図書館

トイレから戻る途中、
すれ違った相手のほのかな香りに振り向いたが、
窓から入る日差しで目を細めている間に姿は消えていた。

普段いる日常より足音が大きく聞こえる。
うるさくしてはいけないこの場所で、
ページをめくる時の紙の擦れる音。
ノートに字を書く音。
本を取りに歩く足音。
小声で話す係員の会話。
必要最低限の音しかないこの場所はまさに天国と言える。

空調がほどよく効いていることに、
昼を過ぎていることもあって、
暑さ対策に利用している人も多い。
人数が増えても個人で時間を過ごしている限り問題は無い。

問題があるとすると会話をする人たちで、
小声だろうとこれだけ静かな中ではよく聞こえる。
すぐに係員が注意に向かうが、
その行動自体に目が行ってしまうくらい、
この場では目障りな行動。

ふと目に飛び込んできた窓に張り付いている、
虫が夏の暑さを物語っている。
虫でさえ涼しい場所を求めている時間帯に、
人々がこの場に来ることは理にかなっている。
無料で涼しく静かな環境で、
本まで読めるなんてとても理想的な場所。


しかし男がこの場へ来ている目的は1つ。
去年失敗した大学入試を無事に乗り切る為毎日通いつめている。
さすがに毎日毎日来る人なんて限られているから、
係員に顔くらいは覚えられてしまった。

春から始めた日課とも言えるこの行動も既に夏を過ぎ、
秋へ向かおうとしている。
去年の今頃を思い返すと怠けていた男は恥ずかしくなる。
なんとかなるだろうとタカをくくっていたツケがこの1年。
二度とあの悔しさを味あわない為にも忘れてはいけない現実。
それが男を毎日この場へと向かわせる。

クラスメートや周囲にいた大半は、
大学や専門学校へと進学を決めたあの春。
1人置いてけぼりをくらい憂鬱になった時散々聞いた、
上辺だけのあの言葉たち。

「大丈夫だよ。」

「なんとかなるさ。」

「他にもいっぱいいるって。」

本心では馬鹿にしていることが分かっていたから、
どんな言葉にも心を開くことはできなかった。
所詮その場があるから集まっているだけの関係で、
本心からの言葉を掛け合う間柄になれた相手など、
存在していなかっただけのこと。
男は自分から周りとの交流を避けるようになり、
今では孤独を避けるようにこの場に居座っている。

しかし世間からどう思われようと構わなかった。
ここへ毎日来て勉強していると落ち着ける。
自分を知る者もいないから他人の視線も気にならない。

誰もが接点を持たない環境だからこそ、
毎日が1日目の連続で2日目になることはない。
周囲に溶け込んでいるという錯覚が今の男には快適だった。


席へ戻ると若干物の位置がずれているが、
4人で1つのテーブルを共有しているため、
雑な人が同じテーブルにいると立ち上がる時の反動で、
ついつい動いてしまうこともある。

さして気にもせず続きを始めるが、
ガタっという音と共にテーブルがずれた。
小声で「ごめんなさい。」と聞こえ、
男も愛想笑いをして場を納めるが、
集中し始めに起きた事故で再び立ち上がる。

普段は見ない本。
目に飛び込んできた棚は好きだった絵画が並んでいる。
高校時代には美術館へ行っては絵画を鑑賞していたが、
卒業と共に行くこともなくなっていた。

いくつか手に取って見ると偽りだらけの過去が蘇る。

本気で笑って、
本気で泣いて、
本気で喜んで、
本気で怒っていたあの頃。

それが全て破り捨てれば消えてしまうだけの、
薄っぺらな紙切れだったなんて、
当時は思ってもいなかった。

何百年も大切にされ億単位の価値を持つ絵画もあれば、
ゴミのように捨てられてしまうだけの記憶という紙もある。
鼻で笑うと資料を戻し席へと戻る。


今度こそ集中するぞと意気込んで、
参考書を開き問題を解こうとノートに目を向けると、
1枚の紙切れが挟まっていた。
それは自分の字ではない明らかに女の子の、
それも見覚えのある字で一言書かれていた。

【がんばれ】

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  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-11-09

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