イン・ザ・シャドウ・オブ・ムーン

ふとおもいついた程度の趣味的な初心者なので活字もほぼ読まない小説の書き方の知識、著作権法の知識とかすらない人間が、まえがきやあとがき、概要を書く程のものではなく自分なりのつたない内容かとは思いますが、もしストーリーを楽しんでいただけたら幸いです。何とぞお手柔らかにお願い致します。

俺はずっと逃げていた。

そう、自分はずっと逃げてきた。

名前は柏木昇、27歳。

今まで適当に楽しく生きていればそれでいいと思って、これといって何か夢のような目標もなく成長して…こなかった。

そのツケが来たのは大人になってからでフリーターをやりながら、ずっと気楽に生きてきたけど長く付き合っていた彼女が結婚を望んでいることに重圧を受けつつも思い切ってステップアップしようと思った。しかし頑張って探した正社員というものは予想以上に大変なもので精神を鍛える、ということをしてこなかった自分はその空気に耐えられずに時には会社に不満をまき散らして事実上のクビみたいな形で契約満了で辞めていった。それをいくつか続けていくウチに自分にも自信を完全に失って世間に居場所がなくなったと思い込み、うつ病を患い彼女にも最後には見放された。

その時から精神科の病院に通いつつも自分に社会の不適合者の烙印をあえて押して逆ギレしたかのように胸を張って堂々と親からの仕送りでニートをしながら一人暮らしを何年もしてきて今に至る。だから自分は今のライフスタイルをある程度は気に入っている。誰かの顔色を伺わずに何よりも自分らしく生きていたかったから。なので自分からあえて最低限の人間関係を構築して、それ以外はすべて切り捨てる。もちろん自責の念がないわけではないけれど。

家事は自分でやらないといけないけれど、それ以外はすべて趣味や睡眠、たまには酒なんかも一部の親しい友達と楽しんでいた。もちろん自分は病気で療養中、という設定で。それに実際に病んでいるのも確かであるし。

ある日、自分は毎週お得価格のもやしとお肉が売っているスーパーへと買いだしへエコバックを持って軽快に足を運ぶ。なんでもないこのあたり前の習慣、だったはずだった。あんなことが起こるまでは。

自転車を漕いでスーパーへ向かう最中の踏切。そこに行くと明らかに尋常ではない光景を目の当たりにしてしまった。

中年ほどの女性が線路内で足を押さえて顔を歪めて倒れている。そしてそれを見て必死に助けを呼んでいる娘さんらしき人。このままではこの女性は間違いなく電車にひかれてしまうのは間違いない。でも娘さんの声も虚しく周囲の人たちは足がすくんでいるのはわかる。誰も見ていながら何もできない硬直状態が刻々と迫っている。

その時に最近見たネットニュースのことを自分はふと思い出した。この同じような状況で線路の中へ勇敢に駆けていき老人を助けて亡くなったというニュースを。まさに美談そのものである。

自分はこれまで散々、自分勝手なことをしてきた。今さら誰かに許してもらおうなんて思ったりしない。英雄に奉ってほしいわけでもない。でも、もしこの世に神様なんて存在が本当にあるとすれば、もしこの人を助けて死んだら天国って場所くらいには連れて行ってもらえるのかな?と。そして同時にこれで自分が死ぬことができれば、もうこんなみんな仮面をつけた嘘っぱちだらけの他人の空気を読まないと他人から認められない息苦しい日本人特有の“和の精神”の世界から本当に逃げられる、と。まさに一石二鳥だった。

そう思った瞬間に自転車を投げ捨てて、とっさににその女性へと一直線に向かった。この人だけはせめて助けてやらないと。こんな腐った自覚のある自分にだって少しくらいは正義感のカケラは残っている。運動不足の身体を必死に動かしてその人を強引に持ち上げる。もう電車は警笛を鳴らしてすぐそこまで来ている。その持ち上げた体制から懸命に足でジャンプをしながら自分の身体ごと線路の外へと女性と一緒に懸命に放り投げる。

自分も含めて女性も助かっていた。自分はうつぶせになりながら興奮を抑えきれていなかった。

周囲の人々から拍手の声が聞こえる。歓声をかけてもらうが状況はよく飲みこめていない。助かった娘さんらしき人の泣き声が聞こえてくる。そして自分はやがて冷静になってこう思った。

『生きることから逃げることにも逃げてしまった。』

そう思った瞬間に悔しさと虚しさが広がった。いいことをしたはずなのにたくさんの人に褒められても、ちっとも嬉しくなんかない。そして静かにその場面を去っていこうと瞬間にその女性の20歳前後に見える娘さんが涙ぐみながら声をかけてきた。

「本当にありがとうございます!あなたがいなかったら母は助かっていなかったですから。もしよろしければお礼がしたいので連絡先を教えていただくことはできないでしょうか?まずは母を病院へ連れていかないといけないですし。というか、お怪我があるといけないので一緒に救急車へ乗っていきませんか?」自分は怪我がないことを伝え、お礼もいらないと丁重に断って自分を引きとめようとした彼女の声を半ばスルーして、そそくさと自転車お立てなおしてスーパーへと向かった。そして今日は憂さ晴らしに酒が飲みたい気分になってパンチ力のある缶のハイボールも一緒に買って自宅へと帰っていった。



数日後、なれない運動?をしたせいか身体が軽い筋肉痛になりながらも今日は別のスーパーで焼きそばやうどんの麺が安いので重い足取りで出かける。いくら仕送りをもらっても自炊くらいしないとお金に困ってしまうからである。とは言っても料理のレパートリーなど両手で数えるくらいしかないけれど。焼きうどんにカレー、肉じゃがに煮玉子など…あとはそれらをアレンジしたようなもの。実に偏ったものである。しかしタンパク質も野菜も炭水化物も摂っているし。自分なりには実にマンネリといえバランスのいい食事だと思っている。そんな感じで一週間分の食料をしっかりと溜め込む。さらにコーヒー中毒の自分はちょうどコーヒーの粉やミルク、砂糖といったものを切らしていたので一緒にレジに持っていく。味にこだわりはないので、いつも安物ばかりだ。

そして会計を終えた自分は店を出て自転車置き場へと歩いていく。本日の買い物ミッションは終了だ。そんな感じで荷物をカゴに入れて聴いていたスマートフォンからのラジオ番組を止めてイヤホンをポケットの中にしまい自転車にまたがろうとする。その時に「あっ!」という声がそばで聞こえてきた。

すると女の子が自分の腕をがっしりと掴む。そして息を切らしながら「ようやく見つけました!」と一言。

自分はいきなりの出来事に状況がまったく飲み込めない。まさか何か痴漢まがいのことを誰かと勘違いされたのではないか?と頭が混乱する。すると近くにいた中年の女性が「ずっとあなを探していたのですよ」と。2人の顔を見るとどこか見覚えがあるような気がするのだが思い出せない。本当に自分にとってどうでもいいことはすぐに忘れてしまうのが癖なのが実に痛い話である。そうした困惑した顔で「えーっと…」とつぶやく自分の雰囲気を察した女の子は「あの、前に私たち踏切で助けてもらった人間ですよ。覚えていないですか?」と一言。その時「あっ!」とすべてを思い出した。あれだけのおおごとをやっておきながら忘れているなど、まさに不覚。確かにそんな事件は間違いなくあった。

そして女性は「ずっとあなたのことを探していたのですよ。あなたはあれからすぐにいなくなってしまいましたが、あれだけのことをしてもらっておいて何も恩をせずに終わるなど私にはできません。そして顔を覚えている娘にここら手伝ってもらっていたのです。多分この周辺の住人でしょうかと思いまして。」
そしてさらに女性は「もしよろしければなんですが、これからお時間は空いているでしょうか?よければ自宅へ車で案内しますのでそこでお礼がしたいので。」と

『なんて律儀な人たちなんだ。たかがこんな一般人を探す為にこの周辺をずっと探していたのか。』と思った。しかし自分の答えは既に決まっていた。

「お気遣いありがとうございます。しかし自分はこの通り自転車がありますし荷物も冷蔵庫に入れたりしないといけないので。お気持ちだけで十分です。なのでこれ以上、特に何かしていただかなくて結構ですよ。」と軽く会釈をして去ろうとする。しかし娘さんは自分の腕を離そうとしない。そして娘さんが「じゃあ車であなたのあとについて行くので荷物を置いたらウチに来てください。本当にお願いします。」と頭を深々と下げられてしまう。自分は苦笑いしながらもはやこの状況から逃げることはできない、もっと気の利いた言い訳にしておくべきだった、と後悔しつつも「わかりました。じゃあ、ここから近所なのでそんなに時間はかからない場所なので。」と言うと2人は近くに停めてあった高級車に執事みたいな人にドアを開けてもらって乗っていく。こりゃ完全に俺とは住む世界が違いすぎるな(苦笑)、と。そして自転車を漕ぎながら

