イミテーション・タッド
第一話 永訣
真夜中の午前2時。草むらの中を走り抜ける人影が2つ。
「いい加減、あきらめなさいっ!!!」
「そうはいかんよ!!」
一人は女性。おそらくはまだ10代だと思われる。
それに対して、もう一人は男性。こちらもおそらくは20代前後。
夜は誰一人として寄り付こうとはしない場所で今、人影同士が互いに近付くごとに中心で閃光が散っていた。それもかなりのスピードでぶつかり合っている。
「入り込みが甘いな貴様。やはり、所詮は女か」
男は余裕たっぷりの声で女性を罵った。
「舐められたものねっ!!」
女はそのまま、草むらから見晴らしの良い野原へと飛び出す。
そして月の光がその姿を露にさせると、美しい藍色の長髪と、髪にも劣らない美しさを持つ制服姿の少女がそこには現れた。
「制服姿なのにも関わらず、そこまで動けることは褒めてやろう」
継いで男は少女に追随するように野原へと姿を現す。やはり男も10代後半。月を背にして少女の前に立つ。
「仕方ないわね・・・。同じ学院で学ぶ者同士、仲良くしたかったのですけど・・・・・」
確かにその少年も、少女と同じように制服を着ていた。
「ふん。特保の連中などと親しくするつもりはない」
少年はぶっきらぼうに言い放つと、憎しみを込めた視線を向ける。
「そうね・・・。仲良くしてくれるのなら最初からイミテーション;タッドを渡してくれるはずだものね・・・」
少女はそう言うと、制服のポケットから水晶のような、断片的になった透明の石を取り出した。
「ようやく本気を出すか」
同時に目の前の少年も、少女と同じような物を取り出す。
「イミテーション;タッド、現界っ!!」
少女は力強く言い放った後、すぐに石を持つ手を後ろに回し、手首だけで真上に放って走り出した。
ゆっくりと石が宙を舞い、頂点に辿り着いてから重力に従い始める。
「こうでないとな」
少年はにやりと口の端を吊り上げ、静かに石を手で砕いた。
「現界っ!!」
その瞬間、足元へと散っていった石の欠片が強烈な光を放ち、次第に右手へと集まっていく。
黒々とした、野獣の角のようなものがそこには現れた。
「トリッキー;ヘイト・・・・・やはりこの人の剣は・・・!」
既に男を目の前にする少女はそのまま武器も持たず、まるで剣を持っているかのように切り込もうとする。無論少年もそれに応じ、右手の角を少女に向けて振り上げた。
____________爆風が野原一面に巻き起こって消える。
「それが貴様の剣、ヘブンズ;アビスか・・・・・」
少年の剣と交わっている剣。月光を浴びて白銀に輝くそれは、まるで聖なる物であることを象徴するかのように、天に向かって伸びていた。
「先ほどは森の中だったためにまともに見えなかったが・・・」
剣を構える者同士で力が拮抗し、二つの剣の接点から火花が散る。
「やはり美しいな。それは」
少年は真摯な表情で自分に迫ってこようとする剣を見つめていた。
「今この状況で見とれることが出来るなんて、流石と言うべきところかしら・・・?」
少女の微笑が、自身の余裕の無さを物語っている。
「どんな状況であれ、美しい物に人は見とれてしまうものなのだよっ!!」
「_________なっ!?」
すると少年が突然、剣と剣を交差したまま少女を後方へと突き飛ばした。力の逃げ場を求めるあまり、少女は少し下がると同時に体勢を崩す。
「行くぞ」
その隙を察知してか、今度は少年の方が少女との距離を縮めてくる。
体勢を立て直す暇さえも与えないくらいに、そのスピードは速い。
「くっ!!」
少女は再び剣を構えようとするものの、無惨にも弾き飛ばされ、光の粒子をなって空の中へと霧散していく。
「悪く思うなよ」
すると少年は突然、そのまま上に向いている剣を今度は振り下ろし、少女の右腕に切り傷を付ける。
「ほぅ・・・これを避けるとはな」
普通なら身体ごと真っ二つに切断されてもおかしくはないのにも関わらず、少女はかつがつ少年の剣から逃れた。
だが右腕の布地は赤く染まり、手の先からは勢いよく鮮血が滴っていく。
「一騎打ちにおいては、あなたの勝ちみたいね・・・」
さっきと変わらない、余裕の見受けられない表情。その顔は苦痛に歪んでいた。それでも少女は再び左手でポケットから水晶を取り出そうとする。
「諦めろ。もう貴様の体力も残ってはいまい」
じりじりと少年は少女に近付く。だがその動きは、少女に水晶を割らせるための猶予を与えるくらいにゆっくりとしたものだった。
「現界・・・ヘブンズ;アビス・・・・・」
少女の持っていた水晶がその手を離れ、地面に落ちて粉々に砕ける。
「・・・・・・・」
次の瞬間、少女の身体は血飛沫と共に宙に浮いていた。
少年が振り上げた、狡猾と憎悪を持ち合わせる剣によって。
少女の胸元は、えぐられていた。
「弔いの言葉を送るつもりはない」
数秒後、少女の身体が冷たい地面に叩きつけられる。目は見開かれたまま静止しており、虹彩は完全にその光を失っていた。
即死であった。
「ふん・・・・・意外に呆気なかったな」
少年は目の前に横たわった少女の亡骸を見下ろしている。
「せめて貴様の、名前くらいは知っておいてやろう」
そしてそのまま近付き、上着のポケットから生徒手帳を取り出して開いた。
「高校2年1組、清岡 来香・・・」
顔写真付きの身分証明書を確認した少年は手帳を閉じ、ポケットの中へと元に戻す。
「さようならだ」
そう言い残すと少年は立ち上がり、身を翻してその場を立ち去っていく。まるで今まで何事も無かったかのように。
少女の横には、その本人を葬った剣が刺さったままだった。
剣は光り輝き、月明かりの中で煌々とほころんで消えていく。
彼らが割ろうとする水晶と同じように。
「・・・・・・・・・・・」
世界に別れの言葉を、告げることもないまま。
第二話 孤独
真夜中の午前2時。聖エトリア学院敷地内。
そこに今、一人の男子生徒がふらふらとうろついている。
「相変わらず誰もいねぇな・・・」
寮から抜け出してきたのであろう。少年は学校にいるのにも関わらずラフな私服を着ていた。
「ま、いるわけないか・・・」
私立エトリア学院の付属寮は、広大な敷地を有する学院内の一角にある。少年は今、そこから高等部のある方向へと足を運んでいる。
「やっと涼しくなったな・・・」
季節は秋。学院に入学してからまだ半年しか経っていないのにも関わらず、何がどこにあるのかは全て分かっていた。
特に、生徒があまり寄り付こうとしない場所は自分のお気に入りとして口外しないようにしている。
「今日はあそこに行ってみるか・・・」
そうしてふと脳裏に浮かんだ場所へと足を運ぶことに決めた。
「_______________何回目だっけ・・・ここに来たのは」
校舎から少し外れた位置にある、草木が生い茂った雑木林。
この先へと抜けると、実はほとんどの人が知らない野原が存在する。
「相変わらず真っ暗だけど、行けないこともない」
そう言い残し、早々と森の中へ足を踏み入れようとしたその時、
「_______いい加減、あきらめなさいっ!!」
と、どこからともなく女の人の声が聞こえてきた。思わず俺は、その声のする方向へと聞き返してしまう。
「あぁん?なんだ?」
するとその直後、
「そうはいかんよっ!!」
と、今度は男の人の声が聞こえてくる。
「何やってんだ?」
とりあえず俺は声のする所へと行ってみるため、そのまま先の見えない暗闇へと入っていった。
「ここを知っている人間なんて、そうそういるもんじゃねぇぞ・・・」
時々木の枝や落ち葉を踏む音が聞こえてくる。今自分が見えているのは、すぐそこから漏れてくる野原に照らされた月光くらいのものだ。
「何かマズイことでもやってんのか・・・?」
進んでいくごとに、男女の声はますます大きくなってくる。その上、あまり聞き慣れないような金属音までが聞こえてきた。
「あれは・・・・・」
いよいよ野原の全景が見える、雑木林の反対側まで辿り着く。
声の主に感付かれないため、一応草むらに身を隠した。
「うちの・・・制服か・・・?」
しかしそこにいたのは両方聖エトリア学院の生徒であった。
男女がそれぞれ一人ずつ、互いに向かい合って立っている。
「イミテーション・タッド、現界っ!!」
そして女子生徒の方が叫んだ瞬間、後ろ側に何かを投げ上げ、そのまま勢いよく男子生徒の方へと走り出した。
「こうでなくてはな」
それに応じて男子生徒も右手に持っている何かを握りつぶし、
「現界っ!!」
と声高々に叫んだ。
だが、
「なっ・・・何だよあれ・・・・・」
俺は思わず目を疑ってしまった。
男子生徒が潰したそれが地面へと散った後、光の欠片となって再び手に戻っていく。
「角・・・か?」
そしてそこには、あからさまにその存在が邪悪であることを示すくらいに真っ黒な色をした一本の角のようなものが現れた。
「何をする気だ・・・・・」
気がついた時には既に、女子生徒は男子生徒の間合いに入っていた。
「まさか、戦ってんのか!?あの二人・・・」
だがその手には何も持たれていない。
息を飲んだ。次の瞬間、野原一体に暴風が発生した。
飛ばされるほどのものではないものの、思わず腕で顔を隠す。
「それが貴様の剣、ヘブンズ・アビスか・・・・・」
改めて二人を見ると、全く影響を受けていないみたいだ。
それどころか女子生徒の手には、男子生徒のそれとは全く異なった形をしている一本の「剣」が備わっており、それらが互いに交差している。
「やはり美しいな。それは」
「今この状況で見とれることが出来るなんて、流石と言うべきところかしら?」
一触即発の状況にある二人。そんな状態を先に破ったのは、余裕の表情を見せる男子生徒の方だった。
「どんな状況であれ、美しいものに人は見とれてしまうものだよっ!!」
言い放ったと同時に、そのまがまがしい角で女子生徒を剣ごと突き飛ばす。
「_________なっ!?」
女子生徒は急いで剣を構えようとした。しかし男子生徒は更にそれを角で弾き飛ばす。
「決着がついたのか・・・」
宙を舞う剣は行き場を失ったのか、光の粒となって月明かりの元に消えていく。
これで戦いに終止符が打たれた。そう思った。
「悪く思うなよ」
「っ!?」
だが、戦いにまだ決着はついていなかった。
振りぬいた角を今度は女子生徒に向かって振り下ろす。
「ほう、これを避けるとはな」
間一髪、女子生徒は迫り来る角を回避することが出来た。
しかしその右腕には、一瞬の内に受けた切り傷が確実にあった。
痛みと涙をこらえ、女子生徒は傷口を左手で圧迫する。
「一騎打ちにおいては、あなたの勝ちみたいね・・・」
相変わらずその表情に余裕は無い。息も上がり、整えることすら難しい感じを受ける。
だが女子生徒は、それでもポケットからまた何かを取り出していた。
「諦めろ。もう貴様の体力も残ってはいまい」
男子生徒がゆっくりと女子生徒の前まで歩いていく。
あくまでゆっくりと、恐怖感を与えるように距離を縮める。
「現界・・・・・ヘブンズ・アビス・・・」
女子生徒は既に力尽きているのか、手に持っていたものを無意識に地面へと落としてしまった。
「これでやっと終わったか・・・」
事の結末を見届け、ほっと一息目をつむった。
だがその一瞬、たった2~3秒ほどの間のことだった。
目線を向けていた辺りから聞こえてきた、気味の悪い効果音。
すぐに目を開け、何が起こったのかを確認する。
「何を__________」
俺はその瞬間、野原を凝視したまま硬直してしまった。
「なっ・・・!?」
「何が!?」
視線のその先、一人の人間が背中を地面に向けてゆっくりと飛んでいる。
吹き出ている、計り知れないほどの鮮血と同じ軌道を描いて。
そしてそのまま地面へと無造作に落ちていった。
「まさか・・・」
それからというものの、女子生徒は全く動かなくなった。
それどころか、開ききった目が向ける視線はまるでこっちを見ているように。
仮にその視線の先に俺が入っていたとしても、何かを問いかけてきたり、助けを求めてくることはない。そんな気がするのに、そう時間はかからなかった。
「せめて貴様の名前くらいは知っておいてやろう」
目の前で起こったことに対して平然としている男子生徒。
何をする気か、女子生徒の上着のポケットに手を突っ込んでいる。
「高校2年1組、清岡 来香か・・・」
取り出した生徒手帳で名前を確認したのか、そのままポケットへとそれを戻す。
「さようならだ」
人を一人殺してもなお、その態度は全く変わらない。悠然と立ち上がって振り返り、現場を後にしていく。
「あれは・・・あいつの・・・・・」
それは紛れもなく、横たわる女子生徒の命を奪っていった剣だった。
柄の部分が空に向き、先端は地面へと突き刺さっている。
______________そして数秒後、剣は女子生徒のと同じように光の粒となって消える。
だがそこに、いつも俺のお気に入りの場所は無い。
「結局・・・何も出来ないまま・・・・・」
野原に横たわっているのは、名前も知らない一人の女子生徒。
ようやく俺は森から抜け出し、そいつの傍へとゆっくりと近付く。
「俺はいったい・・・」
「どうすれば・・・良かったんだよ・・・・・」
そして頭の横で屈み、右手でそっとまぶたを閉じる。
「くそ・・・」
その瞬間、口の端から血が一滴、首もとの方へと走っていった。
「____________________まだ可能性は」
俺は思わず、首元に手を添える。この絶望的な状況の中で、少なからず残されている希望を失いたくはなかった。
目を瞑り、添えた手に感覚を集中させる。
「っ!!」
瞬時に反応は、俺の手を伝わってきた。
「こいつ、まだ生きてる!」
喜びのあまり、思わず顔を直視してしまう。静かに眠っているそれに、月明かりは優しく光を照らしている。
「手当てをすれば、まだ!」
俺はすぐに確信を持ち、女子生徒をお姫様抱っこする形で抱え上げた。
「急がねぇと!」
俺はそこから、寮の保健室があるところまで走り出した。
「まだお前は、死ぬべきじゃない!」
遠くから見ているのとは違う、間近で見るこいつの顔は、青色に輝く髪に負けないくらいに綺麗なものだった。
「・・・・・・・・」
本当に、なぜかこいつだけは死なせたくない。
あの時の俺には、そのことだけしか頭になかった。
第三話 記憶
夢の中で、私は両親と遊んでいた。
雲一つ無い青空の中、どこまでも草花が生い茂る広い世界。太陽によって暖められた柔らかな風が頬を優しく撫でていく。幼い私はその時、両親にプレゼントをするための花飾りを作っていた。
「おいで、来香」
後ろから母の声がした。全てを包み込んでくれるような母の声。私はすぐに顔を向け、二人の姿をはっきりと捉える。
「おかあさんっ!!おとうさんっ!!」
するとそこには、私の大好きな父と母が立っていた。思わず花飾りを作るのを止めて駆け寄る。
そして私は、いつも父や母がしてくれるように頭を撫でてもらう。
「来香はいい子だ。だから、そのまますくすく育ってほしい」
父は私に静かに語りかける。その表情はどこまでも優しく、偽りが無い。そんな父に、私は抱きつくのが大好きだった。
「おとうさん!!」
「はははっ、来香は甘えん坊だな」
「来香、いつかお父さんと結婚する!!」
「おお~、それは楽しみだな」
「お父さん、嬉しいぞ」
父は抱きついたまま見上げる私に微笑んだ。私はそれに対して満面の笑みで返事をする。
「うんっ!!」
そしてそのまま、今度は母の足元に抱きつく。
「良い子ね。来香」
透き通った手が、私の頭に触れる。
「おかあさん!!私ね!おかあさんのために花飾りを作ってるの!!」
「もうちょっとで出来るから!もうちょっと待ってて!!」
そう言って私は母の元を離れ、花飾りのある所まで戻った。
あともうちょっとの所で出来上がるそれを、自慢気に見せる。
もちろん、花で作られた輪っかは二つ。
「ほらこれ!!」
すると両親は、いつものように自分を褒めてくれた。
「ほんと、来香上手だな」
「ええ。来香は本当に器用ですね」
誉めてくれる時に見える、あの微笑。私はそれが一番大好きだったから、いつも二人を喜ばそうとしていた。
「もうすぐで出来るからね!!」
何よりも大切な、そのために。
私は夢中で作り続けた。
「_____________できた!!」
それから20分ほどして、二つの花飾りは白い花と共に姿を現した。
「できたよ!!おかあさん!!おとうさん!!」
その瞬間、私の心は喜んでもらいたいという気持ちで一杯になった。
「見て見て!!ほら!」
同時に私は、二人がいるはずの方向へと身体を向けた。
プレゼントを、大切な人に贈るために。
私はとても頑張った。
だけど、
「えっ・・・・・・・・」
そこに二人の、愛すべき両親の姿はどこにも無かった。
「そんな・・・・・・」
絶望や恐怖、淋しさが心の中の全てを消し去った。
とても悲しくて、とても苦しい。
代わりにこの二つの感情が、心の中を埋め尽くした。
「おとうさん・・・?おかあさん・・・?」
試しに二人を呼んでみる。でもどこからもその声は返ってこない。
そんな状況に、私は思わず走り出した。
「おかあさん!!おとうさん!!」
どこまでも続く美しい世界。その中に存在するのが私一人だけ。
その事実をどうしても受け入れられなくて、ずっと走り続けた。
「なんで・・・・・なんで!!」
手に持っていたままの花飾りが、解けて散っていってしまうのにも気付かないくらいに。
「来香を、置いていかないで!!戻ってきて!!」
私は力の限り叫んだ。今にも心が引きちぎられそうな想いで、涙で前がほとんど見えなくなっていても叫び続けた。
だけど、それにも限界が来た。私はそのまま、脱力するようにして立ち止まる。
「来香を・・・・・一人にしないで・・・」
歩みを止めても、涙は決して止まってはくれない。溢れ出してくる粒の数々が、頬から離れて地面へと落ちていく。
「死んじゃ、いやだよ・・・」
子供心ながらも、本当は薄々気付いていたのかもしれない。二人がもう、この世界にいないということを。
この世界そのものが、ただの幻想にしか過ぎないということを。
「いや・・・・・」
私はずっと、信じることが出来なかったのだと思う。
夢の中に逃げて、それが崩れていかないことだけを望んで。
あの頃を、全てが真実だったあの時を生き続けようとした。
「___________っ!!!」
二度と叶わないものだと知って、世界の中に自分の声を反響させて。
泣き叫ぶがままに、私の夢は白く淡いものへとフェードアウトしていく。
最後まで何も、得られることが出来ずに。
第四話 起点
現在時刻、午前7時。エトリア学院寮内保健室。
日光がよく入り、明るみに満たされた部屋の中で私は目を覚ました。周囲を見回すと、自分が寝ているベッドの他にもいくつか空いているベッドがある。
「ここは・・・・・」
一瞬強いまぶしさを感じたものの、試しに身体を起こしてみる。
「保健室・・・?」
薬を入れた戸棚や身長計、視力検査のための壁紙がまず最初に目に付いた。
「でも私、昨日確かに斬られて・・・」
胸の辺りを見ると、そこには大きな裂け目が残っていた。物々しいほどにその周囲に広がっている血液が、死に際の凄惨さを物語っている。
だけどその下に見えている肌には傷跡一つすら付いていない。
「・・・・・あの時」
徐々に意識がはっきりしてくると、記憶も呼び覚まされてくる。
「・・・・・・・・・・」
ただ私の覚えている内容は、「戦った」という所を境にして途切れていた。それ以上のことを思い出そうとしても、まだ少し残る痛みによって打ち消されてしまう。
「そうだ・・・、先生に聞けば何か」
24時間体制で対応してくれる保健室の先生なら、私が誰かに連れてきてもらった時のことを知っているかもしれない。
そう思ってベッドから降りようとした瞬間、胸の真ん中辺りに強い痛みが走った。心臓を搾られるような感覚に、思わず顔をしかめる。
「死なないということは、それはそれで不幸なものね・・・」
大切な存在を失ってしまった代わりに得ることの出来た能力。本当なら、それを憎く感じることすら許されないはずなのに。
