琥珀色の虹
昭和三十九年の夏。 小学校六年生だった僕は、小学校最後の夏休みを満喫していた。
昭和三十九年の夏。
小学校六年生だった僕は、小学校最後の夏休みを満喫していた。
秋には、東京オリンピックが開かれる。親や近所の大人たちは、オリンピックムード一杯で、浮かれている。
しかし、子どもの僕には、それほど興味はない。
まあ、大人や先生たちが浮かれてくれれば、いやなとばっちりを食らうこともなく、平和が来るというもんだ。僕らにとってそう悪い出来事でもない。
さて、まだ、八月に入ったばかりだ。
ええっと、今日は、八月の五日か?まだ、夏休みも三週間以上あるな。まだまだ、宿題を気にする時期でもない。せいぜい、遊んでおこうか。
すると、同じことを考えている悪友たちが誘いに来る。
「おうい、やっちゃん。遊ぼうぜ!」
「おうい、今行く。今行く!」
母ちゃんは、近所に出かけて今はいない。いれば、「宿題済ましたの?」と小言を言われるところだが、今日はそれもない。
「よしよし、今がチャンス…」
縁側から下駄をつっかけ、麦藁帽子をかぶり、釣竿、虫取り網を持つと、一目散に外に飛び出した。待っていたのは、とんちゃんとかずだった。
「おう、待たせたな…」
「ところで、今日はどこに行く?」
「そうだな、基地に行ってみねえか?」
「ああ、基地の堤防から魚釣りでもやろうぜ」
かずが相槌を打った。かずは、僕らの中では一番釣りが上手かった。
僕たちは、暑い夏も関係なく、汗をかきながら毎日遊びほうけていた。
基地と言うのは、戦争中の海軍大崎航空隊の飛行場跡のことだ。
戦争中は、爆撃機などの主に海軍の大型機の訓練基地として使われていたが、戦争末期には、特攻隊の訓練基地として使われ、多くの若い飛行兵が、ここから鹿児島の基地に移動し、そこから沖縄方面に特攻出撃したと聞いている。
今は、何の面影もないが、数年前までは飛行機が飛び立つ滑走路の先端に小さな祠があった。戦後も永く町の人たちが、慰霊のために大切に管理していたが、二年前の台風で祠が吹き飛ばされ、高波に持っていかれてしまった。
僕のばあちゃんは、息子の真治おじさんが特攻で戦死したこともあって、殊のほか大切にしていたが、「こんなことになってしまった…」と嘆いていた。
それでも、祠のあった場所や近くの護国神社には、毎週出かけてはお参りを欠かさない。
僕や妹の聡子もときどき、お供をするが、あまり関心もなく境内で時間をつぶすのがいつものことだった。そういうことで、今は、滑走路のコンクリートだけが残り、基地の建物など当時を思い出すものは、何もなかった。
海に突き出たコンクリートの滑走路は、ただ広くコンクリートの隙間から夏草が伸びていた。ただ、この空き地も間もなく工場が建設されるとの噂があった。
日本もやっと戦後の混乱期を抜け、朝鮮での動乱をきっかけに経済復興の道を歩んでいた。工場建設は、全国で続き、ここも既に製鉄工場がいくつもできていた。
それでも、だれもいないコンクリートの空き地は、僕たちの格好の遊び場だった。
近くの製鉄工場の煙突からは、黒い煙が常に出ており、有害な粉塵を撒いていたが、そんなことにも無頓着だった僕たちは、滑走路跡を駆け巡った後は、滑走路の突端ではぜ釣りに興じた。
滑走路の突端から先は、海に面していて、飛行兵たちは航空母艦から発艦するような気分で、飛行機の操縦桿を握っていたのだと思う。
このいわゆる「堤防」からは、はぜがよく釣れ、リールの付いた釣竿は、父親譲りの中古品といえども、僕らの大切な宝物だった。大きい物だと十㎝ほどのはぜも上がった。
はぜは、から揚げにすると絶品で、白身の魚肉は、ほくほくとして甘く、旨味が口全体に広がった。父ちゃんたちの酒のつまみにもなって、持ち帰ると家では好評だった。
昼過ぎまで、釣りに興じた僕たちは、釣果を競いながら、はぜを何匹も釣り上げた。
「おうい、やっちゃん、釣果はどうだい?」
「おう、そうだな七匹くらいかな?」
「とんちゃんの方は?」
「俺は、五匹!」
「かずは、あきたらしくて、磯で遊んでらあ」
「ははは、かずらしいな」
「どうだい、そろそろ、引き上げるか?」
「ああ、そうだな、かずを呼んで来てくれよ」
そんなことを言い合いながら、最後の当たりをリールを調整しながら待っていた。
これから、そんな大変なことが起こるとは、思ってもいなかったのだが…。
それからのことは、僕の最後の夏休みの大きな事件になった。
実は、かずが、いなくなってしまったんだ。行方不明っていうやつだ。
とんちゃんが、磯に下りていくら声をかけても、かずからの返事はなかった。
かずがいたと思われた場所に、かずの釣竿があった。小ぶりのクーラーには、既にはぜが十匹以上は入っていた。
「かず、どこに行ったのかなあ?」とんちゃんも次第に心配になってきた。
