メール
プロローグ
「別れましょう」
その一言で終わった。彼女とは1年の付き合いだった。1週間の出張から帰ってきて、久しぶりに会ったセリフであった。
「どうしてだ?」
けして、長いとはいえないかもしれない。1年。だが、そんな一言で終わりだなんて。
「くすっ」
そんな私を見て彼女は、優子は軽くほほえんだ。優子のまっすぐな瞳。なんだか久しぶり会う優子はすごくきれいでそしてなぜか少しだけ儚げに見えた。いや、儚げなのではない。何かが違って見えたんだ。いつもの優子じゃないように。優子がゆっくりに抱きついてきた。そして離れてこう言った。
「また、明日ね」
そう裕子は言って立ち去っていった。その笑顔が妙にきれいだった事を今でも憶えている。あの時、なにかに気が付くべきであった。そう、何かに。
メール 1通目
~メール 1通目~
翌日、いくら携帯に電話しても出ない彼女に苛立ちながら、テレビをみていた。
休日。
この1週間になにがあったのか。自分で思い返してみた。私はその間、東京を離れていた。
会社の支店がある、大阪に行っていたのだ。携帯にたまにメールしていた。
道頓堀のグリコを見たといって、写メを送った。
「今度一緒に行きたいな(^^)」
なんて優子から返事があったのを憶えている。確かに仕事が忙しくてメールをたまに電話はたまにしか出来なかった。不満は確かにあったと思う。忙し過ぎてすれ違っていたとも思う。いや、それは出張前からだったかもしれない。けれど、こういう結末になる前に、話して欲しかった。そう、私がもの思いにふけているとインターフォンが鳴った。
「警察です。ちょっとよろしいですか?」
何が起こったか解る前に、事態は動いていた。そう、憶えているのはかすかに聴こえるテレビのニュースが流れていた。
「今日未明、桜井優子さんが死体で発見されました。警察では、事件、事故で…」
そう、彼女、優子の死亡のニュースだった。
事情聴取は短かった。夜中、何していたか?最後にあったのは何時か?ただ、途中からすべての声が音が遠くに感じた。ただ、唯一理解できたのは、彼女の、優子の死因は部屋にある照明器具からぶらさがっている、ひもが首にからまっての窒息死であったということだった。。
事故にしてはどうも奇妙で、自殺であれば、かなり希なケースであると言われた。争った形跡もなく、他殺なら顔見知りの犯行の可能性があるとのことだった。そう、彼女のマンションはオートロックで、鍵はきちんとかかっていた。
一度、優子はストーカー被害にあった事があるために、かなり戸締まりには気をつかっているからだ。
そこで、顔見知りの犯行として疑われたのが私であった。だが、私は昨日のショックのあまり、知人、友人に電話していたし、うち一人とはあってお酒を飲んでいた。ちょうど、死亡推定時刻の時である。
疑いはすぐに晴れたが心のもやもやは逆に晴れなかった。自殺なのか?そこまで、悩ましていたのか?
一体何を悩んでいたんだ。私はつらくて呆然としていたら、携帯にメールが来た。死んだはずの彼女からだ。メールの内容はこうだ。
「私はあなたと一つになるの。
だから苦しまないで。これは、はじまりよ。
私が見てきたものと同じ景色に触れて。まずは私の部屋よ」
なにかよく解らなかった。ただ、彼女が死んだのはウソだと思った。あまりにも、現実離れした事だったから、そう思う事しか出来なかった。そう、昨日も今日も私にはリアルなことのように思えなかった。
だが、現実はそうではなかった。彼女のマンションには黒と黄色のテープが張られていて、警察官がまだいた。
そう、日常とはちがう非日常がそこにはあった。
警察官に私は通して欲しいと交渉した。
彼女からメールがあった事を話すと、はじめは哀れむような目で見てきたが、そのうち真剣に聞いてくれ、中にいれてくれた。
何回か入った事があるが、殺風景な部屋である。
必用なもの以外は何もない、妙に無機質な部屋である。
所々に私が無機質に堪えられなくなって、持ってきたものがある。
その一つが照明器具からぶらさがっているヒモだ。
先にネコのぬいぐるみがついているものだ。
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「こんなの必用ないのに」
このぬいぐるみのネコをつけたとき、優子がこう言っていた。
そう言いながら顔はちょっとうれしそうな顔をしていた。
そのはにかんだ笑顔は、そう言っていたのがまるで、昨日のようにも思える。
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一体ここに何があるのだ。
私は別れた理由が、自殺なのか、他殺なのかの何かがあるのかと思っていた。
自殺でないで欲しい。
せめて、事故であって欲しい。
いや、夢であって欲しい。
そう祈っていた。
なにも解らない。
私は彼女がここにきたらといった理由すらわからない。
特に変わった事などないからだ。
解らず部屋を出た。
ただ何か違和感があった。
そう、何かいつもと違うのだ。
部屋を出ると事情聴取の時にいた刑事がいた。
「死んだ桜井優子さんからメールが入ったとききましたが、本当ですか?」
おもむろにその刑事は話しかけてきた。
「ええ、今でも何か解りません。だが、確かに彼女のパソコンからメールが送られてきました。この携帯に」
私はそう言い、携帯を見せた。
「時刻は少し前ですね。桜井さんは死んでいるのに不思議に思いませんか。彼女の部屋にあるパソコンを調べましょう。それと、プロバイダーにも連絡を」
そう、私はその刑事に指摘されるまで、思わなかった。
彼女はもう、死んでいる。
認めたくないといっても、事実だ。
だが、その死んだはずの彼女からメールがきている。
そうして、彼女の部屋のパソコンを調べはじめた。
だが、電源を入れてすぐにパスワードを入れないと動かない。
パスワードが解らない限りこのパソコンの中は調べられない。
その時、刑事の携帯に連絡が入った。
彼女がプロバイダー契約していた会社からの連絡だが、毎日1通指定時刻にメールを送信するようプログラムされている。
その内容は見る事ができるのはまたパスワードを入力しないといけないのである。
最終的にプログラムが完成したのは昨日の夜中。
つまり、私に別れると伝えてから、彼女が死ぬまでの間だ。
もしかしたら、このメールの中に、別れる理由が、自殺だったら、その理由が、殺人だったら相手が、
解るのでは・・・
私は少しだけ望みを持った。
そして、この日から、死んだ、彼女からのメールが毎日くるようになった。
その夜、昨日一緒に酒を飲んだ友達がマンションの前にきていた。
「よっ!」
こいつは、就職活動の時に知り合ったやつだ。
今はメーカーで営業をしている。
毎日、しんどいといいながらも、成績はいいらしい。
普段はバカみたいな事いっているのに、何かあった時は一番に駆けつけてきてくれる。
いうならば、親友だ。
名は加賀谷 良。
いつもは良とよんでいる。
そういえば、彼女を紹介してくれたのも、良だったな。
ちょっと、思い出した。
もともと関西出身の私には東京には友達が少なかった。
その中で良は数少ない友達だった。
東京配属が決まって、知り合いがいないなどで落ち込んでいたら、飲みに誘ってくれた。
その時何名か女の子がいたが、その中に彼女、優子がいた。
そして、良の気配りもあって、つき合うことになった。
良にメールの事、優子の事を聞いた。
ひょっとしたら、私に話しにくい事を良に話しているかもしれないと思ったからだ。
だが、良は首を横に振るだけだった。
「悪いな、力になれなくて。でも、桜井の仲いい女友達なら何かしっているかもな。ちょっとあたっておくよ」
良はそういって、
「今日は帰るわ」
といって去っていった。
一人になりたくないという思いもあったが、何をどう話していいかもわからなかった。
正直一人になりたかったのだと思う。
部屋に入ると妙に現実から隔離された気になった。
まるで、今日の出来事が全て夢なのでは・・・
ただ、なんとなくかけた優子の携帯はつながらなかったが・・・
メール 2通目
メール 2通目~
いつも通り、6時50分に目が覚める。
もう、習慣になっている。
携帯のアラームより先に目が覚めてとめる。
そして、テレビをつける。
単調な毎日のリピート。
けれど、非日常はそこにもあった。
優子のニュースが流れている。
やはり、夢じゃなかったんだ。
そう、思うしかなかった。
思うと辛いだけだから、大きな力で流れてくるベルトコンベアーに乗っかるように、
繰り返しの日常に乗ってみた。
メールが入る。
「あなたと出会った初めての場所。憶えている?
そこにヒントがあるよ」
彼女、優子からだった。
私はこのメールにも返事をしてしまった。
返事など来るはずもないのに。
そういえば、優子と会ったのは、新宿だった。
良が店を選んでいたと思っていたのだが、後から聞いたら、優子が店を選んでいたと知った時はびっくりした。
その店は創作料理の店で「ピンクパンダ」というかわいい名前の店だった。
なかなかいい雰囲気の店だった。
大通りから離れているためになかなか発見しにくい店だったが、隠れ家的な要素もあって私は好きであった。
そういえば、今度二人で行こうねっていっていたけれど、結局二人でいけなかった。
今から思えば仕事よりもっと優子を大事にしておけばよかった。
もう、遅い事だが。
「おはようございます」
明るい声で、現実に戻される。
「ああ、おはよう」
声をかけてきたのは、同じ会社の宮部 舞である。
宮部は高校の時の後輩らしいのだが、実はまったく憶えていないのである。
どうも、その後家族の転勤で東京にきて、東京の大学を卒業して、新宿支店での勤務をしている所に大阪支社から私が転勤してきたのである。
当時、右も左も解らないのをよく教えてくれたのが宮部であった。
「あのニュースなんですけど、あれって加藤さんの彼女ですよね。なんか、こんな時なんて言っていいか解らなくてすみません。でも、元気出して下さいね」
気をつかいながら宮部が話してくれているのは解った。
けれど、実際私はなんて言われたいんだろう。
それすらも、解らない。
ニュースで優子が死んだという事実が流れているが未だに、実感がわかない。
そう、今朝も優子からメールが来ているからだ。
そのため、私にはいつもと特に代わりないのである。
いや、あると思うが、思いたくないだけなのかもしれない。
おそらく、どこかで現実を見つめることを拒否しているのだと思う。
それに、今までも優子とはそうだったから。
お互い忙しくてメールを一日一回するだけだったから。
うまく表現出来ないことだが・・・
「宮部、いいよ。元気だから。それに元気出せって言われる方がなんかつらいよ。普通でいいよ」
気を使ってくれている宮部にはたぶん、今の気持ちはわからないだろう。
それに、コッチ側には入って欲しくなかった。
だから、月並みな返答をしてみた。
「そうですよね。ごめんなさいでした。それで、今日はどこに行かれるんですか?」
明るく宮部は話している。
私はいまいち宮部という子がわからない。
「今日は、午前中は豊田のF電機、午後は八王子の明鏡精機だよ。帰社予定は18時かな」
仕事は技術派遣の営業である。
関西にいた時より企業も多いし、人も多いから仕事としてのやりがいは多い。
ただ、技術の内容がかわったために、自分で勉強する事も増えた。
「営業ってたいへんですよね。いつも帰り遅いですし、八王子って遠いですよね。でも空気きれいなのかな~」
なんか宮部が、頑張ってくれているのがわかったが、どうも発想についていけないときがある。
生返事をして仕事にとりかかった。
今日も一日がはじまる。
「行ってきます」
いったいだれに向かって言っているのかも解らないセリフをいって私は外回りに出かけた。
電車に乗っていると携帯にメールが入った。
良からだ。
「今日はどこに行くんだ?ちなみにこれから八王子」
よく、良とは行く会社がバッティングする。
先方の情報交換や、紹介なんかも上司には内緒でしてたりする。
おかげで契約が伸びている。
それが現状だ。
「今日は豊田に行ってから八王子に向かう。昼でも一緒に食べるか?(^^)」
良に返事を送った。
夜、良が開いていれば、今日優子から着ていたメールの話し、そして、優子と出会う前のことを聞きたいと思った。
今更なのかもしれないが。
予想以上にF電機の営業は早く終わった。
まあ、いつもこうだと困るのだが、今日みたいな日はいいだろう。
12時少し前に八王子につく。
初めて八王子に来た時はおもったよりごみごみしていてびっくりした。
だが、今ではこういう所の方がありがたい。
何もない工場地帯は食べるところがないし、あったとしても、値段が高いか、まずいかだ。
まあ、両方かねそろえているすばらしい店もあったりするが。
駅についたから良にメールを送る。
「今駅についたけれど、早かったか?」
待ち合わせなんて特に決めない。
すぐに連絡がつくからだ。
携帯メールのおかげだ。
そういえば、優子と付き合い始めの頃はよくメールしていたな。
だが、営業と違って優子の仕事 システムエンジニア はなかなか時間がとりにくいらしく返事が遅れていった。
それで、優子とのメール交換が一日一回になったんだ。
まあ、それがお互いのペースになってしまうと、つらいとあんまり感じなくなったが。
良から返事がくる。
「後ろを向いてみな~」
後ろを振り向いてみた。
が、そこには良はいない。
すぐに、メールがくる。
良からだ。
「後、少しで駅につく。ホントに後ろにいると思った?」
良はたまにこういうメールを送ってくる。
2、3分後に良は来た。
「本当は後ろにいたんだぜ~」
良がおどけて話す。
かるく、駅前の店に入って話しはじめた。
出会った頃の事、今日来たメールの事。
そして、出会う前の彼女について聞いた。
「めずらしいな。加藤から桜井の話が出てくるの。
お前は結構秘密主義だったからな~桜井の話しは確か・・・
あ、飲み会の後にあの子、彼氏いるのかだけだったな~」
なんて、良にちょっと懐かしく言われてしまった。
あの飲み会の後、当時良の彼女だったなんとかという子と4人でよくでかけたな~
それから、つき合い始めてからはお互い時間の関係上2人でしか会わなかったが。
思い出なんてあやふやなものだ。
すこし、そう思いながら良に話してみた。
実は、何が聞きたいのかよくわかっていない。
「ああ、なんか俺ってこういうのもなんだけれど、優子とつき合っていたけれど、過去はあんまり聞かなかったから。
特に何がききたいってわけじゃないけれどなんか、なんか、こうわだかたまりというか、なんというか
すまんな。中途半端で」
自分でいいながら少し思った。
つき合っていたけれど、お互いプライバシーを尊重しすぎていた。
そういえば聞こえはいいかも知れない。
けれど、お互いのこと知らなすぎたのではないだろうか。
今からでも優子のことを知りたい。
「う~ん、そう漠然といわれると難しいな」
良の悩んでいる声がひびく。
「そうだな~、桜井とはじめてあった店。確か、仲良い友達とよく店の開拓してたっていってたな。
それくらいしか、桜井のイメージってないんだ」
すまなさそうに良が話してくれる。
すごく、気をつかってくれているのもわかった。
「仲いい友達って誰だっけ?」
優子の仲いい友達は、男女問わず多かった。
一度仲いい男友達と一緒に遊びに行く、行かないでケンカした。
それ以降優子は男友達と出かけにいくことがなくなった。
「ああ、別れた彼女だ。ほらよく4人で会っていた。お前と桜井が付き合うまで」
さらっと言う良の顔が曇っているように見えたのは気のせいなのか、そう思いたいだけだったのか解らない。
どうしてわかれたんだっけ?
と、もう少しでいいそうだった。
良のプライバシーもあるだろう。
気が付いたら、
「そっか」
というセリフにいつのまにか変わっていた。
ただ、何ともいえない空気がながれた。
「今日行かないか?そのピンクパンダに」
その重い空気をどうにかしたかった。
けれど、この切り出しは間違っていたかもしれない。
「いや、今日は用事があるんだ。わるい」
ちょっとおどけた良の笑顔おかげですくわれた。
いい友をもったな~
そう思えた瞬間であった。
「じゃ、そろそろ仕事にもどりましょうか?」
その良の一言でまた仕事がはじまった。
明鏡精機に営業をしている時に営業所からメールが入った。
「お疲れさまです。13:40分 F電機の山村課長からお電話がりました。おりかえしお電話下さいとの事です。宮部。p.s.今日は暇ですか?」
宮部からだ。
業務連絡もメールで来る。
たまに、仕事に関係ない内容の時もある。
時間に余裕のある時は返事を書いているが、大抵は返事をしない。
F電機の山村課長ではなく、河村課長である。
毎回こういうミスはある。
以前ひどいのがあって一度注意したが、それも、最近はどうでもよくなっていている。
こっちが気をつければいいだけだから。
そして、河村課長に電話をする。
内容は、
アセンブラが出来て、シーケンス制御が出来る人。
特にラダー書ける人。
面談時には図面を見て技能のチェックをします。
であった。
受注である。
とりあえず、宮部にメールのお礼をして、早めに帰社しよう。
予定も終わり、帰り際に新規開拓予定の企業にアポイントをとる。
帰社途中に優子が勤めていた会社が入っているビル近くを歩く。
もう、あそこにはいないんだ。
あんまりまだ実感がわかない。
ただ優子が死んだことを認めたくないだけなんだ。
どこかで、冷静に見ている自分がいる。
また明日考えよう。
そう思うことにして会社へ戻った。
「ただいま戻りました」
また、誰にむかっていっているのか解らないセリフをいって帰社する。
まあ、習慣なんて恐いものだ。
もう、そんな事を気にしなくても、普通に口から言葉が出るようになってるんだから。
人事担当に話しかけ、現在の面接状況の確認と、他営業所の進捗を確認する。
少し、先方要望にはスキル不足だが、人は見つかった。
当人への連絡と平行して、企業にメールを送付する。
そして、報告書を作成していると、上司が話しかけてきた。
「加藤、もうあがっていいぞ~なにかと大変だろうから。日報書いたらあがれ~」
なんで、そう言われたのか解らない。
受注もあったし、人も提案している。
まだメールの返事は来ていないが7時前。
おそらく、まだ先方は仕事をしているだろう。
できれば、見積りと面談日程まで本日中に決めたかったが、上長命令であれば、明日にまわそう。
そう、思って、日報作成と進捗状況を報告して、先に帰らしてもらった。
「お先に失礼します」
と、また誰にいっているのか解らないセリフを残して。
帰ろうとしていたらロビーに宮部がいた。
「お疲れさまです。加藤さん今日は早いですね
よかったらこれからどこかいきませんか?
何かお手伝いできればと思って気晴らしにでも付き合えればと思って」
確かに、これから一人で「ピンクパンダ」に行くのは正直いやであった。
宮部も気を使ってくれているみたいだし、宮部と「ピンクパンダ」にいってみた。
メイン通りから離れたところに「ピンクパンダ」はある。
今流行のダイニングバーというやつだ。
なかなかおしゃれな店で、雰囲気はかなり好きだ。
「わぁ、加藤さん、いい店しっていますね。なんか私気に入っちゃいました。
こんな店に連れてきて頂けるなんて、感動です
ありがとうございますね、加藤さん」
いったい何の目的で宮部は一緒に来たのだろう?
「どこで、この店知ったのですか?意外と加藤さん、こういう店くわしかったりするのかな~」
宮部が聞いてきた。
確かに、メイン通りから離れているし、毎日仕事で帰りも遅いから、こういう店を知っていることの方が不思議なんだと思う。
けれど、どうしても、宮部には優子のこと。
特にメールが来ていることは話せないと思った。
それは直感かもしれないし、また、多分、宮部に言うと多くの人に広がるような不安が多いのだ。
「まあね」
なんかごまかしているようだが、なんとなく答えてみた。
すると、宮部から
「今日、早く上がれたでしょ。実は上司の方に話しておいたんです。
どうも加藤さん落ち込んでいるようだから、リフレッシュが必要なんだと思いますって。
だから今日は私が加藤さんのリフレッシュ役になれればと思います」
といわれた。
普通なら、かわいい子にこういう事を言われたらうれしいのかも知れない。
確かにいやな気分にはならないが、どうも私は宮部が苦手である。
何か本当はこういう性格じゃなくて、作っているようにしか感じられないからである。
「ありがとう」
けれど、口から出るセリフはでもそういう思いとは違っている。
そういうものだ。
それから、宮部がいろんな話をしてくれたが、どうも、耳に入らなく、気がついたら、お酒ばかり飲んでいた。
お酒もかなり入りどんどん寡黙になって来ている自分がよくわかった。
宮部の目はお酒のせいかかなりとろ~んとしている。
妙な沈黙だけがやたらとうるさい。
「実は、お預かりしているものがあるのですが、受け取っていただけませんか?」
この沈黙を破ってくれたのは店員であった。
びっくりした。
そして出してきたものは、ひとつのオルゴール。
預け人は優子であった。
今朝のメールはこのことを伝えたかったのだろうか。
オルゴールを開けてみると「TUNAMI」が流れてきた。
そういえば、この曲が流れているときに告白したんだった。
気がついたら、泣いている自分がいた。
ここまで大事にしてくれていたのに、私は優子をどれだけ大事にしていたのだろう?