「_________でも」
だからと言って、私は「不死身」という能力を持っていることに幸せを感じられる自信は無かった。もし仮に戦いの中で、私が死を直感するような傷を受けたとしても、決してその痛みから解放されることはないのだから。
変えられない過去、逆らえない運命に抗う感情が生まれ始めたその時、突然として保健室のドアが開く。おそるおそるといった声と共に、白衣を身にまとった先生が現れた。
「どう?調子の方は」
「大丈夫です。心配ありません」
実際のところ、痛みがあること以外にあまり問題はない。
「そうは言ってもね・・・。あなた、ちょっと無茶をし過ぎじゃない?」
「いくら『不死身』だとしてもよ」
ベットの横にある椅子に腰掛け、呆れ気味の表情を作る。
「島野先生、それは言わない約束ですよ?」
「いやまぁ・・・。でもね~・・・」
物言いた気な顔であることに変わりはない。
「それより先生、私がここに連れてきてもらった時のことなのですが・・・・」
話を逸らし、あいまいな記憶が繋がっていくための質問をする。
「一体誰が・・・・・」
感謝の意を表したいという思いと同時に、仕事としての責任や任務をこなさなければならないという思いが心の内に広がって強くなる。
目撃者に対する然るべき措置。それは私達「特別保護風紀委員会」における学院内での任務の一つでもあった。
「はぁ~・・・もう・・・」
私を心配してくれる人は、納得してはくれないみたいだけど・・・。
「来香ちゃんの頑固さは、今に始まったことではないからね・・・」
そう言いつつ立ち上がり、傍にあった教卓に近付いてガスコンロに火を着ける。そこに薬缶を載せ、お湯が沸騰するのを待つ。
「昨日の夜中3時くらいの話よ」
そしてまるで独り言を呟くように、私にここでの一部始終を話してくれた。
第五話 回顧
現在時刻、午前3時。聖エトリア学院寮内廊下
俺は今、息を切らし続けながら走っている。
「もう少しだからな!頑張れ!」
通り過ぎていく掲示板の壁紙の内容が、保健室が近付いていることを教える。
「先生・・・っ!」
時間を追うごとにどんどん冷えてしまっていく身体を更に抱き締め、俺は体裁とかお構いなしに足で勢いよくドアを開けた。
「先生!!いるか!?」
中を見回したものの、その姿はどこにも無い。
「くそっ・・・・・こんな時に・・・」
俺は急いで先生がいそうな所を考える。
「あいつの部屋は、確か・・・・・」
当直の先生が寝る部屋のある階は2階。島野のいる部屋はどこか分からないが、とりあえずそこまで行ってみる。
「行かないで・・・お父さん、お母さん・・・・・」
その時、俺の胸の中で眠る女子生徒が寝言を漏らす。あれだけ弱っていたのにも関わらず、呟きを発することが出来るのはまさに奇跡的だ。
「しっかりしろ!!おい!!」
だがそいつはそれきり何も話さず、呼吸をしているのかしていないのか分からないくらいに動かなくなった。
「っ!!」
俺は舌打ちと同時に保健室を飛び出し、一番近い階段のある方向に走っていった。
「_____________先生っ!!起きろよ先生!!」
ご丁寧に、先生がいる部屋のドアの横には表札のようなものが掲げられていた。
「先生っ!!いるんだろ先生!!」
俺は何度もドアの前で叫んだ。正直かなりの迷惑行為だったが、今はそんなことを気にしていられない。
「こうなったら・・・・・」
埒が開かなくなったその時、俺はあることを思い付く。
それを実行するために半歩下がり、右足だけを上げ、足の裏をドアへと向ける。
「蹴ってでも開けるからな!!」
確実にドアにヒットする体勢をとった。
「3・・・・・」
「2・・・・」
「1・・・っ!」
タイミングを合わせ、太ももに力を込めた瞬間、
「ちょい待ち。今開けるから」
と、なんともアンニュイな返事が向こう側から聞こえ、ゆっくりと姿を現した。
「あんたさ、蹴るっていうのは失礼過ぎなんじゃない?」
「まぁ、叫びまくってた時点でかなりアウトだったけど」
俺の焦り様とはお構いなしに、一連の感想を言ってくる。
「んなことはどうでもいいんだよ!!それより早くこいつを!!」
俺は胸の存在を強調して見せた。
「この子・・・・・。とりあえず保健室へ」
言われるがまま、俺はまた来た道を戻った。
「さぁ入って」
ドアを開け、保健室の奥のベッドに案内される。
「そっと横に」
お姫様抱っこの状態から、身体をゆっくりと寝かせた。
「彼女を、どこで?」
手首を軽く持ち、脈の有無を確認する。
「野原、だ・・・。高等部のあるところの奥の・・・・・」
改めてその姿を目の当たりにすると、やはり思わず息を飲んでしまうほどに酷いものだった。
「戦ってたんだよ・・・。誰かと・・・・・」
「誰かって?」
「分からん・・・・・。相手の顔は見たけど、この学院にいる生徒の中で思い当たる節はない・・・」
「そっか・・・・・」
手首を放し、そのまま胸の辺りにある服の裂け目に両手をかけた。
「どうなんだ・・・・・。こいつの状態は・・・」
だが次の瞬間、返答よりも先に手を動かした。
裂け目が一段と大きくなって、女子生徒の腹部が露になる。
「なっ・・・・・・・」
俺は思わず顔を逸らした。
「ちょっ・・・いきなり・・・・・」
直視が出来ず、目をつむったまま声を荒げる。
「いいから早く閉めろって!」
だがそこに返ってきた言葉には、感情などというものが一切こもっていなかった。
「これを見ろ。三松」
「見られるわけねぇだろ・・・・・」
単調な発言に、恥ずかしさを含めて返す。
「いいから見ろって。今さら純粋ぶっても仕方ないだろうに」
思わずツッコミをしようと顔を上げた。
「純粋ぶるって、それどういう・・・」
だが同時にそのまま言葉を失ってしまった。
「おい・・・これって・・・・・」
多分今日は二度目だと思う。目の前の光景が俺の発言権を奪っていったのは。
「見ての通り。見ての通りにこの子の傷、もうほとんど治っていってるわけ」
「それも、人の自然治癒力とは呼べないくらいの速さで」
白く澄みきった肌に残された、鮮やか過ぎるくらいの真っ赤な血。
しかしその下には、皮膚と皮膚の割れた部分が残っているわけでもなく、その痕が残っているというわけでもなかった。
斬られた場所。確実に命を奪うような位置を奴の「角」が抜けていったのにも関わらず、そこには何も無かった。あるのはただ、周りの肌と変わらないくらいに綺麗な肌だけ。
「どういうことなんだよ。先生」
「何でこいつには傷一つ付いてねぇんだよ・・・」
荒ぶった声でまた問い詰めかける。だが相変わらず、発せられた言葉はとても簡潔なものだった。
「だから言ったでしょ?『治った』って」
