井の中の滅亡

ジャングルの奥地にある小さな村の興亡。

「まったく何をしてるんだ。とにかく手を放せ」
 間に割って入った白髪交じりはまさかのカキク。瞬間、二人は動きを止めた。
 村長じきじきの仲裁となれば矛を納めぬわけにもいかぬ。渋々ながら距離を置いた男たちはしかし、顔を背けたまま目を合わせようともしなかった。
 事情を聞けば、いざこざの原因は些細な意地の張り合いで、これも若気の至りかと呆れはしたが、喧嘩両成敗のルールに則って、人出の足りない畑の草毟りを言い付ける。
 それ行け、すぐ行け。二つの尻を叩いて送り出し、カキクはようやく広場へ向かう。
 余計なことに時間を取られたせいで、すでに予定の時刻を過ぎていた。
 ”買い出し”の知らせに遅れたらブーイングの嵐が待っている。
 カキクの足は自然と早まった。

 亜熱帯気候特有の温暖湿潤が、地肌すべてを緑で覆い、溢れる生命を孕む異世界を作り出す。村はそんな未開のジャングルの中にあった。
 その高台を切り拓いたのは遥か昔の先人たちで、他民族との争いから身を隠す為に、敢えて不自由な森の奥地に居を構えることにしたらしい。
 確かに物理的な距離が、困難な移動が、戦さに巻き込まれる不幸をなくしたのだから、決して豊かではない自給自足の生活を選んだ当時の人々の選択は多分間違っていなかった。
 だからこそ血は脈々と受け継がれ、こうして今も多くの子孫が生き延びている。
 カキクはそんな隔離された村を代々治めてきた一族の末裔で、早々と隠居した父に代わって長(おさ)となってからすでに十五年の月日が経とうとしていた。
 しかし長といっても所詮は小さな寄合所帯、実態は単なる”何でも屋”でしかない。椅子にふんぞり返って左団扇などという御大層な身分とはほど遠い役職だった。
 例えば、僅かな畑の利用計画を練って指導し、収穫祭を取り仕切る。程度の軽い病人や怪我人に薬を与え、諍いが起これば話し聞いて仲裁し、婚約が整えば祝福の宴を開き、子が産まれれば名付け親になる。
 つまりカキクは農業の指導者であり、司祭であり、看護師で、牧師で、同時に裁判官でもあった。
 彼を指導者として受け入れる村人たちは当然、家系を重視する考えの持ち主ではあるが、過ちを犯さず、裁きに贔屓なく、親身になって手を尽くす仕事振りを見る内に、一個人としてのカキクに絶大な信頼を寄せるようになっていた。
 だからこそ彼のひと言には重みがあるし、従っていれば間違いないという安心感が村をひとつに纏めていた。

 広場にはほとんどすべての住人が顔を揃えてカキクの到着を待っていた。すでに息子のサシスが今回のリストを配り始めている。
 これはカキクが就任してから打ち出した新方針の一環だ。
 これまでの閉鎖的な環境から抜け出そうという革新的な試みはしかし、これまで村を守り抜いてきた両親と一部の住人から猛烈な反発を食らい、村を二分する睨み合いにまでなったもの。
 それでもカキクは初志貫徹、利点を強調して説得を繰り返し、一度やってみようという気にさせた。
 こんな寂れた僻地にも文明は確実に入り込んでくる。その時流から逃れられないのであれば、目を背けるべきではないだろう。
 ただ同時に、導入には段階を踏むべきだとも考えていた。
 まずは次の世代に教育を施しつつ、文明に対するアレルギーを少しずつ取り除こう。
 急がず慌てずゆっくりと。そしてその試みは、徐々に、しかし確実に村人に受け入れられつつあった。

 ***

「これが携帯電話ってもんだ」
「こんな小さなもんで、いつでも誰とでも話しが出来るようになるの?」
 妻のアイウは手渡された掌サイズの端末を上下左右に持ち替えながら感嘆の声を上げた。
「あんた、ちょっと使ってみせておくれよ」どんな感じなのかとアイウは興味津々だ。
 しかし夫はいかにも勿体ぶって、「また、今度な」と笑いながら端末を抽斗に仕舞い込む。
「ケチね」とは思ったが、さすがに面と向かって口応えする勇気はない。
「そう言えば、今度洗濯機を試そうと思ってるんだって?」
「誰がそんなことを言ったんだ?」
「サシスが来年当たり”リスト”に加えようかって……」
「まったく、口の軽いヤツだ」苦々し気な口調ではあるものの、否定しないところをみると頭にあるのは確かなようだ。

