おもいでがかり
おもいでづくり/第壱話
「天国の扉を叩くアナタによい終末があらんことを」
それは天国へ旅立とうとするすべての命に捧ぐ言葉――
その言葉を発すると、銀行の窓口のように長いカウンター越しに立っていた男性が「ありがとう」とスッキリしたような顔つきで去っていく。
俺は男性の後ろ姿を見て、彼が「もう思い残すことはない」と背中で表しているように思えた。
やがて、出発ゲートの奥に消えていったことを確かめると、俺はその場に置かれたイスに座って大きくため息をついた。
そして、次の死者を受け入れるための書類の作成に取りかかる。
「睦己」
ところが俺の名前を呼んで、ヒョコヒョコと動く小さな影が現れる。
ブカブカの帽子にボサボサの髪の毛。着ている制服は大きすぎるのか、袖口から手が出ておらず、まるで子供が職場体験で着させてもらったというような愛らしさすら見える。
そんな乱れた服装の同僚コクロの登場に、俺は手を止めた。
「ちょっとお願いがあるんだ」
「なんだよ。仕事中だから『遊んでくれ』とか言うお願いは聞けないぞ?」
「そうじゃないってば。ちょっとね、睦己の持ってる夢入り許可証を一枚譲って欲しいんだ」
「許可証を?」
思わぬ言葉に疑問を抱く。
コクロが言う夢入り許可証とは、入管局の職員が人の夢枕に立つ際に必要とする許可証のことだ。
それを手にした者は、夢に介入してなんらかのメッセージを残すことができる。
主に現世に未練を残した霊たちの為に職員が発行するんだけど、コクロがそんなモノを欲しがっているときっていうのは、大概ロクなことに使われない。だから、課長もコクロに重要な仕事道具を持たせようとはしなかった。
いったいなにに使うやら……?
「さては、またロクでもないことをしようとしてるな?」
「ち、ちがうもん!」
「それなら、なんだって言うんだよ?」
「もちろん未練整理に使うに決まってるじゃないか」
「本当かよ?」
そう言った途端、コクロが眼をそらした。
怪しい――
にらみ付けて問いただすも、コクロはあくまでもシラを切るつもりらしい。俺の顔をちっとも見ようとはしない。それどころか、白々しく「本当だよ」と明らかに嘘を含んだ言葉を放った。
もっとも、コクロを相手にしてるほどヒマではない。俺はコクロを無視し、机の上の書類作成に取りかかった。
「オマエが嘘をついてるなんてわかりきったことだよ。くだらないことに使おうとするな」
「ブゥゥゥ~一枚だけでもいいじゃないかぁ!」
「その一枚が命取りなんだ」
「睦己のケチッ!」
などと言いながら、コクロはイスを蹴って去っていった。そのせいか、書いていた書類の上にあやうく一本の長い線を描きそうになった。
――まったくアイツの不真面目さにも困ったものだ。
生前は母親のミルクを飲む年頃の子猫だったようだが、人間の都合で捨てられたうえに流行病で死んでしまったらしい。どうも死に際に「人間になりたい」と願ったことが偶然神様の耳に入り、ここで働く代わりに次は人間にしてもらえる約束をしたようだ。
そんなことに思いをはせていると、唐突に目の前が暗くなった。
顔を見上げると紺色のブレザーを着た同い年ぐらいの女の子がカウンターを隔てて立っていた。
「……あの」
長身の痩せ形で胸が大きいと印象を受ける女の子。
髪は黒くて肩ぐらいまでの長さがあり、輝く大きな双眸に勉強ができるんだろうなと思わせる縁なしの眼鏡を掛けていた。
すぐさま立ち上がり、女の子を歓迎する。
「ようこそ、天国入国管理局へ。ここは死んだ人間が天国の扉をくぐれるか否かを審査するところだよ」
「え? じゃあ私は……」
「そう、君は死んだ。帰宅途中に出会った信号無視の乗用車によってね」
「……そんな」
残酷な事実――
それを伝えた途端に俺の心が痛んだ。
最初にやってきた人々にこの事実を伝えるのは心許ない。しかし、こうでもしなければ、彼らはみな天国に逝けずに地縛霊となってしまう。
そうならないようにすることが俺の仕事だ。それだけに不安めいた女の子の顔を見ただけで、なんとなく悪いことをしている気がしてならなかった。
俺は心を鬼にして、入国手続きの説明に入った。
「俺の名前は大原睦己。この入国管理局で未練整理を担当している」
「未練整理?」
「ここにきた霊の未練を整理させて、安心して天国に逝かせる仕事だよ。もっとも、みんなは未練整理係なんて呼ばずに『思い出係』なんて名前で呼ぶけどね」
「……思い出係」
「よくわからないだろうけど、とりあえず名前を確認していいかな?」
「え? 私は黒木心花」
「黒木心花さんね……うん、書類には間違いないみたいだね」
「あの」
「ん? なにか不明な点でもあった?」
「これから、なにをするんですか?」
「なにをって……? もちろん係の名の通り『未練整理』だよ」
「……ってことは、私死ぬんですか?」
「そうなるね」
うつむく黒木から重苦しい雰囲気が伝わってくる。
自分は死んでしまった――人に言われたことを誰だって簡単に受け入れられるはずがない。だから、黒木は悩んでいるのだろう。
「現実を受け入れるのは難しいよ。でも、これが真実なんだ。君は死んでしまっていて、もう蘇ることはない」
「……」
「残念だけど、天国へ逝くしか――」
「うん、わかった」
「え?」
「まだ実感はぜんぜんないけど、アナタがそういうのなら受け入れるわ」
「――いいのか、それで?」
「いいも、なにも、それが真実なんでしょ?」
「それはそうなんだけど……」
「なら、受け入れるしかないじゃない? それにアナタが嘘をついているようにも思えないし。たしかに私の中にまだまだ疑心暗鬼な部分はいっぱいあるわ。でも、本当に死んでしまったというのなら、それはそれでしょうがないじゃない?」
なんだか妙にあっさりしすぎている――
俺にはそのことが腑に落ちなかった。だけど、黒木の笑った顔がその理由を十分に物語っていた。
生きること、それそのもののに対する諦め。
俺の言葉を否定もせず、意図もたやすく受け入れる。これは、そうした執着心のなさの現れじゃないかと思う。
そんな黒木にかなり動揺を強いられたが、それでも俺は仕事を続けなければない。
平静を装い、俺はクリップボードを手に座っていた机から立った。
「ともかく。これから未練整理をしに行こうか」
「具体的になにをするの?」
「下界に降りて生きてた頃の記憶を頼りに残してきた未練を整理して回るんだ。そうやって未練を整理することで、黒木さんが天国に逝けるよう手続きするのさ」
「だから『想い出係』なのね」
「その通り。それで、黒木さんにはこれから未練を整理してもらうことになるから」
「……未練の……整理……」
「まあ死んだことに関しては当分受け入れられないと思う。とにかく慌てずにゆっくりと未練を整理していこう」
俺は実感のなさそうな黒木を前にクリップボードを足下に置いたショルダーバッグの中へとしまい込む。
それから、職員通用口を通ってカウンターの外へと出た。座っていたカウンターの近くまで戻ってくると、急に黒木が疑った様子で口を開いた。
「あの、大原君――でいいのかな?」
「え、なんで?」
「なんとなく同い年かなって思ったから」
「あ、すいません。もしかして上級生でした?」
「それはわからないけど……大原君はいくつなの?」
