墓森

町には悪い噂が広まっていた。そんなある日、輝彦は二人の同級生に”お願い”をされる。

 地方都市の住宅街は所々歯抜けのように空き地や畑が広がり、切り取って貼り付けたような四角い森が残っていたりする。
 そのひとつに、近所で”墓森”と呼ばれている、こんもりと樹木の茂った一角があった。
 別にお墓がある訳でもないのに、墓の名が付いているのを不思議に思って、小さかった輝彦は母親に名前の由来を訊いた覚えがある。
「さあ? お母さんも知らないな」
 この町で生まれ育った母親が知らないのなら、きっと大昔からそう呼ばれているんだろう。そんな風に思いながら顔を上げた時、輝彦はその表情に嘘があるのを見破っていた。
 きっとお母さんは知っている。でも教えてはくれないんだ。 
 今になってこんなエピソードを思い出したのは、今回の出来事が記憶の扉をノックしたからに違いなかった。

 ***

輝彦は首を伸ばして道路を見やり、誰もいないのを確認してから、二人の同級生をそっと招き入れた。
「こっち」玄関扉に鍵を掛けた後、部屋に案内する為に靴を脱いだ彼らの先に立つと、不気味に押し黙ったまま後をついて来る。いつまたど突かれ、パンチの一発も食らうのかとびくついて、ついちらちらと無防備な背後を窺ってしまう。
 家の中はしんと静まり返っていた。時間は午前一時を回っていて、普通の中学生なら眠っているか、夜更かししているにしても自室で過ごしているだろう。
 だが彼らは違った。もちろん輝彦は二人を自ら進んで招いた訳じゃなかった。
 すぐ後ろに続く本間が妹の留美に熱を上げ、脅されて脅されて、ついに観念したというのが真実だった。
 輝彦の通う南穴薗中学は数年前から少しずつ規律が乱れ始め、今では表に出ない暴力や破壊行為が珍しくなくなりつつある。
 その中で、本間、渡辺、この二人はただの不良という括りには収まらない、巧妙に立ち回る知能犯タイプだった。
 表面的はどこにでもいる普通の生徒に見えるが、実態は違う。弱みをネタにして金をせびり、服で隠れた部分にだけ暴力を振るう。相手の性別など無関係だ。
 それは生徒の間にだけ浸透している、決して口にしてはならない”噂”だった。
 加えて他の学校の女子生徒が、これまでに何人も酷い目に遭っているという噂がまことしやかに流れていた。敢えて自分の通う学校を対象から外しているのは、さすがにマズいという認識があるからだろう。 
 でも”恋の病”の前にはそんな制限も頭から消えてしまったらしい。
 執拗にチョッカイを出してくる本間に留美は怯え、今では母親が学校の行き帰りを車で送り迎えしてガードしている有様だった。
 学年が違う上に、人目も多い校内ではおいそれとは手を出せない。やがてその鬱屈した苛立ちの矛先は、兄である自分に向けられる事になる。
 この時から安穏な学校生活を送っていた輝彦の平和は崩壊してしまったのだ。

「今夜は両親が出掛けてていないんだ」その言葉をどこで耳に挟んだのか、「家に招待しろ」と迫られたのは十時間前、今日の放課後の事だった。
 これまでに十分過ぎる程彼らの洗礼を受けていた輝彦にとって、拒み続けるのは難しい。繰り返される威圧的な態度に押されて、結局最後は顎を引いてしまった。
「そうか、そうこなくっちゃな」本間の満面の笑みが輝彦を恐れさせた。
 何を望んで家にやって来るのかは明々白々だ。
 留美と自分の二人だけ。共にガタイのいい彼らに力では到底敵わないし、かといって妹を逃がしたりすれば、逆上して何をされるか分からない。
 頷いてしまった自分を悔やんだ物の、もう後の祭りだった。
「じゃあ、後でな」意気揚々と去って行くその背中を、輝彦は呆然と立ち尽くして見送るしかなかった。

