女か……。
彼は興味なさそうに再び椅子の後方に重心を掛け、前脚を浮かせて天井を見つめる
「さらに、お前には向こうの教育機関で、向こうに馴染むための勉強をしてもらう」
「結局勉強かよー。まあ、いいよ、行くよ」
「では決まりだな。出発は明日の夜だ。今日はもう休んで、明日の準備をしておくように」
「りょうかーーい」
はーー、なんかすごいスピードで話が進んだ気がする。
直後、彼は椅子ごとひっくり返り、玉座の間に間抜けな悲鳴が響いた。



出発の日の昼間。彼は士官学校を休んで、王宮の応接室のソファーで寝転がりながら『馬鹿でもわかる実践日本語会話』というふざけた名前の本を読んでいた。
はー、今夜には日本か。兄貴達になんか聞ければなー。向こうで困らんのだけど。
「殿下」
応接室に年老いた執事が入ってきた。
「ん?どうしたの爺ちゃん」
「言語習得の方は進んでおりますか?」
「と言っても、この本に書かれているのは発音と意味だけだし、日本語を話せる奴なんていないしな…」
「その本に書かれている言葉をすべて覚えれば、日本で苦労はしません」
「あーあ、王子も大変だな…。えーっと、本気で怒った時には『Shibaku zo Golua!』。初対面の人には『Futsutsuka mono desuga』。語尾に付けるのは『Just do it!』」
彼の間違った日本語教育が進んでいく。


夜が更け、フィランスは風変わりなキャリーバッグとともに、ウィラードとミラーナが待つ玉座の間へと呼び出された。彼は黒い軍帽に緑の制服を着用し、どこからどう見ても軍人としか見えない格好で立っていた。
「父さん、準備できたよ」
「よし、時間通り。ちゃんと軍服で来てるな」
「なんで下士官の軍服で来(こ)にゃならんのか、よく分からんのだが」
「向こうで不自然でないようにだ。ではまず、向こうの日本に行く前にお前に日本名を与える」
「変な名前じゃないだろうな?」
「大丈夫だ。お前には三笠(みかさ)和樹(かずき)という名前を与える。日本で生活する際は、この名前を使ってもらおう」
「教育機関には手を回してあんの?」
「大丈夫だ。お前は明後日から新入生として、パートナーと共に教育機関へ行ってもらう」
「りょーかーい」
彼がキャリーバッグで遊んでいると、ミラーナが声をかける。
「フィランス、貴方にはもう一つ教えることがあります」
「何だい母さん?」
彼女はまさに怖いお母さんと言えるような厳しい顔で、彼の顔を見つめる。
「日本の方達は非常に上品な方が多いです。決して無礼の無いように」
「ふーい」
「では、いくぞ」
ウィラードが指を鳴らす。すると、フィランスの目の前に黒く両手を広げた程の穴が現れた。
「ほー、これが世界と世界を繋げた穴か」
彼が興味深そうに穴を覗きこむ。
「そうだ。これを使って首謀者の連中は日本に行ったらしい」
「じゃ、行ってきまーす」
「気を付けるんだぞ」
「っと待ったー」
彼が順調に進んでいた足を急に止める。
「どこに繋がっているか聞いてなかった。どこに出るんだ?」
「今パートナーがいるところのすぐ近くに降りる筈だ」
「ほー、そうか。なら良かった。じゃね」
彼はキャリーバッグと共に、勢いよく穴へと入っていった。
「頼むぞ、フィランス」
夫妻は只々、消えゆく黒い穴を見つめていた。


彼が穴を降下する速度はかなりのものだ。強い風が彼の体にぶつかり、時々体がふらつく。彼の周りは黒い空間に包まれているが、多少の明かりがあり、自分の体は良く見える。
ったく、どこまで降りていくんだ?
彼が不意に足元を見つめると、白い床が見えてきた。
やっと出口か。ちょっと長かったな。
白い床がどんどん近くなっていく。彼は着地に備え、足を揃える。そして見事に着地した。
さてと、着地したはいいが、この床随分と濡れてるな。パートナーとやらはどこだ?
白い壁に囲まれた狭い空間に、キャリーバッグの耳に響く着地の音が轟く。彼の軍服の下半身が少し濡れ、「あー、」という「やっちまった感」満載の声を出す。彼が周りをキョロキョロと見渡すと、箱のようなものに液体と共に浸かる彼を見つめる女性が一人。かなり驚いているようだ。
あっ、こいつか。決して無礼の無いように、だからえっととりあえず、セーザってやつで。
彼が足を折り曲げ、掌(てのひら)をタイルにつける。
「フ、フツツツモノデスガ、ヨロシクオネガイモウシアゲマス」
彼は深々と頭を下げた。
しかしその後、響いてきたのは凄まじい悲鳴と、彼の頬を貫く鈍い音だけだった。



 ワンルームのアパートの一部屋で、同い年の男と女が対峙している。
「で?あなたは誰?」
彼女はふわふわな髪をタオルで拭きながら、フィランスに疑問を投げかける。
「俺の名前はフィランス。フィランス=アルバール=キャトリエム=サンクトキン。どうぞよろしくです」
頬に殴られた跡のある彼が質問に答えながら、再び深々と頭を下げる。
「随分長い名前ね。外人さん?」
「ガイジンサン?多分違うと思う、です」
「ふーん、それにしても、日本語が流暢ね」
とは言いつつも、彼の何でもかんでも語尾に「です」を付ける彼に少し苦笑する篠舘。
「ああ、昨日に爺ちゃんに日本語能力が上達するように教科書貰ったんです、結構分かり易かった、です」
「ふーん。ところで」
彼女の顔が一気に険しくなり、一直線に彼を睨み付ける。
「なぁぁんで、私の家のお風呂場に突然現れたのかなぁ?しかも私の入浴中にぃ?」
しかし彼は平然とした顔で答える。
「父さんに送ってもらったら、あの部屋に出た、です」
「送ってもらった?」
「そう。俺、ここの世界の人間じゃない、です」
彼女は首を傾げる。いきなり真顔で「私はここの世界の人間じゃない」と言われても訳が分からない。
「俺はこの世界とは違う世界の人間です。そして、その世界のある国の第四王子。ここに来た理由は、自分の国を助けるっていうノートレス・オードリーで来た、です」
もはや「ノブレス・オブリージュ」でさえ原形をとどめていない。
「な……な、何を言ってるのあなた、病院行く?」
「本当です。その証拠をお見せしましょう、です。ええっと、なんか細長いものは…」
彼は机に置いてある鉛筆を取ると、部屋の窓を開けた。
「な、何するつもり?」
「まあ見てて、です」
彼は右手で鉛筆を持ち、尖端を窓の外に向ける。
直後、彼の手から光が一閃、窓の外へと発射された。部屋の中は発射された際に空気を切り裂いて生まれた衝撃波によって紙が舞い上がり、コップや本が倒れる。
傍観する彼女の体が驚愕で震え始める。
「な、ななな、な、何それ?」
「だから、俺がこことは違う世界から来た証拠、です」
「へ、へえ。本当なんだ。うん」
彼はその場に座り込み、体を彼女に向け直す。
「この世界で暮らすためには、一人パートナーが必要な訳、です。そこに選ばれたのが君って訳、です」
「わっ、私?なんで?」
「父さんが言うには、まともな人間だったかららしい、です」
まともって…、私以外にもまともな人いるでしょう……。
「そういえば君、親はいないのですか?」
彼が部屋をキョロキョロと見渡す。
「私はこのアパートで一人暮らしなの。まさかあなた、この部屋に住むの?!」
彼女の顔が驚愕の一色に染まる。しかし三笠は首を横に振り。
「いやいや。書類上は部屋は別に用意されているらしい、です」
「書類?」と彼女の疑問の途中に、彼がキャリーバックから書類を取り出す。
「ええっと住所は、『埼玉県さいたま市中央区東三笠(ひがしみかさ)四二一パークプランタン五号室』…。ってどこです?」
彼女が何かを思い出している。
「どうしたの?篠舘さん」
「と、隣…」
「何?」
「隣よ。私の家の右隣」
「へー、そうか。じゃあ早速」
彼キャリーバッグを手に取り、が篠舘の部屋の玄関に向かうと、彼女が引き止めた。
「あっ、ちょっと待ちなさい!」
「ん?何ですか?」
「私のお風呂覗いたことに謝罪はないの?」
「謝罪?女の風呂覗いたらダメなのですか?」
「な…、どんだけ世間知らずなの…」
彼女が呆れかえっている。
「俺は世間知らずじゃねえ、です。教わらなかったってだけ、です。じゃまた明日、です」
彼は玄関から出ていった。
「全く、どんだけマイペースなの、あいつは」
彼女は困り顔でその場に座り込んだ。
彼女が頭を抱えている時、彼は、自分の部屋のドアの前で佇んでいた。
このドア……、開かないぞ。
彼がドアノブを手に取り、押したり引いたり蹴ったり殴ったりするが、ドアはビクともしない。
彼は篠舘の部屋に向かい、高速で彼女の部屋のドアを開ける。
「お尋ねしますが」
彼女がもの凄い金切り声を上げた。
「アンタね?!インターホンがあるんだからそれ押して、応答があってから入りなさいよ!」
彼がドアの横に付いているインターホンに注目した。
「ほー、これが」
彼はインターホンを押す。すると、部屋に「ピンポーン」という軽やかな音が響く。
「ほお、呼び鈴か。いいねぇ」
「ところで、何か用があったんじゃないの?」
「そうだ。鍵はどこでもらえるんだ?」
「鍵は大家さんが持っているに決まってるじゃない」
「そのオーヤサンはどこにいるんだ?」
「あなた、まさか鍵持ってないの?」
「持っているわけない。さっき着いたんだから」
「どうすんのよ?大家さんの家は駅の方で、ここから三十分はかかるんだよ」
「遠いな…、……」
彼が困り顔の後に、潤んだ瞳で彼女を見つめる。
「な、何よ…」
彼女の目には、「この迷える子羊を救ってください」と言わんばかりの顔をした同い年の男が映った。
「わ…、分かったわよ。今夜だけね、今夜だけ泊めてあげるから」
「おお!なんとお優しく慈悲深い方でしょう」
「そ、それほどでもないけど…」
はー、私もかなりのお人好しだな…。
「じゃあ、あなたのことを教えてよ。えーっと……、フィリップ?」
「フィランスです。俺のことは三笠和樹って呼んでくださいな、です」
「三笠君ね…」
「そうですそうです、和樹でもいいですよ」
彼が先ほどと同じ場所に座り込んだ。
「じゃあ、三笠君。あなたっていくつ?」
「いくつ?…年齢ですか?」
「そう」
「新暦で十四歳、です」
「……???」
彼女が首を傾げる。いきなり新暦と言われても全く分からない。
「まあ、年齢のことはいいよ、ところで他にどんな力を持ってるの?例えば、手から炎と出すとか」
「しないね」
「じゃあ、指先から水を出すとか」
「しないね」
「じゃあ、体中から電気を出すとか」
「しないね」
「じゃあ、右手を翳すとすべての攻撃を打ち消すとか」
「しないね」
「じゃあ、エクスペリアームスって言うと相手の武器を吹き飛ばしたり」
「しないね。それは何の話ですか?」
「じゃあ何ができるの?」
「俺ができるのは、さっきやったのと…」
彼は立ち上がり、キョロキョロと部屋を見渡すと、ゴミ箱の中に手を入れる。
「対象物を爆発させる能力と」
ゴミ箱の中で爆発が起き、彼が「熱っ!」と叫び、反射で腕が引っ込む。
「ちょっ、人の部屋でボヤ起こさないでよ?」
「まーまー、あとは自分の身体を守る能力だけ、です」
彼の目の前には薄い緑色の壁が現れた。
「へー、これが能力か…」
「俺の防御の能力はまだまだ未熟で、前方しか守れないんだよね。だから爆発とかの広範囲から攻撃の耐性はとれないんだ」
彼女が壁を触ると、指が弾かれた。
「触りすぎると腕が溶けますよ」
「え?全然熱くないけど?」
「長いこと触ってると、細胞が溶け始めるらしいです。士官学校の教師が言ってた、です」
「難しいのね、能力って」
「そう、難しいの能力って」
うんうん、と彼が二回頷く。
「さあて、俺は寝るかな」
彼は盾を消すと、部屋の端の方に寝ころんだ。
「あっ、布団ならあるよ。来客用の物が押し入れに」
「いいですいいです、いきなり来た招かれざる客なんですから。えっと…、おやすーみー…」
彼は大きな欠伸をすると、静かに眠り始めた。
「え…、あ…、お休み…」
私も寝ようかな…。
彼女は押入れから自分の布団を出し、部屋の中央に敷く。
「そういえば三笠君」
「何です?篠舘さん」
「明後日は私高校に行くんだけどあなたはその間どうするの?」
「俺もそのコーコーに行きますよ。この世界で不自由しないための知識を得るために。もう手配してある」
「そうなんだ…。おやすみ…」
彼女が電気を消すと、静かな夜が部屋中に染み渡る。彼女がゆっくりと布団に潜り込み、二人は眠りについた。
彼……、悪い人ではないんだろうけどな……。

四 
 夜が明け、スズメや郭公が鳴き始め、部屋に日差しが差し込む。
時計が八時を指した時、篠舘がゆっくりと目を覚ます。
「うー、眠いー、……、おはよう三笠……?」
彼女の見つめる方向には三笠の姿はなく、部屋中どこにもいなかった。
…、夢?変な夢でも見てたかな?
しかし夢ではないことがすぐ分かった。ベランダで三笠が空を見上げていた。
「おはよう三笠君…。早いのね」
「篠舘さん、あの空に燦々(さんさん)と輝いているのはイゲヤールシエルですか?」
「い、いげやーるしえる?何それ?」
「あれです、あれ」
彼は左腕で顔を覆いながら、光り輝く太陽を指差した。
「あれ太陽よ」
「タイヨー?何だそれは?」
「太陽っていうのは、光り輝く恒星のことで、この地球に明かりを齎(もたら)す星のことよ」
「イゲヤールシエルより明るいな」
「ちゃんと話聞いてる?」
手で光を遮る三笠に、少し怒った声で彼女が問う。
「そっちの世界にも恒星ってあるの?」
「コーセー?君の言うことには難し事が多すぎますな」
「今度辞書でも買ってきたら?」
「確かに、この世界の辞書は必要ですな」
「そんな堅い言葉で話さなくてもいいよ。話しにくそうだし。多分、同い年なんだし」
「そうですか」
彼がゆっくりと大きな欠伸をした。
昨日はあんな異能を見せたけど、こうして見ると普通の人間で、普通の高校生なんだよね…。
「そういえば、大家さんのところに行くんでしょ?準備して」
彼女がベランダから部屋に戻り、ソファーに腰かけ、テレビをつける。
「準備?俺はいつでも行けるぞ」
「その格好で行くの?」
彼は全身深い緑の学生服風の軍服で、床には黒い帽子が置かれている。この格好で外に出れば、「コスプレ好きのイタイ高校生」という目で見られるのは一目瞭然である。しかし彼にとっては一張羅なので、これ以外に着替える訳にはいかない。
「そう。私は国を守る立場なので。基本移動するときはこの格好なんですよ」
「じゃあ部屋から出て行って、私着替えるから」
「いや別に気にしなくていいぞ」
「そうじゃなくて。女性が着替えの時には男性は席を外すものなの」
「そうなのか」
「そうなの。さー、出てった出てった」
彼は篠舘に部屋から押し出された。
分っかんないなー、女って。
彼は着替えを待つ間ずっとそのことを考えていた。
十分後、彼女が服を着替えて部屋から出てきた。
「さ、行きましょう」
三笠は黙り込んでいる。
「どうしたの?」
「女ってそれだけの着替えなのにこんなも使うのかと思ってな…」
「な、女性の着替えってのは、ちょっとは時間がかかるものなの!」
「はー、女ってほんとにわかんねー。とりあえず、案内して頂戴?」
彼が愉快に軽快に指を鳴らす。
「はいはい、行きましょう。私の後ついてきてね。ハイテンションマイペース君」
彼らはアパートの階段を降りると、彼が何かに気付いたのか、彼女の方をじーっと見ている。
「どうしたの?」
「今思ったんだけど、篠舘さんって、小さいね」
彼女が彼を睨み付ける。彼女の目には目下一七五センチの男が見えるが、確かに彼女の身長は一回り低い。
「ッ、小さいとは失礼ね」
「小さいと言ったら失礼なのか」
「大他の場合は失礼だよ」
「とりあえず、オーヤサンの家までよろしく」
「案内はするけど、帽子は取りなさい。イタイコスプレって思われるから」
彼はしぶしぶ帽子を取り、彼女の後を歩き始めた。


彼にとって、日本の小さな町は驚きでいっぱいだ。
「篠舘さん、これは何?」
「あれはコンビニ。コンビニエンスストアの略」
「何をしているんだ?」
「物売りね。小売り店」
二人がコンビニに入る。彼がキョロキョロと興味深そうに周りを見渡す中、彼を引っ張りつつ篠舘が二つのメロンパンをレジへと運ぶ。
「なるほど、クレスターの店と同じか」
「やっぱりそっちにも、こういう小売店はあるんだ」
彼女がが店員からパンを受け取り、代価を支払う。
「はい、これあなたの分」
彼は「あっ、すみません」と礼を言いつつ、二人はあっという間にコンビニを後にした。
「篠舘さん、あの建物は何ですか?」
彼がパンを頬張りながら彼女に問う。
「あれは学校。小学校よ。日本の教育機関」
篠舘がっぱんを頬張りながら答える。
「コーコーとは違うの?」
「もっと若い人が行く場所よ」
「なるほど、幼年学校と同じか」
彼らは住宅街をさらに進む。そして大通りを渡り、バス停にたどり着く。
「この板は何?」
「これはバス停よ」
「バス停?」
「バスが止まる停留所」
「バス?」
「公共交通機関の一つで、ほら、あれがバス」
彼らが待つバス停にバスが滑り込んでくる。篠舘に続いて三笠がバスに乗り込む。
「ほら、その紙とって」
「この紙は?」
「整理券よ。本当に何も知らないのね」
「君がさっき翳したのは?」
「MOCOカード。電子マネーのカード。モコカって呼ばれてる」
「日本はすごいな」
「そういえばあなたお金はあるの?」
「日本円は出発前にいくらかもらってきた」
彼がポケットから出した万札をヒラヒラと振る。
「ちょっ、万札じゃ通れないよ!全くぅ…」
彼女はバッグから自分の財布を探る。
日本円はなんであんなに価値の大きい通貨を一枚にするんだろう。母国のヴェイフォングは小さい通貨が多いから、こういう時便利なんだけどな。
彼女がちょっと怒った顔で財布から二百円を取り出し、彼に渡す。
「やっぱり、価値の低い通貨もあるのか。日本は便利なのかもな」
「何言ってるのあなたは」


二人は二十分間バスに揺られた。彼は窓の外を興味深そうに眺める。まるで外観に興奮する子供のように。
『次は、西之宮。西之宮』
案内と共に、バスのブザーが鳴り響く。
「ほら、降りるよ」
「あ、ああ。有難う」
「あの穴にお金入れんのよ」
篠舘はカードを翳し、三笠は料金箱に運賃を入れ、バスを降りた。二人の目の前には多くのビルが立ち並ぶ大規模な商業都市が鎮座していた。
「ここが西之宮。この辺じゃ結構発展してる街よ」
「あの高い建物は何?」
彼が一際高く聳えるビルを指差す。
「あれは西之宮スニーカータワーって呼ばれているビル」
「スニーカー?」
「ええっと確か、埼玉、西之宮、経済、芸術、知識産業、エンターテインメント、まばゆい、勝るの英語の頭文字をとってスニーカータワー、だと思う」
「篠舘さんは本当に物知りだね」
「そ、そう?」
男から物知りと言われたことのない彼女の頬が少し赤く染まる。
「さ、行きましょう。大家さんの家は駅の東口だから」
「どこに駅があるんです?」
「あれが駅よ」
彼女の指差す方向には、横長の窓が敷き詰められた高い建物が鎮座している。
「ほー、広いな」
「この駅は高速鉄道も通ってるし、十本近くの路線を持つかなり大きな駅なの」
「凄い人の数ですな。クリザンテムにもこんな場所ないですよ」
彼らは多くの人が行き交う構内を抜け、東口へ出た。
「こっちは低い建物が多いな」
「西口は商業で発達してるんだけど、こっちは殆ど娯楽だからね。高い建物はあんまりないの」
彼らは、駅前のバス停を抜け、大通りに出る。
「こっちは人が少ないな」
「この辺は駅の回り以外はほとんど家だからね。休日は誰も外に出ていないの」
通りから狭い路地に入り、やがて大きな古い家に着いた。
「ここが大家さんの家。閑院さんっていうの。随分と古い家柄みたいだよ」
「オーヤサンのカンインですか」
彼女がインターホンを押す。インターホンから受話器を取る音が響く。
「こんにちは、パークプランタンの篠舘です」
返事はない。
「おかしいな。休日はいつ来ても大丈夫って言ってたのに」
すると、家のドアがゆっくりと開いた。そこには初老の女性が立っていた。
「こんにちは閑院さん。新しい入居者のことで来ました」
「ああ、あなたが三笠さん?この前お祖父(じい)さんが来て色々と手続しちゃったから、今日は鍵だけね」
「ど、どうも有り難う御座います」
「礼儀正しいわね。馴染めるといいわね。はい、鍵」
彼は鍵を受け取ると、一礼し、彼女の元へ戻っていった。
「じゃあ真理ちゃん、色々と教えてあげてね」
「はい、じゃあまた」
閑院がドアを閉めると、二人が再び駅へと向かい歩き始める。
「篠舘さん」
「何?」
「あの建物は?」
彼は駅の方向にある大きな建物を指差した。
「あれはNARSっていう総合スーパー。行く?」
「是非行きたいです?」
「じゃあ行こうか」
「うん」
彼らは駅方向に向きを変え歩き始めた。



「凄いですね、ここは」
「NARSはいろんなもの揃ってるお店だからね。何か買う?」
「じゃあ、昨日篠舘さんの部屋にあったペンを買いたい」
「じゃあ二階だね。行こう」
彼女が三笠を誘導してエスカレーターに連れていく。
「オウソブリーキがここにもあるとは」
「???エレベーターのこと?」
「こっちではえれべーたーと言うのか」
「国と文化が違うと不便ね」
会話の途中、彼がエレベーターの降り口で豪快に転んだ。
「だ、大丈夫?ちゃんと下見なきゃ歩かなきゃだよ」
「クリザンテムでもこんなことあった気がする……」
彼は篠舘に起こしてもらうと、再び文具店に向かう。
「フィランスか?」
どこからともなく声がする。三笠は周りをキョロキョロと見渡す。
どこだ?フィランスという名前を言うのはクリザンテムの人間だけだし…。
「ここだフィランス」
「どこだ?何者だ?」
「こっちだ、右、右」
彼が右を向くと、店舗と店舗の間で彼に向けて手を振る男が一人。
「???…セドリード?」
「そうだ。セドリード=トロワジエムだ」
「兄貴?!」
彼が男の方へ走って行った。
「ちょっと、三笠君?どこ行くのー?!」
彼女が後を追う。
「兄貴、こんなところにいたんだ」
「ああ、麗奈のお買い物の付き合いでな」
彼はフィランスの三番目の兄。セドリード=ヴァルシュトール=トロワジエム=サンクトキンが戸籍上の名前だ。
「おや?後ろの可愛い彼女がお前のパートナーか?」
「あっ、えっと。初めまして。篠舘真理です。えっと、どちら様ですか?」
「私はフィランスの兄のセドリード。こっちでは高松信昭(たかまつのぶあき)。よろしくね」
高松が手を差し伸べ握手を求める。
「あっ、はい。えーっと、高松さん?」
彼女が握手に応じ、小さく頭を提げながら手を握る。
「そう。ところでお前のコードネームはなんだ?」
「俺の名前は『三笠和樹』っていうんだ」
「そうか。じゃあ和樹、私は麗奈と会ったらもうここから離れる。しっかりと目を光らせるんだぞ」
「わかってるよ。じゃあ、気を付けてな。行こう、篠舘さん」
二人は高松と別れると、文具店に足を向け歩き始めた。
休日のショッピングモールには多くの老若男女が行き交う。少し騒がしい中、篠舘が話を切り出す。
「ねえ三笠君」
「何?」
「あなたって兄弟何人いるの?」
「上に三人いる」
彼が人差し指で天井を指差しながら答える。
「いくつ離れてんの?」
「新暦で…たしか十年以上近く離れている…」
「新暦…、そんなこと言われても全く分かんないよ…」
彼女が頭を抱える。
「でも俺はこう教わってるからこうしか表現しようがない」
「ふーん。そこよ、文具店」
そこには「文正堂」と書かれた看板を掲げた店が鎮座していた。
「ほー、立派な店ですなー、日本ってすごいなー」
「ええっと、ペンはどこ?」
「どーこだーろねー」
彼がくるりと体ごと一回転した。
「ところであなた、日本語読めるの?」
「ほっとんど読めましぇーん」
「何それ?!」
「あれ?マリじゃない?」
彼女の後方から女声がする。彼女が振り返ると、そこには洒落たハンドバッグを持つ女性が立っていた。
「やっぱりマリじゃん。何しに来たの?」
「あ、いや。ちょっと文房具を買いにね」
彼女が体ごと女性の方向に向きを変える。気付くと隣にいた三笠の姿がなかった。
あれ?三笠君がいない?どこに行った?
当の三笠はは彼女から少し離れた棚を睨んでいる。
「おおっ、これは…、しゃーぷ、ぺんしる。昨日のペンの部類か」
「お客様、何をお探しで?」
彼の元に女性店員が近づく。
「???ナ、ニヲオサガシ?」
「…、What are you seeking(何をお探しですか)?」
女性店員は唐突に英語で話しかけてくる。しかし彼にとっては外国語の外国語の為、何が何だか全く分からない。
「???日本語のソンケーゴとケンジョーゴとかいうものは難しいな」
「Are you OK(大丈夫ですか)?」
「鮎桶?全然分かんないな」
「ちょっとミサカ君?」
篠舘が怒った声で彼に近づいてくる。
「俺はミサカじゃないですよ。三笠です」
「あ、ごめんごめん。ってそうじゃなくて!?勝手にどっか行かないで」
「なーにー、マリ、彼氏できたの?」
先ほどの女性が彼女の後から近づいてくる。
「違う違う、彼は私の隣に越してきた三笠君、っていない!!」
「マリ、彼氏に嫌われてんじゃないの?」
「だから、彼氏じゃない?」
彼女が友人と対峙している時、鉛筆の商品棚では三笠と先程とは別の店員が対峙している。
「一ダース三百円、ダースってなんですか?」
「一ダースには十二本の鉛筆が入っております」
「なるほど、十個あれば足りるか」
「三笠!!勝手にどっか行くな!!」
篠舘が彼に向かって怒号を放つ。唐突の怒号に、三笠と店員の肩がすくんだ。
「母さんは日本人の女性は大人しくて上品だって言ってたけど。女性にはアルマジロ発言だな」
「ウルシャイ!!用済ませたら帰るよ?あとアルマジロじゃなくてあるまじきだから?」
「まあまあ、マリ、落ち着いて落ち着いて、どおどお」
先ほどの女性が彼女を宥(なだ)める中、彼が大量の鉛筆を手に持ち、レジに向かう。
「これください」
「はい、十点で三千百五十円です」
「百十五円はどうして増えた?」
「消費税という税です」
なるほど、物を買うと税がつくのか。
王族の彼に、消費税は生活に浸透はしていない。
「貴方は誰?」
先ほどのロングヘアの女性が話しかけてきた。
「???そちらこそ何方?」
「私は高槻(たかつき)桜(さくら)。マリのクラスメイト、貴方は?」
「俺は三笠和樹。ミサカじゃないからね」
彼が右手を差し出し握手を求める。彼女がそれに応じ握手を交わす。
「貴方ってマリの彼氏?」
「カレシ?カレシってなんだ?」
「恋人のことよ」
「だ、だから私たちは恋人同士じゃなくて」
篠舘が再び止めに入る。
「コイビト?コイビトとはなんですか?」
「恋人っていうのはね。お互いに好きで好きでたまらない人のことよ~」
「篠舘さんはコイビトではないです。頼れる隣人です」
「ふうん」
彼女がつまらなそうに相槌を打つ。
「ではまたいつか。どうしたの?篠舘さん」
「い、いや、別に……」
彼女が少し疲れた表情で一息吐(つ)く。
「じゃあ行きましょう」
「あ、うん。サクラ、またね」
「はいはい、お幸せにね」
「だから恋人じゃないっちゅーに!!」


二人が下りのエレベーターに乗り、ゆっくりと降下していく。
「そういえば、そんなに鉛筆買って、どうするの?」
「昨日見せた能力の弾丸として使うのです」
「そんなんでいいの?」
「本当はもっと固い物が良かったんだけど、さすがに取り扱ってないでしょうし」
彼女はホームセンターによく売っている鉄製の棒を思い浮かべた。
「まあ、確かに」
やがてエレベーターを降り、出口へと体を向ける。
「そういえば、食事をどこでとればいいか分からない。どこでとるんですか?」
「じゃあ、レストラン行く?」
「レストラン?何それ?」
「食事を提供してくれるお店のことよ、あれ」
彼女の指差す方角には「ホワイトアイ」と書かれた看板を掲げるファミレスが鎮座してる。
「ホワイトアイ?どこの国の言葉ですか?」
「ホワイトアイってのは、英語でメジロを意味することだよ」
「めじろってなんだ?」
「鳥の名前だよ」
「鳥の店ですか?!」
「違う違う、そういう名前の店」
「とにかく行ってみよう」
彼はどんどん進んでいき、店の中に入る。
「いらっしゃいませ、何名様ですか~?」
「ほー、ここにも侍女が」
「違う違う、店員さんだよ。二人です」
彼らは案内された先の席に着いた。店にはゆったりとしたクラシック音楽が流れている。
「篠舘さん、これは何?」
「それは店員さんを呼ぶ呼び鈴」
彼女は頬杖を突きながら質問に答える。
「ステーキって何?」
「それは……、肉……」
「どうしたの?篠舘さん」
「いや……、ちょっと…、久しぶりに歩いて…、眠い……」
「なるほど、日本人は長距離を歩くと眠くなるのか…」
「違…、多分……、私だけ………」
彼女はスースーと寝息を立て始めた。
うーん、すてーきは肉なのか。クリザンテムの生物とは、また違う進化を遂げた生物の。
彼は周りをキョロキョロと見渡す。
みんな旨そうに食ってるな。じゃあ俺も、呼び鈴を。
呼び鈴が鳴り響く。しばらくするとウェイトレスがやってきた。
「お待たせいたしました。ご注文をお伺いいたします」
「えっと、このすてーきせっとのらいすを一つ」
「はい。えっと、お連れ様はいかがいたしますか?」
店員の向く方には、気持ちよさそうに眠っている少女が一人。三笠が二三回突く。
「このまま寝かせてあげましょう」
「は、はぁ」
店員は困り顔で彼の注文を機械に打ち込んだ。