滑走路の先端からは、磯に降りるコンクリートの階段がついていて、その下にはこじんまりとした砂浜があった。
ここは、小さな入り江のような形状で、波も静かだったため、ここに降りて釣りをする人も多く見られた。だから、かずが磯に下りていっても不思議ではなかった。
とんちゃんに呼ばれて、僕も急いでかずのいた場所に行って見たが、かずはどこにも見当たらなかった。
「かず!かずう!」と大声で探したが、帰ってくるのは波の打ち寄せる音だけだった。
それから、大騒ぎになった。
とんちゃんが、近くにいた大人に声をかけ、その人の通報でパトカーが飛んできた。
僕たちも心当たりになるような場所は、二人で一生懸命探したが、結局かずの行方は分からなかった。
夕方には、かずの両親も僕の家族も、とんちゃんの父ちゃんもやってきた。
僕たちは、大人たちにいろいろと聞かれたが、何も答えられなかった。
とんちゃんも僕もはぜ釣りに夢中で、かずがどうやって磯に下りて遊んでいたのかまったく知らなかった。
それに、そんなことはこれまでもしゅっちゅうあったので、気にもしていなかった。
大人たちは、いらついたように僕たちを問い詰めたが、僕もとんちゃんも答えようがなく、ただ、かずがいなくなったことだけが申し訳なく、下を向いて黙っているしかなかった。
しばらくして、小学校の担任の女先生が来て、そんな大人たちに頭を下げ、「子どもをそんなに責めても…」と言って僕たちをかばってくれた。
いつも馬鹿にして言うことを聞かなかった僕たちをそこまでかばってくれて、とんちゃんも僕も涙が出てきた。
しかし、その夜、かずは見つからなかった。せっかく釣ったはぜも、どうなったかわからない。
夜の八時過ぎに家に戻り、遅い夕食を食べた。昼飯は、食べ損なったが、白いご飯を見ても食欲が湧かなかった。
母ちゃんが、「仕方ないよ」「明日、とんちゃんの家の人とかず君の家に謝りに行こう」
と言った。
翌日、かずの家に行ったが、かずのお母さんは泣いているばかりで、お父さんはむっとした表情で、しきりに煙草をふかしていた。
ふたりで、小さな声で「ごめんなさい」と頭を下げた。僕たちは、体を寄せ合い小さくなっているしか、方法がなかった。
近所の人が、
「子どもだけで、あんなところに行かせるからだ…」
「あの神様のたたりじゃないんかね…」
そんな声が耳に入った。
「あの神様のたたり?」
「何のことだ?」「あの…?」
そのことが、また僕たちの夏を大きく変えることになった。
その後も、かずはいっこうに発見されなかった。
二日ほどして、大崎基地の磯から数キロ離れた沖で、漁船がかずの麦藁帽子を見つけた。
漁船の網にひっかかり、「渡辺和弘」とマジックで書いてあったので、すぐにわかったそうだが、かず本人は見つからなかった。
「こりゃあ、神隠しだ…」などという、人の噂もあったが、おそらく引き潮に体ごと持っていかれて、海底に引きずり込まれたというのが、警察の見解だった。
でも、遺体が見つかっていないんだから、僕たちは、「いや、かずはきっと生きとるわ…」と信じていた。
しかし、遺体が揚がらんことには、葬式もできなかった。
八月の八日には、学校の登校日があり、しばらくぶりに学校に行くと、同級生たちも噂が耳に入っているらしく、僕やとんちゃんにあれこれ聞いてくるので、うるさくて仕方がなかった。それでも、僕たちは「いや、かずは、きっと生きとる!」「そう簡単に死んでたまるか!」と、言い続けた。
ときどき、そんな僕を同級生の早苗が心配そうに見ていた。
早苗は、僕たち三人の憧れのマドンナで、学校で一番美しく、勉強も運動もよくできた。
家は、大きな鉄工所をしていて、まあ、社長令嬢とでもいうような雰囲気があった。
そんな早苗は、小学校に入学したころは、僕たちとよく遊び、家にも行き来していたが、五年生くらいになると、何となく互いに意識して、一緒に遊ばなくなった。
まあ、女の子と男の遊びが違うので仕方がないが、学校でもあまり口を利かなくなっていた。それでも、お互いの誕生日にはときどき来てくれて、僕ら三人は、早苗の前だと少し緊張したようにおとなしくなった。
それだけに、早苗には何て言おうか、迷っていた。
その日の帰り道、僕ととんちゃんは、二人で歩いてると、後ろから早苗の声がした。
「やっちゃん、とんちゃん!」
後ろから息を切らせて走ってくると、僕たちの前に飛び出した。
「ねえ、ねえ、どういうこと?」
「私にも教えてよ。もう、水臭いなあ…」
明らかに怒っているふうで、早苗は頬を膨らませていた。
しばらくぶりに、正面から見る早苗は、少し大人びていて、僕はドキドキしていた。
僕が何か言おうとしたとき、とんちゃんが、
「あ、ああ、ごめんな。早苗ちゃんに話そうと思っていたんだけど、どう説明していいか分からなくて…」
「えっ…」隣で聞いていた僕は、(おい、それ、僕のせりふだし…?)