『ああ、ラジオの続きが聴きたかったな。』



しばらくして荷物と自転車を自宅に置いて、その高級車に乗せてもらう。でお互いに自己紹介をしていなかったことに気付きご挨拶する。お母さんの名前は早川麻里奈さん、娘さんはひかりさんというらしい。ひかりさんは現在女子大の2年生の19歳。で普段は自分の家とはまったく離れた場所に住んでいるらしいのだが、あの時は知人がこちらに住んでいたといことで来ていたようだ。まあウチの周辺は地価があまり高くなさそうだし当然か。

にしても、それなら何故あの事件の時に車ではなく歩いていたのだろうか?と。それを聞くと女性は「あの時は本当に気分転換で知り合いのところへ電車と徒歩で行きたいと思っていたのですよ。いつも車ばかりじゃ運動不足になってしまいますからね。しかしその選択が柏木さんに多大なご迷惑をかけてしまいました。非常にお恥ずかしい限りです。」とお辞儀をする。とっさに自分も反射神経的に「いやいや、もうそういうのは結構なんで。自分はそんな大したことしたわけじゃないんで。」そう、もし助けた本当の理由を知ればきっとこの人達は自分の見る目を180度変えるだろう。だからお礼をされるなんてむしろ失礼に値するのだ。

そして小一時間ほど執事さんらしき人の運転で車に揺られると、やがて高級住宅街のような場所に入り込んだ。つくづく庶民の自分とはまったく無縁そうな場所だと感じる。そして門がついた敷地に入り高級そうな日本家屋が見えてくる。そこで車は止まって待ち構えていたメイドさんに「ようこそいらしてくださいました」とドアを開けてもらって挨拶を受ける。自分も挨拶をしてメイドさんと2人のあとを申し訳なさそうについて行く。『やっぱ俺って場違いだよなあ(笑)』と肩身の狭い想いをしつつもダイニングのような場所へと案内される。どれも高価そうなものばかりのインテリアであることくらいはさすがに自分でもわかる。そしてそこに1人の貫禄のある男性が座っている。

「お父さん、ただいま~。」娘さんが発する。これが家主の方か。オーラがなんとなくすごいのは言うまでもない。でも人を寄せ付けない、というわけでもない。そして男性も「おかえり。その方がもしかして先日お世話になったお方か?」と。娘さんは笑顔でうなずいて「柏木昇さんていうんだよ。」。すると男性は席を立って自分の方へと向かって歩いてきて自分の手をギュッと握る。「私はここの主の早川徳丸と申します。本当に君にはどう感謝を述べたらいいのかわからない。もし君が妻を助けていなければこの家の中の人間はみなどんよりとした暗くて重い雰囲気で立ち込めていただろう。だが君の勇気ある行動こそが我が家を救ってくれた。ありきたりな言葉かもしれないが本当にありがとう。」と自分の目をじっと見て話しかけられた。自分は目を見て話すのが苦手なのでそっと視線をそらして「それは言い過ぎですよ。あはは…。」

そしてその時、自分はある考えを思いついてそれを実行にうつした。「それにそんな言葉は本当にもったいないです。実は自分はこんな成人なのに、ずっと働かないでアニメみたいなオタクな趣味ばかりしているような人間なのですよ。だから本当はこんな場所に来ていい人間じゃないんですよ。ほら、そんな人間ってダメダメな上にやっぱり気持ち悪いじゃないですか(笑)。」

そう、実行とは嫌われることを目的としていたのだ。正直、人生でほとんど褒めれれたことのない自分としては、あまりにも褒められすぎてリズムが狂う。それに明らかにこんなところは場違いだ。こんなまぶしい場所に自分が相応しいはずもない。なら本当のことを言ってしまって一般の人からすれば偏見で見られるような印象を与えることで見下してもらって、さっさと帰ってもらうべきだ、という雰囲気を作ることで帰って気楽にアニラジの続きでも聴いていた方が自分らしいと思ったからだ。しかし残念ながら自分の企みは完全に失敗してしまった。

すると徳丸さんは「だからどうしたというのかね?君の過去に何があったのかはわからない。だが君が私たち家族を救ってくれたことには何も変わらない。私はもしそんな理由で家族の命を救ってくれた人間を周囲の者が侮辱する人間がいたら激怒して説教するだろう。」。この人が何で今の地位を得たのかわかるような気がした。言葉にはうまく説明できないけれども、この人にはものすごい人徳があるのだろう。そしてそれは家族にも伝わっていく。自分もこんな人間にもっと早く出会っていたら運命も変わっていたかもしれない、と。でももう遅いことも十分に受け入れている自分もいる。それが現実だ。

さらに「そして君はアニメが好きなのか?いやあ恥ずかしながら私も昔はアニメ大好き少年だったのでな!今のアニメについてはさすがにわからないが昔はロボット物が大好きで今でも物置にはしっかりと当時、買ったたくさんのフィギュアが残っているもんだよ。だから少なくとも君を偏見で見る理由は特に無いな。ガッハッハ!」。この人は本当に何者だ?アニメ耐性まであるとは!これじゃあ自分の作戦は失敗じゃないか。そして近くに座っている麻里奈さんは微笑ましく、ひかりさんも何故か嬉しそうな、そしてモジモジしながら話を聞いていた。

そうこうしている内に何やら高級料理のようなものが机に続々とならんでいく。そしてビールやワインなどのお酒も一緒に。テーブルマナーの知識のない自分はどうやってこれらをいただいたらいのだろうか?と思いつつ徳丸さんが「ささ、まずは椅子に座ってくれたまえ。こんなことだけで恩を返したなんてこれっぽっちも思っていないが、まずは食事を楽しんでいってほしい。時に柏木君。君はお酒は飲める方かね?」。さすがにこんな場所で羽目を外すわけにはいかない。かと言って安易に盃を交わすことを拒むのも失礼だ。自分は「お酒は好きなんですけど弱くて。」。と答えると徳丸さんは「結構、結構。もし酔いつぶれてもウチに泊まっていきなさい。朝寝坊してもらっても構わないしな。そうなると私もこんなに嬉しい時だからたくさん飲むかな。」とニヤニヤする。すると麻里奈さんが「お父さん、あんまり調子に乗らないでくださいよ。」と笑顔でお小言。徳丸さんも負けじと「母さん、こんな気分の良い日くらいいいじゃないか。それに母さんだってたまには飲むだろ?」と言いくるめる。すると麻里奈さんも諦めたかのように「もう、しょうがないわねえ。たまには私も付き合うわ。でも、ほどほどにしてくださいね。」。徳丸さんはさらに上機嫌となり乾杯の音頭をとり自分は最初の1杯だけはメイドさんの静止を振りきってコップにビールを注いでくれる。自分もそれをぐびっと飲み干す。それを見て楽しくなってきた徳丸さんも楽しく日本酒を飲む。麻里奈さんは淡々とニコニコしながら飲んでいる。ひかりさんだけは未成年なのでジュースだったが、もう少ししたら大人になるからその時はみんなと一緒に飲む、と意気込んでいる。

そんな形で晩餐は大盛り上がりで幕を閉じた。



自分は徳丸さんに勧められるがままされたせいか、さすがに飲み過ぎた。徳丸さんも天国に行ったかのように酔いつぶれている。麻里奈さんはざるのようなハイペースで飲んでいてもまるで何もなかったかのように振る舞っている。この人は何てアルコールに強いんだ…。でも夜型生活の自分としては深夜はアニメの放送時間。録画予約はしてあるが、できればライブで見たい派なのだ。ただいくら徳丸さんが泊まっていっていい、と言ってもらってもさすがに他人の家で堂々と深夜アニメをみることができる度胸などない。だから水だけ少しもらって電車で帰るか、と思った時にひかりさんが声をかけてきた。「これから部屋にお布団を用意するのでそれまで少しお話に付き合っていただけなでしょうか?あとお水とお薬も持ってきますね。父のあんな悪乗りに付き合っていただいて本当にありがとうございます。あんな父を、というか家族団らん味わえたのは本当に久しぶりでやっぱり柏木さんのおかげですね。」

現代人らしくない健気な性格。まさにその爪を煎じて自分に飲ませてやりたい。そう思うくらい本当に気の利く女の子だった。そして場所を居間へと移動して一緒に出してもらったお茶を飲みながら話を聞く。「柏木さんは本当に不思議な人ですね。父は普段は仕事が忙しいせいか、なかなか帰ってこないんです。でもこの前の事件の話をしたら家族の大切さを改めて感じ取ってくれたのか、なるべく自宅の書斎で仕事をするようになりました。そして柏木さんをいつでも我が家に迎えられるように待つ為に、とも言っていました。そして今日みたいな家族の笑顔をが見ることができて何とお礼を言っていいのやら。」。重ね重ね丁寧にお辞儀をしてもらう。しかしこれはあくまでも偶然の結果で自分の本意ではない。そしてそれを彼女や他の方々も知らない。

