屋根の上のヴァイオリン
5/9 『屋根の上のヴァイオリン弾き』 廿日市文化ホール
実は今日はじめてお逢いするメル友さんが廿日市駅まで自動車でお迎えに来て下さる事になっている (^_^)/
どんな方だろう・・・? 楽しみと緊張の入り混じった気持ちで駅を出たのだが・・・一瞬にしてお互いが判ってしまうなんてスゴイ!・・・(笑)
劇場の近くで一緒にお食事をしながら色んな話を伺ったが、同じ趣味を持つ者同士ってこんな時話題に事欠かないのが嬉しい。楽しく食事をした後劇場へ向かった。
廿日市文化ホールは市役所と棟続きになっているから公共の施設なんだと知った。会場へ入ると横幅は余り無いがなんといっても奥行きが・・・!3階の客席はスゴク高くて遥か彼方に見える(笑)
今日の作品はあの森繁久弥さんが長い間当たり役として舞台を勤められたテヴィエの役を今回は市村正親さんが初めて演じられる。
どちらも軽妙な演技では定評のある方だが、市村さんは果たしてどんなテヴィエを作り上げられたのだろう?お目にかかれるのをとても楽しみにしていた。
私はミュージカルに関しては、音楽を知っているのと知らないのとでは舞台を観た時の感情移入が大きく違うと思っているから出来るだけ予習をしておく主義なので
このチケットを取ったと同時に森繁さんのライブ版のCDを購入し、友人から借りたビデオもみて内容はしっかりと把握していた。
舞台は後方左側から中央に向かって斜めの通路そして右側からも中央に向かう通路があり舞台中央で交差している。そしてこれは2幕になってはじめて気が付いたことだが
右側通路の下がなんとオケボックスになっていた! 始まる前に楽器の音合わせが聞こえるのに舞台の前方にはオケボックスが無い。不思議に思って伸び上がって確認したけど
やはり無い。この音合わせもテープなんだろうかと思いながら、オケの事は舞台がはじまると忘れていたのだが、2幕が始まってこの通路の下に灯りがついているのが見えてエェーッ、
ここがオーケストラピットなの!!・・・(笑) 明かりもほの暗く天井も低いし場所も狭まい。舞台が始まるとカーテンが引かれ観客からは全く見えない中での演奏・・・ホントにご苦労様!!(笑)
そしてバックには半円の青い空が明るく光っていてやや茜がかった雲がたなびいているのが見えている。これは時に真っ赤な夕焼けになったり星空になったりもする。
下手の方に小さな小屋があって、その尖がった屋根の上でヴァイオリンを奏でている男が居る。
これは一口で言えばアナテフカに住むロシア系ユダヤ人の家族の、特に娘3人の結婚のお話が主体だが、その根底に有るのは国を持たないユダヤ人の悲哀が込められた物語。
ヴァイオリンの音ともに牛乳屋を営む貧乏なテヴィエ(市村正親)が出てきて自分達の状態はあの屋根の上でヴァイオリンを弾いているように不安定なものなのだと語り始める。
では何故こんな所で暮らしているかといえば、此処が自分が生まれた場所だから・・・、そしてこの不安定な生活を守る事が出来たのは昔からの仕来たりがあったから。
その仕来たりに従ってイエンテ(杉村理加)が、テヴィエの長女ツアイテル(香寿たつき)に父親より年上の肉屋を営むラザール(鶴田忍)との縁談を持ち込んでくる。
テヴィエの妻ゴールデ(夏木マリ)はラザールがお金持ちだと言うので乗り気になるのだがツアイテルには貧乏な仕立て屋の恋人モーテル(駒田一)が居たのだ。
この駒田さん、レミゼではピエロのようなメーキャップで憎まれ役のテナルディエをやっていたのだが、今日の気弱なお人好しのモーテルにはテナルディエの面影など微塵も無いし
それに若いんだ!(笑) 当たり前の事かもしれないが役者さんてスゴイ!改めてそう思った。
その事を告白されたテヴィエは娘可愛さにこの結婚を許すのだが実はツアイテルだけでは終わらなかったのだ。次女のホーデル(知念理奈)は革命家の学生パーチック(杉田あきら)と、
恋仲だという。だがパーチックは捉えられてシベリアの流刑地に送られ、その彼を追ってホーデルもシベリアへ行くという。シベリアへ行ってもユダヤの仕来たりに沿ってちゃんと結婚式は挙げるから
と言うホーデルにテヴィエは、シベリアにも流されてきた司祭さんの一人や二人は居るだろう、お前のパーチックに宜しくな、と送り出す。 ところが三女チャバ(笹本玲奈)にはあろう事か
民族も宗教も違うロシア人のフョートカ(結樺健)と言う恋人がいるという。テヴィエは自分の全てを否定するようなこのチャバの結婚だけは許す事は出来ないが娘への愛との板ばさみに悩む。
そんな時全てのユダヤ人に対してこの土地から立ち去るよう命令が出る。逆らう事も出来ない村人達は荷造りをして村を去り、真っ赤な夕焼けの中をテヴィエ達もアメリカへと
旅立っていく。
笑いあり、涙ありのほのぼのとした家族愛の物語だが、その笑いの一端を司祭さんが絶妙なタイミングの台詞で担っているが、CDの中の司祭さんは益田キートンさんがやっていた。
そのとぼけた間の取り方がとっても素晴らしかったのだが、今回の司祭・青山達三さんは台詞の間の取り方もその存在も影が薄かったのが残念だった。
夏木マリさんはとても垢抜けた肝っ玉母さんだ。 でもカカア天下ぶりがとても似合っていて、お人好しの市村テヴィエとの夫婦は良いコンビだった。
テヴィエとゴールデは ♪初めてあったのが結婚式?、 なんて昔の日本にもこんなの有ったよなぁ?。 でも子供が結婚する年齢になって愛してる!なんて言えるのは素晴らしい(笑)
その市村さんだが台詞など間の取り方は、森繁さんに負けず劣らずの軽妙な演技だが、可笑しい台詞を喋りながらもその底に悲しさが感じられる言い回しはやはり森繁さんには敵わない。
だが今回が初テヴィエと言うことを考えれば立派なものだし、その動きは流石だった!足の先から指先に至るまでピ?ンと神経の行き届いた軽々とした体の動き、これだけは森繁さんも
脱帽だろう(笑)
この作品は至る所に笑いが盛り込まれているが、それも「笑っていなけりゃ、やってれないよ」のメッセージに聞こえてくるのは根底に流浪の民ユダヤ人の悲しさが有るからだと思うのだ。
ユダヤ人の迫害は1700年にも及ぶと言う。私もこの事に付いては詳しくは知らないけど、その迫害の原因となったのが「イエスキリストを十字架にかけた民族」だという事らしい。
しかしそのイエスもユダヤ人だというのだからこれが解らない。これほどまでの迫害を受けた民にしてみれば骨の髄まで染込んだ恨みは子々孫々まで受け継がれていくのかも知れないが、
果ての無いその先を思うと暗澹たる気持ちになる。世界中を流浪してきたユダヤ人がようやく安住の地を得る事が出来て本当に良かったと思うが建国したイスラエルは今では加害者の立場に
なりつつあるように見えるのだ。何時か・・・誰か・・・大きな気持ちになってこの恨みの連鎖の幕引きが出来ないものだろうか。
神の名において人を殺す、などと叫ぶ人がいるけど、決して神は人を殺せと命ずる事はない、と私は信じているのだが・・・。
屋根の上のヴァイオリン