 実は彼らの家は、輝彦の家からほんの数ブロックしか離れていない所にある。
 当然小学校も同じで、昔から顔は知っていたけれど、すでにその頃からつるんでいた二人との接点といえば、せいぜい子供会の行事くらいだった。
 渡辺は確か修一という名前だったはずだが、本間の下の名前は今も知らない。近くに住んでいながらその程度の希薄な関係でしかなかった。
 でもたまには家の前を通る事だってあるし、彼らの母親の顔くらいは頭に思い浮かべる事も出来る。もっとも会ったのは大分前で、かなり若い頃の記憶でしかなかった。
 二人は一本の生活道路に家が並ぶひとりっ子同士。きっと小さい頃から遊び仲間だったんだろう。
 聞けば元々やんちゃだったらしいが、所詮は子供、やる事はそこらのちょっと悪ぶったガキ共と大差なかったという。
 そんな二人の悪さが他と異なり始めたのは小学校の高学年になってからで、本間の方が凶暴の片鱗を見せ始めても相棒は離れる事なく、むしろそれまで以上に結束を強めたらしい。
 それは本間の両親が離婚して母親が家を出て行き、彼らが好き勝手出来る空間を手に入れたのと同時期だった。
 正直細かい事情は知らない。でもその二つが歯止めを失わせた原因のひとつなのかもしれないとは思った。
 ともかくその頃から彼らの行動は荒れ始める。
 渡辺は子供の癖に妙に知識が豊富で、しかも頭の回転も早かった。そんな男が腕力と行動力を伴った本間の良きアドバイザーとなって、互いを補完する絶妙なタッグが組まれていた。
 中学に入ると彼らは野球部に入部して大人しくなったように見えたが、じきに辞めてしまうと、再び元の荒れた生活に逆戻りしてしまう。
 性に目覚め、物欲が膨張し、そして何をするにも金が要る。すべてを満たすには、どうしても合法的な手段だけでは間に合わなかったはずだ。
 やがて原付を乗り回すようになった二人は行動範囲を大きく広げたが、その拠点はあくまで昼間誰もいない本間の自宅だった。
 中学生が昼夜問わずうろついていれば、否が応でも近所の目に触れる。しかも決まって羽振りがいい。
 だから周りの住人は皆知っていた。いや、悪さをした現場を直接見た訳ではないので、もちろん推測だったが、それでも彼らが金を得る、欲望を満たす為の手段が、小遣いだけで賄われているとは誰も思っていなかった。
 そして時より、脅迫、集金、万引き、付き纏い、そんな悪い噂が聞こえてきた。
 自宅からは大音量の音楽が流れ出し、騒ぎ声や怒鳴り声に加え、悲鳴まで聞こえたという零れ話しが広がり、噂は更に外に向かって伝播する。
 主婦の、リタイヤ組の近所付き合いにネットが介在し、尾ヒレも付いて次第にそれは大きくなっていった。
 でも我関せず。誰一人本人に忠告などしないし、両親も匙を投げたように両手を上げていた。
 思春期に荒れるのは珍しい事じゃない。具体的な悪事の証拠を握っている訳でもない。
 その内治まるだろう。関わり合うのを恐れて、皆見て見ぬ振りをしながら陰口を共有し、それでも情報だけは懐に入れておく。
 そういう”大人の対応”のまま時間は過ぎて行った。
 が……、ある時ひとつの事件の噂が立ち上る。
 それは中学生の女の子がひとり、彼らに襲われたという物だった。
 彼女は私立の学校に電車で通っているといい、ともすれば誰を指すのかは自ずと明らかになってしまう。
 周囲はもちろん否定するので真相は闇の中だったが、状況証拠はあった。
 彼女は学校を休んでおり、しかも事件があったとされる当日の夕方、家は慌ただしさに包まれていたというのだ。
 問題が問題だけに大事にするのも公けにするのも憚られるし、二人がその犯人だという決定打も見付からない。
 しかしそれは同時に町の中を恐怖が貫いた瞬間でもあった。
 自身に危害が及ぶとなれば、今まで敢えて見過ごしてきた自分達の行動は間違っていたと考えて当然だ。
 そして同年代の女の子を持つ親を中心に、自衛手段を講じようと家々が集まりを持った。

 ……そしてそれからしばらく時間を経た現在、再び同じシチュエーションが訪れようとしていた。
 まさかそれが自分の身に降り掛かるとは思いもしなかったけれど……。
 輝彦は緊張に身体を強張らせながら、気付かれぬようにそっと背後の人影に視線を走らせた。

