practice(13)




十三




 鉄のロボットの方はリュックサックから転げ落ちて,水圧で保たれた新天地での生活を始めることしか頭にないようだった。だってその体は青いから深い底の青に早くも消えて馴染んでる。左手の関節がよく回らなくなってるから気を付けて欲しい。あとサボって錆びたりしていてはいけないよ。
 水面を行く僕たちに,しゃがんでいる暇はない。チャポンと落ちたその一点の周囲を回って言うさよならは,端から見るとお別れしているように感じられないんだと想像してる。でも姉さんはその場で沈んだりしないように足踏みを繰り返して僕を待ってくれて,父さんと母さんは地平線に朝の起伏を加えながら左から右,右から左へと二人の散歩を続けてくれてる。振り向かないのが二人の優しさなら,じっと見つめる姉さんのそれは経験に基づく心込めた叱責なんだと思えるようになった僕は誕生日を昨日終えた。鹿の冴えた考えに,触れられるとしたら昼過ぎの予定になってる。




 僕らがこうしてる湖面は一面として澄んで,森も遠く緑の定住を続けている所だ。リュックサックの手入れのために寄る,容れ物みたいなそこの木陰の村では二泊三日の滞在中に色んな生き物と生態を習って置いてくことが古くから宿賃の代わりとなって守られている。姉さんと僕は一時の地面を楽しんで日暮れまで遊び,同じく森の散歩を楽しんでいた父さんと母さんと合流して水面に帰る生活を送っていた。その帰り道によく会っていた影の群に魚みたいな尾びれが付くようになって,それを掬って捕まえては大切に育てて暗がりに返してた。それを狙って差し込む陽の光とは,その頃が一番多く喧嘩をした。
 森の中で,『見たこともない凧』に『翻すこと』が連れ去られて問題になっていた頃だ。方向を決める森の矢印が固定されて苦しんでいた。風が吹いても向き一つ変えられず,僕ら家族のように水面から森へ入ろうとする者だけでなく,森に住んでて帰って来た,帽子売りの若い青年が森に入れずに途方に暮れて困った。穏やかな風に乗って届く森の中の様子はとにかく楽しげな声ばかり伝わって来るのだけれども,それしか伝わって来ないことに,湖面の掃除に励む叔父さんは枯葉を老木に渡すように集めて訝った。悲しむ声だって,勿論村にも森にもあったのだ。
 例えば姉さんのような人は,それをどうにかしたいと考えていたみたいだった。
 水面を歩みながら,断固と反対する父さんは珍しかった。父さんは「良いんじゃないかな?」と母さんに相槌するような許しを与えるのがいつもだったからだ。その頃に小さかった僕は歩みながら,母さんの後ろに隠れて姉さんとのやり取りを足の隙間から覗きながら聞いていた。同じように歩みながら後ろ手に組んで,母さんも少し震えているようだった。足を掴む力を,僕はますます強めた。
「私たちなら見つけて来れる。そうすれば問題はすぐに解決,すぐに皆が無事に暮らせるじゃない。それのどこが悪いの?何でダメなの?」
 そう言って歩む姉さんの足下で重なる波紋が湖面を渡っていく。消えたままに帰って来ないのなら,僕が父さんと母さんから教わったことから,姉さんの言っていることは良いことでないと湖面が言ってることになる。帰って来ない波紋は森の向こうで掃除をする叔父さんに掃除する対象のものとして集められて,使えるものは有効利用されるんだそうだ。広がるあの形は曲げ易くて,ハンガーみたいに洗濯物を干すのに役に立つというから。
 歩みながら父さんは落ち着いた声で姉さんに言う。
「僕たち家族は水面を行かなければいけない,というのこうして分かるね。だから余程のことがない限り,森の中のことは僕たちが触れちゃいけないことになる。許可された期間も既に経過して,滞在することも叶わない君が出来ることはない。それがまず一つ目の理由。もう一つは『見たこともない凧』のこと。穏やかな風に乗って聴けば,梢が調査にあたっていて,どうやら意味はきちんとある。勝手気ままに,足を踏み越えてはいけない。」
「そんなことない!こっちにも,きちんと意味はある!」
 乱れる波紋に大きく押されたのが先立ったように,姉さんは負けずに怒鳴った。静かで何もない湖面で生じればすぐに帰って来る波紋がまだ帰って来ない。姉さんは,靴ごと足から少し沈み始めていた。きっと冷たさも感じているはずなのに,姉さんの顔にそれに気付いてる素振りが無い。それを感じている母さんは,きっと止めたかったと僕は思う。
 たった一回,『パン』っと手を叩いた父さんの音が森まで渡って木霊した。森の方から始まったような一つの波紋が帰って来て湖面が鏡のように真っ平らに整った。姉さんは少し浮いて,お尻を打ってた。代わりに足のどこも沈んでない。それで姉さんは少し黙ってしまった。父さんは「大丈夫かい?」と,振り返って歩みながら心を配った。
 立ち上がり,歩みを始めて父さんを追い越して振り返った姉さんは,父さんのそれを受け取らずに怒って,歩みながら針を刺すように父さんの目を見つめていた。父さんはそんな姉さんから目もそらさずに近くにそれを置いて,歩み続けながら言った。
「納得しないのはいいよ。でも,勝手なことをするのは駄目だ。今のでも分かるね?僕らは水面を行くんだ。」
 それを聞いて姉さんはリュックサックを握り締めて,反対方向に振り返って歩み出した。父さんの心は置いてけぼりになって,少し蹴られた。僕と母さんが歩もうとした地点に滑ってきたそれは水面から沈もうとした。一番近くでそれを手に取れた僕は,母さんの足下から離れてそれを手に取った。『パズルの形をしたそれに当てはまらない事は無い。』。ブリキで出来たロボットの兄が,僕と遊ぶ中で鉄製の弟にいつも羨ましそうに最後に言うことだった。僕に教える意味でも言っていたのだと思う。当てはまらない事は無い。パズルの形をしたそれには。
 僕はそれを持って姉さんを追い掛けたことに,父さんも母さんもそれを止めるための何かを言葉にしたようだったけれども,湖面側にその日,初めて吹いた大きな風に『見たこともない凧』があおられて今度は湖面側に在るものに『翻ること』をさせなかった。その時湖面の上で,僕は姉さんを追いかけて,姉さんは反対方向に歩みを続けていた。