そして、そこに手紙がひとつ入っていた。
そこに書かれていた文字は
「助けて」
であった。
一瞬私は固まってしまった。
「いいな~そのオルゴール頂戴。ダメ~」
宮部が何か話しかけてきたけれど、それすらもどうでもいいくらいであった。
その日は気がついたら家についていた。
長い一日であった。
メール 3通目
~メール3通目~
いつも通り、6時50分に目が覚める。
もう、習慣になっている。
携帯のアラームより先に目が覚めてとめる。
そして、テレビをつける。
少し頭が痛い。
二日酔いだ。
昨日、かなりお酒を飲んだが、お酒より、色々なことがありすぎて
頭がうまく回っていない。
昨日、優子からのオルゴールのメモを見てからの記憶がかなりあやふやだ。
こういう時はいつもの日常の繰り返しが救われる。
とりあえず、会社に行こう。
おもりが付いた頭を抱えて動き出した。
「おはようございます」
明るい声で現実に戻される。
宮部である。
「ああ、おはよ」
返事をしながら、ふと思った。
昨日、宮部とどう分かれたのだろう。
よく思い出せない。
昨日のことを聞こうと思ったけれど、なかなか切り出しにくく、
「昨日、ごめんな」
というあやふやな言葉で片付けてみた。
「昨日、加藤さん、飲みすぎですよ。大変だったんだから。
これは何かでお礼してもらわないといけないですね~
今週末どこか連れて行って下さいよ~」
まあ、この話し方なら普通に分かれたんだろう。
もし、何か間違いでもあったら、今みたいな二日酔いの頭痛じゃすまなそうだからな。
「まあ、今週も休めるかどうかまだ解らないから。考えておくよ」
なんか適当なセリフでごまかしている。
今日も一日が始まる。
朝はメモを見る事から始める。
いつも帰り際、明日することを箇条書きにメモを残している。
記憶なんてあやふやだから。
覚えているより、メモを見るほうが安全だし、すんだら捨てていけばいいんだから。
そういえば、優子と付き合いたての頃、事故の後遺症で記憶が10分しか保てない人の映画を見に行ったな~
確か「メメント」とかいったはず。
たまたま、テレビで見ていて宣伝していたから見に誘ったんだった。
あれが、そういえば、初めてこっちから誘ったデートだったな~
付き合いたてが一番楽しかった。
いつからだろう?すれ違い始めたのは。
「加藤さん、2番にF電機の川室さんからお電話です」
宮部の声で現実に戻される。
最近よくトリップする。
どうやら、何かどこかに非日常に逃げたがっている自分がいるのかもしれない。
「お電話変わりました加藤です」
昨日受注をもらった方からだ。
相変わらず。宮部は名前を間違えてくる。
受注の進展が起きた。
技量は低いから金額は落とすという方向で、一度面談を行うという事である。
通常派遣であれば、事前面談は行わないのだが、実際は行っていることの方がほとんどである。
電話後、採用担当と打ち合わせを行い、その後、連れて行く当人と打ち合わせをした上で、面談日を決定する。
スムーズに事が運び明日の10時に面談が決まった。
今日は面談内容の事前確認とその用意のために、また日野へ営業となる。
予定が変わった。
そんな事はよくあることだ。
「いってきます」
また誰に向かっていっているのかわからないセリフをいう。
会社を出てすぐにメールがきた
「今日はどこに営業に行くんだ?
昼一緒に食べないか?」
良からだ。
昨日のことも相談したかったし、かなりありがたかった。
何かあったとき、一番助けてくれるのは良だ。
「今日も日野~ 受注の進捗がでました(^o^)v
ファミレスでよければOK」
良からのメールは嬉しかったが、実は優子からのメールを期待していた。
今日はまだ来ない。
一日1通来るはずなのに。
メールが来る。良からだ。
「OK じゃあ、1130に日野で」
待ち合わせ場所は特に決めない。
ある程度の時間がわかっていれば。
仕事が始まる。
プライベートがどうであれ、仕事なんてどうにでもなるものである。
ただの流れ作業なのだから。
気合いが入っていたのは、はじめだけ。
気が付いたら惰性でも動いていく。
ベルトコンベアーの荷物みたいに。
ただ、バイブにしている携帯だけが今日は微妙に震えていた。
鳴っていない携帯なのに震えた気がする。
妙に気になる。
まるで、拾ってきたネコに首輪をつけたかのような、違和感。
そのせいか、11時には日野についていた。
「少し早く着いてしまったよ。そっちはどう?」
メールをしてみる。
問題がなければ、すぐに返事が来るだろう。
そしたら、
「後ろを見てみなよ」
昨日と同じようなメールが良から来た。
面白くないな~っと思って後ろをみたら、そこに良がいた。
「おいっす。こっちも早く終わってね。
でも、眠いね~」
おおきなあくびをしている良がいた。
「ゆうべ眠れなかったのか?何かあったのか?」
目が赤い良が気になって聞いてみた。
もし、良自身がプライベートで何か問題を抱えているのに、こっちが良に頼ったら、負担になる。
「おいおい、昨日覚えていないのか~
夜中に電話してきて、話したかと思ったら、いきなり寝始めたんだぞ~
お酒飲むのは勝手だが、そういうのは勘弁してくれ。
しかも、酔っているせいか、話がわかりにくかったし、気になって眠れなかったよ」
どうやら、昨日夜、良に電話していたらしい。
記憶にはないが、そうとう消化できなかったんだろう。
寝る前に良に電話していたらしい。
そういえば、昔良に聞いたことがある。
色んな人から相談受けるから携帯はいつも枕もとにおいてあるということ。
しかも、夜は不安になりやすく、誰かに話したくなる傾向が強いからだとか。
よく体が持つと思う。
なんか、良の性格から相談したら真剣に乗ってくれるけれど、真剣すぎるから相手より悩んでしまう事もあるのを知っている。
だからこそ、夜中は電話しないようにしていたのだが・・・
といっても言い訳になるので、良には
「すまなかった。しかも実は覚えていないんだ。
わるい」
としかいえなかった。
「まあ、いいよ。まあ、食べながら話そう」
にっこり笑ってくれる良だからこそ安心できる。
そういえば良ってあんまり怒らないよな~
ファミレスについた。
ファミレスを選んだのは、話が長くなるのがわかっているからだ。
少しうるさいが、妙に学生の時、勉強会をしたのとか、集まってわいわいしたのを思い出す。
そういえば、社会人になってから、あまりこういうところで話し合うことが減ったような気がする。
いや、誰かと真剣に話をすることが減ったのだろう。
それだけ、表面上の付き合いが増えた証拠かもしれない。
「それで、思うんだけどな~」
おもむろに良が話し始めてくれた。
人の話を聞いて、まとめて感想をいう。
ただそれだけなんだけれど、それが良はすごく上手だ。
良が話し始めた。
「まず、『助けて』のメモから『他殺』と想定して話すよ。
『助けて』とメモを残したという事は、その時点では『殺される』という恐れはあったけれど、
確実ではなかったと思う。
本当に『殺される』直前なら、そういうまどろっこしい事はしないと思う。
おそらく、お前に『危険』があることを知って欲しかったんだと思う。
これだけの理由ならこの『危険』は大きな事、つまり『殺される』ほどの事ではなかったかもしれない。
けれど、もし、なんらかの理由で『電話』や『携帯』、『メール』を使用することが出来なかったとしたらどうだろう?
桜井からのメールで店が『ピンクパンダ』だとわかるのは4人だけだからな。
つまり、誰かに気付かれずにSOSを出したかったのかも知れない。
まとめると2つ。
1つは、小さな危険があって、お前に気が付いて欲しくて行ったこと
2つは、大きな危険があって、しかも電話やメールでは伝えられないのでとったこと。
このどちらかじゃないかと思うんだ。
けれど、結果的に桜井が死んでいる事から、後者じゃないかと思うんだがどうだろう?
何か心当たりはあるか?
ただ、あくまで推測だから間違っていたらごめんな」
淡々と話す良を見て相変わらずすごいと思った。
それは、漠然とショックを受けていただけの私と違ってここまで整理できるものなのかと思った。
「確かに何か理由があったからだと思う。けれど、どうして電話やメールをせずにこういう方法をとったのだろう?」
良のいう事は解るが、優子に私は信頼されていなかったのだろうか?
確かに、仕事を行う比重の方が多かった。
鳥のつがいのように一緒にいたこともほとんど無かった。
けれど、何かあるのなら相談してくれれば良かったのに。
悩んでいる私を見て良が語ってくれた。
「おそらく。盗聴か盗撮かされていたのかもしれない。それに、桜井はお前を信頼していなかったのではなくて、巻き込みたくなかったのかも知れないし、また、心配かけさせたくなかったのかもしれない。
ごめんな。うまく言えなくて。
でも、桜井も仕事の方がウエイト大きかったが、お前を思っている気持ちも強かったと思うよ。
なんというか、気を使う子だし・・・」
ものすごく、一言ひとことを考えながら良が話してくれているのが解った。
ただ、何か心の中でひっかかるものがあった。
それは解らなかった。
ただ、それとは違う何かが口から出てきた。
「実は、一番初め優子からきたメールがわからなかった。ただ、優子の部屋に行ったんだ。
そこでなにか言い様のない違和感があったんだ。
もしかしたらそれは誰かに見られていたからかもしれない。
週末にでももう一回優子の部屋にでも行ってみようかと思う」
そう、2通目のメールから考えると1通目のメールがわからない。
「私はあなたと一つになるの。だから苦しまないで。 これは、はじまりよ。私が見てきたものと同じ景色に触れて。まずは私の部屋よ」
良に1通目のメールを見せてみる。
悩みながら良は話してくれた。
「あくまで俺の感想だから正解と思って聞かないでくれ。
まず、苦しいことが起きるという事なんだと思う。
それと、桜井が経験したこと、起こっている事をたどって欲しいんだと思う。
こういう書き方をするのは直接書きたいけれど、書けないからこう書いていてのかも知れないな。
もう一度行ってみるか。桜井の部屋に」
良の話し方がすごく急であった。
まるで今から優子の部屋に行くかのように。
「まさか今から行くんじゃないよな?」
ひょっとしたらと思って聞いてみたら。
「何いっているんだ。今からに決まっているじゃない」
この行動力があるからこそ、良なんだ。
そう思うことにした。
優子の部屋は明大前にある。
駅からは少し歩くけれど、便はいい方だ。
そういえば、この付近ではいっぱい店に連れて行ってもらったな。
そう思いながら歩いている。
どこかで、現実を否定しながら、どこかで過去に封印したいとも思っている。
おかしなものだ。
「ここだよ」
古びてはいるが、しっかりしているマンション。
7階建ての4階。
エレベーター降りて右奥に優子の部屋はある。
来る前に警察には連絡していた為中には入れるようになっている。
「何かメールで進展はありましたか?」
以前取り調べの時にいた警官の方がいた。
良が手短に説明をしてくれた。
部屋に入る。
誰かに見られている。
言われればそうかも知れない。
けれど、違和感はどこかにある。
ベットに小さいテーブル。
テレビとパソコン。
衣装ケースに化粧ポーチに鏡。
相変わらず、無機質な部屋だが何かいつも見慣れているものと違う。
「見つかりました」
捜査官が小型カメラと、盗聴器を発見した。
良の推測は確定となった。
「これを元に設置した犯人を追跡いたします」
そのセリフも別に安心できるものではなかった。
メールが来た。
「あなたからもらった
一番大事にしていた宝物は何かわかる?
それをさがしてみて」
優子からだ。
私が優子にあげた宝物。
***************************
「ありがとう。これ私大事にするね」
このセリフは、去年のクリスマス優子に指輪を買った時。
それまで、お互い指輪を持つことなんてなかったから。
それからずっと右薬指にしてくれていたはず。
確か、最後の夜も指にしていた。
***************************
外していなかったはずだ。
もし、外しているとしたら・・・
私は鏡の下にあるアクセサリー入れを開けてみた。
そこに、あの時、クリスマスの時にあげた指輪入れがあった。
開けてみると指輪の変わりに鍵が入っていた。
この鍵のことなのだろうか?
だが、この鍵いったい何の鍵だろう?
マンションの鍵としては小さいから違うだろう。
けれど、この部屋には鍵をかけるものはこれといってない。
この形状、もしかしたら、いやそうかもしれない。
昨日のオルゴールに鍵穴があった。
確信はもてないが。
「どうした、加藤?」
良が話し掛けてきた。
メールのこと、鍵のこと、オルゴールのこと。
一つひとつ説明をしていく。
「そのオルゴールどこにあるんだ?」
良の当たり前の質問に答えられない。
そう、覚えていないのだ。
今朝、手元にはなかった。
宮部なら知っているかも知れない。
プライベートな内容だから、宮部の携帯にメールしてみた。
「昨日のオルゴール知らない?実はあれ、必要なんだ~
知っていたら教えて?」
あまり、携帯にメールはしたくなかったが、会社のパソコンに残るのは避けたかった。
すぐに返事が来た。
「私、持ってますよ~ 欲しいけれどダメみたいだったから預かってます。
明日持ってきますね。でも代わりに何か下さいね。では、お帰り待ってます」
何か買わないといけないのか。
仕方がない、駅前で何かそれっぽいものを買っておこう。
ため息ついていたら、良にメールを覗き見された。
そして良に
「大変だな~
でも、明日にはオルゴールも手に入るし、今日の回収からある程度のことはわかると思う。
まあ、元気だしな。
ところで、明日の昼はどうなんだ?」
といわれた。
ふざけてからかわれるかと思ったが、良はいたってまじめだった。
真剣に今回の決着をつけようとしてくれている。
他人事だけれど、こういう時良は最後まできちんとしてくれる。
だからこそ、相談をしやすいのだ。
「明日はちょっとダメなんだ。
朝から客先に人を連れて行かないといけないから
悪い」
良にそう答えた。
確かに明日オルゴールやら、警察からの進捗で一段落出来るかも知れない。
何か理由がわかれば楽になれるだろう。
逃避している自分からも楽になれるはずだ。
「そっか、じゃあ、明日夜明けておけよ。
そうだな。新宿の南口のポストあたりに8時くらい。
そうしよう」
珍しく、良が時間も場所も指定してきた。
何かあるのかな?
なんとなく、そう思った。
まあ、明日になれば解る事だ。
あまり仕事に穴もあけられない。
良と二人して、仕事に戻った。
「ただいま戻りました」
また、誰に言っているのかわからないセリフをいう。
返ってくる返答もまた覇気のないものである。
そんなものだ。
流れ作業な仕事だから。
明日に向けて打ち合わせを上司とする。
段取り、見積もり、質問内容の事前チェック。
そして、日報作成と、行動予定作成。
昨日はあまり寝ていなかったせいか、今日は仕事もそこそこで帰ろうとした。
メールが来た。
「まだ、仕事中ですか?
もしよかったらごはん一緒に食べませんか?」
宮部からだ。
今日はかなり疲れていたから、そういう気分にはなれなかった。
「明日のことがあるから今日はごめんねm(_ _)m」
とりあえず、それっぽいメールを送って家に帰った。
もし、時が戻るのならば、この時宮部に会いに行っていたのに。
メール 4通目
~メール4通目~
いつも通り、6時50分に目が覚める。
もう、習慣になっている。
携帯のアラームより先に目が覚めてとめる。
そして、テレビをつける。
そう、いつもと同じ繰り返し。
いつもと同じように用意をして出社する。
「おはようございます」
いったいだれに向かって言っているのかも解らないセリフをいって私は会社にはいった。
「おはようございます」
どこかこわれた壊れたステレオのようにエコーがこだまする。
誰にいっているのかわからない死んだ言葉が返ってきた。
今日は客先へすぐに行くこともあり、何か違和感があったが、すぐに会社を出ていった。
「行ってきます」
という死んだ言葉を残して。
豊田駅で今日連れて行く技術者と待ち合わせをした。
豊田駅は改札がひとつのため、こういう待ち合わせを行うときはありがたい。
少し待ち合わせには少し早い9時35分である。
けれど、どうもその技術者も早く来ていたみたいだ。
「どうも、こんにちは。Mシステムの加藤ですが、上野さんですか?」
履歴書のコピーで写真を見ていたからわかることだ。
この上野という人は、少し話して癖があることがわかった。
技術は確かにあるのだろうが、どこか、違和感を感じる。
それが何かと言われると表現はできないんだが・・・
これは、あまり上野という人に話させないほうがいいかもしれないな。
契約という事を冷静に考えている自分がいることがよくわかった。
どんなときでも仕事は出来るものなんだ。
F電機に行く前に、質問される内容の確認や、先方から出される図面の確認を行っていた。
メールが来た。
「山口です。加藤さん 宮部さんの事聞いていますか?」
山口さんからのメールであった。
山口さんは、宮部と仲の良い同じ営業事務の女の子だ。
あまり話したことがない子だが、印象として裏表はないけれど、世間話しの好きそうな感じの子だ。
はっきりいって、何か話したらみんなに広めてくれそうな感じの子だ。
でも、東京に来てから山口さんからメールをもらったことはなかったし、宮部に何かあったのかと思った。
そういえば、今日はあの耳に残る宮部の声を聞いていないような気がしてきた。
朝の違和感はそれだったのか。
妙に納得できて、少しだけもやもやは晴れてきた。
まだ、もやの中心はかわらないけれど。
「仕事のメールですか?大変ですよね。営業も。
でも、メールなんて、今でこそ普及していますけれど、
10年くらい前はまだまだ主流じゃなかったですからね。
くくっ。
でも、最近でこそリモートメールみたいなものできてきましたけれど、10年前の技術でも
時間を指定してメール送付することなんて全然難しくないんですけれどね~」
横にいた上野さんの声でまた現実に戻されたが、その内容にびっくりした。
私は興味本位を悟られないように聞いてみた。
「上野さんはそういうのって詳しいんですか?
今までの職務経歴からだと、どうしても電気関係が強いのですが、ソフト関係もされてきたんですか?」
どう、切り出していいのかわからなかった。
本当はこういう回りくどい質問じゃなくて、150kmくらいの剛速球を投げてみたかった。
ただ、どうやって切り出せばいいのだ。
いきなり、死んだ彼女からメールが来るんですけれど、システムの解析してください、なんて変なお願い事はできないし。
「加藤さん、業務ではハード関係ですよ。
でも、趣味でソフトはやっているんですよ。
HP作ったり、プログラミングしたり、Windowsのバグ発見してみたり。
楽しいですよ。他人の作ったプログラムのバグを発見していたずらするなんて」
なんともいえない笑い方を上野さんはしていた。
多分、始めにあったときの違和感はこういう、なんともいえない、アウトローなところが引っかかったんだろう。
でも、この上野さんに聞かなくても、警察の方でも調べているはずだ。
一度、どういう仕組みでなっているのか聞いてみよう。
そんなことをしても、優子が戻ってくるわけじゃないし、このどこかにもやのかかっている状態が良くなるわけじゃないと思うけれど。
ただ、なんとなくそう思った。
とりあえず、山口さんからの宮部の質問メールは仕事がひと段落してから返事を書こう。
「上野さん、わかりました。
それでは、そろそろ時間もいいころですから、先方のところに行きましょうか」
どんな精神状態でも仕事は出来る。
ただ、日常というベルトコンベアーにのっかているだけなんだから。
F電機での面談は事前の打ち合わせもあって、問題なく進んでいった。
途中、上野さんに席をはずしてもらって、見積もりの話しも問題なく進んでいったので、後は先方での社内稟議が通るかどうかだ。
おそらく、急ぎの案件のため、今日の夕方には結論が出ているだろう。
打ち合わせ後、上野さんには今日の夕方連絡が入る旨を伝えて、入社までの話を伝えた。
豊田駅まで上野さんを送って、ほったらかしていた、山口さんへのメールを書いた。
「何も知らないけれど、どうかしたんです?
