屋上の彼

【青・糸・砂】

 立ち入り禁止のチェーンをくぐって、屋上に続く重い扉を開けた。やたらとごついチェーンをしている割には、鍵が壊れている扉は容易に開く。俺は手を放すと大きな音を立てて閉まる重い扉をしっかりと持って屋上に出た。ゆっくりと扉を閉める。
 過去に屋上から転落して死んだ生徒がいる、とか、いじめを苦に屋上から投身自殺を図った生徒がいる、という真偽がわからない噂があるが、このずさんな管理では興味本位に屋上に近づく生徒を煽るだけだ。実際、「立ち入り禁止」の看板を付けてはいても、昼休みや放課後にこっそりと忍び込む生徒は少なくない。
 しかし、さすがに授業中の今は人の姿はない。いや、一人、先客がいた。
「よう。」
 高く張り巡らされたフェンスから外を眺める見慣れた後ろ姿が、振り返る。
「やあ。またサボりかい。」
 朗らか、という言葉がよく似合う笑顔。生まれつきなのかはわからないが色の薄い髪が高級な糸のようにキラキラと光を反射して風になびく。高杉とは授業中によく屋上で会った。といっても、俺は昼休みや放課後の他の生徒がいそうな時間にここに来たことはないのだが。俺たちは並んでフェンスの外を眺めた。校庭の道路を挟んだ向こう側は狭い砂浜、その先には海が広がっている。
「今日も海が青いなー。空も青い。」
 感情のこもっていない薄っぺらな声で言った。生まれた時から見慣れていてすっかり飽きた海の青さや、空の青さに、いまさら大した感動はない。
「どうして海が青いか知ってる?」
「そりゃ、空が青いからだろ。」
「じゃあどうして空が青いか知ってる?」
 俺が黙り込むと、高杉は勝手に喋りだした。
「空が青いのは空気中の気体分子が太陽光の中の青い光を多く散乱させるからなんだ。僕らが空を見たとき、その青色の光が目に入ってきているから、空は青く見えるんだよ。ちなみに海が青く見えるのは、空が青く見える仕組みとは少し違って、水の分子が赤い光を遮って、青い光を錯乱させるからなんだ。だから、水中ではより真っ青に見えるんだよ。」
 ひとしきり喋り終えると、高杉は俺の反応を窺うように顔を覗き込んだ。
「えっと、なに、お前ってそういうのが好きなの?」
 理解が追い付かなかった俺の反応が、想定外でつまらなかったのか高杉が眉を寄せた。
「おもしろいと思わない?人間には青く見える空も、他の生き物には違う色に見えてるかもしれないんだよ?」
 口を尖らせた高杉は、しかしすぐにキラキラした目で、再び喋りだした。
「もしかしたら、同じ人間でも、違うものが見えてるかもしれないじゃないか。いや、実際一人一人が見ている世界はずいぶん違うと思うな。僕に見えないものを君が見ているかもしれないし、君が見えないものを僕が見ているかもしれない。」
「でも、そんなの答え合わせのしようがないからな。」
 俺が吐き捨てるように言うと、高杉は単純明快な答えを突きつけた。
「君には僕が見えるじゃないか。」
 俺は高杉を見た。高杉は不思議そうに小首を傾げた。
「君だってもう、とっくに気付いているんだろう?」
 朗らかに笑う。こんなやつ、初めてだった。
こんな幽霊、初めてだった。

屋上の彼

屋上の彼

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-10-31

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted