雁の寺
6/9 『雁の寺』 尾道市民劇場
地人会公演
作 水上勉
演出 木村光一
配役
里子=高橋恵子
慈念=嵐広也
慈海=金内喜久夫
その他
まだ『ジーザス』の余韻が覚めやらぬまま尾道へ行ってきたが今日観た舞台もまた宗教界のお話だった。だがこちらはキリストの高い理念とは程遠い禅寺の生ぐさいお坊さんのお話で・・・(笑) 正に水上勉が描くどろどろとした情念の世界!だった。 尾道へ着くと、もう既に八王子ナンバーのトラックが荷物を降ろした状態で車庫に入っていた。「遠くからご苦労さまでした!」 トラックを見ると何時もそう思うのは職業意識が働くからかな。
今日の座席は1階の最後列、テアトルシェルネは余り大きな劇場ではないが、やはり最後列から舞台は遠いなぁ?!俳優さんの顔も良く見えないがこれも順番だから仕方が無いか・・・。そんな事を思いながら座席に座って開いたパンフレットには作者の水上勉さんの生い立ちが書かれてあるが、それによると水上さんも今日の舞台の主人公と同じ様に父親は大工で、子沢山の生活は苦しく口減らしの為にお寺へ預けられていたという。『雁の寺』もそんな水上さんの辛い体験が随所に現れているようなお話だった。
昭和8年京都にある禅寺・孤峯庵で14歳の少年の得度式が行われている。彼は若狭の寒村の瞽女(ごぜ)が生んだ子で村の宮大工夫婦に育てられ、この寺に預けられる事になり慈念と名付けられた。孤峯庵の住職である慈海は禅の修業と称して慈念を厳しく仕付けるが、そんな所へ慈海の昔の友人で孤峯庵の襖絵を描いた画家、最近亡くなった南獄に囲われていた里子が尋ねてくる。南獄が描いた雁の襖絵を懐かしみながら頼りの人が亡くなって生活の為に何処かへ働きに行かなくては・・・、と嘆く里子を慈海はそのまま寺に住まわせることにするが、慈念もまた里子に興味を抱く年頃だった。この慈海さん、言う事もすることも宗教者とは言い難い生臭坊主! でもこれは今でも有り得る話かもしれないなぁ?(笑)
こんな情景を身近に見ながら暮らす若い慈念の心の中に鬱憤が溜まっていくのも無理からぬことだと思う。私はこの原作を読んでいないのだが、慈念は板の間は冷たいが土には温かみがあると言って床下に筵を敷いて塒にしているが、それはもしかして慈海と里子の情事の模様を床下からそっと窺っていたのかも知れないと思った。だが3人で暮らすうち里子は食べ物も充分に与えられず辛い修行に耐えている慈念の事が気がかりであれこれと世話を焼くようになる。慈念はこの寺から中学校へ通っているのだが軍事教練が苦手で休み勝ちになり中学校の教師に向かって、人を救うのが務めの修行をしている自分は人を殺す教練は出来ないと、学校へ行かない理由を話す。だがこんな慈念にも人の見ていないところでは仏前のお佛飯を盗み食いしたり、池の鯉を捕まえては自分の塒である縁の下に持ち込んで食べていたり、意外な面がある事を見せながら後の展開の伏線が敷かれていく。
慈念が捨て子だったと聞き、お仕置きだと頭を打ち付ける慈海の仕打ちの酷さを見かねた里子は、慈海の眠った隙に慈念の部屋を訪ね、母になってやろうと自分の胸を開いて慈念を誘い、躊躇いながらも慈念もその胸の飛び込んだ。この時高橋さんは、客席に向かって実際に乳房もあらわに自分の胸を見せたのにはチョッとびっくりした。
そんな或る日 檀家の久間家の当主が亡くなりその葬儀も引き受けていたにも関わらず友人の家を訪ねた慈海が夜になっても戻ってこなかった。お通夜は慈念が取り仕切ってなんとか済ませ明日は葬儀というその夜、慈念はなんやかやと理由をつけて人を追い払った後、自分の塒である縁の下から慈海の死体を引っ張り出し仏前に置かれているお棺の中へ入れてしまう。やはり慈海は慈念に殺されていたのだ!
翌日の葬儀は慈海の友人の和尚・雪州が来て務めて無事終わるが、お棺を担いだ人は余りの重さに驚きよろめいた・・! だが何とか無事に出棺は終わった。 その列に向かってそっと手を合わせる慈念。だが皆の前では和尚さんは旅に出たいと言っていたと欺き、皆も納得するが・・・、そんな慈念が突然いなくなった! しかも襖絵に描かれていた母子の雁の部分が剥ぎ取られている・・・! 里子は慈念のねぐらから鯉の骨だけが出てきたのに驚きながら寺中を探し回る。
その慈念は若狭に居た。そして何人か居る女の中に里子にそっくりの瞽女をみつける・・・、これが慈念の生母だったのだろうか・・・?
高橋さんはこの里子の演技で女優賞を貰ったと解説にあったが、綺麗で上品で良家の奥様、といった感じだった。私としては場面によってはもう少し崩れた感じを出した方が説得力が有ったような気がするのだが・・・。
この舞台のセットは下手に風呂やトイレ(・・・とはこの時代だから言わないよね(笑)便所の窓が見えている。便所の下側にはちゃんと汲み取り口まであって実際に慈念が肥汲みをしている場面も出てくるし、和尚が便所に行けば便所の明かりが灯り、里子がお風呂に入っている時はお風呂の明かりがぼんやりと見えている。
上手には階段があり本堂と庫裏を行き来する時に使われている。そして変化するのは雁が描かれた襖と舞台中央に傾斜のある八角の大きな盆(廻り舞台)の部分だけで、本堂と庫裏の場面転換の度にゴリゴリと音を立てて回る(笑) どうやら人手で回しているようだ。盆の中央には本堂では仏壇になり庫裏の場面になると、これがぐるりぐるりと何回も回り床の間に変りそれに合わせて襖絵もくるりと変る。そして盆の周りには実際のお寺に有るような板の廻り縁が作られていたが、その廻り縁の下側、つまり床下の部分が格子になっていて時折不気味に青っぽい光が灯る時があるのだが・・・、この不気味な灯りの意味は判らないけど、これがチョッと怖いんだなぁ?(笑) 舞台の奥には照明によってこの舞台を象徴している物体のようにも見えるお釈迦様か阿弥陀如来かと思われる仏像が見えていて時にこれも大木に見えるよう変化する。このセットは昭和8年という時代を彷彿とさせる誠に手の込んだセットだった。
どんな風に作られているのだろう・・・?と興味が湧き、バラシが見たくて終演後もそのまま座席に座って最後まで見届けたが、男性スタッフの方がテキパキと指示を出し見事な速さでバラシが進む。だがこれを毎日毎日組んでは壊し、を繰り返すのは大変な作業だなぁ。ホントにご苦労様!!
明日は倉敷だそうだ。
雁の寺