まぼろし
「ゆりちゃぁん…」
パソコンから人の声が聞こえてきて眠れないと言う。
電源を切れ。
こめかみが痛くなるほどに苛つきながら、眠れないとそればかり繰り返すみゆきの部屋へと足を向ける。
案の定だ。パソコンの電源が入ったままで、人の声は勿論しない。
だが、みゆきは聞こえると弱く主張を繰り返す。
「…パソコンの人はなんて言ってんの」
「なに…って…ザワザワっていうか…」
ってゆーかじゃねーよ、この野郎。
よく眠れるように殴り倒してやりたい気持を堪え、頭を撫でてやって、パソコンの電源を落とすように言い渡し(彼女曰く、落としても聞こえるのだそうだが)眠れなくてもベッドに入るようにとよく宥めてやってから部屋に帰った。
デスクにどかりと腰を下ろし、煙草に火をつけて煙を宙に浮かす。
付き合いきれない、とウンザリする感情と、見捨てられない行動。
私はみゆきを憎んでいる。
愛しているのかもしれない、と思えば馬鹿馬鹿しくて口許が歪む。
いつの間にかみゆきがあの部屋に住み始めたのか。
好きに暮らし、私に懐いて駄々を捏ねては困らせ、自身でも認める幻覚や幻聴に怯えて私を探す。
鬱陶しい。
べたりとまとわりつきたがる柔らかい身体。甘えた声。
疲労で焦点の合わない視界にディスプレイをぼんやりと映し、煙を肺に染み込ませながら明日の仕事のことを考えている。
あれもやりたい。これもやりたい。時間がいくらあっても足りないが、一日が今より長時間あったら過労死できるかもしれない。
ゆりちゃーん、と甘えて呼ぶ声が聞こえる。
私はみゆきを憎んでいる。
これはどういうことなのだろうと、思いを巡らせはするし、おぼろげには解るのだが、考えが及ばない。
みゆきという人物は実在しない。彼女の幻覚も幻聴も、だから彼女と同じく実存し得ない。
どうして、いつからあの娘は現れたのだろう。
これが現実ではないとはっきり解っているので誰にも相談できない。
眠れないのは、私だ。
まぼろし