「俺は十六です」
「よかった。じゃあ同い年だね」
「そ、そうか。よかった」
「フフフッ。私あまり気にしないから、普通にタメ口で話してくれていいのよ」
「そういうわけにはいかないだろ? というか、そこに気が回らなかった俺も悪かったけどさ」
「本当にいいのよ。私の周りの人たちは、同級生とか下級生構わず接してくれてたから」
「じゃあお言葉に甘えて」
「うん! 改めてよろしくね、大原君」
「こっちこそよろしく。それじゃあ行こうか」
俺は肩に掛けた革製のショルダーバッグの位置を直し、黒木と共に局を後にした。
おもいでづくり/第弐話
あの世とこの世の境界線には、ルート424という一本の道がある――
言うなれば、国道ならぬ「あの世道」と言ったところだろう。この道には、天国入国管理局に向かって走る路線バスが存在する。
あの世行き、天国か地獄かの片道切符――その切符を手にした者は死亡したということで、下界で回収されて天国の扉の前までやってくるのだ。
それに逆行するように、俺と黒木は停留所でバスを待っていた。
「ねえ大原君。どうしてバスが走ってるの? あの世とこの世の境界線にあるモノといえば、三途の川の渡し船だったり、虹の橋だったりするよね?」
「たしかに神話や昔話にはそういうのが出てくる。でも、いまの天国は下界に生きている魂が多様化した際にカタチそのものを変えたんだ」
「多様化?」
「そう……。つまり、天国へ送迎するにも、天国で受け入れるにも、一度に死ぬ魂の量や種類が大昔に比べて増えすぎてしまったんだ。だから、神様は天国への入国を審査する機関とそこへ向かうバスを造ったそうなんだ」
「へえ~。そういう理由があったのね」
「それ以上の詳しいことまではわからないけど、俺たち職員が知っているのはそれぐらいかな」
「もう一つ聞いてもいいかな?」
「どうぞ」
「大原君は人間……だよね?」
「ああ、そのことか」
黒木の率直な疑問――いやこれはここへ来た誰しもが思うことだ。
目の前にいる相手が天使なのではないかと。
もちろん、神様の使いである天使がこの場にいてもおかしくはない。だが、入国管理局にはある特別なルールが敷かれている。
「それにはきちんと理由があるんだ――と言っても、それを話すのは神様との契約で口外してはいけない決まりになってるから、これ以上は話せない」
「そうなんだ」
「質問に答えてやりたいのは山々なんだが、こればっかりは話せないから……ゴメン」
「ううん、そんな大事なこと話せなくて当たり前だよ。私の方こそ、うかつに聞いてしまってゴメンナサイ」
黒木が押し黙る。
おそらく不安な気持ちから、俺との距離を縮めたくて質問したのだろう。それを考えると神様との契約とはいえ、同い年の黒木に話せないことは忍びなかった。
そんなとき、急にこちらに向かって叫び声が聞こえてくる。
「お~い、睦己~!」
コクロだった。
大きめ帽子から植物みたいに伸びた長い猫毛の髪をかき乱しながら、こちらに向かって走ってくる。
「誰?」
「コクロって言うんだ。同じ係のヤンチャで、はた迷惑な俺の同僚だよ」
遠目に見える子供のような小さな体をしたコクロに局員としての違和感を覚えたのだろう。
黒木は、俺と身長も年齢もまったく違う猫みたいにピョコピョコ飛び跳ねながら動く小さな女の子が物珍しいといった表情で見ていた。
しばらくして、コクロが目の前までやってきた。
「こんにちは、コクロちゃん」
「こんにちはぁ~」
「アナタも思い出係なの?」
「そうだよ? ボクも睦己とおんなじ仕事してるんだ」
そうコクロが猫なで声で答える。
しかし、そんな声はよそ行きの声だ。コクロは同僚の俺に対して、なにか甘えてわがままを聞いて欲しいような仕草を見せ始めた。
「睦己、いまから下界に行くの?」
「見てわかるだろ。下界で未練整理をしてくるんだ」
「ボクも付いてっていい?」
「あのな、これは仕事なんだぞ? 毎回、毎回、オマエは自分の仕事をしろ」
「えぇぇ~っ!?」
「『えぇぇ~』じゃない!」
「……だって睦己と一緒がいいんだもん」
とっさにコクロがシュンとなってうつむく。
そうやって、コクロは毎回わがままを突き通そうとするのだ。言われる方の身からすれば、コクロは自由奔放すぎだ。
仕事をしたくないときは、他の職員に押しつけるし、遊びたいときは誰かを巻き込む。
いい加減にその辺のことを直して欲しいと思うのだが、一向にコクロが改める気配はない。
むしろ、甘やかせば甘やかすほど付け上がる。かといって、本気で怒ってしまうと、いまみたいに気落ちしてグズり始めるのだ。
正直、俺もコクロの対応には困っていた。未練整理を通して、死へと向かう魂を救ってやりたいという気持ちは俺以上に強いヤツではある。
しかし、それ以外の面となるとまるで子供だった。
どうしたいいやら……?
「……いいんじゃない?」
「え?」
コクロの顔を見ながら考え込んでいると、唐突に黒木が声を掛けてきた。
なにやら、その顔はなんの疑問もないような顔で、まるで俺の悩みが杞憂であるかのように語っていた。
「えっと、いいんじゃないかな?」
「いいのか、黒木? オマエの半生を覗き見されるんだぞ?」
「別に構わないわよ。私は私の想い出を誰かに隠したいと思うような事柄ってないし、むしろ私がどんな人生を送ってきたかを知ってもらえるんだもの。その分、幸せだわ」
その発言は、とても同い年の女の子とは思えないほどに前向きで大人びいていた。
俺なら「絶対イヤだ」と言って、コクロの同伴を断っていただろう。しかし、黒木は自分の人生をひけらかして、さも一緒に振り返って欲しいと言わんばかりの口調で話したのである。
「……わかった。俺もコクロの同伴を認めるよ」
俺がそう言うと、目の前でコクロが嬉しそうに飛び跳ねた。
そして、すぐに黒木の手を取って礼を言い、バスの到着が待ちきれないとばかりにはしゃぎ始めた。
バスが来たのは、それから二十分後のこと。
俺たちはやってきたバスに飛び乗り、下界へと降りた。
おもいでづくり/第参話
下界には、天国行きのバスの停留所はない。
バスは死者の霊がいるであろう場所に止まり、ある程度決められた経路を通って霊を送迎している。
その路線の中に黒木の通っていた学校近くを走るバスがあった。
バスを下車すると、いきなりコクロがどこかへ行こうと歩き始めた。
しかし、それを見逃すわけにはいかず、俺はその襟元を掴んでコクロに仕事に連れてきたのだと言い聞かせた。
「なんだよぉ~? 睦己のケチ~!」
「ケチで悪かったな」
機嫌の悪そうなコクロの襟を持ったまま、バッグから書類を挟めたクリップボードを取り出す。
そして、今回の未練整理の内容を改めて確かめた。
「あ、あのさ大原君?」
「なに?」
「私の未練って……」
そう言いかけて、なぜか黒木は口を動かすのを止めた――
そのときの表情はまるで自分の未練に思い当たるフシがあるようで、それがとても辛いになると理解したかのようにも見えた。
だからといって、未練整理をやめるわけにもいかない。
俺は苦々しくと思いながらも、あくまでも本人のためだと自分に言い聞かせ、書類に記された内容の一部を読み上げた。
「黒木心花の未練は同じ学校に通っていた森永歩に対するモノ――これで間違いないな?」