加藤」
送信と同時にメールチェックをしてみる。
けれど、優子からのメールはまだ来ていなかった。
まあ、今日は盗聴器を仕掛けた人物もわかることだし、ある程度気楽になる情報があるはずだ。
情報を待っていても仕方ないから、こちらから警察に電話をしてみた。
どこかで、早く決着をつけたいと思っている自分がいる。
多分、どこかにはいるはずだ。
そことは違うところにまだまだ現実から背を向けている自分もいるのも良くわかるが。
「もしもし、加藤ですが。
今、よろしいでしょうか?」
担当の警察官の方と電話で話していくと、理解できない事が電話口で話されていた。
いや、内容はすごくわかりやすかった。
ただ、あの盗聴器と小型カメラだが、購入者が調べたら優子であったという事。
そして、何も録音されていないこと。
もう少しでこの心におもくのしかかったもやが晴れるはずだった。
どうにかこのいやなどす黒いものを振り払おうと別のことを考えようと思った。
どうしてか、頭に浮かんだの昔優子とカラオケに行った時に聞いたCoccoの「強く儚いものたちへ」を
思い出した。
なんとなく、苦労して愛する人のもとへ戻ったとき、その人がほかの人に腰振っているというフレーズを思い出した。
そういえば、付き合いたての時は、デートも良くしていたな。
でも、どうして優子が購入者なのだ。
しかも、何も撮られていないというのも不思議だ。
こういう時は良に相談しよう。
多分、一人で考えていても何もいいことはないはずだ。
とりあえず、今日は20時に待ち合わせをしているから、その話時に話そう。
そう、思うことにして、電車に乗った。
電車の中でセンター問い合わせをすると、メールが2通来ていた。
山口さんと優子からだ。
優子のメール
「ようやく、たどり着けそうなの。『K』
どちらを選ぶの? 行きたい所なの」
初日に続いてよくわからない内容のメールだ。
そして、目につく『K』という文字。
不自然にあるこの『K』は多分何かをさしているに違いない。
そういえば、優子はこの前夏目漱石の「こころ」を読んでいるといっていた。
後半に『K』が出てくるけれど、何か関係があるのか?
けれど、「こころ」でも『K』は自殺している。
何か優子にあったのだろうか?
三角関係?
でも、思い当たる相手がいない。
確かに仕事ですれ違っていたけれど、浮気をしようと思ったことは一度もなかった。
いや、あるかも知れない。
確かに、会社では宮部に誘われているし、会社にも女の子はたくさんいる。
正直、顔だけならタイプな女性は身近にいる。
では、逆に優子が浮気をしていたのか?
その可能性も低いと思っている。
いや、思いたいだけかもしれない。
確かに、優子は誰にでも優しい性格のため、誤解を受けることが多い。
そのため、過去にストーカー被害にあったのも事実だ。
優子が浮気をしたのではなく、そういう心無いヤツにうらまれていたのだろうか?
もしかしたら、そういうヤツがこっそり、部屋に入ってきたりしていて、それを監視するために小型カメラや、盗聴器を仕掛けたのだろうか?
可能性としてはこの方が高い。
いや、そうであってほしいとどこかで願っている自分がいる。
浮気をしていて情事のもつれで殺されたなんて想像したくない。
そのためならば、事実だって湾曲したい。
そう、思いながら、もう一通のメールを開いた。
山口さんのメール
「今朝、なきながら舞から連絡あったの。『加藤さんにもう会えない』っていってたよ。
なにかあったんですか?舞が来ないと仕事振られるのでなんとかしてください」
どうも、私にとって宮部はトラブルメーカーみたいだ。
とりあえず、次が国分寺だから、降りて宮部の携帯に電話してみるか。
このメールの内容だと、宮部は今日会社休んでいるみたいだし。
でも、山口さんにこういう風に伝わっているのなら、早くなんとかしないと、私が宮部に何かしたように思われてしまう。
そういう誤解だけは避けたい。
もう、無駄かもしれないが。
とりあえず、国分寺に着いたので宮部に電話してみた。
「もしもし、加藤ですけれど・・・」
電話をかけて、いったい何を話せばいいんだ。
オルゴールを返してくれ。
会社に行ってくれ。
いや、どうして、朝あんな電話をしたんだ。
でも、どれもどう話そうか悩んでいた。
けれど、実際は悩まなくてすんだ。
いや、それどころじゃなかったのだ。
ずっと、宮部はただ泣いていただけだった。
「宮部、どうしたんだ。何かあったのか?」
けれど、宮部はただ泣いて
「ごめんなさい」
としかいわない。
しばらくして、宮部から
「今から会えますか?」
と言われた。
聞けば宮部の住んでいるマンションは永福町にあるらしい。
吉祥寺から京王線に乗ればいける場所だ。
ここからそう遠くない。
もし、この時、誰かが止めてくれれば。
いや、もうすでに歯車は回っていたのかもしれない。
どうすることも出来ないくらい。
そして、私は永福町に向かった。
駅に着く前から宮部とは何度かメールで場所を確認していた。
改札を出たところで宮部は待っていてくれた。
たぶん、ずっと泣いていたのだろう。
宮部の目は晴れ上がっていた。
改札で話すことではないだろう。
近くの喫茶店に入ろうと誘った。
すると宮部から
「家でもいいですか?」
と言われた。
いつもなら、いや、こういうシチュエーションでなければ、断っていただろう。
今から思えばこの時断るべきだった。
けれど、消えそうな宮部の声が、晴れて赤くなった目が、何かを狂わせた。
ただの、言い訳かもしれないが。
私は宮部についてマンションに行ってしまった。
宮部のマンションは築年数10年くらいだけれど、メンテナンスが行き届いているのか、かなりいい物件だった。
オートロックではあるが、横の通用口から簡単に入れる微妙な作りであった。
RC造のため、雑踏も聞こえない、なかなかいいマンションであった。
「ごめんなさい。ちらかっていて」
宮部は話しながらミニキッチンにいってお茶を作っていた。
宮部の部屋は優子の部屋と違い、かわいらしい女の子の部屋といった感じだ。
全体的にピンクで統一されており、ベッドの上にはディズニーのピグレットがいた。
それが印象的だった。
部屋全体は、1Kと狭く、6畳もないスペースにベッド、テーブル、テレビ、コンポがあった。
どう座っていいかわからないためテーブルの奥に座った。
どうも、居心地がわるい。さっきから無声映画を見ているみたいに、音がかき消されている。
お茶だけが減っていく。
「なにがあったんだ」
いつもと違うトーンで声が出た。
それは、この思苦しい雰囲気から脱出したい、ただ、それだけの思いだったかもしれない。
けれど、宮部は下を向いたまま、泣いていた。
ただ、それだけであった。
そして、おもむろに宮部が語りだした。
「昨日、加藤さんを待っていたんです。
そしたら、知らない人に声かけられて。
でも、無視してたんです。
そしたら、さらに怒ってきて。
怖くなって逃げたんです。
けれど、追いかけてきて。
それで、それで・・・」
そして、そのまま宮部は泣き崩れた。
正直、あまりにも現実味がなく、信じられなかった。
何かをされたのだろう。
聞きたいという願望と、これ以上傷を深めたくないという切望と。
交差する思いとは裏腹に気がついたら、宮部を抱きしめていた自分がいた。
「加藤さん、こんな私でも抱きしめてくれるんですか?」
涙目で見上げる宮部をどうにかしてあげたい。
たぶん、この気持ちはうそではないだろう。
そして、今の宮部をかわいいと思ってしまったことも事実なのだろう。
気がついたら強く宮部を抱きしめていた。
「明日は会社に出勤できそう?」
ネクタイを締めなおしながら宮部に話しかけた。
「うん。ごめんね。心配かけて。
でも、加藤さんありがとう。
って、加藤さんって呼ぶのも変か。
じゃあ、お仕事いってきてください」
ベッドの中から宮部がそう話す。
もう、後戻りできない。
なんか、そういう言葉が頭の中をこだましていった。
「忘れ物よ」
そう言って宮部がオルゴールを渡してくれた。
「私、サザン好きなの。
今度、カラオケで歌ってよ」
けれど、その宮部の言葉はどこか遠くに通り過ぎていった。
ごめんな。
そう、今あるのは、ただの罪悪感だけでしかなかった。
それは、優子にむけてのなのか、目の前にいる宮部に向けてなのか。
わからない。
自分を一番わかっているのは自分ではない。
なんかそんな感じの格言を言った人がいたのを少し思い出した。
そう、まさに、そんな気持ちだった。
とりあえず、心の増えたもやもやを無視するため、仕事というベルトコンベアーに
乗ることに決めた。
「じゃあ、会社に戻るね」
それが、宮部に言える精一杯のセリフだった。
宮部のマンションを出て、すぐにオルゴールを取り出した。
ひょっとしたら、この中に今日のメールの『K』が何かが。
いや、ひょっとしたら、今回の『謎』が「もやもや」が晴れるのではないかと。
そう思って、オルゴールを開けてみた。
中には鍵穴があり、鍵を入れてみる。
オルゴールから出てきたのは、メモだった。
「かきつばた
仮面なんて脱ぎ捨てて!!
ガラスのようなもろい関係はいや
やっぱり全てを捨てないとたどり着けないの」
私は、自分の知らないところでかなり、優子を傷つけていたのだろうか。
確かに、お互い気を使いすぎて、仮面をかぶったような感じだったのかもしれない。
けれど、それでも私は幸せだと思っていた。
それは優子も同じなんだと信じていた。
いや、信じたかっただけなのかもしれない。
***************************
「私、この曲が好き。
サザンは今まであんまり聞いてこなかったけれど、この曲は思い出だから」
優子のセリフは今でも鮮明に覚えている。
告白をしたのは、トリトンスクエアだった。
ちょうど二人とも仕事でその場所にいてそのまま、そこで御飯を食べた。
そう、その帰り、少し歩いて勝どき橋で優子が言ったセリフだ。
確かに楽しい思い出はいつでも付き合った当初しかない。
けれど、その時と同じテンションでずっとなんていられるわけがない。
打ち上げ花火のような恋愛じゃなく、線香花火のような恋愛がしたい。
そう思っていた。
だから、適度な距離がちょうどいいと思っていたし、お互いに仕事も忙しいから、メールできる時にメールして、会えるときに会ってきた。
それが、優子には不満だったのだろうか。
もしかしたら、心理学で少し聞いたことのある、『はりねずみのジレンマ』に私も陥っていたのだろうか。
寒くて凍えそうだけれど、近づくとお互いの針で傷つけあってしまうという感じに。
だから、つらいから全てを捨てたというのか。
だから、自殺したというのか。
認めない。
いや、認めたくない。
私はどこかで、優子は自殺したんじゃないって思っている。
このメモは何かほかの意味があるはずだ。
***************************
「ただいま戻りました」
習慣とは怖いものだ。
会社に帰ってくると何も考えていなくても、この誰に言っているのかわからないセリフが出てくる。
そして、また、どこからともなく、こだまが返ってくる。
それが、まるで当たり前のように。
早速、帰ってきて、F電機に確認の電話をする。
先方でも稟議が決済をもらえて、月曜日からの契約が確定した。
社内報告書や、稟議を作成し、上司に報告をする。
今日は20時に良と待ち合わせをしている。
時間を指定されている分、時間と変える段取りをつけておかないとなかなか帰れなくなってしまう。
途中、営業事務の山口さんがこっちを見てくすくす笑っていたが、あまり気にはしなかった。
宮部とのことは多分もう、知れ渡っているはずだ。
一時の過ちとしては許されないし、私自身も何かが動き出してしまったのだから、仕事とは別のベルトコンベアーに乗るのだろうと思っている。
そう、仕方ないことだ。
契約書の作成を行い、明日の準備が整ったので、帰社しようとしたらメールが来た。
「お疲れ様。今日はありがとうね。
おかげで元気になれました。今日は夜どうするの?」
宮部からだ。
まだ、片付けなければいけないことが山済みだが、こころのもやもやが晴れたときにどうにかしよう。
多分、どうにかなるはずだ。
「今日は大学のときの友達とこれから会います。
終わったらメールするよ」
とりあえず、宮部に返信はしておいた。
どういう結果になるにしよ、今はちゃんと対応をしておかないと後が怖い。
けれど、どこかに宮部と付き合ってもいいと思っている自分もいるのも事実。
いつまでも、ループしている優子を追いかけているのもどうかと思う。
多分、つらい現実から逃げ出したいだけなんだ。
どこかで冷静な自分が今の自分を冷笑している。
「お先に失礼致します」
何かから逃げるように私は会社から出た。
多分、それは求めている逃げ場でもなんでもないけれど。
待ち合わせより少し先に新宿南口近くのポストについた。
あまり、新宿に詳しくない時によく、優子と待ち合わせに使った場所だ。
普通、待ち合わせは男性が待っているケースが多いが、仕事柄終わる時刻を見込みにくいせいか、私は優子をよく待たしていた。
そう思うと、待ち合わせ以外でも優子を待たしている事は多かったと思う。
通常土日が休みのケースが多いが、取引先の中には日、月が休みの会社もある。
医薬系や臨床系でだと休日がずれるケースは多い。
そのため、土日休みでなく、代休をとっている場合が多かった。
だからこそ、優子と会うことが少なくなってきたのもまた事実だ。
そういう意味では私は付き合っている期間に比べると不安定な、それこそ、ガラスのような関係だったのかもしれない。
何が大切だったのか。
もっと出来ることがあったのではないだろうか。
そういう後悔は多い。
それにもうひとつ、宮部のこと。
いったい、どこに私はいきたがっているのだろうか?
ひょっとしたら、優子は宮部のことも知っていたのだろうか?
色んな想像が広がっては消えていく。
私には良みたいな、整理する能力はない。
どこかですごく良を頼りにしているのがわかる。
メールが来た。良からだ。
「今日はわけあっていけないんだ。
そのかわりにもうすぐそこに綾香がいくから。
今日は綾香と桜井の話をしておいてくれ(-人-)」
綾香は良の前の彼女だ。
確か、名前は高橋綾香。
優子と仲が良く、二人して新規開拓の店を探したりしていた。
付き合った当初は4人でよく遊びに行っていたが、そこそこにしか話しは出来ない。
まあ、良が前に言っていたから、こういう場をセッティングしてくれたんだろう。
けれど、出来れば良にもいて欲しかったが、どういう別れ方をしたのかもわからないし、それに、良も相手の高橋さんに気を使うから来ないんだろうと思った。
少しだけ、良に整理してももらって楽になれると思っていたが、中途半端なまま優子を過去の押入れにしまうこともしたくはなかった。
そう、逃げているだけでは終わりたくないからだ。
しばらくしたら高橋さんが来た。
かわいいというより、美人な高橋さんはどことなく、二人でいると緊張をしてしまう。
同じ年なのに、お姉さんという感じを受けてしまう。
まあ、あの良が彼女にしようとしただけのことはある。
「お久しぶり。加藤くん。でもなんか災難だったね。
優子どうしたのかな。って、ここで話すのもなんだからどこかへ行きましょう。
なつかしの『ピンクパンダ』でもいいけれど、加藤くんはいやでしょ。
だから、ちょっとだけ歩きましょうか」
明るく話している高橋さんは色々と気も使いながら話してくれる。
宮部との違いをよく感じる。
「こっちに行きましょう」
そう、高橋さんは言って歩き始めた。
ついた先は三越の向かいぐらいのチーズケーキカフェ。
レイアウトもチーズケーキをモチーフにしたかわいらしいつくりである。
確か、高橋さんはあまりお酒が得意でなかったため、いつもアルコールの少ないところが多かった。
「優子もチーズケーキ大好きなのよ。
あの子お酒も結構すきなのに、甘いものもすきなのよね」
そう話しながら、カルボナーラとケーキのセットを頼んだ。
私も同じものを頼み、ふと思い出した。
***************************
「チーズケーキファクトリーって知ってる?」
優子がチーズケーキ好きなのは付き合ってすぐにこの質問をされたので覚えている。
今から思うと近場でもあるのにわざわざ町田まで行って食べたのかがよくわからない。
池袋にも食べるだけならあるし、店も違うところにある。
確か、町田には営業で何度か行ったので、よく覚えている。
子供のころ、ショートケーキを食べ過ぎて胸焼けを起こしてからチーズケーキが好きになったといっていた。
だから、誕生日もクリスマスもケーキは生クリーム系をさけていたのだ。
ホールではなければ、生クリームでもいいってことを知ったのは付き合ってから随分してからだった。
***************************
「それで、優子の何が知りたいの?」
高橋さんの声で現実に戻ってきた。
やはり、最近はトリップすることが多い。
「何って言われると、ただ、漠然としすぎていて。
でも、何か今回のことはよく、自分でもわからなくて。
って、すみません、ちゃんと整理してから言いますね。
優子は私との付き合いについて何か話していませんでしたか?
どんな些細なことでもいいんです。
なんかこころに今もやもやがかかっていて
でも、どうすれば、このもやもやが取れるのかもわからなくて」
私自身、何をどう話していいのかわからなかった。
とりあえず、私の知らないところで何かあったと思いたい。
たとえば、ストーカーにまたあっていたとか。
何かの影におびえていたとか。
そうであってほしいという、自分の欲求とは裏腹に、どこかで、自分が責められたいと思っている。
不思議なものだ。
「そうね。
じゃあ、言うけれど、実は優子は加藤くんにちょっと不満があったの。
なんかね、すごい気を使ってくれているのはわかるけれど、本心が見えない。
ってね。
でも、間違わないでね。優子は本当に加藤くんのことは好きだったのよ。
それは、事実。
でも、今回こういうことになって。
実は私、自殺じゃないと思っているの。
いや、思いたいだけかもしれないけれど。
今まで、結構相談とか優子から受けたりしてたのよ。
加藤くんとのことよ。
でも、ここしばらくはそういうのもなかったの。
だから、何かあったのかなってね」
考えながら、話してくれる高橋さんのセリフはどこか救われて、でも、なにかがわからない。
そう、なにかが見えそうで、見えないジレンマに陥っている。
けれど、そういう思いとは別のセリフが口から出る。
「高橋さん。ありがとう。
私も、今になってだけれど、もう少し優子を大事にすればと思っています。
けれど、いまさらですがね。
でも、結構優子は相談していたんですか?
たとえば恋愛以外にはどうですか?」
そう、気になっていること。
それは、良が言っていた、話しにくいから、話せないから、メールを送ったり、メッセージを送っていること。
たぶん、知りたいことはこれではない。
どこかで本能がそう言っている。
「う~ん、そういわれてもな。
でも、確かに昔ストーカー被害にあったときあったじゃない。
あの時は何も相談してくれなかった。
どこか、自分ひとりで背負っちゃう癖があるのよね、優子は」
なにか消化不良気味であった。
たぶん、このカルボナーラのせいではないことだけはわかる。
沈黙が続く。
「ところで、話は変わるんですけれど、どうして良と別れたんですか?」
沈黙を破ったこのセリフは、本当は良に聞きたかったことだ。
けれど、なかなか聞けなかったことでもある。
私から見て、二人はお似合いだった。
特に別れる理由なんてなかったように感じたからだ。
高橋さんは一瞬顔を曇らせながら語ってくれた。
「私ね、良は嫌いじゃないのよ。
本当いうと今でも好きなの。
でも、あの人、やさしいでしょ。
怒らないし。
いつも笑顔なの。
でも、あの笑顔って真正面から見たら笑顔だけれど、横から見たら笑顔じゃないんじゃないかって思ったの。
そう、思ったら、すごく不安になったのよ。
この人何を考えているのかまったくわからない。
だって、やさしすぎるってことは何か隠してそうだから。
加藤くんは何も感じないの?」
初めて言われた。
良のやさしさについて。
確かに、どんな相談でも乗ってくれるし、いやな顔ひとつせずになんでもしてくれる。
けれど、それが全てだと思っていた。
「高橋さんはその素顔を垣間見たのですか?」
恐るおそる聞いてみた。
何か、踏み込んではいけないものなのではと怖かった。
それは、ある意味自分の何かが壊れていく恐れもあった。
「垣間見たのではないの。
でも、確信したの。
この人はウソをついている。
ってね。
特にあのことがあってから・・・
そういえば、優子のこと良には聞かなかったの?
