泡沫候補っていうな!!
まえがき
幣書は、現代の保守二党制の中で埋没し、マスコミからもほぼ全く取り上げられないという困難な状況の中で孤軍奮闘する「しょむ系候補」たちの観察記録である。
しょむ系候補の「しょむ系」とは、「諸派・無所属系」もしくは「諸派・無党派系」を意味する。元々筆者も「泡沫候補」という、ごく一般に使われている語句を使ってサイトを運営していた。しかし「泡沫」という語句には「当選はあり得ない」という蔑視・差別的な意味も含まれていることもあり、「政治団体『無所属・新人』」を名乗るグループから「自分たちは現職の区議会議員もいるグループである。にもかかわらず我々を『泡沫』呼ばわりすることは断じて許されない」と猛烈な抗議を受けた。サイトをどうやって存続すべきか苦慮していたところ、「諸派と無所属で『しょむ』ってのはどうか?」と提案があった。そこで「しょむ系」という語句が生まれ、現在に至っている。なお、同様の読み替えには、大川豊(大川興業総裁)の提唱する「インディーズ候補」などがある。
幣書が選択肢を見出しにくい閉塞した現在の政治状況を打破する一助となれば幸いである。なお、幣書執筆にあたりサイト等を参考とさせていただいた「酔いどれ会社員」さん、北方1号さん、杉山真大さん、道民クラブさん、大橋輝久さん、小泉純一六〇郎さん、モンゾウさんに感謝の意を表したい。また、日頃からサイト内の掲示板等で情報提供下さっている夢泡沫さん、まつきさん、まる・いさん、六文銭さん、りばー(労農党支持者)さん、スコーさん、その他情報を提供下さる多くの皆さん、そして幣書を手に取って下さった全ての読者の皆さんに感謝の意を表したい。
水野 松太朗
◎國士たち
國士たち(即ち右翼勢力)は民主主義に懐疑的であり、出馬はもっぱら当選を度外視して自らの主張を伝播させるためか、野党や革新政党への妨害を目的としていることが多かった。しかし近年は議席獲得を目指しての出馬も増えてきている。
○政事公団大平会
マスダシン一(増田眞一、本名は「ますだ・みちかず」)らを中心に結成。主に京都で活動。代表者マスダの肩書きは「同人」。
政見放送では、満面の笑みをたたえ合掌しながら「天皇陛下は、神様です。」と力強く訴えた。また、右翼系でありながら「再軍備反対」を訴え、「憲法9条は天皇の願い」と護憲を唱えるなど、異色の存在だった。他には「皇居遷都」「理想選挙」「高齢者の高齢者による高齢者のためのまつりごと」「党利党略より政事公団」などと主張した。
○大行社
1924年、清水行之助らを中心に、「国粋ファシスト」を名乗る右翼団体「大化会」(現在は山口組系)より分裂して設立。後藤新平らの支援を受けていた。その後長らく休眠状態にあったが、1981年岸悦郎らにより再建。現在は稲川会系。
1989年参院選には「大行社政治連盟」として出馬し、石川佐智子(「日本教育正常化連盟」代表)、千葉佳男(元社会党代議士、後に自由連合から再出馬)らを擁立。消費税導入に批判的な世論を非難するなど、体制寄り・政府与党寄りの姿勢を貫いた。源田実(元自民党参院議員、元海軍将校)らから推薦されるも、全員落選した。2000年衆院選にも1人擁立、落選。
機関誌「大吼」(「大声で叱る」の意)は都市部の大手書店でも販売されており、右翼団体機関誌としては入手しやすい。
余談ではあるが、元自民党代議士で悪党党幹事長の浜田幸一は母体の稲川会出身であり、思想的には大行社とも近いと考えられる。また、右翼団体「日本皇民党」による「竹下登褒め殺し事件」を打開したのも稲川会であるとされる。さらに、暴力団系ということもあってか、大行社構成員による殺人事件(1986年)や発砲事件(2004年)なども起きている。
○大日本愛国党
赤尾敏(元代議士)らを中心に結党。当初赤尾は左翼思想に傾倒していたが、逮捕をきっかけに右翼に転向。出獄後右翼団体「建国会」設立。翼賛選挙では大政翼賛会非推薦候補ながらも当選。第2次世界大戦前より親米反共を主張し、対米開戦に反対した。
公職追放を解除された1951年、愛国党結成。赤尾は総裁に就任。後に浅沼美智雄(元社会党杉並区議、後に「大日本愛国団体連合・時局対策協議会」(時対協)最高顧問)を参与に迎える。その後数寄屋橋での街宣活動とともに、国政選挙および都知事選に多数出馬。主張は戦前と変わらず親米反共路線であり、韓国にも友好的だった。また、参院不要論を唱え、参院選では自分への投票もせず棄権するよう訴えた。泡沫候補扱いされることには怒りを露にし、政見放送で「誰が泡沫だ!」と一喝した。
数寄屋橋での街宣活動は毎日欠かさず行なわれた。選挙出馬は選挙期間中にこの街宣を途切れさせないためだとも言われる。お笑いグループ大川興業は演説をする赤尾の前で彼らを讃える踊りを披露したが、党員に拳銃を突きつけられたことがあるという。
浅沼稲次郎(当時の日本社会党委員長、美智雄の親戚)刺殺事件の犯人山口二矢、嶋中事件(中央公論社社長嶋中鵬ニ宅に侵入し、社長夫人および家政婦を死傷させた事件)の犯人小森一孝も元愛国党党員だった(両者とも犯行直前に離党)。これらの事件に関連し赤尾も逮捕されている。
赤尾の死後、愛国党は総裁長男派、書記長派などに分裂。近年は選挙への出馬もなく、活動は縮小傾向にある。
赤尾の弟と長男は警備会社のテイケイ(帝国警備保障)や不動産会社など、いくつかの会社を経営している。テイケイは労働争議や学生運動への弾圧活動でも知られる。
「防共挺身隊」は愛国党および「防共新聞社」の青年部隊的な組織だったが、挺身隊が山口組系暴力団との関係を深めていくことに愛国党ら側が反発。現在は対立関係にある。
○日本革新党
赤松克麿(元代議士、元日本共産党中央委員)、江藤源九郎(元陸軍将校、後に代議士)、佐々井一晁(農本主義系の右翼活動家)、菅舜英(浄土真宗僧侶、社会民衆党出身)らを中心に1937年に結成。国家社会主義および日本主義を掲げる。「革新」は左派という意味ではなく、戦前の右翼系官僚「革新官僚」などと同じく「国家統制」を意味する。
1940年に一旦解散するが、戦後に復活。現在は宮城・東京・福井・京都・大阪などが主な活動拠点。1959年都知事選で党代表筑紫次郎を無所属で擁立したが、それ以降選挙への出馬の動きは見せておらず、現在はバスによる企業ビルへの突入など、街宣活動が中心となっている。
○日本青年社
住吉会系。1961年に「楠皇道隊」結成。当初は児玉誉士夫に連なる「全日本愛国者団体会議」(全愛会議)および「青年思想研究会」(青思会)に加盟していたが離脱。1969年、「日本青年社」に改称。
1989年参院選に候補者を擁立するが、全員落選。1992年参院選では「風の会」を支援した。その後は「噂の眞相」襲撃や、「救う会」地方組織の幹部として拉致問題に関する署名活動などを行なっている。
「有栖川宮」を自称する人物を名誉総裁として迎え入れていたが、10月1日の任期満了直後に詐欺容疑で逮捕されている。また、同時期に副会長が恐喝容疑で逮捕されている。
尖閣諸島・魚釣島に設置されている灯台は青年社が建てたもの。また、このとき島内にヤギを持ち込み放置したため、島固有の動植物は絶滅の危機に瀕しているという。
現職・元職議員として活動する社員により「日本青年社議員同志連盟」が結成されている。主な構成員は米田建三(元自民党代議士)、白井常信(元公明党都議会議員)ら。また、自由連合より参院選に出馬した佐山聡(格闘家)や石原慎太郎(作家、東京都知事)らとの親交もある。
○風の会
1992年、全右翼勢力の結集を目指して設立。代表は河野一郎(元建設相)宅放火事件や経団連会館襲撃事件等で知られる野村秋介(新右翼団体「大悲会」代表、愚連隊出身)。衛藤豊久(当時の「日本青年社」会長)らは全面支援を表明した。
横山やすし(漫才師)も候補者の1人となり話題となった。主な政策は「国際会議等での日本の表記を『Japan』ではなく『Nippon』に改めさせる」など。しかし山藤章二(イラストレーター)から「週刊朝日」連載内で「虱(しらみ)の党」と揶揄される。結果は全員落選。落選会見で横山は「国民が、アホや!」と激怒した。
翌年の1993年、野村は朝日新聞社社屋内で抗議のピストル自殺。没日である10月20日は「群青忌」と呼ばれ、追悼イベントが開かれている。
野村は鈴木邦男(「一水会」顧問)らと並ぶ新右翼活動家の大物だったが、「右翼」と呼ばれることを嫌い、「民族派」「新浪漫派」を自称した。また、安重根(伊藤博文を暗殺)を「憂国の志士」と讃えたり、獄中で看守に虐待されていた在日韓国人受刑者を助けたり、「黒シール事件」(石原慎太郎の公設秘書兼鹿島建設社員が、朝鮮籍から帰化している新井将敬を中傷するシールを選挙ポスターに貼り現行犯逮捕された事件)では石原に直接抗議したりするなど、朝鮮に対し一定の理解を示してもいた。
○平成維新の会
大前研一(経営コンサルタント)らにより設立。当初は議員の政策格付け団体であり、既存の政党所属の候補者に推薦を出すようにしていた。事務総長に茂木敏充(現自民党代議士)、事務局長に長島昭久(現民主党代議士)、事務局長代理に長妻昭(現民主党代議士)、事務局次長に風間直樹(現民主党参院議員)、顧問に岩國哲人(現民主党代議士)、横路孝弘(現衆院副議長、民主党系)らがいた。政策スタンスは新自由主義であり、「企業活動の規制を全て撤廃し、政府の活動を徹底的に制限する」夜警国家的な社会を理想としていた。スローガンは「生活者主権」。
議員格付けが党議拘束により上手くいかなくなったため、1995年参院選には比例区より独自に出馬。三浦雄一郎(スキーヤー)や長妻らを擁立するも、1人も当選せず解党。その後大前は政治家養成機関「NPO法人・政策学校一新塾」を設立、議員の輩出に力を入れている。
○青年自由党
