雨男の彼女
ビー玉と金平糖
テレビから聞こえるアナウンサーの声で私はゆっくり目を覚ました。
それは昨夜テレビの電源消し忘れたということで、「またやってしまった」と思わず声を漏らす。
時計はちょうど8時を回ったところ。
学校にはギリギリ間に合うはずだ。重い体を起こして目をこすってみた。
花柄の壁紙に囲まれた部屋を見渡すと大きな窓に打ち付けられる水が見えた。
そういえば寝る前に見たニュース番組で、鼻にかかる目の大きなアナウンサーがじめっとした天気になる・・・なんて言ってたっけ。
あぁ面倒だ。雨が降るなんて、さらに学校に行く足が重くなる。
テレビの電源を消すと、雑に壁にかけられた制服に腕を通した。
ここらへんの地域じゃ可愛いと評判の制服は、私には全然似合わない。まるで着る人を選んでるかのように。
顔を洗う、髪の毛を整える、化粧をする、朝食を食べる、歯を磨く、学校に行く。
・・・私にはどれも面倒だ。できることなら全てやりたくない。
でもそういうわけにはいかないのだ、”あっち側の私”のためにも。
人はそれを二重人格と呼ぶだろう。
表面を必死に可愛く着飾って、裏ではこんな荒んだ女なんて世の女子が最も嫌いなタイプだ。
私もそんな女は嫌いだ。ということで私は私自身が嫌いなのだ。
笑える。
一通りの準備を終えると居間に紙切れが置いてあった。
いつもの紙切れ。
朝は早く夜は遅く、ほとんど家にいない母が毎朝気遣い、私にあてた手紙だ。
”柚月へ。
おはよう、いってらっしゃい、気を付けて。
雨が降りそうだから窓は閉めるんだよ。夜ご飯はなにがいいかな? 母”
達筆な字で書かれたその文の下に小さく”オムライス”と記した。
母は超多忙なのにわざわざ夕方の休憩時間を利用して私の夜ご飯を作りに帰ってくる。
よくやるなぁ、と思う。全ては一人娘の私のためで、疲労で倒れたら私のせいになるんだろう。
履き慣れた茶色のローファーはそんな母が入学祝に買ってくれたもので
2年と少しの年月のほとんどをこのローファーで過ごしたためかもうそろそろクタクタになってきたころだ。
そのローファーを右足から履いてみる。自分の足に沿ってはまる。
雨音をドア越しに感じながら、水色と白の水玉模様の傘を取り出す。
朝起きてから何度目かわからないため息をもらすと、ゆっくりとドアを開けた。
あのアナウンサーが言った通り、少し強めの雨が降っていた。
じめっとした空気に全身浸かると体がどんどん重くなっていくようだ。
・・・雨は嫌いだ。
好きな人のほうが少ないと思うが、私は特に嫌いだ。
湿気が多くて髪の毛はまとまらないし、車が泥水を跳ねるし、傘を持ち歩かなきゃいけない。
どこか忘れっぽい私は外出先でしょっちゅう傘をおいてくる。注意してもしょっちゅうだ。
ならば外出しなきゃいいのだけれど、学校があるとそういうわけにはいかない。
本当に雨って良いことない。それを母に告げると「農家の方はとっても助かってるのよ」って言ってたっけ。
パシャパシャと雨音が聞こえる。耳障りなその音は足を進めるたびに強くなっていって、
私の重たい体が学校につくまでには強い雨に変わっていた。
ギリギリ間に合うと思ったのに、この雨のせいで結局遅刻してしまった。
「柚月、おはよ」
机に少し強めに鞄を置くと、文庫本から顔を上げて前の席の島崎が声をかけてきた。
島崎は入学当時名簿が近いこともあって仲良くなった友人の一人だ。
バレー部の主将で黒髪のショートカットがよく似合う少し変わった人。
あまりべたべたとしないから一緒にいて気楽で、気付いたら結構親しくなっていた。
なぜ名字で呼ぶかというと、彼女は自分の名前の”美麗”にコンプレックスがあるらしい。
名前で呼んだ日にはなかなか機嫌をなおしてくれないほどだ。
「おはよう、島崎」
「今日遅かったじゃん、寝坊でもした?
あんたのことだから、どーせ寝落ちでもしたんじゃないの?」
島崎はたまに勘が鋭くてドキッとする。
私が人格を使い分けてるのも知ってるような口調の時がある。
「う~ん、まぁそんなところかな」
作り笑いをしてみせると、島崎もそれっきり何も聞かずに文庫本に視線を移した。
窓際の一番後ろ。大きい窓がすぐ隣で猛烈な勢いで雨を降らす空がよく見える。
島崎の細い背中と窓を視界に入れつつ席に座る。
次々と近くのクラスメイトから挨拶をされて
それの一つ一つに明るく返していると、どんどん疲れてくる。
おはようなんて、ただの朝の挨拶でしょう。
そんなの一クラスメイトにいちいちしなくていいのに・・・
少しして年老いた女教師が教室に入ってきてすぐに授業が始まった。
眠気を誘う呪文のような言葉に体がさらに重くなる。
・・・あぁ面倒だな。今すぐ家に帰ってベッドに横たわってたい。
学校という組織に縛られて、息苦しくてたまらない。
やめてしまいたい、逃げてしまいたい。
学校なんて来たくない場所になんで毎日来るのだろう。
みんなは何で楽しいと思えるんだろう・・・
私はただただ親のために来てるようなものなのに。
荒んだ心。
みんな、私がこんなことを毎日のように考えていると知ったらどんな顔をするのかな。
表面の私はいわゆる”学級委員長キャラ”だ。
誰にでもニコニコするし、誰にでもやさしく声をかけるし、勉強もそこそこにこなして、
教師からの信頼もそこそこあって、積極的に活動して。
頼まれたら無理とは言えず、学級委員長も結局押し付けられてやっちゃうし。
まぁ、別にいいよ。我慢と愛想笑いはもう慣れた。
本当の私は極度の面倒くさがりで、いつも曲がったことばかり考えて、
人に大した関心もない、薄っぺらい人間だというのに。
不思議と本当の私に気付いてほしくないのに、どこかで気付いてほしいとも思ってしまう。
素直な気持ちなんてこんな私には言えないのに。
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「芹沢!お前、この間の委員会に来なかったろう?」
全ての授業が終わって、一刻も早く家に帰りたいと思ってた矢先に、
委員会の担当の先生に声をかけられた。
「え、この間?」
・・・正直、まったく覚えがない。
委員会は毎週木曜日に行ってて、それには欠かさず顔を出しているというのに。
「一昨日だよ、臨時で集まるって言ったじゃないか」
「一昨日?金曜日ですか?・・・あっ」
思い出した。
金曜日の朝に今日の放課後あるからなと何度も言われたんだ。
いつもの忘れっぽい性格が出てしまった。やってしまった。
「忘れてたのか?まぁ、お前がサボりなんてしないだろうとは思ってるけど。
その時の資料、3階の会議室の引き出しに入れてるから取りに行って来い。次の委員会で使うからな」
「はい、すみませんでした・・・」
雨男の彼女