ラストジェネレーション

 未来、もしも環境問題やエネルギー問題などあらゆる問題が解決不可能となった時。もしそうなったらどうなるだろう。  2355年生まれをもって、それ以降生まれる人間すべての戸籍登録を拒否し、彼らの基本的人権の尊重を放棄する。それがこの世界の選択だった。


 2355年生まれ。私たちは政府に認められた最後の世代だ。

 地球の環境破壊はもはや進み過ぎていた。エネルギー問題も、何もかももう手遅れだった。そんな中政府が理不尽に打ち出した法案。それが最終世代法案だった。
 2355年生まれをもって、それ以降生まれる人間すべての戸籍登録を拒否し、彼らの基本的人権の尊重を放棄する。

 環境問題のトリレンマってやつは克服出来やしない。なのに人は生きている限り快適さを求める。最初のうち、1得るために払われる犠牲は2や3で良かったのかもしれない。いまや1の快適を得るために必要とされる犠牲は計り知れない。それでも人は電子機器に囲まれて生活している。もう、やめられないのだ。

 人の想像力は果たして豊かであったと言えるのだろうか。目の前の物事の想像、自分が生きているうちの世界、将来、老後、それらは想像ではなく計画として考えられる。将来こうすれば楽だ、このあたりまでの想像は可能であろう。そしてその中で目に見えない悪化は、悪化とみなされず見過ごされる。まあ、自分が生きているうちは関係ないだろう。そうして私達、最終世代が誕生した訳だ。

 迷惑な話だ、とも思っていない。もし自分たちが100年前に生まれていたら、最終世代なんていうものが出来てしまうから、何とかしようよ!とかきっと考えない。むしろ100年前ではきっともう遅い。じゃあ何百年前に考えればいい?想像出来なくて当たり前だ。そうやって人類は終わって行くのだろう。
 こんな風に前の世代の事を責めないのは、政府の教育の賜物なのだろうか。だとしたら恐ろしい。しかしもはや責めた所でどうしようもない。最終世代の子どもはどこか冷めた考え方をしている子が多かった。中には子どもらしい子どももいたが、彼らはいつも最後の瞬間に怯えていた。

 最後の瞬間。この世代の中の誰かが、高い確率で地球上で独りぼっちを経験する訳だ。身体が言うことを聞かなくなっても、自分より元気な人間はもう居ないから、助けなどどこにもない。そうやって孤独死を遂げる。孤独死、という言葉にはもともと社会問題的な背景を含んでいたのだろう。しかし動物の世界で孤独死というのは稀なことではない。自然の摂理なのだ。猫は寿命を迎えそうになるとふらりとどこかへ居なくなる。そうして一人で死んでいく。

 それでも最後に一人は嫌だと誰もが嘆く。最終世代は自殺者も多かった。親を憎むものも多かった。何故こんな不幸な世代に生んだのだ、と。

 それでも私は見たかった。人類最後の日というものを。

01

 何をしてもそれが最後として取り上げられるのは最初こそ、騒がしさや人の多さからお祭りのように思えたものの、だんだんとそれが物悲しいものであることを理解するようになった。

 最初にそれを感じたのは小学校の卒業式だった。

 いや、卒業式を迎える前から、毎年学年が1学年ずつ減ることに寂しさと恐怖を抱かずにはいられなかった。自分たちの後ろには、誰もいない。私たちは後輩というものを持つ経験が無かった。
 1年生の時、小学校最後の入学式として世間では騒がれたが、まだ学校内において目に見えて何かが少ない、ということは無かったのであまり実感していなかった。運動会、学芸会、音楽会、一つずつ行事をこなして迎えた卒業式。6年生の児童の卒業制作。そして6年生を送る会。誰かが担任の先生に唐突に聞いたこの言葉を誰もが忘れないだろう。
「ねぇ、私たちは誰が送ってくれるの?」
担任の先生は一瞬目を泳がせたが、すぐに応えた。
「先生たちや、昔のこの学校の生徒たちが来て、たくさんでみんなを送るわ。大丈夫よ。」
5年後、その言葉は現実となった。私達最終世代はたくさんの先生と父兄、先輩たちによって涙ながらに送られた。

 それは何に対する涙だったのか。長年そこにあり続けた母校が、その役目を終えたことに対する涙なのか。人類の歴史が終わりつつあることに対する涙なのか。

 そんなとき私はいつだって周りが騒ぎすぎるから、自分の感情を表現する事が出来なかった。嗚咽する同級生の背中をさすって慰めたり、涙ながらに話しかけてくる近所のおじさんやおばさんの受け答えをしたりして
「あなたはしっかりしているのね」
なんて言われても
「そんなことないですよ」
と困った笑顔を返すことしか出来なかった。