「ええ間違いないわ」
「……大丈夫か?」
「え?」
「ここへ来る前からずっと引っかかることがあるみたいな顔をしてるぞ? まだ心の整理がついていないなら、もう2~3日ぐらい空けてから未練整理をしようか?」
「ううん、大丈夫。気を遣ってくれてありがとう」
「詳しい内容は君の胸の内にあるから、こちらでは未練の対象となる人物への誘導しかできないんだ。あとのことは、黒木自身が向き合って整理しなくちゃいけない」
「……そう……だね」
「とにかく無理そうなら、いつでも言ってくれ」
「わかった」
と黒木がぎこちない顔で笑う。
俺はその顔をクリップボード越しにうかがい続けた。弱々しい表情がどこか未練を整理することをためらっているかのように思える。同時に胸の奥底にある未練に対して、どう向き合わねばべきかと考えているようにも見えた。
俺は黒木が未練整理そのものを永久に拒否しないか心配だった。未練整理を拒むということは、人間の魂が天国に行けないということ。
それだけに黒木自身がいまどう思っているのかが気になった。
数秒して、黒木の口がゆっくりと開かれる。
「……大原君。できたら学校へ行く前に私の家に行ってみたいの」
「黒木の家に?」
「ダメかな?」
「構わないけど……」
「ありがとう。やっぱり、まだ自分が死んだなんて信じられないの。それにお母さんがどうしてるのかも気になるし」
「ああ、そういうことか」
死者が自分のいなくなった世界のことを気になるのも無理はない。こうして未練整理の為に下界に降りてきている分、自分の周りの人間がどうしているか気になってしまう。
特に黒木のような突然死んでしまった人間はまったく状況がわからずにいる。だからこそ、家族や友人のことを心配してしまうのだろう。
俺は胸元の懐中時計に目をやり、帰りのバスまでの時間を確かめた。
まだ時間はある。
未練整理に使う時間を考えても、黒木の家はそんなに遠くはない。クリップボードをショルダーケースにしまい、俺は崩れた肩紐を直すと黒木に告げた。
「じゃあ行こうか。学校には森永と接触しやすい放課後までに帰ってくれれば問題はない」
「うん」
黒木を先頭に道を歩く。
途中、商店街を抜けていくことになったのだが、コクロが脱線して魚屋だの、洋菓子店だの、色々なモノに目を輝かせて動こうとしなかった。
その様子を黒木は微笑ましく見ていたが、俺とっては厄介ごとでしかない。ことあるごとにコクロを叱らねばならないと思うと憂鬱で仕方なかった。
「なんだか猫みたいね」
ペットをしつける主人のような俺を見て黒木が笑う。
そんな一言を聞いてか、ケーキ屋のショーウィンドウに張り付いていたコクロが振り返った。
「え? ボク猫だよ」
「どういう意味?」
「ボクね、生きていた頃は猫だったの。でもね、死んで魂だけになったら、天国の決まりで人間の姿を模してもいいことになってるんだって」
「――ってことは、コクロちゃんって元は猫なのね」
「うん」
「でも、どうして管理局で働くことになったの?」
「それはね……」
「おい、コクロ!」
とっさにコクロの口をふさぐ――
管理局には他人にベラベラと労働理由を話してはならないという規定がある。つまり、いまコクロが口にしようとしたことは服務規程に当たるのだ。
「黒木スマンっ! さっきも言ったけど、これ以上詳しくは言えないんだ。ただ職員全員が個人のある理由から仕事をしているということだけ察してくれ」
そう言うと黒木はなにが起こったのかという顔で見ていた。しかし、とっさに痛みが走り、俺はその顔を最後まで見ることをしなかった。
右手をよく見てみるとコクロに噛まれていた。
「なにすんだよ!」
俺は怒りにまかせ、仕返しにとばかりにげんこつをお見舞いしてやった。すると、さすがのコクロも堪えたのか、むせび泣く声を上げながら腕の中でおとなしくなった。
************************************
俺はコクロを抱きかかえたまま、黒木の家に向かった。
黒木邸はバスを降りた地点から五分ほど歩いた場所にあった。紺色の屋根に二階建ての家屋。ブロック塀に囲まれていながらも、隙間から路上側へ元気に抜け出ようとする美しい草花が家の雰囲気をあらわしている。
俺たちはそんな草花の前を通り、正面の門扉の前に立った。
当たり前のことだが、俺たちは霊体だ――
そのため、インターホンを鳴らしても応答してもらえないし、鍵も開けてもらえない。だが、霊という立場を利用して玄関の戸をすり抜けることができる。
俺たちは無断と言うことを承知しつつ、家の中へと踏み入った。
途端にすすり泣く声が聞こえてくる。
雨戸で家中を締め切ってるためか、廊下は完全に暗闇に閉ざされていた。しかし、その半ばにある一室から明かりが漏れており、声はそこから聞こえてくるようだった。
声に釣られて部屋の中に入ってみる。
すると、栗色の長い髪を三つ編みに束ねた女性が俺たちに背を向けた状態で仏壇の前に座っていた。
黒木が女性の方へと歩み寄っていく。
「……お母さん」
どうやら、黒木のお母さんらしい。
黒木のお母さんからは背中越しに深い悲しみが伝わってきた。それは見ている俺ですら心を痛めてしまうほどで、思わず目を背けたくなるものだった。
「あ、心花に似ているね」
そんな心の痛みを無下にするように、いつの間にかコクロが母親の正面に立っていた。
「おい、また勝手なことするなよ」
「いいじゃん、別に……」
コクロがふて腐れた顔で言う。さっき怒られたことを気にしてか、ちょっと脱線しただけで怒られることが不満らしい。
あまり怒りすぎても、ぐずるだけなのでこの場は放っておくしかない。
それよりも黒木の方が心配だ。
とっさに顔を横に向けると、黒木は悲しそうな目で仏壇に納められた自分の遺影を見ていた。
「ねえ大原君。遺影がここにあるということは、もうお葬式は終わってるの?」
「ああ。黒木が死んだことに気づいた時点ですでに五日は経過している」
「……そうなんだ。私五日も気付かなかったんだ」
「そういうことはよくあるんだ。生前に死を悟った人はすぐに自分の死を自覚して、死んだ直後やバスの車中で気が付くんだが、唐突に事故で亡くなった人の場合は死んだことを認識できずに何日か経って、天界の入り口に来たことに気が付くことがあるんだ」
「……そう」
「だから、黒木の場合は後者なんだ」
それを聞いた黒木はゆっくりと母親へと近づいていき、後ろから抱きしめようとした。
ところが、幽霊である黒木に母親が抱きしめられるはずがなかった。それでも黒木は腕からすり抜ける母親の体に形だけでも触れて、「お母さん、ゴメンね」と静かに呟いていた。
とても胸が締め付けられる思いがした。
唐突に死に別れ、こうして母親と再会するなんて思っても見なかっただろう。
俺はこれ以上ここにいてはいけないという判断から黒木の肩を叩いた。
「もう行こう」
「……うん。でも最後に一つだけ」
「なんだ?」
「お母さんと話がしたい」
「悪いが、それは無理な相談だ。黒木には母親に対する未練は認められない。未練の対象となる人間以外の接触は天国の法律でしちゃいけないことになっているんだ」
「……そう……ありがとう……」
