日々を夢想する
どこにでもいる人。誰とも同じな人。
香恵さんは、二十四歳の女の人。”いつも”を生きる中、彼女が出会うもの
チリチリチリ、とベルを鳴らして、おじさんにどいてもらった。
香恵は、ドラッグストアへ行くところだ。
最近は、財布も持たずにポシェットだけ下げて、外出する。
amazonで僕はお金を使わずに生きることにした、という本があったが、私は当にそれを実行している。
ことに、この病弱な体では、生きる上で望むことの半分は、諦めている。
暖かな日の当たる店先に自転車を止めて、パーカーを翻しながら店へ入る。入り口で小さな子供を連れた女の人が、少し目線を絡めてくるのをやり過ごし、自動ドアをくぐった。
広い店内、入ってすぐ化粧品コーナーがある。そちらへ行き、主にファンデーションとマスカラを物色する。新発売のチークが目に入ったが、香恵はチークは塗らない。
なんだか本当にピエロみたいになるから。
メイベリンのファンデをこの店で初めて見たなと思いながら、すっすと滑るように、ドリンクコーナーに移動する。女性向けの炭酸飲料などながめながら、やはり手に取らない。
何も買わずにうろうろしていると、泥棒だと思われる。
ふいにそう思い、知らず早足になって店内を見終わると、すぐに店を出た。
店員は送りの声をかけなかった。
香恵は、三月まで、ある小売店で販売員をしていた。その人が良いところに付け込まれ、上の人間に辛く当たられていた。三ヶ月耐えたころ、おかしな言動をするようになった。
誰かにお金を盗まれたとか、母が自分に冷たくするとか。
家族が気づいたときには、香恵の精神はもう歪んでしまっていた。父が職場に乗り込んで辞めさせるよう直談判すると、店長は警察がどうの、賠償金を払えだの言い、父の怒りを買って、弁護士を間に挟んで騒ぎになった。
そのことがあって、香恵は父を好かないでいる。
感謝をすべき相手だとは、わかっているのだけれど。
自転車を走らせ、駅裏に出る。新聞社の角を曲がり、貸本屋へと向かおうかと思ったが、その前を素通りしてしまい、諦めて帰ることにする。
信号前の細い道で、お婆さんに道を譲り、「おおきに」とお礼された。
お礼を言ってもらえるうちは、まだ自分は上等な人間なんだと思う。
そんなことを胸で呟きながら、駅前を通り抜け、通り抜ける際、下衆な口笛をピューィと吹かれ、眉をしかめた。
あんな人間と自分が、交わることなどけして無いのだ。
夜、コタツで愛犬を撫でながら、立て膝に本を読んでいる。最近、知らない作家の本も案外面白いものが多いと知った。なんでも読む。
特に、中高生向けの、希望に満ち溢れたものを好んで読む。
この間、ツイートに良書を読まないなら本を読まなかったも同じだと書いてあったのが頭に強く残っている。
本の主人公のように、何も怖れず飛び込んで行くのが皆の望む人生だろう。
でも、世界は案外くだらない決まりごとばかりで成り立っているのだ。そこに道徳心や教訓など、一体どう使えというのか。
ぱたんと本を閉じる。
少し思考にノイズが入った。今日はもう寝ることにする。
電気を消し、愛犬を引き寄せる。熱心に顔を舐める犬に、確かな愛情を感じて、やはり立ち上がらなくては、とまた気持ちを起こそうとする。
明日は何か、変われますように。
そう子供のように願いながら、眠りについた。
夢の中で、これは夢だと思い、覚醒しようとして、やはり夢の中だと気づく。
そして人生について、少し悟った。
日々を夢想する
現実的に書きました。