「なに、やっちゃん、そうなの…?」
僕は、突然聞かれて、
「う、うん。そうそう、とんちゃんの言うとおりだよ」
と言葉を濁した。
事実、そのとおりではあったが、言葉に詰まってしまったのが悔しかった。
すると、早苗が、
「でも、二人とも大変だったね。警察や大人にいろいろ聞かれて…」
「二人が悪い訳じゃないのに…」
「でも、私は味方よ。信じてね。もし、私にできることがあったら言ってね。きっとよ。じゃあ…」
そう言うと、カチューシャで留めたショートの髪をなびかせて、走っていった。
ふたりは、そんな早苗をぼうっと見送った。
しばらくして、とんちゃんが、
「そうだよな、早苗に話しておけばよかったな…」
とつぶやいた。
僕は、今までの暗かった気分が、少し和らいだ気がした。
どうも、それはとんちゃんも同じらしかった。
家に帰ると、何となくほっとしたのか、その日の夜から僕は、熱を出した。かずの行方不明から四日。体がやけにだるかった。
それまでは、いつもばかみたいに元気で遊び回っていたのに、熱を出すなんて、自分でも信じられなかった。熱は、三十九度を超え、近所の医者が来てくれた。
この先生。学校の校医もしている内田医院の大先生だが、もう七十は軽く過ぎている年寄りで、何かもごもご言いながら、注射を打って帰っていった。
こちらも朦朧としているので、何も分からないが、「注射を打つ」と言った瞬間だけは、体が反応した。痛い注射ではあったが、「いっ…」と言ったっきりで、すぐに記憶が遠のいていった。
僕は、不思議な夢を見た。いなくなった、かずの夢だ。
かずは、いつも遊んでいるときのかずだった。到底死んだようには見えなかった。
頭をぽりぽりとかく癖も、いつものかずだった。
頭をかきながら、かずが、しきりに僕に謝ってくる。
『やっちゃん、ごめんな。ごめんな…』
『おれ、へまをしちまったらしい…』
『もう、しばらく遊べないや』『本当に悪かったなあ』
『で、でも、俺は生きてるぞ。死んじゃおらん。本当に生きとるんだ。信じてくれ!』
夢の中で僕は答えた。
「でも、かず。もう何日も家に帰ってないんだぞ…」
「おまえ、いったいどこにいるんだ?」「めしは、どうしてるんだ?」
『それが、俺にもわからん。めしは、食べんでも平気だ…』
『でも、死んではおらんと思う…』
「思う…って、わからんのか?」
『ああ、ようわからん。何か、暗い世界におる。それが、時折、まぶしい光に包まれるんだ』
『そういえば、不思議なことがあった。やっちゃんのじいさんとおじさんに会った、と言うより、二人に助けられた』
「どこで?」
『よう、わからん。ただ、助けてもらって舟に乗せられたんだわ…』
「どうして、僕のじいちゃんやおじさんだってわかったんだ?」
『そう、言っとったから…』
『何か、やっちゃんに大切なことを伝えたいそうだ…』
「大切なこと?」
『ああ、そう言うとった…』
『あ、ごめん、やっちゃん。もう時間がない。これから、とんちゃんのところに行くで…』
そう言うと、遠くに消えそうになった。
「おうい、かず、待ってくれ、まだ話が終わっておらん…」
「おうい、かず…!」
自分の声で目が覚めた。体中汗でびっしょりだった。
どのくらい寝たんだろうか。
「康之、どうしたの?」
僕の大声で驚いたのか、母ちゃんがあわてて飛んできた。
「ああよかった。随分汗をかいて、夢でも見とったの?」「でも、その調子じゃ、熱が下がったようね」
「うん。今、夢を見てた」
「かずの夢だ」
そう聞いても母ちゃんは特に驚きもしなかった。僕が心配して、そんな夢でも見たんだろう、くらいの気持ちだったともう。母ちゃんは、僕の話にうまく相槌を打った。
「そう、かず君が…」
「それで、かず君どうだった。元気そうだった?」
「ああ、僕に、すまない、すまないと何度も言ってた…」
僕の汗をタオルでぬぐいながら、母ちゃんもつらそうだった。
母ちゃんは、かずが死んだものと既にあきらめている。
そりゃそうだ。五日間も行方が見つからんでは、だれもが死んだと思うはずだ。まして、海でいなくなったんだから。
僕も今の夢を見る前は、もうどこかであきらめていた。
でも、かずが夢の中で「生きている」と言っていることは、話さなかった。理由を聞かれても困るが、そのほうがいいような気がしていた。
かずは、よく家に遊びに来たし、母ちゃんも「かず君、かず君」と自分の子どものように可愛がっていた。とんちゃん、かず、僕は、本当の兄弟のように育ったから、母ちゃんに変な期待を持たせることをためらったのかも知れない。。
そんなかずが、「生きている」と言っている。そう考えると、僕の目尻から涙がこぼれた。悲しい涙ではなく、うれしい涙だった。
(よし、かず、待ってろよ。今、見つけてやるからな!)
そんな強い決意が芽生えていた。
(そうだ。早くとんちゃんと相談せんといかん。とんちゃんも何か聞いているかも知れん…)もう、こんなところで寝ている場合ではなかった。
「やっちゃん、何か、食べる?」
母ちゃんが、聞いてきた。
「ところで、今何時?」
「そうね。八時ちょっと過ぎよ」
「そう…」「もう起きるよ」
どうやら、注射が効いて十二時間以上眠ったらしい。
「えっ、だめよ。もう少し寝ていなさい」「お腹は空かない?」
「いや、そろそろ起きるよ」
母ちゃんと話しをしたら、ほっとしたのか、お腹も空いてきた。
「わかったわ。今、ご飯用意するから、気分がよかったら、来なさい…」
そう言うと、母ちゃんは、部屋から出ていった。
浅いまどろみが覚めてきた。僕は、かずが最後に言い残した、僕のじいちゃんとおじさんのことが気になっていた。「伝えたいことって、何だろう?」