あれ?私、いつから寝てたっけ?
彼女が机にへばっていた体を起こす。
ん?紙?
三笠がいた席には、紙と五千円札が置いてあった。その紙には、ガタガタの日本語で『色々と見たいので先に行く。兄貴に送ってもらうので帰ってて大丈夫です。』と書かれていた。
あー、なんなのあいつー。
寝ぼけ眼で紙を見つめる篠舘であった。



「いやー、しかし日本てすげーな」
「彼女置いてきちゃっていいのか?」
「大丈夫ですよ。この辺に詳しそうだし、気持ち良さそうに寝てるのに起こした可哀想だし」
燥(はしゃ)ぐ三笠に並行して、高松と隣を歩く九城麗奈(くしろれな)が笑っている。綺麗なロングヘアの女性で、いわゆる「きれいなお姉さん」だ。
「でも、私もここに来た時は驚きの連続だったよ」
「本当に、和樹君は会ったばかりのノブにそっくりね」
「そうか?」
閑静な住宅街に三人の笑い声が響く。やがて三笠のアパートに到着した。
「じゃあ兄貴、送ってくれて有難うな」
「おう、任務を忘れるなよ」
「分かってるよ」
「じゃあ?」
高松たちは元来た道を戻っていった。小さいが彼らの会話が聞こえてくる。
「ねえノブ、今夜は何が食べたい?」
「そうだな。魚の料理がいいな」
仲がいいなー、あの二人。
三笠は遠目に二人を見つめていた。
彼が部屋の鍵を開けると、そこには篠舘の部屋と同じ間取りの部屋が広がっていた。
えっと、こっちの時間で四時に家具とかが届くんだよな。
彼が時計に目をやると、時計はまだ三時を指していた。
まだ時間があるな。じゃあ、買ってきたヤツで試し撃ちでも。
彼は買ってきた鉛筆を手に取ると、窓を開け、そして彼の手から光が一閃。


三笠探しを諦め、バス停でバスを降りた篠舘の目には、その一閃の光が映った。
な、あいつ、こんな昼間にあれやっちゃうなんて?全く?
彼女はアパートに向かって走り出した。その間にも光が一閃、一閃、また一閃。
やっとのことで彼女がアパートに着く。そして階段を駆け上がり、三笠の部屋へ突撃する。
「ま、待てぇぇぇぃ……」
彼の手から光が一閃、さらに部屋に風が巻き起こる。
「何だ篠舘さん。もう帰って来たの?」
「あ…、あなたがいなくなったから、色々探してこっち来たら、光が一閃って、何考えてんの?」
彼女は荒い息とともに、疲労と怒りで落ち着いて話ができない。
「あー、ゴメンね。気持ち良さそうに寝てたもんだから」
彼女が心底呆れかえった声で溜息を吐く。
「全く、どんだけ、マイペースなの、あなたって人は」
篠舘が玄関に座り込む。未だに息が荒い。
「日本はいいな、ああいう施設が揃いすぎるぐらい揃っているから、毎日楽しいだろうな」「あなた確か王族でしょ?宮殿にも少しはそういうのはなかったの?」
「俺は王族だけど、向こうではずっと軍人の教育を受けていたから、こういうのは新鮮なんだよ」
彼女が「ふーん」という力の抜けた声を出す。
「私、もう戻るね…」
どっと疲れた篠舘がゆっくりと部屋を出た。
篠舘さん…、大丈夫かな…。
彼が静かにしまったドアを見つめていると、突然部屋の天井に黒い穴が現れた。彼が日本に来た時と同じものだ。
あれ?もう来た?早いな。
やがて穴から執事服を着た老人が見事に着地した。彼は日本語ではなくクリザンテムの言語で話し始めた。
「こんにちは殿下」
「おお、爺ちゃん。来てくれたんだ」
「はい、殿下のお部屋を装飾するために参りました。まもなくお荷物が到着いたします」
「あー、爺ちゃん。今からもう一人来れる?」
「構いませんが、どなたを呼ぶつもりで?」
「料理人のローデンス。あいつにここの料理意を作ってもらいたい」
「しかし、彼はここの料理を作ったことはないと思いますが」
「大丈夫、大丈夫。篠舘さんに色々聞けばいいと思う……、あっ、バッグ置きっぱなしだ。取りに入ってくるね」
「かしこまりました」


篠舘が自分の部屋で一息つきながら麦茶を啜る。ふと部屋の端を見ると、三笠のキャリーバッグが目に入る。
あれ、そういえば出してなかった
突然、三笠の「どうもこんにちーーーはーーー!!」という叫びに篠舘が「ぎゃああ!!」と悲鳴を上げる。
「五月蠅いわね!!来客があった時の磯野家みたいなテンションで入ってこないでよ!!インターホン押してって昨日教えたばっかりだしょ!!」
噛んだ。
「あー、忘れてた。荷物置きっぱなしだったから引き取るね」
三笠が部屋の隅に置いてある荷物を手に取り、部屋を出た。
「全く、ああいうのをマイペースっていうのか言わないのか…」
彼が部屋に戻ると、黒い穴からソファーがゆっくりと出てくる途中だった。レノードが降りゆくソファーを受け取る。
「おお、爺ちゃん。俺やるから大丈夫」
彼が自分の荷物をほっぽり投げ、ソファーを受け取る執事に駆け寄る。
「いえいえ、お手数はかけません。殿下はお休みください」
「何言ってんの。じゃあ、ソファーはそこに置こう」
「かしこまりました」
二人は部屋の壁にソファーを置いた。
「ふう、結構重いなソファーって。あと何が来るんだ?」
執事が紙を取り出す。
「えぇ、ソファー一点、冷蔵庫一点、食器棚一点、収納ケース一点、固定電話一点、ダイニングテーブル一点、リビングテーブル一点、椅子が四点、クッションが二点、四十六いんちのてれびじょん一点、レースと防音のカーテンが一点、ですくとっぷのぱーそなるこんぴゅーたーが一点、タンス一点、グラスが4点、ゴミ箱二点、以上です」
「結構来るな。この部屋に収まるかな?」
「次が来ますぞ!!」
「お、おう!!」
彼らは次々にくる家具を懸命に並べていった。やがて、ワンルームの部屋が少しずつ立派になっていった。



そういえば、三笠君って料理できるのかな?
部屋に電撃訪問された後の篠舘がソファーに座り込んで考える。
何か作ってあげようかな。
彼女は部屋を出て三笠の部屋に向かい、インターホンを鳴らす。
返事がない。
あれ?留守かな?
すると、豪速でドアが開き、彼女の顔(特に鼻)に直撃した。
「どなた?ありっ?」
彼が廊下を見まわすと、鼻をおさえて痛がる女性が一人。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないよ!!」
「あ、篠舘さん。何してんのこんなところで」
「アンタに攻撃されたんでしょ!!」
「あー、すいやせん」
「何?さっきの態度とはまるで違うんだけど?!さっきのは他人だと思ってたの?!」
「まあまあ、餅突いて餅突いて」
「落ち着いてでしょ!ふざけてんの?!」
「殿下、まもなくお料理が出来上がります」
三笠の後ろからレノードが現れる。
「殿下?誰それ?あと何方(どちら)様(さま)?」
かのじょが目じりに涙を浮かべながら訊く。
「この爺ちゃんは、父さんが王太子の時代から俺んとこの執事やってるレノード爺ちゃん」
「貴方様のことはご存知ですよ。殿下のパートナーの篠舘真理様」
「え、ええ。すごーい執事いるんだ」
「殿下、食事のご用意が出来ました」
「食事?何作ったの?」
彼女が部屋に入ると、そこには自分の部屋より立派で豪勢な部屋と、ダイニングテーブルにはシェフの服を着た男が作ったと思われるフランス料理風の魚料理が並べられていた。
「すす、すすすす、凄い…」
彼女は只々感服していた。
「ローデンス、この白いのは何だ?」
「この国の主食で米というもので御座います。品種の名前はコシヒカリという名前だそうです」
「じゃあ、このピンク色のは?」
「これは鮭という魚です」
くーー!!なんでこんなに豪勢な食事が食べられるの?!私だって食べたことないのにー?!なんか狡ぅぅぅぅい!!
彼女が非常に悔しそうな表情で料理の並ぶテーブルを見つめる。
「よろしければ、篠舘様もお召し上がりになりますか?」
「なります!なります!なります!!」
「かしこまりました」
燥ぐ篠舘の傍ら、三笠がローデンスと楽しそうに会話を始める。
「ローデンス、よく日本語喋れたな」
「ええ、ティレス様にお食事を提供した際、既に日本語に慣れたティレス様との会話が合わず、大変苦労したので。日本ではいい食材が手に入るので、私もたまに来ているのですよ」
「なるほど、日本通か。ところでひとつお願いがあるのだが」
「何ですか?」
「この料理の作り方教えてくれないか?」
「宜しいですが、殿下がお作りになるのですか?私はいつでもこちらに」
「それはお前に迷惑がかかる。俺はこっちで兄貴達みたいに自立して生きなきゃいけないんだから」
「作用でございますか」
「あ、あと、爺ちゃんの分も頼むよ」
「わかりました」
その晩、賑(にぎ)やかな晩餐会(ばんさんかい)が催された。



「ふー、凄くおいしかったー」
篠舘が腹をゆっくりと擦る。ローデンスが皿を片付け始める中、向かいに座る三笠が質問を投げかける。
「ところで篠舘さん。コーコーというのは何時に行けばいいんだ?」
「あっ、いつもはここを七時五十分ぐらいに出れば八時には着くけど、編入初日だから三十分ぐらいに出た方がいいかもね」
「では、その時間に私がお伺いいたします」
「ああ、制服の着方教えてな」
「かしこまりました。では、お時間ですので我々はこの辺で」
床に黒い穴が発生し、レノードと皿を洗い終わったローデンスは穴に消えていった。
静かになった部屋で、三笠が再び質問を投げかける。
「篠舘さん」
「何?」
「コーコーは楽しいのか?」
「うん。楽しいよ。三笠君もすぐ馴染めると思うな」
「だといいな」
「じゃあ、私帰るね。ごちそうさま」
「ごちそうさま?」
「食事を終えたときに、食べ物に感謝の意を表する言葉だよ」
「そうか。日本語は難しいな」
彼女は自分の部屋へ戻っていった。
はあー、篠舘さんは優しいし物知りだから助かるな。

日がすっかり暮れたころ、三笠がテレビのリモコンをいじっている。日本語が流暢とはいえ、文字はまだ把握できていない為、彼は非常に苦労していた。
えっと…、これを押すと……。
彼がボタンを押すと、テレビが点き、バラエティーが流れ始める。
こっちは何だ?
彼がボタンを押すと、映画が流れ始める。どうやら戦争もののようだ。
えっと…、こっちは何だ?
彼がボタンを押すと
『スカーレットオォォォォォォォォォォォォォォ!!』
彼が耳を塞ぐ。音量の調整ボタンを押してしまった為、大音量でセリフが流れた。
彼が急いで電源が点いた時のボタンを押し、一息吐く。
こ…、こいつは殺人兵器なのか…、どうすれば…。そうか。
彼が再び篠舘の部屋に向かう。
「篠舘さん、ちょっとてれびじ」
「ギャアアァァァ!!」という耳を劈く悲鳴ともに、彼の頬を貫く鈍い音が響く。
「だから?部屋を訪ねる時はインターホン押してって言ったでしょ?」
上半身下着姿で寝間着を手にした篠舘が怒り顔で叫ぶ。
「ひ(い)…、ひひゃ(いや)…、ひょんひゃほほひょり(そんなことより)」
「何言ってんのか分かんないよ!!部屋はいる前にノックすることって、社会人として常識よ!!」
「ひょ、ひょひはへふほひひゅひへ(と、とりあえず落ち着いて落ち着いて)」
「餅ついていられますか!!」
「ろりるりれ(落ち着いて)」


「で、私に何の用?」
寝間着姿の篠舘が怒った声で彼に質問を投げかける。
「てれびじょんの使い方がわからないので、教えて頂きたい」
「全く、それだけの為に部屋に突撃して、私の下着姿見たっていうの?」
「下着姿を見たら、いけないのですか?」
ダメだ、こいつに一般常識は通用しないみたい…。
彼女が額に手を当て、呆れ顔で俯く。
「分かったわよ、じゃあ部屋に行かせてちょーだい」
三笠の「分かった」との一言で、二人が彼の部屋に向かう。
二人が部屋に入ると、彼女がリモコンに手を伸ばす。
「えっと、まずこれが電源」
彼女がボタンを押す。
「大佐ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」との叫びと共に、大爆音がテレビから放出される。
彼女が耳を塞ぐ右手をリモコンへと伸ばし、音量のボタンを押し続ける。やがてテレビの音量が少しずつ下がり始め、ちょうどいい高さになった。
「…ま、………、全く…、何で音量を八七なんかにすんのよ…」
「いやあ、設定の仕方が分からなくって…、あっはっはっはっはっは!!」
彼のふざけた笑い声に、篠舘がドアへと体を向ける。
「わー、ごめんなさいごめんなさい、ふざけすぎました」
「全く…」
私もまだまだお人好しだな…、と思いながらリモコン操作を指南する篠舘であった。


夜も更けた頃、バラエティ番組が終焉を迎え、三笠が大きな欠伸を一つ。
ここにはベッドはないから…、布団はどこだ?
彼が部屋の様々な場所を探すが、布団と思えるものがない。
えっと、こっちでは「敷布団」というのがあるらしいけど…、どこだ?どこだ?どこですか?
彼は仕方なく、持っている限りの服を引っ張り出し、布団代わりに体に掛けるとそのまま眠りに就いた。
「………、へっくし!!」

幕間  Story of Coup d’état

秋の静かな昼。
王城宮殿に程近い場所に鎮座する「能力防衛大学校」。この大学では幹部クラスの軍人を養成するため、高度な軍事教育が行われている。
そして大学校内に鎮座する能力の更なる強化を目指す「上級能力開発研究所」。
研究所内にて少量の書類を前に、白衣の男がポケットに手を突っ込み、不機嫌に立ち尽くしている。書類には「黒い光と神に召されし町の人」と記されている。
黒い光。つまり爆発と閃光、そして防衛以外にも能力が存在するということか…。あの王家を倒す方法がこんなものでよいのだろうか…。
アウェン=チェルシア技術少将。若くして研究所の副所長に選出された陸軍軍人。
そこに一人の研究員が走ってきた。
「技術少将閣下、貴殿宛の書状をお預かりしております」
研究員がポケットから封筒に入った手紙を取り出す。
彼が手紙の封を開けると、その手紙には協力者からの諜報活動の報告が記され ていた。
やはりな、能力は三つ以外にもある。そして王室の圧制で他の能力自体の存在自体が否定されている。この国は周辺国とは基本外交がない鎖国状態だからな。国境にも警備の能力者はいるし、これぐらいは簡単に隠せるか。
「ご苦労、相手からは何か言われたか?」
「いえ、何も言われておりません」
「そうか、私はしばらく席を外すと所長に伝えてくれ」
彼は手紙をポケットにねじこむと、研究所を後にした。


多くの人が行きかう王城宮殿の四つの門の一つ「ラクスニェート門」前。宮殿を前に見るこの通りは老若男女問わずに人が集まる。
門に程近い喫茶店に、先程の白衣の男が入る。彼は二人用の席に座ると、近くに立つ店員に嗜好品を頼むと、静かに外を眺めている。
遅い…、遅いぞナップランド。いつまで待たせる気だ…。
彼のイライラが少しずつ募り始める。やがて店員が注文した品を席に運んできた。
「待たせたわね」
戻っていく店員の後ろから、重そうなバックを持った女性が話しかけてきた。
「合言葉、自由と?」
「革命」
「よし。遅いぞ、ナップランド」
「ゴメンゴメン、門を出る時にちょっと手古摺ってね」
「まあいい。ちゃんと持って来たか?」
「私を誰だと思ってんの?侍女上官ジェルセント=ナップランドよ。お仕事はちゃんとやり遂げるの、この通り」
ナップランドがバッグから古びた分厚い百科事典のような本を取り出し、机に置くと席に着いた。
ジェルセント=ナップランド。内宮庁侍女上官。国王に仕える三百人の侍女を纏める女性。見た目はそれほど年を食っていないように見える。
彼女の置く本の表紙には「クリザンテム能力記」と書かれている。
「これが…、隠された能力の詳細が記された本…。やはり能力は他にもあったんだな…」
「さらにこれも」
彼女はさらにバックから小さな羊皮紙を取り出す。
「こいつは何だ?」
「この国以外でも禁じられている「禁断の絶対能力」の詳細が描かれた羊皮紙」
「こいつを駆使すれば、この国をひっくり返すことだって簡単なわけか」
「そういうこと。じゃあ、解読とテストよろしくね。アンタが出来たら私も使うから」
彼女が席を立とうとするが、彼がそれを止める。
「なに?用は済んだでしょ?」
「私一人に任せるのか?まだ使ったこともないし、どうなるか」
「だったら犠牲は少ない方がいいでしょ。それに、もし使えたなら、あの方がアンタにどんな待遇をなさるか、楽しみね。じゃあ私、フィランス殿下のお世話と、お若き侍女への指導があるから、じゃあね」
彼女はそう言い捨てると喫茶店を後にした。
残された彼は、彼女が持ってきたバッグに再び本を詰めると、店を後にした。


 第二章 デイトオブハイスクール Date of High school


三笠が目を覚ますと、彼の傍にレノードが立っていた。
「あ…、おはよう爺ちゃん」
「殿下、おはようございます。よくお眠りになられましたか?」
「あー、結構気持ちがいいよ。爺ちゃんも大変だな、早起きなんて」
「いえ、慣れておりますゆえ。それにしても、こちらの朝は眩しいですね」
「イゲヤールシエルより明るいよな」
「テーブルに朝食が用意しております」
ダイニングテーブルには、トースト二枚に、目玉焼き、ベーコン、サラダと十分すぎる朝食が用意されていた。
「このちょっと色のついた白い物は何だ?」
「これはトーストと言ってパンを焼いたものです」
「パン?」
「小麦という植物の実から作る主食の一つです」
「じゃあ、真ん中の黄色いのは?」
「これはこちらの世界の卵です」
「こちらの世界は黄色なのか………」
彼は椅子に腰かけ、トーストとベーコンを頬張る。
旨い、爺ちゃんが作ったのかな?
「爺ちゃん、これ爺ちゃんが作ったのか?」
「作用に御座います。お口に合いませんでしたか?」
「いや、旨いよ」
執事は心底から嬉しそうな顔で微笑んだ。
「そういえば爺ちゃん」
「どうされました?殿下」
「コーコーの制服の着方が分からない。教えてくれ」
「分かりました。ではお食事の後に」
そして食事を終えると、彼は制服のワイシャツを羽織り、ボタンを閉める。そしてズボンを履き、ネクタイで苦戦する。
「くっ、くそ!全然できねえ!爺ちゃん教えて」
「はいはい、ここを二回まわして、こうです」
「なるほど、二回まわしてこう…、出来たぞ」
「覚えが早いですね」
「篠舘さん曰く、編入初日は早く行った方がいいらしい。だからもう行くよ」
「では、私も陛下の元に戻ります」
「おう、有難うな爺ちゃん」
彼は部屋に鍵をかけ、アパートの階段を下りていった。
…………、あ。
彼は何かを思い出したように二階へ駆け戻り、自分の部屋を通し越し篠舘の部屋のドアへ急いだ。今度はしっかりとインターホンを押し、彼女を待つ。
しかし返事がない。
まだ寝ているのか?…。………。
再びインターホンを押す。このアパートのインターホンは、押せば再び鳴り始める。つまり、高速で連続で押すと「ピピピピピピピピンポ~ン」という軽やかな音が鳴り響く。
これを見つけた三笠は、早速遊びにかかる。
押す。押す、押す、押す、押す、押す、押す、押す、押す、押す、押す、押す、押す。
「うるッッッさぁぁぁぁぁぁいい!!」
制服の腹部のボタンが留まっていないグダグダの制服姿の篠舘が飛び出してきた。
「おはようございます篠舘さん、コーコーまでの行き方が分からないのですが」
彼女が心底呆れた溜息を一つ。
「あー、全く…、案内するから、ちょっと待ってて」
彼女はドアを閉め、五分後、きっちりとした制服姿で出てきた。
「じゃあ、行きましょう」
彼女は三笠を先導し、道を歩き始めた。パークプランタンの周りには住宅しか無い為、朝は数台の車しか通らず、基本静寂を保っている。
「しかし、このねくたいというのは不便だな。士官学校の制服は縦にボタンを留めるだけでよかったのに」
三笠がネクタイでヒラヒラと遊びながら不満そうに言う。
「ブレザーは面倒だって、ウチの男子も言ってたよ」
「うち?家に男が住んでいるのか。知らなかった」
「違う違う?ウチっていうのは高校のこと」
「ああ、そうか」
晴れ渡る空に鳥が飛び交う中、二人は高校に向かう。



三笠が私立鈴丘(すずおか)高校の応接室でソファーに座り、教頭と対峙している。
「ええっと、君が編入生の三笠和樹君ね」
「はい」
「ドイツ人とフランス人のハーフ。父親がドイツ、母親がフランス在住で、親の希望により日本の高校に編入。複雑だねぇ」
「そ、そうなんです。日本に爺ちゃんがいるので、助かってるんですけど…」
「君は二組だ。担任はこの那珂川(なかがわ)貞雄(さだお)先生。彼について行ってね」
教頭がソファーの後ろに立つ教師を指差す。
「はい。よろしくお願いします」
彼が深々と頭を下げると、那珂川が返礼をする。
「じゃあ、ミサカ君、行こうか」
「先生、ミサカじゃなくて三笠です」
「おお、ゴメンゴメン」


二組ではちょっとした騒ぎになっている。編入生が来るというのは盛り上がるものだ。その二組には篠舘と高槻もいる。
学校中にチャイムが鳴り響き、那珂川が教室に入ってくる。
「えー、知ってる人がいるかもしれないけど、転入生が来ました。入って」
三笠は凛とした態度で教室に入ってきた。
「ええっと、編入してきた三笠和樹君です」
「はじめまして、フィランス=アルバール=キャトリエム=サンクトキンです」
教室中の空気が一気に冷める。いきなり外国人っぽい名前を述べられても「こいつ中二病じゃねえの?」としか思えない。
し、しまった…、実名を言ってしまった…、どうしよう…。
「そ、それは海外にいる時の名前?」
切り出してきたのは篠舘だった。
「そ、そうです?日本名に改名して、三笠和樹となりました。えっと、ミサカではありません。よろしくお願いします」
彼が一礼すると、冷めた空気が一気に和らいだ。
「ええっと、窓際の最後の席が空いてるな。篠舘の左隣だ」
「はい」
彼が席に着くと、早速質問の嵐が吹き荒れる。しかし、担任が止め、収拾をつけた。
しかし、ホームルームが終わると、やはり質問の嵐が吹き荒れる。
「俺、逢坂(おうさか)健二(けんじ)。三笠はどこから来たんだ?」
「え、あー、えっと…」
彼が手詰まる。異世界と言ってしまうとやはり「中二病」としか思われない。
「え、えっと、ドイツって言ってなかったっけ?」
またも救いの手を差し伸べたのは篠舘だ。
「え、そ、そう。どいつ」
「ドイツのどこ?」
「どこって…、えっと…」
「ふ、ふぉ、フォアレットドアブルクとか言ってなかったっけ?」
なんか適当な名前とブルクつけて答えちゃったー。そんな場所ないよー、多分。
彼女の体中から冷汗が噴き出し始める。
「へー、なんかドイツっぽいー」
何?なぜ王城宮殿の名前がフォアレットドアブルクって知っているんだ?
彼は色々な意味で驚愕していた。
「でも何で篠舘が知ってるんだ?」
「え?えっと、それはね、えっと…」
「それは、彼女が俺の隣人だからだ」
周りからは「えー!!」「うそー!!」などの声が聞こえてくる。
「三笠って、あのパークプランタンに住んでるのか?!」
「そうだけど」
「パークプランタンってワンルームで大変じゃない?」
「そうでもない。快適な部屋だ」
「そして、隣人同士の深い愛を育んでいくのねえ」
高槻の一言が、周りをさらに扇動させる。
「二人って付き合ってんの?!」
「違う違う?!」
篠舘は顔を赤らめ、三笠は首を傾げる。
やがてチャイムが鳴り響き、生徒は続々と席に戻っていった。



昼休み。
ほとんどの生徒が席で食事を摂り始める。三笠は篠舘に言われた通り、購買でパンを買い、自分の机で食べている。購買は人気のパン狙いや、弁当を忘れた生徒達でごった返していた。そんな戦場からどうにかして商品を勝ち取った三笠は
「三笠、一緒にいいか?」
「ん?どうぞ」
名前を知らない生徒が近寄ってきた。
「俺は戸津川裕(とつかわゆたか)。宜しくな」
「こちらこそ宜しく」
三笠があんぐりとパンを頬張る。
今朝のパンもいいが、こっちのパンも旨い。
「あのさ、いきなりこんなこと聞くのも失礼かもしれないけどさ」
「何?」
戸津川が小声で話し始めた。
「三笠と篠舘さんって付き合ってるのか?」
「つきあってる?何だそれは?」
彼がパンを頬張りながら首を傾げる。戸津川は少し顔を赤くしながらさらに続ける。
「え…、つまり、恋人同士かってことだ」
「ああ、そういうことか。それはあそこのタカツキにも訊かれたのだが、俺たちはそのコイビトではないぞ」
「で、でも隣に住んでるんだろ?」
「確かに隣に住んでいるが、篠舘さんは頼れる隣人、それだけだ」
「ふ、ふーん」
「もしかして、トツカワは篠舘さんとコイビトになりたいのか?」
「な……、う…、ああそうだよ。中学の時から憧れてんだよ」
彼が俯きながらそう呟くと、さらに頬を染める。
「なるほど、一方的にコイビトになりたいと思うのか。難しいな」
「お前、好みの女とかいないのかよ?」
「好みの女…、周りに女がいなかったからなあ」
「おっ、なんか面白そうな話してんなー」
周りに男子生徒が続々と集まってくる。
「三笠は男子高出身かー」
「このクラスの女子でタイプいるか?」
「たいぷ?」
「好きな子はいるかってことだよ」
三笠が教室をキョロキョロと見回す。関係ない真後ろまで。
「いないな」
「どうして後ろを向いた……、じゃあどんな女が好きなんだ?」
今日来たばっかりなのに大変ねえ、三笠君。
篠舘が昭和のお婆ちゃん風の顔をしながら、ペットボトルのお茶を口に含む。
「どんなヤツが好きなんだ?」
「そうだな…、マリィみたいなのが」
篠舘がむせ、近くの生徒から驚愕の声が上がる。
「やっぱ篠舘さんのことが好きなんか?」
「待て待て。マリィってのは家にいた侍女のことだよ」
「侍女?」
「メイドさんのことよ」
「すげー、メイドさんがいたんだ」
「お帰りなさいませ、ご主人様。ってやつか」
「いや、家事とかをやってくれた」
再び三笠の周りに人が集まってくる。
全く、脅かさないでよ。
篠舘は再び、口にお茶を含む。教室の騒ぎ話まだ治まりそうにない。



夕暮れ時、三笠や篠舘は多数の生徒と共に帰宅の途に就く。途中で少しずつ生徒が減っていく。やがてパークプランタン前で三笠と篠舘が集団と別れ、二階で二人が別れる。
さぁて、爺ちゃんたちに頼りっぱなしじゃ悪いからな。流石に自分で用意しなきゃか。
彼は制服から軍服に着替えると、財布を手に取り、部屋を出た。
そして再び、篠舘の部屋のインターホンを連発する。そして、再び篠舘が飛び出してくる。
「ウルサイって言ってんでしょうが!!どおぉぉぉぉして学習しないの?!」
「この辺で食料を調達する場所はないですか?」
「話聞けーーーーーー!!」
「まあまあ落ち着いて落ち着いて」
「アンタってどーーーーーしてそんなマイペースでいられんの?!」
「まいぺーす?まいぺーすってなんだ?」
彼女は呆れかえってものも言えない。
「で?食べ物が欲しいの?」
「そうです」
「スーパーは向こうに「ExHibition(エキシビション)」っていうスーパーがあるから、そこで食べ物が買えるよ」
「有難う。じゃあ」
彼は階段を下りていった。
全く、頼ってくれるのはいいけど、あの性格どうにかしてくれないかな…。
彼女は部屋に戻り、棚を開け、中を見渡す。
やばい、副菜とかののストックがない!私も行かなきゃ。
彼女は制服を脱ぎ捨て、私服に着替えると、バックと財布を手に取り部屋を出た。


三笠は周りをキョロキョロと見渡しながら、スーパーを探す。
えーっと、篠舘さん曰く、えきしびしょんという名前の建物か。
当然だが、彼は日本語が解読できても、仮名や漢字はまだ理解していない。ましてやアルファベットなど外国語の外国語の訳だから尚更分からない。
「三笠くーん」
彼の後方から女声が近づいてくる。彼が振り向くと、篠舘が走ってきた。
「何だ篠舘さん、来たの?」
「来ちゃ悪い?」
「いや。ところで」
彼が黙り込む。そして顔が真剣な表情になっていく。
「どうしたの?」
「……、ここはどこだ?」
「あー、迷ってたわけねー」
「そうだ…、迷った…」
「まあ、この道で正解だけどね。ほら、あれがエキシビション」
彼女の指差す方向には堂々と「ExHibition」という看板を掲げたスーパーマーケットが鎮座していた。
「あれが、えきしびしょんか…」
「そう、エキシビション。この辺じゃ有名なスーパーだよ」
「よし行こう」
「あ、ちょっと待って、また迷うよー」
彼はどんどんスーパーに進んでいき、彼女はその後を追う。



 スーパーで買い物カゴを手に、スーパーの棚を物色する男女が一組。三笠がスーパーの中を興味深そうに見渡す。
「凄いですねここは」
「スーパーは初めて?」
「うんうん。まさによこどりみどりですな」
「選(よ)り取(ど)り見(み)取(ど)りでしょ?!」
二人はまず野菜品の棚から見て回る。勿論彼は日本の野菜は見たことは無い。
「この丸いのは何?」
「これはキャベツだよ」
「これは?」
「これは茄子。この辺は殆どが野菜だよ」
「やはり、クリザンテムとは違うな…、お?」
三笠は鮮魚製品の棚へ走って行った。
うーん、昨日の魚のサケってのはどれだ?ガディラーの料理はピンクだったけど…。
「だから三笠君、勝手にどっか行かないでよ!!」
「篠舘さん、サケってのはどこにあるんだ?」
「全く、鮭はこれ」
彼女は魚の切り身の列からサケの切り身を取る。
「ローデンスに「さけのむにえる」というものを教えてもらう予定だから、これ買わなきゃなんだよね」
「ローデンス?昨日の大膳職の人?」
「だいぜんしき?」
「王様とかにに仕える料理人のことだよ」
「なるほど、だいぜんしきか。…、この白い物は何だ?」
「これはスズキのお刺身。珍しいなあ」
「じゃあこっちの赤いのは?」
「これはマグロのお刺身。こっちはメジャーだね」
「こっちの魚の肉は二色あるのか」
「そうそう」
彼はカゴにスズキと鮪の刺身を入れると、精肉品の棚へ向かった。
「刺身はどうやって食べるんです?」
「そのままよ。醤油と付けると美味しいんだよ」
「しょーゆ?」
「調味料のこと、ほらこれ」
彼女はたまたま置いてあった醤油を手に取る。
「ここの調味料はしょーゆというのか」
「あとは、味噌とかお酢とか色々あるよ」
「調味料か、この赤いのは何だ?」
「これは牛のお肉だよ」
「これは?」
牛は知ってるんだー。
「これは豚のお肉」
「豚ってなんだ?」
豚は知らないのかー。
「豚っていうのは動物の名前だよ」
「…、旨いのか?」
「焼いても茹でても美味しいよ」
「じゃあ買おう」
彼は豚のロースを手に取る。
「それ焼き肉用だけど…、いっか」
カゴにロースを放り込むと、二人は缶詰の棚へと向かう。
「これは何だ?」
「それは白桃の缶詰。保存食だよ」
「ほう、じゃあ」
彼が唐突に見当違いの方向に向かう。そしてペット用品の並ぶ棚の一角を指差した。
「これは肉の缶詰か」
「違う違う違う!!それは猫缶!!ペットの御飯だよ!!どこで知ったのその情報!!」
「なんだ、食い物じゃないのか」
「食べ物じゃないの」


彼らはスーパーの中をくまなく物色すると、会計に向かった。レジのお姉さんが忙しそうに彼の商品を機械に通す。
「合計、七二四五円になります」
彼は万札を差し出すと、釣銭を受け取らずにカゴを持ち出した。
「おっ、お客様?!カゴは持ち出さないでください!!」
「じゃあどうしろっていうんだす?」
「そちらの台で袋に入れてお持ちください」
「不便だなー」
「あと、二七五五円のお返しです」
「なんで小価値の通貨が戻ってくるんだ?」
「こ、これは差し引いて余ったお金だよ」
「ああ、なるほど」
彼は釣銭を受け取ると、台で商品を袋に詰め始めた。
この袋は随分と脆いな。なんでこう薄っぺらいものしか配らんのか、よく分からんな…。
彼が袋に苦戦していると、篠舘が三笠の肩を突いてきた。
「ん?何?篠舘さん」
「悪いんだけどさ…、お金貸して!!」
彼女が顔の前で手を合わせ、貸与を請(こ)う。
「いいよ、じゃあはい」
彼は財布から万札を二枚取り出すと彼女に差し出した。
「あ…、アリガト」
彼女がいきなりの高額紙幣に少し驚く。無理もない。
「家に帰ったらちゃんと返すから」
「あー、いいよ別に。いつもお世話になってるし」
「あー、そう…。うん…」
彼女の会計が終わると、台にて篠舘が商品を袋に詰め始める。
「どうして袋って脆いんだろ…、もうちょっと強めに作ってくれないのかな…」
「脆いですねー」
なんとなく気が合う二人は、スーパーを出て帰宅の途に就く。すると唐突に、ニャー、と可愛らしい声が足元から聞こえる。そこには首輪を付けた小さな黒猫が彼女を見つめていた。
「きゃー、かわいいー、クロネコだー」
彼女はしゃがんで黒猫を撫ではじめる。飼い猫の為か、猫は大人しく撫でられていた。
「先に帰るよー」
「うん、カワイ~ヨ~」
彼は黒猫とじゃれる篠舘を置いて先に帰っていった。


閑静な住宅街と表通りは、きれいな夕焼けに包まれている。
帰りの道は大体分かるから、もう篠舘さんがいなくても大丈夫かな。
彼が重そうに袋を提げ、自分の部屋を目指す。
「待て、フィランス王子」
唐突に実名を呼ばれ、彼がキョロキョロと辺りを見回す。しかし周りには誰もいない。すると塀の角から黒尽くめの服を身に着けた男が現れた。
「よう、フィランス殿下」
「貴様、何者だ?」
「私か?私はアウェン=チェルシアだよ」
「アウェン=チェルシア…」
「王子、お前の父親はクーデターの首謀者を探しているようだが、お前まで使うとは、国の力も落ちたな」
彼はようやく目の前の人間がどのような人間か把握した。目の前にいる黒尽くめの男は、彼の国で起こったクーデターの首謀者の一人、アウェン=チェルシア。
「まあ、ここでお前を捕らえて、交渉の材料にするもいいがそれより、ッッッ!!」
チェルシアの顔を光がかする。さらに一閃、一閃と次々に向かってくる。しかしチェルシアは華麗に右左へとかわす。
「きっ、貴様!!何の真似だ!!私の話を最後まで」
「黙れこの下衆ヤローーー!!」
彼の手から高速の光が発射される。チェルシアは緑も壁を作り、光を受け止める。
「貴様?士官学校で何を教わってきた?!」
「士官学校の教師は「敵と分かれば迷わずやれ」と言っていた」
「どうしょうもねえ教師たちだな」
「ちょっと三笠君、何やってんの?!ここ閑静な住宅街だよ!!」
三笠の後方から、急ぎ足で近づく篠舘の声が聞こえてくる。
「ちょっと黙ってて、目的の人見つけたんだからさ」
「目的の人?」
彼女の目には黒服の男が堂々と立っている姿が映った。
「あの人は?」
「あいつは俺の国に混乱を招いて、さらに今でも国を狙っているクーデター首謀者の一人、アウェン=チェルシア」
「ご紹介有難う。フィランス殿下!!」
チェルシアの右手から赤い光が発生し、三笠たちに向かってくる。
「赤い光?爆発能力は黄色の筈じゃ…」
彼は力の出せる限りの盾を目の前に発生させ、自分の身と篠舘を守る。光が盾に接触すると、強力な爆発と爆風が巻き起こる。
「爆発能力は上達することによって、光に赤みがかかるということは教わらなかったのか?」
チェルシアが嘲笑いながら、掌から再び赤い光を発生させ、三笠に向け発射する。
彼は篠舘の手を引き、路地裏に逃げ込む。その瞬間、道では耳に響く爆音と爆発が起きる。買い物袋が吹き飛ばされ、中に入っていたものが地面に転がった。
「バカめ。そんな狭いところに逃げ込んでは、勝ち目がないぞ、フィランス殿下」
クソッ、逃げることしか考えてなかった!!
チェルシアが路地裏の角に立ちふさがる。三笠は篠舘の盾になるように彼女を抱く。
「そこのお嬢さんには悪いけど、さようなら」
チェルシアが再び掌に光を集め始める。
直後、チェルシアの右手を光が貫く。三笠たちが痛みに苦しむチェルシアの咆哮を耳にする。
「残念だなチェルシア。そのさようならはまだ言わない方がいいぞ」
篠舘にとっては聞き慣れない、三笠にとっては救いの声が聞こえた。
「ッ…、バルゼティス…、なぜお前がここにいる…」
「兄貴ッ…、助かった…」
そこには、三笠とは色違いの軍服を着た男が立っていた。
「み、三笠くん…、あの人は?」
彼女は恐怖で声が震えている。
「バルゼティス……。俺の一番上の兄貴だ」
「弟の窮地とあらば、いつでも駆けつけてやるぞ。さあて、チェルシア。貴様を片付けるか」
「ふ、それはまた今度にしような、バルゼティス」
チェルシアが左手を空に翳す。すると掌から大量の赤い光が飛び出し、チェルシアの目の前で爆発を起こした。道路の破片や粉塵が舞い上がり、三人の視界を妨害した。
粉塵が治まるころには、その場にチェルシアの姿はなかった。



パークプランタンの三笠の部屋で、テーブル越しに三人が対峙している。
「はじめまして。私はフィラン…、じゃないな、三笠の兄のバルゼティス=ハイオーティオ=プルミエル=サンクトキン。こっちでは若竹迪(わかたけすすむ)です。お見知りおきを」
「ど、どうも。私は篠舘真理です。よ、よろしくです。えっと、失礼ですけどおいくつですか?」
「この日本は三六五日を一周期に数えているらしいから、それで計算すると、三十になる」
「三十?!随分と離れているんですね」
「ああ、私が十二の時、フィランスが生まれたからな」
「兄貴、アイツがチェルシアなのか?」
「そうだ、アイツがクーデターの参謀と言われているアウェン=チェルシアだ」
「あのー、話の流れがいまいち分からないんですけどー?」
篠舘が机に突っ伏しながら、小さく手を挙げる。
「何だフィランス。話してなかったのか?」
「そういえば、ちゃんと話してなかったな」
三笠が、あははははっ、とわざとらしく高笑いすると、若竹は呆れた顔で篠舘に説明を始める。
「実はね篠舘さん。私たちがこの日本に来たのは私たちの国を恐怖に陥れたクーデターの首謀者を捕まえるために来たんだ」
「それでさっきの男が首謀者五人の一人ってわけ」
「はぁ…」
彼女はイマイチ納得がいかない。
「そういえば兄貴、さっきなんでチェルシアが移動の能力を行使したんだ?」
「ああ、私も最初に見た時は驚いた。しかし、その理由については一つ仮説が立てられる」
「仮説?」
「…、クーデター首謀者の中に、王宮勤めがいた可能性があるということだ」
彼の部屋が静まり返り、時計の秒針を刻む音や外の車の走行音が部屋に響く。
「ってことは?」
「そうだ、筒抜けの可能性がある。クーデターの直後から王宮に来ていない人間は何人かいるんだ」
「じゃあそいつらの中にいる可能性あり、ってことか」
「えっとー、私一切ついていけないんですけどー」
「つまりだね篠舘さん。あなたは三笠のことを全力で支えて頂きたい、ということだ」
「そんな単語一度も出てきませんでしたけど?」
「そういえば兄貴、乱闘の後始末はどうすんだよ。道路は凹んでるし、塀は崩れちゃってるし、どう説明するんだよ」
「ああ、それはな。恐らく今のところ心配はない」
「なんでだよ?」
「行けば分かる。この辺りの地図はよく分からないから、篠舘さん、案内してくれるかな」
彼らは篠舘に連れられ、先ほどの乱闘の現場に向かった。
すると、現場には傷一つついていない普通の道があった。三笠と篠舘は驚きを隠せない。
「兄貴、これはどういうことなんだ?」
「私も、二度奴と闘った。しかし何度見ても、闘った現場は何も壊れていないんだ」
「奴らはどういう連中なんだよ」
「クリザンテムの人間に間違いないのだが、どうやってこのような力を手に入れたかは、まだは分からん」
「とっ、とりあえず戻りましょう?家に戻ってこの前の執事さんとか、あとは高松さんとかと一緒に話し合いましょう?」
「そうだな、とりあえず、家に戻るか」
「フィランス、私はこの辺で哨戒をする。有事には駆けつけるつもりだ」
そして口をフィランスの耳に近づけ「守ってやれよ」と呟き、若竹はスーパーの方へ歩いていった。
「だ、大丈夫なの?三笠君」
「分からない。分からないけど、家にいた方が安全だろう」
二人は夕焼けの中、パークプランタンへと急ぐ。



三笠が自分の部屋に戻ると、レノードが待ち構えていた。
「お帰りなさいませ、殿下」
彼は深々と頭を下げるレノードの目の前を横切り、椅子に腰かける。
「爺ちゃん、チェルシアが現れた」
彼は珍しく真剣な顔でレノードに話しかけた。
「チェルシア…、首謀者の一人ですか」
「そう。さっきバルゼティスに右手をやられて逃げていった」
「では、しばらくは家から出ない方がよろしいかと」
「でもコーコーを休む訳にはいかないからな」
「では、ティレス様に護衛を頼みましょうか?」
「できるのか?」
「できますとも」
「じゃあ頼む、悪いね爺ちゃん」
三笠はソファーに移ると、テレビの電源を入れる。テレビからは今日の出来事や、株価などのニュースが流れている。
「殿下、お食事の方はいかがいたしましょうか」
「ん?あー、そうか。今日は食事は無くていいや。さっきの乱闘で買ったものは殆どダメになっちゃったし」
「作用でございますか」
レノードが心配そうに彼を見つめる。彼は背凭れに背を預けて、安堵の溜息を一つ吐く。
「ところで爺ちゃん、この国の映像作品を見たい」
「かしこまりました。しばしお待ちを」
レノードは部屋の隅の収納ケースからDVDのディスクを取り出した。
「こちらの国の映画ですと、スタジオアリゼの「碧空(へきくう)の城」や「旗立ちぬ」、アメリカという国の映画では「ヘンリー・ポッターシリーズ」がお勧めでございます」
「じゃあそのへんりー・ぽったーしりーずを見ようかな」
「かしこまりました」
レノードがプレイヤーの操作を始め、映画が流れ始める。三笠はかなり真剣に映画を見始めた。
「爺ちゃんも座りなよ」
「有難う御座います」
レノードはダイニングテーブルの椅子に座り映画を見始めた。
しばらくすると、部屋にインターホンが鳴り響いた。三笠が出ようとするが、レノードがとめ、彼が応対し始めた。
「こんにちは執事さん。三笠君いますか?」
「はい、殿下は現在映画を楽しんでおります」
二人が部屋に入ってくる。
「三笠君、さっきあなたの買ったものメチャメチャになっちゃったからさ、私が夕ご飯作ろうか?」
「おお、それ助かります」
彼は映画に夢中になっている。
「何見てるの?…、あー、「聖者の杖」か…」
「そうそう、爺ちゃん爺ちゃん。あれなんだあれ?!」
「あれは鷲という鳥でございます」
篠舘はキッチンに立ち、夕食を作り始める。部屋に野菜を切る音と、水が流れる音が響く。
「でも、こんないつ相手が襲ってくるか分かんない時に、映画なんか見てて大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫、アイツは右手を失(な)くしたんだから、しばらくは襲ってこないと思う。楽しむときに楽しんどくの。人生楽しんだもの勝ちだって、俺の爺ちゃんがよく言ってたよ」
ふーん、となんとなく納得してしまう篠舘。テレビからは呪文を唱える声や、主人公たちが言い争う声が聞こえてくる。


やがて、テーブルに夕食が並び始める。執事が彼女の料理を見て感心している。
「ほう、これは立派なものですな」
「そ、そんなことないですよ」
顔を赤くして少し照れる篠舘。そして映画に夢中の三笠。「三笠君、お夕飯できたよ」の一言に「お、おう」と言いつつもソファーから動かない三笠。
「殿下、映画は中断できますから、お食事を」
「わかったわかった」
彼がやっとソファーを離れ、テーブルの椅子に腰掛ける。レノードがリモコンを操作すると、映像が静止画のように動かなくなる。
テーブルには野菜炒めと、唐揚げが並び、彼が唐揚げを一つ頬張る。
う、旨い。ガディラーとあんまり変わんない。
「どう?美味しい?」
「旨い。だいぜんしきと変わんない」
「ほ、本当?」
彼女の顔が再び赤くなる。
三笠は彼女の食事を食い尽くすと、あっという間にソファーに戻り、映画を再生し始めた。テーブルではレノードが彼女の料理をおいしそうに食べている。
一通りの食事が終わると、篠舘も三笠の隣で映画を見始めた。テレビからは主人公と堕天使との呪文合戦が繰り広げられている。そしてようやく映画が一本終わる。
「篠舘さん、さっきのへんりー・ぽったーの杖に入っていった煙は何だ?」
「あれは聖者の霊だよ。だから呪文が強くなったんだよ」
「なるほど、爺ちゃん。次のヤツお願い」
執事がDVDを入れ替え、再び映画が始まる。


三本目の映画の中盤、時計が十一時を回る。三笠の肩に何かがあたる。
ん?あれ、篠舘さん?
彼女は三笠の肩に寄り掛かり、スヤスヤと寝息を立てていた。
「爺ちゃん、止めて」
「どうしました?」
「篠舘さん寝ちゃってるから、部屋まで送ってくる」
「わかりました」
執事が映画を止めると、三笠と共に篠舘の部屋へと向かった。二人は彼女の部屋の押し入れから布団を取り出して、部屋の中央に敷く。三笠が彼女を横抱きで部屋に運び、布団の上に寝かせた。
「よし、戻ろう爺ちゃん」
「鍵はどうしましょうか」
「明日返せばいいだろう」
二人は部屋に戻っていった。部屋で彼が大きな欠伸を一つ吐く。
「殿下、そろそろお休みになられたほうが」
「そうだな。有難うね爺ちゃん」
「はい、ではおやすみなさいませ」
執事が指を鳴らすと、黒い穴が現れた。
「爺ちゃん、なんで出せるんだ?」
「先日、陛下に発生方法を教えていただきましたので」
「そうか、おやすみ」
執事は黒い穴へと消えていった。彼は布団を引っ張り出すと、シャワーを浴びて眠りについた。

幕間  Story of Coup d’état

王城宮殿から離れた深い森。
その森に、古びた本を両手に喜ぶ白衣の男が一人。
凄い…、凄いぞこれは…。
男は掌を地面に向けて翳し、言葉を唱える。
「Devolvat(解き放て) CDXI(第四四一)?(!)」
彼が叫ぶと、掌から白い光が発生した。
こいつが強光能力…。
彼は掌を近くの木に向け、力を込めて光を発射した。光は木のすぐ近くで炸裂し、強い光が発生した。あまりの光に、彼が咄嗟に腕で目を覆う。
こいつは目潰しか…、では次はこの羊皮紙を……。
彼は羊皮紙を手に取った。紙には「この能力が、神に背く為に使わぬことを祈る。」、そして小さく、ジョーリドルと記されていた。
神に背く?何の意味だが分からんが…、使ってみるか。
「……Maledicti(絶対能力). Quinque(第五)!」
言葉を発した瞬間、掌から黒い光が飛び出す。今までとは違う威圧感がヒシヒシと伝わってきた。
な…、何なんだこの技は…、凄い。驚かされっぱなしだ…。
彼は掌を近くの木に向け、光を発射した。しかし何も起きなかった。
何だ?植物には効かんのか?では…。
彼が周りを見渡した途端、光を撃った木がゆっくりと朽ち始め、バラバラと崩れ去った。彼は笑っていた。
そうか、植物が朽ち果てる、つまりこれは死の能力か…。これは使えるぞ…。
彼は再び手に力を込めるが、黒い光は出て来ない。
どうしたんだ?さっきのはまぐれだったのか?………、もしかすると…。
「……Maledicti. Quinque!」
彼が叫ぶと、掌から再び黒い光が飛び出す。
なるほど、一回一回言わなきゃならんのか。厄介だが、まあいい。報告だな。
彼の黒い光は偶然現れた動物に向けて発射された。光を受けると、動物はバタリと倒れこみ、動くことは無かった。
チェルシアは本をバックにしまうと、再びラクスニェート門の方向に向け、走り去っていった。


夕暮れ時。
王城宮殿近くの小高い山の頂上に白衣の男が堂々と佇んでいる。山からは王城宮殿のラクスニェート門を始め、様々な場所を見渡すことができる。
やがて麓からナップランドが息を切らせて登ってきた。
「ちょ、ちょっと、アンタね、私を、こんなところに呼び出して、大した用じゃなかったらぶっ飛ばすわよ?」
「まあ見ろ」
彼は夕暮れの山に聳える木に向かって指先を向ける。
「何やってんの?」
彼がニヤリと笑うと、指先から紫の光が飛び出し 、高速で木に向かう。光が木に届くと内部から、パァン!という激しい音を立て粉々に砕け散っていった。
「ったく、耳が痛い…。でもよくやったわね」
ナップランドが静かに笑みを浮かべる。
「この書物の中の能力は本物だ。あこれで明日にでも実行は可能だぞ」
「禁断の絶対能力はどうなったのよ?」
「心配ない」
彼が周りを見渡し、偶然近くの木にとまった鳥に向け、左の掌を向ける。
「Maledicti.Tres(第三)!」
掌から黒い光が発生し、枝にとまる鳥に向かっていく。鳥は光を受けると地面に落下し、甲高い声で悲鳴のような声を上げる。
「これが禁断の能力?苦しんでるだけじゃない」
「他にもある。Maledicti.Quinque!」
彼の掌から再び黒い光が発生し、鳥の体に向かう。鳥は光を受けた途端、そのまま動かなくなった。
「これが世界最恐の能力、即殺能力だ」
「ふーん、結構やるじゃない」
「私だってやるときはやるさ。同志を招集して、明日には攻め込むぞ」
「はいはい、分かりました」
二人は、王城宮殿とは違う方向に向かって山を下って行った。

第二章 デイトオブターモイル Date of Turmoil



篠舘が目を覚ますと、自分の部屋の布団に横になっていた。彼女は不思議でならない。
あれ?…、映画見てて…、ヘンリーが堕天使にボッコボコに…………、学校?
彼女が時計を見つめる。時計は七時四十分を指している。彼女は飛び上がるように起きると、トーストをオーブンにかけ、タンスから制服を引っ張り出し着替え、トーストを頬張ると、勢いよく部屋を飛び出す。
三笠君、なんで起こしてくれなかったのぉ?
彼女がアパートの廊下を走っていると、三笠の部屋のドアが勢いよく開き、彼女の顔に勢いよく衝突した。そしてバタリと、廊下に転がる。
「じゃあ兄貴、護衛よろしくな」
「じゃあフィル、学校までの案内頼むぞ」
「篠舘さんの部屋に行かなきゃかな?」
三笠がドアを閉めると、篠舘が顔を抑えながら呻いている。
「し、篠舘さん?誰がこんなことを?」
「己じゃコラァ!!」
彼女が今までに見たことのない怖い顔で三笠を睨み付ける。
「フィル、お前が急にドアを開けたから、彼女の顔が大変なことになったんだろ?」
彼女にとっては初めて聞く男声が耳に入ってきた。
「三笠君、この人誰?」
彼女の声は鼻を押さえているため、鼻声となっている。
「篠舘さん、声が変だよ?」
「ウルシャイ!この人だれ?!」
「この人は、俺の二番目の兄のティレス=クィラスター=ドゥジエム=サンクトキン。こっちでは秩父(ちちぶ)弘樹(ひろき)です」
「フィル、パートナーは大切にしなきゃだめだぞ」
「あ、コーコー行かなきゃ。早く行こう兄貴」
「ちょっと、私置いてきぼり?待ってよー……」
三笠は秩父を連れ一階へと向かう。彼女は起き上がると、急いで二人の後を追う。
そして、階段で豪快に転ぶのであった。


秩父は若竹と年齢が一つ下で、かなりの男前である。そのため、高校への通学途中で女生徒が少し騒ぎ立てている。
「篠舘さん、こっちでは兄貴みたいのが人気なのか」
「ん、まあ、確かにイケメンですね。こっちでは結構モテるんじゃないんですか?」
痛みが残る頭を擦りながら涙目でそう答える篠舘。
「ふーん、俺はバルゼティスのほうがカッコいいと思うけど」
「俺もそう思うな」
「若竹さんですか?確かにダンディですけど、秩父さんの方がモテると思いますよ」
「ほら兄貴、あれがコーコー」
彼の指差す方向には多くの生徒が集う鈴丘高校が目に入る。
「ここか。よし、帰りは五時ぐらいだったな。それぐらいにこの門にいるから」
「わかった、有難う兄貴」
「おう、行って来い。じゃあね篠舘さん」
「はい、ではまたー」
二人は昇降口へ向かい、秩父は別方向へと消えていった。



昼食あとの午後二時。
三笠がウトウトしながら英語の板書を書き取っている。春先の食後の授業は特に眠くなるため、クラス中が静かになる。その為さらに眠気が増してくる。
うぬぬ……、士官学校でも食後の授業はどうしても眠かったな……。
彼の隣の篠舘も寝ぼけ眼で授業を受けている。今日は窓から暖かく心地よい風が教室中を吹き抜けるため、クラスメイトの半分が眠るか上の空で授業を受けている。
これが……、コーコーか……、眠い……。
とうとう彼が夢の世界に突入した。しかし篠舘が起こしにかかる。彼の体がグラグラと揺れ、夢の世界から引き戻される。
「あー、嫁の母親が宇宙旅行……、あれ?」
「ちょっち三笠君、授業中寝ちゃ」
彼女が何かに気づく。今までいた生徒の姿が突如消えたのだ。
「何でこの教室に誰もいないの?!」
彼がゆっくりと周りを見渡すと、生徒が忽然と姿を消した後も確認した。篠館が席から立ち、廊下を見渡すも、やはり廊下にも誰もいない。
「三笠君、廊下にも誰もいないよ」
「じゃあ、天下り先見つめなきゃな…」
「寝ぼけないで!!」
彼女の耳に響く一喝が、彼を正気に戻す。
「あっ、あれ?授業間違えた?」
「違う違う!!私達以外いないの!」
二人が廊下に出た。二手に分かれて学校をくまなく探すも、やはり生徒、教員、事務員でさえもどこにもいなかった。やがて三笠が屋上にまでたどり着き、しばらくすると篠舘が屋上に到着した。
「三笠君、どうだった?」
「ニシとキタは誰もいなかった。そっちは?」
「こっちも誰もいなかった。体育館も、職員室も」
これは日本の自然現象ではないな。チェルシアの仕業なのか?しかしそんな力が向こうには存在しない。何なんだ…何だこの世界は?!
彼女が学校の周りを見渡す。グラウンドにも、公園にも、住宅街にも人間の気配がない。
「何なの、この世界。いつもと変わらない町並みなのに、誰もいないみたいに静かだよ……」
「その理由を教えようか、お嬢さん」
どこからともなく男声が響く。聞き覚えのある声に三笠が四方八方を見渡す。
「チェルシア?!どこにいる、出て来い!!」
どこからともなく足音が響く。彼が周りを見渡すと、それまで何もなかった屋上のペントハウスの上に黒尽くめの男が現れた。左手をポケットに入れ、カチャカチャと音を立てている。
「やぁ、フィランス殿下」
「チェルシア…、貴様なぜ右手が…」
チェルシアの右手が光り始める。
「不思議だろう。しかし現に俺の右手は健康そのものだ」
「何故だ、チェルシア」
「この世界には素晴らしい技術がある。豚の体の一部を使うだけでこの通りだ。ところで、ガールフレンドを連れてデートですかな?」
「そんなことを言っていられるのも今のうちだ。いくぞチェルシアッ!!」
三笠の右手から黄色の光が発生し、チェルシアの元へ直行する。そしてチェルシアの右方への回避と共に爆発が起き、ペントハウスの屋根の瓦礫が吹き飛ばされる。
「ふふふ、やはりその年齢じゃ大した爆発は起こせないな。未熟者めが」
チェルシアが右手から白い光が迸(ほとばし)り、三笠に向かっていく。彼が防御能力を発生させ受け身を取ると、彼の目の前で強烈な光が起き、彼の盾が消える。あまりの眩しさに、後ろにいる篠舘も腕で目を覆う。
何だ?!能力は弾丸と爆発だけじゃないのか?!
「どうした殿下、もしかしてこの強光能力に驚いているのかな?」
彼がふらつきながら篠舘と共に階段へ向かう。そして二人は階段を下って昇降口へと走る。
「三笠君?!なんであの人、あんなすごい光を出したの?!あの人もあなたと同じ力しか出せないんじゃないの?!」
「俺もそうだと思ってた。だけどあんな能力は初めてです」
二人は二階の廊下で立ち止まり、一息吐く。
「わ、若竹さんは来ないの?」
「この空間が何なのか全く分かんないから、来ないと思った方がいい。それより篠舘さん」
「何?」
彼女がその場に座り込む。
「がーるふれんどってなんだ?」
「あなたね、こんな場面にそんなこと言ってられないでしょ…、早く逃げなきゃじゃないの?」
彼女が立ち上がると、昇降口に向かって再び走り出す。
「これからどうするの?!」
「とりあえず、外に出て様子を伺うしか」
二人が昇降口近く階段に差し掛かると、彼が一階の踊り場で立ち止まった。
待て、待つんだ俺。なぜだ、何で彼女がいるんだ?!チェルシアの目的は俺のはず。なんで彼女がここにいるんだ?彼女がいるってことは…、やばい?!
「何やってんの三笠君?!早く出ようよ‼!」
「待って篠舘さん!アイツの目的は君」
彼女が一階に降り立った途端、突然現れた黒尽くめの男が彼女を捕まえ、首に腕を回し彼女の動きを封じる。
「フィランス殿下、君はもう少し賢いと思ったけど、全然だったようだな」
「クソッ、どうやって…」
「簡単だ。爆発能力で床をぶち抜けば、簡単に降下できる。この建物の防音使用は大したものだ」
険しくなった三笠の顔に一筋の冷や汗が流れる。
「篠舘さんを離せ、チェルシア…」
「そう言って離すのはただの馬鹿だけだよ、フィランス殿下」
チェルシアが彼女の首に左手を回し、少しずつ締め始める。彼女の呻き声が廊下に響き始める。
「フィランス殿下、この女を殺されたくなければ、手を挙げてこっちに来い。少しでも何かをしたら、」
チェルシアが右ポケットから釘を取り出し、尖端を彼女のこめかみにあてる。
「この廊下が血の海になるぞ。釘はペンより硬いからな、この女の首が飛ぶ姿が見たいか?!」
恐怖のあまり彼女の目に涙が滲んでくる。彼の手が汗で少しずつ湿っていく。
クソッ、何かないのか?!アイツだけぶっ飛ばす方法は?何か、何かないのか?!何か?!
「どうした殿下、この女が死ぬのを見たいのか?!望み通りにしてやってもいいぞ」
「待て!!……わかった。そっちに行く」
彼はゆっくりと階段を降り始めた。一段一段、ゆっくりと降りていく。
そして彼とチェルシアの距離が目と鼻の先となる。
「さー、俺はもうこんなに近いんだぞ。篠舘さんを離せ」
しかし、チェルシアは冷たく微笑み、一切左手を動かさない。三笠はチェルシアが釘を持つ右手を掴み、自分の首に向け「離せ、早く!」と叫ぶ。
チェルシアの左手が緩み、彼女が解放される。彼女は床にばたりと倒れこむと、しばらく咳き込む。
「目的は何だ、チェルシア。俺の命か?」
「まあ、それ一筋だな」
「いいだろう。もう死ぬ覚悟ぐらいできてる」
「さすがは王族、潔(いさぎよ)いな」
釘の照準が三笠のこめかみに変わる。
「では殿下、この釘の餌食に」
その時、チェルシアの頭にスニーカーが当たり、一瞬俯(うつむ)く。そして、その一瞬に三笠がチェルシアの腹に右ストレートパンチを見舞う。周りにはポケットから落ちた釘が転がり、チェルシアが仰向けに倒れる。三笠が倒れたチェルシアに馬乗りになり動きを封じ、釘をチェルシアの首に向ける。
「さぁ、大人しく捕まれ!!さもないと貴様の首が飛ぶぞ!!」
「ふふふ、威勢がいいな、殿下。だが手が使える時点でお前には負けしかない!!」
チェルシアが掌を三笠に向ける。彼は防御の盾を発生させ、チェルシアの体に押し付け抵抗する。盾に押さえつけられるチェルシアが少しずつ険しくなっていく。
「これで逃げられんぞチェルシア!!大人しく国に戻り、裁きを受けるんだ!!」
チェルシアは苦虫を噛み潰したような表情の中に、冷たい笑みを浮かべる。
「貴様、何がおかしい」
「さ…、が…、だ…、さ…らばだ…」
チェルシアの姿が一瞬にして消え失せた。
「なっ、……、くそったれが!!」
彼が地団太を踏むと、後方からか細い声が聞こえてくる。
「み…、み……、三笠君…」
振り返ると、彼の目には、涙目で震えながら靴箱に隠れる篠舘の姿が映った。
「篠舘さん、さっきの靴は篠舘さんが?」
彼女が震えながらゆっくりと頷き、へなへなとその場に座り込んだ。
「いやー、本当に助かったよ。あれがなかったら俺死んでいたかもです。お礼させてくれください」
彼が震える彼女にゆっくりと近づく。
「大丈夫?篠舘さん」
彼が右手を差し出すが、彼女はその手を取ろうとはしない。
「どうしたの?」
「いや、ちょっと、腰を抜かしちゃって……」
「大丈夫ですか?」
彼が篠舘の脇に腕を通し、一気に上へと引き上げる。
「ア…、アリガト……」
「しばらく奴は襲ってこないだろうから、教室に戻りましょう」
彼女は「うん」と小さく頷くと、三笠と共に優くりと教室に向かう。