「ところで。」。彼女は堰を切ったように何か言いたかったようなことを切り出す。「柏木さんはアニメが好きなのですか?さっきそれを告白した姿を見てビックリしました。実は友人や家族にもずっと隠してきたんですけど私も隠れてアニメが好きなんですよ。でも誰にも言い出せなくて…柏木さんを見てとても勇気のある人だな、と思いました!」。目をキラキラさせながら声が弾んでいく。そして「あの、もし柏木さんがよろしければアニメを通じての友人になっていただけないでしょうか?柏木さんがどんなものを見ているのか知りたいですし私の見ているアニメと共通点があるかもしれないので話したいんです。私、こういう話ができる友人をずっと欲しかったんですよ。でもオタクって世間では白い目で見られてしまうから怖くて切り出せなくて、ずっと肩身の狭い想いをしてきたので、これはチャンスだと思ったのです。もちろん柏木さんにご迷惑がかからなければ、の話ですけど。」さらに「1番びっくりしたのは父のアニメに対するリアクションでした。てっきりそういうことにはとても厳しい目で見ているのかと思っていました。でも柏木さんのあの言葉で父のポジティブな本心に少しだけ肩の荷がおりた気分でした。そういう意味でも柏木さんにどこか救われたような気がします。」。

予想外の暴露だった。世の中って本当に人が何をしてるかなんて実際に話を聞いてみないと外見だけではわからないものだ。自分がアニメにハマり始めたのは会社を辞めて病院の通院を始めた頃だった。現実という名の三次元に絶望し生きることさえ意義を見出だせずにただ苦痛しかなかった時に、どんな作品かは今はもう覚えていないが、きっと当時は二次元の汚れのない美しさにきっと心惹かれたのだろう。そこからジワリジワリとアニメに引き寄せられて現在では週に新作深夜アニメ作品はほとんど見逃さない上に昼間はアニメのWebラジオをたくさん聴き、生放送動画のアニメ関連番組などの視聴、お金に余裕があればサイリウムを持ってイベントに行ったりBlu-rayBOXなんかも買ったりして夏と冬は国内最大のアニメグッズイベントの行列に並ぶ。まさに二次元づくしである。その変わり極端にライトノベルや漫画、ゲームには手を付けないのだが。ゲームも携帯の無料のものを1つだけラジオを聴きながらやってるくらいだ。あとはアニメ漬けになる前からの趣味であるサッカーやプロレスのテレビ観戦や情報のチェックくらいである。

とにかく暇人、なりにも暇ではない趣味漬けである自分はどうすべきか選択を迫られる。しかしここまで真っ直ぐな目で懇願されてしまうと、その純粋さにどうにも断りづらい。自分の弱点は“人情”という単語に弱いのだ。1つわかっていることは会話をしてみた限りでは、この子は決して自分を偏見で見ない本当にいい女の子であることにも違いない。それに自分はこういう話題を話すとなると生放送動画の生主さんとくらいである。ただこんな場所には相応しい人間ではないことも確かであり、それに葛藤する。家族といっても、これだけの富豪だと親戚なども含めれば厳しい目で見てくることも予想されるからである。しかし『どうなるかわからんが試しにやってみるか。』と思い、とりあえずうなずいて了承した。すると彼女は嬉しそうに反応してくれた。まあ一概にアニメ、といえどジャンルなどの趣味が共通するかはわからない。けれども気まぐれではあるが、こういうこともたまには必要かもしれない、とまずは頑張ってみることにした。



ひかりは朝から大学へと赴いていた。そこそこ名のある名門女子大学である。そこで真面目に授業の講義を必死にノートに書いていると、となりからちゃちゃを入れるようにヒソヒソ声で話しかけてくる友人がいた。彼女の名前は青海(おうみ)直実。特にこの2人はエスカレーター式の学校時代からの親友でよく一緒にいることが多いようだ。直実はどちらかというとひかりのようなお嬢様ではないが親が直実に苦労をさせたくなかったみたいで頑張って共働きで私立の学校へと通えているごくごく普通の庶民である。ひかりとは完全に対照的でストレート、アクティブな性格でスポーツでは陸上の中距離を走っていている身長が高めのアスリートらしいスラっとした手足の人間である。

「ねえねえ、最近なんかニコニコしているような気がするんだけど気のせい?」。そう尋ねられるとひかりは「まあ、ちょっとね(笑)。」と微笑んで返していく。すると直実は「えー、なんか興味あるなあ。教えてよー。」と小突いてくる。ひかりは「最近お友達ができてね。その人がとても面白い人で楽しいんだ。」。直実は「まさか男じゃないよねえ?」と冗談交じりでさらに追求していく。するとひかりは「うん、そうなんだよね。でも何があるってわけでもないし。」と答える。すると直実は突然顔色を変えて「ねえ、おせっかいかもしれないけれど、その人は本当に大丈夫なの?ほら、ひかりの家って色々な付き合いがあるだろうから何か怪しく近づいてくる人だっているでしょ?実際に前だって…。」と心配した顔で真剣に話す。ひかりは即答で「大丈夫だよ。そういう人じゃ全くないからさ。直実が思っているような人とは全然違うからさ。」と笑顔で話す。直実は「そっか。でも気をつけてね。世の中なんて何が起こるかわからないしさ。」。ひかりはその気遣いに「ありがとね。やっぱ長年の親友は頼りになるね。」。そんな雑談をしていると講義が終わって次の授業へ移動になる。お互い別の授業を受ける為に別れる間際に直実が「今度、家に遊びに行ってもいい?」とお誘いを受ける。ひかりは「うん、いいよ。」と答える。すると直実は「じゃあ、あとでメールするね。」と返事をして2人は別々になった。

ひかりは帰宅するとシャワーを浴びて着替えをする。今日は昇がやってくる日だからである。やっと知り合えた同じ趣味の人間なので不思議と楽しみからか若干、高揚するようだ。そして執事の元へと行き、車に乗る。昇を迎えに行くようだ。そして車を走らせると待ち合わせ場所には昇がいる。「どうも。」と昇は会釈する。するとひかりは「もう何度かウチに来てもらっているんですから、もうそんなに堅苦しくなくていいですよ。柏木さんの方が年上なんですし。私の事はひかりて呼んでもらっていいですから。」と気を遣ってもらう。昇はそのお言葉に甘えて「じゃあ、そうさせてもらうよ。ありがとね、ひかりちゃん。」。そんな感じで再びひかりちゃんの自宅にお邪魔させてもらうことになった。

いつものメイドさんに2人でついて行くと、ひかりちゃんの部屋へと案内される。まあなんと芳しい臭いだ。きっとアロマでも炊いているのだろう。そして部屋は洋室でおしゃれなベッドなどの家具が揃っていて本当に綺麗に整理されている。自分もこまめに掃除しておけばこんな風になるんだろうが、とちょっと苦笑いしたくなるくらいであった。普通なら客間なんかで会話をするのだろうが、さすがに趣味の話となると、いくら父親が寛容だということがわかったとはいえ、まだちょっと恥じらいがあるようだ。しかし自分から言わせれば、こんなに簡単に男性を自分の部屋に入れるのもどうかと、と少しツッコミを入れたい気分だった。ただ趣味関連のグッズはひかりちゃんの部屋の“隠し押し入れ”にある以上は部屋にお邪魔するしかないのだ。

そしてメイドさんはお茶を持ってくると言い出て行き、しばらくすると再びノックの音が聞こえる。するとアールグレイの紅茶と焼きたてのスコーンを用意してくれた。和風の家だから緑茶と羊羹とかが来るのかと思っていたが案外この家はそこまでのこだわりはないみたいだ。そしてメイドさんが下がっていくと本題に入っていく。「そういえば先日のアニメ・グレイテスト・カーニバルの話なんですけど…。」と顔を緩ませていく。やはり秘密の共有とはなかなか嬉しいものなのだろうか。

アニメ・グレイテスト・カーニバルとは夏と冬に年に2度開催されるアニメ好きにはたまらないイベントである。来場者数は平均約50万人ほど。徹夜もできるほどのもので、この会場でしか買えない企業の限定グッズを狙って、みなが吸い寄せられるように人々が集結してくるのである。今はそれに行きたいというひかりちゃんの話をしているのだ。「わたし、実は“忍者組”のグッズが欲しくて。でもこれまではひとりぼっちだったのでなかなか行く勇気がなかったんです。家のこともありましたし。」。忍者組とはカッコいい男子忍者がたくさん出てきて闇夜の中で幕府を倒そうとする敵から守る、という特に女性には大人気のアニメの1つである。自分も男性ではあったが話題性もあったので実際に見てみたが日本史も嫌いではない自分としてはなかなか楽しめる作品であった。