僕が生まれたときには、既に亡くなっており、と言うより、戦争中に死んだから、二人のことはよくわからない。だから、会ったこともない。
家には、じいちゃんとおじさんが軍隊に入ったときの写真が仏壇の上に飾られている。
じいちゃんは陸軍、おじさんは海軍での兵隊として戦争で死んでいるから、僕の記憶にはない。写真は、二人とも厳しい顔つきで、どうも好きになれそうもない。
僕が、生まれたときには、家にはばあちゃんと父ちゃん、母ちゃんしかいなかった。
父ちゃんは、農家の跡を継ぐために、隣の村から養子に入ったと聞いた。だからこの家は、母ちゃんの生まれた家でもあった。だから、父ちゃんも二人のことは、知らないはずだ。今まで、ばあちゃんも母ちゃんもあんまり、二人のことは話さなかった。
お盆のころに少し、話題にすることがあったが、僕たちに話しているようには見えなかった。それでも、ばあちゃんの祠跡と護国神社へのお参りは欠かさなかった。
僕の家は、村の中では大きい方で、戦前は人も使っていたそうだが、戦後は、農地解放で田畑を取られ、わずかな土地で米や野菜を育てている。
父ちゃんは、働き者だが口数は少ない。いつも黙々と働いている。僕を大声で叱ることもない。養子ということもあるのだろうか。何か遠慮がちである。
ばあちゃんは、今も元気で田んぼや畑に出ている。草履を編むのが得意で、僕の家ではく草履は、大小そろえてみんなばあちゃんの作った物だ。藁を丁寧に叩いてなめしてから綯う。見ていると魔法のような巧みさで、縄ができてくる。その縄をさらに編んで、草履にするのだが、うまく作るものだ。
しかし、最近はズックをはく子どもが増え、僕も学校にはさすがに藁草履では行けない。でも、家に帰るとズックがもったいないので、藁草履を履いている。ズックは、通学用であり、余所行き用でもあり、運動用でもあった。
「じいちゃんとおじさんか…?」
会ったこともない写真の人が、じいちゃんとおじさんだと分かっていても、あまりピンとはこない。
それより、早くとんちゃんに会わなければ、「かずが生きていると知れば、驚くだろう」 僕は、慌てて布団から這い出した。
丸一日寝ていたから、腰が痛くなった。
着替えをしていると、妹の聡子が覗きに来た。
けんかばかりしている二つ違いの妹だが、心配してくれたのだろう。このときばかりは可愛いと思う。
ズボンをはいて、シャツを着替えたときだった。
「兄ちゃん、どう?もう、大丈夫なの?」
「ああ、聡子か。もう大丈夫だ!」
「そろそろ、ご飯だよ…」
そう言って、台所に向かった。
家では、普段は台所で食事をすることになっていた。
台所は、土間にかまどが二つと流しがあり、米はかまどで炊いた。ばあちゃんと母ちゃんが二人で交代で火加減を見て、ご飯を炊くので、いつも炊きたてはふっくらと仕上がって美味かった。
僕や妹は、おこげが好きで、いつも取り合いになった。
土間と続きの部屋には、木の長テーブルと木のいすが、六脚あった。すぐ外には、井戸が掘られており、手押しのポンプで水を汲み上げる。このあたりは、地下水の水量も豊富で、深く掘ると温泉も出てくる。稲作には適した恵まれた土地柄であった。
台所に向かうが、どうも足取りが覚束ない。
まだ、本調子ではないことはわかる。少し、天井が回る。
「兄ちゃん、だめよ。無理しちゃ…」聡子がまだ心配そうに声をかける。
「ああ、でも大丈夫、ところで今日何日?」
「うん、今日は八月十日よ」
十日か? もう五日も過ぎてしまった。後三週間で夏休みが終わる。
(早く、かずを探してやらないと…)
今でも警察を初めとして、地域の消防団などがかずを探しているはずだ。もう、生存はあきらめて遺体の捜索に切り替わっていると聞いた。それも、もう何日もないだろう。
(一週間が限界だ)そう考えると、後二日しかない。
残り二日で見つからなければ、捜索は一旦打ち切られるはずだ。
(後二日。この二日で何とかしないと…)
僕の心は焦った。
「後二日、後二日…」
ぶつぶつつぶやきながら、ご飯を食べる僕に、母ちゃんも聡子も首を傾げていた。
間もなく終戦記念日が訪れる。
終戦というより「敗戦」なのだが、何となくだれもが、終戦記念日と言うからそれが定着してしまった。戦争は、日本のぼろ負けだった。
学校では、先生たちはあまり戦争のことを教えてはくれなかったが、生き残りの大人の人が多くいたので、戦争の話は小さいころから聞いて育った。
駅前には、傷痍軍人が白い病院服をまとい、松葉杖をつきながら、佇んでいた。ばあちゃんや母ちゃんは、必ず、お金を置いてある鍋に入れた。アコーディオンを弾いている傷痍軍人もいた。その音楽は、哀愁が漂い、誰しもが戦争の悲惨さや苦労を思い起こした。
よく弾かれていたのが、「国境の町」というシベリア抑留の歌だと知ったのは、随分後になってからだった。
僕たちは、昭和二十七年生まれで後になって「団塊の世代」と言われる年代だった。
戦後復員してきた兵隊たちが、結婚をして子どもができた。やっと安心して子育てができる時代となって、日本はベビーブームになっていた。だから、僕らのクラスも四十五人はいた。教室は、一杯である。六年生ともなると体も大きくなるので、四十五人入った教室は手狭だったが、(まあ、そんなもんだ)と思っている僕たちは、あまり気にしてもいなかった。
今のクラスでは、僕が級長で早苗が副級長だった。
僕は、成績もそんなによかった訳ではなかったが、友だちの受けはよく、人気があった。先生に言わせれば、「飄々としていて、物事にこだわらない大らかな性格」だということだ。これは、一学期の通知表の所見である。
(なるほど、女先生は、そう見ていたか?)