中村功(東日本ハウス創立者。「けんじワールド」「銀河高原ビール」「大江戸温泉物語」なども経営)らにより設立。保守・右派系の政治家養成を目的とする勉強会「漁火会」が母体。漁火会は設立当初「青年会議所(JC)、松下政経塾に並ぶ政治家養成組織」として「JNN報道特集」(TBS系)などで取り上げられた。
95年参院選より本格的に選挙へ出馬。「偉人伝教育」(歴史教育は物語性を重視し、偉人伝で行なう)、「緑のPKO」(環境関係など、非軍事面でも自衛隊を積極的に海外派兵)など、政策は自民党右派の主張を概ね踏襲するものだった。しかし全員落選。
その後、東日本ハウスがスポンサーとなった映画「プライド・運命の瞬間」「ムルデカ17805」の興行失敗により財政が逼迫、次第に活動が先細っていく。現在は党機関紙だった「漁火新聞」が、「経営者漁火会」機関紙として細々発行される程度である。党員の多くは自民党や維新政党・新風に移籍している模様。
功の長男、中村力は1993年衆院選に無所属で当選。院内会派「自民党・自由国民会議」所属。96年以降自民党の公認・推薦候補として数回国政選挙に出馬するが、いずれも落選している。他の党員では、中武賢臣(青年部長、政党「サムライ」メンバーとして都知事候補宮崎喜文を支援)は「維新政党・新風」青年部長に就任し、参院選出馬、落選。佐藤克男は離党後、北海道森町長選に出馬、当選。鈴木尚之(元鉄道労組書記長、後に西村真悟事務所顧問・「新しい歴史教科書をつくる会」事務局長)は西村の非弁行為の証拠隠滅を図り逮捕。木村岳雄(予備自衛官)は「救う会」地方組織理事として拉致問題関係の活動をしていたが、「建国義勇軍」「国賊征伐隊(朝鮮征伐隊)」(「刀剣友の会」関連組織で、西村真悟を名誉顧問とする「日本人の会」が母体)による発砲・脅迫・放火事件に関わり逮捕されている。
○維新政党・新風
1995年、新右翼活動家魚谷哲央らにより結党。当初は魚谷の活動拠点である京都に本部を置いていたが、2008年東京に移転。
「風の会」と同じく、反米反共・ヤルタポツダム体制打倒を掲げる新右翼系だが、自民党、民主党、民社党(民社協会)、青年自由党出身者も多い。在日外国人の強制送還、核武装、宗教法人規制、消費税増税、同性愛者処罰、児童ポルノ規制反対などの政策を掲げる。
支部は全国に35ヶ所前後あり、選挙活動は1998年よりスタート。参院選と地方議員選のみで、衆院選や首長選には出馬していない。また、公認候補の当選者もいない。2001年には西村修平(党千葉県本部代表(当時))、川久保勲(党神奈川県本部副代表(当時))ら新風党員による集会妨害事件が起き、威力業務妨害罪や傷害罪で逮捕され、後に有罪判決を受けている。
2004年には中武賢臣(元青年自由党)を青年部長に迎え、「ライブ・平成維新」なるロックコンサートを開くなど、この頃から若者の取り込みに力を入れるようになる。さらに近年は瀬戸弘幸(ネオナチ団体「世界戦略研究所」代表、恐喝・傷害・威力業務妨害で逮捕歴あり)を広報委員(後に副代表)に迎え、ネット右翼の結集に力を入れるようになる。それに伴い、政策も伝統的な反米右翼から、ナチズム的な排外主義や統制志向を強め、反権力志向から政府与党寄りの権力志向へと移行している。従軍慰安婦問題について言及する女性を「売春ババア」、毎日新聞を「変態新聞」など、対象を強烈な文言で非難する活動も活発。さらに、活動資金調達のために、ブルーベリー風味のゼリー「ナノゼリー」をネットワークビジネスで販売する計画や、「パナウェーブ研究所」(「千乃正法」「タマちゃんのことを想う会」)などと同じく「電磁波攻撃」に抗する活動も行なっている。
増元照明(拉致被害者家族会事務局長、自民公認漏れ)、東條由布子(本名:岩浪淑枝、元新風講師、東條英機の孫娘)、平松重雄(「憲法改正同志会」会長、ねずみ講「国利民福の会」「天下一家の会」等に関与)、藤本豊(「市政の友の会」代表、福岡の右翼活動家)など、政策・主張の重なっている候補者へも対立候補をぶつけることが多く、大抵はその対立候補より少ない票しか得られない状況が続いている。そのため、主張の近い対立候補がいる地域では、独自候補を立てず対立候補を公認・推薦・支持・支援すべきとの意見も少なからずある。ただし東條については、兵頭二十八(よろずライター)が「東條は保守派の運動を自分の商売に利用している」と非難し、支援しなかった新風を擁護している。
長らく選挙区・比例区共に最下位が定位置だったが、2007年参院選のみ、比例区で共生新党を抜きブービーだった。
党友には西村真悟(改革クラブ代議士)、若泉征三(民主党元代議士)らがおり、赤池誠章(自民党代議士、松下政経塾出身、元民主党)らとも親交がある。一方、小山和伸(経済学者、神奈川大学教授、元副代表)のように、自民党など他党に移籍する者もいる。大規模な講師団を抱えており、講師には東條や兵頭のほか、田中正明(「株式会社イオンド大学」教授)や戸塚宏(戸塚ヨットスクール校長)らがいる。
○共生新党
財界・宗教系右翼団体「日本会議」代表委員で建築家の黒川紀章が、盟友石原慎太郎の都知事多選阻止を目指して結党。2007年の都知事選と参院選に出馬した。
参院選の候補者には若尾文子(女優、黒川の妻)や元地方議員、自民党公認漏れの選挙出馬経験者などもいた。ガラス張りで円形の選挙カーやクルーザー、飛行機などを使った派手なパフォーマンスを展開したが、得票増には余り効果を発揮できなかった。結果は最下位で全員落選。毎回最下位だった維新政党・新風にすら負けるという大惨敗だった。
黒川は2009年までに行なわれる予定である衆院選にも出馬への意欲を燃やしていたが、2007年10月12日死去。都知事選出馬から死去までの期間が短かったことから、「突然の活発な政治活動は、自身の死期を悟ってのものだったのでは」との見方もある。黒川の死去後は共生新党のサイトも閉鎖され、事実上活動停止状態となっている。
他にも「反ソ決死隊」の深作清次郎、「世界連邦」の南俊夫、総会屋系の河野孔明や品川司、小田俊与、右翼の大同団結を目指した「大日本青年独立党」(後に「議会主義擁護国民同盟」)の清水亘などが活発に活動していた。福田拓泉(勝美)・福田撫子(厚子)夫妻は「田中角栄を政界から追放する勝手連」「社会を明るく住みよくする全国婦人の会」「正義と人権を守り明日の日本を考える救国斬奸党」「全婦会救国党ミニ政党悪税消費税反対大連合」など、非常に長い名前の団体をいくつも設立して繰り返し選挙に出馬した。さらに元自衛官による「国際政治連合」、丸山和也(弁護士、後に自民党参院議員)ら弁護士による「新政クラブ」、本島等長崎市長(当時)銃撃事件など、数々のテロ・犯罪行為で話題となった「正氣塾」、そして「大日本誠流社」、「アジア建国党」など、微少な右翼・右派団体が多数選挙に出馬している。
また、「江川卓に似た自分の顔つきが悪人と思われるのは共産党の陰謀」と主張した新井泉、新左翼からエコロジストを経て反ユダヤ主義と陰謀論を主軸とする国粋主義者に転向し、「週刊日本新聞」を発行する太田龍(太田竜、栗原登一)、月光仮面や水戸黄門のコスプレをしつつ奈良県周辺の無投票阻止に努めた右翼活動家の辻山清、政見放送で「(自分に)入れないと見捨てちゃうぞ」と訴えた通称「泡沫の星」山口節生、アナキストからファシストに転向し、政見放送で「こんな国滅ぼせ!」と訴え中指を立てたミュージシャン外山恒一などが近年注目される。「発明政治」「新自民党」などを組織したドクター中松(中松義郎)も右派的言動で知られている。
◎斗士たち
左派勢力も、議会制民主主義を「ブルジョア議会」と批判し打倒を目指す「反議会主義」(選挙では主に棄権を呼びかける)から、「議会とは演説を通じてブルジョアジーの欺瞞を暴露し、労働者の直接行動を煽動する場」と位置づけ独自候補を立てる「革命的議会主義」まで、様々な立場がある。
「議会を通じた平和革命」を標榜する社会党から分裂した党派や、いわゆる「市民派」は結成当初から選挙を積極的に活用し、議会内での多数派形成を目指している。
○日本労働党
「日本共産党(左派)」(毛沢東主義&親アルバニア系。「劇団はぐるま座」などの母体。「人民の星」「長周新聞」等を発行。山口県を中心に活動し、下関市に系列市議が存在。「反米愛国」を標榜し、全国各地で「原爆展」を開催)から分裂し、佐賀を中心とする九州で形成された「日本共産党革命的左派」と、神奈川で形成されていた「日本共産党革命左派」の反主流派(主流派は「京浜安保共闘」を通じて「連合赤軍」に合流)が合併し、「日本労働党」となる。
かつては毛沢東の「鉄砲政権論」に基づき、あからさまに暴力を肯定するような言動も目立ったが、現在はソフト化している。国政では中選挙区制時代に頻繁に候補者を立てていたが、現在は社民党の支援を中心とする活動となっている。社公民路線を肯定しており、社共共闘路線を目指していた共産党を「野党共闘の破壊者」と非難していた。
地方選挙では結党以来の地盤である神奈川・福岡両県の知事選や横浜市長選で候補者を立てており、共産党公認・推薦候補に迫る票を獲得している。また、関東や九州を中心に地方議員も多い(但し労働党公認ではなく無所属)。さらに、「自主・平和・民主のための広範な国民連合」(旧「左翼連合」)を結成し、野党共闘の要となることを目指している。
余談ではあるが、かつて「日本労働者党」という党派もあり、こちらも毛沢東主義系であった。労働者党は後に「建党同盟」と合併し、「労働者社会主義同盟」となっている。
○緑の党
三橋辰雄、対馬テツ子らを中心に、日本労働党青森県委員会より分裂し結党。毛沢東主義と津軽の民間伝承を基盤としたナショナリズムを融合した、独特の世界観を持つ。国際的には親中国、親北朝鮮、親ポルポト派。また、進化論を否定している。機関紙「日本新聞」には漢字に振り仮名が振られている。