 一度だけ,何も言わないで父さんとは母さんと出会った場所を通り過ぎたことがある。何も無い水面の上の出会いだったから父さんも大まかにしか把握できていないという父さんの言い訳でもなくて,止まれないはずの水面の上で,上を行く雁の編隊を驚きを浮かべた母さんはその場で足下から沈んでいっていたのだ。驚く展開に父さんも歩みを止めて,同じように水底へ沈んでいけば見つけた母さんを掴んだ父さんの,ほんの初歩的な泳ぎによって奇跡的に水面に浮上出来たのは今も父さんには不思議で仕方が無いことらしい。お互いにリュックサックも背負って,服も濡れて重くなる中でそのまま顔を見合わせた母さんは父さんに,「あの雁,見えましたか?」と問い掛けた。「それよりも,」と注意しようとした父さんに母さんは見えない視線を送っていた。母さんは雁の編隊を感じて,それを探そうと夢中になっていたようだった。自己紹介から始めようとして,自己紹介をすることが出来ずに水面の上に立った二人は,森まで歩いて一緒になった。見ないで感じて歩む母さんに,父さんは歩みを合わせる。それは今も変わっていない二人のことだ。「風邪は引かなかった?」と聞いた僕に,「当然引いたよ。」と答えた父さんは足下を何度か確かめながら「ここら辺だったかな?」と,何故か僕に聞いた。水中まで経て,そうして僕たち家族は始まっていたのだった。
 