 体育館の式典を終えると校庭では過去の卒業生たちの手によって花道が作られていた。最終世代の子ども達はその花道を通って卒業する。思えば、空気が悪いからという理由で外での体育はしたことが無い。その昔は校庭解放と言って放課後、校庭で自由に遊んで良いというものがあったらしいが、今の時代そんなことをすれば、とたんに喘息発作を起こす子どもが続出するだろう。喘息を患っていない子どもなど、ほとんどいないのだから。そんな訳で校庭に対する思い出などほどんどないのに、最後の思い出がその校庭を、顔も知りもしない年老いた卒業生たちが作る花道を通って、そして通学路に流れる訳だ。
 見慣れた通学路以外、自分達を送りだそうとする非日常がなんだか滑稽なもののように思えた。自分は何とお別れしているのか、曖昧な気持ちになった。

02


 私たちは普通に恋をした。幼稚園でも、小学校でも、中学校でも、そしてその先も。好きな人というのはどうしても出来てしまい、そして目で追いかけてしまう存在であった。目が合っただけでどきっとして、パッと目をそらしてしまう。そんな何百年も前からあるベタな感情を、私たちは抱かずにはいられなかったのだ。

 しかし、内気な私に恋人が出来ることはなかった。作ろうとも思っていなかった。ざっくり言えば自分が最終世代であることに関わるが、正直に言うなら全てが面倒だったのだ。そもそも、最終世代としてどう生きるのかを考えることが面倒だった。


 中学の時、好きな人とは別に、恐らく自分とほぼ同じ考えを持っている男の子と仲良くなった。彼との間にはタブーが無い事が楽だった。
 同世代には、タブーを持っている子が多かった。大方最後の事に関わる話がタブーとなり得やすい訳だが、それらの話をすると取り乱す同級生が多かった。そんな中、彼とはよく、最後に関する話をした。今思えば強がりだったのかもしれない。話の入口こそ、ニュースだったり新聞だったり、比較的真面目な話なくせに、結局最後はふざけて終わってしまうことが多かった。とても笑えないようなジョークでも笑ってしまっていたのは、お互い口ではそんなことを話すことで最後の瞬間を計画的に考えているふりをしながら、一番それに関して深く考えることを面倒に思っていたからだろう。

 最終世代法案法が可決してから程なくして、社会科という授業は無くなっていた。もはやもう続かない歴史や社会のシステムを学ぶことに何の意味があるのか、子ども達の傷を抉るだけだ、そう言って違憲判決が下ったのは私たちが生まれる8年前だった。最終世代法案が可決されたのは、その判決の2年前だ。
 何の自由が侵害されての違憲判決だかは社会をちゃんと勉強していないだけあって、よく分かっていないが、私たちはそんなことよりそれ以降発禁本となった社会の教科書に興味があった。古本屋を巡って手に入れた昔の中学社会科の教科書には、今授業で扱ったら教室中が阿鼻叫喚の地獄絵図になりそうな内容がたくさん書かれていた。それでも私達は休み時間こっそり隠れては、その教科書を読んで、そしてたくさん話をした。
 過去、人類はどんな取捨選択を行ったのか。どのタイミングで私たち以降の世代は、捨てられることになったのか。
「俺が思うに京都議定書からだね。」
彼は得意げに言った。私もそれに同調した。
「人類の問題であると認識して、やるべきことを話しあっておきながら、やりたくない、やらない、やれない、が多すぎるよね。」
中学生が言うには大人びた議論のようだが、実は使い古された議論なのだ。みんなどこかで大人たちが、私たちに隠れて言っていた言葉なのだ。
 私たちの会話は中身があるようで、ほとんどなかったのだ。

 そんなある日、彼が私に好意を持っている事を知った。もともと私たち二人はことあるごとに一緒に消えては一緒に戻ってきたりしていたため(教室で誰かのタブーを言うのは面倒だったのだ)噂も絶えなかったが、私はお互いに友達だと思っていたのだ。ではなぜ私が彼のその感情に気付いてしまったのか。それはクラスメイトに「お前ら付き合ってるんだろ」とからかわれたことに対して、否定する私とは裏腹に何も言わない彼の目が、私に無言で訴えていたからだろう。
 彼とは別に好きな人がいた私にとっては大変迷惑な話であり、なんとしてもその噂を払拭したかった。しかし彼が噂を否定しないのであれば、それもなかなか叶わない。そして私は彼を避け、中学三年生に上がる頃にはほとんど会話をしないただのクラスメイトになってしまったのである。たいして喋ったことも無い相手への、妄想的な恋を優先して、大切なものを失ってしまったことを今なら分かる。

 あれほど自分と考え方が似通った人に、いまだかつて出会っていない。思えば、ここまで考えが似通っているからこそ、自分たちの存在の危うさゆえに、彼はそこまで恋を追求しなかったのだろう。だからこんなにもあっけなく終わってしまったのかもしれない。
 私たちは深く考えることが嫌いだったから。

