薄桜鬼(改想録≠メモワール) 藤堂平助編2
老桜と青年
俺がその桜に出会ったのは、江戸から上洛してきて、しばらくしてからのときだった。
樹齢200年ほどの立派な彼岸桜で、西本願寺という寺の境内の隅に、何本かの桜の木と共に植えられていた。
幹は太くどっしりとして、根は少し土から持ち上げられるようにして勢いよく地に這い出ている。めぐらされた枝ぶりは繊細で、しなやかに天へ向けて細い枝を何本も伸ばしている。
一見すると他の桜と特に変わったところはないのだが、花の咲く時期が近づくと、その桜が明らかに他と異なることに気がつく。
というのも、彼岸桜というからには普通、彼岸に咲くはずであるのに、そいつは、むしろ寒桜のように、まだ寒い如月(二月)の頃に、真っ先にその花を咲かせるのだ。
まだ梅が咲いている時期とほぼ同時期に、不気味なほど白い花びらを枝いっぱいに纏う。
そして、他の桜が咲き始めるときにはすっかり散って、青々とした葉を繁らすほどだ。
寺の者は、珍重がって大切にしていたようだったが、
地元の人には、戦乱の時代に、この桜の木の下に死体がたくさん埋められて、それを養分にしているんだとか、この桜の下で果てた落武者の怨念が早咲きさせているんだとか、散々に言われて、とかく気味悪がられていた。
だけど俺は、最初にこの寺に来たとき、その姿にいたく心を打った。寒々しく、まだ白いものがちらつく季節に、風花と見まごうような桜吹雪が柔らかく宙を舞っていて、思わず魅了された。
また、寒さに負けず花咲かす様は、不気味というより生命力の強さを感じさせた。
寺に来たきっかけは、仕事でだった。
西本願寺は、旧くから反幕府勢力の長州藩と結びつきが強い関係にあり、一度、内部を改めるように会津藩から達しがあったからだ。
とはいえ、この寺は京の寺のなかでも権力があり、位も高いため、余所者の俺らなんかが無粋にあれこれ取り調べできるわけもなく、大したことはしなかった。
寺の住職が、隊士のなかに俺の姿を見つけると、京人が余所者に見せる、とってつけたような愛想笑いをつくって、
「あなたは…いや聞いてはりますよ。藤堂平助さんでしょう。」
と、話しかけてきた。
「まだお若いのに、相当な手練れやって…
なんでも、誰よりも真っ先に相手に剣を打ち込んでいくもんやから、魁(さきがけ)先生、なんて呼ばれてはるとか。」
「はぁ…まぁ。」
俺が警戒しながら曖昧に返事を返すと、住職は柔和な笑みを浮かべ、
「境内の桜を、お見んなはりました?
そんなかに、まだだーいぶ寒いっちゅう時分に、花咲かしよる桜が一本ありましてな。」
と言って、ゆるりと境内の方へ顔を向ける。
「その桜も、春に魁(さきがけ)て咲く桜っちゅう意味で、魁桜(かいざくら)て、呼ばれてはりますねん。」
それから俺は、その、自分と同じあだ名のついているという早咲きの桜が気になり、春が近づくとひとりで愛(め)でに行くようになった。
仕事でもないのに寺を訪ねてくる俺を、住職は嫌がるでもなく、歓迎するでもなく、相変わらずの愛想笑いで出迎えたが、
境内の魁桜はいつでも待ちかねたように満開で、風にまかせてたくさんの花びらを空へ放っていた。
その毎年変わらぬ美しさが、隊務で日々休まらぬ心を、つかの間癒した。
そうして眺めていると、まるで仲間のいない孤独な桜が、同じ気質の俺を仲間とみなしているような気がしてきた。
他のどの桜よりも先に、春を知らせるその桜を、春を待ちきれない自分に似ているなと思って、見上げていた。
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私がまだ100年くらい若かった頃、この場所の水と空気はとても澄んでいました。
息苦しい排ガスを放出しながら道路を駆け抜ける自動車も、夜中に昼かと思うほど煌々とした光を放つ蛍光灯もありませんでした。
ですから、私はもう200年余りの老木だというのに、内に秘めた生命の躍動を抑えきれずに、まだまだ成長する気でおりました。
それゆえか、私は春が近づくと、仲間達よりも真っ先に花をつけました。
人間達はそんな私を気味悪がりましたが、たまに私のことを気に入って、花を愛でてくれる変わり者もおりました。
そのひとりが彼でした。
名を、藤堂平助といったでしょうか。幕末に組織された、新選組という武装集団のなかのひとりでした。
さぞや荒くれ者なのだろうと思っていましたが、彼は意外にも心優しい青年で、毎年桜の季節になると、私に会いに来てくれるようになりました。
私には耳、というものがありません。まぁ、木なんですから当たり前なんですけれど、その代わり、流れてくる様々な思念を感じとることができました。
仲間の木々や、人間達、鳥達、その他の生き物達などから発せられる思いを聴くことができたのです。
だから、耳を…いえ、心を静かに澄ませていると、色々な声を聴くことができました。
京で起こっていることは、だいたい知っていました。もうすぐ、ここで大きな闘いが始まろうとしていることも、私は感じていました。