選挙では参院選と地方議員選に出馬。国政選挙では当選者を出していないが、地方議員は大田区に区議が1名いる。政見放送は、党首対馬が子供番組のおばさんのごとく妙に明るい口調で聴衆に語りかけるものであった。主な政策は共産党批判と、「緑の党は女性の党」「エロ・グロ・ナンセンスに反対」などだった。
党名に反し環境保護活動は行なっておらず、むしろ他の環境政党には批判的。しかし海外の環境政党の動向を機関紙で紹介するなど、矛盾した行動も取っている。また、性病に感染した女性器の写真を機関紙に掲載し、猥褻物頒布罪で取調べを受けたこともある。
系列組織に劇団「荒野座」、歌声喫茶「銀河JOY」など。「銀河JOY」での非常に特殊な雰囲気のライヴは、雑誌やネットで頻繁にレポートされている。「緑フォーラム」という政治集会も頻繁に行なっている。かつては青森で「スーパーみちのく」も経営していた。
近年は「日本ボランティア会」を通じて、駅前等の街頭で頻繁に災害支援の募金・署名活動を行なっているが、募金は主に活動家の生活費に使われ、署名は「荒野座」「銀河JOY」公演の勧誘名簿として使われているという。いわゆる「募金詐欺」として、たびたび雑誌やTV、ネット等で注意が喚起されている。要注意である(かく言う筆者も連中に2千円ほど募金という名の献金をしてしまったことが・・・orz)。
○マルクス主義労働者同盟、社会主義労働者党
共産主義者同盟の最右派「共産主義の旗派」が全国社会科学研究会(全国社研)を結成。その後「マルクス主義労働者同盟」(マル労同)をへて、「社会主義労働者党」(社労党)に改称。選挙では4時間労働制、男女平等などを訴えた。また、原発推進、農産物輸入自由化推進、成田空港建設推進を訴えるなど、左翼としては異色の存在だった。
右派・保守派のみならず、他の左派陣営をも「国家資本主義者」と批判。選挙で何度か候補者の重なった日本労働党に対しては、「あんな毛沢東盲従集団には絶対に負けられない」と特に対抗意識を燃やしていた。
2002年、「政党としての実態を欠く」として解党。「マルクス主義を学ぶ革命的サークル」として「マルクス主義同志会」に改組し、各地でマルクス主義に関する学習会を主催。
マル労同・社労党・同志会から分裂した党派として、「新しい労働者党をめざす全国協議会」(ワーカーズ)、「ワーカーズ・ネットワーク」(Workers)、「革命的社会主義運動・グループ95」、「イング・ネットワーク」、「赤星マルクス研究会」などがある。
社労党のインターネット進出は左派勢力の中では早く、主要政党の1つである日本共産党より早くサイトを開設していた。もっぱら日本国内で活動する党派にもかかわらず、サイトは日英両言語対応だった。さらに「まぐまぐ」でメールマガジンも出していた。因みに分派の「Workers」もほぼ同じ時期にサイトを開設しており、やはり左派勢力の中では非常に早い段階でネットに対応していた。
○マルクス主義青年同盟
毛沢東主義系の「共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派」(共産同ML派、今井澄らが所属)が解体後、その一部らにより結成。戸田政康、穂積亮次(新城市長)らが所属。当初は党派名の後ろに「(準)」を付けた。
迷彩色の軍服に身を固め、赤いヘルメットと竹槍で武装し、街宣車でけたたましく「インターナショナル」などの労働歌を流しながら隊列を組んで行進するなど、異色の街宣活動で知られた。
1975年都知事選に、「マル青同政治連盟」として杵淵美和子を擁立。「今こそ、『国難』に内乱で対峙せよ」「諸君のもとに、今日は投票用紙を、明日は銃を与える!!」などと訴え、美濃部亮吉(当時の東京都知事、後に参院議員)の街頭演説への妨害活動等を展開したが、選挙管理委員会から「内乱罪適用の疑いがある」と注意され、有権者の支持も集まらなかった。同年、大学学生寮を襲撃し寮生を殺害、遺体を山中に埋める事件を起こしている。
その後戦術転換し、反ファッショを訴え対立党派の日本共産党へ共闘を呼びかけたが、共産党側は「暴力行為への反省が無い」と拒否。1988年、「民主統一同盟・フォーラム地球政治21(準)」と改称。1999年辺りから「『がんばろう、日本!』国民協議会」の別名を使用するようになり、現在は「がんばろう?」が正式な団体名となっている。
現在は「改革保守」を掲げ、小沢一郎や松下政経塾出身議員など、新自由主義・新保守主義的政治家支持を打ち出している。また、「小泉構造改革応援団」と名乗り、「政権交代のあるアメリカ型保守2大政党制の確立を」とも訴えている。
○都政を革新する会
略称「都革新」。「杉並革新連盟」として発足し、後に現在の名称となる。
事実上「革命的共産主義者同盟全国委員会」(革共同中核派)と同一の組織であり、これまでに都議1名、杉並区議累計3名を輩出。新左翼系としては初の都道府県議となった元都議の長谷川英憲は、2000年衆院選にも出馬し、大田昌秀(元沖縄県知事、元参院議員)や青木雄二(元漫画家)、宮崎学(作家、通称「キツネ目の男」)らの支援を受けるも落選した。
中核派内での路線対立(労働組合活動での主導権獲得を至上命題とする多数派「労働戦線派」と、以前と同じく各種市民運動に参加する少数派「諸戦線派」)を反映し、議員辞職を迫られた「諸戦線派」の区議2人(うち1人は後に落選)は辞職を拒否し離党、「無所属区民派」を結成している。
なお、中核派は東京以外にも神奈川や大阪などで「市政を革新する会」「革新無所属」などの名称で地方議員を輩出している。「婦人民主クラブ」の分派「婦人民主クラブ全国協議会」や、「部落解放同盟」の分派「部落解放同盟全国連合会」の一部なども支持母体の1つとなっている。
○MPD・平和と民主運動、大衆党、市民の党
MPDは元「日本学生戦線」(日学戦)活動家で、毛沢東主義を掲げる団体「立志社」代表の斉藤まさし(酒井剛)らを中心に結成された。MPDは「Movement of Peace and Democracy」(「平和と民主運動」の英訳)の頭文字。呼びかけ人には田英夫(斉藤の舅)、横路孝弘、八代英太らがいた。
その後、「大衆党」に改称。この間、田英夫が当時現職で自民党系の都知事だった鈴木俊一の支持を表明し、都議で大衆党党首の下元孝子が田に抗議して離党するという事態も起きている。「新党護憲リベラル」および「平和:市民」が結党されると、それらに吸収合併。
「平和:市民」解散後は「市民の党」として活動中。関東を中心に都県議・市区議を輩出するほか、堂本暁子(千葉県知事)や喜納昌吉(民主党参院議員)、嘉田由紀子(滋賀県知事)、川田龍平(参院議員)らの支援や、横浜市議会での日の丸掲揚への抗議活動などで話題となっている。
○新党護憲リベラル、平和:市民、憲法みどり農の連帯
1993年の小選挙区制導入の際、導入に反対した社会党の一部議員により院内会派「護憲リベラルの会」が結成。後にその会派と「大衆党」(旧MPD)を基盤に「新党護憲リベラル」が結党される。所属議員は田英夫、國弘正雄(通訳・翻訳家)、旭堂小南陵(西野康雄、講談師)、翫正敏(真宗大谷派僧侶)、三石久江ら。後に中尾幸則、金田誠一らが加入。政党助成制度には反対だったが、活動資金はもっぱら政党助成金に頼っていた。
1995年参院選の直前、自社さ連立政権への評価をめぐる対立が表面化。自社さ政権を「民主リベラル政権」と捉え、広範な「市民派」政党を志向する田ら「平和:市民」と、自社さ連立も新進党も「保守反動」と捉え、革新的な護憲派政党を志向する翫の「憲法みどり農の連帯」に分裂。
「平和:市民」は田、國弘、阿部知子(徳州会病院医師、「フロント(社会主義同盟)」活動家、後に代議士・社民党政審会長)らを擁立するが田以外落選し、解散。田は椎名素夫らとの院内会派「参議院フォーラム」代表となり、後に社民党に復党する。「連帯」は翫や星野安三郎(憲法学者、立正大学名誉教授)、小林忠太郎(農業経済学者、日本大学講師)、尾形憲(政治学者、法政大学名誉教授)、梅津慎吾(元「青年新党ディスカバリー」)、佐々木信夫(元「進歩自由連合」、現「新党地球の福祉」代表)らを擁立したが、日本世直し党やUFO党の得票をも下回る大惨敗だった。その後は翫らと共に、いいだもも(元「共産主義労働者党」)と尾形を共同代表に、さらに生田あい(元「共産主義者の建党協議会」)らを迎え、新社会党の支援や護憲・平和・環境保護等を訴える市民団体として活動を続けている。なお、翫は後に新社会党から衆院選にも出馬している。
「平和:市民」と「連帯」の分裂の際、庄幸四郎(ジャーナリスト)が「週刊金曜日」で「『連帯』は市民派を分断し、結集を妨害した」と主張するなど、特に「連帯」側へ非難が集まった。しかし翫は「政策を右傾化させ自民党に追従した田らにこそ分裂の責任がある」と猛反論した。因みに同選挙では上田哲のいるスポーツ平和党や、小田々豊(「原発いらない人びと」「希望」元候補者)のいる農民政党「いのちとみどりの市民・農民連合」も市民派と目されており、「市民派4分裂」と言われていた。
なお、当時社会党内で小選挙区制に反対した議員には、後に新社会党を結党する面々(矢田部理や岡崎宏美ら)や、西岡瑠璃子(98年参院選には共産党推薦で高知県選挙区より出馬)らがいる。また、93年衆院選で落選した元議員では和田静夫(元副委員長。後に新社会党顧問、自由連合常任顧問を歴任)、馬場昇(元書記長。後に9条ネット世話人)、上田哲(元教育宣伝局長。離党後「護憲新党あかつき」や「社会党」を結党)らがいる。
○新社会党、9条ネット
1996年1月、日本社会党の「社会民主党」(社民党)への党名変更とこれまでの路線転換(小選挙区制推進や自民党との連立政権など)に反発する議員・党員らにより「新社会党・平和連合」が結成。メンバーは矢田部理(委員長、弁護士)、岡崎宏美(副委員長、代議士)、小森龍邦(副委員長、代議士)、山口哲夫(書記長、元釧路市長)、栗原君子(副書記長、参院議員)。翫正敏(「憲法みどり農の連帯」共同代表、僧侶)や和田静夫(顧問、元社会党副委員長)らも参加。後に「新社会党」が党名となる。社民党は新社会党へ移籍した党員の離党を認めず、除名処分としている。