「行こう。未練が増えて、成仏できなくなってしまう。黒木のお母さんなら、きっと哀しみを乗り越えて生きていけるよ」
「うん」
「じゃあ行こうか」
「あのさ、代わりに私の部屋を見て行きたいんだけど――いいかな?」
「いいよ」
黒木に求められ、付き従って二階へと上がる。
その右奥にある黒木の部屋に入った途端、俺は部屋の雰囲気に飲まれた。
そこには、男の部屋には絶対にない可愛らしい壁紙や清潔に並べられた品々があって、現実感のないある種のファンタジーめいたものを感じずにはいられなかった。
「どうしたの?」
「い、いやなんていうか女の子の部屋に入るなんて初めてだからさ」
「へえ~ちょっと意外。大原君も結構ウブなところがあるのね」
「しょ、しょうがないだろ?」
不意に近寄ってきた黒木に顔をのぞき込まれる。動揺していることを見透かしているのか、黒木は不敵な笑みを浮かべていた。
「じゃあキスでもしてみる?」
「え? あ、ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「……フフフッ、冗談よ」
黒木がおどけて笑う。
すぐにいたずらだと理解し、俺はため息を漏らした。なんだか疲れがどっと体に押し寄せてきた気がする。
「やめてくれよ。冗談でも、やっていいことと、悪いことぐらいあるぞ」
「ゴメン、ゴメン。でも、大原君にもそんな一面があるんだね?」
「男なんだからしょうがないだろ」
「てっきり仕事してるから、もっと大人びいてるのかと思ったわ」
「仕事してるからって、それが大人だってことじゃないさ。俺だってそういう相手がいれば、普通に恋をしてみたいと思うよ」
ふと視界にコクロがいないことに気が付く。
さっきまで俺の横でキョロキョロと部屋の中を見回していたのに、忽然と姿を消してしまったようだ。
「コクロ、どこ行ったんだ?」
「なあに?」
声のする方向へと目線をやる。
すると、コクロは遠慮も知らずに押し入れの中を漁っていた。
「おいコラッ!」
慌てて近付き、目にしていたアルバムを取り上げる。すぐにコクロが手を伸ばして泣きついてきたが、俺はその手を振り払って押し入れの中に戻した。
無用な罪悪感が体を襲う。
「……スマン、黒木」
「ううん。大丈夫だよ、見られても恥ずかしくないモノしか入ってないし」
黒木はそう言って許してくれたけど、やっぱり下界にコクロを連れてくるべきじゃなかったと反省せざる得ない。
そんな俺の気を知ってか知らずか、またコクロがいなくなっていた。
すぐさまその姿を見つけると、今度は机の上のモノをいじり回していた。俺は再びコクロの暴走を止めようと、今度は体ごと掴んで宙づりにしてやった。
「イヤだ~、離してよぉ~」
元が猫だけにヤンチャなところだけはそのままだ。だから、仕事でコクロと一緒に下界へ降りるときは気が滅入る。
バタッ――――不意に暴れるコクロの足下でなにかが倒れた。
見れば、机の上にあった写真立てが倒れていた。俺はコクロを片手で抱え込んだまま、机の上の写真立てを元に戻した。
しかし、その写真立てに納められていたモノを見た瞬間。
俺は注視せざるえなかった。なぜなら、そこには黒木が未練を抱いている相手『森永歩』が映っていたからだ。ある程度書類に目を通していた為、俺は森永の顔を知っていたが、こんな形で見ることになるなんて思っても見なかった。
他にも、机の上には森永との思い出の写真が飾られていた。
途端に写真立てを奪われる。写真立てが消えた方向を向くと、黒木が大事そうに抱えたままうつむいていた。
「……ゴメン……これだけは……」
「黒木。もしかして、オマエは森永に会いたくないんじゃないのか?」
そう問いかけても、黒木は無言だった。
思い返してみれば、下界へ来てからの黒木の様子はおかしかった。
局に来たときも黒木は簡単に自分の死を受け入れた。だけど、一方で黒木は親友の歩に会うことを拒絶している。
一方であきらめてしまって、もう一方では拒絶している。
この矛盾めいた行動は中途半端に死を受け入れることをしてしまった黒木の迷いなのかもしれない。
不安はあるが、黒木を学校へ連れてってみよう。
おもいでづくり/第四話
発端はちょっとした嫉妬心からだった――
故人の生い立ちが綴られた生前経歴書、『黒木心花(くろき みか)』の記載内容。
その一行目には黒木が未練を抱いている人物が幼稚園以来の親友である「森永歩(もりながあゆむ)」のことが記されている。昔から黒木はなにをやっても文武両道を地でいく才能の持ち主であった。その一方で森永はどこにでもいる普通の女の子だ。
特に優れた力を持っているわけでもなく、友達と楽しくやれればそれでいいと言った感じの女の子で黒木にはぴったりの親友と言えた。
しかし、才能ある友達を持つということは必然的に大人たちに比べられてしまう。
その場合、あきらめて「自分は平凡でいい」と納得してしまうか、「あの子に負けたくない」と対抗心を燃やすかのいずれかの気持ちを持つようになる。
森永は後者を選んだ――
それでも黒木の一番の親友として親しく接してきた。
しかし、闘争心を持つということは、どんなに努力しても同じ努力を積み重ねる才能ある人間の前に何度も打ちのめされるという精神の摩耗を繰り返すことでもある。
そして、何度も反発してなおも努力し続けられる人間だけが結果的に秀才になれる。
だが、森永には辛酸をなめて這い上がるだけの精神力はなかった。結果、森永は徐々に才能ある黒木を恨めしく思うようになった。
『親友であるはずなのに』だ――
そして、あの日。
居残った数名のクラスメイトを前に積年の思いを口にした。
それが偶然にも忘れ物を取りに戻ってきた黒木の耳に入る結果を生んだのである。きっと黒木は信じていた親友からそんな言葉が出るとは夢にも思わなかったのだろう。
その日、黒木は帰宅途中に命を落とした。
葬式には多くの参列者が訪れ、当然のことながら森永も参列した。このことは黒木本人に話していないが、森永はどこか気の抜けた表情で遺影を眺めていたそうだ。
それが邪魔者がいなくなって清々したからなのか、親友を失ったという喪失感からなのかはよくわからない。
ともかく森永歩という人物になんらかの影響を及ぼしたのは間違いない。もちろん、未練を整理して天国へと向かう黒木もきっと同じだろう。
けれども 仕事柄あまり私情を挟むべきではないのだ。深入りして、不正に未練を整理したということになれば一大事である。
だが、どうしても二人が掛け違えたまま生き別れになってしまったことに対し、俺は深い憤りを感じずにはいられなかった。
その気持ちをひた隠し、俺は黒木を連れて学校へと戻った。そして、森永のクラスへと赴き、そこから森永の様子をさぐった。
霊と言えども、霊感のある人間には発見されてしまう。そこで俺たちは廊下から教室の中をのぞき見ることにした。
すでに四時限目の授業が行われている。
森永歩は窓際二列目のほぼ中央に座っていた。
「あの子が森永歩だよね?」
「……うん」
どこにでもいそうな普通の女の子──それが窓越しから見た森永歩の印象だった。
真面目に授業を受けるフリをして、机の下では席の離れた友達とメモのやりとりをする姿は思春期の女子によくある風景である。
しかし、そんな姿を見て、いまの黒木はどう思っただろう?