六年生のクラスは二クラスで、一組が男先生、名前は権藤 勲。年齢は、四十歳前後で、本人は予科練上がりと言っていたが、どうだか。威勢はいいが、細かすぎるのが欠点である。男は、もっとどっしりと構えていてもらいたい。
僕のクラスは、二組。女先生。名前は、山崎裕子。年齢は、三十歳前後。まだ独身の花婿募集中。若いころ婚約した男性が、病気で亡くなったという噂があった。よくわからない。厳しい先生だったが、先日のかずの一件で、僕たちをかばってくれたことで、僕やとんちゃんの評価はすこぶる高くなった。
戦争が終わって、もう十九年が経っていた。でも、戦争の話しは至るところであったし、学校の先生も兵隊上がりが多かった。
よく学校でも、年配の男先生たちが、戦争の話しをやや自慢気に語って聞かせてくれた。
満洲、沖縄、硫黄島、サイパン、ラバウル、いろいろな土地での戦争の話しがあった。 校長先生もたまにクラスに来て、軍艦の話しをしてくれた。校長先生は、師範学校出で、戦争中は戦艦に乗っていたのが自慢だった。乗っていた駆逐艦が沈んで、助けられたのは、校長先生を含めて三人だけだったと言っていた。
まあ、「昔の男は…」というのが口癖だったが、(そんなこと言われても…)というのが、僕たちの本音だった。
この町も、終戦の年の六月、B二九による大空襲で、工場地帯は壊滅的な打撃を受けた。
この大崎市は、北関東の田舎町だが、東京から多くの軍需工場が疎開してきたため、昭和二十年に入ると、海岸沿いに大きな工場群が出来上がっていた。
しかし、建物は大きな倉庫という程度の物で、強度などは考えていないようだった。
したがって、動員されていた中学生や女学生にも被害が出たそうだ。今でも、工場跡の畑では爆弾の破片や鉄砲の薬莢が落ちている。
僕たちの通う学校にも焼夷弾が落ちて、当時の先生や子どもが何人も死んだという話しが伝わっている。校舎には、まだ、木造の古い建物が残っており、怪談話はたくさんあった。
実は、僕も一年生のときに、幽霊を見たことがある。
春の夕方の校舎の中だった。かずやとんちゃんも一緒だった。
でも、なぜかそんなに恐ろしいとは感じなかった。可愛い女の子の幽霊だからだったのかも知れない。おかっぱ頭でもんぺをはいた、その女の子は、粗末なランドセルを背負い、首には防空頭巾が括りつけられていた。
たまたま、かずの忘れ物を取りに三人で戻ったときに、廊下の隅にぽつんと立っているのを見かけた。何か、教室に入ろうかどうしようか、迷っているようにも見えた。
ひょっとしたら、まだ、自分が死んでいることを理解できず、教室に入ろうとしているのかも知れなかった。
(きっと、その教室が、その子の教室だったんだろう)と三人で話し合った。
しかし、かずには、その子のような幽霊にはなってほしくなかった。
ぼんやりとそんなことを考えているのが、不思議だったのか、聡子が、
「兄ちゃん、兄ちゃん」と声をかけてきた。
「あっ、ごめん、考え事をしとった」
「もう、心配させるんだから…」
そう言うと、安心したのか、さっさと食事を終え、台所を出て行った。
僕は、黙々と食事をとり、外に出る用意を始めた。
母ちゃんは、驚いて、
「なに、なに、康之、どこに行くの?」「まだ、だめよ、休んでいなきゃあ」
慌てて、僕の側に来たが、
「もう大丈夫だよ。とんちゃんにちょっと用事があるんだ」
「すぐ戻るから」
そう言って、母ちゃんの制止を振り切るように外へ出た。まだまだ、夏の太陽は、ギラギラと灼熱の光線を放っていた。
病み上がりには、厳しかったが、麦藁帽子をかぶると、自転車に乗ってとんちゃんの家に向かった。いつもの通いなれている道だったが、かずがいないと思うと、漕ぐ足にも力が入らなかった。
とんちゃんの家は、学校の近くの商店街の肉屋さんだった。
「大和や」が屋号である。
戦時中におじいさんがつけたそうで、当時は、「大和コロッケ」が大人気だった。
少し大きめで、見たことのない戦艦大和を連想させ、
「これを食うと、大和級の力が出るぞ!」 と、店先で、コロッケを売っていた。
まあ、最初のころは、豚肉も入ったジャガイモコロッケだったが、最後のころは、肉もなくなり、ジャガイモにオカラを混ぜた軽いコロッケになっていたそうだ。
それでも揚げ物は貴重で、限定五十個ほど売っていたと聞いたことがある。
商店街に入ると、昔の面影はなかったが、それでも何件かの商店は店を開けていた。
僕たちの生まれたころから、こんな感じだったので、違和感はないが、大人たちには寂しい商店街になってしまったようだ。
しかし、ここに来て、東京オリンピックムードで、少しずつ商店も増えている。
出色は、電気屋の店先にカラーテレビが登場したことであろう。どの家もやっと白黒のテレビを買ったところで、月賦も多く残っていた。しかし、今やカラーテレビである。オリンピックムードは、こんなところにも反映されてきている。まあ、そうは言っても我が家のオリンピックは、白黒のままだが…。
(そうだ、早苗の家に行って見せてもらおう)
早苗の家なら、もうとおにカラーテレビくらい買っただろう。なんせ、お金持ちだから。
そんなずるいことを考えていた。
「大和や」も相変わらず、屋号も変えず商売をしていた。ただし、店先には、東京オリンピックのポスターやペナントなどが貼ってあり、商店街全体でオリンピックを盛り上げているらしい。
そう言えば、大和やでは最近、牛肉も扱うようになったらしい。とんちゃんが自慢していた。
店は、商店街の中ほどにあった。まだ、朝方なので店は開いていない。裏手に回り、自転車を玄関脇に置くと、格子戸を開け、家の中に声をかけた。
「おはようございまあす」
「とんちゃん、いますかあ…」
「岡田の康之です」
すると、奥から、
「えっ、はあい!」
という返事があった。どうやら、とんちゃんのお母ちゃんらしい。しばらくすると、たたたたっ、という足音を立てて、玄関に出てきた。
「あら、もういいの?」「かず君のこと心配ね。あなたたちも大変だったでしょう?」
心配そうに顔を覗き込むと、右手を僕の額に当てた。
「もう、大丈夫そうね…」「あっ、ちょっと待って利春ね。今呼んででくるから」
「としはる、としはる!」
すると、二階からとんちゃんが走って降りてきた。
「な、なんだ、やっちゃん!もう大丈夫なんか?」
「ああ、平気さ。心配かけたな」
「まあ、上がれよ」「話しがあるんだ」
「母さん、おやつ持ってきて」
そう言うと、僕の手をつかんで、二階に引っ張って行った。
とんちゃんも僕に急いで話す必要があったみたいだった。
(やはり…)
部屋に入ると、布団が敷いたまんまだったが、こじんまりした四畳半の部屋は、小学校の子どもらしく、本箱や机があり、読みかけの漫画の雑誌も何冊か散らばっていた。
部屋に入るとすぐに、
「なあなあ、やっちゃん。か、かずが来んかったか?」
「ああ、僕のその話で来たんだ」「かずが、生きとるよ!」
「やっぱり… そうか?」
「で、かず、何か言うとったか?」
「ああ、済まなかったって、あやまっとった」
「それから、僕のじいちゃんやおじさんが僕に伝えたいことがあるって…」
「それで、最後に、これからとんちゃんに謝りに行ってくるって…」
「それだけじゃな…」
とんちゃんは、腕組をして考えていた。
「ふうん。そうか?」
そこに、とんちゃんのお母ちゃんがジュースとせんべいを持ってきたので、二人とも口をつぐんだ。何となく、聞かせるには、まだ早いという意識が働いた。
とんちゃんも同じだったらしく、
「あ、ありがとう。母さん…」
と取り繕うように話したので、
「なにゆっとんの、この子は、他人行儀に…」
そう言うと、僕に「無理しちゃだめよ」とささやいて、下に下りていった。
僕は、言葉を改めて、
「ところで、とんちゃんには、何を言っていったんだ?」
「ああ、…」
とんちゃんは、少し考えるようにしてから口を開いた。
午前中とはいえ、お盆前の日差しは強い。せみも鳴き出し、とんちゃんのひそひそ話しが、途切れ途切れに耳に入ってきた。
「実はな、俺も夕べの話だ…」
「夕べは、暑くて寝苦しかった。何回も便所に立って、階段を上り下りしとったんだ」「もちろん、やっちんのことも心配だったし、かずのことも考えとった」
「それでもしばらくしたら、眠ったらしい」
「ふと、気が付くと俺の枕元にかずが、ちょこんと座っとるんだ」
「俺は、かずが死んだんで、お別れを言いに来たのかと思った。それで、かずに言ったんだ」
「何て?」僕は訊ねた。
『まだ、早いやろ、もう少ししてから、遊びにこいや』って。
「すると、かずが坊主頭をかきながら、言うんだ」
『ごめん、ごめん。とんちゃん』
『でも、俺、まだ死んじゃあおらんよ』
(死んでおらんもんが、なんで幽霊になっとるんだ?)