ここ数ヶ月はお邪魔させてはもらってはいるが彼女のこれまでの気品さとはまた違った、まるで水を得た魚のようにトークは軽快に弾んでいく。自分はただただその勢いに身を任せるかのごとくあいずちをうっていた。「で、ここの企業を回って、この商品を買ってみたいんですけどいいですか?なんか柏木さんに付き合ってもらって申し訳ないです。でも経験者がいると本当に心強いんですよ。」。自分の場合は好きだった上に単独行動の方が動きやすから好き、というのもあるしそもそも同じ趣味の人間が周囲にいないのだから単独行動しかないというのもあって最初からどっしりと構えて行ったので、そこに抵抗感など考えたことさえなかった。しかしこんなレディをうまくエスコートできるのか?それだけは少し心配な部分でもある。そんなことを考えていると「一緒に…行ってもらえないですか?」と上目遣いでこちらを見つめてくる。本人は意識してるのかはわからないけれど『あざといなあ。』と苦笑いしつつもその眼差しには勝てずに渋々?承諾した。

そんな話題をしているとひかりの携帯電話が鳴る。どうやらメールのようで友達からのようだ。「ちょっと待ってくださいね。」と携帯電話を操作しだす。その文面を見るやいなや、ひかりちゃんが「あの、柏木さん。実はこれから友達が遊びに来たいっていうんですよ。もしよければいい子なんで柏木さんも同席してもらっていいですか?もちろん話題は普通の話になってしまうので柏木さんがよければ、ですけれど。向こうは大丈夫って言ってくれてるので。」。自分は少々、考える間をもらったが、お世話になっているひかりちゃんの頼み事をあまり無碍にはできない、と思い一応は了承した。まあ普通に2人の会話をずっと聞いて極力、会話の邪魔をしなければいいかな?と思った。そうすれば特にひかりちゃんには害はないだろうし。初見の人間に対しては特に人見知りの自分ではあるので抵抗感はありつつも、ここは大人の対応をしよう、と腹をくくった。果たしてどんな人間なのだろうか?

そんなこんなで二次元関連の物を片付けつつもアニメ・グレイテスト・カーニバルの話題をしながら友人、とやらを待っていると30分後ほどすると部屋にある内線電話の音が鳴る。部屋のドアにノックがすると「ひかり、遊びに来たよー!」と明るい声とともに友人の直実が入ってきた。そして、こちらを一瞬見て「こんにちは。柏木さんですよね?はじめまして。ひかりの友達の青海直実といいます。よろしくお願いします。そして何かお邪魔しちゃったみたいな感じでごめんなさい。」と軽くお辞儀をする。こちらも挨拶をして会釈をする。その一連の動作を終えると笑顔の中にどこか冷めた突き刺さるような視線を一瞬だけ感じたような気がした。まあ、どうせ自分の被害妄想の考えすぎだろ、と思いつつも直実も一緒になって会話となった。

やはりメインは学校での話になった。自分としてはそちらの話にはついていけないので、とりあえず適度な場面でニコニコ相槌を打って時には携帯電話をいじってニュースなんかを見たり。そんなことを繰り返しながら自分は友達を“優先”させておくことにした。そんな雰囲気をひかりちゃんが察してくれたのか「柏木さん、お茶のおかわりはいりますか?」と気を遣ってくれた。なんだか申し訳ない気分になりつつもお茶という“逃げ道具”を用意してくれていたことには非常に感謝したい。すると青海さんが突然「ところで柏木さんはどんな趣味なんですか?」と質問をしてきた。ここで普通ならアニメ、なんて答える正直なアホな人間はまずなかなかいないだろう。しかし自分は嘘の仮面が大嫌いな人間だった。そういうごまかしていい顔作って。そんな人間になるのはまっぴらだ。そんな気持ちでいあたかったからこそ自分は今の地位にいるのだ。それをここで曲げても意味はない。そう思い自分は「まあ自分は変人なのでアニメみたいなオタクなことから、サッカー観戦、プロレス観戦とか色々ですかね。」と少しスポーツ系を入れることでやんわりと笑顔で本音も吐いた。すると直実さんは「へえ~、そうなんですか。」となんとも味気ない返答をする。なら何故にこんなことを自分に聞くのだろうか?社交辞令という奴か。自分の苦手なものがやってくる。

さらに「今日って平日ですけど普段は何をしてるんですか?」との質問が来た。その“平日”という単語を強調しているところにこの青海という女性は明らかに悪意のある質問をしてきていることをさすがの自分でも明らかに察した。自分が彼女に何をしたというのでろうか?意味がわからない。沸点の低い自分としては、もしひかりちゃんがいなければ笑顔でさらりとかわしつつ、すぐに適当な用事を考えて帰ってやりたいところだ。しかしそんなに簡単にはいかないのが世の末。ひかりちゃんも少し慌てだして「あのね直実…。」とフォローしようとしてくれたが、すぐに自分は「非常に恥ずかしい話なんですが今は色々とあって何もしていない状態なんですよ。」。と申し訳無さそうなフリという大人の対応をしつつも現状を正直に話した。カッコ悪いけれども嘘をついてもその嘘をあとあと塗り固める方がもっと面倒だからである。

すると今まで笑顔、だった直実の顔色はいっぺんして悪くなり「ねえひかり、何でこんな人と楽しくおしゃべりしているの?私にはわからないよ。」といきなり毒づき始めた。ついにメッキが剥がれて本性を表した。やはり最初の視線は間違っていなかった。自分をどこか悪い虫のようにしか見ていなかったのである。ここで自分は反論してももうおかしくない、限界だ、などが頭をよぎる。それでも自分は黙っていることにした。そもそも自分があんなことを言わなければこんなことにはならなかったのかもしれない、嘘をついていればもっと穏便だったかもしれない。しかし自分の発言が結果として雰囲気を悪くしてしまった。自分にも責任がないとは決して言えない。だからぐっと我慢する。

「あのね直実ちょっと聞いて…。」。そんなひかりちゃんの言葉の静止を無視するかのように直実は持論を展開していく。「だって、どんなつながりがあるかは知らないけれども、この人は無職じゃん。ダメ人間じゃん。しかもオタクってちょっと気持ち悪い感じもするし。ひかり前にもあったでしょ?あんたの家の財産目当てで近づいてきて、あんたを散々たぶらかした男がいたのを。私はそれがずっと心配だったんだよ。なのにこんないい歳して収入のない人間と友達になって。この人また絶対に財産目当てだよ。だって貧乏人なんでしょ?」。ズキズキと一部は本当の話ではあるので胸に突き刺さる。もちろんお金なんかどうでもいい。でも自分はやはり現実を知った。やはりこの家の人たちに迷惑をかけるべきではなかった。自分の安易な受け入れでこんなにもひかりちゃんに嫌な役回りをさせてしまった。そしてこの青海という人間にも腹立たしい思いつつもどこか憎むこともできなかった。むしろ正論を言っているだけなのだ。それが当たり前なのだ。自分には最初からここに居場所なんてなかった。それを思い出させてくれた。そこは彼女に感謝しなければいけない。

そして自分は遂に言葉を口にした。「ふたりともごめんなさい。自分がいなければこんなことにならなかったんですよね?帰りますから。もう来ませんから。」とだけ言って席を立つ。「柏木さん待ってください!」とひかりちゃんは必死に止めようとしてくれるけど、もう振り返ることはできない。涙を必死にこらえている顔など見せられない。そして直実も「ひかり、その人は放っておきなよ。自業自得じゃん。」と冷たくあしらわれる。その声を聞いて自分の涙はスッと引き悪い意味で冷静になり足取り進む。ひかりは「柏木さん、また連絡しますから。とりあえず今日は本当にごめんなさい。こんなことになるはずじゃなかったのに…とりあえず今日は車で送りますので待っていてください…。」と消え入るような声で気を遣ってくれる。自分は「いえ、歩いて電車で帰ります。今まで本当に楽しかったです。ありがとうね。友達は大切にした方がいいよ。」。そう残して玄関へと歩いて靴を履いて出て行く。玄関から門までが結構遠いのだけれども、まあ散歩だと思えばちょうどいい。そんな冷たい空気の中をゆっくりと歩いていく。すると季節にしてはちょっと早めの雪がちらつく。これがもしクリスマスならきっと温かい気持ちになれたのだろうけれども今はちょっと傷心中。そんなことまるで察してくれたかのように少しずつ雪はその量を増していく。切ないとはまさにこのことだな、と携帯電話の音楽プレイヤーを聴く為にイヤホンを取り出して某声優さんの歌う切ないウインターソングを流す。

『今日は本当に冷えるなあ。』。



その頃、早川家ではひかりが泣き崩れていた。直実は困ったかのごとく「どうして泣くの?あいつきっと本性はそういう人間だったんだよ。実際あいつ謝ってたじゃん。言い訳できないほどに悪いことをたくらんでいたんだよ。だからいつかひかりが傷つくかもしれないことを考えれば、これでよかったんだよ。」とフォローする。するとひかりは「心配してくれてありがとうね。でも今日のはちょっと過保護すぎだったよ…。」。そして「直実は私がどういう経緯で柏木さんと出会って今までの関係になった知っている?柏木さんのことを本当に知ろうとした?あの人は本当にいい人だったんだよ。」。そしてひかりはこれまでのいきさつを全て話した。母親を助けたこと、こちらから彼を探したこと、彼がどこか劣等感を感じているのを何となく感づいていたことを、秘密の趣味のこと、家族を団欒にさせてくれたことなどをあらいざらいに。

