境界。

境界。

第一章

何もかもが、壊れてしまった。そう思わずにはいられなかった。
月の蒼白い光りに浮かび上がった弁当の容器とカップ麺の容器が溢れるゴミ箱。取り込んだだけの洗濯物の山。
私はいったいどれ程のものを失ったんだろう?あれから三十日が過ぎようとしている。
 泣いている暇もないほど押し寄せてくる現実に向き合い続けていたと思っていたけど……

あの日をやり直せるとしたらーーその思いを安いウイスキーで流し込む。
「父さん。電気くらいつけろよ」
パチンっという音と一緒に蛍光灯が灯った。
僕は目線だけを動かし息子を見る。
既に私よりも大きくなった息子、日焼けした手に持っているコンビニ弁当が私を攻めるようにカサカサと音をたてた。
「お化けがいるのかと思ったじゃん。それに気持ち悪いよ?」
息子は僕の目の前に座り、弁当を開けた。
「気持ち悪いか」
「うん。まあ驚かそうとしてたんなら、大成功だね。けっこうびびったもん俺」
「そっか」
「だってテレビもつけてないんだよ?」
私の笑い声が虚ろに響くのを感じた。
「忙しいだろうけど、無理しないように。父さんは早く寝てきなこれ食べたら、あとはやっとくから」
私はその言葉に感謝しながら、椅子から立ち上がる。
「ありがとな」私にはもったいない、息子。それは喉の中で消えた。「大丈夫だよ父さん。」リビングからでるときに息子はそう言った。

振り向くと、息子はもう一度言った。「大丈夫だから」
私の脳はその言葉の心意を探ろうともせず、心に深く染み込んでいった。
「ありがと。今日はゆっくり眠れそうだよ」少しだけではあるが、私の身体が軽くなったように感じられた。
広く感じるこの家も。
温もりを感じないダブルベッドも少しずつ。
こうやって、馴染んでいくのかもしれない。忘れるのではなく。
明日からまた頑張ろう。だから今日は……「なあ」息子に声をかける。「お前が風呂から上がったらさ。映画でも観ないか?父さん待ってるから」
「いいけど。寝ないでいいの?」
「うん」
「じゃあゆっくり風呂に入ってくるよ」
「ばかもの。素早くだ」
暖かい笑い声が心地いい。
「はいはい。じゃ待ってて」

1

蝋燭が置かれただけの、使いこまれた木製テーブル。その灯りを挟んで。二人は座っていた。「それは変えられないことなんだよ。」老人が揺れる蝋燭を眺めながら諭すように優しく言う。
「でも選べないの」女はテーブルに並べた自分の手を眺めていた。煙を眺めるようにどこか慎重に。
「みんなそうなんでよ。でもどちらかを選ばないといけない。分かるじゃろ?時間もあまり残ってないのだから。それに手続きのようなものも存在するんじゃから……」そう言い老人は女に目をやる。「早く決めたほうがいい」
「もう少し考えさせて」
老人は暫くその言葉が染み込むのを確認するように目を閉じた。蝋燭だけがその沈黙をまぬがれようとするかのように揺れていた。
やがて老人は目を開け、言った「明日じゃな。明日またくるから、そのときまでに決めておいておくれ」
それだけ口にすると老人はゆっくりと立ち上がり微かなあかりに照らされたドアを開け出ていく。
ドアが静かに開き、ほんの小さな音をたててドアが閉まると。部屋を部屋からは一切の音がなくなった。
女はベッドに横になる。
『明日まで』その言葉の重みに耐えかねたように。
私の宝物、その全てを出せという老人。私がどんな思いで、この宝物を集めたか分からないのだろうか?
この宝物を手放してしまったらーーでも。
そう思う自分も強く存在することも知っている女。
女は月のない真っ暗な窓を眺めていた。

目のなれることないの絶対的な暗闇を映す女の目には涙が滲んでいた。
開けることのない夜の中で伝う涙も枕にそっと落ちた涙にも、蝋燭の灯りが届かない。
私はーー女はそれでも決断しようと、涙を流し続ける。

そっと扉が開き、影のようにするすると音もなく老人が部屋に入り女のベッド端に腰かける。
「まだ決めれないの」震える声で女は言う。「もう時間なの?私はどうなってしまうの?」
「大丈夫まだ時間はきてない。まだ少しだけど時間が残っとる。ただーー少し君と話しがしたいと思ってな。わしは長いことここにおっていろんな人を見たよ。選択を与えられなかったもの、選択出来なかったものーーいろいろじゃ。あまり気分のすぐれるような仕事じゃない。正直な話し私にも何が正しいかわからん。でもわしは導いてやりたい思っとる。だからわしの話しを聞いてほしいんじゃ。」
老人は長い息を吐き出し、死体のように横たわる女を眺めた。蝋燭の載った皿には、過ぎ去った時間を示すように蝋が溜まっていた。
「君のかき集めた宝物は一人で集めたものじゃないじゃろ?いつもそれは共有されてきたはずじゃろ?ここが一番大事なんじゃ。それにもし君が何を手放そうとも、君が消えてなくなるわけじゃない。もし信じることができたなら、きっとまたてに入れることができるはずじゃ。」

「そうじゃ君のものじゅろ?」老人はゴソゴソとポケットをあさり、女の枕元に指輪を置く。
「本当はこんなことしちゃいかんのじゃが……君のものじゃ、君に返しておく」
老人は立ち上がりまた音もなくドアに向かう。
「蝋燭が消えてしまうとこの部屋も真っ暗になってきしまう。そうならないうちにわしはもう一度くる」
ドアが閉まり。蝋燭が少し揺れた。
女はその音が聞こえて初めて窓から目をはなし、枕元に転がる指輪を見た。
それを手に取り、迷うことなく薬指にはめる。暖かい包容に包まれ、女は涙を拭う。
女はビクッと動き。
指輪に耳をぴったりとつけた。

決断

女は椅子に座り、指輪を蝋燭にかざしていた。その表情は明るくたしかな決意が瞳に光りを灯していた。
老人は部屋にやって来てきて、椅子に座る。
「決まったようだね」その表情はほころんでいるようにみえた。
「うん。時間がかかったけど。私は大切なことを見失ってたんんです。あなたがこれを届けてくれなかったらーー本当にありがとう」

「その指輪はまた私が預かるから」そう言い老人は手をだす。女は名残惜しそうに指輪を外し老人の掌にそっと置く。繊細なガラス細工を扱うように。「

境界。

境界。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-10-23

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