向かい側のアイツ

 目の前に、俺が長年憎んできたヤツがいる。

 コイツは俺から時間を奪いやがった。おかげでこっちは身も心もボロボロだ。

 ヤツは向かい側の席について、ニタニタしながら俺を眺めている。高みの見物というわけか、面白い。

 今まで何度も文句を言ってやろうと思った。ぶん殴ってやろう、いや、殺してしまおうかとも考えていた。しかし、それは出来なかった。

「それで、君は僕に何の用かね?」

「いい加減、俺の前から消えろ!」
 はっきり言ってやった、それも、デカい声で。周りの他人がこちらを見た。2度見した。

 ヤツは俺の恫喝に全く応じず、笑ってコーヒーを啜ってみせた。

「君が僕を呼んだんじゃないか。君が来てほしいって言うから、一緒に居てほしいって言うから、僕は君についてあげているんだ」

「ふざけるな! 俺が呼んだだぁ? そんなことをしたつもりはねぇよ! お前が勝手に上がり込んで来たんだろうが!」

「面白いことを言うなぁ、君は」
 ヤツは店員を呼ぶとパンケーキを注文した。店員は迷惑そうな顔で注文を聞き、足早に俺達の席から離れて行った。そら見ろ、赤の他人からも嫌われてるじゃねぇか。これは良いカードだ。早速ソレを利用してアイツを虐めた。

「どうだ? お前を嫌ってるのは俺だけじゃない。世の中の全員がお前を嫌ってるんだ!」

「ほう」

「お前は人殺しだ。これ以上何人殺せば気が済むんだ?」

 そう、コイツは人殺しである。それも、殺した人数は1人や2人ではない。あの手この手を使って、沢山の人間を苦しめるのだ。別に何かされたわけではない。コイツは楽しくて他人を拷問しているのだ。俺も危うく殺されるところだった。

 だが、もう怖くない。今日、全てを終わらせるのだ。

 店員がパンケーキを持って来た。ほら、やっぱり不満そうな顔をしている。ヤツはそんなことには全く気づかず、満面の笑みを浮かべている。

「とっとと消えろよ殺人鬼。お前にはなぁ、この世界に住む資格なんて無いんだよ!」

「おい、君も睨まれてるぞ?」

「うるせぇ! もうここには来ないから問題ない。何しろ、ここがお前の最期の場所になるからだ」
 俺がそう言うと、ヤツはナイフを取り出して俺に向けた。しかし、それを使って俺を殺そうとすることはなく、手元のパンケーキをひとくちサイズに切り始めた。

「僕を殺すことは、出来ない」

「ぁあ?」

「僕は不死身なんだ。そうだなぁ、君が死ねば、僕は君からは離れるだろうね。でもそうなったら他の人間に憑くだけだ」

 コイツの面倒な点の1つ。ヤツは死なない身体を持っているのだ。俺がコイツを殺せなかった理由だ。どんなことをしても、どんな凶器を使っても、コイツは絶対にしなないし、解放してくれることもない。解放される方法も無いわけではない。最も簡単な方法は、自ら命を絶つこと。そうすればコイツは離れて行き、別の宿主を探し始める。

 いくら俺でも、自分の命を絶つほどの度胸は無い。だから、難しいやり方で戦うしかないのだ。例えば今みたいに、問題が解決するまで対話する、とか。

 今回初めてヤツに本心をぶつけようと考えたわけだが、やはり相手は手強い。正論を引っ張り出して俺を諭す。コイツは頭が良い。性格さえ良ければ、そして狂った趣味さえ無ければ万人から好かれただろうに。勿体無い。

 パンケーキを食べ終えると、ヤツは口を拭いて立ち上がった。

「おい、何処に行くんだよ?」

「話しても無駄だ。答えはとっくの昔に出ている」

 最後にひと言、ヤツはこう言った。

「君の意志が弱いんだ」

 ヤツは消えた。レジへ歩いて行ったのではなく、文字通りパッと消えたのだ。

 周りの他人が口々に何か言っている。

「ねぇ、アイツおかしいんじゃね?」

「1人で喋ってるよ」

 何を言われても構わない。俺は最後まで戦うんだ、不眠症という名の死神と。

 伝票を持ってレジへ行き、アイツの分の会計を済ませた。

向かい側のアイツ

 先日、心理カウンセラーの講座に参加して、色々と知識を得た。その中に、「エンプティチェア」というものがあり、今回の話を思いついた。
 ちょっとゾッとするラストにしたかったのでこのような話になったが、本来は人の居ない部屋でやるものであり、悩みの解決の他、心の癒しにも繫がる療法である。

向かい側のアイツ

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-10-20

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