旧社会党の派閥で最左派の「社会主義協会」、さらにその中でも左派色の強い「坂牛派」の影響を強く受けており、「資本主義の枠内の社会福祉より、社会主義社会を」と訴えている。また、小森龍邦(元代議士、副委員長、委員長を歴任)が元書記長で現在広島県連顧問を務める部落解放同盟の影響も一定受けている。主な関連団体として全国労働組合連絡協議会(全労協)、日本社会主義青年同盟(社青同)、広島県教職員組合、「憲法を生かす会」など。
以前は政党交付金で潤沢な政治資金を確保していたが、相次ぐ落選で国会での議席が無くなり、交付金支給は打ち切られた。さらに2001年参院選での供託金や広告料等が高額となり、財政的には困難な模様。しかし、地方議員を200人前後(推薦・支持含む)抱え、千葉県長生村には党員の村長(共産党も支持)がいる。沖縄の地域政党「沖縄社会大衆党」は友党であり、候補者を立てない選挙では主に社民党候補を支援したり、共産党候補を支持したりしている。
2007年には「護憲を標榜する全政党の結集」を謳い、「平和を実現するキリスト者ネット」(キリスト者平和ネット)や環境政党「みどりのテーブル」関係者とともに「9条ネット」を設立。天木直人(作家、元外交官)、石川一郎(元山形県鶴岡市議、福祉団体理事長)、栗原君子(新社会党中央委員長、元参院議員)、小松猛(元愛知県豊明市議)、小山広明(元大阪府泉南市議)、ZAKI(野崎昌利、半農シンガーソングライター、「銭形金太郎」出演)、鈴田渉(大学院生、憲法学・平和学専攻)、成島忠夫(元三派全学連副委員長、不動産会社社長)、藤田恵(元徳島県木頭村長、みどりのテーブル徳島代表)、原和美(元神戸市議、新社会党兵庫県委員長)を擁立、川田龍平(大学非常勤講師)、服部良一(市民運動家、社民公認)、友近聡朗(元サッカー選手、民主・社民・国民新党推薦、世襲)ら社民党系候補を中心に推薦・支援をした。ZAKIが「アメリカのポチ(自民党)をぶっ倒せ!」と叫ぶ政見放送が話題となったが、川田と友近以外当選者を出せなかった。また、天木は選挙中から「当選したら9条ネットではなく『天木新党』として活動する」「日米同盟に与しない保守2大政党制を目指す」と発言していたことや、小山が「和歌山毒カレー事件」の被告人の冤罪救援活動を行なっていることを理由に「被告人が獄中立候補するのではないか」と主張した週刊紙報道などが物議を醸した。9条ネットは共産党・社民党にも参加を呼びかけたが、両党とも拒否した。9条ネットは愛媛は解散したが、それ以外の地域は現在も活動中。
その他、新左翼系では「革命的共産主義者同盟全国委員会」公認候補で「帝国主義・ソ連官僚主義打倒」と訴えた黒田寛一(後に「日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派」(革マル派)議長)、社青同解放派系で「議会にゲリラを!」と訴え、荒畑寒村や小田実、羽仁五郎、戸村一作らの支援を受けて出馬した高見圭司(「革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会」(労対派)最高指導者)、愛知を中心に活動する新左翼思想家で予備校国語講師の牧野剛などがいる。さらに、「神軍平等兵」を名乗り、昭和天皇へのパチンコ(投石器)での襲撃や皇族コラージュのポルノビラまきなどの過激な反天皇制活動や、映画「ゆきゆきて、神軍」「神様の愛い奴」などで有名な奥崎謙三、学生時代は「法政の貧乏くささを守る会」「全日本貧乏学生総連合」(全貧連)を、現在は「素人の乱」「貧乏人大反乱集団」を立ち上げリサイクルショップ経営やネットラジオ、そして「鍋闘争」などアナーキーな活動を行なう松本哉などがいる。
党派としては、中野重治(作家、元参院議員)も所属した親ソ連派の「日本共産党(日本のこえ)」(こえ派)もあった。こえ派は「平和と社会主義」と改称後活動が先細るが、上田卓三(後の社会党代議士、秘書に現自民党代議士の谷畑孝ら)など部落解放同盟の主流派に大きな影響を与えた。こえ派と共闘していた学生組織「民主主義学生同盟」(民学同)の多数派は、「民主主義的社会主義運動」(MDS)として無防備地域宣言条例制定運動などを推進している。
◎階級しょむ系政党
政党とは一般に特定の階級を代表するものであり、いくら「全国民を代表する国民政党」を謳っていても政策的には階級代表的傾向が出てくるものである。ここでは、特定の階級・階層を代表する政党を紹介する。
「サラリーマン新党」は「全国サラリーマン同盟」を母体に、青木茂(経済学者)らにより結党。源泉徴収や必要経費が認められないことなど、サラリーマンへの加重な税負担に不満を持つサラリーマンから支持を集め、青木、八木大介(木本平八郎、作家)、平野清の計3名の参院議員を輩出する。活動資金は主に企業献金に頼っていた。しかし後に青木は落選、八木、平野は自民党へ移籍し、新党の議席は無くなった。その後井上信也(元摂津市長)を中心に活動を続け、1992年参院選では井上は社会党から、青木は社会民主連合(社民連)からそれぞれ比例区で出馬するが、議席回復はならなかった。党はその後も存続し、全国的な活動は停滞しているものの、野黒美正壱(福岡県大野城市議)が党福岡県本部長として活動している。
「日本女性党」は「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」(中ピ連)を母体とする。中ピ連はピル(経口避妊薬)解禁を訴え、ピンクのヘルメットをかぶっての街頭活動が話題となっていた。「世界初の女性の党」を名乗り、男性は入党不可。政策スタンスは男女平等や男女共同参画ではなく、「権力を男性から奪い取り、女性の権力を確立する」というある種階級闘争めいたものだった。選挙出馬中より内紛が絶えず、金銭スキャンダルの発覚や全員落選となった選挙の総括をめぐり、内部対立が決定的となり崩壊、自然消滅した。スキャンダルまみれの党の実態や特異な姿での政治活動のため、他のウーマンリブやフェミニズムの活動家からは「あんな連中と一緒にされては困る」「彼女らのために日本の女性解放運動は偏見にさらされ、停滞を余儀なくされた」と迷惑がられていた。なお、党員の城戸嘉世子(元民社党福岡県連執行委員)は、後に「教育党」を結成。1998年まで政治活動を続けた。
その他、フリーカメラマンなど、フリーランスの職業人のグループである「フリーワークユニオン」、中小企業の経営者および従業員を代弁する「中小企業生活党」などがあった。
◎シングルイシューパーティ
ミニ政党の中には、福祉や環境など、政策を一転に絞って主張する党も多数見られる。
○医療・福祉系
医療・福祉も国民に関心が高い分野だけに、それを謳った政党も多い。
「福祉党」は八代英太(前島英三郎、TVタレント、「MPD・平和と民主運動」呼びかけ人)らにより結党、1983年参院選に出馬。八代のタレントおよび現職議員としての知名度で1議席を獲得するが、在任中離党し、自民党に移籍。候補者ではなく政党に投票する拘束名簿式比例代表制での移籍は非難の的となった。天坂辰雄を代表に86年・89年参院選に出馬するが、議席回復はならなかった。
「年金党」は互助組織「オレンジ共済」を母体に、友部達夫らにより結党。清川虹子(女優)や酒井広(元NHKアナウンサー、ワイドショー「うわさのスタジオ」司会)らを擁立するが、全員落選した。友部は後に新進党公認で参院議員となるが、「オレンジ共済」が組合員に配当支払いも出資金返済も行なわず資金をして気に流用するだけの詐欺組織であったことが発覚。友部は詐欺罪で逮捕され、懲役10年の有罪が確定。議員を失職している。事件発覚後清川らは謝罪すると同時に、「騙された!」と号泣していた。酒井は以後TV出演を控え、「あしなが育英会」のボランティア活動や、共産党の福祉政策を応援する活動を行なっている。なお、「オレンジ共済」に関わった政治家としては、後藤田正晴、亀井静香、竹下登、中曾根康弘、羽田孜、鳩山邦夫、細川護熙、渡部恒三、中西啓介、海部俊樹、市川雄一、太田昭宏、小沢一郎、小沢辰男、石井一、石井一二、初村謙一郎、増田寛也らの名前が挙がっている。
「日本福祉党」は1986年、「老人福祉党」として設立。その後分裂・一本化を経て、1995年改称。福祉問題への関心の高まりからか、供託金返還まであと一歩というところまでと健闘することが多かった。95年参院選からは安西愛子(志村愛子、歌手、「日本会議」副会長、元「太陽の会」参院議員)を顧問に迎え、96年の党大会では安西、日野原重明(医師)、田中真紀子(代議士)らが祝辞を述べたという。その後は自由連合や民主党など保守系野党との連携で党勢拡大を試みるが、2001年参院選には供託金引き上げ等による資金不足で不出馬を発表。以後、目立った活動は見られない。
「日本民政党」は選挙活動・政治活動を目的とせず、社会福祉を唱える互助組織。「知人を入党させるたびに『活動援助金』がもらえる」という主張から、ネズミ講の一種ではないかと言われている。
その他、薬害エイズ問題を前面に打ち出して当選した川田悦子・龍平親子(共に無所属)や、筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者として難病対策や患者の人権確立を訴えた藤本栄(訪問介護会社社長、2005年衆院選に愛知3区より無所属で出馬)なども、医療・福祉系候補と言えよう。
○環境系
ドイツ緑の党などを参考に、ポストモダンの影響を受けた環境政党、市民運動政党設立を目指す動きは日本でも存在する。
1983年参院選に「東京緑派」の候補が東京選挙区より出馬。これが「緑」「環境」を前面に打ち出す最初の候補となる。比例区ではMPDへの投票を訴えた。また、同時期活動を始めた「日本世直し党」も「日本版緑の党」を名乗っている。