優子は私より良に相談していたけれど」
一瞬何が起こったのかわからなかった。
そう、前に良はあまり優子のことは知らないと言っていた。
どうして、ウソをつく必要があるだろう。
聞いてはいけないこと。
かもしれない。けれど、胸の鼓動はとまらず、気がついたときは口から言葉が出ていた。
「高橋さん。それってどういう事ですか?
良は前に優子の事はあまり知らないと言ってました。
あの二人は前から中が良かったのですか?」
しばらくの沈黙。
そして、目の前の高橋さんの顔が徐々に変わっていくのがよくわかる。
「ごめんなさい。加藤くん知らなかったのね。
でも、このことは良から聞いて。
私、たぶん、うまく説明できないの。
加藤くんに誤解を与えずに話せる自信がないから。
でも、これだけは信じて。
あなたが思っているような不安じゃないから」
すごく、気を使ってくれているのが痛いほどわかる。
たぶん、私の知らないところで何かが起こっている。
それだけは良くわかった。
そして、その隠されたパンドラの箱は私がショックを受けるという事も。
今までの優子のメール。
このもやもやはこのパンドラの箱の中に答えがあるのか。
でも、どうして、良はウソをいっていたのか。
そして、どうして高橋さんは話してくれないのか。
ナゾばかりが消化不良を起こしている。
さっき食べたデザートのニューヨークチーズケーキが原因でないことだけはわかる。
「ごめんね。今日はなんの力にも慣れなくて」
そう言って高橋さんは改札の中に消えていった。
どこに住んでいるのかはわからなかったが、たとえ方角が同じであったとしても、今日は一人になりたかった。
いや、今すぐ良に会いたかった。
あのパンドラの箱の存在を知ってから沈黙だけが続き店を出た。
新宿の中央東口で高橋さんを見送った後、良に電話した。
呼出中という文字が携帯のディスプレーに表示される。
その後すぐに、留守番電話サービスにつながっていく。
何回か良にかけてみたがつながらなかった。
「今日、高橋さんと話した。
優子が良に相談していたことを聞きました。
よかったら明日話がしたいんだけど時間がある?」
何回か考えた末メールすることにした。
電話がつながらなくても、メールなら後で読んでくれるだろう。
時計を見ると10時近いがどうしてもまっすぐ家に帰りたい気分じゃなかった。
新宿の大ガード下をくぐってしょんべん横丁の入り口にある松屋。
その4階にあるISAOに向かった。
***************************
「こんなところにこんな店があるんだ」
優子と付き合いたての時に驚かそうと思って連れて行った場所だ。
細い路地をわざと通って来て、なんか薄暗い場所を見せた後におもむろに入ったところの4階。
壁は白く塗られて感じのいいダイニングバーのようなところ。
あのときの笑顔は確かに本当だった。
ただ、何を話したのか中身は覚えていない。
***************************
そんなものだ。
いつも思い出すのは屈託のない笑顔だけ。
そう思いながら銀河高原ビールを浴びるほど飲んだ。
今日は長い一日だった。
メール 5通目
~メール5通目~
いつも通り、6時50分に目が覚める。
もう、習慣になっている。
携帯のアラームより先に目が覚めてとめる。
そして、テレビをつける。
そう、いつもと同じ繰り返し。
いや、違うのは日に日に鬱屈した気持ちになっていく。
多分、二日酔いのせいではないはずだ。
携帯を見てみる。
まだ、メールも不在着信もない。
良は気がついていないのか。
それとも、話しにくいことなのだろうか。
考えるのはやめよう。
昼にはまたメールが来るだろう。
そう、思い込むことにして、いつもより少し重い頭を振ってベルトコンベアーに乗っていく。
こういう気分の時はそれが一番だ。
「おはようございます」
いったいだれに向かって言っているのかも解らないセリフをいって私は会社にはいった。
「おはようございますぅ」
朝から猫なで声を出してくる。
すごく満面の笑みを浮かべているのは宮部だ。
まわりがくすくす笑っている。
そういえば、昨日からもうひとつ新しいベルトコンベアーが増えたんだ。
落ち着いてみてみると宮部もそんなに悪い顔をしているわけじゃない。
少し大きめの目と愛嬌があるといえばある笑顔。
どことなく違和感はあるけれど、時間をかければ変わっていくかも知れない。
どこかで、もう優子から逃げ出したい。
いや、この現実から逃げ出したいという思いがあるのかもしれない。
だからこそ、目の前の宮部をかわいいと思っているのかもしれない。
「ああ、おはよう。宮部」
そう言いながら、宮部の机を見て愕然とした。
机の上には結婚プランのパンフレットが山のように。
ベルメゾンやらゼクシーやなにやら。
そういえば、優子と結婚の話しってしなかったな。
いや、優子の家族にすらあったことはなかった。
***************************
「そういえば、優子の両親ってどこにいるの?」
何気なくそういったセリフが優子の顔を曇らせた。
優子は一人暮らしだが、実家がどこかもわからなかった。
イントネーションが関東だから実家も近いのだろうと思っていたが、この質問には、
「そのうちね」
としか優子は答えてくれなかった。
そして、葬式の時も優子の親族は誰も来なかった。
そのため、葬式自体も質素なものになっていた。
結果的に優子の家族についてはわからずじまいであった。
優子の身の回りのものは今整理中だが、落ち着いたら私が引き取ることになるだろう。
そうやって思い出の中に生きるのもまた良いとも思っている。
けれど、その現実から逃げたいと思っている自分もいる。
結局自分で自分のことをわかっている人間なんていないんだ。
そう思うことに決めた。
***************************
「加藤さん。心配しないで下さい。
ちょっと集めただけですから。
すぐってわけじゃないんですよ。」
宮部の明るい声でまたトリップから戻される。
このトリップしている時の方が幸せなのかも知れない。
昔、優子と見た「リプレイ」という映画を思い出した。
事故で心臓が2分間停止し、記憶が2年間なくなるというもの。
そして、記憶の中、現在と2年前を行ったり来たりしながら空白を埋めていくという映画であった。
ただ、なんとなく、そういうトリップを繰り返せればいいなと思った。
「ああ、そうだね」
口から出るセリフはなんかどうでもいいセリフだった。
多分、私の救いはここにはないのかも知れない。
けれど、もう、このベルトコンベアーに乗ってしまった。
それだけが事実だ。
「でね、加藤さん。
私ジューンブライドって憧れなんです。
だからいいでしょ~」
宮部の大きな声がちょっと憎いと思った。
柱の影で山口さんが笑っている。
そういうことか。
気がつくと外堀も埋まっていてどこにもいけない。
まあ、それが人生なのかも知れない。
自分で道を切り開くより、敷かれたレールを走る方が楽だって事なのかもしれない。
昔はそうじゃなかったのに。
いつから自分はこんな風になったのだろう。
***************************
「あなたって変わっているよね」
優子の優しい声が聞こえてくる。
そう言われた時は、確か実家の話をした時だった。
私の親父は経営者だ。
しかもその会社はそこそこ大きな企業だったりする。
子供のころから英才教育というのか、経営哲学を刷り込まされてきた。
大学時代まではそれが普通だと思っていた。
決められた勉強、決められた家庭、決められた成功の約束。
ただ、過保護な親父でもなかった。
高校時代に会社の掃除手伝いをしていた。
それは、マスクをして給湯室やトイレの掃除をした。
小遣いがほしいアルバイトではなかった。
そう、学んだのは人間関係。
気さくに話しかけてくれる人もいた。
あごでこき使う人もいた。
高校生活が終了に近づいたとき、新年会のパーティーで親父に紹介をされた。
そう、掃除をしている時にだ。
それから、あごでこき使っていた人は手のひらを返してくるし、気さくに話していた人も妙な距離を置くようになった。
親父に言われた事。それは今でも耳にこびりついている。
「努力が報われる世界じゃない。いくら一生懸命掃除をしても、だれもお前を見向きもしない。
けれど、お前が社長の息子って知ると皆手のひらを返してくる。
そういうものだ。
優しさだけじゃこの世界は生き残れない。努力が報われる世界じゃない。
それを覚えておけ」
一代で会社を大きくした人間。
それが親父だ。
その企業を受け継ぐことを当たり前と思われてきた。
けれど、大学に入り、多くの人と出会った。
特に影響が大きかったのは良の存在だ。
それから、敷かれたレールより、チャレンジしたい思いを持つようになった。
意を決して親父に伝えたら意外と承諾してくれた。
ただし、このセリフを残して。
「とある演出家も大学に行くとき親父に人生には無駄な時間も必要だといわれたそうだ。
だが、そういう無駄な時間もいつかは良い時間となる。
お前が無駄な時間を外で過ごすというのならばそれもまた良いだろう。
けれど、これだけは予言しておいてやろう。
お前は、いつかはここに戻ってくる。」
そうして、私は出世街道を捨てて、泥水を飲むような思いをして今の企業に勤めた。
実家のことは誰にも言っていない。
そう親父に、
「実家のことは外に出たらいうな。
お前が自分の力を試したいと思っているのならば、お前の父親はしがないサラリーマンのほうが良い。
もし、話したいのならそれはお前が伴侶として良いと思った人物だけだ。」
と言われたからだ。
この事実を優子に伝えようと思ったのは軽い気持ちではなかった。
けれど、事実を知っても優子は変わらなかった。
そう、
「あなたって変わってるよね」のセリフだけだった。
そして優子は、
「別にあなたお金持ちの息子だから付き合ったわけじゃないのよ。
たまたま付き合った人がそうだっただけ。
別に私は豪邸でも6畳一間でもかまわないわよ」と言ってくれた。
あの時から3年。
気がついたら情熱も冷めて敷かれたレールを走りたがっている。
そして、もうひとつの恐怖。
目の前の宮部がこの事実を知ったらどうなることか。
おそらく優子のような冷静さはないだろう。
時々思うこと。
それは、どうして最上の彼女を手にしていながら気がつかなかったのだろう。
失ってはじめて偉大さがわかる。
そんな、辞典やことわざに書いていることなんて経験しないとわからなかった自分が情けない。
正直、宮部との将来を想像すると、怖いという文字しか出てこない。
だからこそ優子が光って見えるのかも知れない。
***************************
「加藤さん、3番にF電機の川村課長からお電話です」
宮部の声で再び現実にトリップした。
今日は珍しく名前を間違えなかったな。
今までひょっとしたらわざとだったんじゃないだろうか?
そう、軽く思ってみた。
たとえわざとであったとしてもどうでもいいことだ。
「お電話変わりました。加藤です」
電話の内容はこうだ。
追加で
電子回路設計の評価業務担当
若手でオシロスコープが使用できれば良いとの事
追加受注だ。
採用担当に確認をすると電気電子科卒の第二新卒、実務経験なしの人物がリストアップされた。
確認を取ってもらいながら、資料をメールで送付する。
そして、本日条件面の確認のため再度日野への営業が決まった。
最近、日野にしか営業に行っていないな。
「行ってきます」
また、だれに言っているのかわからないセリフを残して会社を出た。
中央線に乗っていると、
「昨日はすまんm(__)m
ちょっと野暮用でな。
いつかは話さないといけないと思っていたんだ。
高橋から聞いたら、ちょうどいい頃なのかもな。
今日はどこに営業。ちなみにこっちは日野のT芝」
良からメールが来た。
ちょっとびっくりした。
あまりにも気まずいメールをしたため、もう返事が来ないのかと思っていた。
とりあえず、今日は午前中にF電機との商談を終わらせて落ち合おうと決めた。
良には
「今日も実はF電機。
さらに受注ゲット(^_^)v
昼は中間地点にあるモスバーガーでどうだ?」
とメールした。
一度、日野のT芝には良と一緒に行ったことがある。
工業団地の一角にあり、駅からは少し遠い場所にある。
F電機とT芝の中間には凹版印刷の工場の近くにモスバーガーがあったはずだ。
そこで話しが出来ればと思った。
返事はすぐに来た。
「出来れば、もっとT芝よりがいいんだ。
今日はちょっと11時アポだから完全に間に合わない。
だからガストにしてほしい」
良にしては意外と遅刻を気にしていた。
おそらく今日のT芝での営業は重要なものなんだろう。
だから、短めに切り上げることが出来ないんだろう。
「了解!!
じゃあ、禁煙席で待っているよ」
良に返事をしてるとさらにメールが来た。
携帯メールのおかげで便利になったが、ある意味不便さも伴う。
来たメールはこうだった。
「今日は夜開けてよね。
開けないと覚悟してもらうから。 舞」
宮部からだった。
仕方ない。今日はどこか食べに行こう。
最近出費が続いているから安めのところがいいな。
***************************
「串特急なんていいんじゃない?」
まだ、働きはじめで給料も低かったときに優子とデートするときに言われた。
優子は自分自身が店の開拓をしたり、結構グルメだったりするのにもかかわらず、デートでは店にはこだわらなかった。
いや、多分、私の収入面を考えてそういう店も選んでくれていたんだと今になってわかってきた。
おかげで、新宿でちょっとお酒を飲むとき、軽くお茶を飲むときなど多くの店を知ることも出来た。
なかなか忙しい二人だからこそ、二人で約束したことがあった。
「次会うまでにはどこか私を誘える店を探しておいてね。
私も探しておくから」
この約束であった。
良く考えると会えない間も優子のことが考えられてよかったことだと思う。
だからこそ、次ぎに会う楽しみが持てたんだろう。
その中でコストがあまりかからない場所。
それが串特急だ。
***************************
「わかったよ。
今度はちょっと前とは違った感じの店でも良い?」
とりあえず、さっき送信できなかった良へメールとともに送付した。
F電機への営業はスムーズに行った。
受注案件も未経験可であったため、後は金額だけ。
残業量も多いため月間金額は確保も出来る。
特に問題ないレベルだ。
面談なしでも可能だとのこと。
後は提案中の人間が若いため辞退しないことだけを祈るだけだ。
そう、仕事なんて難しいことはない。
ただの流れ作業。一度ベルトコンベアーにのっかってしまえばどこかに連れて行ってくれる。
F電機を出てセンター問い合わせをする。
メールが3件。
ひとつは良。
「わかったよ。じゃあ、ガストで」
待ち合わせ場所が決まった。
二人とも禁煙者だから、禁煙席におちつく。
もうひとつは宮部。
「わかりました。じゃあ、戻り待っています」
なぜか、宮部のメールは削除してしまった。
どうしてかはわからないが、何かから逃げたいのかも知れない。
まだ、現実を受け止める勇気がないだけかもしれない。
そして、最後は優子からだ。
優子のメール。
「支えにしているもの突然なくなったらどうする?
それでもあなたはあなたのままでいられるの?
パンドラの箱。あなたなら開ける?開けない?
後少しよ。早く選んで」
パンドラの箱。
今頭に入るのは良と優子の事だ。
優子はこうなる未来を予感していたのだろうか?
それとも、このメールは今の私を見て新たに作り直されているのではないだろうか。
たまに不安になる。
ひょっとしたらどこかでまだ優子は生きているのでは。
そして、どこかで私を見ているのでは。
そんな不安もよぎってくる。
けれど、私が支えにしているもの。
ひとつは優子だった。
それは事実。
「大丈夫だよ。そのうち何とかなるのよ。
今がつらいからってあきらめて逃げるの。
それでいいの?」
この優子のセリフが頭に残っている。
***************************
大阪から東京に出てきて、一言で言うと文化の違いでなかなか契約が取れなかった。
そう、ベルトコンベアーがどこにあるのかがわからなかった。
そのため、かなり弱気になっていた時期がある。
その時期に優子と出会った。
一目ぼれだった。
雰囲気でかわいく、テンションは高いけれど、相手のことを慮るその姿勢。
良との飲み会の中でそう感じた。
人一倍気を使い、でもそれがいやらしくなく、また、盛り上げながら目立とうとしない。
その場限りの背伸びじゃなく、本当にすごいと感じた。
それが優子だった。
「加藤亮です」
自己紹介するときも、就職活動の始めての面接のときよりも、営業ではじめての契約のときよりも緊張していた。
ずっと舞い上がっていた。
「なに、加藤、緊張してるんだ~
就職活動の面接会のときもそんなにがちがちじゃなかったぞ。
まだ、お酒を飲んでいないんだろう」
良がそういいながらまるでビールを注ぐように白ワインをグラスに入れてくれた。
どちらかというと雰囲気重視のダイニングバー。
店の名前は『ピンクパンダ』という。
甲州街道から道をくねくね入ったところにあるこの『ピンクパンダ』はどちらかというと騒ぐには不釣合いだった。
「良くん。ワインはそう注ぐんじゃないのよ。
ちょっと貸してみて」
そう優子が言ってワイングラスを持って私のほうを向いてこう言った。
「お注ぎいたします」
自然とワイングラスを空にして差し出していた。
きれいな、まるでソムリエのようにワインを注いでくれる優子の姿は今でも覚えている。
たぶん、酔ったのはワインのせいではない。
けれど、その酔いのおかげで優子の携帯の電話番号とメールアドレスを聞き出せた。
「良、あの子彼氏いるのかな?」
会計を済ました後、駅に向かう途中で良に聞いた。
優子のこと。
「いや、いないよ。どうした加藤。
お前あの子にホの字だな~」
かなり酔っている良は時代劇風に語っていた。
今日はかなりの上機嫌らしい。
JRの南改札口に付いたとき、私は優子にこういった。
「また、あえませんか?
できれば、早いうちに」
そういいながら、自分の予定を考えた。
いつでも予定は空けてやる。
そんな気持ちだった。
「いいですよ。じゃあ、メール下さい」
そういって優子と別れた。
多分、ドラマでは第一話という感じだ。
このままドラマのようにうまく進めばいいのに。
そう思いながら、帰りの電車の中で優子にメールをした。
「今度の日曜日あいていますか?」
いきなりかもしれないけれど、どうも、あまり恋の駆け引きはうまくない。
いや、優子の前ではありのままの自分でいたいと思った。
返事はすぐに来た。
「今日はお疲れ様。
楽しかったです(*^_^*)
来週あいていますよ。
加藤さんは東京詳しくないんですよね。
どこか行きたいところありますか?」
うれしかった。
ちょっと断られるのではと思っていたからだ。
だからこそ、このメールがうれしかった。
だが、私はどこに行きたいだろう。
東京の名所、東京タワー、東京ドーム、雷門。
あまりどこといわれると出てこない。
デートとしてムードを考えるとどこがいいのだろう?
だとしたら、お台場、ディズニーランド?
いや、それよりも本当に行きたいところをあげるほうがいいのだろうか?
「東京タワーに行ってみたいです」
と優子にメールした。
結局少し悩んだ末、東京タワーにした。
大阪にいたとき、通天閣を登ったけれど、通天閣を登るより近くに行くまでの過程が楽しかった。
だから、いつもどこかからチラッと見える東京タワーに近づきたいとちょっと思っていた。
「いいですよ。じゃあ、13時くらいに浜松町で待ち合わせでどうですか?