 村には数年前、初めて集会場に時計と灯りが設置された。それがカキクが始めた改革の第一歩。電源は小さな太陽電池で決して大掛かりなものではなかったが、しかしそれまで太陽と共に寝起きしていた村人のライフスタイルを変えるきっかけにはなった。
 今では小さな豆電球が家々の天井にぶら下がっているし、メンテナンスの知識を持つ者も育っている。
 また同時期に始めたのが高い値で売れる作物の栽培だ。目を付けたのはこの土壌でしか育たない貴重な漢方薬。もちろん現金収入を増やすのが目的で、それを村人に分配し、商品を買う習慣をつけさせようというのが当初からカキクの目論みだった。
 それが”買い出し”と呼んでいるもので、今では村人から催促されるほど好評だ。
 街へは出るには、例え車を使っても道とも言えぬ悪路を通って片道十時間の長旅で、徒歩でも行けないことはないだろうが、荷物を抱えての往復は事実上不可能に近かった。
 だから実際に街へ行けるのは、唯一車を持っている村長一家だけ。つまり誰もが希望する品物を彼らに託すことになる。
 街に出れば品物が溢れているが、すべてを提示するのは無理なので、リストは主に日用品と日持ちする食料品を中心に、リクエストがあれば加えていく手法を取っている。
 それでも時々掲内容を一新し、目新しい、お洒落な品が追加されるので誰も文句を唱えない。むしろ「村長はセンスがいい」と手放しで賞賛されることもあるほどだった。

 声に気付いて表に顔を出すと、まだ幼いマミムが母親と一緒にリストを差し出した。そこには赤丸がいくつもついている。
「村長さん。これお願いします」
「マミムは何が欲しいんだ?」
「お人形。でも今回はダメだって……」彼女の悲しげな瞳が母親に向けられる。
「次回まで我慢してちょうだいね」どうやら必需品だけで予算を使い切ってしまったようだ。
「そうか、残念だったな。いい子ならちょっとくらい辛抱出来るよな?」
 頭を撫でてやると、マミムはこくりと頷いた。
 出発は明後日の予定になっている。
 マミム母娘を見送って奥に引っ込んだカキクはしかし、すぐにまた大勢の子供たちに呼び出されることになる。

 *** 

「エクスキューズミー」伝わるかなと不安げな表情で、声を掛けてきたのはひとりの青年。
 森の中で遊び回っていた子供たちとの遭遇は、彼にとって実にラッキーな偶然だった。
 なぜなら片言ではあるが英語を理解出来るのは小さな子供が中心で、どうやら迷子になったらしい青年はそんな彼らに手を引かれ、何年振りかの珍客として村のゲートを潜ることになる。
 斜面を滑り落ちたのか、服も顔も泥まみれではあるものの、彼は至極元気そうだった。
 取り敢えず、ポンプで汲み上げた井戸水を浴びせて少し|見られる《 。。。。》姿にしてやってから、カキクの服を貸し与えると、どこかちぐはぐな感じが皆の笑いを誘う。
 それでも恭しく礼を述べた彼は、隣り村に向かう途中で仲間とはぐれた経緯を説明し始めた。
 カキク自身は英語が苦手だが、長女のヤユヨは堪能なので意志の疎通に困らない。
 彼はすぐに仲間に安否を知らせたいと相談してきたが、ここにはその手段がない。隣り村だって簡単に辿り着けるような場所ではないし、ガソリンも貴重品だった。
 結局、彼には二晩待ってもらい、買い出しの時に一緒に街へ送り届けることに決めた。