直実はどんどん青ざめていく。でもどこか自分を正当化したくて「でも、もしかしたらあとでお金持ちとわかってそういう可能性もあったんじゃ…。」。その言葉がひかりの火に少し油を注ぐ。「これ以上、柏木さんをどうしても悪者にしたいの?だとしたら親友でも本当に怒るよ!」。ひかりの今まで見たことのない涙を流しながら自分を睨みつける表情にさすがに直実も自分の先入観が結果として周囲を傷つけていたことに気づかずにはいられずに「私、今からあの人を追うよ!ごめん…謝っても許してもらえないかもしれないけれども…それでもまずは駅まで行ってくるよ!」。ここでアスリートとして本当に役に立つこと不幸中の幸いに思う。ここで追いかけないと何もかも失う。そんな気持ちで走りだした。その直後、降りだした雪のせいでスリッピーな路面に足を滑らせて顔を打ち付ける。ものすごい痛い…でも周りの人間はもっと痛かったはず。そう思うとなりふり構わずにはいられなくてすぐに体制を直して得意のフォームでかけ出した。

しばらく走っていくと門が見えてくる。すると門を出たところに柏木がいる。ラストスパートをかけていると、その姿に柏木は気づいた。だが自分はまるで関心を見せないかのごとく歩いていく。『もう俺には関係ない。』。そうして無視して歩いていこうとするところを「待って!」という声が聞こえた瞬間にレスリングのタックルのようなものを後ろからくらった。もちろん倒れこんだ。コンクリートはやっぱり痛い。そして『何するんだよ!』と言おうとした時に直実の顔はどこかグシャグシャになりそうになりながらこっちを見つめてくる。自分が言おうとした言葉は「ど、どうしたんだ?」に変わっていた。すると直実は「あたしマジ最低だよ…。」。今にも泣きそうな声でさらに「柏木さんのことなんか何もわかってなかった。でも私は勝手な憶測であなたをたくさん傷つけた!そしてひかりも傷つけた。謝っても許してほしいなんて言わない。ただそれでも謝らせて。ごめんなさい…。」。ついに我慢していた涙を流す。こいつ、そんなことの為に必死に走ってきたのか。

さっきまで多少は怒りを感じていたものも寒さと自分への責任転嫁ですっかり冷静になっていた自分は「もう、いいって。」と言った。「大事な友達の為にやったことだろ?なら、それでいいじゃん。それにお前がやったことは別に間違っていない。それが世間じゃ当たり前なんだよ。俺はけなされて当然の人間。しかたないことなんだよ。世の中ってそういう風にできているんだよ。」。自分に言い聞かせるように言った。すると直実は睨みつけるように「いいわけないじゃん!ひかりのことを抜きにしたって、私は柏木さんに偏見的な差別で酷いことをした。あなたが辛くないわけない!…。」。そう泣きながら自分を責める直実。ちょっと半ギレした自分は「あー、もういいんだよ。許すったら許す。お前もそれで納得しろ。俺が言ってるんだから問題ないだろ。謝るなら、ひかりちゃんの方にしろ。」と直実を立ち上がらせながら投げやりに言う。本当にこいつは馬鹿でまっすぐだなあ。正反対のはずのキャラクターなはずなのに何故か自分を見ているみたいだ。だからなんだかアホくさくなってきた(笑)。それでも直実は「よくなんかないよ!」。そういうとうつむいて駆け出した。すると車が警笛を鳴らして直実の近くにやってくる。自分はただ反射的に真っ白になって直実を突き飛ばす。自分はそれから車にはねられて意識を失ったままただ眠っていた。



気が付くと知らない天井を見上げていた。どうやらここは病院のベッドの上のようだ。そして左足ががっちりとギブスを装着されて包帯でグルグルにされて吊るされている。そして「ほら、柏木さんが気づいたよ。」。「ううっ、よかったぁ。もし目覚めてくれなかったら私…。」。「もう直実ったら、ちゃんとお医者さんは大丈夫って何度も言ってくれたでしょ?」。そんな声が聞こえてくる。ひかりちゃんと直実がいる。直実は自分の布団を枕代わりにしながら顔を伏せて「ありがとう。でも本当にごめんなさい…。」と消え入りそうな声ですすり泣きしている。ひかりちゃんは「気分は大丈夫ですか?お医者さんが打ちどころがよかったって言ってたんでホッとしましたよ。その代わり複雑骨折で手術はしましたけどね。」と何故かこちらは冷静な口調の中にどこか怒りのようなものを感じる。そして「どうして、そんな無茶なことをするんですか?」と頬をふくらませていた。「確かに直実を助けてくれたことは感謝しています。でももしそれで柏木さんに何かあったらどうするんですか?きっとみんな悲しみますよ。」。でも自分はひねくれ者がゆえにそうは思えなかった。「そんなことないさ。俺はずっと一人きりでこれまで生きてきた。だからここで死んだってきっとほとんど気づかれないよ。そしてラクになった方が本当は俺にとっても世の中の為にもよかったのかもしれない。」そう本音を漏らした。

するとまさかのひかりちゃんが自分の顔に思い切りビンタをくれた。そして「ふざけないでください。じゃあ私たちは所詮は他人だったんですか?少なくとも私たちは泣きました。心配しました。あなたには私たちはいるのに。そう思っていたのはこっちだけですか!?あんなに楽しくいられたのに…。」。顔を真っ赤にして言い放った一言。年下にこんなことを言われて本当に情けない。でも別にひかりちゃんたちを他人だと思っていたわけではない。ただ、ひかりちゃんは自分の本質を知らないだけなんだ。本当はど真ん中のストレートしか投げられなくて不器用で弱くて、でも本当は誰よりも人一倍他人を信じたかった。そして裏切られて傷ついて臆病になって。そんな自分の存在そのものに劣等感の塊としか感じていない。ただそれだけなんだ。そんな自分が嫌い。だから居場所なんてないと思っていた。だからいつもどこかできっかけがあれば死を願っていた。これでも自殺未遂は2度も起こしている最低な人間だ。だからこそアニメに出会って幸せを感じた。

作り物かもしれない。でもリアリティに近い感じでありながら夢や希望を色々な形で与えてくれる。そして貧乏人の自分にはお金をかけなくて済む楽しみ方。こんな色々な要素がピッタリとはまったまるでパズルのピースのごとく心を潤してくれた。もちろんグッドエンドばかりじゃない。胃のキリキリするものやバッドエンドもある。でもそんな絶望感のある作品でも自分に類似点を覚えるものも少なくなかった。そう思わせる声優さんの演技にも感銘を受けた。だから熱中した。これだけでいい。現実は自分は鼻つまみ者。でも壁を作っておけば臭いものには蓋なんてこともない。最低限の人間関係だけでいい。そんな世界に自分は浸りきっていた。しかしそれでも時に現実は不条理を突きつけてくる。予想外のトラブルや法律など。そのたびに失望感を覚えるけれどもそれでも自分はアニメに助けられた。アニメだけが唯一の本当の自分の理解者であった。

でも今は違った。そのアニメを通じて初めての知り合いができた。仲間と言ってくれる人がいた。なのに自分の心の弱さを露呈して酷いことをしてしまった。本当に最低な人間だ。そんな沈黙を察したひかりちゃんが「ごめんなさい柏木さん…でも悔しかったんです。せっかく分かり合える人がいたと思ったのに。私だけの一方通行なのかな?と思ったら。でも柏木さんは今まできっととても辛い思い出を引きずって生きてきたんですよね。そんなことも考えずに。ただそれでも柏木さんとはこれからもずっと一緒に楽しく話をしていたいんです。できればキツく当たった直実のことも仲間に入れてあげて欲しいです。ずっと後悔ばかり口にしていましたから。わがままかもしれないですけど…お願いします!」。自分は「ごめん。恥ずかしいとこを見せちゃったね。でも青海さんのことはとっくに許してるよ。本人に何度もそう言ったのに責任感が強すぎるというか。でも本当にあんなに迷惑をかけちゃったのに俺なんかでいいの?」。するとひかりちゃんは「柏木さんじゃないとダメなんです。これはあなたにしかできないことなんですから。」。

一瞬、鳥肌が立った。まるで非リア充がいきなりの告白疑似体験をした気分だ。泣きそうな気持ちをグッとこらえて「わかったよ。こんな俺でよければこれからも頼むよ。ということで、いい加減に泣き止みなさい(笑)。」。直実の頭を撫でてやる。すると直実はむくっと顔を上げて「こんなわたしのことでも救ってくれて本当にありがとうございます。でもそれ以上にあなたが生きていてくれて本当によかった。」。都心にしては久々に積もった雪に窓から光が入り込んで反射して輝いたような、まるで神々しい満面の笑みと泣き顔で言う。何気にこいつも心臓に悪いことを言いやがる。これじゃあまるで二次元でよく見かけるハーレムじゃないかい(笑)!でもそんなことはありえないだろ。と自分にツッコミを入れて自己完結する。

それにしてもこれからリハビリやら入院生活は長いのかもしれない。『さて、どうやって過ごそうか。』。テレビを見れない、録画できないのはもう諦めるしかない。せめてパソコンといい回線のインターネットをつなげられる環境さえあれば。そのためだけに1日だけくらいは仮退院したいものだ。するとひかりちゃんはまるで以心伝心しているかのごとく「そういえば柏木さんはアニメはどうするんですか?入院中はこのままじゃ見れないですよね。よかったらウチのノートパソコンとヘッドホンを貸しましょうか?あとBlu-rayのプレイヤーも一緒に。ネット回線もわたしがお金を出しますよ。たくさん迷惑をかけてしまったから、せめてものお詫びに。もちろん生活用品も用意しますよ。父親に言えば親に話せばやってくれるでしょうし。というかもう実は準備はできているんですけどね。」とニコリととんでもないことを話して。くっ、さすがお嬢様。金銭面ではやはり天と地の差がある。自分で契約するくらいはできるがここはもう、すべて仕込まれている。自分は申し訳無さそうに「じゃあ、お願いします。」とこうべを垂れる。するとひかりちゃんは「かしこまりました、ご主人様。」とメイド風に完璧にノリノリだ。

『俺って完全に弄ばれてるわ(笑)。』



それから2人は毎日のように病院へとやってきた。自分が退屈だろうと思って気を遣ってくれているようだ。まあ自分はそこまでしてくれなくても自分の大好きな、ぬこぬこライブキャストという動画サイトでアニメなどの生放送番組を見るだけで幸せだ。病院は規則正しい生活を強いられているものの、しっかりと夜中は隠れてイヤホンをして見ていたりラジオも聴いたりしている。まあそうやって結局は朝早くに美人看護師さんにたたき起こされるという嬉しいのか悲しいのかよくわからない気持ちになる。食事は病院食のイメージがあまりよくなかったイメージだが現代の病院ではそこもぬかりがないようで味付けも満足の行くものを毎日3食栄養をしっかりと補充できている。一人暮らしの時の不健康そうなものばかりを2食しか食べていなかった頃と比べたら実に健康的である。

2人との会話は最初の時とは違って趣味の話をするようになった。直実はまだ若干、抵抗もあって知識そのものもあまりないせいか戸惑っている部分もあったが、こちらがそのハードルを下げることで妥協した。まずアニメを好きになってもらわないと意味が無い。ひかりちゃんとそう相談して、なるべくポジティブでわかりやすいものをレンタルなどしてきてもらって楽しんでもらうことで日にちが過ぎるごとに少しずつではあるが直実も会話の中へと入ってこれるようになってきた。いい傾向だ。もちろんリハビリも大変だけれど少しずつこなしている。そして大きな総合病院だったので2人には内緒で時折、精神科でのカウンセリングなんかも受けている。にしてもこの病院の医院長はどんな趣味をしているのかとにかく綺麗かかわいい医師やスタッフばかりだ。『このスケベが。』と思いつつも内心では非常に感謝して心の中で拝んでいる。もちろんただ外見がいいだけではなく、こんな自分に気さくにも雑談やジョークを話してくれる人ばかりである。時には変な意味で茶化されたり困ることもあるが、こんな世界もあるんだ。といかに自分が勝手にネガティブだったかわかるような気がする。もし、こんな世界で生きていたら自分はどうなっていたのか。だが後悔しても過去は変えられない。そんなちょっとセンチメンタルな気分になることもあるが今は頑張って早く退院して元の生活に戻ることが優先だ。

そんな欲望への焦りもあったものの苦労して地味な治療を続けてどうにか退院間近に漕ぎ着けた。これもきっとあの2人のおかげでもある。よくたくさん来てくれたものだ。感謝のしようがない。そんななかでパソコンを見つめながら考えていると直実がドアをノックして入ってきた。いつも2人で来るのに今日だけは1人だった。ひかりちゃんは何か用事があって今日はいないみたいだ。ただすぐに追いかけてやって来るみたいだが。直実は手に、らしくない花を持っている。「この部屋もちょっと殺風景なところもあったから買ってきちゃいました。」。そういうと花瓶に活けていく。「その花はなんていうの?サクラか何かの一種?」と聞いてみる。すると直実は「ハナモモっていうらしいです。適当に見ていたらお店の人に勧められちゃって。でも綺麗だったんで、これを買ってきちゃいましたよ。」。ピンク系の鮮やかな色だ。ちょっと女の子らしい感じもするが女性の感性で買ってきたのだから、まあしょうがない。それに個人的にピンクの洋服も持っているし嫌いというわけでもない。そんな慣れない直実の作業を終える頃にちょうど、ひかりちゃんがやってきた。

「遅れましたー。」と少しだけ息を切らしていた。自分は急がなくても大丈夫だと説明してなだめる。そして直実が活けた不器用な花瓶に目を向けて「あっ、この花…。」と一瞬、何故か妙な間と少しもの寂しげな雰囲気の表情ができる。「どうしたの?」と自分が尋ねると「いや、ものすごい綺麗で見とれちゃって。もうすぐ春なんだなあ、って感じましたしね。」と言う。そういえばもうすぐ春に近い季節だ。まだ寒いがこんなに鮮やかに咲いている。実に風流を感じるものだ。ひかりちゃんは「これ誰が買ってきたんですか?」というと「わたしだよ。」と直実が微笑んで答える。ひかりちゃんは「いいセンスしてるね~。」と笑って答える。しかしまたしてもどこか曇りがちの表情を見せたような気がした。「大丈夫?」と自分は少し心配をすると「多分、久しぶりに走ったからじゃないですかね?ちょっと何か飲んで座って休みますよ。」と苦笑いしながら言った。

「じゃあ揃ったし昨日の続きを見ようか?」と自分は言う。“昨日の”とは自分の推薦した“とらりゅう”という青春ラブコメの作品である。普段はひかりちゃんリクエストのものをメインによく話をしながら見てきたのだが、ついちょっと前に「そういえば柏木さんの好きなアニメについてあまり話したことってなかったですよね?」というひかりちゃんの切り口から話が広がった。露骨な男性向けやマニアックなのは勧められない、とか色々なことを考えつつも無難かつ感情移入できるような何かがないか?と必死に考えてセレクトした。だいぶ話は進んで終盤の見どころの回になりつつあるあたりである。今までのところは2人にも気に入ってもらっているようで何とかそこは良かったと思っている。特に直実に関してはやはりまだ素人なせいもあるので慎重に選んだつもりだ。そして3人でプレイヤーの前で黙りこんでアニメを見ている。両手に華、の割にはどうにも違和感のある光景である(笑)。そんななかで自分がいつもこの作品を見ると涙が出てしまうシーンがそろそろである。いつもは1人だから周りを気にせずに号泣している。でも今は人がいる。グッとこらえようと準備をした。しかしそれも無駄だった。何度も見たはずなのにこらえきれない。男のくせに何という恥ずかしい姿を見せてしまったのかもしれない。でもダメだった。すると横からもすすり泣きが聞こえてくる直実である。そしてこっちを見て何を言いたげだが言葉にならないようだ。逆側からは目を真っ赤にしたひかりちゃんが自分にハンカチを貸してくれる。そのあと3人は黙ってただただ最終回の感動シーンまでを見つめていた。熱いキスシーンも何度も見てるはずなのに胸を締め付けられる。相変わらずいいアニメだ。そんな感じで鑑賞会は終わった。

直美は「何でこんないいのを選んでくるんですか?」とポカポカ自分を叩く。ひかりちゃんはメイクが気になるらしくてお手洗いへと足を運ぶ。そんな2人きりのやり取りの中で直美が口を開いた。「柏木さん、実は最初はあなたのことをよく思ってなかったんですよ。もちろんそれはわかっていると思いますが。」。そんなこともあったな。すっかり昔のことのようだ。今はもうそんないざこざはないのだから。そして「それから色々と迷惑をかけたと思います。本当に酷いことをした。今でも悔やんでいます。だから今度はちゃんとした本当の柏木さんを知ろうと思って、この病院にひかりと一緒に通ってみました。わたしはそれからずっと柏木さんを見てきました。ひかりの言っていることは全然、間違っていなかった。本当はとても優しかった。気遣いもしてくれた。さっきのアニメのシーンの涙を流していた姿だって純粋な人だと思いました。それがわかるたびに自責の念とかで辛い思いもしました。自業自得ですけど。」。そんな自分の印象と反省を話し始めた。「もういいって言っただろ。そのことでお前を責めるつもりなんかない。そんなことをしたって俺が面白くない。」とすかさずフォローしてやる。本当に正義感の塊みたいな人間だ。だから自分は直美にそんな自傷をやめるように諭す。すると直美は懺悔するかのごとく昔の話をし始めた。