ただ、ちょっと私にも付き合ってください。
仕事がずっとオフィスでパソコンに向かっているだけだから、体がなまって仕方ないんです。
そのため、散歩したいんですがいいですか?」
また、すぐに返事が来た。
私自身毎日営業先の開拓のため営業で歩いている。
だから、ちょっとくらい歩いてもぜんぜん問題はない。
それに、街を当てもなく歩くなんて、ちょっと昔読んだ『ノルウェーの森』を思い出した。
あまり、この部分を思い浮かべる人は少ないかもしれないけれど。
「もちろん、いいですよ。
では、13時に浜松町についたらメールします。
それでは今日はお疲れ様でした。おやすみなさい」
毎日仕事でつらいけれど、ちょっとがんばれることが出来た。
この一週間どうにか何事もなく過ぎますように。
そう、このとき仕事でひとつの壁にぶつかっていた。
だからこそ、毎日が億劫だった。
しかも、知り合いも少なくくすぶっていたら、良が気を利かせてくれた。
今日は本当に良かった。
良にお礼のメールをして眠りに付いた。
1週間後。
約束の時間より早くに浜松町についていた。
時間がわからなかったというのも正直あるが、なによりも遅れて、待たして、帰られるということを考えると怖かった。
気がついたら待ち合わせの1時間前にきていた。
30分もしないうちに優子が来た。
「早いのね。びっくりした。
私、待ち合わせに遅れるのって実は嫌いなの。
だって、待たせるというつらさより、待つほうがつらいでしょ。
だから、私待ち合わせよりは早く来るの。
でも、びっくりしました」
笑顔がすごく似合うけれど、これほどいやみない笑顔もまたすごい。
やはり、前の『ピンクパンダ』で感じた感覚は間違っていなかった。
それから、東京タワーを登り、展望台の下にある不思議の館みたいな感じのところにもいった。
それから、優子の散歩に付き合い、日比谷公園まで歩いていった。
趣味の話し、学生時代の話し、そしてその後に仕事の話になったときに、優子に言われた。
「大丈夫だよ。そのうち何とかなるのよ。
今がつらいからってあきらめて逃げるの。
それでいいの?」
そう、気がついたら仕事でうまく言っていない愚痴を言ってしまっていた。
けれど、その逃げる姿勢を問いただしてくれた。
今思えば、このセリフのおかげで契約をするというベルトコンベアーに乗っかっている。
そう、何もしなくても契約が出来るような環境つくり。
その一歩を踏み出せたのもこのセリフのおかげだ。
「確かに逃げていただけなのかもしない。
そうだね。やるだけやってみて、それでダメだったときにまた考えればいいんだよね。
ありがとう。ちょっと楽になれたよ」
優子にこう言えたのは本音だった。
そして、その後にふと思った。
「でも、桜井さん。うまいよね。
なんか良く相談とか乗ったりしているの?」
うまくやる気を導いてくれた優子は、ひょっとして良と同じように相談に良く乗るのかと思った。
以前、良をうらやましいと思った。
だから、こういう相談に乗れる人ってすごいと思う。
「ううん。
あんまり相談は乗ったことないの。
むしろ逆かな。相談する専門よ。
でも、ちょっと興味があって心理学の本とか読んだりしているの。
でね、どういう風に話したらちゃんと聞いてくれて歩いてくれるのかな~ってね。
それだけよ。
でも、答えを見つけたのは私じゃなく加藤さんなのよ」
これが、最初に優子の優しさに触れたときだった。
心のどこかで今での優子を支えにしている。
それは事実だと思う。
だからこそ、優子の死を認められないのかも知れない。
***************************
「支えにしているもの突然なくなったらどうする?
それでもあなたはあなたのままでいられるの?
パンドラの箱。あなたなら開ける?開けない?
後少しよ。早く選んで」
だから、このメールはびっくりした。
そう、何かを見透かされているような気がした。
「いらっしゃいませ」
店員の声で再び現実に呼び戻される。
色んなベルトコンベアーに乗っているせいか、トリップする時間が長くなってきた。
少し12時より早いがガストについてしまった。
日替わりランチを頼んで、少し待つことにした。
多分、良も後少しでやってくるだろう。
そういえば、良に優子と付き合ったと報告したときもファミレスだったな。
***************************
「なあ、良。実は前に紹介してくれた桜井となんだけど。
その付き合うことになったんだ」
ファミレスでハンバーグステーキを頬張っている良が珍しく一瞬固まった。
「良、何固まっているんだよ」
固まり続けている良に話しかけた。
予想では喜んでくれると思っていたからだ。
だから、フリーズしているパソコンみたいになった良はちょっと予想外だった。
「よかったな。でも、付き合ってからのほうが大変だぞ。
かるい気持ちでだと、お父さんはゆるしまへんで~」
ちょっとおどけた良を見てほっとした。
良の彼女の友達だし、良の友達でもある。
「んで、デートとかはどうしてるんだ。
加藤、あんまり東京詳しくないだろう。
全部、桜井まかせなのか?」
良の質問にはドキッとした。
実はまったくそのとおりだったからだ。
「実はそうなんだ。
それで、どこかよいところがあったら教えてほしいんだけれど」
そう、話をしたのは報告ということもあったけれど、よい店を良から教わりたかった。
そういう店も詳しそうだからだ。
「う~ん、そうだな。
結構あるけれど、わかりにくいところが多いんだ。
そうだ、もし、加藤がよければだけど、Wデートにするか?
しばらくそうしていたらレパートリーも増えていくだろう」
良の提案はありがたかった。
それに、まだ、付き合いたてで緊張して、空回りしそうでもあった。
そのため、このWデート案はかなり助かったと思った。
「一応、OK。
でも桜井にも聞いておくな。
って、まだ何か言いたそうな顔してるな~
なにかあるなら言ってくれよ」
話しながら消化不良気味な顔をしている良を見て言った。
「いや、気にしないでくれ。
まあ、そのうちにな」
そう言って店を出ようと良がした。
「おい、待てよ。その思わせぶりなセリフは。
ってその笑顔は何も考えていないな」
そうなのかもしない。
いや、そうであって欲しいと思っていただけかもしれない。
今になって思い出す。
そういうものだ。
***************************
「ごめん。待たせたな」
いつもと変わらない良がそこにいた。
一瞬、良になんて聞いていいかわからなかった。
しばらくして、良が語りだした。
「本当は、お前が桜井と付き合う前にきちんと話しておけばよかった。
いや、あの時はそこまでひどくなかったんだ。
けれど、こんな結末になるなんて。
でも、だましていたわけじゃないんだ。
実は、桜井からは相談に乗られていた。
相談について、綾香は乗っていた事と時間がいつも夜だからそうだったんだと思う。
実は、桜井の中にはもう一人の桜井がいるんだ。
俗に言う二重人格というやつだ。
けれど、最近は落ち着いていたんだ。
お前の知っている桜井ともう一人のお前の知らない桜井。
それが、俺がお前に黙っていたことだ。
悪かったと思っている。
けれど、この事はすごく悩んだんだ。」
いきなりの良の告白は衝撃が大きすぎて、あまりにも現実味がなかった。
まるで、自分が取り残されて、ブラウン管越しにテレビを見ている感じを受けた。
何かを聞きたい。
けれど、いったい何を。
いつから優子は二重人格なんだ。
いや、私が愛した優子はいったい誰なんだ。
そして、このパズルの正解はどんな形なんだ。
どこにも答えはない。
いや、あるけれども、見たくないのかもしれない。
良のすまなさそうな顔を見ていると、
良の悪いと思っている顔を見ていると、
どこか、責めることが出来ない。
それに昔良に言われたことがある。
相談に乗っているときは、第三者にはそのことは話さないということ。
プライバシーの問題もあるが、相談者に悪いから。
話すときも相談者の了承を得ているときか、相談内容が解決して、時効といえるくらい
日がたってからだと。
それもわかっている。
けれど、わかると出来るは違うんだ。
そして、思いもとまらなかった。
「どうして黙っていたんだ。
いつからだったんだ」
おもわず良に言ってしまった。
けれど、口から出たセリフは聞きたいことの一部だ。
誰かが、言葉は事の端から派生して言葉となったと言ったのを覚えている。
そんなものだ。
言いたいことの何%口に出せているんだろう。
悩みながら良は答えてくれた。
「実は、優子との相談は長いんだ」
長い話が始まった。
ナゾは巡ってくる。
***************************
「良くん。
実は相談があるの」
その相談は唐突だった。
そして、信憑性が低くも感じた。
相談内容はひょっとしたら自分が二重人格かも知れないという内容。
それは、良にとってもはじめての相談だった。
長丁場になるな。
けれど、どうしてプロのカウンセラーのところに行かないのか。
いや、どこかで拒否感があるのだろう。
優子の両親もかつてはカウンセラーだった。
それが、災いしてあの事件が起きたんだから。
「どうして、そう感じるの?」
ただの勘違いかも知れない。
良はそう思いたかった。
けれど、優子は、良が知る限り心理学を選考している中では一番の優等生であった。
それと同時に昔からの一番のクランケ、そう、良の患者でもあった。
長い付き合いから、優子の相談は確信に違いなかった。
やはり、あの事件が優子をおかしくしてしまったのか。
そう簡単に結論付けたくはなかった。
「私も何回も勘違いだと思いたかった。
目を覚ましたときに見たこともない場所にいる。
それだけで不安になった。
知らないところで何をしているのかもわからない。
だから、怖くて自分の部屋に監視カメラをつけたの。
そして、盗聴器も。
寝てはずの私はいつの間にか外に出ていた。
だから、怖いの。
でも、こんなお願いできる人ほかにいないから。
良くん。お願い。今日一日私と一緒にいて。
そういう意味じゃないの。
でも、私の記憶のないときのもう一人の私を捕まえて。
そして、カウンセリングをして。
前みたいに私を導いて」
優子のセリフは良にはすごく重かった。
けれど、良にも逃げるわけには行かない事情があった。
そして、この相談の後から、しばらく、優子の部屋に泊まるようになった。
同居開始から問題は起きた。
優子が寝て、しばらくしたら変化が起きた。
「お前は誰だ?」
いつもと声の調子も違う優子だった。
これが、もう一人の優子か。
これがもし演技ならばアカデミー賞ものだな。
「あなたは私を知らないかも知れない。
けれど、もう一人のあなたとは友達なんだ。
その体はわけあって、二人でひとつの体を今使っているんだ。
でも、もう一人もかなり困っているんだ。
だから、今日はここにいるわけなんだって・・・」
しばらく話した。
いや、この日だけではない。
もう一人の優子との話は長くかかった。
観察と対話の結果。
名前は翔子という。
もう一人の優子だ。
記憶は優子の家族が殺される前までは共有しているが、それ以降の記憶はない。
あの事故以降、すべてに猜疑心を持ってどこかに逃げ場を探している。
その弱い気持ちを押し隠しているのが優子だが、その押し隠された塊が翔子だ。
これは、確証はない。
ただ、そう感じた。
この翔子という名の少女と話して。
良は思った。
正直、こんなレベルの相談は自分には荷が重過ぎる。
というか、どうしていいのかわからない。
二重人格なんて、「ヤヌスの鏡」や「ビリー・ミリガン」だけで十分だと思った。
しかも、日本という国では精神医学はそこまで認知されていない。
このままでは、優子の人生にも大きくかかわってくる。
そのため、まずはお互いにもう一人の自分がいることを認知してもらうところからはじめた。
それが、良い事なのかもわからなかったが、何もわからない優子よりはよいと思った。
けれど、徐々に変化が起きていった。
そう、お互いの行動の記憶がおぼろげながら残るようになってきたのだ。
良の中で解決の手がかりとともに、大きな、そして初歩的な失敗を犯してしまった。
それに気がついたときは、もう遅かったのかも知れない。
「私、怖いの。
なんだか、もう一人の私、翔子に体をのっとられそうなの。
こんな恐怖ってなに?
良くん助けて」
優子の声が良の頭の奥で陰々とこだまする。
***************************
「それだけなのか」
良の話を聞きながらどこか不安は消えていくが、どこかに影を潜めていく。
私だけ、どこか蚊帳の外だったということなのか。
良がまた気を使ってくれている。
「悪い。
今のお前が考えているような答えは出せないんだ。
しかも、どちらかというと、よりお前をナゾという深みにはめてしまう。
そういう恐れがあったんだ。
だから、なかなか話せなかった。
はじめ、この二重人格のことが知らせたいのかと思った。
けれど、一緒に悩んでいくうちにもう一人の翔子がひょっとしたら優子を殺したのではないかと。
そう思えてきた。
なあ、加藤。
人はいったい一生のうちで何人の人間を救えるのかな。
なにかのドラマでこのセリフを聞いたときすごく頭にこびりついているんだ。」
悲痛な面持ちで話す良を見ていると責める気には慣れなかった。
いつもおどけている良だからこそ、本当に悩んでいたんだと思った。
かなり、悩んだ末なんだろう。
ずっと話したかったという良はウソじゃない。
けれど、優子もすこしは話してほしかった。
たとえ、良のように手助けが出来なくても。
バイブの音がこだまする。
良の携帯だ。
どうやらすぐに会社に戻らないといけないらしい。
「加藤、悪い。
本当はきちんと話をしながら、この未完成のパズルを完成させたかったんだ。
でも、加藤でも整理することは出来ると思う。
今日の夜また会おう。
こっちでもまとめておくから、その時に話し合おう。」
そう言ってすぐに良はファミレスを出てしまった。
整理すること。
確かに学生のときに「問題解決プロフェッショナル」を読んで少しは勉強をした。
あの本は難しすぎて、やくにはたたなかった。
その代わりに良が教えてくれたKJ法だとかなんとかいう整理法は役に立った。
ノートを取り出しながら、書いて整理することに決めた。
取り出してもなかなかまとまらない。
けれど、どこかでこの結末でも悪くないのかもと思っている自分もいた。
どこかに大きな違和感があるが。
けれど、ストーカーや情事のもつれでの殺害に比べればまだ良いほうなのかもしれない。
とりあえず、ノートにまとめ始めた。
疑問点
① 優子は自殺か他殺か
② メールでなにを伝えたかったのか
まとめるとこれなのかと思った。
① 優子は自殺か他殺か
これは、良や高橋さん、それと私自身も自殺ではないと思っている。
いや、思いたいだけなのかもしれない。
そして、今回良から聞いた事実。
優子は二重人格であった。
そして、もう一人の優子、そう、翔子におびえていた。
だから今の可能性としては翔子とのトラブルで殺されたのかもしれない。
② メールでなにを伝えたかったのか
これは良くわからない。
今まで来たメールを並べてみると
一通目
「私はあなたと一つになるの。だから苦しまないで。 これは、はじまりよ。私が見てきたものと同じ景色に触れて。まずは私の部屋よ」
二通目
「あなたと出会った初めての場所。憶えている?
そこにヒントがあるよ」
三通目
「あなたからもらった
一番大事にしていた宝物は何かわかる?
それをさがしてみて」
四通目
「ようやく、たどり着けそうなの。『K』
どちらを選ぶの? 行きたい所なの」
五通目
「支えにしているもの突然なくなったらどうする?
それでもあなたはあなたのままでいられるの?
パンドラの箱。あなたなら開ける?開けない?
後少しよ。早く選んで」
この5通である。
まず一通目だが、優子はまず部屋に来て欲しいといっていた。
けれど、優子は私にいったい何を見せたかったのだろうか。
確かに何かいつもと違う違和感があった。
けれど、それ以外にも何か見落としているのかもしれない。
週末もう一度優子の部屋に行こう。
二通目だが、これは「ピンクパンダ」に着てほしいという内容だろう。
そこで手にしたオルゴール。
そして、「助けて」というメモ。
けれど、同じオルゴールだけれど、三通目にまたオルゴールにある鍵が出てくる。
そう、三通目で指輪の代わりにオルゴールにある小さな鍵。
そしてその中にあったメモ。
「かきつばた
仮面なんて脱ぎ捨てて!!
ガラスのようなもろい関係はいや
やっぱり全てを捨てないとたどり着けないの」
かきつばたという少しはなれたところにある言葉。
そして、優子との不安定な関係。
ここまで隠してまで伝えたかった内容なのだろうか?
この部分がひとつの見えないパズルの断片だ。
そして四通目。
『K』という明らかにいびつな文字。
出張に行く前に読み返した夏目漱石の「こころ」が一番引っかかる。
そして、三角関係。
男性ではなく、これはもう一人の優子、そう翔子をさしていただのではないだろうか?
翔子と優子との間での葛藤。
そうかもしれない。
けれど、どちらを選ぶの。
そして行きたいところなの。
どちらは、優子か翔子かかもしれない。
私はどっちと付き合っていたのだろう?
優子?翔子?
そして、行きたいところ。
それもまたわからない。
これも見えないパズルの断片だ。
そして、今来ている最後のメール。
まず、心の支え。
これは優子のことをさしているのかもしれない。
ひょっとしたら、この時点ではまだ優子は死に直面していなかったの
いや、そう思いたいだけなのかもしれないが。
だから、私に優子が
「私がいなくなったらどうするの?」
といいたかったのかもしれない。
いや、もしかしたら、優子がいつのまにか翔子にのっとられていて、私の知らない人物に変わっているかもしれないと伝えたかったのかもしれない。
そしてもうひとつ。
「パンドラの箱」
始めは良と優子とのことかと思っていた。
けれど、それではないのかもしれない。
開けてはいけない箱。
今箱に近いものといえばオルゴールくらいなものだ。
オルゴールを鞄から取り出してみた。
どこか動くのかもしれない。
そう思いながら押していると、一部動いた。
そして、そこから出てきたものは「☆マーク」の紙切れだった。
これも優子のメッセージ?
一瞬私は何かの間違いかと思った。
けれど、優子の癖のある少しまるまった星のマーク。
確実に優子が書いたものだ。
これも何か意味があるのかもしれない。
完成図が見えそうで見えない。
やはり、良ではないからうまく整理することが出来ない。
ひょっとしたら良はすでにこのパズルを完成させているのではないだろうか。
期待しすぎるのはよそう。
そう思って店を出た。
店を出て駅に向かって歩いているとメールが来た。
宮部からだ。
「F電機の川村課長から電話がありました。
先ほどの評価業務の件ですが、追加でもう一名早急にお願いしたいとのことだそうです。
後、採用担当の皆川さんが折り返し連絡をくださいとのことです。
それと、今日の夜忘れてないでしょうね~ 舞」
今日の夜。
そういえば、良も時間を空けてほしいといっていた。
正直良との約束を先に果たしたかった。
けれど、この宮部のことも放置しておくと後に響きそうだ。
とりあえず、宮部のことは後回しにしよう。
先に皆川さんに連絡をしよう。
皆川さんとの電話の内容はこうだった。
F電機に提案していた、未経験者が他社も受けているため、今週いっぱい返事を待ってほしいとのこと。
当人が気にしているのは、エンドユーザーの声が聞きたいということ。
なかなか技術者として、特に開発部隊に入ってしまうとなかなかエンドユーザーの声は聞けないのが現実。
そのため、修理やメンテナンスの会社も受けていて、その会社から返事が今週中に来るとのこと。
皆川さんが言うには、そういうエンドユーザーとの交渉や、開発だけでなく、ほかの部署との交流もあるのかという質問であった。
正直難しいと思った。
エンドユーザーではないが、今回のプロジェクトはいろんなパーツを複数の会社に依頼をしていて、最終的にパーツを集めたものに、自社で開発した部分のパーツを足す業務である。
そのため、多くの業者との交流を行うのも事実だが、果たしてそれで納得するのだろうか?
そして、もうひとつ。
追加要因についてだが、仙台に1名いるが、東京に来るかどうかで渋っている人物がいるそうだ。
住むところや引越し代はこちらで用意すると伝えているが、長男のため、両親を気にしているとのこと。
仕方がない。
F電機の川村課長にはきちんと話をしよう。
こういうことは、ウソをついても後々の信用にかかわることだ。
そして、クレームにつながる。
どうせなら、正直に話すほうがスムーズに流れる。
そうわかるまでには1年の時間がかかったが。
仕事なんて、間違わなければ勝手に流れてくれる
イレギュラーだと騒ぐ必要もない。
それに比べれば、人生のほうがイレギュラー続きだ。
そう、思いながら電車に乗った。
運良く青梅特快に乗れたので早く帰社できる。
電車の中で良にメールする。
「今日、ちょっと野暮用があるから、10時くらいからでもいいかな?
場所はどうする?