横目で見た黒木の顔は、どこか懐かしさを含んで寂しそうな表情を見せていた。
「心花」
唐突に黒木の足下から声が聞こえてくる。
よく見るとコクロが小さな背を必死に伸ばして、教室の中を覗き見ていた。
「元気出しなよ。きっとあの子と元通りになれる……ボクが保証するよ」
「うん、ありがとう」
と、コクロがまったく根拠のないことを言う。
普段は遊んでばかりで、いっさい仕事をしないコクロの励ましは一見なんの説得力もないように思える。
しかし、こういう時のコクロは力を発揮する。
人一倍甘えたがりのコクロは、そのぶん人の悲しみを知っている。だから、激しく落ち込む黒木を気遣ったのだろう。
それに未練を捨てきれない魂は、とても不安定な魂だ。故にコクロのような優しい局員が励ますことは、未練に対する考え方や向き合い方を一変させる。
その意味でコクロがこの係に配属されたのもうなずけた。
いまも黒木が森永を見て、心が不安定になってる。
それを考えれば、コクロの起こした行動は正しい。
「とりあえず、森永に近接した場合の黒木の魂の状態を確認できた。あとは直接接触すべきか、それとも間接的に解決するべきかをじっくり考えよう」
「大原君。未練の整理ってどうしたら完了になるの?」
「もちろん『思い残すことはない』と本人が認めるまでだよ」
「それを私が認めればいいわけ……か」
「やれそうか?」
「まだ色々不安だけど、なんとかやってみる」
「それを聞いて安心したよ」
どうやら、うまくやれそうだ。
最初に局であった際の不安は、少し杞憂だったのかもしれない。それに黒木が少しでも未練を捨て去ることに前向きになってくれたことは評価に値する。
それはそれで嬉しかったが、正直俺は黒木にとてつもないプレッシャーを与えてしまった気がしてならなかった。もしこのまま本人が認めず、未練を残すようなことになれば、不安定な魂は障気を放って地縛霊に変化してしまう。
そうなってしまったら、もう黒木を救い出すことはできない。妄執にとらわれ、きっと黒木は永遠に誰かを呪って下界を彷徨ってしまうだろう。
絶対にそうなって欲しくはない――
俺は不安を胸の奥に押し込め、一度外に出ることにした。
おもいでづくり/第五話
「睦己。ボクを置いてどこ行ってたんだよ」
校庭に戻ると、コクロが半べそを掻いて怒っていた。いつの間にか、俺たちの姿が無かったことに寂しさでも感じていたのだろう。
コクロはやんちゃでわがままでやりたい放題遊び好きだが、人一倍寂しがり屋だ。それゆえに周囲に誰もいなくなってしまうと、迷子の子供のように半べそをかき始める。
しかし、そうしたことをいいことに甘やかしてしまっては仕事にならない。
それに少しでも管理局の局員としての自覚を持たせなければ、毎日遊びほうけて仕事をしなくなるだろう。
俺は太もものあたりに手を打ち付けて抗議するコクロを適当にあしらい、再び陸上部の練習風景をうかがうことにした。
ところが、そこに森永の姿はなかった。
「あれ? どこいったんだ?」
「たぶん、教室にタオルを取りに行ったんだと思う」
「タオル?」
「歩はいつも教室のロッカーにタオルをいっぱい入れてるから」
「わかった、行ってみよう」
黒木の言葉に従い、校舎へと移動する。
すると、教室の中でさっきまで森永と一緒に校庭にいた陸上部の部員たちが輪を作って立ち話をしていた。
俺たちは教室の外から三人の会話に耳を立てた。
「今日の歩って凄く好調じゃない」
「そう?」
「あ~私もそう思う。なんか吹っ切れたって感じ?」
「だよねぇ~? もしかしてさ、黒木さんがいなくなったおかげ?」
突然、黒木の名がやり玉に挙げられる――
同時にその名前が出た途端、手に温かななにか触れる。
俺はすぐに視線を手の方へと移した。すると、そこには黒木が絡まるように手を差し出していた。
そこから、ゆっくりと上方へ目線を移す。目に飛び込んできたのは、三人を見つめたままおびえた表情で立ち尽くす黒木の顔だった。
きっと、死んだ日に見た光景を思い出したのだろう――
差し出された手は、まるで俺に向かって「離さないで」と言っているように思える。
それだけ黒木には、あの日のあざけりが信じられないモノだったに違いない。おびえる黒木の不安を取り除いてやるべく、俺はその柔らかな手を握り返した。
目の前で森永たちの会話が続く。
「違うわよ。たしかに心花は凄かったけど、私はそんな心花に負けまいと一生懸命頑張ってきただけよ」
「本当に?」
「本当よ」
目の前で森永たちがおどけて笑い合っている。
どうやら、黒木の陰口はないらしい。
そのことに安堵したのか、顔を見合わせてみた黒木の表情にはホッと表情が見受けられた。
「よかったな、黒木」
「うん。なんか思い過ごしをしてたかもしれない」
「言っただろ? なにもオマエのせいじゃないって」
「ただの思い違いだったのね……。歩が陰口を叩いたと思った私が馬鹿みたい」
「まあ死んでしまったのはどうしようもないからな」
「うん、ここまで付き合ってくれてありがとう」
安堵した表情を浮かべる黒木。
唐突に俺の前で目を閉じて、もう通じ合うことのできない大切な親友に向けて想いだけでも送ろうとしていた。
これなら、未練を断つことができる――はずだった。
「正直に言っちゃいなさいよ、本当のところはどうなのさ?」
「ほ、本当のところって……」
「もうっ、じれったいなぁ~正直に言っちゃなさいよ!」
「そうだよ。言っちゃえ、言っちゃえ!」
「でも……」
「ちゃんと言わなきゃ、天国の黒木さん報われないよ?」
「……」
「ホラ早くっ!」
「――うん、本当はイヤだった。親友としては大好きだったけど、心花はなんでもできるし、そんなの目の前で見せられたら正直嫉妬もするよ。私なにやっても上手にはできないから、心花がいなくなったのはラッキーだったかもしんない」
突々に飛び出た言葉――
俺がもっとも一番出て欲しくないと願っていた言葉だった。その言葉に慌てて黒木の様子を確認しようとすると、急に握った手が異様に冷たく感じられた。
その異変にパッと顔を横に向けると、黒木の表情に浮かんでいたうれしさが完全に消え去り、ある種の絶望に捕らわれた表情が現れた。
「しっかりしろ、黒木!」
急変した黒木に何度も呼びかける。しかし、黒木は黙ってばかりで、俺の呼びかけに応じてはくれなかった。
なんて俺はバカなんだろう。
未練を整理させる? 黒木の心を救う? これが俺の仕事?
……違う。
これじゃあ俺は黒木を破滅させるために連れてきたようなものだ。
わずかなミスが霊を下界に留めてしまう。そうならないために正しく導いて未練を捨てさせることが未練整理の本質。
俺はそのことをわかっていたつもりだった。なのに、どうしてこんな結果になってしまったんだろう。
胸の内で後悔と悲しみがわき起こる。
気づけば、黒木は目の前で見たことがないようなドス黒い気をまとっていた。その気はまるで霧のように目に見える形で吹き出しており、黒木を中心に渦巻いている。
同時に肉が腐ったのようなひどい臭いが立ちこめてきた。
おそるおそる黒木に話しかける。
「く、黒木?」
しかし、俺はあまりの異臭と恐怖感からとっさに黒木から離れた。そして、すぐに黒木を渦巻くモノの正体を知り、最悪の結果を招いたことを知った。
黒木が未練を怨念に変え、地縛霊に変容しかけていたのだ。
「……ほら? やっぱり結果は一緒だったじゃない?」
「あきらめるな! まだ謝ってもいないじゃないか」
「ううん、大原君それはもういいの」
「いいって、そんなわけあるか」
「もういいのよ。歩があんな風に思っていたんだから、もういいのよ」
「やめろっ! それ以上、憎しみを増やしすんじゃない」
「憎い、憎い、憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い――歩が憎いっ!」
黒い霧が竜巻のように渦を巻き始める。
俺は状況を打破しようとコクロに支援を求めた。けれども、後ろに立っていたはずのコクロは強烈な匂いと黒木が放つ威圧感に弱り切っていた。
「コクロ、大丈夫か?」
「も、もうダメかもぉ……」
「弱気になるな! 地縛霊の対処法はマニュアル通りにやれば大丈夫だ」
「う、うん……」
「それより黒木を早く説得しないと。完全に地縛霊になってないんだ、いまなら間に合う」
黒木に近づこうと一歩前に出る。しかし、触れるだけでこちらも地縛霊にされそうなまがまがしい霧が目の前を阻んでいた。
俺はできるだけ霧を吸わないようにと口元に手を当て、黒木に近付いていった。
「やめろ、黒木。怨みを抱いても、なんの得にはならないんだぞ?」
「うるさい、アナタが連れてきたんじゃない!」
「たしかに連れてきたのは俺だ。だからと言って、オマエを絶望させるために連れてきたんじゃない。俺はオマエを天国に連れて行くために連れてきたんだ!」
「天国に連れてくですって……馬鹿じゃないの? いまの言葉が真実なのよ?」
「その真意を確かめるためにここに来たんだ。まだ絶望するには早すぎる」
「それをどう解釈しろって言うのよ!」
「無理に解釈する必要なんてないんだ。ちゃんと落ち着いてゆっくり考えれば、きっと森永の本心だってわかるはずだ」
「そんなに気を持てるほど、私は強くなんかない!」
「最後まで話を聞け」
「いやっ!」
「耳をふさぐな、黒木!」
「もういいの、もう天国なんか逝きたくない……終わった人生なんてどうでもいい」
「まだあきらめるな。最後まで森永を信じろ!」
黒木に向かって必死に呼びかける。
一歩たりともあきらめるわけにはいかない。 黒木には最後まで幸せな終わりを迎えて欲しいから、未練を抱えて悪霊として地上にとどまって欲しくないから、俺は同じ人間として傷ついた心を癒したかった。
けれども、俺の言葉は黒木には届かなかった。
「黙れぇぇえええっ! 私は、私は――私は望んで死んだんじゃないッ!」
室内一杯に強く憎しみを込めた声が叫ばれる。
だが、その声は教室にいる森永たち三人には決して届かない――霊体の叫びなど、生者には小さな虫の声程度にしか聞こえないのだ。
その声の主、黒木は手で顔を覆い尽くしてその場でむせび泣いた。
おもいでづくり/第六話
あれから少し経って――どうにか黒木は正気に戻った。
あやうく地縛霊になりかけたが、説得が功を奏して健全な霊の状態は保たれた。
しかし、黒木の心は不安定なままだ。このまま未練を捨てさせても、きちんとした形で未練を捨てることはできないだろう。
むしろ、心残りになってしまうかもしれない――
そのことを気にかけながらも、俺は黒木を連れて学校近くの公園で気を落ち着かせることにした。
そして、滑り台に上ってはしゃぐコクロをよそにベンチで話し始める。しかし、会話は長く続かず、短い言葉のキャッチボールが途切れ途切れに交わされるだけだった。
「落ち着いたか?」
「……うん」
「そうか」
結局、俺のしたことはいい結果を招くどころか、黒木に悪い結果をもたらして閉まった。黒木の未練を晴らそうと努力してみたものの、逆に後悔させてしまっている。
最悪だ――局員としてあるまじき失態を犯した。
俺はその後悔にとらわれ、まともに黒木の顔を見ることができなくなっていた。
うつむいたまま黒木に話しかける。
「スマン、黒木」
「……」
「俺がもっとオマエを巧くフォローしてやれれば、こんなことにはならなかったんだ」
「ううん、大原君が悪いんじゃないの。悪いのはきっと私の方よ」
「違うよ。俺がオマエなら大丈夫だと思い込んでたばかりに起こったことなんだ」
どう償っても償いきれそうない。
今回の案件はかなり時間を要するだろう。なにより俺がこんな失敗をしていたのでは、黒木を安心して天国に送ることなんかできっこない。
いっそ、誰かに交代してもらうべきだろうか?
