BLIND LANCO ~盲目のネコがボクに教えてくれたこと~

---どうせ長くは生きられませんよ---  ---どうせ? どうせってなんだよ!フザけんなよ!  きっと俺が生きてて良かったって思わせてやるよ!--- ボクは、怒りで早足になりながら、次の動物病院に向かった。 例え助かっても、この子猫は、もう一生光を見ることなく生きていくことになる。 ボクのしていることは偽善なのか、エゴじゃないのか・・・。

この物語は、ボクと盲目のネコLANCOの優しくてあったかい20年の軌跡です。

LANCO 
オマエと会ったあの夜を、ボクはいつまでも忘れないよ。
そう、まさに目蓋に焼き付いているようにしっかりと覚えているんだ。

LANCO
あれは、きっとめぐり合わせだったんだ。
そう、神様がめぐり合わせたんだよ ボクたちを。
ボクは、この世にある美しいモノをオマエに伝えるために、オマエは、この世にある不必要なモノを見ているボクに、目を瞑って想像することを教えてくれるために。

そう、そうなんだ。
ボクにとって、オマエは、見えなくても前に進んでいく勇気と優しさを教えてくれたんだ。

Blind LANCO



    第一章 はじめまして


1989年の夏は、いつもより少し蒸し暑く感じた。

ボクは、アメリカの映画会社の日本支社で働いていた。
その年一番のなりものいりの映画がやってくるということで、時間に追われ、へとへとになって家路に着く毎日だった。

たぶん、蒸し暑さは、仕事でかいていた冷や汗のせいだろう。

ところがその日は、たまには仕事の疲れを癒そうとの同僚の声かけに、半ば待ってましたと、居酒屋でビールジョッキを鳴らせた夜だった。

ボクは千鳥足とはいかないまでも、ご機嫌な足取りで帰りの電車を降り、自宅の最寄り駅の改札を抜け、家までの近道を歩いた。

商店街を抜け、住宅地がひしめく路地を少し行くと、練馬の土地には珍しくない、恐らくは、その昔農家であったであろう大きなお屋敷がある。

昔であれば森の入り口にも見えた大きな木の横でボクはそいつと出逢った。
いや、見つけたと言う方が正しいのかもしれない。

夜の草木のにおいに気をとられ、足取りがゆっくりとなったその時、かすかに声が聞こえた。

 「ニャニャニャ」
ニャーンではなかった。

でも確かに子猫の鳴き声だ。

ボクは、かすかな声の在り処を確かめながら大きな木の横に回ってみた。

この辺りは季節によってよくネコが出産をしていて、何度か子猫を見かけたことがあった。

昔から、子猫を見つけると、ボクは何故かニヤついてしまう。
そして、その存在を見つけると「見~つけた」と声に出して言ってしまう。

大きな木の横の草むらからその声は聞こえた。

ボクは、草むらを分けて、いつものように「見~つけた」と言ってみた。

しかし、その声の主はボクの予想したカワイイ仔猫ではなかった。
その姿は、顔面血だらけで、両目が飛び出し、体が小刻みに震えていた。

ボクは、いっぺんで酔いが醒めたのと同時に神経を集中して、今、何をすればよいか一生懸命考えた。


ボクは、子猫を抱きかかえた。

パン一斤ほどの重さも無く、手足は動くと言うよりも震えている。

その姿を改めてみて、ボクはたじろいだ。
コイツは、今、命を落とそうとしている。
生まれたばかりなのに、これから、いろんなことが待っているはずなのに。
オマエは、死ぬために生まれてきたんじゃないだろう!
ボクは、子猫を抱えながら、小走りで近所の動物病院に急いだ。

時折、子猫は「ニャニャニャ」と小さな声を上げる。

ボクは、それを受けて、大きな声で叫んだ。
 「ニャニャニャ!  死ぬなぁ!」

動物病院の灯りは当然の様に消えていた。
当たり前だ。もう夜の11時を越えている。
でも、ボクには、もうここにしか頼ることができない。

ボクは、最初は迷惑がられるのを想定し、二、三回遠慮がちに、応答が無いのを待って、今度は、大胆に殴るようにドアをたたいた。

この動物病院は、古くからそこで開業をしていたであろう建たずまいで、老先生が優しく診療をされると評判の病院だ。

“医は仁”の老先生
こっちは、ほろ酔いに加え、非常識な時間にドアを殴る若者。
常識から考えて、「酔っ払いの戯言にはつきあわん!」と、居留守を決め込まれても仕方が無い。

