たばこ
泊まるためだけに寄った特になんということもないただの田舎の、小さな駅での出来事。
「あ」
唐突に声を漏らして歩みを止めたハーヴェイに、すぐ後をついてきていたキーリはその背中におでこをぶつけた。
「いきなり止まらないでよ……」
別に痛かったわけじゃないけど何となく額を右手で抑えて抗議した声は、なんだかあっさりと無視されてしまった。見るとハーヴェイはコートのポケットをなにやらごそごそと探って「あー……」とか「しまった」とかよくわかんないことを呟いている。しばらくその作業を続けるハーヴェイを疑問に思いながら眺めていると、ポケットから骨ばった手を抜いていきなりくるりときびすを返し、「ちょっとその辺で待ってて」言い終わる前には来た道を戻ってすたすたと歩き始めた。
「えっ。ど、どこ行くの?」
慌てて振り返り赤銅色の頭に向かって問い掛けると、ハーヴェイはこちらも見ずに「煙草。切れたから買ってくる」
「ちょ、ハーヴェ……」
相変らず必要最低限の言葉だけを残し、ハーヴェイはあっという間に視界から消えていってしまった。キーリは一人、駅のロータリーに残された。
*
その場に突っ立って待っているのはなんとなく嫌だったので、そばにあったペンキの剥げかけたベンチに座って待つことにした。兵長はハーヴェイが連れて行ってしまい、話し相手がいないのでかなり暇だ。
まだ日の出前の砂色の空を一人ぼんやり見上げていると、誰かが近づいてくる気配がした。ハーヴェイが戻ってきたのかと思って喜んだのも一瞬で、見るとその男はハーヴェイより若干背が低く、髪も赤銅色ではなく深紅だ。警戒して身体を強張らせていたら、案の定男は声をかけてきた。
「かーのじょ。ねえ、君一人? 暇ならどっか食べ行かない」
コートのポケットに両手を突っ込んで気さくに話し掛けてくるその男に、キーリはびくりと肩を竦めた。
「うん? あららもしかしてオレ怖がられてる? やっだなー、そんな警戒しなくてもいいのに」
男は白い歯を覗かせてへらっと笑って見せた。
こんな田舎にもこんな人間がいるのか。
こちらを見下ろして人のよさそうな笑顔を向けてくるその男がハーヴェイに似たあの男と重なって、嫌悪を感じてキッと睨むと男は大袈裟に肩を竦めた。
「警戒しなくてもいいっつってんのに。ね、どこ行きたい? あ、もしかしてこの辺詳しくないとか。じゃ、オレがうまい店連れてってやるよ」
キーリはまだ何も言っていないのに深紅の髪の男はキーリの腕を掴んでぐいと引き上げた。
「放してっ」
無理矢理立たされたキーリが掴まれた腕を力いっぱい振り回して抵抗すると、男は眉間に皺を寄せて不機嫌な顔になった。睨まれたので睨み返す。
「別に私、一人じゃないしっ、あんたについてくとも言ってない!」
どっか行って、と吐き捨てるように言ってまたベンチに座り直す。ハーヴェイがまだ戻ってこないから、ここを離れちゃいけないから。
「んだよ。何、彼氏でも待ってんの?」
この男がだんだん本当にヨアヒムに見えてきた。雰囲気とか喋り方が似てるから、最近よく絡んでくる他の男より無意識にあからさまな拒絶をしてしまう。
質問に答えずにそっぽを向いて無視し続けていると、男の気配が苛立ってくるのがわかった。それでも無視を続けていると、ブチッと何かの切れる音が聞こえた気がした。
「ちっ。可愛い顔してっけど中身は全然可愛くねーのな」
言うや否や、男はさっきよりもずっと強い力でキーリの腕を掴んだ。
「やっ……」
激しく腕を振り回すが、必死の抵抗もむなしく乱暴に立たされる。深紅の髪の男はキーリの腕を掴んでずんずん歩いていく。抵抗するが男の歩く速度が速いために躓いて転びそうになった。
「ちょ、私、待ってないと……っ。ハーヴェイ……」
ハーヴェイの名を呼んだのは無意識だったので自分で自分に少し驚く。紅髪の男がますます機嫌を悪くしたのがありありとわかった。
「誰それ。そのハーヴェイっつーのがあんたの彼氏かよ」
「ち、ちが……そんなんじゃ」
「だったらいーじゃん。彼氏じゃないなら放っといて」
たぶんこの人、もうやけくそだよ。ていうかこれ、もはや誘拐じゃ……。
早く戻ってきて、と胸中でハーヴェイに呼びかけるが、もちろんその声が届くわけもなく―――
*
田舎って不便だ、と改めて思った。