「――私天国に逝きたくない」
とっさに黒木から思わぬ言葉が発せられる。
その言葉を聞いた途端、俺は驚いて黒木の顔を見合わせた。しかし、そこにあったのは悲しみにとらわれた女の子の顔だった。
未練を整理するということは、本人がないと思っている未練でさらけ出してしまう。
そのとき、本人がどう向き合うかによって整理の仕方も変わってくるし、そこに執着してしまう可能性もある。
それらをひもとき天国へ導いてやるのが未練整理係の仕事である。しかし、こんなにも重い黒木の気持ちを俺は受け止めてやることができなかった。。
最初の様子からすれば、正直もっとすんなりいくと思っていた。それは見通しとして甘かったとしか言いようがない。
いや、単純に俺が馬鹿だったのだ――
そんな気持ちのひとつ浮かんでくることを知っていたはずなのに、すぐに終わるなんて思っていたこと自体が間違いなんだ。
だから、黒木に率直な思いを伝えたかった。
「なあ黒木。天国に逝けば、すぐにでも生まれ変わることも可能なんだぞ?」
「そうなんだ。でも、私は黒木心花として同じ人生をやり直したい……」
「それはできない。死んだ人間が同じ人生を歩むなんてできっこないんだ」
「どうして? 私は死にたくなんかなかったのよ?」
「でも、オマエはもう死んでしまったんだ」
「……そんなの、あんまりよ」
「まだすべてを受け入れるのは無理かもしれない。けど、俺と一緒に未練を整理していこう。そうすれば、自分の人生が凄く良かったってわかるはずなんだ」
やはり、大失敗を犯した後でこんな声をかけても説得力に欠ける。
俺の言葉に黒木は無言で首を横に振った。
「ねえ大原君」
「なんだ?」
「人生ってなに? 私の人生は『じ』の一文字すらわからないうちに終わってしまった」
「それは――」
「こんなのヒドすぎるよ」
「……」
「いまならわかる。私はもっと人生を知りたかったのね」
黒木の言葉が胸に突き刺さる。
もっと生きたかったという後悔の念。それを抱くと言うことは、さらに未練がましくなってより地上にとどまりたいという思いが増す。
そうなれば、地縛霊になってしまう可能性もあるし、強制的に天国へ送っても輪廻転生する際になんらかの影響を及ぼしてしまう。
どうしてもそれだけは避けたい――しかし、いまの俺に黒木の思いを全部受け止めるだけの力はなかった。
俺は重苦しい空気に耐えかね、黒木を入国管理局へ連れて帰ることにした。
おもいでづくり/第七話
二日が経過した。
入国の諸手続を行うカウンターの奥には、職員たちの机が並べられている。
その一角。俺は成仏した死者たちの書類を整理していた。
「一仕事終了っと」
向かいに座る同僚の女性がファイルを閉じながら声を上げる。それと合図に大きな背伸びがなされ、女性は目の前で大きなアクビを掻いた。
俺はその様子に「お疲れ様」と労をねぎらった。
「大原君の方はどう? あの子を成仏させてあげられそう?」
「いえ、今回はもう少し時間が掛かりそうです」
「そうかぁ~それは難儀ね」
「ですね」
と話しながら、あのときのことを思い出す。
あれから、俺たちは天界へと戻った。
どうして気持ちの整理の付かない黒木に未練を整理させるのは無理だと判断したからだ。
そして、黒木はいま管理局に併設された待合施設にいる――俺は彼女に死を実感して欲しいと思い、一人で考えさせる時間を与えることにした。
しかし、時間はあまりない。
成仏できない魂は、生への強い未練から下界に留まることに固執してしまう。そうなれば、地縛霊と化して生者に災いをもたらすことになる。
誰かが誰かを呪っていいなんてことは合ってならない。
だから、未練整理はそうなる前に速やかに行うことが重要だ。
これまでいくつもの案件を経て、死者を天国へと入国させてきたつもりだったが、今回ばかりは上手く成仏させてやる自信がない……
そんな胸の突っかかりを俺は女性の前で吐露した。
「あの、聞いてもいいですか?」
「なに? なにか悩み事?」
「んまあ……悩みっちゃ悩みなんですけど」
「あ、もしかして恋の相談?」
「いえ、そうではなくて……死者に関することです」
「なぁんだ。つまんないの」
「もし仲の良い友達と喧嘩別れしたままの状態で、突然死んじゃって『気づいたら管理局の前でした』なんてことがあったらどうします?」
「それって、生前競走馬だった私に振る話?」
「……あ、ですよね」
「でも、わからなくはないわ。馬も人間と同じで家族や仲間を大切にする生き物だもの。好きなヤツ、嫌いなヤツの一人や二人ぐらいいるわよ」
「やっぱり馬でも同じなんですか?」
「まあね。人であれ、馬であれ、友達と喧嘩別れしたまま死んじゃったら、そりゃ後悔もするわよ。結果的にそれが未練として残ってしまうかは別だけどね」
「そう言うモノなんですかね」
「――で、大原君が悩んでるのはいま担当してる死者の為?」
そう言われ、俺は小さく「はい」と答える。
すると、女性は突然机に身体を突っ伏していとおしそうな表情で話しかけてきた。
「優しいわね、大原君は」
「そんなことないですよ。俺なんかが天国へ向かう命の未練を晴らしてあげるなんてことが、本当にできているのか正直不安なんです。だから、俺に精一杯できることをしてあげたいとは思っているんですが……」
「それで充分よ。優しくするってことは、他のことが絡んで案外難しいのかもしれないわ。だけど、それができる人は実はすごい人なのかもしれないと私は思うの」
「本当に凄いと思いますか?」
「ええ、凄いと思うわ。これは私なりの意見だけど、もしその子が後悔しているのなら、きちんと未練を整理させてあげるべきね。じゃないと、転成した後の世界でなんらかの影響を及ぼしてしまう可能性があるもの」
「もちろん、その可能性は考えました」
「でしょ? それに地縛霊なんかにさせるわけにもいかないから、きちんと未練を捨てさせてあげることが私たちの仕事だし」
「はい……」
「まあ深刻な顔してもどうしようもないわ。とにかく私の意見としては、さよならバイバイできるならした方がいいってことよ――特に損な死に方をした場合わね」