ボクは、理不尽なことをしていると思いながら、あきらめるわけにはいかなかった。

ボクには、昔、子猫を死なせてしまった過去があった。

同じように夜の帰り道すがら、なんとなく見つけたぐったりした子猫。
特に傷があったわけではないのだが、ほとんど動かず、泣くこともできない。
その日は、寒い冬の夜だった。
ボクは、暖を取らせようと家に連れて帰り、ストーブの前に用意したふっくらとしたタオルの上に横にした。

それから、10分もたたないうちに、その子猫は息絶えた。

ボクがミルクを温めているその間に消えていった。
一声も鳴かなかった。
家に連れて帰らず、病院に連れて行っていたらどうだったのだろう。
ボクは、後悔の思いで、その子を箱に入れ、拾った場所に埋めた。

ボクはドアをたたきながら、その日のことを思い出していた。
時々だけど、コイツはまだ「ニャニャニャ」と泣いている。


病院の灯りが点いた。

敷地内に自宅も所有している病院らしく、ドアを開けてくれたのは、院長婦人だった。

 「す、すいません。 非常識だとは分かっているんですが、どうしても診ていただきたくて」
ボクは、すかさず、血だらけの子猫を見せて、緊急であることを訴えた。

 「あら、大変ですねぇ」
院長婦人は、事態をしっかり把握してくれながらも、決してあわてず、ボクを中に通し、院長が来るまで待つように告げて、奥に下がっていった。

診療時間をとうに過ぎた病院の中は、病院の薬品の臭いのせいか、夏だというのに少しヒンヤリした空気が流れている。
その空気が、不安を上長させるようだった。
ボクは、その不安をかき消したくて、子猫に呼びかけ続けた。

しばらくすると、中から白衣を着た老先生が姿を現した。

ボクは、できるだけ悪い印象を与えまいと、慇懃な態度を取りながらも、状況を一生懸命説明した。

 「先生、兎に角、何とかしてください」
 「・・・、まだ子供だねぇ。 この子はあきらかに飼い猫ではないねぇ」
 「恐らくは、生まれてそんなに日がたってないのではないと思います。」
 「ほう?判るのかね?」
 「はい、以前も生まれたてのネコを、その見たことがありまして、そ、それで」
 「君は、いろいろ詳しいんだねぇ」
 「すいません」
 「・・・、時々、こういった子がいるんだ。この子の場合は、事故なのか、カラスでもやられたのかわからないけど
ね。」
 「先生、なんとかしてください」
院長は少しの時間黙っていた。
 「残念だけど、どうせ長くは生きられませんよ。 君が、面倒を見られないのならば、安楽死をさせてあげることも
考えてあげた方が良いかもしれないよ」
院長は、静かな優しい口調で、しかし力強くボクの目をみながらそう告げた。

 「安楽死?」
 「そう・・・、この子の苦しみを少しでも早く取り除いてやることも考えてあげた方が良いんじゃないかな・・・」
 「ど、どうしてそんなことが言えるんですか? こいつは、死ぬために生まれてきたんじゃないんだ」
 
 「・・・、そうですか・・・、今夜は、もう遅いしウチで一晩預かろう。ゆっくり考えて、また明日来てください。
その方が、君にとっても良いはずだ」
老先生は、僕を諭すようにそういった。
身元のない動物を置いていかれるだけでも扱いに困るのに、ましてや大ケガのネコを預かる。酔っ払った青年は、引き取りに来る保証はない。それでも、老先生はそう言った。

でも、ボクは、興奮していた。
思い通りにならないことがままならなくて、子猫を抱え、病院を飛び出してしまった。
 「もう、結構です。自分で何とかします」


 ---どうせ長くは生きられませんよ---
 ---どうせ? どうせってなんだよ!フザけんなよ! きっと俺が生きてて良かったって思わせてやるよ!---
ボクは、怒りで早足になりながら、次の動物病院に向かった。
例え助かっても、この子猫は、もう一生光を見ることなく生きていくことになる。
ボクのしていることは偽善なのか、エゴじゃないのか・・・。
ボクは、なんども仔猫の顔を見た。
血だらけの顔の形もはっきりしないそいつの顔を・・・。