「えっ、お前、生きとるのか?」
「ばか、そんなら、早く出て来いよ。町中大騒ぎだぞ!」
『うん。わかっとるんだが、どうも体が動かん。意識もないようなんじゃ』
「なにい!意識もないのになんでここに来たんじゃ?」
『ばかだなあ、意識がないから、とんちゃんの夢に中に来とるんじゃろう?』
「あっ、そうか…」「でも、お前幽霊じゃないんか?」
『たぶん…?』
「たぶんって…?」「なんか、頼りない話しじゃなあ…」
『なあ、とんちゃん。それより、もう時間がないんじゃ。俺を助けてくれよ…』
「どうやって?」
それから、かずは、行方不明になったいきさつを語り始めた。
しかし、それは、夢とは思えない不思議な話しで、(とにかく僕と相談してから考えよう)と思ったと、とんちゃんは話してくれた。
「そいでな、話っていうんは、こういうことなんじゃ」
とんちゃんは、ジュースも飲まないで一気に話し始めた。
それは、僕にもまったく想像もできない不思議な話だった。
かずは、魚釣りにあきて、時間つぶしに磯に下りた。
磯には、きれいな貝や石が落ちていて、早苗にあげたら喜ぶだろうとかずは考えていた。
かずにとっても早苗は、マドンナだった。「好き」という感情とは少し違うのかも知れないが、僕たちには共通の憧れであった。恋に恋する思春期に入ったのかも知れない。
三人で学校を帰ると、必ず一度は早苗の話になった。
最近益々綺麗になったとか、胸が膨らんできたとか、色が白くなったなどという他愛のない会話だったが、いつもオープンで話すことで、僕たちには秘密がなかった。
でも、だれの恋人にするかとか、早苗がだれのことが好きなのかなどという話しにはならなかった。僕たち共通のマドンナということで、満足していた。
だからこそ、かずは、綺麗な貝や石を拾って、「早苗にあげよう」などと言って、僕たちに自慢したかったに違いない。魚では、何匹釣ろうが、早苗には関係のないことだったから。かずは、そんな気持ちで海の中に入って行ったのだろう。
かずが、夢の中で言うには、しばらく水の中に顔をつけていると、光る物を発見した。
(おっ、いい物があったぞ!)
そう思って、一気に潜り小石を退け、砂を掘ると、そこに琥珀色に輝いた仏像を見つけた。(えっ、綺麗だなあ!)
大きさは、十㎝ほどだったが、光に通すと金色に輝く仏様だった。
海の上に顔を出し、太陽に透かそうと仏様を持った腕を大きく上げ、太陽に向けたとき、何者かに足を引っぱられるように、海の中に引きずり込まれた。
その仏像が何だかはわからないまま、手に握りしめたまま、かずはもがいた。随分水も飲んだ。もう、これ以上飲めないと思ったとき、意識が遠のいていった。
しかし、この仏像だけは離したくなかった。
次に、かずが気が付いたときには、周りをいくつもの小舟が浮かんでいて、そのひとつに手をかけたとき、舟の中から腕をつかんで引き上げてくれる人があった。
舟には二人の大人が乗っていた。
無言で、引き上げられ、やれやれと舟の中に腰を下ろしたとき、握っていた手から仏像がぽとりと足元に落ちた。
すると、今まで無言だったおじさんが一人、こちらを向いて言った。
「ん?」「…」「なんだ、あったか?」と、仏像を手にとってしげしげと見つめていた。
すると、おもむろにかずの手を取り、
「坊主、ありがとう。観音様を見つけてくれて…」と頭を下げた。
「えっ、これですか?」
「ああ、これは、わしらにとって、大切な仏様なんじゃよ」
「これを今まで探しておった」
「ああ、見つかってよかった」
「君は、わしらの恩人だ」
舟には、もう一人、二十歳くらいのお兄さんがいた。
そのお兄さんも、にこにこと笑顔を見せて喜んでいるようだった。
すると、おじさんが「まあ、これでも食べなさい」と言って、大きなおにぎりを渡してくれた。お腹の空いていたかずは、塩の効いたおにぎりを口いっぱいにほおばった。懐かしい、小さいころの思い出が蘇ってきた。(ああ、また母ちゃんの握り飯が食べたいなあ)そう思いながら、貪るように食べた。手についた米粒まで歯でこすって口に入れた。
そんな様子を二人は、微笑みながら眺めていた。
お腹も満腹になったので、
「じゃあ、僕はこれで帰ります」「大崎の浜まで連れて行ってください」とかずは、二人に申し出た。しかし、すぐに返事はなかった。
しばらくすると、こちらを向いて、おじさんが言った。
「君は、小学生か?」
「残念だが、わしたちは、君を家に連れて行ってあげることはできないんだよ」と悲しそうにつぶやいた。
「えっ、どうして?」と訊ねようとすると、若い兄さんが、
「どうしてって、なあ、実は僕らは、君たちとは住む世界の違う人間だからさ…」
「えっ、?」
かずは、言葉を失った。
(まさか、ここは、ひょっとして、あの世?)そう思ったとき、兄さんが話し出した。
「実は、ここは、あの世に行く三途の川なのさ。君も知ってるだろ?」
かずは、こくんと頷いた。
「でも、君はまだ死んではいないよ」
「この琥珀の仏像も、まだあの世の物ではない」「だって、三途の川を渡りきっていないからね…」
「この仏像を私たちの子孫に渡してもらえれば、君は必ず助かるはずだ」