二度も同じことを言わせないで。といった顔で俺に視線を向けてくる。
「さてはその顔、あんた何か知っているんだな?」
逆に言えば、その表情が全てを知っていることを自白している。
「説明してくれ。どうしてこいつは、あれだけの傷を負っておきながら死んでいないのかを」
「それに、その傷さえも治ってしまったのかを」
俺は先生の視線に応じて身体を向け直した。
「教えて欲しい。先生」
どれくらいの時間だろうか。互いの沈黙が長い間、静けさとなって保健室を満たす。
「___________________はぁあああ・・・。これもまた、運命なのかもしれないわね・・・」
根を上げたのか、それとも静寂の中から鳴り始めた薬缶の音が気に障ったのか。
そう言いつつガスコンロの栓を閉め、傍の戸棚からコーヒーカップを2つ取り出しながら口を開く。
「三松はさ、この学院の地下深くに、神の加護を司る宝剣があることは知ってる?」
来るかと思えば、いきなり突飛なことを言い始めた。
「神の加護・・・・・?宝剣・・・?」
でもまぁ既にこの状況がファンタスティックな域に入りつつあるわけだから、今更な感じだけど・・・。
「ああ。本来、この事実を知る者は学院内でも数えられるくらいしかいない。大方私を含め、校長や副校長、特別保護風紀委員会の連中くらいだろう。事実、神聖宝剣『エクスキャリバー』の力によって偽装宝剣『イミテーション;タッド』が用いられているのは、お前もついさっき見てきたはずだ」
記憶の中から、野原の景色とその一部始終がフラッシュバックされる。
「そうだ・・・。確かに見た。初めに水晶みたいな、結晶みたいなものを割って、そこから急に剣が現れて・・・・・」
うちの生徒同士が互いに敵と見なして戦って、そして傷ついた。
「水晶みたいなものを割る、と言ったな。それはイミテーション;タッドを呼び出すための儀式のようなものだ。生命エネルギーを石に転移させて、それを破壊することで一気に爆発させる。詳しい原理とかはよく分かっていないけど、お前も聞いたことがあるんじゃないか?石には不思議な力が宿ることもある。と」
そのままベッドに視線を向け、優しく布団を女子生徒の身体に掛けた。
「来香ちゃんの場合、生命エネルギーが他人よりもずっと強い体質の持ち主になるからね。こうして自然と傷が癒える、『不死身』の身体となっているわけさ」
「不死身・・・」
思わずその身体を凝視してしまう。
「まぁそのこともあって、今来香ちゃんは特別保護風紀委員会の副委員長をやっているわけ」
「一つ聞いていいか?」
「良いわよ。偽装宝剣の存在に気づいてしまったあんたは、もうとっくに部外者ではなくなってしまっているもの」
お手上げよ、という感じの素振りを見せて嘆息する。
「本当は、記憶が消されてもおかしくはないくらいだし」
記憶を消すこともあるのか!?
「怖っ!!そんな恐ろしい団体なのかよ・・・特保って・・・・・」
話を聞く限り、とてつもなく怖い何かに片足を突っ込んでいる気がした。
「消すと言っても、あくまで偽装宝剣に関することだけよ?元々特保は地下に眠る神聖宝剣を守護する役割を担っているのだから」
そう言いつつ、さっきから湯気が出っ放しの薬缶を手に取って、カップにコーヒーを注ぐ。
「飲む?」
「そう・・・だな・・・・・。今から飲むと、カフェインのせいで間違いなく寝付けなくなるが・・・」
差し出されたコーヒーカップを素直に受け取る。
「いいじゃないの。どっちにせよこの時間帯に女子のピッチピチのお肌を見たんだから。興奮して寝られやしないさ」
「ピッチピチって・・・・・」
言いようのない歳の差を感じつつ、ジト目でツッコミを入れる。
「そもそも偽装宝剣と神聖宝剣の違いってなんなんだよ」
温かい内に飲むと、少し冷えた体が暖まっていくのが分かった。
「偽装宝剣は、あくまで神聖宝剣から派生して出来たもの。名前に付いている通り、あれは偽物なのよ」
「神聖宝剣の加護によって生まれたものということか・・・」
「そういうこと」
「こいつらはなぜ戦う?」
「戦ったと思われる相手は恐らく、神聖宝剣を狙った組織の手先だろうね。あれはとてつもない力を秘めているから・・・」
話をさせているために飲めないのか、コーヒーの湯気を香りと一緒に味わっている。
「そんなに凄い力なのか?」
「『地脈の源泉』と言った方が分かりやすいかしら。この辺り一体の地脈を流れる大元はここの地下に集まっているのよ」
「つまりそれが宝剣として現れた・・・・・」
「そういうこと。で、特保はそれを利用とする組織からここを守ってくれているわけ」
いよいよ話はこれで終わり。という表情でコーヒーを堪能し始めた。
「俺にも、偽装宝剣が使えると思うか?」
ふとした疑問を口にしてみる。
「無理ね」
即答だった。
「何でだよ!!」
「意思の問題よ」
「意思の・・・?」
「そう。要するに、神聖宝剣の存在を知った上で何を願って、どう使うかを自らの意思としてはっきりさせないと、偽装宝剣は出てこないの」
淡々と事実を伝えてくる。
「無理なのか・・・。俺には・・・・・」
久しぶりに落ち込んだ感覚を味わった。
「今は、とだけ言っておくわ。後はあんたがどう変わっていくかよ」
俺に見せる目付きが、強い眼差しとなった。
「でもまぁ、あまり本気で考えない方がいいのかもね」
かと思ったら、またすぐにいつもの気だるそうな目付きに戻る。
「一筋縄でいけることでもないし」
「・・・・・・・」
落胆に追い討ちが掛かり、思わず黙り込んでしまう。
「まぁいいでしょ。急いで考えても仕方がない。とりあえず今日はもう部屋に戻って身体を休めなさい?」
なだめるような言い方が、先生なりの最大限の優しさを表していることくらいしか、今の俺には分からなかった。
「でも本当に感謝しているのよ。本当」
ようやく女子生徒の容態が落ち着いてきて安堵しているらしい。
「この子を一生懸命運んできてくれて、それに・・・」
「それに?」
「この子のことを気遣ってくれて」
「べっ、別に気遣ったりなんかしてねぇよ・・・」
「そうかしら?」
「それにしては血生臭い戦いを見た後でも、それに関係することを結構聞き出そうとしていたじゃない?」
得意顔で言ってくる時は、大体俺を弄んでいる。
だからこういう時は、早めに立ち去ることに決めている。
「俺は戻る。そいつにもよろしく言っておいてくれ。コーヒー、ごちそう様」
コーヒーカップを教卓の上に置き、足早にドアへと向かう。
「2年1組清岡 来香」
取っ手に手を置いたところで、背中に声がかかる。
「この子の名前よ。いい加減、『こいつ』とか『そいつ』って呼ぶのを止めたら?」
出入り口の前で、静止して強張った。