 ***

 翌日から二人は忽然と消えた。
 数日後、彼らの両親が遅ればせながら捜索願を出したが、今もその行方はようとして知れない。
 町を包んでいた暗雲は霧散して、学校からもその一部が消えた。
 驚いた事に荒れていた校内はその日から変わり始めた。もちろんいい方向に向かって、だ。
 それは彼らがいかに巧妙に立ち回りながら、暴利を貪っていたのかという証拠だった。
 もちろん当の輝彦にも、影に怯えていた妹にも家族にも、それは朗報に違いなかった。

 でも……。
 輝彦だけは心の中のひんやりとしたさざめきを拭い切れないでいた。 
 あの後、二人を部屋に案内したあの後、一体何が行われたのか、輝彦は知らない。
「下に行ってなさい」集まった近所の人達はそう言って、自分を追い出したからだ。
 怒号が飛び交ったのは一瞬だった。
 閉じられたリビングの扉の外を、静まり返った二階から降りて来た大勢が通り過ぎるのを感じた。
 一緒にテーブルを囲んでいた両親が顔を上げ、立ち上がって後を追うように出て行った。
 何を話しているのかは分からなかったけど、複数の囁きが交わされた後、「ありがとうございました」という声だけは聞き取れた。
 それから程なく戻って来た母親は、まるですべてが片付いたかのように自分と留美に部屋へ戻る事を許可した。
「いいの?」輝彦は妹と顔を見合わせる。
「ええ、もう大丈夫だから」
 大丈夫って……どういう事? でもその言葉を口にしてはいけない気がして押し黙った。
 椅子を引いてリビングを出た二人は、それぞれの部屋のドアを恐る恐る開けた。が、中は綺麗なまま、何事もなかったように整っている。
 そう、まるで何もなかったように……。

 輝彦は部屋をひと回りした後、ベッドにひっくり返って頭の後ろで腕を組んだ。
 集まった人達は二人をどうしたのか?
 輝彦が自分達を守る為に吐いた嘘は、果たして正しかったのか?
 口裏を合わせた町の人々からは、深夜彼らがこの家にやって来た証言は決して取れないという。道の途中で彼らに出会った人がいたとしても、自宅を出る瞬間を目撃した人がいたとしてもそれは変わらない。
 警察の家出人捜索は対象が義務教育年齢ならば力が入るはずだが、それでも彼らの行方が知れる事はきっとないんだろう。そう思わせる説得力のような物があった。
 深夜出歩くのが珍しくなかった二人。肝心の両親ですら、その行動のほとんどを把握していなかった。

 ***

 彼らはどうなって、そしてどこへ行ってしまったのか?
 輝彦はもう小さな子供ではない。
 それが”正しい”正義だったのか、考え込んでしまうのだ。
 確かに町には平和が訪れた。きっと誰もが安堵しているに違いない。子供達が外で遊ぶ笑い声も戻ってきた。
 でも日本は法治国家だ。そんな事は誰だって知っている。
 もちろん僕だって知っている。
 なのにこの町には別の法律が息衝いているのを知った。
 確かにあの(。。 )噂は嘘じゃなかった。
 輝彦は二人に脅された後、何となく気持ちがもやもやしてそっと後を追い掛け、その会話を聞いてしまったのだ。
 例の女の子が襲われたあの噂も、その犯人も間違ってはいなかった。
 だから何とかしようと思うのは理解出来る。表沙汰にしたくないその気持ちも……。
 けれど警察に相談するという手も、名前を出せないのなら、伏せて警戒して貰うのも可能だったはずだ。取り敢えず近所の目をより一層光らせるという選択肢もあったんじゃないのか?
 でも町の平和を守る為、住民達は結束して別の方法を選んだ。

 果たして今回のこれは初めての行為だったんだろうか?
 町を脅かす緊急事態に特別に行われた行動だったんだろうか? 
「ありがとうございました」あの日の母親の言葉が蘇る。

 平和で、そしてのどかな町……。
 しかしその内情を思う時、輝彦の身体はひとりでに委縮していた。

墓森

墓森

町には悪い噂が広まっていた。そんなある日、輝彦は二人の同級生に”お願い”をされる。

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-10-16

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