できれば新宿がいいんだけれど、良に任せるよ」
本当はもっと早くに良に会いたかった。
けれど、宮部とのこともある。
きちんと決着をつけないといけない。
それはわかっている。
多分、頭の隅のどこかで。
「ただいま戻りました」
気持ちがどうとか、そんなものは関係ない。
ただの流れ作業。
報告書を作成して、日報作成、上司への報告。
一つひとつ終わらしていく。
ただ、それだけ。
そして、その後に待っているのは宮部との食事。
不思議とこれから彼女にしなくてはいけない相手なのに、あまり、乗り気になれない。
まあ、そんなものなのだろう。
宮部が名に知らぬ顔でよってきてメモを渡す。
「今日は亮の家に泊まっていい?」
奥で山口さんがくすくす笑っている。
チェックメイトだ。
どこからかそんなセリフが聞こえてきた。
降りることの許されないベルトコンベアー。
何かに追い立てられている。
優子との付き合いではそんなこと一度も感じたことはなかった。
いや、ひょっとしたら私は優子とともに翔子とも、出会っていたのではないだろうか。
ふとそんな予感がした。
***************************
「これから一週間大阪に出張なんだ」
久しぶりの帰郷。
最近は、めったなことがない限り大阪に帰ることなんてなかった。
仕事が忙しい。
それもあるかもしれない。
そんな時間があれば優子と会いたい。
それは今だからそう思うのかもしれない。
けれど、確かに私は大阪に帰れることを楽しんでいた。
「そうなんだ。
よかったね。久しぶりの大阪でしょ」
優子の笑顔。
そして、優子の声。
いつでも癒されていた。
時折見せる、きれい過ぎる笑顔。
「どうしたの?
じっと私の顔を見て?」
優子に顔を覗かれてはっとした。
「いや、なんでもないよ」
実は、この帰郷にはもうひとつ意味があった。
久しぶりに親父に呼ばれたんだ。
そのことは優子に話してある。
「たまには親子水入らずの話もいいんじゃないの?
それに家のことでしょ。
きちんと話してきたら。
もう、そろそろ結論ださないといけないでしょ」
確かにそうだった。
優子だけはいつでも前向きに私の背中を押してくれていた。
ひとつの悩みは優子が関西に行きたがらないことだった。
「どうして関西がいやなの?」
以前軽く聞いたことがある。
「なんか怖いの。
関西弁が。
でも、それ以上にここを離れることが怖いの。
ごめんなさい。
でも、そのなんとなくが私を縛り付けているのかもしれない。
それに、知り合いがいないところに行くのが怖くて」
この優子のセリフはウソじゃない。
そう、それも事実。
けれど、今だからわかる。
そう、二重人格という事実が優子を東京にとどめていた。
あの時話してくれればよかったのに。
それとも、ほかに話せない理由があったのだろうか?
おそらく、優子は私に負担をかけさせたくなかったんだ。
それが一番の理由だろう。
そう思うことにした。
***************************
「今日は早くあがれたのね。
ありがとう私のためにがんばってくれて」
宮部の声でまた現実に戻される。
最近はトリップしている方が救われる。
変な話だ。
串特急はゲーセンに挟まれたところにある。
西新宿のオフィスビル街から駅に向かう途中にあるところだ。
「加藤さんもこういう所でも飲んだりするんですね。
ちょっと意外。
なんかこう、どこか他の人と違うのかと思ってました」
宮部が何か言っている。
店に入って、お酒を飲んでも何も耳に入らない。
ただ、頭の中にあるのは、早く時間よ、過ぎてくれ。
それだけだった。
「ちょっと、聞いています。
せっかくふたりっきりになったのに。
それとも、まだ死んだ彼女のこと。
あの人のこと思っているんですか?」
騒がしい居酒屋の中でその言葉だけが耳にはいった。
宮部も宮部なりに気を使っているのだろう。
「ごめんな。
わかっているけれど、まだまだ割り切れないんだ。
そう、パソコンじゃないから、デリートしてしまえば、記憶も想いも消えてしまうわけじゃないから」
そう、私は営業。
その場を取り繕うことなんて毎日やっている。
目の前の人を納得させれば勝ちなんだ。
このベルトコンベアーも仕事と同じようにこなしていけばいいんだ。
それが一番良いことかもしれない。
メールが来た。
良からだ。
「実は急遽実家に帰らないといけなくなった。
だからできればもう少しだけ早くしてほしい。
可能?」
いつもなら問題ないと思っていたお願い。
けれど、良にも用事があるなら仕方ない。
返信をしよう。
「誰からのメール。
もう、浮気性なんだから」
そういいながら宮部に携帯をとられた。
「加賀谷良?
ってひょっとして、あの加賀谷さん?」
一瞬固まった。
いったい何が起こったんだ。
なぜ、宮部が良を知っている。
二人に接点なんてないはずだ。
大学も、職場も違う。
「宮部、なんで良を知っているんだ」
戸惑っていた。
いや、最近何か大きな力で振り回されている。
そんな感じを今も受ける。
「でも、あの笑顔って真正面から見たら笑顔だけれど、
横から見たら笑顔じゃないんじゃないかって思ったの。」
不思議と高橋さんの何気ないセリフが頭をこだまする。
***************************
「良っていつからそんなに相談乗っているんだ」
昔、そういえば気になって聞いたことがあった。
就職活動をしているとき、何人もの就職相談や人生相談、はたまた多くの人と出会い恋愛相談なんかも
受けてて、普通に対応している良を不思議に思った。
自分自身のことでも精一杯のはずなこの時期。
どうして、他人のことをそこまで面倒見れるのだろう。
私は不思議で仕方なかった。
苦笑いする良はこういった。
「困っている顔見ると手を差し伸べたくなる。
それだけかな。
後、理由があるとしたら、これは宿命なのかもしれないってね。
でも、人は大きな力の流れに流されているだけで、自分で動いていないのかもしれない。
そんな哲学をいっていた人を学校で習ったよ。
そのとおりじゃないかな。
ってこんな理由じゃ納得できないか。
昔、救えなかった人がいるんだ。
もし、あの時知識があれば。
もし、あの時勇気があれば。
その思いで相談に乗っているんだ。
でも、これは相談なんて代物じゃないよ。
ただ、その人が望むことを、望む方向に向きやすいように手助けしているだけなんだ。
そして、その先は必ずしも幸せでないかもしれない。
けれど、見守り続ける。
それしかできないからね」
悲しい表情の良を。
このときの良の話を不思議と思い出した。
***************************
「なぜって。
それはたまたまよ。
気にしないで」
いつもと違うトーンで宮部が話す。
いったい宮部は何を隠しているんだ。
「いや、気になるよ。
良は私の親友なんだ。
宮部はいったいどこで良と知り合ったんだ」
いらだっていた。
自分の知らないところで何か大きく揺れ動いている。
どこからか携帯のバイブの音がこだまする。
宮部の携帯だ。
「加藤さん。
ごめんなさい。ちょっと友達がトラぶっちゃって、今から迎えに行かないといけないの。
だから、今日はこれでごめんなさい」
そういって宮部は出て行った。
ナゾだけを残して。
バックサウンドがいびつな不協和音に聞こえる。
店を出て良に電話した。
メールよりもこの方が早いからだ。
すぐ近くの居酒屋「かあさん」で待ち合わせた。
「お待たせ。悪いな」
そういって良は現れた。
いつもは手ぶらだが、今日に限って大きなかばんを持っている。
本題に入りたかった。
優子のこと。
けれど、少し前にトラブルメーカー、宮部がくれたナゾをどうしても解決させて起きたかった。
そう、どうして宮部が良を知っているのか。
その質問に一瞬良は固まっていた。
そして良にこう言われた。
「宮部?
誰だろう。
人の顔と名前は一回でだいたい覚えるが、その名前はわからないな。
もし、よかったら写真かなにかあるか?」
そういえば宮部に携帯で写真を撮られた。
この前宮部の家に行ったときに撮ったものだ。
ツーショットの写真のため少し抵抗はあったが、こういう場合の良はあくまで冷静だ。
だからこそ、安心して相談できる。
写真を見て良はもう一度固まった。
「加藤、こいつが前メールしてたやつか。
あんまり人のことは悪く言いたくないが、こいつだけはやめておいたほうがいい」
そして、こう言われた。
やめたいのは本音かもしれない。
けれど、やめられない理由を告げた。
一瞬考えて良は話し始めてくれた。
「まず、過ちを犯した事実を変えることはできない。
そして、職場の周りに広がっているうわさを消すのも難しいと思う。
話を聞く限り、話を面白く話しているのが宮部。
そして、誇張しているのが山口さんだと思う。
まず、この二人がタッグを組んでいる限り社内の空気は変わらないと思う。
うわさを変えるこつ。
それは信憑性を下げることと発言者の信用を下げること。
つまり、ウソのネタを話させてまず信用を下げることから始めよう。
それであれば、簡単だと思う。
次に信憑性を下げるだが、これは少し難しいと思う。
そのため宮部と山口さんの間を不仲にさせよう。
まあ、簡単なのは忙しい加藤だから可能だと思うけれど、なかなか時間が取れないからという理由で急に宮部を誘ったり、急にキャンセルしたりすれば徐々に、宮部が付き合い悪いと思われるようになる。
そうして、最後にちょっと細工をすれば宮部の信用は落ちるだろう。
そうすれば、職場にいにくくなるのは宮部になるだろう。
まあ、うまくいくかわからないけれど、現状のままで加藤がよいと思うなら何もしなくてもいいが、何か後悔という思いがあるならば、何かするべきだと思う」
一瞬びっくりした。
どうして、今苦悩の末ベルトコンベアーの乗ろうとしているのが良にわかったのか。
そして、どうしてこんなに良の指摘が鋭いのか。
けれど、ひとつ疑問は残る。
そう、どうして良は宮部を知っているのか。
この疑問だけは片付けたい。
「それで、どうして良は宮部を知っているんだ?」
はやる気持ちは抑えきれない。
良に問いただしてみた。
「そうだな。
百聞は一見にしかずという。
現実を見ておくほうがよいかもしれない。
ちょっとまってくれないか?」
良はそういって、メールを打ち始めた。
すぐに返事が来た。
「今日はダメだ。
明日の夜時間あるか。
その時にこの不安は解消できるよ。
では、今日の本題に入ろうか」
良はそういって、鞄からノートを取り出した。
そういえば、昔良から聞いたことがある。
相談じゃなくカウンセリングをするときは書きとめていくということ。
私は良にカウンセリングを受けるのだろうか?
私はそんなに精神的に参っているのか?
そうかもしれない。
すべてが終わったら休暇が取りたい気分だ。
そう、すべてのベルトコンベアーからの開放。
一番、望んでいることはそれかもしれない。
「んで、なにが始まるんだ」
まるで注射を待つ小学生の気分。
そんな気持ちで良に話しかけた。
けれど、待ち構えていたものは杞憂に終わった。
「これは、優子と翔子との間にとったカルテなんだ。
実は、これを読み返しながら思ったことがある。
これは加藤の悩んでいるパズルの答えじゃないかもしれない。
けれど、このまとめだけは必要だと思った」
そう、もって来たのは優子のカルテであった。
カルテの中身は膨大なため良が整理してくれたノートをみた。
そこには箇条書きでこう書かれていた。
優子が高校生の時に両親が殺されたこと。
しばらく優子が心をとざしていたこと。
そして、良が優子の一番の相談者であったこと。
出だしはこれであった。
次は
心を閉ざした少女から活発な少女へと変わったこと。
優子は遺産を引き継いで一人暮らしを始めたこと。
そして、優子が二重人格であることを認識したこと。
すべて事実が羅列されている。
そして、
優子と翔子がともに認識しあうようになったこと。
徐々に翔子が現れる間隔がかわってきたこと。
そして、優子が家族の死を認識してきたこと。
最後に
新しい人格の出現?
このノートはそれで終わっていた。
それだけだった。
「良。
これはいったい」
驚きより、何より怖かった。
私の知らない優子ばかり。
私はいったい誰を愛していたんだ。
私はいったい誰に愛されていたんだ。
教えてほしい。
トリップしているのを良の声が戻してくれる。
「加藤。
実は優子は確かに二重人格だった。
優子はどこかで家族の死を認識できずにいた。
けれど、優子は優等生だったんだ。
自らの思いを深層心理にふさぎこんで新たな翔子というものを作って乗り越えてきた。
けれど、お互いの存在、してきたことの記憶の共有をする中で何かが変わってきた。
おそらくそれはちょっとずつ加藤と接するときにも現れて聞いたのかもしれない。
そして、その中での優子の死。
ずっと考えていた。
私にではなく、加藤に送り続けているそのメールの意味。
おそらくそれにはもっと深いメッセージがこめられているのではないだろう?
そして、そのメッセージは優子と翔子の合作なのではないだろうか?
でも、これはすべて憶測に過ぎない。
けれど、憶測だけの話しでいいなかこれから話すことを聞いてほしい。
いいかな」
気を使いながら話す良のセリフに肯定以外何も選択はない。
良の整理が始まった。
***************************
「別れましょう」
「どうしてだ?」
「くすっ」
「また、明日ね」
短いセリフ。
そう、私と優子が最後の会話だ。
このセリフだけが陰々とこだましている。
***************************
「加藤、整理を始めるが大丈夫か?」
良に言われた。
短めのトリップだった。
「ああ、すまん。
ちょっと疲れているのかもしれない」
そういいながら思った。
多分、良は私よりも疲れているはずだ。
ここまでの整理。
そして、ここまでの冷静さ。
疲れていないはずはない。
良は語り始めてくれた。
「まず、加藤が出張に行っていた間の1週間。
この間に優子、そして翔子との関係についてだ。
実は、ここ最近は優子と翔子の行動はもむ二人の中では共有できていた。
その代わりに第三者とも言うべき存在が現れてきた。
正確に言えば、優子と翔子の二つの人格が足されたものだ。
そう、お互い失っていた記憶を融合して、お互いなりたかった自分の共通点。
その先が真実の『桜井優子』だと思う。
おそらく、加藤が知っている優子とは違う『桜井優子』だ。
無論、私が知っている翔子とも違う。
やさしくもあり、冷たくもある。
保守的でもあり、行動的でもある。
そう、すごくバランスの取れた人格に変わりつつあったんだ。
そして、その間。
『桜井優子』の中ではすごい葛藤があったと思う。
加藤を好きな「優子」
そして、加藤を知らない「翔子」
その二つの人格を統べる『桜井優子』という存在。
おそらく、すべての『優子』は加藤を好きだったと思う。
これには確証は正直ない。
けれど、この死後くるメールが加藤に送られているということは、
伝え切れていない何かを伝えたかったということではないだろうか。
その考えの下で送られてきたメールを並べてみる」
良はレポート用紙に手書きに書いたメモを出してくれた。
一通目
「私はあなたと一つになるの。だから苦しまないで。 これは、はじまりよ。私が見てきたものと同じ景色に触れて。まずは私の部屋よ」
二通目
「あなたと出会った初めての場所。憶えている?
そこにヒントがあるよ」
三通目
「あなたからもらった
一番大事にしていた宝物は何かわかる?
それをさがしてみて」
四通目
「ようやく、たどり着けそうなの。『K』
どちらを選ぶの? 行きたい所なの」
五通目
「支えにしているもの突然なくなったらどうする?
それでもあなたはあなたのままでいられるの?
パンドラの箱。あなたなら開ける?開けない?
後少しよ。早く選んで」
そして良は語り始めた。
「まず一通目だが、ロジック分解をしてみる」
そういいながらレポート用紙をめくっていった。
――――――――――――――――――――――――――――
一通目
私はあなたと一つになるの
↓
だから苦しまないで(苦しむことが待っている。それは優子の死?それ以外は?)
↓
これは、はじまりよ。(何かがはじまる。その中身は?そして終わりはどこ?)
↓
私が見てきたものと同じ景色に触れて
↓
まずは私の部屋よ(次はどこ→ピンクパンダ それ以外は?見てきたものでほかのイメージは?)
――――――――――――――――――――――――――――
「まず、一つ目のメールを整理するとこうなる。
このナゾの答えは多分、加藤のどこかにある。
いきなり言われてもわからないと思う。
けれど、問題の回答は当事者の中にあることが多い。
それを気がついていないだけなんだ。
そういうのを導く手法としてコーチングという手法がある。
加藤も名前だけは知っているのよな。
ちょっとまねてみるから付き合ってくれ」
いきなりロジック分解をして、話し始める良の勢いに私はびっくりした。
そう、そして、解決は良ではなく、私の中にある。
そうなのかもしれな。
良に言われてちょっと信じることができた。
「では、加藤にとって苦しいことってなんだろう?」
やさしく良が語ってくれる。
苦しいこと。
イレギュラーなことがおきることかもしれない。
もう、ここ最近日常のベルトコンベアーでないものばかり乗っている。
それが苦しいことかもしれない。
でも、優子は耐えられることだといっている。
それは、私が優子なしでもがんばっていけということなのだろうか?
少し、そんな気がした。
次に良が語ってくれた。
「桜井とすごした中で、ここが思い出の場所って所はほかにある?」
やさしく良が語ってくれる。
思い出の場所。
出会ったところ意外ならば、告白したトリトンスクエア。
けれど、店の中でもなく、ショッピングモール内。
では、トリトンスクエアのイメージは?
海、青色。
青から想像するとしたら空。
思いが固まらない。
場所としてはトリトンスクエアだ。
しばらく営業にも行っていない場所。
明日、トリトンスクエアに行こう。
「わかった。
おそらくこの加藤宛のメールは『優子』なのか『翔子』なのか『桜井優子』なのか、
まだわからない。
けれど、多分、何か加藤に気がついてほしいけれど、直接いえないからこうしたのだと思う。
ひょっとしたら、単語一つひとつに重要な意味はないのかもしれない。
けれど、一つひとつを分析して進めていくほうが見えてくるかもしれない。」
そういって良は、メモに付け加えていった。
――――――――――――――――――――――――――――
一通目
私はあなたと一つになるの
↓
(でも、私が死んだからといっても)だから苦しまないで
↓
これは、はじまりよ。
↓
私が見てきたものと同じ景色に触れて
↓
まずは私の部屋よ(次は『ピンクパンダ』、その後に『トリトンスクエア』)
――――――――――――――――――――――――――――
「では、二通目にいこうか」
良のセリフを聞いて今日は長い一日になると思った。
――――――――――――――――――――――――――――
二通目
あなたと出会った初めての場所(ピンクパンダ)
↓
そこにヒントがあるよ(オルゴール→「助けて」)
――――――――――――――――――――――――――――
「この二通目はピンクパンダへ行くことに加藤が、気が使いないのではと。
そういう不安から桜井が書いたのではないだろうか?
おそらく、このメールは『優子』『翔子』そして『桜井優子』が加藤をどこかに導こうと
して作ったんだじゃないかと感じるんだ。
ところどころに桜井のやさしさが感じられる。」
良のセリフには説得力がある。
そして、そのまますいこまれていく。
「この二通目は特に解決の道は隠されてないような気がする」
――――――――――――――――――――――――――――
三通目
あなたからもらった宝物(指輪)
↓
何かわかる?
↓
それをさがしてみて
――――――――――――――――――――――――――――
「この三通目も一見問題がないように見える。
でも、ちょっと気になるから加藤に質問なんだけれど、
宝物が指輪として、実際の指輪はどこにあるんだ?
葬儀のとき桜井は指輪をしていなかった。
どこか心当たりはないか?」
良のセリフにどきっとした。
そう、このメールで確かに鍵を発見した。
それで納得していた。
けれど、このメールが伝えようとしているのは指輪。
ひょっとしたら、間違って鍵を発見してしまったのだろうか?
では、あのオルゴールの中のメモ。
あれはひょっとしたら今回のパズルとは違うものなのだろうか?
わからない。
「たとえば、桜井が指輪を後置きそうなところはどこだ。
そこがひょっとしたら本当は伝えたかったところじゃないのかな?」
良に言われてから考えた。
優子の部屋にあるのはパソコンとCDと衣装ケース、化粧ポーチ。
物は意外と少ない。
もし、おくとすれば、衣装ケースの上か、CDを置いているラック。
けれど、いったいそこに何を残したのだ。
わからない。
明日、トリトンスクエアに行った後に優子の部屋に行こう。
――――――――――――――――――――――――――――
四通目
ようやく、たどり着けそう(二人でまだ行っていないところは?