「一応、覚えておく」
そしてそのまま握る手に力を込め、俺は保健室を後にした。
第六話 接点
現在時刻、午前10時40分。エトリア学院高等部(接点)
45分の授業を終える号令が、教室内に響き渡った。
すぐに机に突っ伏すやつ。急いで購買に行くやつ。そそくさと移動教室に向かうやつ。
10分ある休み時間の過ごし方は人それぞれだが、俺は大体この時間を睡眠に費やしている。起きていたところで大してすることも無いわけだし、それならまだ身体を休止状態にしてた方がよっぽどいい。
「よっ!!龍次!!相変わらずのお早い冬眠ですな!!」
という風に、俺が机の上で丸まり始めるとすぐに飛んでくるやつもいる。
こういう時も大体、顔を上げずに軽くあしらっておく。
「そういう声の掛け方をする奴って、実際にはほとんどいねぇだろ」
元から面倒くさい奴だ。こんな時まで相手したくない。
「どゆこと?」
「ライトノベルの読み過ぎだ」
まぁ、悪気は無いんだろうけど。今だけは鬱陶しい。
「よく分からないけど・・・。それより大ニュースだぞ龍次!!」
気分がコロコロ変わるやつだけに、脈絡が全く読めない。
「あの清岡先輩が戻ってきたんだよ!!」
清岡・・・・・。
その瞬間、無意識にガバッと上半身を起こし、そそくさと教科書を揃えて立ち上がる。
「話は移動しながら聞いてやる」
「おっ、流石に喰いつきいいねぇ。ちょっ、もう行くのか!?俺はまだ準備が・・・」
足早に廊下へ出る。
「置いていかんでくれ!!」
お前を待つ義理は無い。と、友人をほったらかしつつ。
「で、さっきの話はどういうことだ。清岡先輩が戻ってきたって」
目的地である第2化学室までの道のりは結構ある。校内を端から端まで移動しつつ、昂哉から話を聞きだす。
「体調不良っていう理由でしばらく学校を休んでたんだけど、今日2年生の下駄箱に行ってみたらあったんだよ!!清岡先輩の美しい足を守るための靴が!!」
目を輝かせて言うこいつは今、とても幸せそうだ。
「いや、美しいのは足だけじゃないぞ!!お顔や身体、その全ての均整がまるで女性の黄金比を表しているようで・・・。あれこそ女神だ!神聖なる女神様が今ここに降臨なされたぞぉぉぉ!!」
「死に損ないの馬鹿は、やっぱり死なんと治らないな」
という発言を心に留めつつ、話を本筋に戻す。
「もう、元気なのか?」
一応、聞いておこうと思った。
「うん?そりゃあお前、俺はいつだって元気だ!」
いや、お前じゃない。
「なんだ、清岡先輩のことか?そりゃもう元気だからこんなに喜んでいるんじゃないか!!」
相変わらず俺の隣にはお花畑がある。
「そうか・・・・・」
気付けばその時、俺は手元にある「化学Ⅰの教科書を眺めていた。これと言って特に理由は無いのだが、何となく見ていたくなった。
「またあのお姿を・・・、ぜひとも拝見したい!!」
多分、素直に喜べない気持ちのやり場をどこかに求めていたのだと思う。
「おい龍次・・・。まさか、あの方は!!うそだろ!!」
第2化学室に一番近いルートを通った。だが2年生の教室が連なるところを歩いていく内に、思わず独り言が多くなっている自分がいた。
「やっぱり凄いな・・・。あれだけの傷があったのに・・・・・」
視線を手元に移すと同時に、その腕に感じた「人の重さ」を改めて思い出す。
「おお神よ・・・。あなたは今日という日に何て素晴らしいものを届けて下さったのか!!」
だがそのついでに、保健室で見たことも思い出される。
「いやあれは、島野が見ろって言ったから・・・。俺が自分から見たわけじゃねぇし・・・」
やばい、頭の中が熱くなってきた。
「私は全ての物に感謝し、これから過ごす日々において善行に努め・・・」
落ち込んだのも久し振りだったが、こんなにあたふたしてしまうのも久し振りだ。
「ああエロスよ!!」
こんな事くらいで俺もみっともなくなったな・・・。
「ヴィーナスよ!!」
全く・・・・・。
「アフロディーテよ!!」
本当に・・・・・。
「う~~~マンボウッ!!」
「うるせぇよ!!」
「えぇ~~~っ!?」
突然のツッコミに、「んな馬鹿な!!」という表情を返してくる。
「さっきから一人ではしゃぎまくって何やってんだよ!!よく分からん神ばっかりにお願い事しやがって!!」
その時だけは、通り抜けていく2年生が全員振り返るのも気にならなかった。
「そうね。確かに神よりも現実的な存在がこの世界にはあるのかもしれないわね・・・。特に、『何を願って、それをどうしたいか』という意思におおいては」
「全くだ。神なんて非現実的な物にすがるんじゃなくて、もっと現実的な・・・・・」
「・・・・・・・・・・はっ?」
ほどなくして、やっとその声が俺達に向けられたものだと認識した。
「・・・・・・・・・・」
無言のまま二人で正面を見る。
「君に会うのは、これで二回目だね」
腰まで伸びた、藍色に染まる長髪。「服がきついのです」と激しく自己主張する双丘に対して、物凄く控えめな腰周りとヒップ。全てが整えられたその身体に、加えてモデルにも引けをとらないようなその美貌。
昂哉が言うとおり、パーフェクトな女神が目の前にいた。
「お前凄いよ・・・。流石は情報通ってとこか・・・」
同時にさり気なく昂哉を誉めておく。
「なに、かな?」
頭の上に?マークを浮かべ、自分達の様子をうかがっているその女性。
つい一瞬でも見とれてしまったことを不覚に感じ、思わず顔を手で覆う。
「どうしたの?」
ちなみに横にいる奴は口を開けたまま絶句し、そのまま脳内花畑に埋葬されていた。
「何でもないです・・・。それで、俺に何か用ですか?」
手を退け、はっきりとその姿を捉える。
「用があるのはお互い様といったところじゃないかな?」
言いつつ、もしかして違うのかな?という感じで首をかしげる。
「ああ、確かに・・・」
もう色々とよく分からなくなってきた。
「先輩の方からどうぞ・・・」
既に話を聞いていたため、とりあえずは先に先輩の用件を尋ねておくことにする。
「ありがと。じゃあ、とりあえず付いてきて」
そのまま手を握られ、後ろを向いた先輩に引っ張られていく。
「ちょっ・・・待てっ・・・」
かなり強引だった。
「話なら後で聞くね。それと、授業なら心配しないでいいよ。特別保護風紀委員会の名で派遣扱いにしてもらうから」
足早に歩かされる中で、矢継ぎ早に説明してくる。
「いや、そういう問題じゃ・・・」
昂哉といた所からどんどん離れていってしまう。俺は思わず振り返って助けを呼んだ。
「どうにかしてくれ!!みんな大好き清岡先輩が俺を連れて・・・」
その瞬間、未だにその場に立ち尽くす昂哉の口が俺に何かを告げた。
「俺の前に来香先輩が・・・あんな近いところに・・・」
