ボンバーマン ~台所からテロリズム~
ただの男が、日常を離れはじめた数日の出来事。
「反対者(特に政府の要人)を暗殺するとか、国民を強権でおどすとか、暴力や恐怖によって政治上の主張を押し通そうとする態度」(岩波国語辞典 第三版より)
ディスプレイと国語辞典、サイドデスクの上に並べた「薬品」を交互に眺めながら、俺は考え込んだ。
それなら、俺がやろうとしているこれは、テロリズムじゃない。じゃあ、管理人のこいつは?
もう一度ディスプレイに目をやり、そこに並ぶ丸文字を見つめる。眼鏡をかけて白衣を着た、二頭身の少女のキャラクターが「ポイント」と書かれた文字を示している。
『キッチンからテロリズムを発信! 家庭で作れる簡単な爆弾』
午前一時頃にインターネットを漂っていて、どうやってリンクを辿ったのか、このサイトにたどり着いてしまったのだ。台所周りを中心とした家庭用品で、短時間に作れる爆弾を紹介するページ。仕掛ける場所に合わせた疑われないための偽装から、大量の薬品を手に入れるための怪しまれにくい言い逃れまで、実に事細かに紹介されている。
こういうものがある事くらいは知っていたが、実際に目にしたのは初めてだった。そもそも、法に触れるようなサイトをさがそうとした事すらないし、せいぜいポルノ画像を見る程度にでも、今まではちょっとしたスリルを味わう事ができた。
だが、これは公序良俗とかいうレベルではない。馬鹿げている。こういうのは自分ひとりで楽しんでこそのもので、実行もせずにこうしてwebに公開するだけで、危険に身をさらすなど、まったく愚かな事だとしか思えない。
それじゃあ、俺はなんだ?
どこの誰が発信しているのかもわからないような情報に従い、書いてある通りに11時を過ぎてからスーパーを2軒、大きめの薬局を1軒まわって『はじめてのbomb!』と名付けられた爆弾の材料を全て揃えた。きっちり分量をはかって、混ぜるには至らず、こうしてサイドデスクの上に材料を並べて、俺は何をしている?
やるのか、やらないのか。どちらでも同じだ。どっちにしても馬鹿げている。
それなら、俺は? やるのか? それとも、やらないのか?
俺は、少々若作りした格好で、ポケットに両手を突っ込んで、少し離れたビルにじっと見入っていた。だぼだぼのパーカーとカーゴパンツ。キャップを目深にかぶって、顔を隠す。これも『台所からテロリズム』に書いてあった変装のひとつだ。
「平日に街をうろうろしてても、一番怪しまれないのは十代の若いヤツ! なんでって、あいつら別に何もしてなくても不審だもんね! それに、老人の変装はけっこう難しいんだゾ」だそうだ。肌を若く見せるために小麦粉を塗れ、というのには少々閉口だが、これが、注意書き通りにしつこくヒゲを剃って(「今なら○○の△△深剃りシェーバーがオススメ!」なんだそうだ)、帽子をかぶってしまえば案外若い肌に見える。
腕時計は持たない方がいいらしいので、携帯電話を取り出して時間を確かめる。その際に、ただ画面を見るだけではなく、ボタン操作をしているふりも忘れない。
ふと、そんな自分の姿を周囲の視線で想像してみて、ぞっとする。
まるきり、誰かを待ちながら携帯でメールのやりとりでもしているような、若者そのものだ。誰もこちらを振り向かない。
あのサイトをつくったヤツは、いったい何を考え、どんな事をして暮らしているのだろう。『台所からテロリズム』にたどり着いた誰か、その中には異常者もいるだろうし、俺のように好奇心や、何気なく実行してみる馬鹿どももいるだろう。そいつらが、サイトの細かい指示通り、パーカーを着てキャップを目深にかぶり、ヤツの言うところの『台所テロ』でスリルを味わっている。雑踏に紛れた目的のないテロリスト達。目に見えないサイト主が、その糸をひとりで操っているのだ。
鳴り響いた轟音に顔を上げる。
不景気で企業が撤退したビルの一室、窓が中から吹き飛び、キラキラと光が拡散するのが見える。
どくどくと、心臓が跳ね踊る。サイトの一節が頭をよぎる。「だ~いじょうぶ、自分の成果に思う存分興奮したっていいよ! 爆発にびっくりしたようにしか見えないって!(あ、でも「やったあ!」とか「よっしゃあ!」なんて叫ぶのはやめといた方がいいかも(笑))」