やがて三階の二人の教室に到着し、ゆっくりとドアを開ける。そこには誰もいない。はずだった。
「コラァ!!三笠っ!!篠舘っ!!勝手に授業抜け出してどこほっつき歩いてんだ?!」
教師の怒号に三笠は首を傾げ、篠舘は只々立ち尽くした。



夕暮れ時。
三笠と篠舘が昇降口から出てくる。二人はつい先程まで教員と対峙していたため、精神的にクタクタだ。
「しかし、なんであんなに叱られたのかよく分かんないな」
「あのね、授業を抜け出したら怒られるのは当たり前だよ」
彼らが校門を出ると、二人の背の高い男が彼らを待っていた。
「三笠君、あれ高松さん達じゃない?」
「…、本当だ。兄貴ぃ」
秩父と高松、さらに九城が笑顔で迎えた。三笠が「兄貴達、ちょっといい?」と声をかけ、二人を引き込む。
「どうしたフィル、何かあったのか?」
「まさか、あの娘と何かあったのかい?」
「………、昼間、チェルシアが来た」
「本当か?どうなったんだ?」
秩父が真剣味を帯びた顔で迫る。
「逃げられた」
「とりあえず家で話し合おう。麗奈、行こう」
四人はパークプランタンの三笠の部屋に向かう。そして道中、兄貴達からの質問攻めにすこし戸惑う三笠。


パークプランタン二階の五号室のテーブルで男性三人、ソファーで女性二人の会合が開かれている。テレビからはいつも通りのニュースが流れている。
「チェルシアの右手は、昨日俺が会った時、バルゼティスが吹き飛ばしたはずだった。だけどなぜかヤツの右手は元のままだった。奴はこちらの技術で手を修復したと言った」
「ふむ、俺は奴とはまだ会っていない。早く拘束しないと収拾しそうにないな」
「そして奴は手の中から強力な光を発生させた」
「光?どうやってだ?」
「わからない。手には何も持っていなかった。でも多分、クリザンテムの技術だと思う。さらにチェルシアが近くにいると周りに誰もいなくなる」
「さらに面倒臭い奴だな。私たちが束になってかかっても太刀打ちできない可能性ありだな」
「とりあえず、対策を取らねば。」
「では私は学校近くで見張りを続けよう。セドは空を見張り、フィルは自分の周りを見張ってくれ」
そんな話がテーブルで繰り広げられる中、ソファーの女子組がほのぼのとテレビを視聴している。
「何か盛り上がってますね」
「そうね。ところで、真理ちゃんは三笠君のこと好き?」
「い、いいえっ。く、九城さんは高松さんのとこ好きなんですか?!」
「ええ、好きよ。あの人優しいし。私は結婚してもいいけど、彼が止めた方がいいって言ったままなのよ」
「そ、そうなんですか…」
「違う世界の人とはいえ、何かの縁で会ったんだし、仲良くしなきゃダメだよ」
「さいですか…」
「あっ、和樹君、この旗立ちぬ見ていい?」
「いいですよー」


秩父が帰り、高松一行が帰り、部屋はすっかり静かになった。部屋では篠舘がソファーで先ほどから流れている映画を眠そうに見ている。そして三笠は真剣に地図を見つめている。
うう…、ここがコーコーで…、えきしびじょん……、ゆー、びんきょく…、あいびんきょく…。飯作んなきゃ。
彼が突然立ち上がり、台所に立つ。棚から油を取り出し、フライパンを温める。
テレビからは旗が棚引く音や、人々の歓声が聞こえてくる。そして篠舘の心地良さげな寝息も聞こえてくる。
やがてテーブルに茶碗や主菜が並び始め、醤油の香りが漂い始める。
さーて、篠舘さんどうするかなー。起こすわけにはいかな
「わー、おいしそー」
いつ起きた?!
彼女が皿に盛り付けてある唐揚げを一つ手に取り、一口で頬張る。
「うっ、ちょっとしょっぱくない?」
いやだからいつ起きたんだ?!
「私もおなか減ったなー。じゃあ三笠君、また明日ー」
彼女は部屋から出ていった。部屋には未だにテレビから映画の音楽が流れる。
篠舘さん…、よく分かんなくなってきたな。


夜も更け、映画が終焉を迎える頃、三笠の眠気が最高潮に達した。テレビはブルーレイから放映番組に変わり、ニュースが流れる。彼がソファーで眠りに落ちる頃、慌ただしく騒がしかった一日が終わった。

幕間  Story of Coup d’état

夜七時。
薄暗い中に、王城宮殿がライトアップされ、綺麗に輝く。先ほどの小高い山からチェルシアとナップランドが王城宮殿を見下ろしている。
「いよいよね、技術少将閣下」
彼は「そうだな」と適当に返事をすると、通信機材を取り出し、どこかへとつなぐ。
「こちら技術少将、陽動隊長、聞こえるか?」
『…、はい、聞こえます』
「七時十五分より作戦を開始する。今作戦はフォアレットドアブルク門陽動作戦にかかっている。しっかりやってくれ」
『了解です』
彼は隊長との通信を切ると、別口への通信を始める。
「こちら技術少将、機動隊長、聞こえるか?」
『…聞こえます、どうぞ』
「七時十五分に陽動作戦が開始される。五分後にウィラード門に突撃せよ」
『了解です』
「ところで、公爵はきたのか?」
『申し訳ございません。こちらには来ておりません』
「そうか、まあいい。白い光が上がった時が作戦開始だからな」
彼は一方的に通信を切断した。
「チェルシア君、どうしたのそんなに怒っちゃって?」
「公爵が来てないんだと。どうしてあんな奴が公爵なんだよ…」
「まあまあ怒らずに。でも、半日教育した能力者なんかで成功すんの?」
「といっても、あの方の指示だからな。今日、王城宮殿を占領しろというのは」
二人が丘で実験を行ってから、既に丸一日が経過していた。彼らの上部からの命令で、決行日は一日延ばされたのだった。
やがて彼の時計が、七時十五分を指す。
「さてと、ラクスニェートに行きますか」
チェルシアが空に向け手を翳す。掌から白い光が打ち上げられ、空高く、そして町中に強光が放たれた。

Talk that"The election law violation by Emperor"

第三章 デイトオブカームネス Date of Calmness


少し曇る朝。太陽は顔を出さず、周りは少し暗い。
ソファーで眠っていった三笠が自身のクシャミで目が覚める。普通なら少し曇る日は憂鬱になりがちだが、三笠の世界ではこの明るさが普通で、今日の彼は非常に調子が良い。
彼は体を起こし、腕と足を伸ばす。やがてトーストをオーブントースターにかけ、油を引いたフライパンに卵を落とし、野菜を切る。部屋には卵の焼ける音と、野菜を切る音が響き渡る。しばらくした後、オーブントースターからトーストを取り、卵を皿に乗せ、野菜を小皿に取り、ゆったりとした朝食を摂り始めた。
あー、篠舘さんから分けてもらった食材が底を尽きたなー。今日またあのえきしびしょんに行かなきゃなー。
彼が丁度朝食を食べ終わったとき、インターホンが部屋に鳴り響いた。
おっ、兄貴かな?今日も早いな。
時計は午前七時半を指している。彼が玄関に出ると、そこには秩父ではなく高松が立っていた。
「あれ?なんでセドリード?ティレスじゃないの?」
「ティレスは哨戒(しょうかい)活動にあたっている。昨日お前が出くわしたチェルシアがいつ襲ってくるか分かんないからな。あとチェルシアの細かい概要についてはバルゼティスが調べている」
「ふーん。みんな大変だな」
「そうだ。お前も私がいるからといって安心するなよ」
「ふーい。じゃあ着替えるから、待っててちょーだいよ」
「了解」
高松は部屋に入ると椅子に腰かけ、肘を突きながら三笠の様子を観察している。その三笠は、部屋に掛けてあるワイシャツとズボンを取り、かなりの速さでボタンを留めていく。ズボンを履き、ネクタイをしっかりと締め、きっちりとした生徒の姿となった。
「その姿も慣れたか?」
「まあ、クリザンテムでもほとんど軍服だったし。制服ってのは慣れてるけど、このねくたいがな」
「ネクタイはしっかりとしないと、ここでは叱られるからな」
「面倒臭いよな。さあって、行きますか兄貴」
彼が通学用のバックを取り出し、玄関を開ける。
あっ、そうだ。今日はごみを回収してくれる日って篠舘さんが言ってたような。
彼が今までためていたゴミ袋を一つに纏(まと)め、一つの大きな袋に入れる。
そういえば、どこに出せばいいか聞いてなかったな…。彼女の部屋の前に置いておけばいいか。
二人が階段を降りる。二人の歩く道は、車も自転車も通らない静寂を保っていた。
「そういえば、篠舘さんは置いていっちゃっていいのか?」
「いいと思います。彼女は一人で大丈夫ですが」
「なあに古いアニメキャラの口癖言っちゃってんだよ。せっかく知り合ったパートナーなんだし、大切にしなよ」
「……、兄貴と麗奈さんはどうやって会ったんだ?」
三笠が興味津々な顔で彼に問う。
「麗奈とか…。去年の夏に俺が彼女の部屋に飛び込んで、初めて会ったときは物凄く嫌われてたなあ。でも途中からいきなり態度が柔らかくなったんだよな」
「ふーん、日本人って難しいんだなー」
「本当に彼女置いてきて良かったのか?」
「………、いいと思う」
「自信なくなったか…」


七時五十分。
早起きの少数の生徒が校門をくぐる。二人が校門の前で別れ、高松は元来た道とは違う方向に進んでいった。三笠は自分の教室の自分の席で、出発時に執事からもらった日本の小説を机に並べる。教室には珍しく誰もいない。
ええっと、上村秋夫の「ハァラルの森」「国境の東」、西野奎悟の「探偵レオナルド」「傍観者Xの証言」。日本の文学は素晴らしいものと爺ちゃんが言ってたけど、全部難しそうな本ばっかだなー。
やがて教室に眠そうな顔をした戸津川が入ってくる。
「よぉミサカ。早ひな」
彼は欠伸交じりに挨拶をかける。
「ああ、今日はちょっと早めに出てね。……三笠だ」
「悪ぃ悪ぃ。おおっ、探偵レオナルドじゃん」
戸津川が三笠の机の本を一冊手に取る。
「それ面白いのか?」
「うんうん、これ今年映画化されるんだぜ。良かったら一緒に見に行こうよ」
「それは是非見たいものだ」
再び教室のドアが開く。今度は高槻だ。
「おっはよー三笠君。ありっ?マリは?」
「今日は一緒じゃないです」
「ダメじゃないのー、一緒に来なくちゃー。きっと寂しがってるよ」
高槻がからかいながら三笠に話しかけるが、彼はその意味が全く理解できていない。
「じゃー、この探偵レオナルドから読むかな」
彼が探偵レオナルドを手に取り、表紙を捲る。
「なぁ三笠」
戸津川が小声で話しかけてくる。
「何だ?」
それに三笠がページを捲りながら応答する。
「篠舘さんと三笠って本当に付き合ってないのか?」
「君もしつこいな。俺と篠舘さんは深い仲じゃないの」
「でも同じアパートに住んでるんだろ?」
「そうだ。同じアパートに住んでたら深い仲にならなきゃならんのか?」
「いや、別にそういうことではないけどさ、でも篠舘さんとは仲がいいんだろ?」
「うーん、あれは仲がいいというのだろうか」
その時、三人だけの教室に「三笠ァッ!!」という怒号が響き渡り、視線がドアに向かう。そこには息を切らせる篠舘の姿があった。
「あれ?篠舘さん?もっと遅く来ると思ったのに」
「あ…、あな…、あなたね……」
「どうしたの?」
彼女が物凄い剣幕で三笠の前に立つ。
「きょ、今日はゴミ出しの日とは言ったよ!言ったんだよ!!だけどね!人の家の前にゴミ袋放置して先行っちゃうなんて、どうかしてるよ!家の前凄いことになってたんだからね!」
「あーーーー、ごめん」
「ゴメンで済んだら警察も自衛隊も海上保安官も征夷大将軍もいらないよ!!」
「あーーーー、失礼しました」
「言い方かえればいいって問題じゃないよ!!」
女ってめんどうくせーなー。こんなにいろいろ言ってくるもんなのかー。
怒り度マックスで叫ぶ篠舘を彼は適当に受け流す。それが原因で篠舘がさらにヒートアップした。
その後高槻の仲介で、論争は停戦された。そして三笠は探偵レオナルドを読み進める。



二時間目の数学。
高科(たかしな)教諭が黒板に公式やら解答やらを書き綴(つづ)る。生徒たちが解答に戸惑う中、三笠は未だに探偵レオナルドを読み進める。
必死に板書を書き取る篠舘に少しずつイライラが募ってきた。
全く、授業中に読書なんて、結局追いつけないから本に逃げんのね。
「じゃあ、この解答を。……三笠、前でてやって」
来たよ来たよ、高科先生の気紛れ指名。日にちでも順番でも当てられない適当な指名。ご本を読んでいた三笠君、さあどう対処するかな?
彼は「ふーい」というやる気のない返事と共に、机に本を置き、軽快に床の荷物を避けながら教室の前に出る。
そして見事な問題の解答を黒板に書く。スムーズに一人で答えたため、高科も少し驚いている。しかし一番驚いているのは篠舘だ。
なんで?!なんでよ?!なんでわかんの?!訳わかんないよ!!
彼は席に戻ると、得意げに再び本を読み始める。しかし右からの睨み付ける視線に少しおどおどしている。
な、なんだ、何なんだ、何で篠舘さんが俺を睨み付ける?なんで、なんでなんだ?
何で授業中に推理小説読んでる不真面目ぷーが、あんな難しい問題解けんのよ?!解けんのよ?!
学校の外では四月としては珍しく、強い雨が降り始めた。


二時間目終了後の休み時間。
外の雨が一層強くなり、遠くで雷も鳴り始める。高科が去った後も、三笠は未だに本を読んでいる。
彼の席に逢坂が近づいてくる。
「三笠、お前が数学得意とは知らなかったよ」
「うん?ああ、前の学校では数学は重視されてたから」
「スゲエな。俺さ、理系が苦手なんだよね。テスト前の時に教えてくんない?」
「いいぞ同志よ」
「サンキュー。ところで何読んでんの?」
「探偵レオナルドだ」
二人のお喋りが、右で友達と話している篠舘の耳に入ってくる。彼女にとって耳触りというほどではないが、会話の邪魔でしかない。
やがて唐突に逢坂が大きな声で笑い出した。三笠も微笑んでいる。
「ッ、ドーベルマンにスマートフォン…、ああマジおかしい」
再び逢坂が笑い出す。今度は戸津川が「何だ何だ?」と近づいてくる。そして再び三笠の話が始まり、話の途中で二人が噴き出す。
「ハァ、だいぶ大分、高杉晋作…、ぷっ」
二人が再び噴き出す。
二人の声に釣られて、数人の生徒が三笠の元に集まり始める。
彼の話が終わると共に笑いが湧いてくる。生徒の中から「あーもー、面白いね三笠君」や「サイコー」などの称賛の声が聞こえてくる。篠舘の友達も三笠の方に行ってしまったため、彼女が再び不機嫌そうに顔を伏せた。
ふーんだ。どーせ勉強ができて、話が面白い転校生なんて、時の人に過ぎないんだから。
やがてチャイムが鳴り響き、教師が教室に入ると、生徒が続々と席に着く。
外の雨がだいぶ弱まってきた。


三時間目の古典。
谷(たに)城(しろ)教諭が黒板に教科書の徒然草(つれづれぐさ)の文を書き綴る。古典の授業としては至って普通だ。しかしその普通の授業に頭を悩ませる生徒が一人。そしてそれを面白そうに眺める女生徒が一人。外国人にとって、日本語の古文は非常に難しい。ましてや漢文など中国語と日本語の古語が交わって余計わからなくなる。そんな授業を、彼は必死に受けている。本を読まずに。しかし今朝の一件や数学の時間の事もあって、どうしても笑ってしまう篠舘。
ぷぷぷ、古典の授業は大変だねー、三笠君。あなたにとっては外国語だし、しかも古臭い言い回し、大変だよねー。
彼女が笑顔で授業を受ける。やがて教師が分を書き終えると、手元から新しいプリントを配り始める。彼女がプリントを受け取り、不意に三笠の方向を見ると、彼の机に壮大なプラモデルが広げられていた。
「ぶふっ!!ちょっち三笠君!!何やっちゃってんですかアンタは?!」
「ちょっとお一つ、こいつをね」
彼は彼女に向け説明書のような紙をひらひらと振る。紙には「あの場所を作ろうシリーズ 皇居」と書かれていた。
「授業中に皇居作るとか、どっかのマンガじゃあるまいし、何考えてんですかアンタは?!」
「いいじゃん別に、士官学校では出来なかったんだからさ」
「こっちだって尋常的に考えればできないよ?!」
彼女は、彼に構っていることで無駄な時間を浪費していることを授業終了時に知るのであった。


五時間目の化学。
化学室に生徒が集結する。初(しょ)っ端(ぱな)から実験の授業が始まる。津嶋(つしま)教諭が黒板に注意事項を書き綴る。
「ええ、では早速、塩素を発生させましょう。確認の際には、絶対に深呼吸しないように」
返事の後、生徒たちが試験管の中の漂白剤に水と別の洗剤と硝酸銀を加え、様子を見る。すると部屋のあちこちで刺激臭が発生し、生徒たちが騒ぎ始めた。四人席で実験にかなりの興味を示している三笠が、相席の逢坂が楽しそうに話している。
「すげーなこれ。こんなこともできんのか」
「ミサカ、お前そんなに実験好きなんか?」
「結構好きだなこういうの。三笠な」
「燥ぎ過ぎると、怪我を追うぞ転校生」
彼の目に前の席に座り、手に本を持つ生徒が話しかけてくる。
「ん?君は誰?」
「俺は温莎(はるさ)壌二(じょうじ)」
「なあに言っちゃってんだよ。お前の名前は温莎=アルバート=譲二だろ」
逢坂が笑いながら横から入り込む。
「ミドルネームを言うな逢坂。その名前は気に入ってないんだ」
「なぜアルバートにはアルバートって日本語らしくない名前があるんだ?」
「アルバートアルバート言うなっつってんだろ!馬鹿かお前は」
少しキレ気味の温莎が強めに注意を促す。
「こいつの父親がイギリス人なんだよ。だからこいつの目は薄い緑色なんだよ」
「確かに。日本人の瞳は褐色が多いっていうが、彼の目は緑だな」
「俺の身体的特徴を揶揄(やゆ)するんだったら、教師に報告するぞ?!」
「まあまあ、熱くならないで。俺だって眼の色は青だぞ」
三笠が自分の瞳を指差すと、温莎はそっぽを向き黙り込んだ。
「温莎氏、いがみ合わずに仲良くしようじゃないか」
三笠が手を差し出す。彼は不機嫌そうに握手を交わした。
「ほらそこ、外交の真似事やってんだったら道具をすべて返せ」
教師の注意に、教室にちょっとした笑いが沸き上がった。
授業の終焉、逢坂の消しゴムが床に落ち、三笠が掛かんで消しゴムへ手を伸ばす。彼の腕が温莎の足にぶつかった直後、彼が悲鳴を上げた。
「どうしたアルバート氏。何を大声あげている?」
「バッカヤロ!左足怪我してんだ!気を付けろ外人!」
「おお、それは失礼した」
三笠が机の下から這い出て、逢坂に消しゴムを渡すと再び席に着いた。
しかし、これだけじゃつまんないな…、そうだ。
彼がポケットから瓶を取り出す。瓶の中には変わった色をした液体が入っている。得体の知れない液体に逢坂も興味を示した。
「三笠、何だそれ?」
「えーーーっと、しえんかちたんかい(四塩化チタン改)…、って書いてある。さっき階段に落ちていたから拾った」
「しえんかちたんかい?何だそれ?」
「とりあえず開けてみよう」
三笠が瓶のふたを開ける。
開けた瞬間、大量の煙がモクモクとこみあげてくる。あっという間に教室中を包み込み、授業は中断され、生徒たちは全員廊下に出される。
やばい…、あの物体は煙を出すものだったのか…。これで処分が下されたらどうなることか…。
彼は内心不安でいっぱいだ。やがて、三笠に召集がかかる。彼が津嶋の元へ駆け寄ると、津嶋が小声で話しかけてくる。
「おい、あれをどこで手に入れた?」
「え、えっと……、階段に落ちていたので…、拾いました」
「そうか。いいか、このことは誰にも言うな。あれは私と私の友人が作った撮影用の品だ。ただ、この学校の備品で作ったものだから、このことは事故で、君へのお咎(とが)め無しということにしてくれ」
「は、はあ…」
津嶋は生徒達に自分たちの教室に戻るように呼びかけ、化学室の奥の準備室に消えていった。



放課後。
帰りのホームルームが終わると、教室から生徒達が少しずつ消えていく。三笠が篠舘を誘うが、彼女は答えず、バックの中身を整理している。彼は一人で昇降口に降りていった。
やがて高槻が「マリ、帰ろう」と誘うと、篠舘が応じ二人は教室を出た。

三笠が門を出ると、高松が待っていた。
「ようよう和樹君。…、篠舘さんは?」
「彼女はなぜか俺の言葉に耳を傾けずに、教室にいたよ」
「お前、何かしたのか?」
「何もしていない、多分。今朝からずっと不機嫌なんだよ」
「はーん、お前の今迄(いままで)の行動に愛想が尽きた、って可能性も無きにしも非(あら)ずだな」
「それ何語?」
「日本語」
二人はアパートに向けて歩き始めた。


三笠達の去った後、しばらくして篠舘と高槻が校門から出てくる。二人は夕暮れの中、家路に就く。
「マリが三笠君とは帰らなかったとは、意外だねえ」
「私は、「三笠君といつもべったりの彼女」じゃないの。ただのお隣さん」
「だって彼が来てからずっと一緒に帰ってたじゃん」
「別に好きで一緒に帰ってたわけじゃないし…」
「今日はご立腹だねえ。彼と何があったの?」
「……、別に何もないよ」
「まあ、夫婦喧嘩は猫も食わないって言うし」
「夫婦じゃない!あと猫じゃなくて犬だしょ!」
噛んだ。
「じゃあ、何が原因?浮気?」
高槻が興味津々且(か)つ楽しそうな顔をして、篠舘に問う。
「………、だって、私に迷惑ばっかり掛けてくるくせに、あんなにヘラヘラしてるんだよ。イヤになるに決まってるでしょ…」
「まあ、それぐらいならいいじゃない。暇しないし。私はあんな男がお隣さんだったら楽しいと思うけどなあ」
「それぐらいって、まあ、確かに暇はしないけどね…」
「そういえば、三笠君って本当に外国人なの?」
突然の高槻の質問に少しギョッとする篠舘。
「な…、何で?」
「だってさあ、彼凄く日本語上手でしょ?それにあの笑い話も、日本人じゃないと笑えないものとかも、ちゃんとわかってるし」
「あ…、え……、そ、それはね…。多分日本語の先生がいたんだと思うよ、うん」
「ふうん」
「そ、それにね。外人さんにだって、賢い人は沢山いるよ。日本語が流暢な人もいるし、下手したら通訳だっているんだし…。っていない」
彼女に視界から高槻の姿がなくなった。彼女がキョロキョロと見渡すと、前方に急ぎ足で何かに向かう少女が一人。彼女はしゃがんで何かを拾い上げた。
はー、私のフォローは何だったの…。
篠舘が彼女の元に寄ってくる。
「何見つけたの?」
「財布よ、財布」
高槻の手には光沢のある茶色の長財布が、夕日を浴びて輝いていた。
「へー、結構な財布ね」
「中身は…」
高槻が財布の中身を開けると、二人は驚愕した。財布の中には万札が十枚ほど入っていた。
「こんな大金持ち歩く馬鹿がどこにいんのよ」
「まあまあサクラ、でもこんな大金の落とし物初めて見たよ。他に何か入ってないの?」
高槻が中身を探っていると、中から身分証明書のようなものが出てきた。
「あっ、これ持ち主のだよね。ええっと、なんて読むんだろ…」
高槻の持つ手荷物証明書の名前には、「Phillance Alboule Catliem Sankt-kin」という見たことのない単語が並び、彼女達は戸惑っている。
高槻が再び財布に手を突っ込む。今度は顔写真付きのパスポートのようなものが出てきた。
「見て見て、パスポートみたいのが出てきたよ。………、あれ?これ三笠君じゃない?」
彼女の持つ手帳には、三笠の顔写真がしっかりと貼られていた。
「これ三笠君のか。随分とお金持ち歩いてんのね」
「外人のくせに、金銭感覚が薄いのね……」
まあ、他国の王族だし、お金なんて普段持ち歩かないから、かな……。
「マリ、お隣さんでしょ?届けてあげなよ。和解も含めてさ」
「う…、うん」
篠舘が高槻から財布を受け取り、バックに入れ、二人は再び歩き出す。


二人はパークプランタン近くの角で別れた。
篠舘が三笠の部屋の前に佇む。
はー、何でこうなったかな……、まーいっか、財布渡したらサッサと…。
彼女がインターホンに手を伸ばす。
と同時に、ダッタン人の矢よりも早くドアが開き、彼女が左に吹き飛ばされる。部屋からは慌てた三笠と、呆れた高松が出てきた。
「やばい!財布どこだ?!」
「ったく、いくら入ってたんだ……、おい」
後から出てきた高松がぶっ倒れている篠舘を発見し、三笠を呼び止める。
「ああっ!篠舘さんっ!まさかチェルシアに」
「己じゃコラァ!!」
篠舘が高速で起き上がると、三笠の胸倉を掴み高速で前後に揺らす。
「どーーーーーしてあったって人はこーも学習しないの?!学習しないの?!」
「ちょっ、しのっ、さんっ、おちっ、いてっ」
「なーーー、もーーー!こちとら折角財布拾って届けてあげようと思ったのに!!何考えてんの?!何考えてんの?!」
「おちっ、ついっ、しのっ」
彼女の手が止まり、溜息を一つ吐く。三笠はその場に倒れこみ、荒い咳をいくつか吐く。
「さ、財布拾ってくれたの?」
彼女がそっぽを向いてバックの中から彼の長財布を取り出す。財布を持つ彼女の手が、三笠に向かって伸びてくる。
「あ、有難う。助かったよ、本当に」
彼女は応答せずに、自分の部屋に戻っていった。
「ありゃあ、かなりご立腹だな。お前何したんだ?」
今まで高みの見物をしていた高松が三笠に尋ねてくる。
「多分…、今朝のごみの件?」
「あー、あれは怒る人は怒るよな。でも知らなかったんだし、謝って許してもらえば?」
「そーする、前に飯食おう」
「お前な…」
三笠がルンルン気分で部屋に戻る。内心、こいつは性格破綻者じゃないのか、と思う高松だった。



食後の午後七時。
三笠が、軍服のシワを伸ばし、光り輝く物を手に出掛ける用意をしている。一方高松が呆れた顔で彼の支度を眺めている。
「日本の女性は、綺麗な光り輝く物に弱い、と書いてあったから、これで大丈夫だろう」
「全く、そんなもので許しを請いても許してもらえそうにないけどな」
「とりあえず、行ってくる」
彼は部屋を出て、篠舘の部屋の前に佇む。


篠舘は部屋で夕食をとっている。彼女の心境は、あまり楽しいと言えるものではなかった。
全く、何で三笠君はああもマイペース過ぎるぐらいにマイペースなんだろ…。世間知らずの王族だから?
彼女の部屋にインターホンが鳴り響く。しかし彼女は応じない。三笠が来たとわかっているからだ。
再びインターホンが鳴り響く。鳴り響く。鳴り響く。鳴り響く。
とうとう彼女がキレた。
部屋に響く足音を立て、ドアを開ける。
「いーーーーー加減にしなさい!!あんたって人はどーーーして」
「こ、この度は本当に申し訳ありませんでした!」
少し暗い渡り廊下で、三笠が丁寧に頭を下げる。いきなりの礼儀正しい謝罪に戸惑いを隠せない篠舘。
「え、えっとこれ。お詫びの品です。お納めください」
「わ、わ、私はね、物で釣られるような軽い女じゃ…」
彼の手には赤い八面体の宝石が光輝いていた。
「こっ、こここ、これって、ルビー?」
「るびー?これは国の特産物でルージュ・エクラタンテという鉱物」
「ま、まぁいいわ。物で釣られたわけじゃないけど、その誠意に免じて許してあげる」
軽い女だった。
「あ、有難う…、じゃあこれどうぞ」
彼は宝石を彼女に渡すと、「やっぱり優しいですね、篠舘さん」と言って部屋に戻っていった。
はー、私もまだまだ甘いな…。物で釣られちゃうなんて…、でも綺麗ね…。
彼女は心でそう思いながら、ちょっと赤くなる。そして渡り廊下の電球に宝石を翳し、輝く宝石に少し見とれていた。


三笠の部屋で高松がバラエティを見て寛(くつろ)いでいる。三笠が帰ってくると、高松が興味深そうに彼に尋ねる。
「どうだった?失敗か?」
「期待には添わずに成功したよ」
「ええっ?あんな宝石店の端で売ってそうな安物の宝石で釣れたのか?」
「こっちではるびーって言って高価で取引されるらしい」
「はー、じゃあ俺帰るな。夕食有難う」
高松は部屋を出ていった。残された三笠は一人ソファーでテレビから流れるニュースを見ていた。


三笠が湯船で一人奮闘している。
ど、どうやってお湯を溜めるんだ?
彼は今までシャワーは使ったことがあるが、湯船には入ったことがなかった。その為、日本の浴槽には非常に手(て)古(こ)摺(ず)っている。
えっと、これを回すと…。
彼が赤いバルブを回す。当たり前だが高温のお湯が出てくる。部屋には「熱っ!」という声が響く。
赤はお湯か…、じゃあこの白いのは…。
白いバルブを捻ると、シャワーから熱湯が飛び出してくる。パークプランタンに「だああっちゃああああ!」という悲鳴が響いた。
背中に火傷を負った彼は湯船を諦め、シャワーを浴びると、ソファーで眠りに就いた。 
 