「私たちは、この仏像を私たちの子孫に引き継ぐ義務があるんだ」「それで、今まで二十年近く探し回っていたんだよ」
「それを、偶然、君が見つけてくれた…」「だから、何としても君を君の世界に仏像と一緒に返し、この仏像を私たちの子孫に届けてもらいたいんだ」
「わ、わかりました。届けます。必ず届けます」「だ、だから助けて…お願いします」
「それで、皆さんの子孫とは、だれのことですか?」
「それは、岡田源一郎の子孫だ」
「私は、岡田真、これは息子の真治だ」
「しかし、二人とも戦争で死んでしまった」「それゆえ、この仏像を持つ資格がない」
「跡継ぎは、岡田家で決める」「私たちは、そのために未だ成仏できず、こうして彷徨っている」
「君が、私たちの伝言を君の仲間に知らせ、この仏像を見つけてくれれば、君も私たちも助かるんじゃよ」
「そして、これを元の祠に安置して欲しい」
「頼みは、それだけじゃ」
そんな話であった。
そこまで一気に話すと、とんちゃんはジュースをぐうっと飲み干した。
「ふうっ、まあ、そういうことだ」
「な、わかっただろう。二人の幽霊が言っていた岡田家って…」
「ああ、恐らくそれは僕の家のことだよ」
僕は、そう答えた。
(岡田源一郎)この名前には、聞き覚えがあった。僕のうちの仏壇の上に写真はないが、名前だけ飾られている初代の人物だからだ。
ばあちゃんの昔話の中にはよく出てきた。
「いいか、やっちゃん。この岡田家は、源一郎を初代として栄えた戦国時代の武将の末裔だ。源一郎は、この地域を治めた小領主だったが、伊達政宗に敵対して滅ぼされた。そして、一番下の姫だけが生き残り、家来の一人に助けられ、百姓になってて密かに暮らしたんじゃ。ところが、姫には、源一郎から受け継いだ宝を持っておった。それが、観音様の仏像じゃ。姫は、その後、婿を取り、その仏像を岡田家の守り本尊として、大切に扱ったそうじゃ。この、仏像には不思議な力があり、この地域の水害を防ぎ、伝染病も防いだと聞いている」
こんな話しであった。
だから、僕には、心当たりがあった。
しかし、琥珀の仏像は、もう僕に家にはなかった。
どうしてないのか、僕には何もわからない。ただ、僕の家の仏壇の中には、そんな仏像はなかったし、他に保管されている話しも聞いたことがない。
ただ、よく考えてみると、ばあちゃんが航空隊の滑走路にあった祠に、ずうっとお参りしていたこと、今でも護国神社にお参りしていることなどを考えれば、ひょっとしたら、最近まであったのかも知れないと思った。
そんなことを考えていると、とんちゃんが話しの続きを始めた。
「いいか、やっちゃん。かずは、やっちゃんの家にまつわる仏像を持っているんだ」
「だから、かずを助ける鍵は、やっちゃんの家にあるってことさ」
「この二人のことが、もっと分かれば、きっと助けられるよ」「実は、かずは、二人のことも話していったんだ」
「これは、俺たちに早くこの謎を解いて、かずを見つけてくれって暗示だよ」
「そうか…?」
(ひょっとしたら、ばあちゃんなら、何か知っているかも知れんなあ)
そう思いながら、とんちゃんに続きを促した。
「ねえ、それで、二人のことは何て?」
とんちゃんに促した、そのとき、とんちゃんのお母さんの声が聞こえた。
「利春、利春。早苗ちゃんよ」
すると、「お邪魔します」という声とともに、トントントンと階段を上がる音が聞こえた。
とんちゃんと二人で顔を見合わせると、
「おはよう」と言って、早苗が入ってきた。白いワンピース姿で、青い水玉模様があしらわれていた。ふわっと浮き上がったスカートの裾から、細くて長い素足がやたら眩しかった。
「な、なんだい。急に…」僕が思わず口に出すと、
「だって、今、やっちゃんの家に行ったら、慌ててとんちゃんの家に出かけたって、言うから…」と、とがめられたのが、不服そうであった。
僕は、「い、いや、そういう訳じゃなくて…」と口ごもると、とんちゃんが、
「しゃあない。早苗ちゃんも知恵を貸してよ」「かずが生きるか死ぬかの瀬戸際なんだ」
と言葉を添えた。
「えっ、かず君、生きてるの?」
「ああ、どうもそうらしいんだ」
「僕のところと、やっちゃんのところに、幽霊みたいに出てきて、そう言うんだ」
「何それ?」
そんなことで、とんちゃんが一部始終を早苗に話した。
頭のよい早苗は、すぐにことの重大さを飲み込んだようだった。
「えっ、それは大変じゃない!」
「わかったわ。協力するから続きを聞かせて」
早苗は、僕よりも真剣だった。まだ、半信半疑で聞いている僕なんかより、理解が早いらしく、その目は、熱く輝いていた。
とんちゃんが、続きを語り始めた。僕のじいちゃんとおじさんの話である。
「僕は、君の死んだ浜にある基地で、訓練を積んで死んだ飛行兵さ」
「君の見つけてくれた仏像は、僕が父からもらってお守りにしていた物なんだが、これを持ったまま死んだのでは、ご先祖様に申し訳ないと思ったんだよ」
「そこで、訓練を終えてK基地を出発する前の晩、この仏像を滑走路の突端の祠に納めたんだ」
「この仏像は、先祖から受け継いだ大事な家宝でね」