しばらくは放心してその騒ぎを見つめ、野次馬の一部が引き上げるのを見て、来た道を戻りだした。
俺が、俺があれをやったんだ。腹に響く爆音、飛び散るガラス、通行人どもの悲鳴。俺が上げた最初の花火。無色のガラスと、火花の赤が、二色の光の花弁となって埃っぽい空を飾る。
俺が、あれを、やったん、だ。
一日おき、二日おき、とんで一週間、次は翌日。
少しずつ難度の高い爆弾に挑戦し、複雑な偽装をし、足を伸ばして遠出する。困難な侵入に挑戦し、もう、何をしていても他の事なんか考えられない。
今日仕掛けたのはつぶれたガソリンスタンド。夜中にセットし、長時間おく時限爆弾。午後一時ジャスト。火薬の量は少な目だが、深いところで眠る残油に引火し、轟音が上がる。二度、三度、四度誘因爆発が起こり、独特の黒い煙が上がる。周りに燃えるものはない。
『台所テロリズム』は『目的なき爆弾魔』と名を変え、毎日のようにマスコミを騒がせる。死傷者なし。
「成果」の確認できるぎりぎり遠くに車を止め、ボンネットに背を寄りかからせていた。最初の時と同じ「常時不審な若者」の偽装。
さて、行くか。
スリルが少しずつ摩耗し、今ではよほど規模の大きな爆発を見ないと興奮しない。計算し尽くされた爆破。だが、これは…
「調子はどう、ボンバーマン?」
突然の声に、ぎくりとして振り返る。こんな状況に、セーラー服が不釣り合いに眩しい。長くて真っ直ぐな黒い髪が肩に垂れ、一重まぶたの切れ長の目を細めて、セーラー服の女は突っ立っている。
「…んだよ、お前。誰と間違えてんだ?」
「今イチね。『お前の男じゃねェよ』のほうがぴたっとくるのに」
…こいつは…。
「あれを読んだヤツなのか?」
ふふふっ、と女はハスキーな声で笑った。
「書いたのよ」
女は、黒い煙を上げる、元ガソリンスタンドを眺めて嬉しそうに微笑んでいる。
「…まさか」
「こっちもよ。まさか、こんな近くに『やる』奴がいるとは思わなかった」
「何者だ、お前」
「女子高生よ、正真正銘の。ごく普通の、ね。成績優秀、将来有望」
歌い上げるような口調に、けっと呟いて唾を吐き捨てる。爆弾を作り始めてから煙草はやめたが、唾を吐くクセは抜けない。
すいっと踵を返して、女子高生は元来た道を歩き始める。
「あ、おい…ッ」
足を止めて、首だけで女子高生は振り返った。
「将来有望だったのは昨日まで。今朝早く、あれが削除されたわ」
目を剥いて、その白い顔を見つめる。それが、どんな意味なのか。
「私が爆破したかったのは、つまらない日常。でも、壊してしまったこの先に、何が残っているかしら」
「ちょっと…待てよ」
「あなたは何を壊したの? 私があげたもので、あなたには何が残った?」
バイバイ、ボンバーマン。呟いて、意志の固そうな足音が遠ざかっていく。
「おい…!」
完全にその残り香が消えた頃、ぼんやりと、再びガソリンスタンドの方に向き直った。今はもう、なんの感慨もない。
俺は今、檻の中にいる。あの女にあった日が最後の「成果」になり、思っていたよりもずっと優秀だったらしい警察は、かなり早くから俺に目をつけていたらしい。ここの暮らしも、外と変わらず、結構大変だ。
あの女の言った事を、ここに来てからずっと考えている。
だが、俺は何も壊しちゃいない。あの女は日常を壊したかったと言ったが、俺は違う。俺は、花火を上げた。
自我の境界線も、退屈な日常も、壊す必要なんてなにもなかった。今だってそうだ。俺は、檻の中を一生懸命マジメに生きる。ただ、なにかを、人が認めようが認めまいが、俺は「なにか」をやりたかった。
最初の花火を俺は忘れない。裁かれるべき罪をちゃんと償って、いつかここを出られたら、俺はまた、ただの男に戻る。だけど、俺はあのガラスの火花を忘れない。
「ボンバーマン」、あのイカれた女がそう呼んだ男は、俺だったのだから。
ボンバーマン ~台所からテロリズム~
かなり昔に書いたものです。インターネットのイメージが古いなあと思いましたが、そのまま公開しました。