幕間  Story of Coup d’état

革命家にとって状況は最悪だった。
陽動作戦を行うも、予想以上に近衛兵の配備が多く、機動隊もほぼ壊滅させられた。王城宮殿には赤、緑、青、黒の光が次々撃ち込まれるも、その数は少しずつ減っていく。
「ダメ、トゥエルファースト門の機動隊も連絡が取れない。こりゃ全滅、もしくは逮捕ね」
ナップランドが溜息を吐きながら手に持つ通信機器を地面に落とす。
「お…、お…、俺の責任じゃねえからな…」
チェルシアの一人称が俺に変わるところから、相当動揺と見える。二人はラクスニェート門に近づくも、機動隊はすべて殺害もしくは逮捕されたため、先程の山へと逃げてきた。
「どうすんのよ、ここまで来て」
「お…、俺は知らねえからな…」
チェルシアが麓へと走り出す。ナップランドが止めようと後に続く。
「待ちなさいチェルシア!責任逃れは許さないわよ!」
「五月蠅い!すべてはあの方の責任だ!」
彼が走りながらポケットから古びた紙の一部を取り出す。
「っ!こいつだ!Extra'range(範囲外能力) I(第一)!」
チェルシアの目の前に黒い穴が広がる。
「逃げるな、チェルシア!」
「こんなところで死ぬよりは、どこかに行った方がマシだ!MWGSSTPEJP111248!」
黒い穴が歪んだ後、彼が穴に逃げ込む。
「待ちなさい!」
ナップランドが穴を覗く頃には、穴は小さく、そして消えていった。
「チッ、甘ったれたヘボ軍人が!」
穴のあった場所から、彼女は王城宮殿へと体を向け、気付かれないように身をかがめながら走り去った。
やがて、王城宮殿への攻撃が止み、町には警察や報道関係の車両のエンジン音が響き渡った。


第四章 デイトオブロストデス Date of Lost death


三笠の部屋に燦々と日差しが差し込む。彼が目を覚まし、時計を見つめる。ぼやける目を擦ると、五時半を指す時計がカチカチと音を立てている。
まだ早いな…。でもまた寝たら今度は起きられないだろうし…。
彼は渋々布団から出た。天井に向かって伸びると、早速朝食の用意を始めた。

同じ頃、隣の篠舘も目が覚めていた。しかし太陽ではなく、目覚まし時計で目が覚めていた。
はー、春は朝も暖かいから眠いなー。
彼女が布団から出ると、天井に向かって思いっきり伸びた。
麦茶でも飲もうかな…。
彼女が半分寝ぼけた状態で冷蔵庫に向かう。足元に転がる殺虫剤にも気付かずに。


三笠はパンをトースターにかけ、ソファーで寛いでいる。すると部屋に小さな振動が伝わってきた。彼はすぐさま身構えたが、勿論敵の攻撃ではなく、篠舘が転んで発生した振動の為、誰も来ない。
暫くすると、彼は所定の位置に戻り、ニュースを眺める。


朝食を食べ終えた三笠が、制服を出して投稿の準備をしている。
いつもなら秩父や高松が来る時間だが、今日は来ていない。彼は不思議に思いつつも、制服に着替える。
三十分待っても二人が来ないので、彼は一人で家を出た。今日の通りは非常に人が多い。多いと言ってもどこかの交差点のように人が行き来するわけではないが、いつもの住宅街と比較すると、非常に人数が多い。彼は周りに警戒しながら学校へ向かう。
しかし、チェルシアは俺を連れ去ろうとしていたが、兄貴たちは狙いじゃないのか?奴は謎の力を持ってるし、兄貴たちでさえも簡単に捻(ひね)り潰せるかもしれないのに…。
「あっ、三笠君じゃん」
彼の進行方向左から、聞いたことのある女声が飛んでくる。
「お、おはよう高槻さん」
「もう、他人行儀だなあ。サクラでいいよ」
「いえいえ、渾名は親密になってからで」
「じゃあ、今からあなたのこと、和君って呼んでいい?」
どっからそんな話が飛んできた?
「な、な、何でですか?」
「だって親密ならいいんでしょ?今からあなたは和君ね」
なんか色々と怖いなこの人。どっかの諜報機関にでもいそうな性格だし。
「さ、さいですか。でもやっぱり高槻さんって呼ばせてもらうよ」
「そう、まあいいけどね。それより、マリとは何か進展あった?進展あった?」
「だーから、私と三笠君は何もないんだってば」
二人の後ろから大きなコブを頭に付けた篠舘がやってきた。
「おー篠舘さん、それ新しいファッション?」
「ぶっ飛ばすわよ?」
「えっ?ファッションじゃないの?」
「ゴメン、あと二回くらい言われたら泣くかも…」
「でもどうしたの?そのタンコブ」
「今朝、殺虫剤で転んだんだよー」
「なるほど、日本人は殺虫剤で転ぶのか…」
「ゴメン、本当に泣いていい?……」
三人は一人騒いで、一人聞く耳を立てず、一人落ち込んで学校に向かった。



三時間目の化学。
三笠のクラスメイトは化学室に集結し、津嶋を待っている。教室中に生徒の話し声が響き、不機嫌そうな顔をしている生徒が点在している。
また化学か…。昨日のあれもあって、あんまり会いたくないんだよな…。
三笠は別の意味で嫌そうな顔をしている。
やがて化学室奥の準備室から、彼にとっては見慣れない男性教師が出てきた。
「えー、先ほど、津嶋先生がアンモニアを吸い過ぎで、ぶっ倒れて病院送りになったので、代わりに私槌本(つちもと)が授業を行います。じゃあ教科書の十二ページ開いて」
教室中に笑い声と津嶋を嘲笑する声が響く。三笠が眠そうな欠伸を一つ。その後グダッと顔を伏せると、目の前の温莎が彼を突く。
「何だ?アルバート、眠いんだから寝かしちくりよ…」
「標準的な日本語を話せ外国人。あとアルバートって呼ぶな!」
「いいじゃないかアリバート。どうせ名前もジョージ何だしさ」
「くっそ、名前のことだけは、両親を恨むぜ…」
「こいつみたいに苦労させないために、子供にはしっかりとした名前付けなきゃな…」
「ぶっ殺すぞテメェ…」 
この場は逢坂が仲裁し、何とか収まった。


授業の中盤、槌本がそれぞれの机に教材を配る。
「じゃあ、塩酸の中に鉄を入れちゃってください」
それぞれの机で、塩酸の入ったペットボトルに、薄い鉄の板を入れ、水素を発生させる。
「発生した気体は水上置換で集めてそのままにしちゃっててください。あとで使うんで」
槌本は準備室へ消えていった。
「あの教師絶対やる気ないだしょ」
「三笠、今、だしょって言った?」
三笠がペットボトルの中に鉄を入れ、逢坂が様子を見る。塩酸の中から泡が吹き始め、チューブを通じて水を含んだ試験管に気体が溜まっていく。
「ほー、この気体は何だ?」
「水素だ。記号はH。この世界で一番軽い気体で火をつけると音を立てて燃える」
「なるほど、説明くさい説明有難う」
三笠が逢坂から渡された試験管を手に取り、興味深そうに試験管を見つめる。
水素はどんどん発生するため、逢坂が調子に乗って十本も試験管をストックした。そこで働くのが三笠の好奇心が揺れ動く。
彼は試験管を五本ほど手に取り、蓋を開けた。そして、すぐにマッチで火をつける。
この時、彼は水素に火を点けると、大きな音を出して燃える、としか聞いておらず、爆発する、ということは一切わかっていない。
その為、化学室には「大きな音」と「燃える音」と「爆発音」が一気に響き渡り、三笠、逢坂、温莎の顔に焦げがつく。試験管が一切割れなかったのは不幸中の幸いと言える。
焦げた瞬間から教室中から「大丈夫かお前ら?」と心配する声や「何やってんだお前ら」と笑う声や「三笠、お前はシェーマス=フィネガンかよ」と権利的に面倒くさくなりそうな声があちこちから飛んできた。
その三笠はというと、ちょっと恥ずかしそうに笑っているだけだった。
彼の隣と目の前で、巻き添えを食った逢坂と温莎は少し怒り顔で彼を睨んでいた。
そして篠舘はウトウトしながらノートに化学式を書き込んでいった。

その後、三笠が準備室で槌本からの説教を食らったことは言うまでもない。



食後の昼休み。
廊下で少し顔が焦げた三笠が非常に眠そうな顔で、弱い風にあたり涼んでいる。
眠い……。日本の風はどうしてここまで心地良いのだろうか…。眠い………。
彼が少しウトウトしていると、後ろから急に襟首を掴まれた。彼が振り向くと、俯いた温莎が彼を引き寄せ、廊下の狭い空間へと引き込んでいく。
「お、おいっ!アルバート!何をするアルバート?!」
彼の言葉に温莎は応じない。
やがて温莎の手から解放されると、彼は咳き込みながら問う。
「何をするんだアルバート」
「五月蠅い……、少し黙ってろ!!」
唐突に温莎が右ストレートで殴りかかる。拳が三笠の腹に命中し、「ぐふっ」という声が三笠の口から飛び出す。
続いて少し後ずさりした三笠に、さらに回転がかかった右腕のラリアットが向かってくる。彼の体が壁に吹き飛ばされ、ゴンッ、という屋内消火栓にぶつかった音が廊下に響く。
「何…、を……、する…」
「黙ってろ」
さらに向かってくる温莎に、三笠が一度腹に蹴りを入れる。すぐ壁から背を剥がすと、温莎の肩に右足の回転蹴りを入れ、彼の体が水道に向かってふらついていく。
狭い空間の入口に少しずつ人が集まり始めた。その中に混じった篠舘が無鉄砲にも止めに入る。
「ちょっと三笠君、何やってんのっ。こんな問題起こしたら停学ものだよ?!」
「こ、こいつがいきなり殴りかかって来たもんだから…」
「温莎君も、落ち着いて」
「五月蠅い!お前は黙ってろ!!」
彼は左足で彼女の腹に蹴りを入れる。彼女は腹を抑えながらゆっくりと後退りし、水道へと背を預け咳き込む。傍観している野次馬からは温莎を非難する声が上がってくる。どうしたものか、教師を呼ぼうとする生徒は一人もいない。
「は、温莎…。関係ない人に手を出すとは…」
「こんな女、この闘いに邪魔でしかないんだよ」
温莎がそう吐き捨てると、再び右ストレートが三笠の腹に食い込む。彼の体が屋内消火栓にぶつかり、ゴンッ、という音が再び響く。
こ、こいつ…、強い、というより、早い…。蹴りでも勝てないとは…。
温莎の左手が、三笠の首に伸びてくる。そして胸倉を掴むと、彼の体を引き寄せる。三笠は只々されるがままだ。
「ハァ…、悪く思わないでね………、三笠君………」
温莎の右手が首に向かい、掴む。そして彼の体が壁に叩き付けられる。掴まれた首が少しずつ押し付けられ、締まっていく。
「サヨウナラ…。三笠君…」
温莎は少しにやけながらさらに首を絞めつける。
こいつ…、狂ってやがる…、何か、何かないのか…。抜け出す方法は…。
彼は少しずつ締まっていく首の痛みと息苦しさに耐えながら、思考を巡らせる。
何か…、何か何か、何か…。
ふと先ほどの篠舘が蹴り飛ばされたシーンが頭を巡る。
蹴る……、蹴る?おかしい、アイツは昨日左足を痛めたと言った…。あの痛がり方は本物の筈…、だとしたら…、こいつは本物じゃない。ということは?
彼が咄嗟にポケットに手を伸ばし、シャーペンを取り出す。そしてそのまま温莎の腕に尖端を当てる。
何が怖いのか、温莎は首を締めていた手を放し、水道に向けて退いた。
その瞬間、三笠は確信した。そしてシャーペンの照準を彼の体に合わせる。
「こんな手を使うとは思わなかったよ。チェルシア」



少し時間を戻し、昼休みの初め。
二階の騒がしい廊下を、温莎が急ぎ足で歩いている。彼は化学室にシャーペンを探しに向かっている。
一階の外れにある静かな化学室に、彼が鍵を開け入る。
彼の座っていた席に、彼の緑色のシャーペンが落ちていた。拾い上げ、すぐさま引き上げようとドアに向かうと、準備室から人が出てきた。男は黒尽くめの服を身にまとい、温莎を見てにやけていた。
「ん?どちら様ですか?この部屋は部外者は基本出入りは禁止ですよ」
「…、そうか。実は迷ってしまってね。案内をしてほしいんだが」
「そうですか…。でも教室には立ち入れませんよ?」
「君、名前は何というんだい?」
「僕は温莎壌二です。二年生の」
「二年か…。丁度いい、こっちに来てくれないか?」
温莎が準備室のドアに向かい、黒尽くめの男と対峙する。
「どうしたんですか?」
「いや、ちょっとじっとしていてくれ」
男が彼の額に手を翳す。
「な、何を…」
「……Maledicti(絶対能力). Unus(第一!)!」
男の手から飛び出した黒い光が、温莎の額に直撃した。
直後、彼の目から「光」が消えた。



三笠のシャーペンが、温莎の体をしっかりと捉えている。普通、周りの野次馬は笑うところだが、非常に静かになった。
温莎の表情が、強張った様子から一転、少し笑い始めた。
「何が可笑しい?」
「君にしては御名答だな」
温莎がそう発した瞬間、野次馬が次々と緑の光を受け、バタリバタリと倒れていく。
「お久しぶりだね、フィランス殿下」
温莎とは違う声が発せられた。そして角からゆっくりと黒尽くめの男が姿を現す。
三笠はシャーペンの矛先をゆっくりと男へ向ける。
「アルバートを使って俺を殺そうとするとは。全く分からなかったよ、チェルシア」
「君の中途半端な頭脳じゃ思いつかないだろうね。さて、決着でもつけようじゃないか、フィランス殿下」
三笠の「いいだろう」の声に、腹をおさえた篠舘が口を挿(はさ)む。
「ま…、待って三笠君……。あ…、あなた一人じゃ…」
「いいんだよ。この間だって、ちょっと手を変えれば追い詰める事ができた筈だ。今回だって」
「待って…、やめて!」
篠舘がゆっくりと体を起こし、彼を止めに入る。すると対峙していたチェルシアが、彼女を指差す。
「悪いけど、そのじゃじゃ馬には少し眠ってもらおうか」
チェルシアの指先から、緑の光が発生し、篠舘の胸にめがけ高速で向かって行く。
篠舘は胸に光を受けた瞬間、死んだように床に倒れこんだ。
三笠の体に震えが走る。
「き……、き…きき、貴様…、篠舘さんに何をしたんだ?!」
「なあに、ちょっと黙ってもらうために、失神能力で眠らせただけだ。どんな強靭なやつでも三十分は目覚めない、死んだも同然の状態だ」
目を開いたまま動かない彼女の顔を見て、三笠の中に安堵と憤怒の感情が入り乱れる。
「勝負だチェルシア!!」
三笠が手に持つシャーペンを光と共に発射し、それに対しチェルシアが緑の盾で防戦する。シャーペンは砕け散り、三笠が再びポケットに手を伸ばす。チェルシアが右手を伸ばし、掌に光が発生するや否や赤い光が高速で三笠に向かう。
ペンを構える三笠は動かない篠舘を抱え、素早く光を避ける。光は狭い廊下で大爆発を起こし、三笠と篠舘の体が少し広い廊下へと投げ出される。
「どうしたフィランス殿下、君も所持している筈の能力だけどなぁ…。まぁ、ガキは所詮力もガキなんだろうけどなぁ」
再びチェルシアから赤い光が放出され、三笠に向かっていく。間一髪で彼が避けるも、爆発の衝撃によって、篠舘と三笠の体は別方向に飛ばされた。彼の体が埃だらけの廊下に転がる。
早い……なぜ奴はこんなに早いんだ…。
静まり返った廊下に、三笠の咳が響き、粉塵が廊下を走る。そして粉塵の中から黒尽くめのチェルシアが瓶を片手に現れる。
「ダメだなぁ、フィランス殿下。私と初めて会ったときは、あんなに威勢が良かったのに」
そういうと、チェルシアが瓶に口をつけ、一気に飲み干す。
「貴様…、真面目な一騎打ちの時に、何休憩していやがる……」
「あぁ?これは血液増強剤だよ。能力は血液を消費するって、幼年学校で習わなかったのか?」
「ひ、卑怯だぞ…、回復薬とは…」
「何を言っている。先に仕掛けてきたのはそっちだろう?相手を攻撃するなら、これぐらいの準備はしておくものだよ、この馬鹿王子が」
彼の無計画な性格が浮き彫りとなった。冷静さを失い、彼は傷ついた体も起こすと、余った体力で階段を目指す。
「おおっ、今度は追いかけっこか。いいだろう、やってやろうじゃんか」
チェルシアが瓶を投げ捨て、三笠の後に続く。廊下に瓶の割れる音と、チェルシアの足音が響く。彼は走っているつもりだが、早歩きのチェルシアがあっという間に迫ってくる。
「ほらほら、どうしたフィランス殿下。もう追いついちまうぞ」
チェルシアが再び赤い光を放つ。三笠の体が階段まで吹き飛ぶ。廊下にはぽっかりと穴が開き、割れたガラスや床の破片が穴に落ちていく。
三笠が体を起こし、手摺に掴まりながら上階を目指す。チェルシアがポケットに手を突っ込み、数本の釘を取り出す。釘の照準を三笠に合わせると、白い光と共に釘を撃ち出す。
彼の居た階段に、高速の釘が階段に刺さり砕けていく。砕けた破片が体に刺さり、少なからずダメージになっていく。しかし、踊り場を過ぎると襲撃は止み、彼は持てる力で自分の教室を目指す。
教室まで行けば応戦できる…、あそこには確かペンと鉛筆のストックが…。


やがて教室にたどり着いた。誰もおらず静寂に包まれていた。
いつの間にか、またこの空間に引き込まれていたのか…。
彼は自分の机の中身をばら撒き、筆記用具、そして以前の戦いで手に入れた釘をポケットに突っ込む。
彼が起き上がった瞬間、教室のドアが破壊され、粉塵の中からチェルシアと温莎が現れた。三笠は手に持つ釘を構える。
「…、どういう…、つもりだ……」
「簡単さ、もう君とドンパチやってもつまらないから。ここでケリをつけるのさ、君を嬲(なぶ)り殺(ごろ)しにする。捕まえろ」
チェルシアが命令すると、温莎がゆっくりと動き出し、三笠の元に向かう。
「待て温莎、お前、自分が何してんのか、分かってんのか?!」
「……」
「答えろ温莎」
「君は馬鹿か?そいつは私の洗脳能力によって操られているのだよ。元の意識など吹っ飛んでるさ。さあ、早く捕まえろ」
温莎が蹴りを一発、三笠の腹へと食い込ませる。彼が怯んだ瞬間、温莎の手が伸び、三笠を床に押さえつける。
「本当に、ここまで手のかかる王子様だとは思わなかったよ。明日は貧血でぶっ倒れるかもなぁ」
チェルシアがゆっくりと教室に入っていく。



チェルシアが温莎に押さえつけられ這(は)い蹲(つくば)う三笠の目の前に佇む。
「いい格好だな、フィランス殿下。ご感想は?」
「いい気分じゃねえよ。温莎に何をしたんだ?」
「簡単だ。この技を使ったんだ」
チェルシアがその場にしゃがみ、右手を温莎の額に翳す。
「……Maledicti Unus!」
チェルシアの手に黒い光が現れ、温莎の額に吸い込まれていく。
「もっとも、一度使ったから、こいつに対しては使い物にはならんのだけどね」
「その能力は何だ?」
「では無知な君への授業といこう。お前たちの学校では能力は三つしか無い、と教わるだろうが、実際は違う」
三笠は目の前に立つ二人を睨み付けながら話を聞く。
「前回見せたとおり、能力はほかにもある。実にその数、五百個。そのうち、使ってはならない『禁断の絶対能力』。それが先ほど見せた能力だ」
「どこでそんなことを知ったんだ…」
「それは言えない。仲間を売ることになるからね。さてと、君にも少し味わってもらわないと、私たちの仲間が怒るからな…」
チェルシアは立ち上がると、左手を三笠に翳す。
「何をする気だ?」
「盾では防げない禁断の第三能力。拷問能力だ」
「第三…、拷問?」
「その昔、クリザンテム国王第十四代から第二十二代まで使われた拷問能力。君の喘ぐ声が楽しみだよ」
三笠は何とか逃げ出そうともがくが、温莎の体は一切動じない。
「Maledicti」
チェルシアの口から悪魔の言葉が発せられようとした。
「Tre」
「待ちなさい!!」
壊れた教室のドアから、ゆっくりと傷ついた篠舘が現れる。彼女の制服は、ワイシャツは灰色に汚れ、スカートは少し破れている。
「はぁ、随分と目覚めが早いな、じゃじゃ馬。お前なんかが来てどうする気だ?」
「…、三笠君…、生きてるよね?」
彼女がゆっくりと教室に入りながら、声を投げかける。
「い、生きてるけど…。来るな、篠舘さん…、こっちに来たらあなたの命は保証できない…」
「何にも知らない温莎君が使われるよりは、こっちの方がましでしょう…」
「ダメだ!来るな!」
彼女がチェルシアのすぐ近くに佇む。
「さあ、温莎君を解放して、私を使いなさい」
一瞬沈黙が走る。するとチェルシアが甲高い声で笑い始めた。
「何が可笑しいの?さあ、早く!」
「はぁ、お前ほど馬鹿な人間は初めて見たよ。でも、その勇気は、今後俺にとって邪魔なものになりそうだから、君にも消えてもらうか」
「止めろ!」
三笠の叫び声と共に、温莎が振り払われ、三笠が釘を構える。
「止めろチェルシ」
「Maledicti! Unus!」
黒い光が三笠の額に直撃し、彼の目から「光」が消え失せた。
教室に「三笠君?!」との篠舘の声が響くが、彼は一切応じない。
「あ…、あんた、三笠君に……何したの…」
「なぁに、私の操り人形になってもらっただけだ。死んではいない、だが」
三笠がチェルシアの横に立つ。
「これからしばらく私の下僕として動いてもらう」
篠舘が後退りし、距離をとる。最後の頼みの綱が切れたため、彼女には為(な)す術(すべ)がない。
「まず、あのじゃじゃ馬を押さえつけろ」
三笠が飛び掛かるように篠舘を押し倒し、馬乗りとなって腕を押さえつける。
「や…、やめて…、三笠君…」
「そんなことをほざいても無駄だ。温莎、殿下の代わりに腕を押さえつけろ」
温莎の両手が篠舘の両腕を押さえつけ、三笠の手が接(は)がれる。
「いいかフィランス殿下、君は今からこう唱えるのだ。Maledicti」
「Ma…Ledi…Cti…」
「もっとスムーズにだ」
「Maledi…Cti」
「まあいいだろう。次はこうだ、Quinque」
「Quin…Que」
「な、何を言わせてるの?」
「禁断の第五絶対能力、即殺能力だ」
彼女の体に震えが一気に走る。自分があまりにも無鉄砲すぎたことに、今更後悔している。
「いいだろう。こいつを助けたいんだったら、それぐらい受け入れろよな。さぁフィランス殿下、すべてを詠唱し、このじゃじゃ馬に死を!!」
篠舘の顔には冷や汗と涙が流れ始める。
「Maledicti. Quin」
その時、咄嗟の判断で、彼女の唯一動くことのできた足の蹴りが三笠の尻に食い込む。直後、一瞬の隙に体を回転させ、呪縛から逃れた。
「ほぉ、良く動く馬だな。だが!」
チェルシアが這う篠舘に向け、赤い光を放つ。間一髪直撃は逃れたものの、三人の生徒が吹き飛ばされ、教室の床に叩き付けられた。
「もういい、私が葬ってやろう…」
煙の中から右手の掌を篠舘に向けたチェルシアが、少しずつ近づいてくる。
「こんなに面倒くさい女は初めてだな…、さっさと死ね!Maledicti!」
直後、唐突に発生した爆発で、チェルシアの体がガラスを突き抜け、教室外に吹き飛ばされた。彼女も爆風に巻き込まれるが、少し転がるだけで済んだ。
た……、助かった……?!
篠舘の視線の先には、座りながら右手を構える三笠が、荒い息を立て座り込んでいた。彼は重い息を吐くと、床にばたりと倒れこんだ。
その後、篠舘も気を失い、静かな教室に、三人の生徒が静かに息をしていた。



三笠が目覚めると、そこには見知らぬ天井が広がっていた。
あれ……、チェルシアは……、篠舘さん?!
彼が勢いよく体を起こす。しかし背中に激痛が走り、再びゆっくりと横になる。
「起きたか、フィランス」
彼が声のする方に目をやると、若竹が笑いながら窓の外を見つめていた。
「あ、兄貴…。ここは?」
「ここはこの学校の医務室だ。私の空間のだが。で、お前はそのベットの上で寝てたと」
「ん?兄貴の空間?」
「そうだ」
三笠が首を傾げる。若竹が彼のベッドに寄り、近くにあるパイプ椅子に腰かけた。
「どうゆうこと?」
「私もチェルシアと同じ異界能力を行使できる。つい昨日、身に着けたばかりだが」
「…、チェルシアと同じものか………、どうや」
「どうして身に着けたかは、自分の家に行けば分かる。それより、どうして生きてるか知りたくないか?」
短い沈黙が医務室に走る。そして三笠がゆっくりと頷く。
「さっきの闘いの時、お前の起こした最後の爆発が、チェルシアを吹き飛ばしたんだよ。で、アイツが昇降口に吹っ飛ばされて落ちてきた時、空間に干渉したばかりの私と鉢合わせたら、大きく穴が開いた教室を見ながら奴が逃げていったから、もしやと思っていってみたら君たち三人が倒れていて、私の空間に引き込んで、今に至るというわけ」
「随分と色々あったな。そういえば、どうして兄貴は空間に干渉できるんだ?作ることは出来なかったのに」
「じゃあ説明するか」
若竹は窓際に置いてある椅子を引っ張り出し、三笠の横たわるベッドに運び、座ると解説を始めた。
「そもそも空間には、作った時に座標のようなものが指定される。ちなみにこの日本の座標はMWGSSTPEJP。地域としてはさらに111248。その空間を指定することによって、異空間への干渉が可能となる。座標指数は、大体は現地語だがな」
「じゃあこっちに来るときは?」
「親父が黒い穴を開いたんだろ?」
三笠がゆっくりと頷く。
「あの穴を開く際、必ず今言ったような座標を指定しなければいけない。そしてこの座標はこのような異空間にも存在する。つまり、黒い穴を使えば他人の空間への干渉も可能となる。こっちの世界で異空間を創造できるのはチェルシアだけだろうから、さっきの座標に「A」という単語を追加するだけで、干渉が可能になる。長い話だが、分かると簡単だろ?」
話を聞き終えると、彼が不意に時計に目をやる。時計は三時十五分を指していた。
「学校はどうなった?」
「原因不明の集団失神で、どういう訳か全校生徒一斉下校になったよ。失神した生徒は、多分まだここにいる」
彼が右を向くと、篠舘と温莎が静かに息をしながら眠っていた。
「二人は大丈夫か?」
「ああ、二人とも疲労で眠っているだけどだ。まあ、男の方はちょっと重症だから、しばらくは起きないかな」
三笠は目を閉じると深く深呼吸をした。
「どう言えばいいか、よく分からないんだが、お前は二人を助けたし、巻き込んだ。複雑だが、気を付けるんだな」
若竹は椅子から立ち、医務室の出口に向かう。
「私はあと二時間程ここにいる。それまでに家に帰るんだな。体はこの空間でいた場所に戻されるからな」
若竹は医務室を出ると、昇降口から学校を去った。
三笠は貧血と疲労で、再びベッドで横になった。


やがて時計が四時二十分を指した時、篠舘がゆっくりと目を覚ました。
あ……、あれ…、教室じゃない…。
彼女がゆっくりと体を起こすと、左のベッドに静かに寝息を立てる三笠が横たわっていた。
良かった、無事なのね…。温莎君は?
彼女がキョロキョロあたりを見回すと、右のベッドに死んだように眠っている温莎が横たわっていた。
息してる…、こっちも大丈夫みたいね。
彼女がベッドから降りようと体を曲げると、三笠が目を覚ました。
「三笠君…、大丈」
「篠舘さん」
起きたばかりの三笠の目が、真剣に彼女を見つめている。
「な、何?」
「どうしてあの時、あんな真似を…」
医務室に、短い沈黙が走る。
「だ……、だって、あの時助けなきゃ、いい手も打てずに皆」
「篠舘さんが死んだらどうする…」
再び沈黙が走る。彼女が自分の無鉄砲さを少し感じ始めた。
「俺は君を巻き込んだ。だからふざけるなと責められても仕方ない。でも、君が積極的に巻き込まれる必要はない。それで君が死んだら、俺はどうすれば……」
彼女は何も言えなかった。自分に非があるとつくづく思い知らされているように、黙っていた。
「今後、こんな無鉄砲なことは絶対やめてください!」
三笠はベッドから降りると、弱った体を引き摺りながら、医務室から出ていった。
残された彼女は、只々、自分の行いを反省することしかできなかった。



街に少しずつ夕陽が差し込んでくる。
三笠がゆっくりとスーパー・エキシビションに入っていく。
延長コード…、どこだ?
勿論スーパーには誰もいない。悪人ならレジを漁るところだが、彼はそんなことを学習していないので、只々延長コードを探していた。
ここは広いから分かりずらいな…。食品、洗剤、電化製品、どこだ?
十分迷った挙句、ようやく延長コードを手にすることができた。その他いろいろと手に取り、レジに向かうが、前述の通り誰もいない。
うーん…、どうすれば……、札を置いていけば大丈夫か。
彼はレジに万札を一枚置くと、さっさとスーパーを出た。
スーパーの外に出ても誰もいない。建物そのままに、地球上の生物がすべて滅んだような静寂に包まれていた。彼は両手に袋と通学用バッグを提げ、パークプランタンの自分の部屋を目指す。


三笠がやっとの思いで自分の部屋にたどり着いた。部屋の時計を見ると五時十分を指していた。
そろそろ兄貴の言ってた時間かな。
彼がソファーに座り、延長コードの封を開け、中身を伸ばした途端、外が唐突に騒がしくなる。
直後、玄関のドアを叩く音が部屋中に響いた。彼が急いで応答すると、秩父と高松が慌てた表情で、九城がいつもの表情で待っていた。
「おいフィル、聞いたぞ、チェルシアとまたぶつかったんだって」
「そ、そうだけど、誰に聞いたの?」
「さっき変な空間に引き込まれた時、バルゼティスがお前のところに行けって言うから」
「いつの間に…、まあ入ってよ」
四人が部屋に収まった時、篠舘がゆっくりと階段を上がってきた。


