FOOD MYSELF

夏美が目を覚ますと、そこは宇宙船の中でも、目的地に着いた訳でもなさそうだった。

 夏美の瞼が震えた。
 ついに目覚めの瞬間がやって来たらしい。開かれた瞳に白い光を感じ、指先にも感覚が戻り始める。
 ケンタウルス座アルファ星系の第四惑星を目指す第二次宇宙船団は、十二隻の船に多くの人々と物資を乗せて地球を出発した。
 距離は約四光年。そこは太陽系に一番近い恒星系だ。それでも到着までには気の遠くなるような時間を必要とする。
 人々はコールドスリープ装置の中で長い眠りに就き、年齢を重ねる事なく目的地まで運ばれて行く。その間時間を感じる事はないが、知っての通り船の周りの時計はゆっくり進む。果たして自分達が到着するまで地球の人々は忘れずにいてくれるのか? それは考えても仕方のない事かもしれなかった。
 ともかく、今まさに地に足を着ける時がやって来た。
 それは私達が未開の地へ降り立つ初めての人類になるという事。事故があったのか、先行した船団とは連絡が取れなくなっていたからだ。
 この先自分達をどんな運命が待ち受けているのか、それは誰にも分からない。しかしこの地を開墾、開発し、火星に次ぐ第三の地球とする為の第一歩が始まろうとしていた。
 気が付けば肌に水の流れを感じた。緩やかな水流に乗って、弄ばれるように運ばれて行く。そんな浮遊感が自分の身体を包んでいる。
 やがて夏美の瞳が焦点を結ぶと、その感覚は間違っていなかったのだと気付いた。
 やはり自分は水中に漂っていた。
 これは一体何? そう思う傍ら、溺れるという恐怖が頭を支配した。一瞬パニックに陥りそうになった夏美だが、どうやら液体には高濃度の酸素が溶け込んでいるらしく、呼吸に問題はなさそうだと分かった。
 それは驚く程の技術ではなかったが、自分がこんな所にいる理由が分からない。どう考えてもここは乗り込んだ宇宙船の中でなかった。
 目を凝らすと、うっすらと乳白に色付いた水の彼方には何か壁の様な物が見える。底も同じだった。ここは海などではなく、とてつもなく大きな水槽のようだ。
 夏美は実はまだ眠りから覚めていないのかと、思い切り頬を抓ってみた。
 痛い……。やはりこれは夢ではなく、現実らしい。
 手足を動かしてみると、覚醒は普段通り生活出来るまでに進んでいるように思えた。夏美は身体の調子を確かめながら、流れのない所まで泳ぐと、ぐるりと周りを見渡した。
 少し離れた所に一緒に船に乗った、顔見知りの女性が漂っているのが見えた。いや、それ所か多くの人々が水流に身を任せてゆっくりと移動していた。
 よく見れば彼らは皆何も身に着けていない。全裸だった。自分もそうなのだと気付いた夏美は、慌てて胸と股間を手で隠すと、彼女に向かって脚を動かし始めた。

 ***

 ここには昼も夜もない。水槽は光を発する半透明の壁に囲まれているからだ。
 夏美は漂う女性に追い付くと、その腕を掴んで身体を揺すり、耳元で声を掛けて、彼女が目覚めるのをじっと待った。
 知っている顔に出会ったお蔭で、少し元気が出た気がした。
 夏美が他にも覚醒している人がいないか頭を巡らせていると、寄り添っていた彼女の目がゆっくりと開かれた。
「あれ……、夏美さんじゃない。なんでここに…………」頭が回転し始めた彼女の言葉は途中で途切れていた。自分の置かれた環境に驚いて声を失ったらしい。
 思った通り、自分よりあとに目覚めた彼女に今の状況を質問した所で、ただただ困惑するばかりだった。
 やがて多くの人々が目覚め始め、互いの裸を気まずそうに見やりながらも、話し合いに加わった。しかしいくら議論した所で、情報を持っていないのでは話しは進みようがない。
 船では全員が眠っている訳ではない。確かに船の制御のほとんどはコンピューターが行っているが、宇宙船に不測の事態が起きた時の為に、クルーと呼ばれる人達が時間をずらしながら起きているはずだった。
 でも肝心の彼らの姿はひとりとして見当たらない。つまりここにいるのは、何かが起こった時に眠っていた人ばかりだという事だ。
 これでは埒が明かないのも仕方がないといえた。
「取り敢えず出来る事からやってみよう」ひとりの男性の呼び掛けで、手分けをして水槽を調べる事になった。
 壁はそれ自体が発光しているせいで、目を凝らしても外は霞んで見通せず、底に多分溶液の管理をしていると思われる機械が唸っているだけで、それ以外は本当に何もない。
 もちろん素手で叩いてどうかなるような軟な作りではなかった。
 一方天井には水面から僅かに浮いた所に半透明の蓋があり、その間は呼吸出来る気体で満たされているという。ただ肺の中に水が入っているせいで、行き来を繰り返すのはかなりつらいようだった。
 水面から目だけを出して覗いた人によれば、蓋の上からは光が射し込んでいて、時より何かが動くような影が見え、ノイズのような音が聞こえてくるという。しかし理解出来る物はなかったらしい。
 私達がいるのは、まさにただの箱だった。しかしこれが人工物であるのは間違いない。となれば、これは連絡を絶ったという先の船の人々が作った物なんだろうか?
 しかしいくら水槽を調べた所で、どうして自分達がこんな所にいるのか、その答えに辿り着く事は出来なかった。
 それでもしばらくは見落としや新しい事実を求めて、水槽を隈なく調べ上げる作業が続けられた。僅かな子供達を除けば、大人の大部分は何かしらの専門家だったが、持っているのは自分の身ひとつだけで道具は何もない。
 自ずと出来る事は限られていた。
 
