捨て猫拾いました。
1.捨て猫を拾う。
12月。
もうすぐクリスマスを控えた街は真っ暗な冷たい空を灯すようにイルミネーションが暖かな光を放っていた。
しかしそんなのは私には皮肉としか感じ取れなくて、今の私を余計にイラつかせた。
生まれてからというもの、両親との不仲が続き、とうとう私の杯は容量オーバーとなってしまったのであった。酷い怒鳴り合いの喧嘩の後、私はこの色々詰め込み過ぎた所為で重いキャリーケースひとつ引っ張りながらこの街へと辿り着いたのであった。
勿論行く当てなどない。
これからどうするか、まずは職と住む所を探さないと。
今夜は漫画喫茶で寝泊まりするしかないか。なんて考えながら私はコンビニでカップ麺を買って近くの公園のベンチに腰掛けた。
平日の夜の公園、寒空の下。
誰もいないこの場所で、独り湯気のたつカップだけが冷え切った掌を暖めた。
箸を割り、透明な領域と頑なに交わろうとしないどろりとした色の領域を無理矢理破り、かき混ぜてやった。
そして程よく濁ったそれに恐る恐る口付けた。
こんな時でも欲望に忠実な自分に少々がっかりしつつも、独り暗がりの公園の中で存在するこの安いカップ麺だけが私の心を暖めた。
この公園が私の世界。
そんな気さえ起こって来て今夜はここで野宿するのも悪くないように思えて来た。
しかし目の前のカップの底が見えるのはそう時間を要さなかった。
ぬるくなったそれを別れを惜しむように最後は大事に食べた。
少々汗ばむ位身体が温まって冷たい空気を吸い込んで体の温度を中和してやるように白い息を思い切り吐くととても気持ちよかった。
もうしばらくは幸せな食後休みを満喫したかったがそうもいかない。一気に現実に引き戻された。
早く寝床と仕事の目処をつけなければ。
暖かな闇に包まれた公園の魅力に取り憑かれてしまう前に別れを告げないと。
また再び街へ歩き出した。
また少し歩いただけで、夜の街は怪しげな場所へと変貌を遂げた。
わかってはいたが、街の嫌な部分が露見する。
ピンクのネオンに嫌らしく笑う客引きの人達。
ここは私の場所じゃない。そう強く自分に言い聞かせた。
途方にくれながら踵を返してまた淡いオレンジの光の場所へと歩き出した。
すると丁度イルミネーションとの堺の暗がりに真っ白な蛍光灯の光る古い本屋があった。
気が付くと自分はそこに向かって歩き出していた。
重く年季と埃に黄ばんだ硝子の扉を引くと少しだけ暖かな店内に古臭い本の匂いが在った。
とても難しそうな本の多さに自分は場違いではないかと少し萎縮したが、自分の好奇心だけを振りかざして奥へと進んで行った。
店内を見回ってみると、古く難しそうな本が多いものの、最近の本や雑誌も少ないが取り扱っているようだった。
手近に在った古臭い本を手にとった。
パラパラとページを飛ばし読みしてみたが難しくて三分の一程度しか読み解くことができなかった。
しかし、その三分の一の文にはとても沢山の事が凝縮されていて、理解するにはもっと時間が必要なのだと自分の興味に言い聞かせると本を閉じ、棚へと戻した。
棚の奥まで本を押し込めた瞬間に自分の中に閃いた。
なにを言っているんだ、私は。
時間ならあるじゃないか、そういえば私に行く処などなかったのだった。とふと嫌な事を思い出してしまったな、と考えると、念の為このお店で働けるか聞いてみようなどと変な考えが浮かんだのでレジをキョロキョロと捜してウロウロしていると、狭い通路で黒い何かにぶっかった。
「…っ、あ!すみません…!」
「……」
顔を上げると黒いコートを着た大学生風の男の子が睨みつけていた。
両耳の白いイヤホンから大音量の音楽が漏れていた。
きっと私の謝罪など聞いていなかったのだろう。
その恐そうな目付きに完敗してしまい、今にも泣き出しそうになってしまった。普段なら気にも留めないのだろうが、行く当ても仕事もない不安しかない今の私にとってこんな些細なことでさえヒステリックにさせようとした。
この一瞬がすごく長かった。こんなお店来るんじゃなかったなんて後悔の念ばかりが押し寄せて来て終いには泣き出しそうになって俯くしかできなかった。
男の人が溜息をつくのが聞こえた。
あー、私って最悪だ。かっこ悪い。そんなことしか考えられなかった。