そんな時代のなかで、彼はある決断を迫られているようでした。
なにやら人間たちの複雑な事情のようですから、詳しいことは私には解りません。
ただ、迷い悩み、不安にかられているその姿は、私にはなんとも歯がゆく、いかにも若々しい青春、といったものでしたから、なんだか眩しく思いながら見守っておりました。
あるとき、寺の坊主達がなにやら騒々しいので、いつものようにそっと心をそばだてていると、
「新選組が我が寺を屯所に決めたらしい」
という知らせを、囁きあっているのが聞こえてきました。
それからほどなくして、坊主達が言っていた通り、彼らが大所帯を引き連れ、寺に越してきたのです。
当然、藤堂平助もそのなかにいました。
私は、彼が来てくれてとても嬉しかった。
私の桜を愛でてくれるから、というのもありましたが、彼がこの先どんな決断をして、どのように生きていくのか、実は興味がありました。
最初に根を張った場所から一生動けない私には、ひとりの人間に興味を持っても、追いかけて最後まで見届けることはできないですから、向こうから来てくれるというのは、願ってもないことだったのです。
そしてついに、その日彼は、彼の運命を分かつ決断をしました。
私がちょうど、そろそろ花を咲かしてやろうか、どうしようか、なんてそわそわしている時期でした。
やがて満開の花を咲かせた朝、私の下に、彼はいつものようにひとりでやってきました。
ただ違うのは、いつもより少し表情が固くて、わずかな荷物をその手にぶら下げていることでした。すると、
「平助くーーん!!」
向こうの方から、可愛らしい女の子がぱたぱたと走ってくるのが見えます。
「……千鶴。」
彼はその女の子を振り返り、独り言のように名前をつぶやきました。
彼女は新選組に居候しているらしい女の子。見た目には男の子のように装っていましたが、私にはすぐに女の子だとわかりました。
なぜなら、彼女の姿を目にしたとき、彼の心がほんの少しざわついたのを感じたからです。
「あーぁ、見つかっちまったな。まだ、寝てると思ったのに。」
「…もう行くの?」
「…あぁ。短い間だったけど、お前には世話になったな。」
「そんな…私こそ。
…また、会えるよね?」
「んー…そうだな。
わかんねぇけど、また会えるといいな!!」
無理矢理に笑顔をつくって、彼女に別れを告げる彼を見て、私はやきもきしました。
もし私に口というものがあったなら、告白するなら今なんじゃないの、なんて、余計なことを口走ってしまうところです。
「……」
千鶴と呼ばれた女の子の方も、なんだか他に言うべきことがあるようで、でも言えなくて、逡巡するような顔つきをしています。
そのうちに、はたと彼女は彼の後ろへと視線を飛ばして、私の方を見ました。
「……!!
…すごい。もう、桜が咲いてる。」
彼も、彼女の視線を追って私を見やり、
「あぁ、この桜、魁桜って言うんだ。」
「かい、ざくら…?」
「そう。春にさきがけて咲く桜って書いて、魁桜。」
「…そうなんだ。じゃあ、平助くんと同じなんだね。」
彼女は寂しさを隠すように笑いました。
それを見た彼は、私にもはっきりと分かるほどに心が乱れ、ひどく悲しげな表情をしたのです。
「…じ、じゃあ、昨日お別れは済ましたし、もういいだろ。
…俺、行くよ。」
ぎこちなくそう言って背を向ける彼に、また彼女が声をかけます。
「…わたし、私また、平助くんに会いたいな!!
会いに行ってもいいかな!?」
彼は、背を向けたまましばらく黙っていましたが、にっと笑って振り返ると、
「…ばか。いいわけねぇだろ。土方さんに殺されるっての!!」
笑いながら叫ぶように言いました。
しかし、彼女も負けじと声を張り上げます。
「大丈夫だよ!!私、土方さんに話してみる!!」
彼は苦笑いしながら、でもやけに嬉しそうに言葉を返します。
「…ったく!!来るんなら、見つからないようにしろよな!!」
そう怒鳴るように言うと、今度こそ踵を返して、走って行ってしまいました。
彼女は、彼の姿が見えなくなるまでその場で見送っていました。
そして、彼の背中が寺の石段の下へと消えていくと、ぼんやりと私の方に目線を移しました。
彼女はそっと私に近づき、舞い落ちる桜のひとひらひとひらを、じっと眺めます。
彼女から、とても寂しい気持ちを感じました。
この季節の朝は、まだ春には程遠い、凍えるような風が吹いてます。その風が、彼女の頬を撫で去るごとに、その薄紅の肌色を奪っていきます。
真っ白な彼女の横顔を見て、もう、なかへお入り、と声をかけたかったのですが、しゃべる口を持っていませんので、代わりに枝を彼女の上へと広げやり、たくさんの花びらを降らせました。
私も、彼がいなくなって寂しいと思いました。
藤堂平助は、遠く江戸からやってきて私と出会い、思いがけず私の近くで暮らし、そしてまた、どこかへ去っていってしまったのでした。
薄桜鬼(改想録≠メモワール) 藤堂平助編2