 「待ってろ!きっと助けてやる!」
ボクは、近くの電話ボックスに飛び込むと、イエローページで近くの動物病院を探した。
少し遠いが、歩いていける病院が2件見つかった。
ボクは、その内の1件に電話をかけた。

「もしもし、夜分すいません。これから診療をお願いしたいんですが・・・。」

その病院は、珍しく深夜診療を受け付けている病院だったらしく、電話口の女性は、丁寧に、また事務的に対応してくれた。

電話を切ると、ボクはその病院に急いだ。
自然に小走りになり、やがて、疾走となった。

信号を渡ると、明るい看板と動物病院の文字がしっかりと目に飛び込んできた。

二件目の動物病院の若い先生は、まくし立てるボクの話を笑顔で聞いていたが、駄々をこねる子供を受け流すような態度で、こう言った。
 「わかりました。すぐに処置します。」

その若い先生は、半ば乱暴に仔猫を受け取るとテキパキとまるでファストフードのごとくスピーディに対応した。

ものの10分も立たないうちに、子猫はボクの元に帰ってきた。
血はふき取られていたが、飛び出した眼はそのままだ。

 「薬をつけておきました。 眼球は、このまま自然剥離した方がよいでしょう。 助かるかどうかは、なんとも言えませ
んが、家で様子を見てください。 薬を出しておきます」
 「あの、様子を見るというのは、どうすればよいのですか?」
 「起き上がれないので、フラワーカラーもつけなくて良いでしょう。また明日来てください。」
 「あっ・・・、ちょっと待ってください」
 「はい?」
 「あの、原因とか、これからのこの仔の可能性とか・・・。」
 「そうですね、様子を見ていきましょう」

事務的な対応だった。
先生はボクを見ずにそう告げた。
聞きたいことは、たくさん有ったが、余計な質問は受け付けないとばかりに、診察室を追い出された。
高額の診察費を請求され戸惑いながら病院を後にしたボクは、興奮こそ収まっていたが、不安は何ひとつ解消されていなかった。

 ・・・助かるかどうかはなんとも言えませんが・・・
あの若い先生は、抑揚無くそう言った。
最初に行った病院の老先生の、諭すような言葉が思い出された。
辛い言葉だったが、事務的な商売の言葉ではなく、親身になってくれていた。

興奮が醒めた後、ボクは強烈な後悔を感じた。
ボクは、子猫を見ながら、少し疲れたような声でつぶやいた。
 「お家へ帰ろうな」

時計は既に日を跨いでいた。
来た道を引き返した筈だが、帰りはとても遠く、長く感じた。
ボクは、マンションの4階にある自分の部屋の灯りを見て、少し元気を取り戻した。
ボクは、1年ほど前にこのマンションに移り住んだ。
結婚を期に、引越しをした。
今まで住んでいたワンルームから比べれば、夢のようなファミリータイプの新築マンションだったが、当然のことながら賃貸マンションで、ペットは厳禁だ。
ボクは、周りに注意しながら、駆け足で自分の部屋に入った。
 
 「ただ今・・・」
 「あら、ぎんちゃん、おかえりなさい、どうしたの?その仔」
ボクは妻のユミに一部始終を話した。
 「そう、大変だったね」
ユミは愛おしそうに子猫を見ながら、そう言った。

子猫は、薬がきいているのか、安心したのか、スヤスヤと眠っている。

ボクたちは、まだ結婚をして1年目。
年号が平成に代わり、新しい時代の風潮を一生懸命作っているような年だった。
TVCMでは「24時間戦えますか?」と問いかけ、音楽は邦楽を“Jポップ“と呼びなおし、千代の富士が小兵の横綱から圧倒した大横綱に成長をした、強い日本を感じた年だった。

ボクたちは、そんな時勢に後押しされながら、少し踊らされたような日常を過ごしていた。

バブル経済という言葉が定着し、お祭り騒ぎに対する警笛は耳に入らず世の中は回っていた。
ボクは、結婚というターニングポイントと、世の中の時勢で自分に活気を持って毎日を過ごした。そう、24時間戦えますよ!だった。