部屋ではダイニングテーブルに三兄弟、ソファーで九城が耳を傾けていた。
秩父が会談を始める。
「フィル、奴は何をしてきたんだ?」
「前と同じく、見たことのない能力を使ってきた」
「フィランス、篠舘さんは巻き込んでないだろうな?」
「ごめん、巻き込みたくはなかったけど、巻き込んでしまった」
高松が困り顔で溜息を吐く。
「彼女以外は?」
「学友が一人、チェルシアの手駒に使われた」
「卑怯者が……」
「二人に怪我は?」
「ないと思う。温莎はまだ目覚めてないんだ」
「全く、二人も巻き込んでしまうとはな…」
「まあセド、二人とも恐らく失神しただけだろう。それより、そのチェルシアの見たことのない能力はどんなものなんだ?」
呆れ顔の高松を秩父が抑制し、話題を変える。
「今回は…、失神させる能力、そして禁断の絶対能力の第一と第三…、何の事かさっぱりだ」
「俺もわからん」
「私もだ。これはいっそ、国に戻って父さんを問い詰めるか?」
「それにするか」
「でもどうやって行くか……」
「父さんがあの黒い穴をあけるのを待つのか…」
その時、天井に黒い穴が広がり、執事のレノードが下りてきた。
「殿下、今週分の生活費支給を…、ひえぇぇぇ!!」
突然迫ってくる三兄弟に、驚愕のあまり情けない悲鳴と後退りするレノード。
「爺ちゃん!この前黒い穴で帰ったよね!帰ったよね!」
「レノードさん!俺たちをクリザンテムに戻して!」
「し、しかし、私の転界(てんかい)能力は安定しない」
「そんなことどうでもいいんだよ!おじさん、早く俺たちを帰して!」
秩父の一言により、彼は困り顔で指を鳴らす。すると床に黒い穴が発生し、三笠と秩父が飛び込む。
高松は九城の元に寄り添い「いってくるね」との一言と抱擁を交わす。そして彼女の「いってらっしゃい」という言葉に送られ、高松も穴に飛び込む。
「大変ですね、執事さん」
「いえいえ、これだからこの御一家は楽しいのですよ」
二人の会話の途中、部屋にインターホンが鳴り響く。レノードが応答すると、廊下に篠舘が立っていた。
「これは篠舘様、どうされました?」
「三笠君にちょっと…」
「申し訳ございません、殿下は只今帰郷されました」
「帰郷?」
彼女は部屋に入ると、九城への挨拶の後、黒い穴をのぞき込む。
「これが三笠君のところと日本を結ぶ穴ですか」
「作用でございます。では私も向いますので、これにて」
執事は頭を下げると、彼女は執事に力なく手を振る。
そして執事が穴に飛び込む、
と篠舘も引っ張られるように穴に落ちた。
理由は簡単。
執事の足に先ほど買って出しっぱなしの延長コードが絡まり、さらに篠舘の足にも絡まったためだ。彼女は悲鳴を上げながら穴に落ちていった。
一人残された九城は、少し呆然としたのち、黒い穴が消えると彼の部屋の鍵を閉め、郵便受けに鍵を入れると、自分の家へと戻っていった。



鈴丘高校の医務室。医務室の女性教諭、多湖宮(たごみや)が失神から復活した生徒の書類をまとめている。
えっと、あとは三組の小牧さんか…。どうなったかな?
彼女がベットの幕を上げると、失神している小牧の隣に、先程まではいなかった温莎が静かに寝息を立てていた。
エッ、エッエッ、エッ?いつからいたの、この子。どっから入って来たんだろう…。
彼女が温莎の元に寄り、体を揺らして起こしにかかる。
「君!君!どっから入って来たの!皆もうとっくに下校してるよ!」
温莎がゆっくり目を覚ました。
「あ…、あれ?化学室にいたはず…」
「何寝ぼけてんの?ほら、出てった出てった!!」
温莎は半ば追い出されるように医務室を出た。
どうなってるんだ…。
彼が廊下の時計に目をやると、五時十五分を指していた。
何でこんな時間まで眠ってたんだ…。とりあえず教室に…。
その後、彼が職員室で質問攻めにあったのは言うまでもない。



黒い穴の中を三笠と秩父、遅れて高松が降りていく。
「兄貴、これどれぐらい続くんだっけ?」
「私が来たときは、三分位続いてたかな?でもそこまで長くないぞ」
落下速度はかなり早い。風も受ける。そして足場がないので、ただ落ちていくしかない。
「セドリードはどうしたんだ?」
「セドは、九城さんとの別れを済ませてから来るだろう。あの二人は本当に仲がいいから」
三笠が上を見上げても、上方には少しだけ明るい黒い空間しか見えなかった。
「あの子には言わなくて良かったのか?篠……、篠……」
「篠舘さんには言わなくても大丈夫だよ。どうせ明日の朝には帰らないとだし」
「そうか」
黒い穴を進むにつれ、受ける風の量が大きくなり、二人とも一定の体勢を取るのが辛くなってきた。
「兄貴、どうなってんだ?なんか風が強くなってきたけど…」
「そういえば、レノードさんが不安定とかどうとか言ってたな」
「不安定ってこのことくわぁ!!」
会話の途中、強風が吹き荒れ、二人は錐もみ回転しながら距離を離していった。
やばい、バランスが取れない…。どうすれば…。
幸運なことに、足元に小さな光が見え始めた。
良かった、あとは着地だな。
やがて少しずつ光が大きくなってくる。水色の床もはっきり見え始めた。
やがて黒い穴の出口から出ると、彼は見事に着地、
「よし、ちゃんと着地出来ろちぇすたー!」
出来きずにすっ転んだ。
理由は簡単。
床に氷が張ってあり、非常によく滑る床となっていた。彼は床に足を着けた途端、頭から後ろに転んだ。
「痛(いって)えーー、何だよ、地下の冷凍室か…、爺ちゃん何やってんだよ…。でも床ってこんなに柔らかかったっけ?」
彼が頭を動かす。彼の頭の下には、少し冷たく柔らかいものが広がっていた。
「この柔らかいのは何だ?」
「にっ、兄様!!ど、退いてください!」
床が喋った?
彼が起き上がると、床にいかにもメイド服という格好をした少女が倒れていた。
「おおっ!!マリィ、ゴメンな」
彼が少女に手を伸ばす。少し顔を赤くした少女が彼の手に掴まり体を起こす。
「兄様、行くときも突然でしたけど、帰るときも突然なんですね…」
「ははは、ゴメンな」
少女の長い栗色の髪に、氷が張り付く。三笠は少女の髪の氷を払いながら笑顔で話しかける。
「どこか怪我しなかったか?」
「大丈夫です、ちょっと転んだだけだから…」
二人の会話の途中に、三笠の上から延長コードと「尻」が降ってきた。三笠の体が少女の体を押し倒し、二人の体が凍てつく床に張り付く。
「あー、目が回るー、気持ち悪いー」
三笠の上でぐったりしているのは、巻き込まれて落ちてきた篠舘だ。
「きゃああ!冷たい!兄様!!退いてください!!」
「俺だって退きたい!!」
「あれ?三笠君?」
「しーのだてさん早く退いて!!」
彼女は三笠の上から体を退かすと、傍(そば)で申し訳なさそうに立っていた。そしていろいろ意味でひどい目に合った少女は凍てつく床から再び体を起こす。
「……?兄様、この人は誰ですか?」
少女は三笠の体に隠れ篠舘を指差す。少女の言葉は日本語ではないので篠舘には通じない。
「この人は、篠舘真理さん。日本国でお世話になってる」
「三笠君のそれ何語?というかその人だれ?」
勿論、少女に日本語は通じない。
「この子は、マリアンヌ=ローゼンバーグ。俺の妹だ」
「でも、ローゼンバーグって、三笠君の苗字はサンクトキンじゃ…」
「いいんだよ」
彼女には、彼の言葉が冷たくあしらったように聞こえた。
彼の言葉が終わったと同時に、冷凍室のドアが勢いよく開き、秩父と高松が飛び込んでくる。
「フィル、ここにいたか。早く行くぞ」
「おお!了解!」
三人は篠舘とマリーを置いて走り去っていった。二人が彼らの後に続き冷凍室を出た。
彼らが走り去ったのち、手にバッグを提げたレノードが向かってきた。
「篠舘様、申し訳ございません。あなたを巻き込んでこちらに」
「だ、大丈夫ですよ。気にしないでください」
「レノードさん、この方は何を話しているのですか?」
レノードの体に隠れる少女が再び問う。
うわー、結構な人見知りな子だなあー。
篠舘が困り顔で口元に手を当てる。
「おお、そうだった」
レノードがバッグからヘッドセットのような物を取り出し、篠舘に渡す。
「先日開発された翻訳機器です。日本語に設定されておりますので、そのままご使用してください」
品を受け取った篠舘が、半信半疑にヘッドセットを付ける。
「あ、ああ。聞こえますか?」
「あっ!凄いですねレノードさん。何言ってるかちゃんとわかりますよ」
未だに隠れる少女に、篠舘が苦笑する。彼女は体を少女に向け、丁寧に話しかける。
「えっと、初めまして、篠舘真理です。日本で三笠君…、じゃなくて、ふぃ、ふぃ…フィリップ君と同じ学校に通っています」
彼女の言い間違いに、少女が少し笑う。やがてレノードの後ろから少し顔を赤くしながら陰から姿を現す。
「えっと、私はマリアンヌ=レストクレール=ローゼンバーグです。あと、兄様の名前はフィランスですよ」
「……、フィランス君が妹って言ってたけど…、あなたの苗字って…」
「ええ、私たち、血は繋がっていませんよ。腹違いでもありません」
「じゃあなんで?」
「兄様とは、小さいころから一緒に暮らしているので、妹扱いなんですよ。立ち話もなんですから、応接室に行きましょう」
二人は赤い絨毯が敷き詰められた広い王宮の床を、お喋りをしながら進んでいった。


三人の王子が玉座の間に飛び込む。しかしそこでは侍女が掃除をしていた。
「と、父さんは!」 
「で、殿下。いつお帰りに?」
「そんなことより、父さんはどこだ?」
「陛下でしたら先ほど王(おう)后(こう)陛下と一緒に応接室へ」
「了解、行くぞ!」
秩父が二人を統帥し、玉座の間を走り去っていった。残された侍女は呆然と立ち尽くしていた。


応接室で篠舘とマリーがふかふかのソファーに座りながら談話している。部屋には振り子時計の秒針を刻む音が響く。
「あなたのことは何て呼べばいいかな?」
「何でもいいですよ。王宮の皆からはマリーって呼ばれています」
「うーん、でも私の名前が真理だからな…」
マリアンヌ…、アンヌ…、Anne…、アンネ?
「アンネって呼んでいい?」
「アンネ?何でですか?」
「私の方ではアンヌはアンネとも言うの」
「そうなんですか、じゃあアンネで」
二人の会話が弾み始める。彼女たちの笑い声が応接室に響く。ふと、話題がミドルネームの事に変わる。
「えっ?レストクレールって苗字なの?」
「はい、私の本当の苗字です」
「じゃあ…、ローゼンバーグってのは?」
「私と兄様が小さいころに付けて下さった名前です」
「王子が侍女に勝手に賜姓(しせい)って…、どんだけ自由なのこの国…」
その時、応接間の扉が開き、初老の高貴な男女のペアが入ってきた。マリーはその姿を見た途端、頭を深々と下げた。
ん?この人だれ?頭下げてるから、貴族かな?
「ん?マリー、この子は誰だ?」
「はい、篠舘真理様でございます」
「おお、篠舘さんか、ところで何でここにいるんだ?」
初老の高貴な男性が篠舘に近づいてくる。彼女はどこの誰だか全く見当がつかない。
「アンネ、この方は誰?」
「クリザンテム=デサンピア王国国王、ウィラード=ジョーリドル=ドーファン=サンクトキン陛下です」
三秒後、首を傾げたのちにようやく理解した篠舘の体が震え始める。
エッ、国王?王様…、王様…。
「まあまあ、そう堅くならずに、座って話そうか」
ウィラードの優しい言葉に、篠舘はたじたじとソファーに座る。
「篠舘さん、いつもフィランスがお世話になってます・これからもどうぞよろしくね」
初老の高貴な女性が優しい言葉で話しかけてきた。
「アンネ、この方は国王陛下の…」
「はい、王后陛下のミラーナ=アリフィア=ドーフィヌ=ブラヴァンド・リージ=サンクトキン陛下です」
やっぱりかー、ダメだー、口が動かないー。
「篠舘さん、向こうでのフィランスの様子はどうかな?」
「は、はいっ。えーっと、一応、助けてもらってます…」
「ほう、何か迷惑かけてないかな?」
「えっと、大丈夫です」
って言えば嘘になっちゃうんだよなー。
その時、唐突に応接室のドアが開き、三人の王子が飛び込んでくる。そして「うぉ、親父!やっと見つけたぞ?」「父さん!やっと見つけた!」「父さん、話がある!」との三人の言葉が飛び込んでくる。
「おお、お前達。いつ帰った?」
「「「さっきだ!!」」」
「そ、そうか。バルゼティスから聞いたんだな。よし、こっちに来い」
ウィラードは三人を率いて応接室を出ていった。残された篠舘、マリー、ミラーナは日本での三笠の生活ぶりや、昔の三笠の話で会話を盛り上げていった。


十一
王城宮殿の一角に、古いモダン調の建物が存在する。王城宮殿の中で唯一、一般公開されている場所、王立図書館だ。ここには、クリザンテム王国で出版されている本がすべて一冊ずつ保管されている。
ウィラードは、静かな図書館のテーブルに座らせると、図書館の奥にある黒いドアのかぎを開け、しばらくすると両手に大量の書物を抱えて戻ってきた。
彼が机に書物を置くと、埃が宙を舞う。
「父さん、なにこれ?」
三笠が埃をかぶった書物を煙たそうに眺める。
「わが王室の詳細が描かれた書物だ」
そう言うと、ウィラードは古びた巻子本を取り出し、並んで座る三人の王子の前に広げた。巻子本には肖像画と共に奇妙な名前が並ぶ。
「親父、誰これ?」
「これは我々の先祖だ。そして能力に関してもっとも重要なのが、この男」
ウィラードが薄汚れた一人の男の肖像画を指差す。
「ジョーリドル=ヴァルドリッジ=ブラヴァンド・リージ=ファーディスブルク。私の十六代前のこの国の王だ」
「サンクトキンじゃないのか…」
高松が口に手を当て、ふーん、という声を出す。
「そうだ。彼が国王の時、この国は非常に情勢が不安定だったそうだ。その原因は、自由に使われていた能力。特に「禁断の絶対能力」と呼ばれた五つの能力により、死者が約五百人にも達したらしい」
「「そりゃまた凄惨(せいさん)な」」
秩父と高松が不快そうに顔を顰(しか)める。
「その能力により、街へ赴き奉仕活動をしていたジョーリドルの弟、リオンド=アインドホーヴェンという王族でさえも犠牲となったらしい」
ジョーリドルの肖像画の隣には、「哀れなる王族、リオンド=クローネクス=サンクトキン=レデュック=アインドホーヴェン」と記されていた。
「サンクトキン……、これって俺たちの家名…」
三笠が彼のミドルネームを指差す。
「そうだ。ジョーリドルの二人の子供は、父親と叔父のミドルネームから新しい一家を立てたのだ。サンクトキンと、ブラヴァンド・リージ。ミラーナの出身家のな」
三笠が納得したように、ふーん、と声を出す。
「ジョーリドルは最終手段として、国家全体の能力の仕様を禁止した。勿論、反発もあった。しかし、彼はすべての能力に関する書物を焼くように、勅令を出した」
「それで、能力は封印されたのか?」
三笠が眠そうに目を擦りながら問う。
「そうだ。その後、この国を守るためにという理由で残された三つの能力以外の保有が禁止されたのだ」
「そんなことを、俺たちに黙っていたのか?」
高松が不快そうにウィラードに問う。
「……、この王室では、王位を継承するものにのみ、この事を教えていた。そして国民に漏れぬように、国王が監視していたということだ」
「……今までもか?」
秩父も不快そうに問う。
「そうだ。私の父も、祖父も、曾祖父もだ」
「なーんで、今まで話さなかったのかは、別の理由じゃないの?」
今まで黙っていた三笠が口を開く。
「いや、だから我が王室は」
「俺たちが聞いたら反発して一般公開されるかもしれない。そんなことをされたらクーデターを起こしかねない。とか?」
「だ…、……」
ウィラードが口籠(くちごも)る。そしてゆっくりと俯いた。
「もしかして図星?そんなに俺達の事信じられないのか?」
「仕方ないだろ!!」
ウィラードの叫ぶ声が、図書館に響き渡る。やがて声が消えると、再びウィラードが口を開く。
「こうでもしないと…、この地位は守れないんだ…。先代の王だってそうだ…。この生活を守るためには、黙っておくしかなかったんだよ…、ただの自分勝手で、お前達を信用してなかっただけなんだよ…」
ウィラードの声は少し震えている。そんな彼に対し、三人の王子は少し笑ってお互いの顔を見つめる。
「親父の努力は分かったよ。知った以上、私達は誰にもしゃべらないし、協力もする。これでどうだ?」
俯いたウィラードは、小さく頷いた。
「とりあええず、士官学校で習うもの以外の能力を教えてくれよ」
高松の言葉に、ウィラードは顔を上げ、文字の書かれた古い紙を五枚ほど差し出した。
「これは何?」
三笠が紙を手に取ると、ひらひらと振り回す。
「そこには、一部だが能力の詳細が記されている首謀者探しに役立ててくれ。私はしばらく、自分の部屋にいる。終わったら鍵をかけて出て来いよ」
ウィラードは図書館から去り、三人の王子は古い紙をそれぞれ手に取り、資料を読みふけった。


「えっと…、Devolvat.と言った後に番号を言えば、その能力が解放される…」
秩父か薄い紙を手に右掌を天井に向ける。
「Devolvat(解き放て). CDXLI(第四四一)!」
秩父が言葉を発すると、掌から黄色の光が発生し、天井に向かう。やがて天井から強力な光が降り注ぎ、三人が腕で目を覆う。
「これが強光能力。随分と強い光だな」
「チェルシアが使ってたもの同じものか…」
「よし、俺は外で色々と試し撃ちをしてくる。フィル、お前はもう少し勉強してからにした方がいい」
「じゃあ、私も行くかな」
三笠が「ふーい」とやる気のない返事をすると同時に、二人は図書館の入口へと消えていった。


十二
赤い絨毯が敷かれた広い廊下で、篠舘がオロオロしている。
うー、どうしよう…、ここどこだー?
トイレを探し、戻ろうとした矢先、右も左も書いてある文字もわからない王城宮殿で、彼女は迷子になっていた。いろいろな角を曲がり、階段を上り、下り、同じような道を何度も通った。
うー、三笠君かアンネがいてくれればなあ……。
彼が周りをキョロキョロと見渡しながら先へと進む。
すると、茶色のドアが目に入った。応接室のドアも同じ色だった。
助かった!戻って来れたのか!
彼女が、天国の門を開ける。
しかし、そこには天国ではなく、薄暗い直線の廊下の奥にさらに黒いドア、廊下の両脇にはチェーンが掛かった本棚がドアまで続いていた。
へ?ここどこ?もしかして、来ちゃいけない場所?もしかしなくても来ちゃいけない気がする…。
彼女が元来たドアに手を伸ばす。しかしなぜかドアが開かない。
なんで?なんで開かないの?なんでー?
彼女は必死にドアを押すが、扉は一向に開かない。この時、ドアは引くと開くということを動揺している彼女はすっかり忘れていた。
う…、怖い…、でも行くしか…、無いか……。
彼女は薄暗い廊下を恐る恐る歩いていった。足元には絨毯は無く、靴が木の床を踏みつける音が廊下に響く。そしてその静けさがカノジョの恐怖心をより一層高める。
彼女の腕が、黒いドアのノブの部分に届く。彼女がゆっくりとドアを押すと、ドアがゆっくりと開いた。
ドアの先には、何万冊ともいえる本が所蔵された図書館が広がっていた。
ここは…、図書館?宮殿に図書館…。
彼女が巨大な本棚をキョロキョロと見渡す。本には見たこともない文字が書かれていた。
やっぱり日本語じゃないか…、文字は分かっても、文字が分かんないからなー。
その時、遠くで本のページを捲(めく)る音が聞こえた。
だ、誰かいる?!どこ?!どこ?!
彼女が棚と棚の間にできた通路を見渡しながら図書館中を走り回る。
やがて、出口近くの四角いテーブルで本を読んでいる少年が彼女の目に入った。
良かった、まだいてくれた…。
彼女が少年の元に走る。
「す、すみません!迷っちゃて、応接室まで連れてってもらえませんか?」
少年が振り向く。少年は三笠だった。
「あ…、三笠…、君……」
「し、篠舘さん…」
彼は何も言わず目線を本に戻す。
彼女はゆっくりと歩きながら彼の元に近づく。そして彼とは対峙しない角度の席に着く。
「その、………、昼間はごめんなさい。私のせいで…」
「もういいよ、別に。でも何であんなことを?」
三笠が本のページを捲ると、彼女が小さな声で話し始めた。
「あのね、三笠君。聞きたくないかもしれないけど聞いて。私には叔父さんがいたの、でも私の小さい頃に亡くなったの」
彼は一無言で本を捲る。
「私が小学校に上がる前、家の近くの大通りに家族でいた時、反対の方向のお菓子屋さんに行こうと、信号も渡らず道路に飛び出したらしいの」
彼は無言のままページを捲る。
「でね、その時、ダンプカーが来たんだって、お母さんが気付いたには、轢(ひ)かれる寸前だったって。その時、叔父さんが私を庇(かば)って助けてくれたの」
彼の表情がわずかに動く。目が俯く彼女の方向へと向かった。
「叔父さん、即死だったらしいの…、小さいから何もわかってなくて…、いきなり優しい叔父さんがいなくなっちゃって…、あとで事情を知った時…、叔父さんのお墓の前でしばらく泣いて謝ったの…、その頃から…、もう誰も死なせたくないって思うようになって…、感情を抑えきれずに…、無茶な行動に出ることが…、多くなって…」
彼女の声が少し震え始めた。目には涙が溜まっている。
「あなたには迷惑をかけた…、自分の事を守るだけでも精一杯の筈なのに…、飛び込んできた私まで…、だから私に」
「もういいよ」
三笠の言葉が、彼女の言葉を遮る。
「もういいから、そんなに自分を卑下しなくていいから、その行動で助けられたこともあったし」
彼女は俯いたまま動かなかった。
「食事の時間までここにいる?」
彼女は「うん」と小さい声で返事をすると、ポケットティッシュで鼻をかんだ。三笠はゆっくりと立ち上がり、彼女の横に近づく。
「まあ、自分のせいで人が死ぬってのは、トラウマになりますよね…」
彼は彼女の頭に手を伸ばし、ゆっくり撫でる。彼女はう…、うぐ…、と小さくしゃくりあげる。
三笠は席に戻ると、新しい本を取り出し、再び読み始める。
「…、その本何?」
彼女が小さな声で再び質問を投げかける。
「これはサードストンが能力について書き記した本。古語で書かれているから読みにくいんだよね」
「ふーん…」
しばらく沈黙の時間が流れる。
やがて図書館の時計が時報を告げ、図書館中に十九回の時報が鳴り響く。
「もう食事の時間か…、行こう篠舘さん」
彼女は小さく頷いた。
彼は本を纏めると、篠舘を連れて図書館を立ち去った。


十三
三笠と篠舘は応接室ではなく、王城宮殿の大広間に入った。大広間には天井にシャンデリアのような照明器具が二つ。さらにベルサイユ宮殿のような窓、部屋の中央には豪華な造りの長方形のロングテーブルと肘掛付きの椅子が設置されていた。
「す、すごいねこれ…、いくらぐらいするの?」
「兄貴曰く、テーブルは二千五百ロート、椅子が一千ロートらしい」
「ゴメン、全く分かんない…」
彼らが通貨の話をしていると、マリーとミラーナが大広間に入ってきた。
「篠舘さん!どこに行ってたんですか!」
「ご、ゴメン、ちょっと迷っちゃって…、三笠君に案内してもらったの…」
「そうですか、まあ良かった…」
「母さん、もう食事の時間だしょ?料理はまだなのか?」
「一人分多く作っておりますから。もう少しお待ちなさい」
だしょはツッコまないんだ…。
「すみません。いきなり来たのに、お食事までご用意して頂いて…」
篠舘がミラーナに向け丁寧に頭を下げる。
「大丈夫ですよ。レノードの失態ですから。あなたに責任は問いません」
「そうですか…」
大広間の扉が開き、秩父と高松が入ってきた。
「よう、フィル。お勉強は終わったか?」
「兄貴みたいに賢くないから、全く持って進んでないよ…」
「まあまあ、古典の授業だと思えば楽だよ」
「ティレス、フィランス、早く席に着きなさい」
ミラーナが二人を席に着くように促した。その後、篠舘にも席を勧める。
「篠舘さんはこちらの席にどうぞ」
「えっと、陛下は?」
「あの人はしばらく部屋に籠っているでしょう、昔からそういう人ですから、気にしないでください」
テーブルの長辺に三笠、秩父、高松と並び、向かいにミラーナ、マリー、篠舘と席に着いた。マリーが篠舘を席へと案内し、彼女は隣に座った。
「いいんですか?こんな上等な椅子に座っちゃって」
「大丈夫です。ここのテーブルはお客様との晩餐用ですから」
大広間の扉が開き、レノードとガディラーが入ってきた。
「お食事のご用意が完了いたしました。もう少々お待ちください」
開いたままのドアから台に乗せられた大量の食事が運ばれ、テーブルに次々と並ぶ。机には見たこともない料理がおかれ、彼女は驚きを隠せない。
「ア、アンネ、この液体は何?」
彼女が目の前に置かれた皿を指差す。
「これはコームっていう穀物を使った料理で、コームストと呼ばれる私たちの主食です」
「主食なんだ…。どうやって食べるの?」
「基本味がありませんから、味の濃い主菜と一緒に食べます」
「そう、なんだ」
テーブルには次から次へと料理が並ぶ。すべての料理が運ばれると、手拭きが配られ、豪華な晩餐会が始まった。
彼女が手を合わせ「いただきます」と呟くと、マリーが興味深そうに見つめていた。
「篠舘さん、何ですかそれ」
「え、えっとね…。今のは食べ物の恵みに感謝する、っていう感謝の意を表する仕草みたいなもので…」
三人の王子以外の視線が篠舘に集中する。あまり目立たない彼女にとって、多くの人の視線が自分に集中するということは無い為、非常に手詰まる。
「あ、えっ、と、…、私には説明できないので…、食べていいですか…」
篠舘がフォークとスプーンによく似た食器を手に取る。視線を向けていた人達も食事に戻った。
うー、外国人がよく分からない日本人の行為で第六位だった理由がよく分かったなー。
彼女が魚料理に手を出す。この国の食事時のルールがわからないので、唯一覚えていた洋食の鮭の食べ方で魚料理を口に運ぶ。
篠舘さん、面倒な食べ方してるんだなー。普通に切って食べちゃえばいいのに。
向かいから見ていた三笠が、肉を食器に刺すとそのまま口に運び、豪快に噛み切った。
「フィランス、お客様の前で、汚い食べ方はやめなさい」
「ふーい」
ミラーナに注意を受け、肉を噛みながら彼は適当に返事をした。マリーはそんな三笠を見て少し笑っていた。
「…、フィランス君とはどういう関係なの?」
「兄様とのですか、昔私が孤児院に入れられそうになった時、助けていただいたんですよ」
「そういえば、ご両親は?」
「今は、少し遠い病院で静かに眠っています」
「えっ…、ごめんなさい、知らずに」
「いえ、死んじゃった訳じゃないんです。意識不明で十年近く目が覚めないんです…」
「そう、なんだ」
「二人とも、食事中に暗い話はよしなさい」
二人は「はい」と返事をすると、静かに料理を口に運んだ。


一通りの食事を終えると、すべての皿が片付き、全員がゆったりと寛(くつろ)いでいた。
「さてと、応接間で大人しくしてようかな」
篠舘が席を立とうとすると、マリーが止めた。
「待って篠舘さん。デザートがまだですよ」
「デザート?」
彼女が再び席に着く。やがて扉が開くとともに、四角形の黄色いものが運ばれてくる。
「これって、カステラ?」
彼女の目の前の皿には、横に長いカステラのような菓子が置かれた。
「カティールですよ。先代の国王が考案したお菓子だそうです」
どう見たって倒れたカステラじゃん…。
フォークで菓子を取り、口に運ぶ。材料が違うためか、彼女の知る日本のカステラより甘く感じた。
この味、嫌いじゃないなー。
彼女は幸せそうな顔でさらに菓子を口に運ぶ。


一四
食後、秩父と高松がは図書館ではなく、玉座の間に集う。理由は急用だとウィラードに呼ばれたためだ。三笠はというと、勉強の為に図書館にいろと秩父が諭したため、この場にはいなかった。
やがて、玉座の間にウィラードと共に、一人の男が入ってきた。
「ん?フィランスはいないのか?」
「すまん親父、俺が図書館にいろと言ったから、やっぱり呼んだ方がいいか?」
「いや、いい。今夜は彼から話があるのでね」
ウィラード向く方向から、男がゆっくりと二人近づく。
「こんばんは。フラウエンフェルド公爵閣下」
二人が深々と頭を下げる。
「いやいや、今日は軍人として来たのだ」
公爵は手に持つ書類を二人に差し出す。
「閣下、これは?」
「クーデターの首謀者の一人、アウェン=チェルシアについてまとめたものだ」
「誰か、椅子と机を頼む」
ウィラードが叫ぶと、五人の執事が机、椅子を運び出し、四人がそれぞれ席に着く。
やがて、書類を捲る二人に対し、公爵が話を始める。
「アウェン=チェルシア。能力防衛大学の上級能力開発研究所の副所長だ。クーデター時に逮捕した奴の同志の話によると、工作を始めたのが二年前。クーデターは、名前は分からないのだが、奴ともう一人の主要人物、そして、一切名前が出なかった全てを総べる男。それが中心らしい」
「こいつ、こんな役職なのに、なぜクーデターなんかに…」
「分からない。とりあえずその書類はフィランスにも目を通させておけよ」
ウィラードの言葉が終わるとともに、公爵が立ち上がる。
「閣下、もう帰られるのですか?」
「まだ事務の仕事が残っているのだ。明日もここに来る用事があるから」
公爵はウィラードに送られ、玉座の間を後にした。二人の王子は執事にイスと机を片付けるように指示すると、図書館へと向かう。