桜井が目標としていたものは?)
『K』(イニシャル? それとも、何か意味がある?)
どちらを選ぶの?(優子と翔子?それともほかのもの?)
行きたい所なの(選んだ後に行くところ?)
――――――――――――――――――――――――――――
「おそらく難解なのがこの四通目のメールだ。
加藤に聞きたいこと。
それは、桜井とまだ行っていないけれど行きたいといっていたところはあるか?
それか、桜井が行きたがっていなかったところはないか?」
良のやさしいセリフにふと思うのは、『関西』
そう、優子は関西には行きたがらなかった。
けれど、関西に行くということならば、優子は私との未来を考えていたはず。
その途中で何か変更があったのだろうか?
場所として思いつくのは関西だった。
「それは、わからないな。
けれど、結果で判断するならば、それは間違いかもしれない。
いや、正解が何かもわからないものにチャレンジしているのだ。
可能性として考えておこう。
そして、もうひとつ『K』という響き。
普通に考えるならばイニシャルだが、これが加藤の『K』ならばわざわざイニシャルにする必要性は低い。
ならば、ほかに何かあるのだろうか?」
いつでもやさしい良のセリフ。
『K』についてはいままでイニシャルとは考えていなかった。
確かにイニシャルだと加藤になる。
それと良には夏目漱石の「こころ」の話をした。
三角関係のもつれから小説内では『K』は同様に自殺している。
たんなる偶然かもしれない。
「まだ、この四通目はなぞなままだな
仮としてこうまとめられるという一案でまとめておくか。」
そう、良はいってレポート用紙に書き加えた。
――――――――――――――――――――――――――――
四通目
ようやく、たどり着けそう(加藤の実家に)
↓
『K』(加藤)
どちらを選ぶの?(優子と翔子を)
↓
行きたい所なの(加藤の実家に)
――――――――――――――――――――――――――――
確かにこの内容だとわかりやすくはある。
そう、優子が生きていればの話だ。
だが、実際はもう優子はもういない。
どれだけ現実逃避をしても変わらない事実だ。
時折良が時間を気にする。
そう、今日、良は実家のある相模大野に帰るんだった。
先を急ごう。
――――――――――――――――――――――――――――
五通目
支えにしているもの(優子?)
↓
突然なくなる(優子が死ぬ)
↓
それでもあなたはあなたのままでいられるの?(心配している?)
パンドラの箱(オルゴール それ以外では?)
↓
あなたなら開ける?開けない?(普段からあいていない 鍵がかかっているもの)
↓
早く選んで(開ける、開けないを選ぶということ?)
――――――――――――――――――――――――――――
同じように難解かと思っていた五通目だが良はかなり分析をしていてびっくりした。
「オルゴール以外で鍵がかかっているものあるかな?」
ずっとやさしいセリフの良だ。
実際は時間も気にしているはずだ。
でも、オルゴール以外で鍵がかかるもの。
後は優子が住んでいたマンションくらいだ。
「いや、案外それかもしれないな。
だから、家に何回も来るようにしているのかもしれない。
明日もう一度優子のマンションに行こう」
良とそう結論付けた。
これは、後から思えば間違ってはいなかった。
けれど、正解でもなかった。
いつだってそんなものだ。
過ぎてからでないと見えないものが多いから。
長い一日が終わった。
メール 6通目
~メール6通目~
いつも通り、6時50分に目が覚める。
もう、習慣になっている。
携帯のアラームより先に目が覚めてとめる。
そして、テレビをつける。
ようやくの金曜日。
長い一週間だった。
そして、いつもと同じ流れ作業。
けれど、違ったことはメールが2通来ていたこと。
一通は良からだ。
「昨日、親父が倒れて、夜中に息を引き取った。
そのため、今日は加藤と一緒には桜井の家にはいけない。
悪いが一人で行ってくれ。すまんm(__)m
また落ち着いたらメールする。
ちなみに、電話はつながらないと思っておいてくれ」
この内容であった。
もう一通は優子からだった。
「全て捨てて!!
全て捨てて!!
そして、孤独を愛して。
そして、『アイ』に来て」
昨日の良のまねをしてロジック分解をしてみる。
――――――――――――――――――――――――――――
六通目
全て捨てて!!→全て捨てて!!
↓
孤独を愛して
↓
『アイ』に来て
――――――――――――――――――――――――――――
分解しかできなかった。
けれど、捨てるということは何かを持っているということ。
つまり、優子からみて不必要な何かを持っているのかもしれない。
いったい何だろう?
そして、もうひとつ。
『アイ』という言葉。
純粋に考えると
「会い」に来て。
かもしれない。
また
「愛」に来て。
愛して、ということかもしれない。
それに
「I」という私ということかもしれない。
また、「eye」という目、見るということかも。
まったくわからない。
けれど、今日は良に頼るわけには行かない。
これは、良にではなく、私に優子が送ってくれたメールなんだから。
悩みながらでも気がつくとベルトコンベアーに乗っている。
「おかようございます」
いつもの明るい声で現実に呼び戻される。
宮部だ。
そういえば、いつも元気だな。
まあ、良の言われたことを徐々にしていこう。
まずは、振り回すことだ。
そう考えるとちょっと楽しくもある。
苦痛だけじゃないベルトコンベアーもある。
昨日、良が教えてくれた。
「宮部、おはよう」
そう宮部に話してデスクに座る。
昨日からのメモを見る。
F電機に提案中の若手2名。
1名は今日結論が出るはずだ。
皆川さんなら、なんとかしてくれるだろう。
そして、もう一人。
地方から来る場合は帰省のこともある。
また、両親のこと。
難しいかもしれない。
けれど、今回の契約が確定すれば今月の目標達成は確実だ。
まあ、契約なんて誰でもできる。
成功というんベルトコンベアーに乗ってしまえば。
とりあえず、進展が出れば皆川さんにメールしてくれるように伝え営業に出た。
そう、今日は久しぶりのトリトンスクエアと勝どき方面。
営業先には複写機械と書いておいた。
多分、そこにはいかないだろうけど。
「行ってきます」
また、誰に言っているのかわからないセリフを残して会社を出た。
四芳電機の外注窓口の会社としてYEEという会社がある。
関西にいたときにはお世話になった会社の東京支店だ。
それがトリトンスクエアにはある。
実際は関東では仕事らしい仕事はもらえない。
工場が少ないからだ。
尼崎、伊丹地区や京都。
そこが工場地帯だ。
営業に行くならそっち方面がいい。
けれど、ここに来るときはただのあいさつ回り。
そう、関西のときにお世話になった人が人事異動で関東に来ているのだ。
佐伯マネージャー。
この人に挨拶をしておこう。
ここに来た理由はそれだけだ。
佐伯マネージャーとの挨拶は短く終わる予定であった。
けれど、ひとつお願い事をされてしまった。
今いる事務員が一名急遽辞めることになったとのこと。
業務は簡単な経理とデータ入力。
いうなれば一般事務に少し経理が入ったレベルだ。
女性でビジュアルが良い人との内容。
いうならば受注だ。
基本的に私の会社、Mシステムは電気、電子、ソフト、機械がメインだが、それ以外にも医薬や生化学なんかも手を出している。
いうならば、お客様あっての商売。
依頼があったものに対応するのがよいことだ。
会社に電話をする。
皆川さんから、
「基本的に事務員は少ないんだ。
急ぎで在籍出向なら今いるうちの社員でもいいんじゃないのか?
期間はどれくらいなんだ?」と聞かれる。
期間は3ヶ月。
新入社員が入るまでの短い期間だ。
「それであれば社内で公募しておくよ。
社内事務ならバイトを雇ってもなんとかなるからな。
折り返しすぐできそうだ」
皆川さんがそう話してくれた。
たまに、こういうイレギュラーも存在する。
いや、イレギュラーというものでもない。
ただのベルトコンベアーの一種だ。
そう思いながら、すぐまた来ますと佐伯マネージャーに伝えてYEEを立ち去った。
トリトンスクエア内を歩くと思い出すものはいつも同じだ。
***************************
「私、この曲が好き。
サザンは今まであんまり聞いてこなかったけれど、この曲は思い出だから」
優子のセリフは今でも鮮明に覚えている。
思い出は少し前にさかのぼる。
御飯を食べるために2階のモールに上がった。
パスタを食べた。
そして、そのときも流れていた。
『TUNAMI』が。
「私、この曲が好き。
サザンは今まであんまり聞いてこなかったけれど、この曲は思い出だから」
さらに思い出は少し前にさかのぼる。
「どこに入る?」
少し顔を赤くしている優子。
同じくらい顔が赤くなっている私。
そして、うるさいくらいの鼓動。
すこし前に告白をした。
さらにさらに思い出は少し前にさかのぼる。
「あの…」
話しかけることが途中で止まる。
同じトリトンスクエアに打ち合わせに来ていた優子と待ち合わせをしてからずっとこんな調子だ。
今日こそは告白をしよう。
そう、思っていた。
出会ってから、何度もデートを重ねてきた。
いや、時間は無理して作っていた。
今日も本当はここに用事はなかった。
いや、ただの挨拶周りだ。
いつでもよかった。
でも、この日にした。
理由は優子が今日『トリトンスクエア』にいるから。
「どうしたの、加藤くん。
今日は歯切れが悪いぞ」
いつものやさしい笑顔。
それだけが思い出の中の優子だ。
「あの…ちょっと歩かない?」
言いたいこと。
それとは違う。そんなセリフしか口からは出てこない。
そんなものなのか。
青色に統一されたイルミネーションを歩きながら、心臓の音とだけ格闘していた。
「座ろっか?」
優子がベンチに腰掛けた。
そこから頭の中は真っ白だ。
気がついたら告白をしていた。
「ありがとう。私も加藤くん好きよ。
あ、そうそう、ちょっとあっち向いていて」
そう言って優子はかばんから何かを取り出していた。
何かベンチに書いていた。
「今度、もし、一人で来るときがあったら探して見てね」
笑顔な優子。
なぜ、今までこのことを忘れていたんだろうか。
***************************
携帯のバイブでトリップから強制送還される。
会社からの電話だ。
皆川さんからだ。
内容は、先ほどのYEEの話し。
社内公募したところ、山口さんが立候補してくれたとのこと。
今日であれば時間が取れるためYEEに至急確認してほしいとのこと。
であった。
びっくりした。
山口さん、確かにビジュアルはかなりかわいいほうである。
顔だけならタイプ。
実際はそうであった。
けれど、今回の宮部の件もあってちょっと不安と安堵の両方がある。
良の言っていた二人の距離をあける。
妙な感じでうまくできたのも事実だ。
後は、時間の問題かもしれない。
YEEに連絡をして、今日の午後1時に再度アポイントをとった。
そして、会社にも連絡。
待ち合わせはトリトンスクエアのエスカレーター上がってすぐのところ。
仕事なんてベルトコンベアーに乗っていればできるもの。
そういって、空いた時間にベンチを探した。
ベンチはすぐに見つかった。
不安は、時間がたっているから消されているのではないかという事実。
ありうるかもしれない。
けれど、そのベンチを覗き込んだ。
「☆記念日☆
Y.SとR.KとS.S」
優子の筆跡だ。
この癖のある星マークは忘れない。
Y.Sは
優子.桜井。
R.Kは
亮.加藤。
それはわかる。
このS.Sは?
翔子.桜井なのか。
いったいいつから翔子はいるんだ。
私は誰と付き合っていたんだ。
これを優子は見せたかったのか?
それとも、今回とは関係ないのだろうか?
どこか私をつれていってほしい。
ここではないところに。
携帯がなる。
山口さんからメールだ。
「少し早くトリトンスクエアにつきました。
よかったらお昼食べたいんですがいいですか?」
とりあえず、ベルトコンベアーに乗ることに決めた。
そう、ビジネスライフというベルトコンベアーに。
山口さんはしきりに宮部とのことを聞いてきた。
ある程度流して、後は仕事の話をした。
付き合いのある佐伯マネージャーのため、どういう質問をするのかもわかっている。
事前に打ち合わせをしていれば問題のない話しだ。
山口さんと打ち合わせをすまし、YEEへと向かった。
商談はスムーズに終わる。
仕事なんてそんなものだ。
月曜日からの契約が決まる。
単価は低いがおまけみたいなものだ。
山口さんを先に返して、契約書の確認を行う。
月曜日からだと最低とうじつまでに契約書は締結しておきたい。
事後になるよりは事前に終わらせておきたい。
そういうものだ。
契約は先方書式のため、帰社後にトマト運輸で月曜午前9時着便で送付しよう。
ひと段落してからメールチェックをする。
メールが2件。
1件は宮部からだ。
「採用担当の皆川さんから連絡がありました。
折り返し連絡ください。
後、今日は開けてくれてますか? 舞」
とりあえず、今日の夜のことは後回しにして皆川さんに連絡をする。
内容は
F電機に提案していた2名について。
先に提案していた若手は他者が落ちたため月曜からの契約が可能ということ。
それと、仙台の若手だが、東京に来ることは確定したが、月曜日着は厳しく、水曜日になる。
それでも可能かどうかを聞いてほしいとの事。
思ったより順調に物事が運んでいる。
仕事なんてそんなもの。
ただのベルトコンベアーだから。
F電機に連絡をして、詳細を伝える。
水曜日からでも問題はない。
そんなものだ。
ひとつの案件が終了。
そして、まだ味読のメールを見る。
「高橋です。
加藤くんは、良のお父さんの告別式に参加する?
私、明日は予定あるから今日の通夜のみの参加なの」
高橋さんからだ。
そういえば、この前に会ったときメアドを交換したんだ。
不思議なものだ。
優子と付き合っていたときはそれほど仲良くもなかった高橋さんなのに、
優子がいなくなってから仲良くなっている。
もう少し前にこうなっていれば変わったのだろうか?
いや、どこでボタンを掛け違えたのだろうか?
けれど、良の父親の告別式。
悩んだ末、出ないことに決めた。
良自身とは仲は良いが、良の家族とは面識がない。
おそらく、高橋さんは良の家族と面識があるのだろう。
ただ、何もしないというもの悪い。
そのため、高橋さんには
「参加はできないけれど、香典だけお願いできますか?
もし、よかったら、行く前に新宿で待ち合わせしませんか?」
とメールを送信した。
立て替えてもらおうかと一瞬思ったが、そこまで高橋さんとまだ仲がよいわけでないので、申し訳ないと思った。
すぐに高橋さんから返事が来た。
「了解(^^)v
じゃあ、前と同じく新宿の南改札口のポストの近くに18時ね。
ちょっとお茶でもする?」
おそらく、仕事の途中だろう。
今日は契約が3件確定した。
契約書の締結や、社内稟議の作成。
損益シミュレーション作成。
することは多い。
だからこそ、息抜きもしたい。
どちらかというと書類作成は得意じゃない。
うまく乗り切れていないベルトコンベアーのひとつだ。
「OKです。
仕事の途中で抜けるのでそんなに時間は取れませんが」
高橋さんにメールを返し、早めに帰社することに決めた。
都営大江戸線にのり、新宿まで向かう。
地下鉄はあまり好きじゃない。
やはり、景色が見えているほうが安心をする。
新宿駅に着く。
駅に着くとメールチェックが習慣になっている。
地下鉄だと急ぎのメールが来ていて気がつかないケースが多い。
過去に一度連絡が遅れて契約を逃したことがある。
そんなベルトコンベアーの故障みたいなものは避けたい。
メールが1件。
留守番電話が1件。
まずはメール。
「今日の夜、落ち着いたらここに行ってほしい。
昨日、言っていた宮部のことがわかると思う」
良からだ。
メールには住所が記載されていた。
新宿歌舞伎町。
なんとなく、推測はできた。
そして次に留守番電話。
以前の警察の方だ。
優子からのメールの解析をきいたのだ。
内容は優子が私宛に送っているメールは7件。
そして、最初のメールだけが更新が、最後に書き換えられているとのこと。
よくわからなかった。
後で考えよう。
「お疲れ様です」
また、誰に言っているのかわからないセリフをいっている。
死んだ言葉だ。
けれど、違和感はどこにもない。
そう、この現実こそが腐敗しているセピアな、世界。
今日は忙しすぎてトリップしていない。
どこかに心の安らぎを求めている。
多分、もう、手に入らないものだ。
「お疲れ様です。
今日は大丈夫ですか?」
宮部が近づいてきた。
そういえば、宮部にはメール返信していなかった。
忘れていた。
いや、覚えていたが心のどこかで返信を拒否していたんだ。
宮部には親友の家族に不幸があったこと。
今日は仕事で遅くなること。
だから、今日は無理なことを伝える。
「わかりました。
じゃあ、明日はどうですか?」
宮部の攻撃はまだ続いていた。
仕方なく、明日は宮部と時間を割くことに決めた。
この1週間。
色々なことがおきすぎて休憩したがっている。
けれど、まだ休むわけにはいかない。
今日は優子の部屋に行かないといけないんだから。
仕事を一つひとつ片付けていく。
書類作成という単調な仕事をしていると、子供のころ見た空を思い出す。
単なる逃避かもしれない。
時計を見るともうすぐ18時。
「ちょっと出てきます」
上司に報告をして会社を出た。
ちょうど宮部が給湯室に席をはずしている時に会社を出た。
新宿南改札口のポスト近くに高橋さんはいた。
相変わらず。きれいな人である。
「この間はもやもやつくって、ごめんなさいね」
高橋さんが謝ってくれる。
もう、過ぎたことだ。
それにしても、高橋さんは良とはやり直さないのだろうか?
なんとなくふとそう思った。
「どこでお茶します?」
この近くだとルミネのどこかだろうか?
そうね、じゃあちょっとだけ歩きましょうか?
そういって、高橋さんは南口から歩いていき、エスカレータを降りて、歩き出した。
ロッテリアの近くで曲がって、さらに曲がったところにある店。
やきたてケーキとかケーキサロン書いてある地下の店だ。
「ここのスフレすごくおいしいの。
優子も大好きだったのよ」
高橋さんが教えてくれる。
私の知らない優子の事実だ。
私はいったい優子のどれだけを知っていたのだろうか?
店に入りスフレを待っている。
「でも、良も大変よね。
お父さんまだ、若かったのに。
それにお兄さんの件もあるし、一人で重くないのかしら。
でも、絶対良は弱音を見せないのよね」
高橋さんが何気なく語った。
お兄さん?
良に兄がいたんだ。
そういえば、良のこと親友だと思っているが、家族構成とかも知らない。
お互いのプライバシーの尊重。
そう、私はあまり人の何かに踏み込もうとしていない。
いや、知らなさすぎなのかもしれない。
「良のお兄さんって何か問題でもあるの?」
プライバシーの尊重より知る権利のほうが勝ってしまった。
そう、思うことにした。
「加藤くんって何も知らないのね。
良のお兄さんは違う世界の住人なの。
あっスフレきたわよ。
おいしいんだから」
もう、スフレに興味が集中している高橋さんはわかりにくい表現だけ残してくれた。
「違う世界の住人ってどういうことです?」
気になって、やきたてスフレがしぼんでいくのをただ見ていた。
「良のお兄さん。昔、人をころしちゃったの。
だから、今は塀の中にいるのよ。
その反動もあって良はしっかりしているんだと思うし、相談にも乗れるのだと思うの。
ほら、精神カウンセラーの人はだれよりも自分自身をカウンセリングしているって。
私、そう聞いたことがあるのよ。
でも、苦しみを乗り越えて人だからこそ助言ってできると思うのね。
だからこそ思うの。
良は苦しくなったら誰か相談する人がいるのかなって。
なんか誰も良の手助けはできていないんじゃないかな。
ユングやフロイトが師匠みたいな人だから」
スフレを食べながら高橋さんは話している。
途中どこか音声が遠くになっていくのを感じた。
私は良のこともよく知らない。
気がついたら子供のころに遊びについていけなくて『ごまめ』にされていたのを思い出していた。
「でも、気にしないでね。
良は強いから。
でも、良のやさしさはちゃんと良が認めた人にだけ向けられるのよ。
私、ちょっとそれに気がついちゃったから。
じゃあ、そろそろ行くね」
高橋さんはそういい残して小田急線に乗っていった。
良が認めた人。
私はいったいいつ認められたのだろう。
私のいったいどこを認めてくれたのだろう。
知りたいという思いと、聞きにくいという思い。
多分、両方なのだろう。
私はメールチェックをしてから会社に戻った。
メールは1件。
「どこにいるんですか?」
宮部からだった。
突然消えたからびっくりしているんだろう。
「ちょっと出かけてました。
もう戻るよ」
30分も席ははずしていない。
まあ、先方と電話で打ち合わせしていたといえば大丈夫だろう。
会社もそこまで問い詰めない。
そう、結果さえ出していれば細かいことは言われない。
そういう社会だ。
会社戻ると宮部が何か行ってきたが、仕事が多いのと上司に呼ばれたのが幸いして、先に宮部が帰った。
良がメールをくれたところに宮部はいったのだろう。
そして、私がそこに行ったときの宮部を想像してみた。
狼狽するのだろうか?