86年参院選には水の浄化等を訴える「環境党」が登場。同時期、「日本革命的共産主義者同盟・第四インターナショナル日本支部」元活動家の太田竜(栗原登一)らにより「日本みどりの党」結党。後に分裂し、太田は脱党して「日本みどりの連合」を結党、「家畜解放」などを訴える。しかし1989年に「みどりといのちのネットワーク」として再統合し、大石武一(元新自由クラブ代議士、初代環境庁長官)らの推薦を受けるも全員落選している。また同年、山本コウタロー(歌手、「おもいっきりテレビ」初代司会者、現白鴎大学教授)、北沢杏子(作家、性教育実践者)、円より子(現民主党副代表)、田嶋陽子(英文学者、フェミニスト)らを中心に環境保護とフェミニズムを掲げる「ちきゅうクラブ」が、また、今野敏(作家)や坂下栄(元三重大学教員)、小田々豊(農業)ら反原発運動・環境保護運動の活動家らを中心に「原発いらない人びと」が結成された。「共産主義労働者党」や「第四インターナショナル」など一部の新左翼勢力は「原発いらない」を支援した。
92年、「みどりといのち」「ちきゅう」「原発いらない」の3派は合併し、環境新党「希望」となる。藤本敏夫(農業、元「共産主義者同盟」系全学連委員長、加藤登紀子の夫)を代表に迎え、参院選には藤本や小田々らを擁立するが、大きな支持にはつながらず全員落選した。
95年、小田々や新藤洋一(後に右派政党「日本公進党」推薦で群馬県吉井町議)ら農民運動・環境保護運動家らを中心に、「みどりといのちの市民・農民連合」結党。同時期、「平和:市民」(新党護憲リベラル)内の反自民党派と農民運動・環境保護活動家らで「憲法みどり農の連帯」が結党される。しかし両党とも大きな支持は得られなかった。
98年、保守政党「新党さきがけ」が環境政党として再出発を表明。後に党名は「さきがけ」となり、中村敦夫(俳優、政党「国民会議」代表)と黒岩秩子(フリースペース主宰、黒岩宇洋の母)で参院会派「さきがけ環境会議」設立。黒岩の落選後、高橋紀世子(参院議員、三木武夫・睦子の長女)が所属し、2002年「みどりの会議」となる。2004年参院選には中村、小林一朗(サイエンスライター、反戦団体「CHANCE!」主宰)や足立力也(コスタリカ研究家)、藤田恵(元徳島県木頭村長、後に9条ネットより参院選出馬)らを擁立するが、全員落選し、「女性党」にも得票を抜かれた。直後に解党し、小林を代表に「みどりのテーブル」が設立。ただし小林は「CHANCE!」時代公安警察と会食し「運動家より警察の方が信用できる」と公言していたことから、批判も相次いだ。「テーブル」は地方議員の連絡組織「虹と緑」とともに2008年11月解散・合併し、環境新党「みどりの未来」となった。
なお、現在「緑の党」名義で活動する団体は環境保護活動とは無関係な毛沢東主義の党派であり、環境政党設立を目指す陣営からは「同一視されたくない」と迷惑がられているという。
○交通政党
交通政策について訴える政党もあった。「モーター新党」は高速道路無料化・モトクロス場およびオートキャンプ場建設推進・ガソリン値下げなどを公約に、マイク真木(歌手)や菅原義正(ラリードライバー)らを擁立。「全日本ドライバーズクラブ」は暴走族取締り強化や「ネズミ捕り」によるスピード違反取締りの禁止、税制の消費税への一本化、都道府県廃止などを訴えた。
「自由党」は石川八郎、高橋妙子らを中心に結成された「新自由党」を母体とし、「交通戦争阻止」を公約とした。柿沢弘治らの「自由党」や小沢一郎らの「自由党」と区別し、「自由党石川派」「石川自由党」など呼ばれることもある。1998年参院選では、自由党から副総裁として出馬した石川は91467票を獲得。同選挙では小沢自由党の候補者も全国で出馬しており、一部では混乱が見られた。
近年は、「高速道路無料化」を訴え料金所強行突破などを行なっている「新党フリーウェイクラブ」が活発に活動している。
○運動系政党
運動系といっても市民運動や社会運動ということではなく、スポーツ系政党のことである。これらにはアントニオ猪木(プロレスラー)や江本孟紀(元野球選手)の所属し、小林よしのりも支援した「スポーツ平和党」(スポ平)や、川上哲治(元野球選手)らが立ち上げた「さわやか国民会議」を母体し、小林繁(元野球選手)や高田延彦(プロレスラー)らが所属した「さわやか新党」などがある。
「消費税に延髄切り」などのキャッチコピーで華々しくデビューしたスポ平は、計2名の当選者を出し、民社党と統一会派を組んだ。政党交付金(政党助成金)の受給要件が「得票率2%以上」となっているのは、自党の得票率が2%台だったスポ平の意向によるものである。しかし金銭トラブルが絶えず、活動は先細り、自然消滅していった。
「さわやか」は同時期に出馬していたスポ平との混同を避けるべく、「我々はスポーツ平和党ではない!」と強調。「いじめられっ子を武道で鍛える」などの政策を打ち出したが、大きな支持にはつながらなかった。街宣車は白と黄色を基調とし、「さわやかね?」という歌詞のテーマソングを流していた。応援演説には向井亜紀(タレント)やローバー美々(タレント)らがかけつけていた。
○セックスパーティ
セックスパーティといっても別に乱交パーティのことではない。要は性の問題を中心に取り上げる政党である。
「オカマの健ちゃん」こと東郷健(雑誌「The Gay」編集長、ゲイバー「BAR東郷健」経営)率いる「雑民党」は、同性愛者などセクシャルマイノリティの解放や、性表現を含む表現の自由化、障害者の人権擁護、天皇制廃止反戦・平和、暴力団新法反対、反創価学会・反ユダヤ、飲尿療法の医療保険適用などを訴えた。性表現を多分に含んだ政見放送や選挙公報は話題となり、また、差別語の入った政見放送はNHKが当該部分を無許可でカットし憲法裁判となった(東郷としては差別の意図はなく、むしろ「差別語を用いて罵られた」という事実を述べ差別の不当性を訴えたものだった)。また、聴覚障害者の手話による政見放送(ラジオでは無音)も話題となるなど、様々な人権問題について考えさせる主張を展開した。一方、転向右翼の太田竜率いる「地球維新党」と繋がるという一面もあった。さらに、中曽根康弘(元首相)と東郷が蜜月の関係にあったという論も一部にある。
「AV新党」は1994年9月結党。党員は80人いるとのことだが、党首の井上あんりをはじめ、幹事長の五十嵐いずみ、林由美香、有希蘭など、名乗りを上げている党員は全てAV女優。党名のAVは「アダルトヴォデオ」でも「オーディオヴィジュアル」でもなく、「エイブル・ヴォランティア(Able Volunteer)」の略であるとのこと。「政治からモザイクを無くす」を合言葉に、奉仕活動の推進、憲法9条改定による軍備増強、消費税増税、青少年へのポルノ普及による性教育推進と性犯罪抑止などを公約として掲げていた。連絡先電話番号は当時アダルト情報番組に使われていたダイヤルQ2の「0990」番号であり、その番号の書かれたプラカードを掲げて街頭に出るなど、かなり派手なパフォーマンスを行なっており、「FLASH」や「トゥナイト2」などのメディアでも取り上げられていた。TV朝日の深夜番組「タモリ倶楽部」でも特集が組まれ、模擬政見放送が制作・放映された。模擬政見放送は、候補者役の女優が政見を語りながら座っている椅子が回転し、Tバックをはいたお尻が見えるというものだった。ところが、選挙直前になって彼女らの活動はピタリと止み、選挙出馬どころか以後2度とメディアに現れることはなかった。自分は当時「そもそも新党は政界進出ではなく、女優のPR活動・ヴィデオの販促活動が目的だったのではないか?」と思い、其れ程気にも止めなかった。しかし、近年実話誌に衝撃の説が載せられていた。「新党は政治ゴロであり、出馬取り下げの引き換えに他党へ金品や便宜供与等をを要求していた」という説である。その後林は謎の変死を遂げ、井上・有希も死亡説が流れている。
その他、「エイズいやいや音頭」を歌い公娼制度(国家・政府による管理買春)復活を訴えた「エイズ根絶性病撲滅国民運動太陽新党」、「わいせつ」規制撤廃を訴える一方、「海星社」などと連名で同人誌即売会に関する脅迫状を警察へ送りつけたとも噂される「表現の自由党」、「ナイスですね?」の言葉で有名な村西とおる(アダルトヴィデオ監督)が結党宣言したものの、目立った活動を見せなかった「全日本ナイス党」などがある。近年はセクシャルマイノリティ(同性愛者、性同一性障害者など)の当事者が人権確立を目指して選挙に出馬し、上川あや(世田谷区議、会派「レインボー世田谷」所属)のように当選する事例も出ている。また、月亭可朝(落語家)は大阪市議選や2001年参院選出馬の際「入浴施設の混浴化」を公約としている。さらに、ポルノ雑誌「ぺあマガジン」などで、児童ポルノの解禁と、小児性愛者への差別撤廃と人権擁護、ポルノ出演を希望する児童の自由擁護などを目的とする政党(記事内では「ロリコン党」などと呼ばれている)の設立を呼びかける動きもある。
他の一点特化政党としては、「教育党」「日本教育正常化連盟」など教育専門の政党、「議員を半減させる会」(国会議員を半分に減らす会)「人間党」「主権在民党」など議会制度について言及する政党など、様々な勢力が存在する。
◎地域のしょむ系
本部を東京等の都市部以外に構え、主に地域で活動する政党もある。
○「緑・にいがた」
1994年、「市民新党にいがた」として結党。「草の根民主主義」、環境保護、反原発、平和憲法擁護などを訴え、新潟市に市議を輩出。所属の新潟市議は議会でもスーツではなくジーンズやスニーカーを着用し話題となった。
2002年「緑・にいがた」に改称、環境政党設立を目指す組織「みどりのテーブル」との連携をいっそう強調するようになる。2009年に解党し、新たに結成された環境政党「みどりの未来」に合流予定。