 不思議な事にここでは食事をしなくても生きていけた。信じられない事だが、空腹感も、眠くなる事すらないのだ。
 一通り水槽を調べ尽くしてしまうと、本当にやる事がなくなった。徒労と倦怠感、閉塞感だけが人々を襲った。
 手には何もなく、する事もしなければならない事もない。
 出来るのは他の人と話しをする事、そして泳ぎ回る事くらいで、あとは何の変化もない、恐ろしく長く感じられる時間が延々と流れるだけだった。
 ……そして過ぎる退屈は人を狂わせる。
 ある時から女性が凌辱される事件が起こり始めた。ここには当然男もいる。しかも皆全裸だ。
 恋人同士は離れず、女子供は集まって固まり、暴力を振るう男達に襲われないよう自衛するようになった。
 しかし時にはひとりになりたい事もある。
 何となく気分が沈んでいた夏美が宛もなく水中を彷徨っていると、いつの間にか、まるで獲物を追い込むように連携した男達に周りを取り囲まれたいた。
 しまったと思った時には遅かった。
 噂通り底の方へ連れて行かれた夏美は、機械の上に仰向けに押さえ付けられていた。
 もがいてもがいて必死に男の手を振り解こうとしていた時、女性の集団が遠くに見えた。誰かが気付いて、助けに来てくれたのだ。
 男達の数は決して多くない。バラバラになって散り始めた彼らから、夏美はすかさず脱出した。
 三人の女性に囲まれるようにしてその場を離れ、夏美はなんとか難を逃れる事が出来た。
 それ以来決して集団を離れないようになったが、襲われる事への恐怖心が消える事はなかった。

 ***

 でもそんな不穏な状態も長くは続かなかった。
 なぜなら仲間の数が急速に減っていったからだ。
 上面の蓋が開き、大きな柄杓状の機械が水の中を掻き回すと、それに掬われた人々が消えていく。
 あれは一体何なのか? 皆どこへ連れて行かれるのか? 行ったきり帰って来た者は一人としていない。
 連れて行かれる事がいい事なのか悪い事なのかすら、誰にも分からなかった。
 ただ逃げ惑う人々を追い掛け回し、強引に柄杓に囲い込む様はあまりに乱暴で、皆不吉な予感を抱いたのは確かだった。
 もはや内輪揉めなどしている場合ではない。すぐに対策が協議された。
 しかし相手は大きく、信じられないようなスピードで水中を動き回る。助かる為にはとにかく逃げ続けるしかなかった。
 でも狙われたが最後、実際には逃げ切れた人などいない。夏美もそんな光景を何度も目の当たりにしてきた。そうしてひとり、またひとりと仲間が減っていくのだ。
 悲鳴を上げて消えていく仲間を、助けられる人はいなかった。
 結局打つ手などなかった。
 これが救いの手でありますように。そう祈りながら、ただその姿を見送る事しか出来なかった。