 しかしそれ以来、実らせるつもりのない恋をするたびに考えるのだ。あの時、私たち二人の関係を否定する事の無かったその無言の目は、一体私に何を要求していたのだろうか。

03

 全をなんとなく過ごしてきたわけではない。
 例えば確実に自分たちが大人になるにつれて、町の施設が無くなって行くだろうことを、公共施設や病院、発電所に水道局、あらゆる生活に不可欠なものが機能しなくなっていくことを、私たちは予見し、対策しなければならないのだ。多くの家にはソーラーパネルが付いていて、自家発電が出来るようになっていたり、町にいくつも井戸を作ったりして、対策は取られていたが、中にはそういった対策を全くとらない家庭もあった。
 それどころか、最終世代以降も子どもは産まれ続けていた。もちろん出生率は激減しているが、戸籍は無いだけで、下の世代は存在しているのだ。にもかかわらず彼らはロストジェネレーションと呼ばれ、世間ではあまりいい目で見られなかった。歴史的に何度か使われた言葉らしいがこれほど文字通りの失われた世代はあったのだろうか。
 既に何が正しくて、何が間違っているのか、もう分からない世界だった。

 友人の長子(ながこ)とは中学からの付き合いだった。二人連れだって、よく遊びに出かけたり、お互いの家でひたすら話をしたりしていた。そんな長子との会話の中で胸が張り裂けそうになったことが一つだけあった。今となってはそういう選択もあるのだろう、と受け流すことが出来るものだが。あの頃の自分が幼かったのか、今の自分が物事を諦め過ぎているのか、もはや分からない。


 その日は、二人で夏祭りに来ていた。お互い高校は違う所へ進学していたため、学校帰りに制服で待ち合わせて祭りへ行った。地元の河原を、二人でかき氷をつっつきながら歩いた。酷く蒸し暑くて、空気が悪かった。
 屋台はちらほらしか出ていない。5メートル、3メートルに1軒くらいのものだが、それでも私たちは嬉しかった。いつだか、昔の祭りの様子を写真で見たことがあった。その写真には浴衣で綿あめを持つ子どもや、所せましと並ぶ屋台がキラキラとまぶしく映っていた。みんな笑っている。マスクをしている人が一人もいない。
「この頃は、まだ空気がそこまで汚れていなかったんだろうな。ずるいよな。」
中学の時、もう話さなくなってしまった友人が発禁本の教科書やアルバムをめくってぽつりと言った言葉を思い出した。
「本当、ずるいなぁ。」
思わずぽつりと声が出た。
「え、なにが?」
小さく呟いた私を不思議そうに見る長子に「なんでもないよ」と笑うと、長子もまた笑顔に戻った。二人で座れる場所を探して、花火が上がる方角を向いて落ち着いた。この川辺の祭りは私たちが生まれてからは毎年夏に行われ、小規模ではあるが花火も上がる。一時は花火を自粛したり、祭り自体を自粛していた頃もあったらしい。それも私にとってはずっと昔の生まれてくる前の話だ。最終世代法案が可決されてから、町の人たちが立ちあがったのだ。「子ども達に、絶望ばかりではなく、綺麗なものや、楽しいものも見せてあげたい」そんな思いからだった。
 しばらく打ち上げられることのなかった花火の作り方を昔の資料をもとに作り、本来なら外でものを食べるなど身体に悪いからという理由で許されないご法度も暗黙の了解にしてくれる。私たちにとって、ちょっといけないことをしているようでスリリングであり、夜暗い中で行われる浮かれた非日常全てが、幻想的に思えた。

 二人でリンゴ飴をかじりながら打ち上げられる花火を眺めた。長子は必死に写真をとっている。私はただぼうっと花火を見つめていた。納得のいく写真が撮れたのか、しばらくすると長子もカメラを置き、落ち着いて花火を眺めはじめた。
「私ね、今日お母さんに酷い事言っちゃった。」
長子が花火を見ながら喋りはじめた。横顔が花火の色とりどりの明かりに照らされていた。
「お母さんにね、身体に悪いから、あんまり屋台のもの食べ過ぎちゃ駄目よ。って言われたんだ。」
長子がそう言って少しうつむいた。また花火を見上げて続けた。
「私言っちゃったんだ。今さら身体に悪いとか、そんな、長生きしようとしてどうするの?って。」
こんな世代に生んでおいて・・・。そう聞こえた気がした。長子の口がうっすら動いていたのが分かったが、一際大きな花火が上がったため、声は聞きとれなかった。
「仕方ないよ、分かってくれるよ。」
私はそう言って長子の背中をぽんっと叩いた。平静を装いながら私は胸が張り裂けそうだった。

 このとき私は悟ってしまったのだ。おそらく長子は自殺するつもりなのだろう、ということを。少しずつ、いろんなものが失われていく世界で、世界の最後は見ずに、いや世界は終わらないのだと、私はこれまでの世代と変わらないのだ、と。そう自分に言い聞かせて、眠るように死ぬことが彼女の望みなのだろう。

 人と深く関わるのは、なんて難しいのだろうか。この日の帰り道、私は、おそらく長子も、会話は交わしていたもののほとんど上の空だった。
その日の夜「楽しかった、また来年も行こうね」という長子のメールを見て言いしれぬ不安を感じ一人嗚咽した。

ラストジェネレーション

ラストジェネレーション

未来、もしも環境問題やエネルギー問題などあらゆる問題が解決不可能となった時。もしそうなったらどうなるだろう。 2355年生まれをもって、それ以降生まれる人間すべての戸籍登録を拒否し、彼らの基本的人権の尊重を放棄する。それがこの世界の選択だった。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-10-17

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