はだしのゲン
2005/7/18 『はだしのゲン』 尾道市民劇場
木山事務所公演
原作=中沢啓治
制作=木山潔
脚本・演出=木山恭
キャスト
中岡元=田中実幸
中岡大吉(父)=大宜見輝彦
中岡君江(母)=田中雅子
中岡英子(姉)=広瀬彩
中岡進次(弟)=西村舞子
近藤隆太=小川恵梨
朴=本田次布
案内役=前田昌明
久し振りの尾道テアトロシェルネだぁ?(^^) 今回は休憩無しで2時間弱の上演時間、座席は一階だけどかなり後方、座ってパンフを読んでいると隣の方が話しかけられてきた。「○○(私の住所)の方ですか?」・・・ハイと答えるとその方は息子さんと一緒に来られていて、私と同じサークルになったのだと言われる。ハァ?そうですかぁ?・・・(笑) と誠にトンチンカンな会話を交わした。市民劇場は原則サークルで参加する事になっているが私はひとり離れた所からの参加なのでサークルを組もうにも知り合いは誰も居ない。事務局にその事を話すと良いですよ?とご返事があって、それから送られてくる手帳にはサークルナンバーが入っていたけど何処の何方と同じサークルに所属しているやら全然知らなかったのだ(^^)
舞台は奥に一段高い細い通路が有ってそれに板状の床が斜めに架けられている。これには一枚一枚が少し隙間があって、その場の状況に応じて床下から明りが漏れたりして、色々に使われる。
前には青い空に白い雲が架かる景色の描かれた薄い紗の幕が掛かっている。舞台に並んだ人達の自己紹介に続き合唱が始まると案内役の前田さんが、昭和20年3月10日の東京大空襲に始まった米軍の本土空襲は名古屋・大阪・神戸と続き4月1日にはついに沖縄へ上陸したが新聞もラジオもこの事は一切報道しなかった・・・、と当時の状況が語られていく。
広島では中岡一家は貧しいけど親子5人が仲良く暮らしていて、母君江はもう臨月のようだし、父は下駄を作る職人で戦争反対論者、この戦争は負けじゃ、と子供達に話す。
そんな折 朴が食べ物を持って来てくれる。彼は強制労働のため家族と離されて日本へ連れて来られた朝鮮人だ。だが父は憲兵に連れて行かれ拷問を受ける。父の居ない姉弟は父の作った下駄を売って生活をしようとするが友達から非国民と罵られ虐めを受けて下駄は投げ捨てられる。
6月23日沖縄は占領され7月には連合軍はポツダム宣言を受け入れるよう求めたが日本政府はこれを無視・・・、そして8月6日の暑い朝が来た。一旦出された空襲警報が何故か解除された為に外へ出た人が多く居たとの説明の中、 ゴォ―ッという音と共に広島に原子爆弾が投下された!ゲンの父親は家の下敷きになって身動きが取れなくなっているのだが、この状態を表現するのは柱の形をした光なのだけど、下敷きになっていると判るまでに時間がかかった。被災者の状況を現す大事な場面なのだから、もう少しインパクトのある小道具の工夫が欲しかったな、と思う。父と姉と弟は助け出す事も出来ず近づいてきた炎の中へ・・・、水を求めながら死んでいく人々・・・、壁一杯に広がるオレンジ色のバックの中を影絵のように手から皮膚がぶら下がっている大勢の人が歩いて行く。
そんな中ショックを受けた母親が産気づき女の子を出産する。ゲンはその子に友達が沢山出来るようにと、友子と命名する。
9日には長崎へ原爆投下、そして終戦を迎えた。ゲンと母親は焼け跡から父親・姉・弟の遺骨を掘り出し焼け跡でバラックで生活を始める。そこへお腹を空かせた近藤隆太が雑炊の匂いに誘われて現れる。私がもっとも心を打たれたのは、父も母も原爆の爆風に吹き飛ばされ木の枝に刺さって死んだというこの隆太だった。一面の焼け野原の中、恐らくこの様に両親を亡くした子供達も大勢居たことだろうと思う。大人たちでさえ食べ物を得るのが大変な折、この子達はどうやってその日その日を生き延びていたのだろうか? その事を考えると胸が痛む。だが弟・進次に良く似た隆太は明るく逞しかった!母も食べるものも少ないけど進次が生きていると思えば出来ないことはないと、一緒に此処で暮らそうと提案する。こんなに親切にされたのは始めてだと大泣きをする進次。 そしてゲンの事をアンチャン(兄ちゃんの意味)を呼び、大テレをしながらも喜ぶゲン。二人は仕事を探しに出かけ、原爆で傷ついた手足にうじが湧き、椅子に座ったまま絶望している男性の世話を1日10円の報酬で引き受けるが、その男性の余りの横暴さに切れて辞めると言い出した時、男性は本気で向き合ってくれて有難うと100円の入った封筒を渡す。友子を医者に見せられると喜んで帰ってきたが、友子は栄養失調の為、すでに亡くなった後だった。
舞台に架けられた斜めのスノコの間から緑色のライトが見え、70年は草木も生えないといわれた焼け跡に草の芽が吹き出している。そして原爆症の為すっかり毛が抜け落ちて坊主になっていたゲンの頭にも毛が生え始めた! ゲンと隆太はこれからも逞しく生き抜いてやるんだと誓う。
ゲンは大人になって漫画家になり、原爆症で亡くなった母を火葬にしたら骨が全然無くて、原爆の恐ろしさを改めて感じたという。原爆症は60年経った今も続いていると前田さんの説明で舞台は終わった。
木山事務所にはアンサンブルがいるとプログラムに載っていた。確かに歌は上手な人が多いし、踊りも達者だったが、歌の挿入は良かったと思えたが、踊りはこの作品に占める意味がもう一つ浸透していない気がした。
被爆の体験をした人達は、あまりの辛さ故に被爆体験を語りたがらない人が多い。生き残った事が罪に思えるとも言う。どんな言葉で語っても、あの惨状は言葉では語り尽くせるものではない事は想像が付く。被爆後すぐに現地に入った米軍の関係者達が、目の前にいる大勢の助けを待つ人達の怪我の手当てをするでもなく、実験結果を調べる如くに淡々と被爆者達の被害の状況をカメラに収めている姿を幾度も目にしたが、その度に胸の奥に言いようの無い怒りがこみ上げてくるのが押さえきれない。
何の罪も無い多くの人々の人生を一瞬で断ち切った原爆投下!・・・、憎くむべし!
来年は井上ひさしさんの『紙屋町さくらホテル』が上演される事が決まっている。
はだしのゲン