 水面を行く生活は準備がとても大事になる。気温の変化に対応出来るように重ね着をするのが僕ら家族の基本にする格好だったし,リュックサックには二三日分の軽食なども入っている。眠る時は森で過ごすから森で過ごすためのキャンプ用品は整っているのが普通だった。その日も同じで,だから御飯は歩きながら食べられるものを食べれば良かったけれども,湖面で眠ることは出来ない。だから姉さんの名前を何度も呼び続けた。もうすっかり夜だったから。
 名前を呼んでも振り返らない姉さんは初めてで,僕はずっと後をついていった。心配というのもあったけれども,ここまで来ると自分の不安が勝っていたかもしれない。歩む歩幅が大きく,歩みが僕より早かった姉さんも隣に並ぶようになって来たのは疲れた姉さんに追い付いたのか,僕に姉さんが合わせたのかは分からない。でも,お互いに不安であったことは当たってると思う。どっちからとも言えるタイミングで手を握って,僕は右手でパズルの形を崩さないようにして,上下に動く姉さんのリュックサックの音を自分のものと区別せずに聞いていた。夜になっても休まずに湖面の一点を真っ直ぐに進むんでいた姉さんに僕は「帰ろう?
」と聞いた。姉さんは珍しく一回で「うん。」と頷いた。僕らはそれから帰ろうとした。
 波紋は浮かんでもすぐに消えて,多分僕も一緒だった。怖さと後悔とためらい。姉と弟の二人ぼっちの歩みには何も言わない静かさを味方に付けられるだけの術が無かった。『見たこともない凧』も見えない暗やみの中で笛吹き番の笛だけだが森から聞こえれば,姉さんから泣き始めて僕も泣いた。並んで改めて手を繋いだのは,どちらからだったのかはよく思い出せない。
 振り返れて,そのままに気持ちの上では戻ろうとしていた姉さんと僕は,でも見当違いの方向に進んでしまっていたようで帰れない。森の稜線,見える星から父さんと母さんと別れた場所へと取り敢えず帰ろうとしていたのに,歩んでも歩んでも変わらない。動けているのに,固定されているようで,何度も手を握り直す姉さんと僕は不安で仕方なかった。このまま帰れないかもしれない,今夜は森で二人で過ごして,仲直りは済ませている陽の光で照らされる湖面の上で,水面を歩んで父さんと母さんを探すべきなのかもしれない。でも判断出来ない。姉さんと僕には,その判断が出来なかった。
 判断は遅いと良いことがない,というのは水面を行くものに伝わること。水面を行くものとして会ってはいけないと,父さんと母さんからも聞かされていた銀の鱗の一口象の振動音に近付いていた。
 会えば直ちに絡め取られる。鼻で打たれて踏み潰される。一片が大きく鎧のように銀の鱗をぶつけて歩くその象は現象として行為に及んで現象として朝には消えるそうだから,とにかく夜に出会わないことが人に出来ることだった。でも出会おうとしている僕たちはこのまま象とぶつかろうとしていた。
 ドスン。単調に,心に大きく響きを感じさせるそれはまだ遠いのか近いのかの判断から奪うもので,僕たちの歩みを早めるものだった。手を握る力を強めて,段々と走り始めていた姉さんと僕は,でもまだ上手く水面を走れずに,靴を水中に触れさせながら,けれど音から逃げることが出来なかった。音の中を走り回っているように,音の壁に跳ね返されているように方向を何処に変えても音がもう付いて来ている。ドンドンと大きくなってくる。それなのに湖面は全く揺れてはいないから,象には本当に悪気があってそうしてるわけではないのが,それから分かる。
 湖面はそこに応えて,象はただただ歩んでいるのだった。
 先立って食べられたような音の中で,何処に走っても同じ大きさに迫られて,姉さんは僕を抱きしめてから歩みを止めて,「ごめん!」と言った。それで僕たちは少しずつ沈み始めて,シャンという影が頭上の方から現れ始めていた。
 そこに当てはまらないパズルは無い。だから,現象として説明がつかないことも無い。後から聞けば,持っていた僕のせいらしい。配られたそれは一定の時間と距離を経てからきちんと離れて『物』のように振舞えば,確かな硬さで人を支えて,思い出の紛い物のようなものを生じさせる一面があるという。普通なら,人の手にすぐに渡るか湖面の深さに沈むものだから,その夜のもうひとつの現象は本来ならあってはならないことだった。
 姉さんと僕のすぐ手前でトプンっといった湖面の変化が,縦にただただ伸びていって大きな水柱になったかと思えば,大きな影がガシャンと飛んだ。夜を背景にキラキラ輝く大きな影は確かに一頭の象にしか見えなかった。起こっていることを少しでも分かろうとして見た水中で,編隊を組んだ暗がりの鳥たちが飛んでいて,リュックサックのような膨らみを持った一つの水泡がその後を追って消えて,また生まれる。勢いを増すから巻き込まれないようにと姉さんと二人で後ずされば,三回目に生まれた水泡が水柱に押されて,象を巻き込み空に浮かんでたった一回で細かく弾けた。暗がりの鳥たちも引き続き飛び出して,こちらは消えずに編隊を組んで森の方へと飛んで行ってしまった。しばらくバシャバシャと出ていた水柱はまた沈み始めてことを僕らに気付かせて,歩み始めたときには勢い弱めて収まり消えた。僕の右手のパズルの形も,当てはまるように消えていた。
 一つの音も無くなって,父さんと母さんが僕たちを見つけるまで,沈まないようにぐるぐると歩みを続けて,姉さんと僕は助かったことに気が付くまでそこから離れることが出来なかった。結果的にはそれで良かったのだけれど(父さんと母さんは水柱に気付いて駆けつけてくれたから),安堵してまた泣いて眠るまで,姉さんと僕は手を繋いで何も聞かない父さんと母さんには起きてから食べた朝ご飯の前に,飛んで行った鳥の話から始めたのだった。
 『見たこともない凧』は鋭い鳥の無数の羽ばたきに切られたように落ちた。固定された楽しみは自由になって,森の中でも遊んだりしていたようだけれど清掃にあたっていた叔父さんの箒が折れてしまい,双子みたいに仲良しの野苺が喧嘩して,自分たちから人に取って貰って二度と出会えないように別れたそうだ。森の中で台帳を記すメガネを忘れたフクロウが,昼に近い朝の中で父さんにまず風に乗せて伝えたそうだ。
 



