傍観者の視点
遺体の写真がSNS上に出回っている状況に対して疑問を感じたので筆をとらせていただきました。よろしければ読んでください。
誰も助けちゃくれない。
人間は往々にしてとんでもない現実離れした現象に出くわすと、咄嗟の行動が取れないものである。それは至って普通のことであり、ごくごく一般の対応である。一般の常識から外れたことに対する咄嗟の対応など、普段どれだけ考えていようとも起こりうる確率は限りなく低いし、またそれの発生する日時がわかるわけでもない。こういったアクシデントに対する人間の反応は、ほぼ一般化している。「無視」の一択だ。
たとえば自分の頭上にあるあの高層ビルの、点検をしている男が強風にあおられて転落したとして、それが自分の目の前で起こったとして。男を助ける人間などほとんどいないだろう。大抵の人は「起こりうるはずのない出来事」に対して咄嗟の反応ができない。また、そこで思考が停止してしまう。思考が停止したあとにできることなんて、せいぜい騒ぐかはやし立てるかくらいだろう。その騒ぎがおさまったところでやっと、人々は行動しだす。しかるべき機関への連絡、自分の予定の確認、友人知人への報告、あるいは目の前の状況をすべて「なかった」ことにする。そういった過程を踏まえて、ようやく男は大多数の他人の目を離れて病院へ運ばれる。そのときには、男はもう死んでいるだろう。
今日は風が強い。時計をみるといつもより5分程度遅れているのがわかる。誰だってそうだ。いつも行動原理の基本は「自分」で、その次に「知っている他人」最後に虫けらや動物と同等なのが「赤の他人」だ。人間はいくら利口になろうと、愛情や知性をもちあわせていようと、自分と天秤にかけて「赤の他人」に自分の人生の時間をくれてやるほどやさしくはない。それが社会で、世界なのだから。
普段どれだけ人が良くても、自分が急いでいるときに赤の他人を助ける余裕がいつもある人間などいるのだろうか?それは損をしているだけなのではないか?いくら自分が他人の情に厚い人間でも、赤の他人が助けを求めている状況で、さしのべられている手を毎回、毎回取っている人間などいるのだろうか?「親切な他の誰かがきっとどうにかしてくれるだろう」そう思ってみて見ぬフリをするのだって、人生では起こりうることだろう。
ほら、この今俺の前の状況だって。
割れたガラスの米粒のような一粒が足の甲に乗っかっている。不機嫌そうに携帯電話をいじっていた隣の女子高生が間の抜けた顔でそのまま携帯電話を持ち替え、パシャリとシャッターを押す。俺も釣られるようにしてなんとなく携帯を取り出し、シャッターを押す。それに同調するかのようにみんな、みんなシャッターを押す。
突然だった。俺の前の前に並んでいたOLらしき若い女がふらり、と揺れたかと思うと次の瞬間電車がきて、そこにOLは居なくなって、鈍い音とともに砕けたガラスが飛び散っていた。人身事故だった。
ざわざわと騒ぐ人ごみの中にアナウンスが流れ、やっと人々は停止していた思考を巡らせる。自分も時間を確認し、遅延証明書をもらいにいく列に混じるようにしてぞろぞろとホームを降りる。
なんとなく浮ついた、現実味のないこころもちで会社について仕事をはじめると、隣のブースの女性社員が今朝の事故について同僚と話している。普段使う路線であっても、自分の身近で起きた事件であっても、人が死んでも、たった何時間でそれは風化し、「そこで人身事故があった」という事実しか人々の記憶には残らないのだ。明日になれば電車は通常運行するし、人々も昨日あったことを忘れてみんな何食わぬ顔で出勤する。人間というのは、そういう生き物なのだ。そういう、冷たい生き物なのだ。
しかし、嫌なものを見てしまった。携帯電話に残った画像には、自分がなんとはなしに撮った砕けたフロントガラスと、そこについた血の画像が残っている。昼休憩に見たSNSにはやはり似たような画像が上がっていて、閲覧者も結構居たようだった。赤の他人に差し伸べられる手はあんなに少なかったのに、死んでから文句や倫理を述べる人間は、いくらでもいるということだ。ちらりとみえた女の首筋には、ネックレスが揺れていた気がする。誰かから貰ったものなのか。自分で買ったものなのか。そうして女がそうしてそれを身に着けているのか知っているはずの彼女の知り合いは、どんな気分で、今どうしているのだろうか。
……やめよう、こんな不毛なことは。結局今日は仕事がそれほどはかどらなくて、家に仕事を持ち帰る羽目になったのだ。赤の他人に対して考えをめぐらせるよりは、効率よく明日の朝までに上司用の書類を用意することについて考えたほうがましだ。そうやって、効率よく、生きていかねば、自分だって。
「効率よく?人生においてあなたは随分と時間を使いたくないみたいね」
ふと、ホームの、自分の後ろからくぐもった女とも男ともつかない、中世的な少年のような声が聞こえて、背中に軽い衝撃を感じた。ああ、電車を一番前で待つときは利き足を少し前に出すといいんだっけ。でもそれって何のために?押されないように?こうやって押されないために?けれどそんなこと起こりえないじゃないか。そんな「非日常的」なことなんて。
「いつも自分が危機的状況に陥るとは考えていない。だからその対処もできない。人間っていうのは案外滅ぼすのが簡単な生き物だよ」
痛い、体が動かない。電車に跳ね飛ばされた衝撃でうまくホームの下まで転がり込んだはいいが、体が動かない、あちこち痛い。しゃべれない。目の前の霞む視界に、人影が見える。声は俺を突き飛ばしたやつと同じように聞こえるがそんなことはどうでもいい。痛い、痛い。俺はまだ生きている、助けてくれ。と声にならない声を出す。
「人間を最初に滅ぼせっていわれたとき、私が考えたのは『人間とよくにた人種』を作ることだったんだ。そうして奴らを紛れ込ませて、人間に本来備わっている『種を守るために赤の他人に情をかける』という部分を薄くしようと考えた。あっけないね。増え続けた奴らは数の多さで人間の「協調性」を利用してどんどん人間は血の通っていない生き物になっていった。現にこれさ。君がここに落ちたことも、君を助けようとする奴らも、いない」
視界の端に強烈な光が、いくつも、いくつも光る。しばらくしてそれが携帯のカメラのフラッシュだということに気づいた。やめろ、やめてくれ、俺のこんな姿を撮る暇があるのなら、助けてくれ。必死に出そうとした声はかすれて、ヒューヒューと喘息のような息が漏れるばかりだ。それに気づいたホームの上の人たちは顔をしかめ、どよめき、また一斉にフラッシュが焚かれる。やめろ、やめてくれ、助けてくれ。そんな、こんな俺を撮らないでくれ。
「自業自得だよ、人間」
横に居るはずの俺を突き飛ばした人影は、そう吐き捨てるとまるで誰にも見えていないようにつかつかと歩き出す。やめてくれ、おいていかないでくれ。君が誰でもいいから、誰か、誰か。
「かわいそうだけどしょうがないさ。これが今の、私が滅ぼそうとしている『人間』の本性だ」
誰も俺に手を差し伸べない。みんな残飯や汚物をみるような顔でシャッターを切るだけ。ああ、これが人間か。俺は今朝、あの「冷血な血の通っていない機械のようなものの群れ」に、混じっていたのか。
「やっとわかったみたいだね。大丈夫だよ。死んだときにわかるならまだ大丈夫さ。だから」
みんな矯正するために殺すしかないんだ。
その少年のようなくぐもった声を最後に俺の意識は途絶えた。
傍観者の視点