同僚と気持ちよく飲んだ酒は、もう醒めてしまっていた。
疲れているはずの体も、興奮したせいか睡魔を呼び起こすには至らない。
もちろん、眠れない理由は、昨日はいなかった小さな命にあった。

ボクは、ベッドに入ってからも何度も起き上がり、子猫の様子を見に行った。
暗がりの中、子猫を触ってみる。
もしかしたら冷たくなっているのではないかという恐怖を、触るたびに感じながら過ごした。
それを繰り返しているうちに、ボクは深い眠りに落ちていった。

次の朝は、快晴だった。
どのくらい眠ったのか分からなかったが、24時間戦える体は伊達ではない。
とてもスッキリした朝を迎えた。

ユミはもう起きていて、子猫を見ていた。

 「大丈夫みたいよ」
 
ボクは、その“大丈夫みたい”をすぐに確かめたくてベッドから飛び降りた。

子猫は、少し伸びをするような仕草をしながら、明らかに心強い声を出していた。
ただ、飛び出した眼球はまだ痛々しいものだった。

晴れた日だった。
今日も暑い夏の一日が始まるんだと思ったら、何の根拠もないけれど、この子猫は助かると思えた。
だって、太陽のエネルギーは生命の源だから。
ボクは、子猫を寝かせてあったタオルごと、陽の当たっている場所に移動して太陽の光に当ててみた。
子猫は、その光に眩しそうな仕草を見せた。
眼球が飛び出ている状態なのに、何故かそんな風に見えた。

 「眩しいだろ 太陽だぞ」
子猫は始めてあった時と同じように「ニャニャニャ」と声を出した。
でも、初めての時とは声の大きさが違っていた。

 「大丈夫だ コイツ大丈夫だよ」
 「そうね 痛々しいけど、元気になったよ
 うに見えるね」
ボクたちは、笑いながら泪をこぼした。

ボクはその日も、その次の日も子猫を病院に連れて行った。
そして、事務的な診察と抗生剤を打ってもらった。

帰り道には、いつも老先生のことを考えていた。
いつか、コイツが本当に元気になったら、一緒に謝りに行こう。

4日目の朝、飛び出していた眼球は、既にかさぶたのように干からび、その片方が自然に剥がれ落ちた。

それを待っていたかのように、子猫は、自分の足で力強く立ち上がった。

ボクは、それを見て子猫に名前をつけた。

らんこ 
爛々のらんこ うきうきランランのらんこ

目が見えない BLIND LANCO


それから、一週間が過ぎた。

らんこの両目は自然剥離し、傷の顔も癒え、ちょっと見た目には目をつぶった普通の子猫に見えるようになった。

実際には、目は細く開いているのだが、それまでが、飛び出した眼球の痛々しさだけが目立っていたので、スッキリしたことがとても嬉しかった。

何より、らんこは自分の足でしっかり立ち上がり、ミルクもしっかり飲めるようになった。

驚くことに、立ち上がって最初にとった行動は、トイレ探しだった。
とりあえずと思って用意しておいたトイレをしっかり探しあて、自分の力で用を足したのだ。
ボクは、偶然にもその場面を発見し、大声を出してしまった。

らんこは、グレー系、お腹が白のキジトラ雑種、それからカギシッポであるというあまり特徴の無い子猫だったけれど、一箇所だけとてもはっきりした特長を見つけた。
それは、下腹部の白の毛のところに、グレーの毛ではっきりと「V」の字を現していたことだ。

ボクは、それが幸運の印のような気がして、大満足だった。

 「なんだ、オマエは、守り神つきじゃないか」
 「ニャーン」
 「そうかぁ、らんこ、らんこ、らんこ」
 「ニャーン」
 「ハハハ、らんこ、らんこ、らんこ」
 「ニャーン、ニャーン」
 「よーし、泣き声も一人前だ、そうだオマエの名前のらんこの「ら」は、ラッキーの「ラ」にしよう! そうだな、
ローマ字で綴ったら、RANKOじゃなくて、LANCOだ!どうだ?いいだろ?」
 「ニャニャーン」

らんこは、今度は心地よさそうな声を上げた。

BLIND LANCO ~盲目のネコがボクに教えてくれたこと~

BLIND LANCO ~盲目のネコがボクに教えてくれたこと~

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-10-31

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