○琉球独立党、かりゆしクラブ
崎間敏勝や野底武彦(野底土南)らにより「琉球独立党」として結党。「左翼とは一線を画する琉球独立運動」を掲げる。1978年以来活動が停止していたが、2005年に屋良朝助(衣料品店経営、千葉県在住)らにより活動再開。ホームページも開設される。
2007年には党職員への賃金未払いや解雇をめぐり、労基法違反と不当労働行為でフリーター全般労働組合により労働委員会に申し立てされている。
2008年3月、「かりゆしクラブ」に党名変更。党職員解雇などにより悪化したイメージを払拭する目的もあるのではないかと言われている。「かりゆし」とはウチナーグチで「めでたい」などの意味。
○伊藤裕希
ミニコミ紙「北斗新報」を発行するジャーナリストで、1996年青森県三沢市議選に出馬、当選。「取材・執筆にネクタイは邪魔」とノーネクタイの服装を常としており、議会にもノータイで出席しようとしたが、他の議員よりバッシングを受け、議会出席を拒否される。次は他の議員の指示通りループタイ着用で出席しようとするが、やはり他の議員の妨害により出席を拒否された。伊藤の議会出席禁止は、実は服装ではなく「北斗新報」の与党に批判的な報道姿勢に対する嫌がらせではないかとの論もあり、論争が起き、マスコミでも報道された。2000年の市議選には出馬せず、1期で引退。その後、休止状態にあった北斗新報の発行を再開している。
ここに挙げた以外にも、「沖縄社会大衆党」や「生活者ネットワーク」(「生活クラブ生協」「グリーンコープ」など、日本生協連非加盟の生協が母体)などは、国政にも進出しており有名。旧「共産主義労働者党」も深く関わる「虹と緑の500人リスト」は、環境保護等を訴える「市民派」無所属地方議員の連絡組織となっていた(現在は「みどりのテーブル」と合併し「みどりの未来」)。「アイヌ青年参政権協議会」の成田得平は、アイヌ民族として初めて選挙で国内の民族問題を訴えた。
さらに、生活者ネットの右傾化を批判して分裂した「自治市民’93」(東京都杉並区)、税金の歳出削減を活動目的とする「行革110番」(東京都世田谷区など)、そして「ありが党」(大阪府大阪市)、「高槻ご意見番」(大阪府高槻市、旧「小泉の会」「族議員をぶっ倒して構造改革を進める党」)、「郷土美化」(兵庫県、党首:影山次郎)「日本公進党」(岡山県岡山市、大阪府岸和田市、山口県周南市)、「燃える市民党」(島根県浜田市)、「たんぽぽ党」(岡山県和気町、現職議員あり)、「新党地球の福祉」(山口県山口市、宇部市)、「世直し連合」(鹿児島県宇検村)など、個性的な党名・主張の政党が存在。無所属でも、高槻市を中心に人権や障害者福祉について訴える高谷仁(季刊誌「人権通信」編集者)などが活発に活動している。
◎宗教政党
宗教を母体とする政党としては日本では公明党(公明政治連盟、新党平和、公明、黎明クラブ)が、海外ではキリスト教民主同盟/社会同盟(ドイツ)、民主党(イタリア)、仏教自由民主党(カンボジア)、人民党(インド)などがあるが、日本には公明以外にも様々な宗教系政党がある。
○立憲養正會
田中智学や宮沢賢治らが所属し、現在も活動している日蓮宗系新興宗教団体「国柱会」が母体。なお、「八紘一宇」は田中の考案した造語である。
戦前・戦後に渡って議席を獲得したことのある唯一の政党。政策は右翼的・復古主義的であり、国民主権を否定し、天皇への主権奉還や教育勅語の復活、憲法破棄などを訴えた。しかし右翼系ながらも行動は野党的で、戦前は大政翼賛会に反対し、戦後は破壊活動防止法に反対するなどした。1949年以降当選者を出していない。
○日本キリスト党
元官僚で、戦後は「キリスト新聞」主筆や日本基督教団伝道師(補教師)、明治学院学院長等を歴任した武藤富男により結党。1977年参院選に全国区より出馬し、「政治に良心を」を合言葉に、平和外交や軍備撤廃、世界連邦建設、青少年への倫理教育、教育事業への遺産寄付免税などを訴えた。しかし大きな支持は得られず、1度きりの出馬で活動を停止した。
「キリスト新聞」は現在も発行されており、リベラル神学系・社会派系の新聞として知られる。
武藤の長男、武藤一羊は評論家で、「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)の運動や構造改革派の「共産主義労働者党」(共労党)、「アジア太平洋資料センター」(PARC)、「ピープルズ・プラン研究所」などの設立にも関わった新左翼活動家でもある。また、長女の那智子は当時富男が傾倒していたナチ(国家社会主義ドイツ労働者党)にちなんでつけられた名前である。
○世界浄霊会
浄霊医術普及会(「世界救世教(MOA)」を源流とする「手かざし」系宗教団体)が母体。「浄霊」(手かざし)の医療保険適用などを訴えた。支持率は低く、比例区出馬の全政党で最下位が定位置だった。
○真理党
チベット仏教系の新興宗教団体「オウム真理教」(現「ALEPH」。横浜弁護士一家殺害事件や地下鉄・松本サリン事件などに関与)が母体。1990年衆院選で全国各地に候補者を多数擁立し、代表松本智津夫(麻原彰晃)のコスプレや象のかぶり物などを身につけた信者が「彰晃マーチ」に合わせ派手に踊るパフォーマンスが話題となった。結果は大惨敗、松本は「落選は国家権力の票数操作による」と主張。
選挙出馬前、既に横浜法律事務所所属の弁護士を「出馬の邪魔になる」と殺害していたが、全員落選という結果により暴力による権力奪取を志向するようになり、さらに凶暴化することとなる。
○女性党
1989年設立の「生活研究会」を母体に、1993年「新しい時代をつくる党」(新時代党)として結党。アイスター(アイレディース化粧品、アイレディース宮殿黒川温泉ホテルなど)と、アイスター経営者が教主の宗教組織「和豊帯の会」とを母体とする企業系・宗教系政党である。
政策は「主婦感覚の政治」「議員の半分を女性にする」「永久平和」など。年金改革や少子化対策も訴える。フェミニズムやウーマンリブとは全く関係ないが、現職議員を輩出する政党の得票を抜き、あと一歩で当選者が出るところまで行くなど、健闘している。
街頭演説と政見放送の文面が全く同じことや、2007年参院選での公約「トリプルファイブ」(幼稚園児・小学生・中学生のいる家庭にそれぞれ5万円・10万円・15万円を毎月支給するというもの)、そしてファナティックな演説の様子などが話題となった。その一方、「黒川温泉ホテル」でハンセン病が既に完治している元患者を「迷惑がかかる」と宿泊を拒否した事件や、アイスターのマルチ商法的な販売方法などもあり、批判も相次いでいる。
○新党・自由と希望
自公連立に反対する白川勝彦(元代議士、弁護士、立正佼成会信者)らにより結成。「創価学会と戦う唯一の政党」を自認し、反創価学会を鮮明に選挙活動を行なった。候補者として宮崎学(作家、元暴力団員)や安東尚美(建築家、社民公認漏れ)らを擁立し、立正佼成会の推薦を受けるも、当選者を出すことはできなかった。現在は「リベラル政治研究会」として活動中。
他には、「再臨のキリスト」を自称する党首又吉イエス(又吉光雄)の「腹を切って死ぬべき」「地獄の業火に投げ込む」などの発言が注目され、ファンも多い「世界経済共同体党」や、日本平和神軍(仏教系の武装集団。「イオンド大学」「らーめん花月」などを経営)を母体とする「日本正理党」(選挙出馬歴なし)、長らく自民党の支持団体だった「幸福の科学」による「幸福実現党」などがある。
また、立正佼成会、真如苑、世界基督教統一神霊協会(国際勝共連合)、神社本庁(神道政治連盟)、霊友会(インナートリップ・イデオローグ・リサーチセンター)、生長の家(生長の家政治連合)、世界救世教(日本民主同志会)、パーフェクトリバティー教団(芸術政治連合)などは、主に自民党の支持団体として組織的に選挙に関与している(民主党候補の一部を推薦することもまれにある)。また、自民党と主義主張を同じくする「日本会議」には、神社本庁、天台宗、解脱会、国柱会、崇教真光、モラロジー研究所、倫理研究所、キリストの幕屋、佛所護念会教団、念法真教、オイスカ・インターナショナル、三五教、新生佛教教団、黒住教、大和教団など、多くの宗教団体・宗教系修養団体が参加している。
◎しょむ系大同団結
「ひとりひとりの得票が少ないしょむ系候補も、一致団結して選挙を戦えば議席が獲得できるのではないか?」と考える人もいるのではなかろうか。実はそうした試みは既に何度か行なわれている。
○自由連合
元々は徳田虎雄らにより結成された保守系無所属候補の連絡組織であり、国際勝共連合(統一協会)系の阿部令子らも所属した。その後は代表が交代しながら、保守系議員の受け皿として機能した。大内啓伍(元民社党委員長、自由連合総裁)らのように、自民党に移籍するためのクッションとしても使われた。
2001年には野坂昭如、月亭可朝、嵐(横浜銀蝿)、若井ぼん(レゲエ漫談家)、高信太郎(漫画家)、渡辺文学(「買ってはいけない」著者)、加藤将輝(加藤秀棋、評論家、TBS系「エクスプレス」レギュラー)、古川のぼる(ふくろう博士、教育評論家)などの芸能人や、堀田祐美子(プロレスラー)などのスポーツ選手、和田静夫(新社会党)や中島猷一(都会党)などの他党出身者を大量に擁立し話題となった。しかし大きな支持にはつながらず、むしろ財政を逼迫させる結果となった。
その後ALS発症に伴い代表を息子の毅に譲るが、毅は自民党に入党。現在は自民党の支持団体のようになっている。
○無所属の会、国会改革連絡会
「無所属の会」は田英夫を代表としていた参院会派「参議院フォーラム」を母体に1998年結成。初代代表は椎名素夫。自由連合と同じく、主に自民党外で政府与党に同調する議員の受け皿となった。その後、路線対立で社民党を除名された山本正和や沖縄社会大衆党の島袋宗康、そして小沢自由党らを加え「国会改革連絡会」となった。