「おいこら!!」
「花畑の間引きばっかすんな!!」
そしてそのまま、有無も言えずにどこかへ連行されていった。
第七話 共生
現在時刻、午前11時10分。特別保護風紀委員会室前
奇異の目に晒されながらも、なんとか辿り着くことが出来た。
「ここに連れてこられるとはな・・・」
まさかとは思ったが、やっぱりそうなってしまった。
「ちょっと待ってて」
そう言い残し、軽くノックをしてから部屋の中へと入っていく。
「入会させられるのか、俺・・・」
事件に関わってしまうことは百も承知だったが、だからといって風紀委員会に入るつもりはない。それに、学院内の風紀を一番乱している奴が入っていい所じゃない。
「こんなことになるとは・・・」
ついさっきも廊下を連れ回されながら色んな視線を浴びた。特に男子生徒の集団なんかは明らかに殺意の目を向けてきやがる。もし仮に、あの中に一人でも偽装宝剣を持ってるやつがいたら、即刻刺し殺してきそうな勢いだった。
「めんどくせぇ・・・」
30秒くらい待機していて、突然目の前のドアが開かれた。
「どうぞ。入っていいよ」
そして促されるまま、俺は禁断の地へと足を踏み入れた。
「みんなに紹介するわね。彼が1年生の三松 龍次君。私達の新しい『仲間』よ」
来客用の感じがする、一見部室のように見えない部屋にいた4人の男女が一斉に自分の方を見る。
「へぇ~。この子がね~」
「あら~、意外とイケメンさんじゃないですか~」
「少し筋肉が足らんと思うぞ」
「ふんっ・・・素人が・・・・・」
男2人に女が2人。各々が恐らくは初対面である俺の印象を言ったのだろう。
その内の一人、部屋の奥にある代表者席に座っている女子生徒が立ち上がった。
「話は来香から聞いたわよ。龍次君」
引き締められたスレンダーな身体。紅に染まった、腰まで伸びるロングヘアー。シュッとした目付きだけれども、清岡先輩に引けをとらないその顔立ち。
「ようこそ。我らが特別保護風紀委員会へ。私が委員長の阪上 椿よ」
「ああ・・・よろしくお願いし・・」
華奢な手を出され、それに応じようと手を出した瞬間、いきなり力強く手首を捕まれた。
「はっ?」
そのまま身体ごと前に引きずり込まれ、俺は先輩の胸に顔をダイブさせてしまう。
「ふもっ!?」
反射的に離れようとすると、即座に委員長の両手が後頭部に回り、
「逃げちゃダメよ」
と、再び胸元に抱き寄せられてしまった。
「男を抱いたのは久し振りね・・・」
快楽に浸っているのか、表情が恍惚へと変わる。
えええ~っ!?
何とも言えない感触が、頬を伝って脳内を刺激する。まるで大きなマシュマロが当たっているみたいな・・・。
そんな様子を後ろから見ていた清岡先輩が、突然素っ頓狂な声を上げる。
「椿ちゃん!?」
動揺しているのか、その言動はとてもあたふたしていた。
何なんだよこれ・・・。
頭がポワ~っとなるくらいに柔らかくて良い香りが鼻腔をくすぐる。
「おっ、うらやましいな~。わしも君のように抱き締めてもらいたいものだ」
ついその時、委員長の後ろにいた男子生徒が声を上げる。見るとその身長は190㎝くらいはあり、どっしりとして横幅も広く、近づけば人壁にも見えるその巨体は、隣でさっきからムスッとしたまま俺を睨んでくる男子生徒とは比べものにならないくらいに大きかった。
「河南君は大き過ぎて収まりきらないわよ?」
「それもそうだな!!」
と、気が付けば俺をほったらかしつつ呑気な会話を始めている。
「あんな奴が本当に清岡先輩を助けたのかよ・・・」
だが盛大に笑う男子生徒とは裏腹に、横にいる奴はチッと舌打ちをしつつ俺から顔を逸らした。
「やってらんねぇ・・・」
嫌悪感全開の顔つきで吐き捨て、そのまま委員会室を出て行こうとする。
「おい、昌毅。折角龍次君が来てくれたんだ。どこかへ行くというのなら、せめて名乗っていったらどうなんだ?」
河南先輩が一言呼び止めたものの、出口を目の前にして立ち止まり、振り返らずして呟いた。
「先輩も自分で名乗ってねぇだろうが・・・」
意表を突かれた表情になった先輩に対し、そいつは一人嘆息する。
「1年2組の豊村 昌毅だ。お前と仲良くするつもりはない。じゃあな」
結局そう吐き捨て、そいつは委員会室を後にしていった。
「というか、そろそろ離してくれませんか?」
周囲に静寂さが戻ってきたのを機会に、俺は未だに抱きついてくる委員長に自己主張をした。
「私、人懐っこいのよ」
男を抱く癖があるのを人懐っこいとは言わん。
「くそ・・・」
少し上を見ると、結構な至近距離に顔があることに気づいた。
「人懐っこいレベルではない気がするんだが・・・」
ぼやいたために聞こえなかったらしい。俺の頭を撫でつつ、母性的な声で聞き返してきた。
「ん~?どうしたの~?」
「いえ、なんでも・・・」
色んな所がオーバーヒートしてしまう。
「そんなに気持ちいい?なんなら直接手で揉んでもいいのよ?」
はぁぁぁああああああ!?揉むってなんだよ!?
穴という穴から蒸気が吹き出したと同時に、顔にかかる圧力が一気に増えた。
双丘の先にある小さな膨らみが、頬をより強くつついてくる。
知らなかった・・・。この学院の風紀委員長が、痴女だったなんて・・・。
最後の思考を凝らして昇天しかけたその時、清岡先輩が割り込んでくる声が聞こえた。
「もう!!椿ちゃんが離さないから、龍次君がふやけちゃったじゃない!!」
見てられない!!という感じで委員長を俺から引き剥がしてくれた。
「くはぁ・・はぁ・・・はぁ・・」
長い間吸えなかった新鮮な空気を、肺が必死に欲しがるのが分かった。
「大丈夫?龍次君」
「何とか・・・」
心配そうな声を掛けてくれた先輩に対して、委員長は腕を組みながら不服そうな顔をしている。
「来香ちゃんも強引ね・・・。私はただ、軽くスキンシップをしていただけなのに・・・」
んなわけあるか・・・。「ハード」スキンシップの間違いだろうが・・・。
ジト目を無言で委員長に向ける。
「委員長にも悪気があったわけじゃないから、あまり怒らないであげて?」
「あぁ・・・・・」
先輩はそう言うものの、俺はどうやら「阪上先輩」という人が苦手になりそうだ。
「ふふっ。来香ちゃんってやっぱり優しいのですね~」
すると突然横から目の前に、麦茶の入ったコップが差し出された。
「これは・・・?」
思わず見ると、そこにはいかにもお嬢様育ちって感じの人が、御盆を持ったまま笑顔を向けていた。
「おいしいですよ?」
ふんわりとウェーブのかかったブロンドの長髪が、柔和でほんのりした雰囲気と一緒に揺れる。と同時に、ふっくらと盛り上がる胸元も優しく揺れた。
「どうも・・・」
どこ見てんだよ俺!!