 そして母さんは付け加える。
「風邪は一つでも引いておくものね。こうしてあなたたちとまた会えて,家族することになったんだから。」




 そんな日に晴れる陽射しを横切る影に,解説をしてくれたロボットはもう他にいない。
 「もういいよ。」と声を掛けて姉さんより先に歩み出した僕に気付いて,父さんと母さんも前へと歩み出す。姉さんは僕のすぐ後ろに追い付いて,リュックサックのチャックを締め直してくれた。グイッと二三度引っ張られる。それから姉さんは僕を追い越して,珍しく足下に波紋を残した。「姉さん,太った?」と僕が聞く。「あり得ない。けど,何で?」と姉さんは聞き返してくる。波紋が広がり去って行くままに足下から指先を森が在る向こうへと連れて行く。姉さんはそれを目で追って,バツが悪そうな気持ちを浮かべた。「優しいね。」と父さんが言えば,笑顔のままで母さんは感じたように姉さんに近づく。「同じ経験は皆にあるもの。」と母さんはひとり言をするように姉さんに聞けば,「ふん。」と姉さんはそっぽを向く。
 僕は姉さんに「姉さんは何を落としたの?」と聞いた。姉さんは「教えない。」とそっぽを重ねた癖に,思い付いた事を早速伝えようとわざとらしく僕の隣に並べるように歩む速度を落としてから,姉さんは僕に聞いてきた。
「ねえねえ,鹿の冴えた考えに会えたらさ,何をまず考えるの?」
 あの時から経った月日を足してもまだ追いつけないその背丈は,まだ僕が負けている事実になってる。正直に悔しい。いつか見下せるその日を思って,僕は姉さんに答えてあげた。
「素直じゃない姉さんの曲がった心を,どうしたら真っ直ぐに出来るかを考えるよ。」
 位置関係を利用して,思いっ切り肩を強く叩いて姉さんは,「可愛くない弟!」という評価を投げつけるように言った。それを素直に受け止めて,僕はもう一つ付け加える。それは一定の距離にある父さんと母さんの後を追うように二人の耳にも届いたようだ。歩みながら振り返った父さんは「良いんじゃないか?」と母さんに聞き,僕の気持ちを感じながら父さんの側で歩みながら「冬はやめておいた方がいいわ。」と言った。姉さんは呆れた顔を見せつつ,口元は笑って「じゃあさ,」と言って僕に,「あの時はアリガトねと,お尻を叩いてゴメンナサイって言っといて。」とたった一つのお願いをした。
 それに僕は大きく頷いた。水面を行く,そのことを続けながら。







 

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-10-20

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