食後、篠舘とマリーは応接室で寛いでいた。マリーが応接室のテレビをつけ、ニュースを見ている。
ここって、テレビはあるんだー。でも侍女さんってこんな自由なもんなのかな?
「ねぇ、アンネ」
「何ですか?」
「侍女さんって、こんなに寛いじゃっていいの?」
「はい、国王陛下が、侍女さんは食事の時以外は、自由に寛いでいいと仰(おっしゃ)ったので」
「ふーん、器の大きい王様だなあ」
テレビのニュースからは、「今月の王室」という番組が流れている。番組にはウィラードとミラーナ、そして若竹が映っていた。
「若竹さんも映ってるね。……、あの人って皇太子?」
「そうですよ。次期国王です」
そんな人が日本にいていいのかな…。
直後、三笠がいきなり応接室に飛び込んできた。驚愕のあまり篠舘は飲んでいた飲料水でむせた。
「ッ…、何してんの、三笠君」
「確かこの部屋に木の人形が…、あった!」
彼がテレビの近くに落ちていた兵隊の人形を拾い上げる。
「何に使うのですか?そんな人形」
「能力の使い方がようやく分かったから、人形でテストだ」
「私も行っていいですか?」
マリーが瞳をキラキラとさせながら三笠を見つめる。
「いいよ。ただ破片とかが色んな方向に飛ぶと思うから、気を付けないと怪我するかも」
「わっかりました!じゃあ行きましょう、兄様」
「う、うん」
かわいいなあ、アンネちゃんってば。………、ドキュメンタリーとかやってないかな……。
ちょっと押され気味の三笠とご機嫌なマリーが応接室を出て、宮殿内の庭に向かう。そして篠舘は応接室のテレビのチャンネルをいじくりまわして、何とかしてチャンネルを変え続けた。


宮殿の庭に静かな涼しい風が吹き抜ける中、設置された台の上に兵隊の人形が置かれ、少し離れたところに三笠、さらに後ろのマリーが立っている。
「兄様、どうするんですか?」
「えっと、この紙によると…」
彼が紙を右手に持ち、左の掌を受けに向ける。
「Devolvat.CCXXXVIII(第二三八)!」
彼が言葉を唱えた途端、彼の掌から小さな蝋燭ほどの白い光が発生した。そして光が高速で人形に向かう。
光が人形に届いた途端、人形は台から勢いよく吹き飛ばされ、闇の中へと消えていった。
「…兄様、今のは何ですか?」
「羊皮紙には突放能力(とっぽうのうりょく)って書いてある。相手を吹き飛ばす能力らしい」
「なるほど、相手が近づいてきたらそれで距離を取るということですね」
マリーが感心しながら納得している。彼女は軍人ではないので、能力はあまり見たことがない。さらに未知の能力を見たのだから、なおさら感心している。
三笠は暗闇に消えた人形を見つけ出すと、再び台に置く。
「次は…、これか」
彼が左人差し指を人形に向ける。
「Devolvat. CCCXCII(第三九二)!」
彼が言葉を唱えると、彼の指から紫の光が飛び出し、高速で人形に向かう。光が届くと人形は、パァァン、という音を立て、中心から粉々に砕け散った。
「な、何ですか今の…、凄く耳が痛いです…」
「粉砕能力。フェルナード硬度五度以上の固形物を粉砕することができる能力らしい。あと最後のは今使えないな…」
彼が扉の方向に体を向けると、庭の木に中型の鳥が留まった。
「あれでいいかな…、Devolvat. CIV(第一〇四)!」
彼が言葉を発すると、指先から緑の光が飛び出し、鳥の留まる枝へと向かう。光が鳥の体にあたった途端、土地が死んだように地面に落下し、草の上に落ちた。
マリーが落ちたもとに駆け寄ると、一切動かない鳥が倒れていた。
「兄様…、何て残酷な…、これは酷いです…、殺しちゃうなんて、あんまりです…」
「いや、殺してない。失神能力だ。俺の力は弱いから、すぐ起きると思うよ」
彼の言葉が終わると、鳥はバタバタと暴れ、何事もなかったかのように飛び去って行った。
「兄様、そんなに連続で使って大丈夫ですか?能力は血液を消費するってティレス様が仰っていましたから」
「確かに、そろそろやめないと、明日ぶっ倒れるかもな。今日は九時には寝るか…」
三笠は眠そうに欠伸をすると、庭から宮殿に戻っていった。


一五
応接室に二十一回の時報が鳴り響く。
テレビを見ている篠舘は少し退屈そうに頬杖をついている。
はあ、三笠君たちいなくなってから一時間かー、二人ともどこ行ったんだろ…。
放映番組がバラエティからニュースに変わる。彼女に少しずつ眠気が襲ってくる。
何もしてないのに…、何で眠いんだろう…。
その時、応接室の扉が開き、三笠とマリーが楽しそうに会話しながら入ってきた。
「篠舘さん、部屋の準備できたから案内するよ」
「部屋?」
彼女が眠そうに答える。その顔が面白いのか、彼の後ろでマリーが少し笑っている。
「三階の客間が使えるからさ、行こう」
彼女はゆっくりとソファーから立ち上がると、テレビを消し、眠い目を擦りながら二人の後に続く。
「篠舘さん、ちゃんとついて来れてる?」
「来れてるよ、うぐぐ…、眠い…」
長い廊下を通り、階段を上がり、再び長い廊下を通り、ようやく客間のドアに到着する。三笠がドアを開けると、客間としては豪華すぎるほどの部屋が広がっており、眠い彼女でさえも目を見張った。
「こ、こここ、これが客間?豪華すぎない?」
「ここは各国の要人が使う部屋なんだ。まあ、ここ最近は使われてないけどね」
篠舘はベッドに腰かけると、幸せそうな顔で寝転がった。
「じゃあ篠舘さん、また明日、おやすみ」
「ちょぉっと待った!」
彼女が大きな声で彼を呼び止める。「何?」との言葉に続き、篠舘が質問を投げかける。
「お風呂は?」
「こっちでは朝に入るのが主流ですよ。夜にはあまり入る人はいないね」
「そうなんだ…」
彼女が力の抜けた声で「おやすみ~」と呟くと、部屋のドアが閉まる。
しかし、なんだかんだ言って至れり尽くせりのもてなしに、VIP気分で眠りに就いた篠舘であった。


篠舘の部屋近くに三笠の部屋がある。右隣りには高松、左隣にはレノードの部屋があり、部屋の前でマリーと別れた。彼の部屋は全く変わることなかったが、わずかな時間離れただけでも、彼にとっては懐かしく感じた。
なんか、ベッドが懐かしいなー。
彼はベッドに横になると、自分の左の掌を見つめる。
チェルシア…、勝てるか…、向こうでいつ襲ってくるか分かんないし、早めに寝るか…。
彼が部屋の電気を消し、暗い部屋の天井を見つめる。
「Devolvat. ……CDXI(第441)!」
彼が言葉を唱えた途端、左の掌から白い光が発生し、天井にぶつかると激しい光が部屋を照らした。あまりの光に彼が腕で目を隠す。
光はあっという間に消え、再び部屋を暗闇が包み込む。
強光能力…、やっぱり難しいな。
彼はそのまま目を閉じ、静かに眠りに就いた。

幕間 Story of Coup d’état

王城宮殿から離れたビルの一角で、二人の男女が真剣味を帯びた顔で窓の外を見つめる。
フラウエンフェルド公爵夫妻。二人は貴族であり、軍人である。
二人の見つめる先には、先程まで色々な光が飛び交い、爆発し、悲鳴の上がっていた王城宮殿が鎮座している。二人は報告待ちでしばらくこの部屋にいた。
「あなた、死傷者の数は出されていますか?」
夫人が静かに公爵に問う。公爵は首を横に振る。
「私にも報告は来ていない。出来れば少ないといいのだが…」
直後、部屋にノックが響く。公爵が許可を叫ぶと、三人の軍服を召した男が一人の男を拘束し、部屋へと連れてきた。
「誰だそいつは?」
「はい、攻撃側の捕虜です。有力な情報を離すことを理由にここまで連れてきました」
「そうか」と答えると、公爵がゆっくりと男に近づく。
「質問に答えれば、軍法会議での刑を少し減らすことも出来るのだが、どうかな?」
男は俯いたままゆっくりと頷く。そして公爵がさらに質問を投げかける。
「まず訊こう、首謀者は誰だ?」
「お…、俺は金で雇われただけの傭兵だ。細かい事までは分からねえぞ」
「いいから答えろ」
公爵が威圧感のある声で男を急かす。
「たしか、俺の班には仕切ってるのが二人いた。男と女それぞれ。女の方は分からないが、男の方は『技術少将閣下』とか、『副所長』って呼ばれていた」
「技術少将……、そして副所長…」
公爵は手元から通信機器を取り出し、番号を押し始める。
「その男は地下の何もない倉庫に閉じ込めておけ。明日には軍事留置場へを移すからな」
三人の軍人が男を連れ、部屋を後にした。
「あなた…」
心配そうに見つめる夫人に公爵が肩へ手を差し伸べる。
「心配するな。この件は穏便に終結させる。この国のために」

第五章   デイトオブディマイズ Date of Demise


篠舘が目を覚ました時には部屋にすっかり日が差し込んでいた。彼女は重く感じる体をゆっくりと起こし、上方に伸びる。
ああ、今何時だろ…、時計は?
彼女が部屋をキョロキョロと見回すと、ドアの近くに時計らしきものを発見した。文字は読めないが、日本でいう七時を指しているようだ。
いけない、急いで戻らないと、今日も学校なのに…。
彼女がベッドから降り、部屋を出ようとすると、ドアにノックをする音が響いた。
「篠舘さん、起きてる?」
「起きてる。今行くね!」
彼女は急いでドアに向かう。ドアを開けると、髪を濡らした三笠が立っていた。
「おはよう篠舘さん」
「おはようって、そんな呑気に挨拶してるばやいじゃないの!今日も学校だよ!」
「大丈夫大丈夫」
彼が笑いながら答えた。
「こっちと日本とは約八十分の時間のズレがあるから、向こうはまだ暗いよ。それより、風呂使う?」
彼女は安堵と共に「そうだった!」と声を発した。確かに彼女は昨日風呂には入っていない。
「こっちでは朝に風呂に入るのが一般的なんだ。だから案内するよ」
彼女は三笠に連れられ、一階の端にある部屋に連れていかれた。
「左が女性用、今マリーが入ってる。朝食は日本でね」
彼は篠舘を置いて階段に向かっていった。
彼女が扉を潜ると、そこには日本の銭湯とあまり変わらない光景が広がっていた。
ここ本当に外国?日本じゃないよね?
彼女はどうしても考えてしまう。
浴場を見ても、タイルが敷き詰められ、浴槽まで存在し、ホテルの浴場とあまり変わらない光景が広がっていた。
凄いな…、日本のホテルにいるみたい…。
シャワーも完備されており、日本と変わらない。彼女はシャワーからお湯を出し、頭からかぶる。
「どちら様ですか?」
不意に声をかけられた。しかし今の彼女は一糸纏(まと)わぬ姿であり、勿論ヘッドセットもしていない。その為何と言っているのかもわからない。
「…、ああ、篠舘さんですか」
???誰?とりあえず「篠舘」ってのは聞こえたけど…。
彼女が振り向くと、浴槽の縁(へり)に体を預けるマリーが湯に浸かっていた。
何言ってるか全く分かんないな…。
彼女は近くにあるシャンプーのようなものを手に取る。
これってシャンプーなのかな?それともボディーソープ?何で四つも入れ物があるのよー…。
彼女は左からシャンプー、リンスとして使った。彼女が一取り体を洗うと、体を湯につける。マリーは不思議そうに彼女の顔を見つめる。彼女はただ愛想笑いすることしかできなかった。
「シノ……、シノダテサン?」
マリーの口から日本語が発せられた。少し驚いた篠舘は彼女の顔を見つめる。
「えへへ、言葉が通じないって不便ね…」
「ア……、エ…、…」
やはりマリーには日本語は話せない。彼女は不意に、少し赤くなって俯くマリーの胸元に視線を向ける。
う…、ちょっと大きい…、多分年上なのに、私…。ちょっとだけだよね……。
篠舘は浴槽から上がると、そのまま脱衣所に向かう。あとにマリーも続いた。
脱衣所で下着を着るとともに、ヘッドセットを身に着ける。彼女は近くで着替えるマリーに話しかけた。
「アンネ?聞こえる?」
「聞こえますよ篠舘さん。翻訳機付けてないの忘れてましたよ」
彼女が笑う声が脱衣所に響く。
「それにしても篠舘さん、篠舘さんってスタイルいいですね。羨ましいです」
「え、いや…、でもあなたより胸小さいと思うし…」
「そうですか?」


篠舘が風呂場のドアを潜ろうとすると、廊下で三笠が誰かと話している。
「閣下、何方へ?」
「今日は公爵として、貴族上院の立法についての報告書を提出にな」
「そうでしたか、女史は何方へ?」
「私は海軍の事務書類の提出」
「そうですか。閣下、どうかまた能力のご指南お願いいたします」
三笠が深々と頭を下げた。
「おう、じゃあまたなフィランス」
「じゃあね」
二人は三笠に別れを告げると、階段の方向へと歩いていった。暫くして、篠舘が風呂場から出てきた。
「三笠君、今の人誰?」
「え?ああ、あの方は防衛陸軍大臣で公爵のプロッツソン=フラウエンフェルド中将。隣が防衛海軍次官のエムレーフ=サイエニッジ=フラウエンフェルド夫人。二人とも立派な軍人ですよ」
「軍人で大臣ってことは、軍部大臣現役武官制を採用してるってこと?内閣が崩壊しないの?」
「候補を出さないと、勅令で国王が選ぶから、候補を出さないってことは無いんだよ」
「ふーん」
二人は扉の向かいの壁に背を預け、マリーが出てくるのを待った。マリーが出てくると、参院が会話を弾ませながら応接室に向かった。
「そういえば、お風呂場のあの四つの入れ物はシャンプーとリンスとボディーソープと何?」
「プロテジェですよ。肌の保護の為に塗るもので、普通は最後に使うものですけど…」
三人の会話が終わるころに、応接室に到着した。
篠舘とマリーがソファーに腰を下ろし、三笠がソファーの上に置いてある本を手に取る。
篠舘が三笠の読む本に興味を示した。
「それ何?」
「『馬鹿でもわかる実践日本語会話』。日本に行く前に爺ちゃんがくれたんだ」
「なんてふざけたタイトル…」
「もう少ししたら父さんのところに行くか」
彼が本をソファーに置くと、上方に伸びる。篠舘とマリーも立ち上がり、応接室を出る三笠に続いた。


秩父と高松、そして三笠と篠舘が玉座の間に集まった。
「じゃあ三人とも、頑張ってくれ」
ウィラードが三人の王子に励ましの言葉を贈り、その後篠舘の前に立つ。
「篠舘さん、フィランスの事をよろしく頼みます」
「お願い致します」
ウィラードとミラーナが深々と頭を下げ、篠舘をタジタジとさせた。
「いえ、えっと、こちらこそ、お願い致します」
彼女も深々と頭を下げた。三人の王子は顔を見合わせて笑った。
「兄様……、その…、またいつでも帰ってきてください」
マリーが三笠の元に寄り、寂しそうにそう告げた。
「おう、俺の可愛い妹ちゃん」
三笠は彼女の頭をクシャクシャと撫でまわす。乱暴に見えるが、彼女は少し嬉しそうだ。
「じゃあ親父、通路作ってよ」
「ん?お前たち、黒い穴の能力は身に付けなかったのか?」
「付けてる訳ないよ。黒い穴は親父とバルゼティスとレノードさんしか知らないんだから」
「そうだったな…。手順としては、Extra'range Iと言い、座標を指定すれば移動できるぞ」
秩父が部屋の中央に立ち、「Extra'range(範囲外能力) I(第一)」と唱えると、ウィラードが「次は「MWGSSTPEJP111248」と唱えろ」と指導した。彼が「MWGSSTPEJP111248」と唱えると黒い穴が少し歪み、再び元の形に戻った。
「準備できたぞ。先に行くからな、じゃあね親父」
秩父は素早く穴へと消えた。しかし彼が入った途端、黒い穴が消え、床は元の絨毯に戻った。
「全く、開いた当事者が先に行くとは、慌て者だな。セドリード、フィランス、ついでだ。お前たちも一人ずつ行きなさい」
高松が言葉を唱えると、目の前に黒い穴を作る。そして座標を唱え、穴に入っていった。
「じゃあ父さん、母さん、またいつかね」
「おう、頑張って来い」
「気を付けてねフィランス」
「うん、行くよ篠舘さん」
彼が言葉を唱え、黒い穴を発生させる。さらに座標を唱える。
「先に行って篠舘さん」
彼女は頷くと、恐る恐る黒い穴に飛び込んだ。フィランスは両親とマリーに手を振ると、黒い穴に飛び込んだ。
穴が消えた後の玉座の間には、再び静けさが戻ってきた。



三笠と篠舘が黒い穴を高速で降下している。バランスを崩した篠舘をよそに、三笠の体が彼女を追い越す。やがて彼女も安定した状態で降下していく。
「三笠君!!これどれぐらい続くの?!」
下からの強風の中、スカートを抑え、無理に口を開けて質問をする篠舘。
「えっとねー、三分位かな?暫くかかるから、あんまり喋んない方が、ぶろふっ!」
彼が顔を上げた瞬間、篠舘の蹴りが顔に命中した。彼女は今スカートを穿いており、下方から覗かれると下着が丸見えの状態である。
「いっつー、何で蹴るんだよー」
「五月蠅い!!尋常的に考えて、こういう時は顔は上げないんだよ!!」
彼が鼻を抑え抗議するが、勿論尋常的に考えて、下方から風を受けて捲れるスカートの中を覗くのはご法度である。
彼が鼻を抑える中、遠い下方に小さな明かりが見え始める。
「やっとだ、もうすぐ着くから着地の準備してー」
「着地?!」
王城宮殿に到着した際、彼女は足で床に着地したではなく、尻で三笠に着地したので、上から降下した時の着地の作法を知らない。その為、彼女は着地直前となるとジタバタと暴れ始め、バランスが崩れ再び体が回転し始める。
三笠の部屋に黒い穴が開き、三笠が足から見事に着地し、足を揃え両手を斜方に伸ばす。
「イエーイ、着地成功!おっはようござ、ぶれふ!」
彼の肩に人間の鎖骨付近の肉体が降ってくる。衝突の衝撃と、叩き付けられた衝撃で三笠は目を回す。
「いったー、あ、三笠君大丈夫?」
彼としては一切大丈夫ではない。彼の心情としては、早く退いてほしい、という気持ちでいっぱいだ。
彼女はゆっくりと三笠の上から体を退かせる、
「し、しの、篠舘さん…。今何時?」
「今?えっとね、七時三十五分。十分間に合うね」
「じゃ、じゃあ、またあとで…」
彼女は「うん、じゃあまたあとでね」と返事すると、彼の部屋を後にした。


八時前。
篠舘が制服に身を包み、小さなテレビから流れるテレビを視聴している。すると不意に部屋にインターホンが鳴り響いた。
三笠君かな?でも人を迎えに来るような人じゃないしな…。
彼女は通学用のバッグを手に取り、玄関の扉を開けた。廊下には高槻が笑顔で待ち構えていた。
「おっはよう、マリィ」
「サクラ?どうしたの?」
「たまには一緒に行こうかなー、って思ってさ」
篠舘が鍵を閉めてる間に、高槻が三笠の部屋の前に立つ。
「三笠君も一緒に行こうか」
「居るかな?」
「来るときにカーテン閉めてたし、上がってくるときにも出て来なかったから、まだ出てないよ」
高槻がインターホンに手を伸ばす。その瞬間に、篠舘に色々な意味での悪夢が甦る。
「ダメダメダメダメダメダメェェェ!」
彼女がインターホンを鳴らした途端、篠舘が彼女の腕を引き、自分の部屋の前まで避難させた。
「どっ、どうしたのマリィ?」
「三笠君家(みかさくんち)のインターホンを押すと、豪速でドアが開いて…、あれ?」
三笠の部屋のドアは一向に開かず、平穏を保っていた。
おかしいな…、何でだろ…。
彼女が部屋の前に立ち、インターホンを押す。
豪速の扉が篠舘を襲った。篠舘の体が高槻の方向に吹き飛ばされ、「ごふっ」という断末魔と共に彼女は動かなくなった。
「チッ、ぴーふぉんらっしゅとかいうのに逃げられたか…」
「ピンポンダッシュだよね和君…」
彼がドアから出ると、苦笑いをする高槻と、ぶっ倒れている篠舘を発見した。
「なんで最初のは出て来なかったの?」
「なった後に穴を覗いたら誰もいなかったから、二回目は取っちめようと突撃したのだあ。篠舘さん、ピンポンダッシュはいけませんよ」
彼女は高速で立ち上がり、三笠の胸倉を掴む。
「己は一遍ぶっ飛ばされんと分からんかコラァ!」
彼には彼女の目が赤く光っているようにしか見えなかった。高槻が止めに入るが、全く聞かなかった。
「しの、さん、すい、せん、した、ゆる、くだ、さい(篠舘さん、すみませんでした、お許しください)」
彼の言葉は彼女に高速で前後に揺らされているため、所々聞きづらくなる。
彼女は胸倉から手を離すと、三笠を投げ捨て、高槻を連れて高校へ向かった。
「置いてっちゃっていいの?」
「いいの!」



数学の時間。
高科が円周のなんやかんやを黒板に書き綴る。
教室の後方にいる篠舘は再び不機嫌な状態で授業を受けている。理由は「周りが五月蠅い・ものすごく眠い・となりの三笠くんが気に食わない」の三拍子だ。
そのとなりの三笠くんは驚いた顔をしながら探偵レオナルドを読み進めている。彼にとって今まで読んだことのない小説のクライマックス周辺は驚きの連続でしかない。
全く、何でこんな不真面目ぷーが、数学が出来て異国の王子なのよ…。どうしてキリストとかヤハウェとか天照大御神(あまてらすおおみかみ)とか大王製紙はこの世界に不公平を設けたのよぉーー!
彼女が頭を抱え突っ伏す中、三笠がどんどん本を読み進める。
「よーし、じゃあ、この問題を………、篠舘、前出て解いてくれ」
指名を受けた篠舘が急ぎ足で黒板の前に出る。彼女がさらさらと問題を解き、机に戻る。戻る際に見た三笠の真剣に本を見つめる顔のせいで彼女の不満にさらに拍車がかかった。
どぉーーーして、神はこんな男に加護をお与えになったのよー!何で何で何で何で何でぇぇーーー!
彼女がさらに頭を抱える。三笠は読み終えた本を机に置き、満足感に浸っている。
教室にチャイムが鳴り響き、高科が教材を纏める。
「じゃあ、学級委員、号令かけ…?」
教室に、ガラリ、というドアを開く音が響く。ドアの向こうには背の高い男が立っている。
「えっと…、この学校の職員ではないですよね…、申し訳ありませんが部外者の授業見学は受け付けておりませんので…」
教師の言葉の途中でも、男はズカズカと入ってくる。男は白衣に白い帽子を召し、ポケットに手を突っ込んでいる。男は笑い顔のまま高科に問う。
「おい教師、この教育機関の教育理念は何だ?」
「そ、それは…、自立と研鑽(けんさん)ですけど…、そんなことより」
「ぬるいな、ここは」
男は教師の顔に手を翳すと、掌で緑の光を発生させる。教師は顔に光を受けると、目をゆっくりと閉じ、その場に倒れた。男の後方から「きゃー!」だの「先生!」だの「誰だお前!」などの叫び声が飛び交う。後方の三笠と篠舘がその様子を見て、顔が驚愕と唖然に満ちてくる。
「ったく五月蠅(うるせ)えな日本のガキは。少し黙ってろ」
男は生徒たちに掌を向け、大量の緑の光を生徒たちに飛ばす。光を受けた生徒たちは教師と同じように、机に伏せ、地面に倒れた。
一部始終を見ていた三笠と篠舘が凍り付く。
「はあ、能力者は疲れるなあ。ですよね?フィランス殿下」
男は帽子を取り、突っ込んでいたポケットから血液増強剤を取り出し、口に含む。
「チェルシア…、学友を巻き込んで何をしようってんだ」
「簡単だ、君達を何事も無くこっちに連れ込むためだよ」
三笠が周りを見渡すと、篠舘以外の気絶していたクラスメイトが全員消えていた。チェルシアが手に持つ瓶をその場に投げ捨て、指先に白い光を発生させ、胸に受けた。
「どうして、また篠舘さんを…」 
「それも簡単だ。王族とその周りの人間を抹殺するためだ。簡単だろう?というか、今までそのお嬢を連れ込んだのはそれが理由だ。気付かなかったのか?この馬鹿王子が」
チェルシアが人差し指を三笠に向ける。指先に赤い光が集まり始める。
「吹っ飛ばしてやるから、覚悟しろ馬鹿王子」
チェルシアの指の赤い光が、三笠の体に直行した。彼は防御の壁を発生させ、光を退けた。
そして篠舘の手を引き、教室を出て廊下を全速力で走る。
「ちょっち三笠君!どこ行くの?!」
「とりあえず安全と思われるところまで走る!あとはそれから考える!」
「なんて無計画…」
少し不満げな彼女は、珍しく彼を蔑んだ。しかし彼は気にせず走り続ける。


二人はとりあえず三階の他学年のクラスに逃げ込んだ。三笠と篠舘は座り込んだ状態で黒板下の壁に背を預け、息を整えている。
「こ、これからどうするのよ?」
「とりあえず、俺の持てる力であいつを叩き伏せて、取っ捕まえる。それだけだ」
廊下に足音と共に、幼稚的な言葉が響く。
「フィランスでんかあ、どちらにおいでですかあ?」
声が徐々に教室へ近づいてくる。教室のドアにチェルシアの影が映り、三笠が息をのむ。
「かくれんぼは不得意のようですな、フィランス殿下」
ドアが爆発し、粉塵の中からチェルシアが現れる。三笠は立ち上がり、右手に釘を構える。
「立ち向かうとは勇敢だな、そんなに死にたいのか?フィランス殿下」
「俺も軍人の端くれ、国のために戦うさ」
「あんな腐った専制君主国家など、一度ぶっ壊して作り直した方が全国民の為だ」
チェルシアが指先から黄色の光が発生させ、不気味な笑顔を浮かべる。
「じゃあ行きますか、フィランス殿下」
指先の光が高速で三笠に向かう。彼は緑の盾を発生させ、光を防ぐ。チェルシアはさらに赤、白、黄色の光を彼に向ける。三笠はそれをすべて盾で防ぐ。
「ふむ、防御はやはり上手いな」
「ご評価痛み入るよ、チェルシア閣下!」
彼がポケットに用意した釘を持ち、チェルシアに向けて撃つ。チェルシアは閃光をすべて両手から作り出した小さな赤い光で打ち消す。
「こんな防ぎ方、学校では習わないだろう?」
「く…、研究員の特権か…」
三笠が両手をチェルシアに向け爆発能力で応戦するが、能力はすべて盾でかき消された。
「やっぱり君とドンパチやっても面白くない…、撃ったら撃ち返し、すべて盾でかき消す。全く持って面白くない」
チェルシアが三笠に向け、右の掌を構える。
「とりあえずこれかな。Maledicti.tres(第三)!」
掌から発生した黒い光が、三笠の体に直行する。彼は盾を発生させるが、光は盾を貫通し、彼の体に吸い込まれた。
「禁断の絶対能力は、そんな下士官の盾では防げないのだよ」
彼が床に倒れこみ、悲鳴を上げる。彼の体にかなりの負荷がかかっているように見える。
「禁断の第三能力、拷問能力だ。どうかな感想は?」
三笠は苦しそうに呻き声を上げる。
「ああそうか、その苦しみの中で声を上げることは、さすがの王族の君でも出来ないか」
チェルシアが嘲笑うように吐き捨てた。
「さあて、こっちを抑えたら、今度はそっちか」
チェルシアは体の方向を変え、窓際で震える篠舘を見つめる。そしてゆっくりと近づいた。
「な、ななな、なな、何すんのよ…」
チェルシアは彼女の襟を掴み、彼女を無理矢理立たせ、三笠の前に連れ出す。彼女の顔から恐怖のあまり涙が溢れ出す。そして三笠の呻き声が止んだ。
「チェル、シア…、何をする気だ…」
「まず第一に、殿下の前にこの女を嬲り殺す。怒り狂う君の姿は、最高に面白いだろうなあ」
チェルシアが無言で暴れだす篠舘のこめかみに指をあてる。
「とりあえず、第三で甚振(いたぶ)るかな。Maledicti」
指先に黒い光が集まり始める。
咄嗟に三笠がポケットから釘を出し構える。
「Tres!!」
黒い光が指から発射された。しかし光は篠舘ではなく三笠に直行した。
「ったく、本当に人の邪魔ばかりしかしない王子だな。少しは大人しくしてろ」
教室に彼の苦しむ声が響き、床をのた打ち回る。
「では、仲良く一緒に苦しめ妃殿下、Maledicti」
再び指先に黒い光が集まり始める。苦しみのた打ち回る三笠が必死に抵抗するが、足で薙ぎ払われた。
直後、チェルシアの後方で巨大な爆発が発生し、一瞬怯(ひる)んだチェルシアの腕から解放された篠舘が三笠に寄り添う。
「ちょっと三笠君、大丈夫!ねえ!」
チェルシアの掌から白い光が発生し、篠舘の体に直行した。彼女の体は光を受けた途端、教室の後方に吹き飛ばされ、並ぶ机の列に突っ込んだ。
「今度は何だ?どこの救世主だ?」
チェルシアが不満げに粉塵の舞うドアに体を向け、右手を構える。すると粉塵から緑、赤、黄色の光がチェルシアに向かう。チェルシアはすべての光を小さな光で掻き消す。
「甘いぞ能力者、それでも国を守るとほざいた軍人か?」
光はさらに数を増し、チェルシアがそれ以上の数の光で能力を掻き消す。
「くそ、こんだけ打ち込んでも勢いが衰えないとは、どういう能力者なんだ」
チェルシアの顔に疲労からの汗が流れ始める。ポケットに手を伸ばそうにも、光の数を減らすともろに攻撃を食らう。
ちっ、そろそろ休まねえと、クソッたれが!
チェルシアの光が数を減らす。そして緑の光がチェルシアの体に吸い込まれた。光を受けると、チェルシアはその場に倒れこんだ。
「何とか生きてるかな」
「そうだといいけど」
「急げ、手当だけでも」
治まった粉塵の中から、若竹、秩父、高松が駆け込み、高松が篠舘に寄り添う。
「こっちは気を失ってるだけだ。そっちは?」
「こっちも同じだ。とりあえずヤツが起きた時の為に廊下に運べ」
高松が篠舘を横抱きに抱え、若竹と秩父が三笠を四階の端に運んだ。