流れというか、何となく受け取ってしまった。そして一口飲むと、上品な香りとひんやりした感覚が俺の喉を潤していく。
「うまいです・・・・・」
委員会室に連れてこられ、さっきからずっと個性的な面子とコミュニケーションをさせられるのは正直疲れた。
ただでさえ会話が苦手な俺が・・・。
「入れたてですからね」
だがその時だけは、俺に優しくお茶を出してくれるこの人がまるで昂哉の言ってた女神様のように思えた。
「じゃあ早速なんですけど~」
ゆっくりと、気風のある動作で上着の胸ポケットに手を入れる。
「早速?」
するとそこから、最近見たのと同じような「石」が取り出されてきた。
「これは・・・?」
そのまま手の平を見せ、確認を促してくる。
「島野先生のお話では、もうこれが何なのかはお分かりになるようで」
同時にそれは、ゆらゆらと内側から光り始めていた。
「確かに知ってることは知ってる。けど・・・」
問題は、なぜ今これを見せたのか。
「了解いたしました」
すると先輩は口の端をふっと歪め、次の瞬間には手の平を垂直に傾けていた。
「あっ・・・」
という言葉が出た時にはもう、それは床の上でガラスのように散っている。
「何をして・・・」
まさに顔を上げた。
「戦いですわよ~?」
「おいで、私のアトラスちゃん」
先輩の合図と共に、石を落とした手から淡い光が漏れ始めた。
「久し振りの外界ですわねぇ~」
空に昇っていくかのように、光の束が何本も上に向かっていった。
「こいつは・・」
片手には御盆。片手には・・・、
「現界」
集まりきった光の束が、上から段々と解けていく。
「偽装、宝剣・・・・・!」
剛毅と言える大剣が、一人の少女の目の前に姿を現した。
まるでアクションゲームに出てくるような、太くて厚いその刀身。
一人で持てるかどうか分からないくらい、それは大きかった。
「よいしょっと」
やはり相当重いのか、剣先を下にしつつ床へ降ろす。だがそれを見た委員長が突然、
「しぐれッ!!床に穴が!!」
と声を荒げた。
言われたところを見ると、確かに先端がのめり込んでいる。
「あらまぁ」
それでも本人は全く動じず、
「大丈夫ですわよ~?すぐに直せますから~」
と気品たっぷりに微笑む。
「ちなみに名前は・・・・」
一応、恐る恐る尋ねてみた。すると鳩が豆鉄砲を食らったように驚き、
「これは失礼しましたわぁ~。私、榎並しぐれと申しますの。以後、お見知り置きを」
ゆったりと会釈をしてきた。
「いや・・・・・」
そんなものを持ったまま悠然とされても・・・。
こっちが聞きたいのは、持ち主の名前よりも先にその剣の名前の方だ。
「これはまた失礼しましたわぁ~。この子の名前はアトラス・ガルシエファーラ。またの名を、『断罪と重責の剣』と呼びますの」
「またの名?」
偽装宝剣には二つの名前があるのだろうか。
そんな疑問を抱えていると、清岡先輩が補足説明をしてくれた。
「龍次君が聞いたであろう私の剣の名前、ヘブンズ・アビスも同じように『仁愛と天命の剣』というもう一つの名前があるの」
「そうなんですか・・・・・」
ということは奴の剣、いや角にも別の名が・・・。
思い出しただけでも腹が立ってくる。いや、これはもう殺意の域だ。
「それよりもですね、龍次さん」
「なんでしょうか・・・?」
その表情、動作を含めた存在の全てが女神みたいに・・・。
「早速、戦いましょうか」
みたいに・・・・・・。
「・・・・・・・・・・・はい?」
「申し上げた通りですわ」
思わず聞き返したものの、榎並先輩の表情は相変わらず和んでいる。
「えっと・・・」
だが根本的なところが解決していなかった。
「それでは行きますわねぇ~」
状況がよく分からない中、目の前に刺さっている大剣から細い光の線が刀身を回りながらゆっくりと出てきた。
「本気か・・・・・?」
場の空気が一気に張り詰める。
「ええ、本気ですわよ」
さっきからずっと持っていた御盆を床に置き、いよいよ両手で柄を握った。
「こっちはまだ武器を持っていないのだが・・・」
戦闘体勢になってもらっても、俺はその石にすら触ったことがない。
「なら、今から出現させればいいですのよ」
笑顔のまま、一気にアトラスを引き抜いた。
「来香さん、龍次さんに石を貸して下さいませんか?」
頭の上へ回すように振り上げながら手を持ち替える。
「本気なのですか?しぐれさん」
事態を危惧しているのか、質問をすぐに質問で返した。
「ええ」
完全にやる気らしい。
「・・・・・・・・・危険な場合、すぐにでも止めます」
いや、今この人を止めろ!!
先輩から意外な言葉が飛び出してきたことに、驚きを隠せなかった。
「了解しましたわ」
と同時に、アトラスをそのまま一気に振り下ろして構える。
「くそっ・・・」
放つ光に眩しさを感じつつも、気づいた時には俺の横に清岡先輩が立っていた。
「これを」
と、俺の手を掴んで例の結晶を渡してくる。
「今は生徒も授業中だから、外で戦えば問題ないわ」
そういう問題・・・?
そして先輩は透き通った綺麗な瞳で俺を見つめ、渡した手を再び握り締めてきた。
「強く、願って」
なっ・・・!
上目使いのその視線に、思わずドキッとしてしまう。
「三度目かよ・・・」
ここまで来たらもう、後には退けない。
「え?」
聞こえていないのか、先輩が頭の上に?マークを浮かべている。
「とっとにかく、軽い手合わせしかやりませんよ?」
俺は焦って榎並先輩の方を向いた。
「もちろん、そうですわぁ~」
さっきより光が増してる気がしつつ。
「離れてください、先輩」
静かに後ろへ下がってもらう。
「いい目付きですねぇ~」
瞬間、先輩の握る手に力が入った。
「それじゃあ、今度こそ行きますわよ」
そしてそのままアトラスを重そうに振り上げる。
「くそっ!!」
俺は、思った。
「当たらないように避けてくださいねぇ~」
こんな武闘派の女性は・・・。
「それおかしいだろうが!!!」
「えい!!!」
絶対に女神なんかじゃない。
イミテーション・タッド