駅は列車に乗り降りするためだけにあるから売店なんて気の利いたものはないし、煙草を買うにもそれなりに歩かないと店自体がない。手に持っているラジオといい勝負なくらいボロい店で、別に買いだめってわけじゃないけどいつも吸っている銘柄の煙草を二箱買ってそのうちの一箱から一本取り出して早速火をつける。
『お前なあ、なくなってんならなくなった時に買っとけば良かったろ。いきなりキーリ一人残してくなんざ……』
ラジオの説教を適当に聞き流しながら、しかし罪悪感はあるにはあるので足早に来た道をもどる。早朝の冷たい空気が頬を薙いだ。
もどってみたらそこにキーリはいなかった。
「この辺で待ってろっつったのに……」
『貴様がそんな曖昧な言い方するからだ』
オレのせいかよ。
『どこ行ったん……おい、もしかしてあれキーリじゃねーのか』
言われてその辺を適当に見てみると、やたらと派手な髪の色をした男が華奢な少女の腕を引っ張っていた。少女は男の腕を振り解こうとしているようだが、そんなことはお構いなしに偉そうに紅い髪を揺らして男は何処かへ歩いていく。誰だよあいつ……。
『なんだ、誰だあの軽そうな男は。おい、ハーヴィー。……聞いてるのか』
なんだかその紅い髪が無性にむかついて、そいつの場所まで向かう時間すら惜しかったのでまだ開封していない方の煙草を投げつけた。
それはみごとな弧を描きながら紅い髪に向かってひゅるひゅると飛んでいき、
……クリーンヒット。
見事深紅の頭に当たり、男が頭を抑える仕草をするのが見える。
『……。ハッ、いいざまだな』
隙ができた男の腕をようやく振り解くことのできた少女は数歩後ずさって男から離れ、煙草の飛んできた方向を見やった。紅い髪の男がもう一度少女の腕を掴もうとすかさず伸ばした手があと少しのところで虚空をつかむ。
キーリはこちらに向かって駆け出して、「ハーヴェイ遅い!」ぷぅと頬を膨らませて恨みがましく見上げてくる。
「ちっ、あんたがハーヴェイかよ」
紅い髪の男がこちらを見て低い声で言った。
上空を仰ぎながら肺にたまった煙を男に向かって吐き出すと軽く咳き込む声が聞こえた。
「人違いだな」
男は顔を自分の髪の色と同化させて咳き込みながらがなりたてる。
「てめ、しらばっくれてんじゃねーよゆるい顔しやがって! 俺お前みてーな奴見てるとむかつくんだよ」
「俺はむかつかないな」
男はしばらくこちらを睨んだ後、かるく舌打ちしてその場から立ち去ろうとしたがまた咳き込んでその場にうずくまった。紅い髪を見下ろしてお返しにとこちらも思いっきり睨みつけてやった。なんだかやたらと腹が立っていたので、きっとこの場にキーリがいなければ男を蹴飛ばしていただろう。
「煙草苦手なんだ。子どもだな。いけないなあ、子どもがこんな時間に外うろついてちゃ。さっさとお家帰れば。ママが心配してるよ」
「くっ……」
言いながら吐いた煙にまたむせたらしく右手で苦しそうに口を抑えながら立ち上がった男は、咳を我慢しているのか涙目だった。
しばらくの沈黙の後、だんだんと落ち着いてきた紅髪の男はこちらを睨むのをやめてキーリの方を見た。そしてふっと嫌な感じに口元を歪めて笑う。
「かのじょ、こんなゆるそうな男と一緒にいたらいつか痛い目見るぜ」
「ハーヴェイそんな人じゃないもん」
すかさず答えたキーリに対して深紅の髪の男はもう突っかかるでもなく睨むでもなく、無言でその場から立ち去っていった。
『なんだったんだ、あいつは』
ラジオがスピーカーから男の去っていった方向に向けて黒い粒子を吐き出しながら言う。
「さあな。行くぞ、キーリ」
「えっあ、うん、待ってっ」
つたない足取りで後をついてくる華奢な少女がなにもされずに無事でよかったと、柄にもなくそう思った。
*
駅のホームに少女が少し遅れる形で立つと、ちょうど列車が入ってきた。
扉が開くと埃っぽい風が舞い、ぼさぼさの赤銅色の髪と短い黒髪と少女の首から下げられたラジオのストラップがゆれた。
「さっさと乗るぞ。あいつのせいで時間くった」
『もとはといえばお前のせいじゃね-か"ハーヴィー"』
「"ハーヴェイ"」
長身の青年と古いラジオの言い合いに少女がくすりと笑みを零す。
「もう、いい加減にしてよ二人とも」
身長差の大きい二人と古ぼけたラジオの姿が列車の中に吸い込まれるように消えて扉が閉まる。
残された煙草の煙が、列車がホームを抜けるまでゆらゆらとその場に漂っていた。
たばこ
たしか中学から高校にかけての時期に書いたものだと思われ…
いろいろ恥ずかしいけどわりと気に入ってます。