と女性が意味深な発言をする。
そこにどんな意味があるのか――? とっさにその意味を問おうとしたが、突然発せられた呼び声に応じざるえなかった。
呼んでいたのはコクロだった。
「ねえ睦己。一緒に遊ぼぉ~」
どうやらいつものように仕事をほっぽり出して、俺のデスクの周りをうろついていたようである。
俺はため息をつき、コクロを注意した。
「いま大事な話をしてるところなんだ。別の人に遊んでもらえよ」
「だって、みんな忙しいって言うんだもん」
「そりゃオマエがサボってるからだろ? 本当にいい加減にしろよ」
「ヤダ、ヤダ、ヤダ~」
と駄々をこね始めるコクロ。
こうなったコクロはてこでも動かなくなってしまう。それに根が寂しがり屋だけに自分が相手にされるまで、この場に居着くつもりらしい。
根負けした俺は相手をしてやることにした。
「……わかったよ。付き合ってやるよ」
「ホント? じゃあなにして遊ぶ?」
「オマエのやりたいこでいい」
「う~ん、じゃあね」
コクロが両腕を組んで悩み始める。
その様子を横目で見ながら、俺は女性に助けを求めた。しかし、女性は「大原君がなんとかしなさい」と言わんばかりの表情で苦笑している。
どうやら、仕事どころではないらしい。
俺はいらぬ雑用が増えたことに激しくぼやいた。
「呑気に遊んでる場合じゃないんだけどなぁ……」
ふとその言葉に黒木の部屋で見た写真のことを思い出す。
それは大会で優勝して森永と一緒に撮った写真のことだ。
あの写真を見たとき、俺はぱっと見は黒木が控えめに笑ってうれしがっているように見えた。しかし、同時にどこか楽しんでいないような気がしてならなかった。
もし黒木が楽しんで大会に挑んでいたなら、あんな中途半端な表情はしないだろう。
あくまでも推測だが、本人は『やらされている』というような認識が奥底にあったのかもしれない。
そう考えると、黒木自身が自由に考え、楽しく行動し、友達と語り合うという子供としてのもっとも原始的な欲求である遊ぶという概念を放棄していたのではないだろうか?
実際、あの部屋には陸上の大会以外の写真はなかった。
もしかしたら、海に行ったり、山に入ったり、遊園地に行ったり、と誰かと思い出を作るという行為をしてこなかったのではないだろうか?
いや本来ならば、そういうことあってもいいはずだ――
森永と本当に楽しい時間を過ごしたというのならば、なにも競技大会の写真ばかりを飾る必要なんかないのだ。
その考えにいたり、俺はある一つの妙案を思いついた。
「そうか……そうすればよかったんじゃないか!」
「え? なにかいい遊びでもあるの?」
「んまあ遊びと言えば、遊びなんだけどな」
「どういうこと?」
「それはあとのお楽しみだ。オマエも存分に遊ばせてやる」
思い立ったら吉日というべきか。
俺はさっそく黒木の未練を整理させるための策を講じるための準備に取りかかった。
おもいでづくり/第八話
「大原君、ここって……?」
「見ての通りの原っぱだ」
その山には、一カ所だけぽつんと開けた場所があった。
小さな草花が生い茂る野原。まるで山の神様の気まぐれで作られたようなその場所は、野球ができるほどに広く、そして美しい原野の風景を保っていた。
翌日、俺は黒木を連れて下界へと降りた。ただし、場所は黒木の学校ではなく、人が絶対に寄りつかない深い山の中である。
なぜそんなところへ降りてきたのか?
それはこれから黒木と一緒にあることをしたいと思ったからである。
けれども、霊体である俺たちが下界で派手な行動をするわけにもいかない。まずそれをするには人目をはばかり、誰にも邪魔されない適度な広さの空き地が必要だった。
だから、この場所を選んだ――とはいえ、黒木自身はそのことを理解していない。
不思議そうな顔をして、俺に質問をぶつけてきた。
「いったいなにをする気なの? こんなところで未練の整理なんかできるわけないわ」
「もちろん。でも、ここに来た理由は黒木と一緒に息抜きをするためさ」
「……息抜き?」
「ああ。最近コクロが遊べってうるさいし、ちょうどいい機会だからオマエも交えて遊んでみようかなって思ったんだ」
「ねえ急にどうしたの? 私は天国に逝かなきゃいけないような人間なのよ?」
「でも、オマエは天国に逝きたくないんだろ」
「……それはそう……だけど……」
「だったら、天国に逝く前の『思い出作り』として一緒に遊ぼうぜ?」
と言って、俺は鞄の中から空き缶を取り出す。
そして、空き缶を地面に置き、わずかに助走を付けて大空に向かって蹴り上げた。
空き缶が高々と宙を舞う――
その行き先を眺め、再び地上に落ちたことを確認する。
それから、俺とコクロは野原の中を駆けだした。
「ちょっと! 大原君?」
俺の言動を理解できない黒木が後ろから大声を上げる。
その問いかけに俺は叫んで答えた。
「黒木が鬼だ。早く缶を探して来いよ!」
それでも黒木はわからなかったのだろう。
戸惑いながらも、空き缶が飛んでいった方向へと走っていった。
それから、二時間ものあいだ。
俺たちは缶を蹴っては追いかけ、ひたすら遊び続けた。
そのときの黒木の顔は、大会に勝って森永と喜びを分かち合ったときのような顔ではなかった。小さな子供のような無邪気さを見せ、むしろそっちの方が黒木らしいんじゃないかと思わせるような本当に楽しそうな笑顔だった。
やがて、遊び疲れると俺たち三人は原っぱのど真ん中に大の字になって寝転がった。
晴れ渡る空を流れる雲を見つめたり、風に吹かれ静かに葉音を立てる草花の息吹に耳を澄ませたりして楽しんだ。
「……静かね」
「ああ。遊んで凄く疲れたけど、結構気持ちよかったよ」
「フフッ、そうね。なんだか久々に遊んだって感じがする」
「ボクなんかもうヘトヘトだよ」
「オマエはいつも暴れ回ってて、体力有り余ってるだろ?」
「むぅ~睦己のイジワル」
そんな会話をしながら、俺たちは笑い合う。
こんなに清々しい気持ちで空を眺めるのはいつ以来だろう?