ちょっと期待している自分がいる。
それも事実だ。
書類作成が終わると時刻は21時だった。
それから、あまり足を踏み入れたことのない歌舞伎町へと向かった。
メールが来る。
良からだ。
「今日は宮部のいる店に行っても宮部には声をかけるな」
理由がわからなかった。
もう、宮部への思いはこれっぽっちもない。
後は、時間をかけて社内のうわさを変えていくだけ。
ここまで来て帰るのもどうかと思った。
悩んでいると目的地までたどり着いてしまった。
仕方のないことだ。
知りたいという欲求は抑えられないもの。
まあ、店を見るくらいならいいか。
「今日はどうもありがとうございました」
明るい声が路上に響く。
聞き覚えのある声だ。
そう、いつもより化粧の濃い、いつもより露出の高い服を着た宮部がそこにいた。
「加藤・・・さん」
一瞬狼狽した宮部がそこにいた。
ボーイの人に気がついたら店に連れ込まれていた。
横には宮部がいる。
「びっくりした。
来るなら来るって言ってくださいよ。
加賀谷さんから聞いたんでしょ。
あの人もよくここに来ていたから。」
宮部が何もなかったように話す。
いや、それより良がよく来ていたということのほうが驚いた。
確かにストレスの発散にお酒を飲んでいたのかもしれない。
別段不思議ではない。
「なんか暗いですよ。
どうしたんですか?」
宮部がさらに語ってくる。
「ごめん。
こういうところの女の子と付き合うのはちょっとね」
思わず本音が出た。
宮部がキャバクラで働いていることを隠していて、見つかって狼狽したのだと思っていた。
けれど、いきなり私が現れたことでびっくりしただけだった。
神経の太さ。
ある意味尊敬に値するとも思った。
「こういうところって。
キャバクラ。
こんなの今時の女の子なら普通ですよ。
それに、こういうところで女を磨いているほうがいいでしょ。
加藤さんの彼女だって…」
いきなり体温が上がった。
飲みなれないウイスキーのせいではない。
宮部に優子の語ってほしくない。
その思いのほうが強かった。
「彼女のことは口にするな」
強く言葉が出てしまった。
沈黙が続く。
「すいません、失礼します。
こんにちは、りかです」
明るい声が響き渡る。
女の子がもう一人来た。
そして、乾杯。
私の知らない流れ作業。
とりあえず、時間が着たらすぐに出よう。
そして、優子の部屋に行こう。
そう思っていた。
「そうそう、舞ちゃん。実は今日でやめちゃうんですよね。
なんか、玉の輿にのるとかいってましたよ」
横にいる宮部がびっくりしていた。
いや、それ以上に私がびっくりした。
会社では実家のことは内緒にしている。
どうして宮部が。
「りかちゃん。
この人なの。
この人会社の御曹司なのよ。
しかも結構大きい。
私ね、実は高校生のときそれをしって、狙っていたの。
でも、この人なかなか心を開いてくれなくて。
でもでも、ようやくこの前結ばれたの。
でねでね、早く結婚したいの。
もう、こんな生活からおさらばしたいの。
テレビやドラマで見ているようなリッチな生活するの。
それだけが夢だったの。」
宮部のセリフは驚愕だった。
確か、宮部は高校のときの後輩。
ぜんぜん覚えていないから、今まで気にしなかった。
チェックメイトだ。
また、どこからか声が聞こえる。
「おかしいんじゃないの?
そこに愛はあるの?」
口から出る言葉は弱くなっていた。
「でも、加藤さんの彼女もそうでしょ。
私なんで加賀谷さんが来ていたのかわかったわ。
加藤さん何も知らないのね。
でも、私そういう人大好きよ。
今回、私のことは知ってしまったけれど、もうどうすることもできないでしょ」
高飛車な、今まで見たこともない宮部がそこにいた。
少し前までは、宮部でもいいかと思っていた。
そういう気持ちも確かにあった。
けれど、宮部が純粋に私を好きでいてくれているのかと思った。
だからこそ、かわいいと思えた。
それも事実。
真実は違った。
宮部は私じゃなく、背後にある福沢諭吉を見ていたんだ。
けれど、引っかかること。
良がここに来ていた理由。
ストレス発散以外に何かあるのか?
「加藤さんの彼女。
ここで働いてたのよ。
そして、その人にいつも加賀谷さんがが来てたの。
加藤さん、何も知らないのね。
かわいそう」
宮部の一言ひとことが耳に障った。
もし、殺意を抱くというのならばこのときなのかもしれない。
けれど、優子がキャバクラで働いていた。
何かの間違いだ。
いや、それは優子なのか。
もしかしたら翔子?
だから良がいたのか?
どうして、良はそれを言ってくれない。
***************************
「あなたって繊細なのね」
優子が言ったセリフ。
よく覚えている。
他人の目が気になって、臆病になる。
一度、ほかの男性と会うのをやめてほしいといったときのことだ。
「心配ならもう、会わないよ。
だって、私には必要ないから。
だから、傷つかないで」
やさしいセリフ。
「あなたって繊細なのね」
どこまでもこだまする。
***************************
「ご延長のほうはどうされますか?」
ボーイの声でトリップから戻される。
気持ちが悪い。
飲みすぎたのかもしれない。
いつもは飲まないウイスキー。
飲みなれていないせいか、かなり酔っている。
気持ち悪いのはウイスキーのせいだけではない。
そう、知りたくない事実ばかりが押し寄せてくるからだ。
「帰ります」
弱々しくでた言葉でどうにか店をでた。
わからない。
何もわからない。
誰かこの迷宮の出口を教えてくれ。
心の叫びとともに向かった。
そう、優子の部屋へ。
相変わらず、殺風景な部屋。
寒い。
そういえば、今日は寒くなると天気予報で言っていた。
エアコンをつける。
微妙な音がでる。
***************************
「最近エアコンの調子が悪いの。
こういうのってわかる?」
優子が言っていた。
ここはどこだったかな。
そう、優子の部屋だ。
私の会社は技術派遣。
主に電気、電子、ソフト、機械を扱っている。
けれど、扱っているだけで、詳細はわからない。
こういうときは何の役にも立たないものだな。
「ごめんな。
あんまりわからないんだ。
今度大家さんに伝えて直してもらおうよ。」
***************************
そういえば、エアコンは調子が悪かった。
そのうちあったかくなるだろう。
そう思うことにした。
この優子の部屋に来た理由。
そして、違和感。
重くふらつく頭を少し振ってみた。
水を飲む。
まず、指輪を探そう。
それが一番早いかもしれない。
それほど探す場所はない。
指輪はあった。
CDにセロハンテープで貼り付けられていた。
CDはバンブオブチキン。
そういえば、バンブオブチキンのアルバムの中にも『K』というタイトルの曲があるな。
思い出した。
***************************
「私、バンブオブチキン大好きなの。
特に天体観測。
星って、空っていいよね。
もし、満天の星空を草原に寝て見上げたら幸せだろうな」
***************************
優子がそういっていたのを覚えている。
今、指輪がついているCDに入っている。
そう『天体観測』が。
携帯がなる。
優子からだ。
時刻は0:00。
日付がいつのまにか変わっていた。
メール 7通目
~メール7通目~
「もう一度あなたに会いたいの。
パンドラの箱。
もう、開け方はわかった。
あなたは開けてくれる?」
優子からの最後のメールだ。
どうして7通なのかはわからない。
けれど、パンドラの箱はなにか。
手にもっていたCDを見る。
指輪はちょうどアルバムの『天体観測』付近に貼り付けられている。
なんだろう。
はがしてみる。
特に指輪だけだ。
パンドラの箱。
***************************
(普段からあいていない 鍵がかかっているもの)
良が言っていた普段からあいていないもの。
いったいこの部屋になにがある。
***************************
良のメモを思い出した。
あいていないもの。
鍵がかかっているもの。
『天体観測』
いったい何をさしている。
窓を開けてみた。
ここからじゃ星は見えない。
いや、確かに窓には鍵はかかっているが、普通にあけられる。
開け方がわかる?って優子は聞いている。
そう、開けかたが難しいもの。
箱、箱、箱。
見つからない。
座って水を飲む。
飲みなれないウイスキーのせいで頭ががんがんする。
CDでも聞いてみるか。
中を開けてみる。
もしかしたらメモがあるかもしれない。
そう、思った。
けれど、その期待は外れた。
ごく普通の歌詞カード。
CDを取り出す。
そういえば、この部屋にはコンポもCDプレーヤーもない。
パソコンで優子は聞いていた。
パソコン。
今、このパソコンは動かせない。
そう、パスワードを入力しないと。
鍵のかかった箱。
それはパソコンのことではないのだろうか?
パソコンの電源を入れる。
キーボードを動かす。
「tentaikansoku」と
エラー音も出ない。
そのまま、Windowsが立ち上がっていく。
これが、優子の言っていたパンドラの箱なのだろうか?
そして、いったい優子は何を見せたかったのだろうか?
そして、そして、優子は私をどこに導こうとしていたのだろうか?
立ち上がったパソコンの画面には『亮くんへ』というフォルダーがある。
フォルダーをクリックする。
寒くて手がかじかんできている。
どうにかしないと。
目に入ったのはベッド。
中に入ればまだ寒さはしのげるかもしれない。
ベッドの中に入る。
ちょうどいいところにパソコンがある。
前からこの位置にテーブルはあったのだろうか?
いや、なかった。
そう、優子の部屋に入って感じた違和感。
家具の位置が違ったんだ。
優子もこうやってパソコンを触っていたのだろうか?
明かりを一つけす。
ちょうどいいところにネコのぬいぐるみがついた紐がある。
フォルダーをクリックする。
すると中にはRealplayerのソフトが。
クリックしてみる。
再生がフルスクリーンで始まった。
見えにくいため、明かりを消した。
***************************
「亮くん。
ごめんね。
怒ってるかな?
私、実はいっぱい、いっぱい亮くんに、隠し事してたの」
優子の顔がアップで再生が始まる。
やさしい優子。
私にはひょっとしたら優子しか頼れる人はいなかったのかもしれない。
「でもね、ちゃんと話したかった。
でも、ようやく会えてよかった。
あのね、私二重人格だったの。
昔、両親が殺されて、目の前で殺されて。
私、怖くて隠れてて。
その現実をなかなか受け止めれなくて。
それで、二重人格になったって。
加賀谷くんに言われたわ。
もう一人の私。
名前は『翔子』っていうの。
もう、亮くんは『翔子』の存在は知ってるよね。
『翔子』は私の両親が殺されたのは自分のせいだと思っていたの。
だから、自分を傷つけることをしていたの。
私、自分が知らなかったといえ、亮くんにふさわしくない女性になっていたの。
キャバクラで働いていたり、ほかの人とセックスしたり。
でも、信じて。
私、本当に亮くんのことが好きだったの。」
泣いている優子。
気がついたら私も泣いている。
頬にぬいぐるみのネコがあたる。
首で押さえてみた。
「いっぱい、楽しい思い出を過ごせたよ。
本当、亮くん忙しいのに時間作ってくれて。
うれしかった。
『ピンクパンダ』『トリトンスクエア』そして『東京タワー』
いっぱいの思い出に包まれていたわ。
私、弱かったのかな。
なんか、うまく伝えられないね。
ホントはもっと言わなきゃいけないことあるのに。」
優子の顔があまりにもきれい過ぎて。
まるで、目の前にいるのような錯覚。
少し前に飲んだウイスキーのおかげで頭が朦朧としている。
「ホント、こいつぐずなんだから」
いきなり優子の声が変わった。
これが、良の言っていた『翔子』なのか。
優子より少し声が低く、自身のあるその声にはどことなく、威圧感が。
そして、どことなく自虐的なイメージを持った。
翔子は話し続けた。
「今回、優子はあんたに言わなきゃいけない真実を言おうと決めたんだ。
それは、『優子』も『私』もすごく悩んだことだった。
けれど、この体は『私』のものでも、『優子』のものでもないんだ。
でも、『3人』で決めたんだ。
まず、あんたの親友、加賀谷良とのつながり。
おそらく、『優子』が送ったメールを相談するのは加賀谷になるだろう。
おそらく自力での理解をするとは思っていなかった。
いや、『優子』は違ったが私はそう思っていた。
案の定、ここにたどり着くまでに時間がかかった。
けれど、私は時間をかけてここに来てほしかった。
だから、わざとややこしいメールを書いた。
そう、あんたにどれだけ『優子』があんたを大事にしていたのかということ。
そして、どれだけ真剣に悩んだ末のことなのかをわかってほしかったんだ。
そして、私自身にも責任があることなんだ」
いつもは見慣れない、大きなボディーランゲージの『優子』
実際中身が『翔子』と変わるだけで別人に見えてくる。
怖いものだ。
「私『翔子』と『加賀谷』は簡単にいうと恋に落ちたんだ。
相談者に恋愛感情を抱く。
初歩的なミスであるし、プロしては失格だ」
翔子の言葉が一瞬理解できなかった。
あの良が。
まさか。
「おそらく、信用しないだろう。
でも、これを見たらわかるだろう」
そう、翔子が言って、画面が動いた。
テレビだ。
そこに移っているのは優子の部屋。
そして、ベッド。
そこにいるのは『優子』と『良』
信じない。
こんな現実、信じない。
「やめて、こんなの見せないで」
高い声がする。
『優子』の声だ。
「ごめんね。ごめんね」
優子の声が響く。
ウソだ。
そう信じたかった。
「ウソって信じてもいいよ。
逃げてもいいよ。
でも、『優子』はこのことを知ってから苦悩が始まったんだ」
低い声が響く。
『翔子』だ。
翔子がまだ話し続ける。
「逃げたいきもちはよくわかる。
今までの良の助言、考えてみな。
どこかに違和感はなかったか?」
言われて思うこと。
そう、確かにどこかに理由なき違和感はあった。
始めに相談したとき。
次に相談したとき。
情報があるのに、まるで隠していた。
違和感はあった。
それを見ないできただけだ。
「逃げるなとはいわない。
けれど、その重圧を受け止めて『優子』はきたんだ。
それを少しはわかってあげてほしい」
低い声が響く。
『翔子』だ。
それと同時に何かのメッセージ。
何?
頭の中に響く文字。
「り」
なんだ、この感じ。
先に進もう。
「だから、私きめたの」
高い声が響く。
『優子』だ。
いつも優子は泣いている。
「だから、私、亮くんと別れようって決めたの。
ホントはとてもいやだった。
別れたくなかった。
でも、このまま何もなかったって。
そんなの無理って」
泣いている優子。
私の涙も止まらない。
そして、頭に響くイメージ。
「ネコ」
なんだ、この感じ。
わからない。
先に進もう。
「そして、私も決めた」
低い声が響く。
『翔子』だ。
「良との関係を終わらせようと」
「だから、私たちはすべての思いを持って。
去ろうって決めたの」
高い声が響く。
『優子』だ。
さらに優子は話し続ける。
「でも、この想いだけは。
亮くんとの想いだけは忘れられたくない。
そう思ったの。
だから、分かって」
優子の声が優しく響く。
そして、頭の中に響く映像。
そして、言葉。
「首吊り」
優子、解ったよ。
今、ようやく解ったよ。
すべてはこのためだったんだね。
気がついたときは首に紐が絡まっていた。
自分の首の重さで紐がしまる。
それほど、苦しくもない。
「あなたと私は」
高い声が響く。
『優子』だ。
「一つになるの」
「あなたと私は一つになるの」
低い声が響く。
『翔子』だ。
「だから」
高い声が響く。
そして、画面が切り替わる。
うっすらと『優子』の笑顔が見える。
「だから、苦しまないで」
高い声が優しく響く。
ああ、ようやく『優子』に会えるんだね。
長い夢を見ていたんだね。
「これは始まりよ」
高い声が響く。
やさしいこえ。
『優子』の声。
徐々に視界が暗くなっていく。
うっすらと、残りのrealplayerの残り時間も見える。
後少し。
「まずは私の部屋
そして、次はようやく二人が出会える場所よ」
高い声。
優子のこ…え…
かすかに視界の中にディスプレーが見える。
笑いかけている優子の顔。
そして…もう一人。
どうして、
そこにはありえなり人物が映っていた。
けれど、もう、どうすることも出来なかった。
その日の夜は長かった。
エピローグ
~エピローグ~
悲しい顔でテレビを見ている青年がいる。
彼の名は 加賀谷良。
テレビでは、「加藤亮の死亡」のニュースが流れている。
メールが来る。
「ようやく、あなたを信じられそうよ。
もう一度やり直せない? 綾香」
良は一瞬メールを見て削除した。
「いまさら何を」
とつぶやいて。
そして、同じく携帯を見てつぶやく。
「これが、翔子が望んだことなのか」
そういって、携帯を持つ手が止まる。
受信BOXの下にあるフォルダー。
フォルダー名は桜井翔子。
中には7通のメールが入っていた。
-了-
メール
~あとがき~
この「メール」はもともと書こうと思ったは今から○年以上前でした。
そのときは結末すら考えれなくて困っていました。
ただ、死んだ彼女からメールが来るという事だけでした。
実は○年前に死んだ彼女からメールが来るというのを体験しています。
それは、その人が死んでからある程度経っていて、そして何気ないメールでした。
その時、私たちが経験した思いは多分言葉にはできなかったです。
けれど、それから○年という月日を経て一つの形にしたいと思いました。
そして、この「メール」には一つのメッセージがあります。
それは、
「あなたは恋人を、友人をどれだけしっていますか?」
です。
携帯やメールによってコミュニケーションは大幅に変わりました。
けれど、それは相手を良く知るということにつながったのでしょうか?
私自身いまだになぞです。
この小説「メール」は多くの人へのメッセージとして、そして、多くのことを伝えたかったものとして
書きました。
けれど、思いはすべて届かない。
そして、届いたものは人によって形は違うと、
思います。
けれど、それでいいと思っています。
もし、この小説『メール』を読み、少しでも何か感じていただければと思います。
この小説「メール」は2004年の冬、青森で書き終わりました。
青森での降り積もる雪は、すべての景色を私をも変えてくれてました。
だからこそはじめて書いたこの小説「メール」ができたのかもしれません。
私はこの小説は
「ハッピーエンド」
だと思っています。
そして、ある意味キレイな終わりだと思っています。
でも、ハッピーエンドではないという人のほうが多いかもしれません。
そのため、ちょっと質問です。
もし、自分にものすごく好きな恋人がいて、でも、自分は
先に死ぬことが決まっている。
相手のこれからの幸せを願いますか?
すごく好きな人が他の恋人とともに過ごせない時間をすごし、
他の恋人を抱いているところを想像して、
それでも、先に死ねますか?
相手の幸せを祈って死ぬことは美談かもしれません。
でも、その選択はかなりの心の強さがいると思っています。
一緒についてきてほしい。
そういう思いを持つ人もいると思います。
けれど、選ぶ人が2名いた場合どうしますか?
そう、今回の「メール」は私の中ではある意味の
「純愛」
がテーマなんです。
そして、最後になりました、
本当に最後まで読んでいただいた方。
ありがとうございました。
つたない小説でしたが、書き終わることができました。
ありがとうございます。
ミナセ。