四階の端で気を失った篠舘と三笠が横たわっている。三笠にはわずかに意識があるが、篠舘は呼応に一切応じない。
「とりあえず、フィルにはこいつを飲ませるか」
秩父がポケットからチェルシアが持っていた物と同じ血液増強剤を取り出し、彼の口に流し込む。やがて三笠の意識が戻った。
「あ…、兄貴…、どうしてここに…?」
「さっき学校の近くにいたら、集団失神が騒ぎになっててな。警察も来てたからもしかしてと思ってきてみたら、この様だった」
三笠が安心したような顔で目を閉じ、一息吐いた。
「まずは私が行く。援護頼むぞ」
若竹が立ち上がり、廊下の角に身を隠しながら様子を伺う。
そして小声で二人に声をかける。
「まずい、階段から現れた。どっかの教室に二人を避難させてくれるか?」
二人が了承すると、静かに二人を近くの準備室へ引き込んだ。
廊下にチェルシアの足音が響く。そしてついに角の近くまでやってきた。
「ふむ、これが作戦ってことかな」
チェルシアが角に向け左手を翳す。そして掌に赤い光が発生した。
「吹っ飛べ王族!」
赤い光が廊下の壁に当たり、壁が爆発を起こす。廊下に粉塵が舞う中、若竹が咄嗟に閃光を発射した。しかし、閃光は一切命中せず、盾によって掻き消された。
くそ、私の弾丸が弾かれるとは…、どれだけの力があるんだこいつは…。
「王太子でも、学習の時間が短ければ、ただのへぼ軍人だよな」
チェルシアから大量の小さい赤い光が発生し、一気に若竹の体に直行した。彼は盾を発生させるが、光はすべて壁や天井に当たり、瓦礫や粉塵が若竹を襲った。
「くそ、相変わらず卑怯なことばかりしやがって、正々堂々と戦ってみろよ!」
その時、粉塵の中から悪魔の笑みを浮かべたチェルシアが高速で突撃に向かってきた。そして彼の腹にチェルシアの右ストレートが食い込んだ。
「貴様など、能力無しでも勝てるな」
若竹が、ゴホッ、と呻きながら壁に叩き付けられ、ポケットの中から瓶の砕ける音が響き、服の一部が濡れる。「能力無しでも勝てる」という言葉はクリザンテムの軍人にとって最上級の侮辱の言葉だ。
「どうした王太子、もうばてたか?」
若竹が荒い息を立てる。原因は貧血だ。
チェルシアがポケットから残り少ない血液増強を取り出し、口に含んだ。
「お前もあの馬鹿王子と同じ場所に眠らせてやる、覚悟しろ」
増強剤の瓶を捨て、指先に白い光を作り、胸にあてた。
「遺体は残らないようにしてやるからさ」
チェルシアが若竹の額に右手を翳し、青い光を発生させた。額に光を受けた途端、若竹の体が石のように膠着(こうちゃく)し始めた。
チェルシアは彼の額に人差し指を立てると、指先に紫の光が発生する。
「じゃあな、王太子殿下」
その時、チェルシアの脇で爆発が起き、膠着した若竹が倒れる。
「ったく、俺のこっちでの行動は邪魔ばっかりだな。今度は誰だ?」
廊下には、三笠と同じように釘を構える秩父と高松の姿があった。
「全く、二対一とは卑怯な。学校ではもう正々堂々と戦えとは教わらないのか?」
「黙れ反逆者。卑怯なのはどっちだ?大人しく捕まってもらうか」
「仕方ないなあ、ティレス君、お兄さんと一緒に石像になってもらおうかな」
チェルシアが再び無数の赤い光を発生させ、二人に直行させた。
「いいか、引き寄せるんだぞ」
「分かってるよ、兄貴」
やがて二人の手から閃光が一閃発射され、赤い光を蹴散らしチェルシアに向かう。
「「このまま行け!!」」
チェルシアがゆっくりと壁に背を預けた。そして光がチェルシアに命中し、壁に衝突して再び粉塵を巻き起こす。粉塵は二人の立つ場まで届き、足元に瓦礫が舞う。
「やったぞ、兄貴」
「待て、あの弾丸がこんなに粉塵を巻き起こすはずがない」
「てことは…」
「大当たりだ、馬鹿王子共(ども)」
粉塵の中から、声と共に緑の光が飛び出し、秩父の体に命中した。彼はその場に倒れこみ、そのまま動かなくなった。
「て、てめぇ!」
「殺してはいない。だが後でお前もそいつも石像にしてやるからな」
高松が後退りと共に距離を取る。そして粉塵の中から健全そのもののチェルシアが笑いながら現れた。
「全く、君達には本当に馬鹿王子という名前が似合うな。私の後ろに壁があるということを見越して撃ったのだろうな?」
高松が緑の光を放つが、盾でかき消された。
「失神能力か、お前も結構頑張ったんだろうな。じゃあこっちは」
チェルシアが右手を構える。高松が再び緑の光を放つが、盾に掻き消される。
「Maledicti.Tres!」
チェルシアの手から黒い光が発射され、高松の体へと向かう。彼は盾を発生させるが、光は盾を貫通し、体に入り込む。
その瞬間、彼が廊下に倒れこみ、呻き声を上げながらのた打ち回る。
「お前には使ったことがなかったな?こんなことも出来るんだぜ」
チェルシアが指先から発生させた白い光を高松にぶつける。光を受けた途端、彼の体が宙を舞い、床に叩き付けられた。
「でも、蹴りを入れる方が楽しいかもな」
苦しむ高松にチェルシアがさらに蹴りを入れる。
「どうしたどうした?この革命家になんか言ってみろよ。面白いことでもよう」
チェルシアの蹴りはしばらく続き、彼の体が床を転げまわる。やがて蹴りが止む。
「つまんねえな。じゃあそろそろお前も」
チェルシアの指先に緑の光が発生する。
「じゃあね、王子様」
そして緑の光が一閃、チェルシアの頭に命中し、チェルシアは再び倒れこむ。拷問能力は解かれ、高松の見る方向には、荒い息の三笠が立っていた。
「フィランス、助かった…」
「高松さん大丈夫ですか?!」
三笠の後ろから制服が傷ついた篠舘が駆け寄り、三笠も続く。
「篠舘さん、逃げた方がいい。これはこっちの問題だから」
「兄貴、もしかしたら、この状況を一転させるかもしれない作戦があるんだけど」
「何だ?早く言ってくれ」
「とりあえず、アイツが起きないうちに、一階の化学室に行きましょう。話はそれからです」
三笠と篠舘は高松の肩を担ぎ、急ぎ足で一階に向かった。


二人が高松を抱え、一階に降り立った。長い廊下の先に、化学室と書かれた看板が遠くに見える。
「あ、三笠君、ちょっと待ってて」
「篠舘さんどこいく、あっと!」
彼女が高松を彼に預けたまま、保健室に走り去り、三笠が慌てて高松を抱える。
どこ行った?とりあえず化学室に…。
彼が高松の体を引き摺り、廊下を進む。しばらくすると、引き摺られていた高松がゆっくりと立ち上がる。
「兄貴、大丈夫か?」
「大丈夫だ。化学室はあそこか?」
「そう。あの部屋でとりあえず作戦会議だ」
化学室にたどり着く頃、篠舘が後方から何かを手に持ち走ってきた。
「篠舘さん、どこ行ってたんですか?それに何それ?」
「これはスポーツドリンク。保健室の常備品を持ってきた。とりあえず中に」
三人が部屋に収まり、常備の椅子に腰を掛ける。篠舘が手に持つスポーツドリンクを高松に渡す。
「これは何?」
「カリウムとかナトリウムが多く含まれている飲料水です。疲労回復に効くんですよ」
高松がペットボトルの蓋を開け、中身を一気に飲み干し、ゆっくりと深く息を吐く。
「す、すごいですね…」
「ある場所なんて、よくわかったね」
「保健室には部活途中で倒れる人の為に、こういう飲料水が常備されてるの」
「そんなことより、作戦を教えてくれないか?」
高松の胸に光を受けながらの一言で、三人が真剣に対峙する。
「この化学室は武器になるものが豊富にある。ここに籠城して、相手の増強剤がなくなるまで抵抗する。これでどうかな?」
「ふむ、まあしばらくは持ちそうだな。回復用の増強剤ももうない。それまでに取っちめないと」
「そうとなれば準備ですね」
篠舘が準備室に入り、様々な瓶を抱えて戻ってきた。
「この中には可燃性のものや、肌に着くと肌が溶け出す物もあります。急ぎつつも慎重に選びましょう」
三人が使えそうな薬品を片っ端から集め始める。やがて八個ほどの瓶を選び出した。
「塩酸、メチルアルコール、四塩化チタン。この辺ですかね」
「こっちが可燃性、こっちが肌を溶かす。こっちは発煙。これでしばらくは持つな」
三笠がメチルアルコールの瓶を手に廊下の様子を伺う。
「今のところは来ていない。危険だから篠舘さんは準備室の方に」
三笠の指示で、高松が彼女の体を準備室に押し込める。
「兄貴、もう来たぞ……」
三笠が小声で高松に呼びかける。廊下からはゆっくりと足音が響く。
「ったく、王太子はともかく、あんなガキにしてやられるとはな……」
チェルシアが不満そうな顔をしながら化学室に近づく。
化学室の空気が張りつめる。そしてちぇるしあが化学室のドアの目の前で立ち止まり、ドアに顔を向ける。
その時、ドアのガラスを突き破り、茶色い瓶が投下された。チェルシアが後方に避けると、瓶は廊下で勢いよく割れ、中の液体が廊下に撒き散らされる。
「どうした?これが作戦か?」
次の瞬間、オレンジの光が高速で液体に向かう。床に吸い込まれた途端、廊下が大爆発を起こし、さらにアルコールに引火し、巨大な炎がチェルシアを襲う。
「熱っ、くそ、何を考えていやがる!」
チェルシアは火が移った白衣を脱ぎ捨て、ドアを睨み付ける。
「面白いこと考えたじゃねえか、ガキども!」
チェルシアの右手から赤い光が放出され、ドアの周りを大爆発と爆音が包む。破壊された壁から、さらに瓶が投げ込まれ、オレンジの光が大爆発と炎を巻き起こす。
「そっちがそうなら、こうだ!」
彼の指先から緑の光が大量に化学室へと向かう。炎が治まると、チェルシアがゆっくりと化学室に侵入した。
「間抜け面で眠っている王子様はどこですかねぇ?」
その時、机に隠れた高松のオレンジの光がチェルシアに直行した。盾で打ち消すと、さらに緑の光を撃ち込む。オレンジの光が的を外したのか、チェルシアの傍で爆発を起こす。
「疲れたか王子様達、そろそろフィナーレかな?」
チェルシアの指先から、複数の紫の光が飛び出し、高松の隠れる机を粉々に破壊した。
「三番目の君は死体にしッッッ!」
部屋中に白い煙が蔓延した。三笠が以前の四塩化チタンを部屋に撒いた為だ。
「くそ、何も見えねえ、どこにいる!」
先程の廊下の粉塵は風通しが良かった為すぐ晴れたが、風通しの悪い化学室ではなかなか煙が晴れない。
三笠が憶測で突っ込み、チェルシアの腰に手を伸ばす。
「こいつを破壊すりゃあ!」
彼が白い光に吹き飛ばされた後、高松がチェルシアに突っ込み、チェルシアの抵抗する間も無く腹に右ストレートが食い込ませる。倒れこんだ途端、高松が腰のポケットに手を伸ばし、瓶を手に取ると地面に叩き付けた。
「さあ、回復手段がなくなったぞ。どうする革命家!」
睨むチェルシアの指先から白い光が飛び出し、高松を吹き飛ばす。部屋の煙が少しずつ晴れ始め、ドア付近で倒れる高松や、窓際で釘を構える三笠の姿が露わになる。
チェルシアがニヤリと笑うと、高松の襟を掴み、ポケットから取り出した釘の尖端を彼の首にあてる。
「フィランス殿下、こいつを殺されたくなければ、抵抗をやめて大人しく捕まれ」
「卑怯者が…」
「さあ、どうする?」
三笠が釘を床に落とし、しばらくの葛藤の後、ゆっくりと歩み寄る。
くそ、もうお終いなのか…、くそ…。
その時、化学室に瓶が割れる音が響き、チェルシアの頭から透明の液体が流れ始める。後方には塩酸の瓶で殴りつけた必死の形相の篠舘の姿があった。
チェルシアの顔に痺れと似た感覚が走る。そして篠舘に顔を向ける。
「こ、この尼ァァァ!」
チェルシアの腕が彼女の腕に伸びる。そして悪魔のような手が彼女の首を絞めた、瞬間、チェルシアがその場に倒れこんだ。高松と三笠が同じ方向に手を構えている。
「兄貴、押さえつけて!」
「おう!」という掛け声とともに、高松がポケットから手錠を取り出し、チェルシアの腕を拘束した。
「つ、捕まえた?」
篠舘がチェルシアの元に近づき、様子を伺う。
「大丈夫だ。しばらく暴れることは無いだろう」
篠舘が顔を上げると、傍に彼女を睨み付ける三笠が立っていた。
「え、えへへへへへ……、ゴメン…、ナサイ…」
「…、まあいいよ。助かったし」
高松と三笠が化学室の壁にチェルシアを寄せ、さらに足も拘束した。
「兄貴、この液体を一回洗い流そう。目的は殺害じゃないから」
高松が頷くと、バケツいっぱいに水を汲み、気絶するチェルシアの頭からかけた。廊下に限りなく薄い塩酸を含んだ水が流れ出る。
「このまま国に連れていけるのか?」
「分からない。まずは、バルゼティスやティレスが復活しなきゃ」
チェルシアが呻き声を上げ始めた。その声に三人が驚愕した顔で同じ方向を見つめる。
「嘘だろ…、半人前とはいえ、一人分よりは多く食らった筈なのに」
「くっ、くそ…」
チェルシアが俯き、ついに観念した、かのように見えた。
「ふふふふ、はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!」
チェルシアの狂ったような笑い声が廊下中に響き渡った。



「こいつ…、とうとう狂ったか?」
三笠が少し後ずさりしながら笑い狂う男を見つめる。
やがて笑い声が止むと、チェルシアが再び俯く。
「もう、終わりだ…、お終いだ…。だったら…」
チェルシアの手足を縛り付けている手錠が爆発で破壊され、すっくと立ち上がる。高松と三笠が釘を手に尖端をチェルシアの体に向ける。
チェルシアが少し笑いながら三人に白い光を浴びせ、向かいの壁に叩き付ける。
「こいつに頼るとは思わなかったが、まあいいだろう」
不気味に笑う男は、懐から小さなビニール袋に入った灰色の粉を取り出す。
「これがなんだか分かるかな?」
「まさか…、アンポイゾニー種のナバンシスか…」
自らの背を擦りながら高松が答える。
「何だ…、そのアポイゾニーって…」
「薬物の一種だ…。結構強力な…」
「よく知ってるな、こいつを使うとな…」
高松の「止めろ!」との制止を聞かず、チェルシアが袋を破り、灰色の粉を乱暴に口にぶち込む。
「最高に興奮した状態になれるんだよねえ!!!」
さらに不気味に笑う男が自分の胸に白い光を当てる。そして笑みを浮かべたまま高松と対峙した。
「殿下、続きはやらないのか?」
高松は立ち上がろうとするが、背骨に痛みが走り上手く動けない。
「これ如(ごと)きで動けなくなるとは、やっぱり面白くねえな!」
緑の光が高松の体を襲う。高松は一切動かなくなった。
「はっはっはっはっは!見ろこの様(ざま)を、はっはっはっはっはっはっは!」
チェルシアが甲高い声で笑いながら教室や壁、天井に向けて大量の赤い光を放つ。光を受けたありとあらゆる場所から爆発と瓦礫が襲い掛かる。
「全部ぶっ壊す!全部ぶっ壊す!はっはっはっはっは!」
「やばい、完全に狂ってる。逃げろ!」
三笠が篠舘の手を引き、階段に向けて走る。
「どうすんの?!」
「とりあえず上階に逃げる。あの様子じゃ、下に居たら潰されるかもしれないから!」
二人が逃げる間にも、無数の赤い光が彼らを追いかけ、爆発を起こす。
「はっはっはっは!逃げるか殿下、どこまで行くかな殿下」
爆発後の凹んだ廊下を狂ったチェルシアが早歩きで追いかける。やがて階段の一部も爆発を始める。
「ありゃあ完全に自暴自棄になってる。何するか分かんないぞ!」
「とりあえず、またどこかに隠れなきゃ!」
二人は三階に到着すると、爆発が起き続ける階段から離れ、近くの教室に逃げ込み黒板の下に座り込んだ。
「こ、これからどうすんのよ?!このままアイツが学校を破壊し続けたら?!」
「多分、学校ごと俺達を潰す気なんだと思う。人間、自暴自棄になった時が一番恐ろしい、と士官学校の教師が言ってた」
二人の居る教室のドアが爆発を起こし、粉塵の中からチェルシアが姿を現す。
「デートの邪魔して悪いけどさ、とっとと死にやがれアベックども!」
チェルシアの手から巨大な赤い光が放出され、二人の座る元へと向かってくる。三笠が咄嗟の判断で篠舘を押し倒して床に突っ伏す。光は黒板命中、爆発を起こし、隣のクラスまでの通路を作り上げた。
三笠が篠舘を起こすと、殿(しんがり)を務めながら隣のクラスに避難した。しかしチェルシアの攻撃は止まらず、次々と赤い光が襲い掛かる。彼は盾で防ぐも、少しずつ疲労が募ってくる。
最後は、再び彼女と共に床に突っ伏し攻撃を回避する。赤い光も再び黒板に命中し、ぽっかりと大きな穴をあけた。
二人は先に進むも、とうとう先に教室がなくなった。
「ど、どうすんのよ!」
「くっそ、これまでなのか…」
彼が廊下を見るも、先の戦闘の影響で床はとても歩けそうにない。
「どうしたどうした?もうお終いなのか?フィランス殿下」
三笠達の通った穴からチェルシアが不気味な笑みを浮かべながら近づく。三笠たちは窓際へと身を寄せる。
「み…、三笠君、もう案はないの…?」
震える彼女の声が三笠の耳に響く。
もし…、もし成功できるなら…。悪足掻きぐらいにはなるのか…。
「ねえ、三笠君……、ねえってば………、ねえ!」
彼女の顔に恐怖からの冷や汗と涙が流れ始める。
「死骸が残るのも面倒臭いから、石にしてから粉々にしてやるよ」
この手が成功すれば…、まだ可能性はあるのか…。
三笠の腕が優しく篠舘の体を包む。
「ごめん、篠舘さん……」
「そ、そんな………」
「巻き込んじゃって本当にごめん。でも、最後まであなただけは守るから」
彼女の目からさらに涙が溢れ出る。死の恐怖がすぐそこまで近づくとき、人は冷静でいられなくなる。
「お別れの挨拶はいいかな?」
チェルシアが二人に向けて右手を構える。
「さようなら、フィランス殿下と妃殿下」
チェルシアの掌から青い光が集まり始める。
頼む!頼むから!篠舘さんだけは!助けてください!
チェルシアの青い光が二手に分かれ、三笠と篠舘の体に吸い込まれる。二人の表情が固まり、一切動かなくなる。
悪魔の笑みを浮かべたチェルシアが掌に紫の光を集め、一気に放つ。
直後。
硬化した二人の体が急に廊下へと弾かれた。紫の光は二人の居た場所を通り過ぎ、壁へと吸い込まれる。
「くっそ、何をしやがった?!」
そして四方八方から、ピキッ、という亀裂の入った音が教室中に響き渡る。
「くっそ、あの野郎!」
ドアに向かうが、遅かった。コンクリート製の壁が粉々に崩れ始め、チェルシアの体が宙に浮く。教室の床に敷き詰められているウッドタイルや机や椅子が上方からチェルシアを襲う。やがて教室列はすべて崩れ去り、廊下の硬化した二人に残骸が降りかかる。
しばらくすると、急速に二人の硬化が解けた。
無言で泣き、三笠にしがみつく篠舘がゆっくりと目を開ける。目の前にはしっかりと彼女を抱きしめる三笠の胸があった。
「み…、三笠…君…。あれっ?生きてるっ?生きてるよ!」
三笠がゆっくりと目を開ける。彼は床に横たわる自分が未だに信じられない。
「や、やった…。良かった……」
彼はゆっくりと立ち上がると、門がよく見える目の前の光景を疲れた表情で見つめる。
「教室と廊下の素材が違ったお蔭で助かった…」
「で、でもどうやって助かったの?」
彼が向きを変え、篠舘に手を伸ばす。
「突放能力。目標を『硬化した物体』にしたら、奇跡的に成功したってわけ」
篠舘が三笠の手を引き、体を起こす。
「さあ、兄貴たちを助けなきゃ」
「でもどうやって?」
彼女が制服に着いた破片を振り払いながら問う。
「失神や硬化能力は行使した人間の意識が飛ぶと、効果が切れるんだ。つまり、敵が落下した今、兄貴たちを助ける絶好のチャンスってこと」
二人はまず、一つ上の階で倒れる若竹と秩父の元へ向かう。若竹の硬化と秩父の失神は治っていたものの、二人ともぐったりとしていた。
三笠は疲労困憊の若竹を担ぎ、階段へと向かう。篠舘は少し離れた場に倒れる秩父の元へと寄り添う。
「秩父さん、大丈夫ですか?」
「ああ……、チェルシアは?」
「三笠君の策略で、今のところは大丈夫です。彼と若竹さんが下に向かいますので、一緒に行きましょう」
篠舘が手を差し伸べると、秩父がゆっくりと立ち上がった。彼女は彼の腕を方に回すと、ゆっくりと階段に向かった。
「篠舘さん…、ゴメンね、巻き込んでしまって…」
「大丈夫…、です。三笠君が助けてくれましたから…」
「そうか…」
やがて階段に差し掛かり、二人がゆっくりと降り始める。


化学室は見る影もなく破壊されていた。上階からの黒板や椅子、タイルなどが散乱し、瓶やフラスコが割れ、机の脚で化学反応を起こしている。
奇跡的に高松のいる廊下には物は散乱せず、粉塵をかぶった高松が静かに息をしていた。
若竹を先導する三笠がようやく到着し、容体を確かめる。
「どうだ?大丈夫か…」
「息はしてる、大丈夫だと思う。そうだ?」
彼が立ち上がると、元来た道を歩いていった。途中、篠舘と秩父がゆっくりと階段を降りてきた。
「三笠君、どこ行くの?」
「保健室、何か常備品がないか見てくる」
二人は保健室の看板を見つけると、急ぎ足で向っていった。
篠舘はボロボロの廊下をゆっくりと進み、秩父を若竹と高松の休息する化学室前へと運んだ。
「あ、有難う…、篠舘さん…」
秩父が深い息を一つ吐き、ゆっくりと床に横たわった。
やがて、三笠が保健室の方向から両手に大量の荷物を抱え、四人の前に戻ってきた。
「これ、何か使えるものあるかな」
彼は抱えていた荷物を床に置くと、へなへなと床に座り込んだ。
「スポーツドリンク四本、大量の包帯、飲み薬、食料品は無し」
「とりあえず、スポーツドリンクだけ配りましょう」
篠舘が四人にペットボトルを配る。全員が一斉にキャップを開け、ゆっくりと半分ほど飲み干す。
「篠舘さんは大丈夫?俺のでよかったら」
「いいです!」
三笠の親切を断り、彼女は一息吐きながらその場に座り込んだ。三笠は不思議に思いながらもスポーツドリンクを飲み干した。
「さて、行きますか」
三笠が体に白い光を受けると、ポケットから最後の釘を取り出す。
「逃げてる途中に、結構落としちゃったからなあ。大丈夫かな」
「さっさと取り押さえないと、何するか分からないから、行こうか」
秩父、高松、そして若竹と続いて立ち上がる。四人の王子がゆっくりと歩きだすと、篠舘も後に続いた。


グランドには割れた窓ガラスや壊れた机が散乱していた。壁は粉々に砕けているため、ウッドタイルや椅子が目立つ。四人の王子が教室付近の瓦礫を捜査していると、僅かに瓦礫が動いた。
「兄貴、ここだ、ここにいる」
三笠の元に四人が集まる。やがて瓦礫をかぶった男が瓦礫の中からゆっくりと起き上がった。服は所々血で赤く染まっていた。
「観念しろチェルシア」
三笠が釘を構えながら勧告をした。しかしチェルシアは笑っている。
「何が可笑しい?!」
「貴様たちなんぞには捕まらない。言っただろう、仲間は売らない、と」
チェルシアは雲一つない青い空に向けて右腕を構える。
「まさか、止めろ!待て!」
若竹の声を聴かず、チェルシアの右手から紫の光が撃ち上げられる。さらに自分のこめかみに指先を当て、青い光を発生させる。
「さらばだ、王族ども」
チェルシアの体が一気に硬直し始める。そして空に撃ちあがった紫の光が膠着した体へと向かう。
光を受けた瞬間、チェルシアの体は勢いよく音を立て内部から破裂した。
瞬間、五人が一気に現実の騒がしい学校へ引き戻され、瓦礫の上にいた五人が高低差で元の床に落とされた。若竹が床を蹴ると、静まり返った空間が生み出された。
「ダメか…、くそっ!」
若竹が地団太を踏む。秩父と高松もその場に座り込んだ。
「なんで、元に戻ったの?」
篠舘が不思議そうに問う。
「異界能力は、行使者がいなくなるとその空間ごと消えるんだ…。そして同じ空間に戻ることはできない…」
三笠と篠舘がその場に座り込み、静かな廊下でゆっくりと息を吐いた。



鈴丘高校の正門前には、警察車両や、報道関係の車両が並ぶ。地元ケーブルや、東京の大手テレビ局などの車両もある。人々は、シックハウス症候群の一種だとか、とある企業による生物実験の疑いなど、内容が変な方向へと曲がっていく。
一方生徒たちは、学校の責任者が取り調べを受けるとのことで、失神した生徒と教員以外は帰宅ということになった。
若竹の空間から戻された三笠と篠舘が、騒がしい廊下を通って教室へと急ぐ。この騒ぎに乗じて、何事も無かったかのように鞄を引き取るためだ。幸い教員は下校指導でほとんどが校外に出ているため、授業の時のままの教室から容易に鞄を引き取ることができた。


校門には三人の王子が待ち構えていた。大半の生徒が家路に就いたため、二人が校門を出る頃には教員も一人しかおらず、容易に合流することができた。
しかし、首謀者を逮捕できずに自決させてしまったことから、四人は沈んでいた。
「では、私は王城宮殿へ報告に行く…。またな…」
「俺も行くよ」
去ろうとする若竹に続き、秩父が後に続く。一方高松と三笠と篠舘はパークプランタンに向けて歩き始めた。
「…、何で…、アイツは自決の道を選んだんだ……」
三笠が力の抜けた声で高松に問いかける。
「アポイゾニー種は摂取すると、脳を刺激し興奮させる効果があるが、精神を錯乱させまともな行動をとれないようにする効果もある…」
高松も力の抜けた声で応答した。俯きながら歩く篠舘が話し始めた。
「これから…、どうするんですか?」
「私はとりあえず、麗奈のところにいる……、しばらくはこっちにいるつもりだから…」
高松は住宅街の角を曲がり、二人から離れていった。二人は無言のままパークプランタンへと向かう。


パークプランテンの前で篠舘が話しかける。
「三笠君、……、大丈夫?」
「大丈夫…、だと思う」
三笠を先頭に二人は階段を上がる。彼が部屋に手を伸ばした時、再び話しかけた。
「ねえ三笠君、この後夕食一緒に」
「ごめん篠舘さん、今日は…、一人にさせて……」
「あ…うん……ゴメン…」
三笠はゆっくりとドアを閉め、音を響かせながら鍵を閉める。
その日、三笠が部屋から出ることも、人を招くこともなかった。



終章 デイトオブポストウォー Date of Postwar

休日。
本来ならば高校生は休日とあれば友達と外出や、恋人共に過ごすなど様々な選択肢がある、が、沈んでいる生徒が一人、パークプランタンで死んだような目でテレビを眺めている。テレビからは昨日の集団失神のニュースの進展が報告されていた。報道機関は、集団失神の直前に現れたチェルシアの事を大々的に報道していた。
はぁ……、これから俺はどうすればいいのだろうか…。
部屋にインターホンが鳴り響く。しかし彼にはドアに出る気力さえ残っていない。
ドアからはノックと共に女声が部屋に響く。
「三笠君、いる?」
「うん…、いるけど…」
「入っていい?」
「どうぞ……」
篠舘がゆっくりと部屋のドアを開け、中に入る。
「三笠君、大丈夫?」
「大丈夫…、じゃないな…」
彼は深く溜息を吐くと、手摺を枕に横になった。
「えっと…、薬物使用で自殺なんてよくあることだよ。そんなに落ち込まないで」
彼は無言のまま体を回転させ、手摺に顎を乗せる。
「だから…、……、元気出してよ。いつもの三笠君に戻ってよ…」
「俺は薬物の事なんかよく知らないのだが、そういうものなのか……」
彼女は黙り込んだ。実際、彼女も目の前で薬物を使用した人間というものは見たことがない。
「でも……、有難う篠舘さん」
彼が体を起こし、彼女を見つめる。
「励ましというか慰めというか…、とにかく来てくれてありがとう」
彼女は顔を少し赤くして俯いた。
その時、天井に黒い穴が広がり、レノードが降りてきた。
「こんにちは殿下、こちらは良いお天気ですね」
「爺ちゃん、どうしたの急に」
「国王陛下からのお手紙をお預かりしております。御読み上げますか?」
彼が頷くと、レノードが手に持つ黄土色の紙を広げ、両手に持つ。玄関に立つ篠舘がダイニングテーブルの席に着く。
「では始めます。『フィランスへ。この度の首謀者捜索、本当にご苦労だった。お前もお前なりに努力したことはバルゼティスやティレスからよく聞いている。アウェン=チェルシアの件については、逮捕に至らずこちらとしても非常に本意ない。しかし過ぎたことを掘り返しても仕方ないので、この件はこれにて執着とする。さて今後のお前の処遇だが』」
三笠と篠舘が興味深そうに耳を傾ける。
「『お前はしばらくそちらで集団生活と礼儀に関して習得することとする。今後の国家への奉仕の為にも、そちらで学ぶことは沢山ある。お前のノブレス・オブリージュは終わらんぞ』…、とのことです」
レノードが手紙を三笠に手渡すと一礼の後に指を鳴らす。
黒い穴の登場とともに、三笠の「エーーーーッ!」という驚愕の声が部屋中に響く。
「爺ちゃん、俺まだここにいるのか?!」
「そ、そのとおり、と思います」
「国に帰らず、こっちにいろと?!」
「そのとおり、と思います」
三笠が後退りをしながらソファーに腰かける。
「こっちにまだいるのか…」
「あら三笠君、こっちに何か不満はあった?」
彼は試行錯誤を巡らせるが、不満はない。
「別にないけど…」
「だったらいいんじゃない、こっちにいても」
「では殿下、私はこれで。失礼いたします」
レノードが黒い穴に入り、部屋の穴が少しずつ消えていった。
三笠の部屋にテレビのニュースだけが流れる。やがて三笠が口を開く。
「ねえ篠舘さん」
「何?三笠君」
「食事行きませんか?」
「どこ行くの?」
「そうだな…、西之宮にいい店在りませんかね?」
「じゃあ、和食でも行く?」
「では、案内お願いします!」
「全く、言いだしっぺが案内頼むって…、まあいいか」
テレビを消し、部屋に鍵をかける。三笠と篠舘が二日目のようにバス停を目指す。
「さて、では行きますか」
「西之宮の和食屋は美味しいわよ」
二人の楽しそうな会話が住宅街に響く。

彼のちょっと変わったノブレス・オブリージュは、まだ終わらない。

Talk that"The election law violation by Emperor"

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  • 小説
  • 長編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-11-10

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