「お前さ、人にぶつかっておいて謝りもできないわけ」
そんな言葉が上から降って来て気が付いたら私の目からは涙がもう零れてしまっていた。
…大の大人がこれだけは避けたかったのに。
ぐすっと鼻を啜ると、私は謝ることしかできなかった。
「………すみません…」
「あ?泣くなよこれぐらいで。泣いたら許されるとでも思ってるわけ?」
「すみません…」
謝ることしかできない私にイライラしてきたのか、舌打ちすると
「オラ泣き止めよ、ったくめんどくせぇ」
…以外にもティッシュを差し出してきた。
驚いて顔をあげてみると、照れ臭いのか視線を外した。
「……すみません」
そう言ってティッシュを受け取ると有難く使わせて貰った。
「ったく、…とりあえず店出ようぜ」
そう言って彼は胸のシルバーを鳴らしながら店の外へと歩き出した。
店の外へ一歩足を踏み入れるとガラッと空気が冷たく心地良かった。
面倒くさそうに私を睨むとぶっきらぼうだが気を使ってくれたのか泣き止めない私に質問し出した。
「で、どうしたの」
「…えっ」
こんなさっきそこらで会ったような人なのに、いきなり困らせるようなことを言うのもどうかと思う反面、面倒かけたのになにも言わないのも失礼かなどと自分の中で悶々として結果的に黙りこくってしまった。
「………」
「あのさ、急にぶつかってきてなんも言わずに泣き出された俺としてはだね…「あの…」
「んだよ」
「ごめんなさい、…その、謝ったんですけど…聞こえてなかったみたいで…」
「…、あぁ…悪かったな、睨みつけたりして」
数秒、沈黙が続いてコンクリートをみつめていた。彼の煙草に火を付ける音がして思いっきり煙を空に向かって吐くのがわかった。
「…それ、家出してきたの?」
気を使って声を和らげながら横目でキャリーケースを指してきた。
「……はい」
その時には気が付いたら自分自身泣き止んでいて、不思議な気分だった。
「これからどっか行くの?」
「…いや、…その………決まってなくて…」
「…そっか、」
「…はい……さっきは取り乱してすみませんでした、……なんか不安とかに押しつぶされそうだったので」
「いや、気にしなくて良いよ、俺もごめん」
「いやっ、ぶつかった私がわるいですし…」
咄嗟に顔を見上げると、ようやくちゃんと彼の顔を見た気がする。
真っ黒いあったかそうなコートに、耳には銀色と黒のピアスがいっぱいあって、ちょっとだけ目付きが恐いなって思ったけど。優しい人なんだなって感じた。
なんだかじっと見てしまって、気が付いてまた視線を地面へと戻した。
「…ここ、よく来るの?」
なんか質問して紛らわそうと思ったはいいが質問なんかしてしまって良いものかと言ってしまった途端に後悔した。
「…まぁな、あんたは初めて?」
「…うん、…なんか歩き回ってたら偶然みつけて。」
「ここって廃盤になった本とか置いてるし、俺それネットで売ったりして小遣い稼いでるから…」
「そっか…そうなんだ…」
そしてまた沈黙。
話が弾まない…と言うか気まずい…
絶対変な女って思われたよ!!
「あのさ、」
彼は首に手をあてて目線を外すも、私の目線まで屈んできた。
またびっくりして素っ頓狂な声がでてしまった。
「へっ!?…」
「いや、…その」
「……?」
「行く当てないなら、ウチこない?」
思いも掛けない言葉に私はどうしようもなくパニックになっていたが、厚かましくもこれって運命かも?なんて思ってしまった。
2.捨て猫にミルクと毛布。
結局、行く当てもなにもないので彼の言葉に甘えさせてもらうことにした。
彼の後ろに申し訳なく着いて行くとぎこちない会話が次第に穏やかになっていった。
「名前は?」
「いずみって言います」
「いずみちゃんね、何歳?」
「えと、…ハタチ…」
「本当に?身分証とか…あ、どっか入る?ご飯食べてなくてさ」
「あ、それはもちろん入っていただいて構わないです」
近くにファミレスがあったのでそのファミレスに入った。
店員さんがきて、案内してくれる間、なんだか不思議な気持ちになった。
さっきまで知らない相手だったのに、店員さんからみたらきっとさも昔からの知り合いかのように見えるんだろうなとか考えてしまったら無言になってしまった。
そんなに歳変わらない…のかな…二個上くらい?