 翌朝、広場で民族衣装に身を包んだままの青年を取り囲んだのは子供たち。
 街の話題やら、テレビ局のスッタフだという彼の体験談は物珍しく、子供心を掴んで離さない。誰も登校してこないので、学校まで臨時休校になる有様だ。
 昼時まで粘ってようやく解散した子供たちは、今度は両親相手に聞いたすべてを語ってみせる。
 初めは笑って話しを聞いていた大人の表情が曇り出したのは、村長の家の様子が話題に上ってから。昨晩、酒が入って気を許したカキクが家の中で見せた高価な品々や電気製品に、彼が驚いたというのがそれだった。
 絵画? 携帯電話? そんな高価なものを誰にも相談せず、村のお金で買っていたというのか?
 それは、作物の売買で得たお金、買い出しに必要なお金、とにかく金銭の管理については口を挟まず、すべてを村長に一任していた村人たちの疑念が膨らんだ瞬間だった。
 まさかという思いはあったが、偶然立ち寄っただけの客人が嘘を吐く理由もない。
 噂は噂を呼んだが、直接問い質そうとする者は現れず、結局、一部の住民が行動を起こしたのは買い出しの当日、青年を車に乗せてカキクとサシスが出掛けたあとのことだった。
 調子が悪い4WDを宥めて賺して出発したのを見届けた彼らは、こぞってアイウの元に詰め寄った。
「どうしたの、皆?」異様な空気を感じて一歩後ろへ引いた彼女。
 さらに気圧されてアイウが脇へ避ると、無断で家の中へ雪崩れ込んだ彼らの家探しが始まった。
 すぐに携帯端末が見付かると、男の一人が雄叫びを上げる。
 そして悲しげな悲鳴にも聞こえたそれが、まるで変化の合図であったかのように、彼らは突如凶悪な暴徒と化した。
 やっぱり村長には裏の顔があったんだ。村で稼いだ金を掠めて、せっせと私腹を肥していたに違いない。
 俺たちは皆、表の顔に欺かれていた。
 村人の機嫌を取っていたのも、すべては蓄財がバレないようにする作戦に過ぎなかった。
 カキクは村人の信頼を裏切った!
 ならば制裁が必要だ!
 家の中をすざまじい嵐が襲った。破壊、搾取、なんでもありの暴力に恐れをなしたアイウは、年老いた両親とヤユヨと共に命カラガラ逃げ出した。
 背後を振り返れば騒ぎは一層大きくなって、家のあった辺りから煙が立ち上っている。
「一体どうなってるの?」どうしても声は震えてしまう。
 それは長い長い村の歴史に汚点を残す異常事態だった。
 茂みを見付けて身を隠したアイウは懐から携帯電話を取り出した。夫に状況を知らせられたらと思い、出際に持ち出したものだった。
 しかしどのボタンも押しても何の反応も示さない。それは彼女に知識がないせいだったが、例え電源が入ったとしても基地局のない村から電話が通じることはない。
「なんなのこれは?」使い物にならないじゃないの!
 端末を放り出したアイウは、もう少し村から離れておこうと、ヤユヨと共に両親を支え、そろそろと道を外れた森の中を歩き始めた。

 ***

「偽政者には天罰が与えられた!」
 すでに廃墟とすら呼べない残骸の山を取り囲み、男たちが勝鬨の声を上げる。
 彼らは悪を倒した陶酔感に酔いしれていた。

 しかしまだ彼らはこれから訪れるであろう悲劇に気付いていない。
 カキクの正体がどうであれ、彼は長として実に優秀でやり手だったのだと気付かされるのはこれからだ。
 ”外”の世界とのやり取りも漢方薬を現金に変える方法も、村長以外にその術を知る者はいない。また作物の収穫を増やす鍵を握っているのもカキクの一族だけだった。
 すべてを彼らに依存していた村人たちは、自ら首を絞めた事実に気付かなかった。

 まず始まったのは権力争い。
 時を置かずして食料が不足し始めると、今度は醜い奪い合いが始まった。それは少し豊かになって増えた人口を支え切れなくなったのが原因だ。
 一気に荒廃した村からは次々と人が逃げ出して、じきに”村”とも呼べなくなった。
 僅かに残ったのは治める民もない新しい村長と行き場のない老人だけ。
 感情に任せて”悪”を倒した正義の刃。
 しかしその勝利は実に空虚なものだった。

井の中の滅亡

井の中の滅亡

ジャングルの奥地にある小さな村の興亡。

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-10-30

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