「でもわたしはそんな柏木さんやひかりのような優しさを本当は求めていた。こんなはっきりと物事を言う性格だから色々な人からあまり好かれていないことも知っています。そんな中でも私に関係なくずっと話しかけてきてくれたのが、ひかりなんです。ひかりは私の全てを受け入れてくれた。救ってくれた。わたしはそんな優しいひかりだけはずっと親友でいたい大切な友達。だからひかりを守りたかった。そしてひかりを傷つける物は排除する。そんな気持ちでいました。そして柏木さんが現れた。そんな信じてきた親友のひかりは柏木さんが悪い人じゃないとずっと言っていたのに私はその言葉を信じきれなかった。悔しいです…ただあの事があってからの柏木さんはこんなわたしにも…。」。そしてひかりが帰ってこないことを確認した黙って直美は柏木によりかかる。すると

「あなたが好きです。」。そして唇に唇を重ねる。

「今まで酷いことをしてきて今さらこんなことをしていいのかわからないです。でもあなたはわたしのことを許そうと、理解しようと努力してくれた。仲間として見てくれた。そんなあなたの姿を見ていると私の気持ちはもう爆発してしまった。ずっと我慢してきたけれども抑えきれなかった。」。自分は黙り込んだ。こんな純粋すぎる口づけ。あまりにも急すぎて頭が混乱していた。そんな中で何て言葉をかけていいのかわからない。そんな状況だった。直美は「すぐに返事はしなくていいです。何なら片思いでも構わない。それでも柏木さんに想いを伝えられた。素直になれた。それだけで満足ですから。」。そう言いつつも涙を流している。自分は冷静さを取り戻して「お前はどこか俺に似ているんだよ。だから放っておけないところがあったかな。」。そう話した。「お前と俺はまるでライフスタイルは正反対。本当に何もかもが違うと思っていた。でもお前と話していくウチにまるで自分を鏡で見ているかのように不器用な人間だと思った。だから俺はそんな人間の辛さは誰よりもわかっているつもり、だ。もちろんお前の全てを知っている訳じゃないが何となく直感でな。それに大人になってわかったこともある。いつまでも憎んだっていいことがないいってこともな。だからお前のことを許そうって思ったんだ。ひかりちゃんの友達でもあるし何かいつまでも器の小さい人間とは思われたくないっていうちょっとした見栄みたいなのもあったけどな。ただそんな自分の正直な気持ちを信じてやってきた。ただそれだけなんだよ。」。すると直美は「だからあなたのことを好きになったんですよ。本当は暖かい人。できればずっとそんな柏木さんにこれからも触れたままでいたいです。」。でも自分はそこですぐに返事はできなかった。自分の今の立場で安易にそれを受け入れる権利などない。それも理解しているが為にただ黙っているしかなかった。

そして足音と気配がした瞬間に直実はすっと離れていく。ひかりちゃんが戻ってきた。「おまたせしちゃいました。」。直実は何事もなかったかのように振る舞っていく。それに自分もできるだけ合わせるように平然を保つようにした。それでも心臓の鼓動の高鳴りだけはまったく収まってくれなかった。当たり前だ。こんなサプライズなど想定していなかったのだから。日も暮れて2人は帰っていく。それに手を振りながら見送っていく。ようやく1人にながった。これから今までのことを冷静に振り返りたい。すると携帯電話の着信音が鳴る。直実からのメールだ。【ファーストキスでしたよ。今も唇が熱いです。あと返事はすぐじゃなくていいですから。でももし夢が叶うなら柏木さんの為にずっと尽くしますよ。】とご丁寧にハートマークまでついている。確かにすぐには決められない。その日はアニメを見ながらも結局は直実のことが気になってあまり画面に集中できずにモヤモヤしたまま布団をかぶった。もちろん眠れないまま。



退院の日がやってきた。楽しいことも悩むこともあった入院の日々であったが、ようやく自宅に戻ることができる。今までお世話になった看護師さんたちとの別れは寂しいが、やはり健康が1番である。ただまだ完治はしていないので、もう少しの間は通院となる。その時にまた雑談でもするとしよう。その時にひかりちゃんは1人で自分を祝ってくれた。直実はどうしても外せない用事があったようだ。そしてひかりちゃんの車に乗せてもらってまずはひかりちゃんの家に行く。今まで借りていたものを返す為だ。そしてあの豪邸に着く。ついでにお茶でもどうぞと部屋に招かれる。久しぶりの綺麗な部屋だ。前と何も変わっていない。そんな中でひかりちゃんはどこか口ごもるかのように「あの…。」と何かを言いたげだ。そして決心したかのごとくひかりちゃんは「あの…もしかして直実に告白されませんでしたか?」といきなり話す。何故にわかったんだ?そう困惑されながらもうなずく。するとひかりちゃん「やっぱりそうでしたか。」と納得をする。「どうしてわかったの?」と切り出すと、ひかりちゃんは答えた。「何となく前からそんな雰囲気はわかっていたんです。でもこの前、直実が花を持ってきた時に確証したんです。あの花、ハナモモっていうんですけど花言葉は“あなたに心を奪われた”なんです。わたしは華道をやっていたので知っていて。で直実って案外あんな見かけなのに占いとかは大好きで。それでわかったんです。直実の気持ちが。」。自分はただただ黙って聞いていた。「きっと直実は柏木さんに救われたと思っているんです。柏木さん、優しいから。それに気づいた時にこの人しかいない。そう思ったんじゃないかって。」。

ものすごい洞察力だった。親友なだけに何もかもわかっている。そんな幼なじみならではの推察力だった。「でもきっと直実だってわたしの気持ちに気づいていたはずです。それでも必死だったんでしょうね。必死になって欲しがって…。」。ひかりちゃんが何を言っているのかがよくわからなかった。するとひかりちゃんは真剣な目をして「それはわたしも柏木さんが好きだって気持ちなんですよ。」。頭が真っ白になった。どうして?わからない。どうしてまた…。「柏木さんはわたしの色々な閉ざされていたものに光を与えてくれた。ずっと殺していた何かに喜びを与えてくれた。趣味のこと、家族のこと、友人のこととか…本当に嬉しかったんです。でも柏木さんには何も今まで与えてあげられなかった。柏木さんが何か過去のことを引きずっていることは何となくわかっていました。でもわたしはそこを救えていない。ずっともどかしく感じていました。」

そんなことをずっと想ってくれていたのか。知らなかった。何て健気な女の子なんだ。「だからわたしも恩返しをしたかった。柏木さんを救いたかった。ううん、嘘です。本当はきっと私も柏木さんと一緒にいたかった。それで幸せになりたかった。そして支えてあげたかった。ただそれだけなんです。直実に先を越されたことを恨んではいません。でも気持ちがわかった時に自分だけ何もしないままではいたくなかったんです。ズルい女ですよね。」。

そう言うと自分の横に移動してキスをしてきた。

混乱して何もわからない。どうして自分なんだ…それだけしか思えなかった。「いきなりでごめんなさい。でもこれが今わたしにできるすべてです。」そう言うと顔を赤らめた。「俺は…。」。それ以外は何も言えなかった。するとひかりちゃんはまたしても何もかも見透かしたかのように「わかっています。葛藤しているんですよね。きっと柏木さんは今でも自分を責めているんじゃないですか?だから答えられない。そうですよね。」。そう察してくれた。そう、自分にどちらかに答えを言う権利なんてないと思っている。

でもひかりちゃんは引き下がらなかった。「きっと柏木さんはこのままどちらにも断りを入れて、また1人でいよう。そう思っているんじゃないかと思っているかと思います。でもお願いがあります。直実であろうと、わたしであろうとどちらかを選んでもらえませんか?もう柏木さんを孤独にはしたくない。それが少なくともわたしの願いです。家族もきっと喜んでくれるはずです。わたしも直実もきっとそんなことを望んでいないですし、わたしたちも幸せになりたい。だからお願いです。辛い選択かもしれないですけれども、どちらかを選んでもらえないですか?お願いです。少なくともわたしはたとえ選ばれなくても不幸だなんて思わないですから。答えが出るのを待ちますから!」。そう唇を噛み締めて話した。「この話はもちろん直実にも言います。親友に嘘はつきたくないので。」。そして自分は帰路につく。

自分は究極の選択を迫られることになった。逃げられない。こんな2人の気持ちを知ってしまったら…。



それから数日はアニメなんて頭に入るはずもなかった。どちらを選んでもきっとどちらかが傷つく。そんなことばかりが脳裏をよぎる。もし自分がそんな立場だったらそう思うからだ。どんなに大人ぶったって現実はそうはいかない。そして親しい人間の幸せを近くで見守らなければいけない。そんなのは拷問以外の何者でもない。そんなことばかりをループしていく。それでも自分は答えを出さないといけない。とても苦しい日々が続いた。でもどうにかして答えを出そうと必死に寝不足になりながら考えた。まさに試練である。こんな時に自分の弱さを恨む時も何度もあった。それでも…そしてそんな悶々とした日々を繰り返して決断をくだすことにした。