 ***

 水槽に人の姿はまばらだった。
 顔見知りの女性はほとんどいなくなっていた。寂寥感と無力感。夏美にはそんな心の内を話す相手さえいなかった。
「皆どうなったのかな?」ぽつりと声に出すと涙が溢れた。寂しくて堪らなかった。
 なんか疲れちゃった……。
 夏美は心の中に大きな穴が開いたように、無気力になっていく自分を感じていた。
 そうやってぼんやりと水中を漂っていると、誰かが、「逃げてっ!」と叫んだ。
 上を見た夏美は、飛沫を上げた機械が自分目掛けて突き進んでくるのに気付いて、慌てて腕を動かして水を掻いた。
 もうダメだ。そう思った瞬間、声を掛けてくれた女性が手を引いてくれたお蔭で、ひと掻き目の柄杓はすぐ脇を通り過ぎていった。
 でもすぐに反転してきた次は、かわしようがなかった。
 気が付けば、思い切り打ち付けた身体に呻き声を上げながら、夏美は巻き添えにしてしまった女性共々水面に引き上げられていた。
 水が抜け落ちると一瞬で視界が真っ白になり、二人は息苦しさに悶えながら咽せ始めた。柄杓の底に蹲(うずくま)って、咳き込みながら肺に溜まった水を吐き出していく。
 苦しみ抜いたそれが治まった時には、精魂尽き果てたように床に横たわっていた。
 荒い呼吸を繰り返しながら、それでも視力の戻った目と耳に、水槽内にはなかった多彩な色と音が届き始めた。
 視界が開けているのは上だけだったが、眩しすぎる程の光が自分に注ぎ、正体の分からない品々の一部だけがちらりと見え、そして音楽とも雑音ともつかない奇妙な音が流れていた。
 二人は起き上がって互いに背中を摩り合いながら、そんな光景をバカみたいに口を開いて見上げていた。

 夏美が、自分を助けようとして、巻き添えになった彼女に詫びると、「いつかが今日になっただけよ」と寂しそうに笑って答えた。
 別に誰に聞かれている訳でもなかったが、二人は顔を近付けて囁くように話した。彼女は亜季といって、夏美とは別の船に乗っていたという。
 でもおしゃべりはすぐに中断させられる事になった。
 突然傾いた床が上下左右に揺すぶられ、捕まる物のない二人はその動きに翻弄され始めた。しかも傾きは徐々に大きくなり、大きく視界が開けたと思った時には、身体が柄杓の中から放り出されていた。
「!!!!!」
 ガラスのようなお椀の中の大きな緑が、一瞬で視界のすべてに変わった。
 大きな葉の上に落ちた身体が、その弾力で何度も弾む。その縁に必死にしがみ付いて揺れが収まるのを待ちながら、夏美は着地するまでの長い滞空時間を思って、震えが止まらなかった。
 たまたま落ちた所がよかったから無事だった物の、少しずれていたら間違いなく死んでいた。
 へたり込むように座り込んだ夏美が横を見ると、少し離れた所で、やはり葉の上で腹這いになっている亜季の姿が見えた。
 どうやら彼女も大丈夫だったようだ。夏美が手を上げると、亜季も手を上げて応えてくる。
 でもその手の上に目をやった時、今度は夏美が声を上げる事になった。
「逃げてっ!! 右に逃げてっ!!」
 夏美の腕の動きを見た彼女が言われるままに右に飛び退いた瞬間、そこには上から降ってきた得体の知れない生き物が、潰れるような音を立てて着地していた。
 何これ……? その異様な姿を見詰めながら、夏美の脚は無意識に後ず去っていた。 
 それは二メートル近いイソギンチャクのような気持ち悪い生き物だった。しかも四方八方から粘液と細長い触手を突き出しながら、ゆっくりと亜季の方に移動して行く。
 夏美が呆然と立ち竦んでいると、急に周りが暗くなった。夏美は何も考えず直感的に前に飛んでいた。振り返ると、同じ物がもう一匹、潰れた身体を元に戻すように膨らむ所だった。
 いや、一匹や二匹ではない。気が付けば雨のように降ったイソギンチャクが、二人の隙間を埋めるように葉の上にのさばっていた。
 しかも触手を伸ばして、自分達の身体に絡み付こうとしてくる。
 夏美は何度も後ろを振り返りながら走り出した。
 本体の動きは遅かったが、触手の動きは素早かった。自分を狙うそれは、まるで蛇が空中を飛ぶようにしなっては床を叩いた。
 目のような物は見当たらないのに、逃げても逃げても追い掛けてくる。
「キャーーっ!!」
 上がった悲鳴の先を見ると、亜季が触手に脚を取られて倒れていた。
「来ないでっ! イヤっ! やだっ! やだっ!!」必死に手を振り回す彼女の身体がみるみる茶色の触手に埋もれていく。
 助けに行きたかったが、夏美にもそんな余裕はなかった。
 背後で彼女の声が小さくなっていくのを恐ろしく感じながら、夏美は透明な器の外を目指して走り始めた。
 隙間を見付け、フェイントを掛けては脚を進める。
 やがて右左に一体ずつイソギンチャクが居座る場所へ抜け出した。ここを突破すれば器の縁はすぐそこだった。
 こいつらは葉の上から出られないように見える。ガラス状の透明な部分にはまったく近付こうとしないのだ。きっとそこには苦手な何かがあるに違いない。
 夏美が右足を一歩踏み出すと、化け物が腕を伸ばし始めた。
 右から左から、そして頭上から……。
 夏美はタイミングを見計らって屈み込み、飛んできた触手の束をやり過ごすと、頭を低くしたまま一気に走り出した。
 次の触手が右から来る。床を蹴って大きく左に向きを変えると、その先端が空を切った。
 かわし切った! 夏美がそう思った瞬間、身体が傾いた。脚が葉の上を滑ったのだ。
 立ち上がろうとした時には、生きたロープが両脚に巻き付いていた。倒れ込んだ身体が本体に向かって引き擦られていく。
 爪を立て、掴まる物がないかと必死に腕を伸ばしたが、あまりに強い力になす術もない。
 腕に、身体に、頭に、次々と触手が絡み付くと、もう抵抗する力もなくなっていた。ぐるぐる巻きにされた身体には、最早動かせる所がなかった。
 締め付けられる身体に酸素不足が重なって視界が霞み、口から出る呻き声も途切れ途切れになっていく。
 そんな夏美の頬の上に突然黒い液体が跳ね上がった。今度こそ本物の雨だった。しかも真っ黒なそれは妙に粘性が高く、とろみ掛かっていた。
 死の雨……? 昔どこかで聞いたそんな言葉が頭に浮かんだ。
 当然この化け物にも雨は降り注いでいる。その茶色い表面が黒く染まり出すと、その様子が明らかに変わり始めた。
 イソギンチャクの全身が小刻みに震え、徐々にその振動が大きくなっていく。同時に身体を締め付けていた物が緩み始めた。
 何だか分からないが、これは逃げ出すチャンスに違いなかった。
 夏美は片手で喉の奥へ入り込もうとする触手を掴み、もう一方で首に絡まるそれを剥がそうと必死にもがいた。
 右足も動いた。もう少しだ。
 ……そう思った時だった。