○国民新党
自民党・民主党出身の大物議員・候補者を多数抱える国民新党を「しょむ系」と言うのは苦しいところがあるが、伊東秀子(元社会党代議士。左派出身ながら自民党推薦で北海道知事選に出馬し落選)、関口房朗(過去に参院選出馬歴のある馬主・実業家。派遣会社「メイテック」「ベンチャーセーフネット」「VSNマイスト」などの経営に関わっていた)、ペマ・ギャルポ(評論家。チベットから帰化)、アルベルト・謙也・藤森(元ペルー大統領。国籍法の趣旨に反し日本とペルーの二重国籍を保持)など、個性的な候補者を擁立。しょむ系候補の出馬先、及び支持者の投票先として一定の役割を果たしたのではないかと考えられる。
なお、上記以外にも、右派系人士の結集を目指した「日本国民政治連合」(略称「日本」)や、リベラル系・左派系芸能人、文化人らを結集した二院クラブ、革新自由連合、無党派市民連合などもしょむ系結集の試みの1つとしてあげられる。また、しょむ系候補が様々なしょむ系政党を渡り歩くことは往々にして見られる。
◎若者たち
この項目では、20代・30代の若者の代表として出馬した候補者にスポットを当てる。
○松下幸治
大前研一の「一新塾」出身で、大阪市長選などに出馬。
「現市長を助役に」という公約は度肝を抜いたが、後に宮崎県知事となった東国原英夫(そのまんま東)は、前職後継の対立候補(自民党代議士の息子で自公推薦)の副知事任命を試みており、ある意味時代を先取りする公約だったとも言えよう。現在も政治家を目指して活動中。
○小谷豪純
2003年大阪市長選に出馬。子役出身のミュージシャンでコンビニ店員というプロフィールや、「51%の支持を得た政策を実行」という直接民主制的な政策が話題となった。
○谷智彦
IT会社社長。「在日外国人や被差別部落出身者の人権拡大につながる」として人権擁護法案に反対するネット右翼たちが、この法案への注意喚起のために都議選に候補者を立てようと電子掲示板で議論。そこで「自分が立つ」と名乗りを上げたのが谷だった。
選挙公報には「ギコ猫」など「2ちゃんねる」で使われるアスキーアートのイラストを載せ、目黒選挙区からの出馬にもかかわらず街頭演説は主に秋葉原を中心に行なった。
○山下万葉
2005年衆院選に出馬。「ディズニーランドの少女を外交特使に」「アニメ・声優人材バンクで雇用確保」「巫女さんのサポート」「アニメ専門国営テレビ設立」「女子プロ野球リーグ設立」「男女混浴スーパー銭湯設立」など、オタク丸出しな公約が話題を呼んだ。投票日直前に被選挙権を得るという年齢の若さも話題となった。
○村上明日香
2008年小山市長選に出馬し落選した、29歳の保険外交員。出馬表明は告示の2日前だった。「市政に不満は無いが、私なら小山をもっと楽しく明るくできる」「市民が夢を持てる、ディズニーランドみたいな施設をつくりたい」などと主張した。
他にも、「ディレッタント」(好事家)を名乗り、2007年都知事選でブログ公開以外一切選挙活動を行わなかった鞠子公一郎、デイトレーダーとして新たなビジネスチャンスを発掘すべく2005年衆院選に出馬した伊藤洋二、「就職活動」として2007年夕張市長選に出馬したフリーター作出龍一、「公営アダルトヴィデオ製作スタジオ設立」を公約に大阪市長選に出馬した派遣社員藤井永悟などがいる。
衆院および都道府県議、市区長村議は投票日までに満25歳、参院および都道府県知事、市区町村長は投票日までに満30歳以上なら出馬可能。更に国政選挙と首長選挙は居住地以外の選挙でも出馬可能。今後も果敢に挑戦する若者に期待。出馬を躊躇している若者も、「サンクチュアリ」(アニメ、漫画)、「(当)タネダミキオでございます」「マルクスガール」「永田町ストロベリィ」(漫画)、「岡本でございます」(ドラマ)、「ノーマニフェスト for UESHIMA」(映画)、「永田町で逢いましょう」(ライトノヴェル)など、サブカル関係でも多数参考文献が出ている。いざ勃て若者。
◎老人力
次代を担うのは若者だが、老人とて決して負けていない。70代以上でもパワフルに活動する老人候補をピックアップ。
○日本世直し党
福岡出身で神奈川県大和市在住の歯科医師、重松九州男らにより、「日本世直し会」を母体として結党。「日本版緑の党」「武士道実践政党」と称し、首相公選制と議員定数削減、医療・教育の無料化など、リベラルな政策を訴えた。
1995年参院選まで出馬。政見放送では訛りのきつい九州弁で政策を訴えた。現在は活動を停止しているが、本部のあった場所では現在も歯科医院が開業されている。
○上田哲
高校非常勤講師を経て、NHK記者・労組委員長となる。NHK記者時代はポリオ(急性灰白髄炎)根絶に尽力。映画「われ一つの麦なれど」のモデルとなる。
1968年参院選に日本社会党公認で、全国区より出馬し当選。その後衆院に鞍替え。その間、社会党教育宣伝局長、議員会副会長等を歴任。派閥は中間右派の「火曜会」に所属し、「社会主義協会」など左派とは対立していた。
党内きっての護憲派として知られ、小選挙区制導入にも反対だった。法案採決について国民投票を実施する「国民投票制度」(レファレンダム)導入にも尽力した。社会党委員長選には左派系候補として2回出馬しているが、いずれも落選している。
1993年衆院選で、小選挙区制反対を理由に支持母体の労組「連合」から推薦を外され、得票が伸びず落選。その後社会党を離党し、「護憲新党あかつき」を結成、代表に就任。1995年都知事選には「無党派の代表」と称して出馬。同年参院選にはスポーツ平和党共同代表として比例区より出馬し、落選している。「スポ平」からの出馬について、「『あかつき』とスポ平は合併した。党名は『スポーツ平和党・あかつき』とするはずだったが、今回の選挙では変更手続きが間に合わなかった」と説明している。1998年参院選には自由連合に公認を申請するも却下され、無所属で出馬。2000年衆院選では「社会党」を結成し、委員長として比例区東京ブロックより出馬。2001年参院選には「老人と若者の連帯」を訴え無所属で出馬。98年以降の選挙では、ポスターに大きく「怒」の文字を書き、首相官邸に抗議の電話をかける「十円玉運動」を提唱していた。なお、93年以降出馬した選挙には全て落選している。
2001年参院選を最後に選挙への出馬は無かったが、なだいなだ(作家、精神科医)の提唱する「老人党」へ参加し、また「社団法人マスコミ世論研究所」理事長として雑誌「月刊マスコミ市民」編集やネットTV「世論力TV」運営に携わっていた。
「社会党」は自由連合の得票を上回るなど健闘した。しかし、社民党からは「似たような党名で票をかすめ取った」と猛烈に非難された。また、90年代半ばより革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)主催の政治集会の弁士となるなど、革マル派と接近していたことから、95年都知事選で青島幸男を支援する中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)から「ファシストカクマル系候補者の上田を絶対当選させるな」と批判されていた。
度重なる選挙出馬のため生活が困窮し、自宅や車などの私財を投げ打ち、近年は体調も崩しぎみだったが、入院中でも平和集会に移動ベッドで参加するなど、政治への強い思いは衰えていなかった。2008年12月17日死去。
なお、「あかつき」は岐阜県本部が残っており、県知事選挙で共産党などと共に革新系候補の擁立を行なっている。
○川村嵐子
2001年参院選、2003年横浜市議選に無所属で出馬。初出馬時は76歳だった。「弱者に思いやりある政策」を掲げ、高齢者・障害者福祉、環境保護、高齢者の雇用促進などを訴えた。2001年参院選では新社会党公認候補の坂内義子(「キリスト者政治連盟」副委員長、「日本友和会」所属)の得票を上回るなど健闘した。
他にも、不明瞭な口調ながら「不幸なものを無くす」と訴えた三井理峯、「1円募金運動」を実践し7度の選挙に出馬している辻稔種、苦節40年目にして初当選を飾り福井市議となった嶋田勝次郎らがいる。平均寿命が延び、今や「生涯現役」の時代である。サラリーマンを定年退職後、第2の人生として政治家の道を選ぶのも一考である。
◎その他のしょむ系候補
○在日党
李英和(関西大学経済学部教授、朝鮮民主主義人民共和国亡命者支援などを行なう団体「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク((RENK)」代表)により結成。在日外国人の参政権承認を訴える。
選挙の公示・告示日には立候補の手続きを選挙管理委員会で行なおうとするが受理されず、街頭演説で届出が不受理となったことを報告するとともに在日外国人参政権を認めるよう訴えるのが定番となっている。
なお、元外国籍保持者で議員となった者としては、新井将敬(朝鮮、元大蔵官僚)、ツルネン・マルテイ(フィンランド、元牧師)、蓮舫(台湾、元グラビアアイドル)、白眞勲(韓国、元新聞社社員)らがいる。
○羽柴誠三秀吉
「羽柴秀吉の生まれ変わり」を自称。2007年夕張市長選では前職後継で事実上多党相乗りの候補と接戦の末次点、同年の参院選でも5位ながら社民党候補の得票を抜くなど、近年は健闘している。現在も大阪での天下取りの夢を捨てていないが、後援会の意向により当面は主に夕張市周辺で活動する模様。
○吉永二千六百年
名前は本名であり、「よしなが・ふじむね」と読む。その名の通り「皇紀二千六百年」(1940年)の生まれ。病院・医療法人理事。1971年(参院全国区、無所属)、2000年(衆院熊本5区、自由党)の2回の選挙に出馬、落選。2005年7月21日、病院乗っ取りを目的とした理事会議事録偽造の容疑で逮捕され、熊本地裁での裁判では検察から懲役1年8ヶ月を求刑されている。