それはきっと黒木も同じに違いない。
俺はそのことを確信して訊ねた。
「なあ黒木。遊んでみてどう思った?」
「どうって?」
「楽しかったか、楽しくなかったかって話さ」
「もちろん大原君と一緒で楽しかったわ」
「そっか……だったら、目的は達成されたな」
「目的ってなに?」
「オマエが心から本当に楽しんでる姿を見ることだよ。オマエの部屋に行ったとき、どういうわけかオマエと森永がどこかへ遊びに行ったという写真だけがなかったんだ」
「……言われてみるとそうかもしれない。昔から歩みとは、駆けっことか他のスポーツしてばっかりだったかも」
「まあ多少なりとはあったんだろうけどさ。だから、オマエに本当に必要だったのはなにも考えずに遊び回るって事だったんじゃないかと思ったんだ」
「ようやく理解できたわ。それで、こんな場所へ連れてきたのね」
どうやら、俺のサプライズは大成功したようだ。
黒木は寝転びながらも腹を抱えて笑い、じっと空を眺めていた。それはいままで抱えていた未練が馬鹿らしく思えるぐらい笑顔だった。
いやそうでなくてはならない――
本当に必要だったのは、吹聴された黒木に対する陰口がいかに小さな出来事であるかを認識することだ。
俺だって、陰口ぐらいたたかれたことはある。
陰湿で、巧妙で、とてもイヤになるぐらい人は軽々と人の悪さを言う。そうしたことは、当人にとっても精神的ダメージは計り知れない。けど、それと比較にならないぐらいあまりある人生を最悪の形で終えるのは不幸だ。
だから、それとはまったく関係のない大いに遊ぶという行為は最高の逃避と最大の勇気をもたらしてくれるんじゃないかと俺は思った。
そうした考えを踏まえ、俺は起き上がって本来すべきことを切り出した。
「なあ黒木。もう一度だけ森永に会ってくれないか?」
「歩に……?」
「もちろん、今度はやり方を変えるつもりだ。もしオマエにその気があるなら、いまここで返事をくれ」
やることはやり尽くしたつもりだ。
それでも不安は残る。いまここで黒木が拒否したらと思うと、新たに未練を整理するのに策を講じなければならない。
そうなれば、入管局員としての自信もプライドもすべて失ってしまう気がする。
故に黒木から最良の答えが出ることを祈るしかなかった。
「……ダメか?」
と問いかけると黒木は少しだけ押し黙った。
その静寂が妙に長く感じられて、ほんの少しだけあきらめかけた。だが、黒木が笑って手を差し出したのを見るなり、うれしさをにじませた。
俺は黒木の手を掴んでその身体を起こした。
「いいよ。私もう一度だけ歩に会ってみる」
「本当にいいんだな?」
「うん……。ここに連れてこられてわかったの。なんかつまんないことで意地張ったんだなぁ~、もったいないことしたなぁ――って思った」
「良かった。拒否されたらどうしようかと考えてたよ」
「ここまでされたら、それはないわよ。それにそういう風になれたのも、全部大原君のおかげだから」
「じゃあさっそく準備しないとな」
そう言って、俺はショルダーバッグから以前コクロのいたずらに使われそうになった夢入り許可証を二枚取り出した。
そして、半分に千切って片方を黒木に手渡した。
「なにこれ?」
「コイツは夢入り許可証と言って、死者が生者の夢枕に立つために必要な許可証なんだ。これがあれば、夢の中で森永と会話ができるはずだ」
「でも、これ二枚あるよ?」
「お袋さんに会ってくるといい。ミスした俺からのおわびだ」
「大原君……」
「それともう一つ最後に言わなきゃいけないことがあるんだ」
「もう一つのこと?」
「――俺がこの仕事に就いたのは、死んだお袋に会いたいという願いからなんだ」
「お、大原君……。それって服務規程違反なんじゃ?」
「いいから、最後まで聞いてくれ。実は俺はまだ死んじゃいない」
「え?」
「コクロは見ての通り、神様に人間になれるようにお願いをして管理局で働くことを条件付けられた。でも、俺は天国に向かった死者に会うという類を見ない願いの代わりに管理局で働くことを条件に出されたんだ」
「大原君は生きてる……?」
「ああそうだ。俺たち局員は一人一人がオマエと同じような強い悲しみと複雑な事情を持ってる。そのことを良く覚えておいて欲しい。オマエひとりが悲しみを抱いているというような誤解をしないで欲しいんだ」
俺はすべてを黒木に打ち明けた。
服務規程違反のことは、あとで係長にでも言えばいい。
少しばかりお袋に会うという願いが叶うまでの時間が長くなるだけのこと。黒木の悩みを解決するために払ったと思えば安いものだ。
俺の告白に黒木はどう答えたか……?
そんなのは、黒木の顔を見れば一目瞭然だった。
「――わかった。ちゃんと歩と話をしてくる」
その言葉に嘘偽りはない。
凛とした黒木の顔には決意が現れている。
いまの黒木ならちゃんと別れの挨拶ができるだろう――いやできるはずだ。なぜなら、迷いと悲しみを乗り越え、一つの決断に至った黒木に俺の手助けは不要だったからだ。
管理局に戻ると黒木は手渡された許可証を持って、森永の夢の中へと入っていった。
その日、俺は局の事務机で黒木の帰りを待ち続けた。
おもいでづくり/最終話
下界の時間で言うならば、明け方だろうか?
天国には時間というモノがない。それだけに首元の懐中時計だけが下界の正確な時間を知らせていた。
その時間になって、黒木は帰ってきた。
焼けたように腫れ上がった目元から察するに十分な話ができたのだろう。「おかえり」と告げると、黒木はうれしそうに「ただいま」を返事をした。
その一声。黒木は思わぬことを口走った。
「――大原君。私ね、わかっちゃった」
「なにが?」
「人生ってさ、楽しいモノだったんだね。遅くなったかもしれないけど、人生って捨てたもんじゃないってよくわかったわ」
「そうか。黒木は人生を大いに楽しめたんだな」
「うん、もう悔いはない。私、天国に逝くね」
出るべき言葉がようやく発せられる。
黒木の心の弱さと俺のミスでだいぶ遠回りしたが、黒木の天国への旅立ちがようやく決まったのだ。
俺は安堵のため息をついた。
それから、すぐさま書類に未練整理の既済を示す印判と天国逝きのパスポートを作成に取りかかった。
作業は小一時間して完了し、できあがった許可証を黒木に手渡した。
「これで俺の役目は終わりだ」
「大原君、いままでありがとう」
「気にしないでくれ。俺はただオマエが安心して臨終を迎えられればと思って仕事をしたまでだ。それが俺の仕事、俺のオマエに対する思いだよ」
「ううん、大原君の好意は仕事以上だったと思う。それに私に思い出まで作ってくれたのはうれしかった」
「缶蹴り楽しかったな」
「来世でもやるわ。あんなに楽しかったこと、忘れられるわけないじゃない」
「そうだな」
「もう思い残すことはない。私はこれで天国に逝ける」
と黒木は「じゃね」と一言言って、あっさり天国の扉に続くゲートに向かって歩き出した。
その背中を見ながら、俺は手を小さく振った。
けれども、降って湧いた寂しさからすぐにやめてしまった。わずかな時間だが、黒木とは同い年と言うこともあってとても親しくなれたと思う。
なにより、三人で遊んだことが楽しかった。それだけにの別れがこんなに悲しく感じてしまうものだとは思っても見なかった。
名残惜しさに負け、黒木に向かって叫ぶ。
そして、振り向いたのを確かめるなり、被っていたキャップを胸元に置いて深々と頭を下げた。
同時に心からのメッセージを伝える。
「それでは、天国の扉を叩くアナタによい終末があらんことを」
そんな姿を見て、黒木はどう思っただろう?
頭越しに笑い声が上がる。すぐに上半身を起こして黒木の顔色をうかがうと、黒木は口元を抑えて笑っていた。
「フフフッ、なにそれ?」
「俺たち局員が天国へ逝く人々に贈る言葉だよ」
「素敵ね。私は好きよ」
「気に入ってくれて良かった」
「それじゃあね、大原君も元気で」
「黒木もな」
こうして黒木は旅立った。
アイツはきっと次の人生でも幸せに違いない。
人生を知ろうとする人間は、自分の人生をどう使うべきかを知っている――
そのことは、黒木を通して充分に知ることができた。
俺もアイツを見習わなければならない。
そんな気がした。
おもいでがかり
こんにちは、こんばんは、はじめまして!
丸尾累児(マルオルイジ)と申します。
いつもは「小説家になろう!」で細々と書いているのですが、ちょっと他のサイトさんでも反応が見てみたいと試験的に掲載させていただきました。
さて、「おもいでがかり」の小話「おもいでづくり」はいかがだったでしょうか?
こちらの作品は小説家になろう!で周期的に投稿させていただいている作品の第1部にあたる部分の転載になります。なかなかこういう温かい話を書こうっていう人はいないんじゃないかと思うですが、僕はマンガだと「夏目友人帳」とか「ARIA」とか心に響く癒し系のファンタジーは大好きです。
ご一読いただいてちょっとでも心が安らいでくれたら幸いです。