「あああぁ…………」
 声を耳にした夏美が顔を向けると、甲高い声を響かせながら、亜季が銀色のスプーン状の物に掬われて上空へ消えて行く所だった。
 まだ生き延びていた。でも彼女の声が聞けた事に胸を撫で下ろしたのは一瞬だった。
 見上げたその先に、黒いシルエットが大きな影を落としていたからだ。
 正体は分からない。でもそれは明らかに動いていた。
 夏美は影に埋もれて見えなくなった彼女の姿を、呆然と見詰め続けた。
 やがてその縁に光を反射させながら、銀色の物は戻ってきた。
 身体が揺れた。
 触手生物ごと掬い上げられた夏美の身体は、いつしか宙に浮いていた。

 なんなの、これ? 
 朦朧としていた夏美をも驚愕させる物が目線の上昇と共に現れ、見た事もない生物の姿をなぞって行く。
 夏美の全身に鳥肌が立った。消え去った人達の運命を知った。
 その開かれた大きな口の闇の中に、声を失った夏美は呑み込まれていった。

 ***

 ケンタウルス座アルファ星系の第七惑星に棲む、人類が未知の高等生物は大きかった。彼らから見れば人間など小魚サイズでしかない。
 人間は初めの内こそ研究対象として扱われていたが、捕獲数が増えると、やがて珍味として食されるようになった。
 生け簀で飼われた人間は現地の小生物と一緒に和えられ、黒いとろみのある調味料を掛けて生のまま食べるのが一般的だった。

 宇宙船団は丸ごと捕獲され、地球の人々がその運命を知る事はなかった。

FOOD MYSELF

FOOD MYSELF

夏美が目を覚ますと、そこは宇宙船の中でも、目的地に着いた訳でもなさそうだった。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-10-23

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