水無月


雨が降れば傘を差す。

強くも弱くもない、空から無数に降り注ぐ水から身を守るために。
いや、守ってるのだろうか。
相手は水だ。
津波のような塊で襲ってくるわけではない。
雨粒と名の通り水の粒なのに、そんなモノから身を守るほど僕はひ弱なんだろうか。
そんな疑問さえ正直、どうでも良いのだ。
彼女は僕の制止を振り切って雨に気持ちよく打たれている。
まだ少し早いけど真夏の海にでも来た様に空から落ちてくる雨を一心に受けている。
その姿が綺麗だったから、こんな詰まらない疑問を抱いたんだろう。

「そんなんしてたら風邪引くで」

僕の心配の声すら彼女には届かない。
足早にいつ覚えたのか僕の家へと足を進めていく。
微かに鼻歌が聞こえてくるから、とても機嫌が良いのかも知れない。
その理由は未来永劫分からないのだろう。
他人の気持ちが高揚する理由があっても聞く術が無ければ、知る瞬間が訪れないなんて当たり前だ。

家に着いて干してあったバスタオルを投げ渡した。
彼女は器用に頭で受け取るとバサバサと髪を乾かす。僕は彼女の背中に回り、髪を乾かし続けるその手と自分の手を重ねた。
冷たくなりすぎた白い小さな手を握って一緒に髪をバサバサと、余分というには余りまくった水気を拭う。
この時間を幸せというのかな。
今日は自分の中に疑問が大層浮かんでくる日だ。そんな日も良いだろう。
終わらない鼻歌が僕も知っているものに切り替わったので御一緒させて頂く。

「どうして、何も聞かないの?」

突如、その鼻歌が疑問文に変わってしまった。
どうしよう、僕はまだ鼻歌の途中だ。急に止めるのは何だか格好が悪い。
しかし、このまま続けては疑問に対して無視を決め込んでしまったようでバツが悪い。

「どうして?」

冷たい白い小さな手が、髪を乾かす動作なんて最初からしていなかったくらい動かない。
手の主の体温より低そうな声の再度の問い掛けは何だか心に突き刺さる。
もう鼻歌を止めなくてはならないのかな。
何年も前に流行ったヤツ。雨の日にカップルがすれ違って会えなかったっていう内容の、歌詞の、泣ける歌、なんていう代名詞の着いたヤツ。
僕はこの歌がさり気無く好きで、そろそろ一番好きなフレーズの

「どうして?」

三度目の問いは、振り返った彼女の瞳が僕を追い詰めるような色で、一番好きなそのフレーズまで歌わせて貰えなかった。
カラオケで歌うほど好きではないからな。
きっと、この歌を歌う機会なんて鼻歌でも一生来ることはなさそうだ。
ついでに振りほどかれた手の行き場なんかに迷ったフリをする。
迷っているのはそんな事ではないからね。

何も聞かないわけではないよ。
キミは僕に責めて欲しいのだろう。

どうして他の男と歩いていたのか
どうして手を繋いでいたのか
どうして電話に出なかったのか
どうして言い訳すらしないのか

どうでも良かったからだよ。

キミとの曖昧な関係を楽しんでいたのは、そもそも僕のほうだ。
大事になってしまったキミとの関係を終わらせることも、はっきりさせることも怖くて逃げたのは僕だから。
このままを望んだんだ。
それが逆にキミを責めた事にはならないのかな。
無理なのかな。
少なくとも僕は綺麗ではないけど、そんな二人では駄目だったのかな。
綺麗でも汚くてもキミを好きだと思ったのは、間違っていたのかな。

「何も言わないの?」

言葉を出せない僕の変わりに雨音が煩いくらいだ。
さっきより雨が強くなったらしい。
グルグルと鼻歌の続きが脳内で流れているよ。
聞こえないのかな。
雨が煩いから。


僕は、ひ弱だと思う。
冷たい視線に、溢れ出す様に流れる水の粒に耐えられない。

傘を差さなきゃ。

水無月

水無月

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-11-01

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