そんなことを考えながらコートを脱いで席についた。
「はー…腹減ったぁーいずみちゃんはなに食う?ってかご飯食べた?」
「あ、はい。なのでお構いなく…」
遠慮した私を気づかったのか、適当にサイドメニューやらドリンクバーやら頼んでくれた。
最初は恐い人かと思ったけど、こんな気配りしてくれるとは思ってもみなかった。
「で、いずみちゃんはなにしてるの?学生?」
「あ、はい…地元のの大学に通ってました」
「ましたってことは辞めちゃったの?」
「わかりません…両親と縁切ってきちゃったので……」
「ふーん、そっか。まぁ、とりあえず仕事みつかるまでウチ居て良いよ、ただ…「あ!はい!もちろんなんでもするんで!!」
必死になって出た言葉がこれだった。
彼はいきなり噴出してメニューを持ってきた店員さんが少しびっくりして不機嫌そうにメニューを置くとさっさといなくなってしまった。
彼は少し落ち着いて、座り直すと
「大丈夫だよ、すぐ出てけなんて言わないから、でもなんでもする、なんて女が言うもんじゃねーって」
「すいません…」
「お前謝ってばっかだなー」
「あ、えっと。その…」
「別に責めてねぇよ、ほら食いなよ。恩に着せたり後で見返り求めたりしねーから」
「…い、いただきます」
沢山泣いて誰かと話したお陰でどこか安心したのか、さっき食べたカップ麺は胃の中からどこへやら消化されていた。
「なに飲む?あったかい紅茶でいい?」
「あっ、自分で取りますから…「いーよ、あんたはゆっくり食べてなよ。歩き回って疲れたっしょ」
「すみません…」
「ん。待ってて」
そんなやり取りがなんだか恋人同士みたいで小っ恥ずかしくなってきて次第に上がる体温を必死に彼が戻るまでに落ち着かせようとした。
彼が戻って、砂糖とミルクこれで足りる?などとまた気を使わせてしまった。
そんな自分の情けなさにがっくりしつつも、有難くいただいた。
「なんだかすみません…ご迷惑掛けた上に気を使わせてしまって…」
「いーって、気にすんなって。俺もクリスマスムードの街に女の子連れて飯とか来れたわけだし。」
「彼女さんとか、いらっしゃらないんですか?…えっと」
「ああ、ごめん。俺タクトな、横芝拓人。」
「あ、改めまして佐藤いずみです」
「いーよいーよ、そんなに堅くならなくたって。いずみちゃんって真面目っぽいってゆーか、礼儀正しいんだね」
「いや、そんな…」
「俺さー、こんなだから彼女とかあんまりできなくてさ」
眉間を指差しながら笑ってみせる。
「他人にあんまり心許さないんだよなー」
「えっ、」
「あー、あんたは別かな。正直最初は面食らったってゆーか、いきなり泣き出すし。」
「すみません…」
「いや、いーよ。俺あんたのこと気に入ったし。」
「えっ、いや…その……なにもできませんが、なんでもするのでよろしくお願いします。」
「あはは、真面目なんだなぁ、本当。こちらこそよろしくね」
こうして私は家事全般を家賃替わりに居候させて貰うことになった。
***
電車で三駅程行った所に彼のマンションがあった。
しっかりとしたセキュリティーマンションで学生が住むには不釣合いで綺麗で新しい部屋なのに男の人の部屋特有の散らかり様だった。
「俺さー、フリーターなんだけどここ親のマンションで両親共離婚してて再婚してるからここに隔離されてるってわけ。」
「…そうなんですか」
「だから気兼ねなくウチ居て良いよ、俺シフトがバラバラだけど、大体夕方には仕事終わるから。なにかあったら連絡して。ケータイ持ってるよね?」
「あ、はい」
コートのポケットを急いで漁ってケータイを差し出した。
「とりあえず使ってない部屋があるんだけどそこ使っていーから。」
「あ、はい!お世話になります!!」
「よし、じゃあ荷物置いてお風呂入ってきなよ。ためとくから」
「あ、私やりますから!タクトさん先に入ってください!!」
「そう?じゃあ俺明日仕事あるしそうさせてもらうわ」
こうして私の目まぐるしい一日は疲れと睡魔によって幕を閉じられた。
捨て猫拾いました。