○佐佐木アシュファ麻コ
本名は佐佐木麻コで、「アシュファ」は洗礼名と本人は主張している。川砂輸入と海運の会社を経営。2002年香川県知事選に出馬、落選。強烈な名前やインパクトのある風貌、ピンクを基調としたド派手なデザインのサイト(現在は閉鎖)、ドスの効いた声での街頭演説などが話題となった。選挙では川砂輸入をめぐって対立する県を批判し、公共事業のあり方の見直しを訴えた。
○水谷洋一
冷蔵倉庫会社「西宮冷蔵」社長、河本三郎(元自民党衆院議員、故人)の元秘書。2002年、雪印食品の牛肉偽装を告発し話題となる。同年10月の衆院大阪10区補選に出馬、落選。その後、西宮冷蔵も偽装に加担したと扱われ、営業停止処分を受け経営危機に陥る。しかし社屋に住み込み生活費を切り詰めつつ、街頭でカンパを募るなどで再建資金を集め、2004年2月より営業再開。
西宮冷蔵の営業停止から再建のプロセスは、ドキュメンタリー映画やNHKの再現ドラマとして映像化されている。
その他、都知事選出馬の様子を映画「魚からダイオキシン!!」で映像化した内田裕也、独特の笑顔で「スマイルセラピーで美しい日本人を再生」と訴える「日本スマイル党」(党首:マック赤坂)、「政治2.0」を標榜し選挙活動でのインターネット活用全面解禁を求める神田敏晶(ITジャーナリスト、飲食店「BarTube」経営)など、個性的なしょむ系候補が続々出馬している。
◎海外のしょむ系候補
海外にも様々な政党や無所属候補が存在する。
○アメリカ
アメリカといえば保守2大政党制だが、大統領選に候補者を出している改革党や緑の党、その他、リバタリアン党、憲法党、アメリカ共産党、社会主義労働者党など、様々な政党が存在する。
また無所属としては、カリフォルニア州知事選出馬したカートライト・マイヤー(相撲のコスプレをした日本マニア)やメアリー・ケアリー(元ポルノ女優)などがいる。
○イギリス
自由党と社会民主党(労働党右派を中心に結党)が合併した自由民主党が有名だが、それ以外にもイギリス共産党や極右のイギリス国民戦線などがある。連合国家のためか、スコットランド共産党やシン・フェイン党(北アイルランドの民族主義政党。アイルランド共和軍系)などの地域政党も存在する。
○ドイツ
環境政党のさきがけ「緑の党」が有名。他にはドイツ憲法裁判所の違憲判決により解散させられ、後に再結党したドイツ共産党、さらに労働の否定や麻薬合法化を公約とする「無政府主義ポゴ党」などがある。
○フランス
フランスは小選挙区制だが、全候補者が過半数に達しない場合は上位者(12.5%以上得票の候補)で決選投票を行なうため、比較的多様な政党が議会に進出している。
左翼は革命的共産主義者同盟(トロツキー系、2009年1月より「反資本主義新党」に移行予定)や「労働者の闘争党」(トロツキー系)などがあり、これらは近年ではフランス共産党を上回る支持を獲得している。環境政党は左派寄りの「緑の党」や右派寄りの「環境世代」などが存在。
右翼は国民戦線や、そこから分裂した国民共和運動などが存在。国民戦線は2002年大統領選で党首ジャン・マリー・ルペンが決選投票に進出し、「ファシストの大統領が誕生するのでは」と国内外に衝撃を与えた。他には「伝統保守」を掲げる「狩猟、釣り、自然、伝統」などがある。
○イタリア
上下両院とも比例代表制を採っていたため、左右共々多くの政党が存在。ただし与野党対決の構図は、ほぼ「野党共産党vsそれ以外の全政党」というものであった。
西ヨーロッパ最大と言われた「イタリア共産党」はリベラル系の「左翼民主党」(後にカトリック系保守政党と合併し「民主党」)となる際、共産主義路線堅持を主張する「共産主義再建党」が分裂。さらに左派連立政権への評価をめぐり、離脱派の再建党と残留派の「イタリア共産主義者党」とに分裂している。
旧ファシスト党もネオファシストとして活動。政権与党の「国民同盟」(旧「イタリア社会運動」)や、アレッサンドラ・ムッソリーニ(ベニート・ムッソリーニの孫娘。欧州議会議員、女優、外科医)が党首を務める「社会行動」などがある。かつては「君主党」など、王政復古主義の政党も活動していた(現在は国民同盟に糾合)。
ポルノ女優から議員となったラ・チチョリーナ(シュターッレル・アンナ・イロナ)も、環境政党の「緑の党」(現「緑の連盟」)およびリバタリアン系の「急進党」(現「イタリア急進主義者」)出身であり、後に「愛の党」を結成している。
サルディニア地方や南チロル地方では地域政党の活動も活発。
そして、海外のしょむ系の中でも、特に個性の強いものをいくつかピックアップ。
○良心的勤労回避連盟(デンマーク)
1979年、ヤコブ・ハウゴー(コメディアン)らにより結党。1994年デンマーク議会選挙に当選。その時の選挙ポスターは女装姿だった。「8時間の余暇と8時間の休憩、8時間の睡眠」「労働は全てドイツ人にやらせる」などの公約を掲げたが、元々落選することが前提での出馬だったため、殆どの公約は果たせず、ハウゴーは真面目に議会に出席し続け、1期で引退した。
○慈善・自由・多様党(オランダ)
2006年結党。12歳以上の性行為とポルノ出演合法化、獣姦合法化等を公約とする。結党直後、彼らの選挙出馬に反対する運動が相次いだ。
○女性党(ポーランド)
マニュエラ・グレツコウスカ(脚本家)を党総裁に2007年に結党。社会での女性の地位向上などを公約としており、女優やボクシング選手など約1500人の党員がいる。
候補者のヌードを載せ、「女性の党、ポーランドは女性の国」「明るい未来のために、隠すことは何もない」などのスローガンの書かれた選挙ポスターが話題となった。このポスター製作について、グレツコウスカは「スーツを着ただんまり屋ばかり政界で古臭い固定観念を打ち破りたかった」と語ったという。
◎なぜしょむ系候補は排除されるのか?
しょむ系候補も有力候補や大政党所属候補と全く同じ条件で出馬しているにもかかわらず、マスコミ報道では大半は「主な候補者」として有力候補しか掲載されず、青年会議所や「リンカーンフォーラム」(松下政経塾系)らの主催する選挙候補者討論会でも、「意図的に呼ばず、抗議されても無視するように」とマニュアルに記載されるなど、しょむ系は排除されている。どうしてこのようなことが起きているのだろうか?
かつて肥後亨や高田がん(高田巌)らが設立した「肥後亨事務所」は、候補者名を番号にした「背番号候補」や、既に死亡した人物になり済ましての立候補、対立候補に似た名前、もしくは対立候補をあからさまに揶揄した名前を通称として出馬しようとするなど、特異な行動が目立った。さらに、彼らが与党系議員から資金援助を受けて出馬していたことや、選挙管理委員会から支給される選挙活動に必要な道具(候補者ビラに貼る証紙など)を転売していたことなどが発覚。これらの候補に批判が相次いだ。
また、小田俊与(総会屋、右翼活動家、兄の元代議士小田天界もしょむ系として知られる)は、郵送で立候補手続きができた時代に500回以上の選挙に出馬続け、各地の選挙管理委員会の混乱を招き、「幽霊候補」と白眼視された。
さらに、街頭演説の横で軍歌や罵声を大音量で流すなど、右翼系候補による野党候補への妨害活動も目立った。そして、酢の健康効果を訴えた「日本愛酢党」の長田正松らのように、選挙公報や政見放送を自ら経営する会社の広告・宣伝に使うなど、売名的な出馬の事例もあった。
これらの動きから次第にしょむ系候補への風当たりが強くなり、有力候補以外は殆ど情報が提供されないという事態となった。
なお、このような現状に対し、「風の会」の野村秋介や「希望」の藤本敏夫、そしてドクター中松などは、裁判やマスコミ各社への申し入れ等により抗議活動を展開している。
泡沫候補っていうな!!
あとがき
以上、多くの個性的なしょむ系候補を見てきた。他にも「新自由クラブ」およびその派生党派(税金党、進歩党、進歩自由連合、文化党、平成竜馬の会、新党地球の福祉)、日本国民政治連合に結集したしょむ系人士、そして国民政治連合・日本福祉党・太陽新党・全婦会救国党の複雑な関係など、書き残したことは山とあるが、それは別の機会に何とかまとめていきたい。
選挙結果を見て、投票率の低さや白票・無効票の多さに落胆させられることが多々ある。特に、下位落選候補者の得票を白票・無効票が上回っている場合、「選挙権は先人が過酷な闘争を通じて勝ち取った貴重な権利だというのに、なぜもっと有効に使わないのか?」と怒りすらおぼえることがある。
政治不信が高まっている状況での選挙において、「棄権(もしくは白票、「該当者無し」など批判的語句を書いた無効票)で抗議の意志を示した」と自信満々に語っている姿を新聞やTV、ブログなどで目撃することもあるが、全く無意味な行動であると言わざるを得ない。棄権・白票・無効票は「当選に必要な得票数が減少し、企業や宗教団体などの締め付けにより組織票を得ている大政党の有力候補が有利になる」という結果しかもたらさない。政治不信に対する抗議の意志を示すには、やはり特定の候補に投票する以外無いのである(なお、政治不信への抗議を直接表す手段として、特定候補へのネガティブキャンペーンを行なう「落選運動」や、特定候補への不信任票を投票できるようにする「マイナス投票制度」導入などが提唱されているが、現段階では大きな動きとはなっていない)。
また、前述の通り、しょむ系候補は報道等で排除されている。しかし得票が増え、有力候補と拮抗することとなればマスコミ等も注目せざるを得なくなる。それが公正な政治報道・選挙報道を確立するきっかけとなるとも考えられる。さらに中川暢三(現加西市長)や嶋田勝次郎(福井市議)のように、当選した事例もある。投票すれば必ず結果は出てくるのである。
「選択肢が無い」「誰が政治をやっても何も変わらない」と嘆く前に、まずは、
しょむ系候補に託してみないか?