後日2人を地元へと呼び寄せた。回答を伝えるためである。胃がキリキリする。逃げ出したい。そんな気持ちと必死に闘いながら2人の前に顔を出す。「結論を出したよ。」。重い空気が立ち込める。そして自分は勇気を出して口にした。「俺は直実を選ぶことにしたよ。」。そう答えると涙が溢れだした。「どっちも差をつけられないほどにいい人間だよ。そんなことは散々、悩んだ。比べることがとても大変だった。でも俺は直実がまるで自分のように思えた。同じ境遇を重ねていた。放っておけなかった。だからこいつの為に何かしてやりたいと思った。こんな無力な俺だけど。」。直実も涙を流していた。ひかりちゃんは表情を変えなかった。「でもひかりちゃんにもたくさんのものをもらった。ひかりちゃんは否定していたけれども、そんなことはない。むしろこんな俺なんかのために本当に優しくしてくれた。救われた気がしたよ。何度お礼をしたって返せないものばかりだ。だから気持ちに応えてあげられなかったことがものすごく辛いよ…。」。そう言うともう何もできなくなった。ただその場で膝をついて号泣するしかできなかった。直実はひかりちゃんのところで何度も泣きながら謝る。ひかりちゃんはただただ優しく直実を慰めていた。

「柏木さん、ありがとうございます。そしてごめんなさい。こんなにも苦しい想いをさせて。でもわたしのわがままに付き合ってくれてありがとうございます。」。ひかりは寂しそうな感じを漂わせていながらも自分をフォローしてくれる。でもその優しさが自分をなおさら悲しくさせる。それでも自分はこのままうなだれたいるわけにはいかない。決断したからには直実に胸を張っていなければならない。そして自分は起き上がって直実のところへと足を運んで「これからよろしく頼むな。こんな俺だけどさ。」。そう言うと直実は自分に抱きついてうなずく。するとひかりちゃんは「じゃあ、わたしはお邪魔だからそろそろ行きますね。」。そう言うと顔を下に向けて去っていく。もう自分にはひかりちゃんに優しく慰める権利はない。ただ黙ってその切ない後ろ姿を見送るしかできなかった。

そしてひかりちゃんの自宅に帰った時のベッドで何度も泣き叫んでいた姿を自分は知らないまま。



しばらくして直実を地元の公園に呼び出した。ようやく春になってサクラがしっかりと咲き乱れている。「温かいですね。」。「そうだな。」。2人はベンチに腰掛けてそんな他愛もないことを話している。そして「どうしてあの時にわたしを選んだんですか?もちろんあの時、理由は言ってもらったんですけど…でも本当はもしひかりを選んでいればもっと柏木さんは幸せになってたかもしれないんじゃないか?どう思うと…。」。そんなことを直実はつぶやく。自分はそんな直実の頭をぽかりと軽くゲンコツする。「バカかお前は?俺がどんだけ悩んだと思ってんだ?それでも頑張って出した答えなんだ。そしてお前を選んだ。そのことに後悔をしていない。ひかりちゃんには酷いことをしたとは思っているけどな。でもお前がよかった。それだけさ。」。そう言うと自分のあいていた左手を直実の右手がそっと握ってきて「ありがとう…ございます。」。そう照れくさそうに話す。

そして自分は過去の話をした。それが対等だと思ったからである。もちろんそれで自分は嫌われるかもしれない。気持ちが冷めるかもしれない。それでも誠実でありたかった。直実は真剣に話を聞いてくれた。全てを聞いてくれた。そして「辛かったんですね。わたし、それで傷つけてしまったこともありますけれど今は違います。好きだから。私でよければその傷口を埋めてあげたい。そんな存在になりたいです。」。初々しくて新鮮でぎこちないながらも、まったく恥ずかしいセリフをよくもこうスラスラと言ってくる。その度にもっと直実を好きになっていく自分がいる。直実を選んでよかった。それを改めて実感させられる。そして直実は「いつか海外に行きましょうよ。柏木さんのご両親にもちょっと興味があるし会いに行っていいですか?」。

でもどこか不満気だ。「どうかした?」と聞くと直実は「もう、柏木さんはいつまでもわたしのことを“お前”呼ばわりばかり。わたしには“青海直実”って名前があるんですよ。」と頬を膨らます。ああ、確かに少し雑に扱ってたかな、と思うと自分は「じゃあこれからは“直実”って呼ぶよ。だから俺のことも“昇”って呼び捨てでいい。ってかそんないつまでも堅苦しい話し方をするな。まるでそれじゃあ他人行儀じゃないか。年齢は関係ない。ラフに行こうぜ。これからは一緒なんだからさ。」そう言うと直実は「じゃあ、の…ぼる。これからはずっとわたしを離さないでね。」。その時に春風に吹かれてサクラの花びらが舞う。そんな直実の姿が悔しいくらいにかわいい。こっちも照れくさそうに「そうだな直実。」と答える。そして改めて肩を引き寄せて口づけをする。

こんな女性の為に自分はこれから何ができるかはわからない。まだまだ不安はたくさん残っている。それでもそんな自分のことを好きになってくれた直実。そんな直実の為にも自分の力でいつか何かをしてやりたい。そのためにもまずはゆっくりでもいいから自信をつけたい。焦ったら傷つけてしまうから。もう自分は決して太陽の光の届かない月の影の中にいるわけじゃない。自分はもう一人きりじゃないから。それをまるで感じさせるかのように再び暖かい春風が吹き付ける。いつか日は昇るんだ。



「そろそろ時間か?」。「うん、もうすぐ来ると思うよ。さっきメールが来たし。」。そんな感じで待ち人を待つ。今日はひかりちゃんも含めて3人でカラオケに行く日である。もちろん自分はアニソン三昧。そのスタイルはこれからもきっと変わらない。すると視界に遠目だが手を振るひかりちゃんがゆっくりと歩いてくる。

「おーい、今行くね~。」。



Fin.

イン・ザ・シャドウ・オブ・ムーン

今作品はまず引きこもりのことを理解してくれ、というものではありません。確かに自分もそんな経験はしています。だからこそ、その視点であえて書いてみることにしました。ただ人にはそれぞれの価値観があり全員にじゃあ「ニートだってみんな好きでなっているわけじゃない。」と訴えても共感を全ての人々から得られることなどまず無理でしょう。必死で働いてきた人間からすれば、なおさら反感を覚えることもあるでしょう。それも世間の当たり前の視線の1つだと思います。

なのでむしろ自分としては『どんな人間にもトラウマや弱い部分はあるはず。それを優しく包んでくれる人やものは案外みんなの近くにもいるかもしれないんだよ?』という想いで書いてみました。よく“非リア充”なんて言葉がありますけれども決してそんなことは誰にでもないんじゃないだろうか?そう思います。

今回はその対象をあえて“異性の人間”にしましたけれど別にリア充とは彼女、彼氏がいることだけなのかな?と思っています。もちろんそれを欲する人間からすれば彼女、彼氏なのかもしれないですけれども、そういう人たちもまずは深呼吸をして冷静になってください。何も押すだけが全てじゃないと思います。時には引いてみて視野を広くしていれば案外、実は近くにいた。なんて事象はそんなに珍しいことではないかと思います。ネットからのつながりだろうと何であろうと縁につながる可能性は決して0ではない。あとはじっくり焦らずにあまり背伸びをしすぎずにいればいい事があるような気がします。

そして人間じゃなくて創作物に恋をする。それも1つの“リア充”なんじゃないか?そう思います。ようは充実さえしていればいいのですから対象は仮にバーチャルでも実際に充実しているのがリアルの人間なのですから、それもリア充でいいんじゃないだろうか?そう思います。ちょっと理屈っぽくなってしまいましたが(笑)。

そんな感じできっと自分のことを本当に理解してあげられるのは自分だけかもしれないですけれども癒してくれるものは自分じゃなくても動物だろうと植物だろうと風景だろうと季節だろうと多種多様だと思います。

実際に書いていて「こんな凡作だけれども、もしこんな作品でも世間に評価されてライトノベル化されてアニメ化されたら…むふふ(笑)。」なんてちょっとだけ勝手な妄想したりもしている作者ですが、まあそんなことは現実にはまずありえないので、そこは妄想だけにしておこうかと思っています。

最後に生きる為に必要な大切なものをまだ見つけられなかったり、今辛かったり苦しくて周りを見渡す余裕がなかなかないと思っている人達。そしてこの作品を最後まで読んでくれた方々へ。

あなた方にもみな幸がありますように。



エール・ユーロ

イン・ザ・シャドウ・オブ・ムーン

本作は現代社会における普遍性、義務、多数決などのシステムに馴染めなかった人間の、とあるきっかけを境に運命が変わっていくストーリーです。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-11-08

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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