「何としても家に帰して、跡を継ぐ者に渡さなくては、って思っていたんだ」
「それに、これが無くなれば、町に災厄が起こるかも知れないという言い伝えがあったからね」
「僕だけの物にする訳にはいかなかったんだ」
「それが、僕の子孫に渡る前に、台風で祠ごと流されるなんて、思ってもみなかったよ」
「でも、海の底でこの町や僕たちの子孫を守ってくれるんなら、それでもいいと思っていたんだが、もし、誰か他に人の手にでも渡れば、どうなるかわからない」
「だから、何とかして見つけたいと、僕も父も死んだ身でありながら、探し回っていたわけさ」
「君には、気の毒なことをした」
「僕は、岡崎真治、十九歳。元海軍二等飛行兵曹」
「こっちは、僕の親父さ。真、四十六歳。陸軍技術少尉。予備だけどね」
何の偶然か、運命のいたずらか。かずは、仏像を見つけたことで、ぼくの死んだじいちゃんとおじさんに会ったという訳だ。
こんな不思議な話しがあるだろうか。
でも、早苗は、うんうんと頷きながら、真剣に話しを聞いていた。
僕なんかより、本気で仏像を探して、かずを助けようとしている気持ちがひしひしと伝わってきた。
話は、いつの間にか、僕たちより早苗のリーダーシップで進んでいった。
早苗は、話を聞いて言った。
「ねえ、じゃあここで整理してみようよ」
早苗は、いつも論理的だ。学校の勉強でも僕が何となく感情の赴くままに発言をしても、早苗がぴしゃりと論理の矛盾を突いてくる。だから、議論で早苗に敵う訳がないことは十分承知していた。
早苗は、続けた。
「いい、ポイントはいくつかあるわ」
「まずは、かず君が生きているということを前提にしましょう」
「ここに、疑念を挟むと、話しが進まないから」
「次に、かず君は、自分の意思では動くことができない状態にいるっていうこと」
「だから、今も危険な状態にあるわ」「二人にそんな夢を見させたのも、かず君の助かりたいっていう本能が、そうさせたのかも知れないわね」
「まあ、今でいえば生霊ね」
「次に、かず君は、岡田家代々の秘宝である琥珀の仏像を拾ったっていうこと」
「琥珀の仏像は、本当は基地の祠にあったものが、台風で飛ばされて海に落ちたらしいということ」
「夢でのメッセージ通りだとすれば、これは今もかず君が持っているわ」
「そして、この仏像には不思議な力があるということ」
「ということは、何らかの力を借りれば、仏像の在り処が分かるかも知れないということ」「いい、ここまで分かる?」
(なるほど、僕ととんちゃんは、こんなにポイントを押さえて話すことができない。さすが、早苗だ。でも、どうやって仏像の在り処を探るんだよ)と思った。
「でもね、早苗ちゃん。仏像に不思議な力があることは、夢のお告げで分かったけど、何の力を借りて探すんだよ」
「そうそう、俺もそう思った…」
とんちゃんが相槌を打った。
「えっ、まだ分からないの?」
「やっちゃんのおばあさんよ!」
「やっちゃんのおばあさんは、この仏像を大切に守ってきた岡田家の子孫よ」
「だから、祠にお参りし、祠がなくなっても護国神社にお参りしてたんじゃないの?」
「だとすれば、おばあさんなら、謎を解く秘密を何か知っているかも知れないじゃない。分かる?」
(ああ、なるほど、そういうことか?)
「そ、そうか。鍵は、僕のばあちゃんにあるんだ?」
「そりゃ、大変だ。すぐにばあちゃんに聞いてみよう」
早苗は、ちょっと得意そうだったが、僕もとんちゃんも慌てて部屋を飛び出そうとした。
「もう、二人ともせっかちね」「ちょっと、ジュースを飲ませてよ」
そういうと、早苗もオレンジジュースをグーっと飲み干してから、おもむろに立ち上がった。「さ、行きましょ!」
(さすが、大物!)僕もとんちゃんも唖然として早苗の後についていった。
僕たちは、僕の家に戻ると、早速ばあちゃんを探した。
ばあちゃんなら、何か知っているかも知れない。いや、必ず知っている。僕たちは、そう確信をした。
僕たちは、ばあちゃんの隠居部屋を訪ねた。
「ばあちゃん、いる?」
「ああ、やっちゃんか?」「あらあら、今日はたくさんのお客さんね…」
「どうしたの、大勢して?」
「それに、やっちゃんのお熱はもういいの?」
ばあちゃんは、相変わらず僕には優しい。
「あら、早苗ちゃん元気?」「利春君も元気そうね」
「あ、は、はい」
二人ともばあちゃんとはしばらくぶりである。
小さいころは、よくばあちゃんに遊んでもらったり、おやつを作ってもらったりしていたが、小学校高学年にもなると、少し足が遠のいていた。
「そういえば、かず君は気の毒したね」「まだ、見つからんのかね?」
ばあちゃんは、縫い物をしながら、心配そうにそう言った。
ばあちゃんは、もう七十歳を少し超えている。
じいちゃんとおじさんを戦争で亡くしてから、一人で母ちゃんを育て、農業をしてきた。 僕の小さいころは、ばあちゃんも畑に出ていたし、僕や妹の面倒もよく看ててくれた。
今でもそうだが、ばあちゃんの握ってくれる味噌にぎりは、絶品だ。お腹が空くと、ばあちゃんに「おにぎり作って」とねだる。
すると、しょうがないと言いながら、大きな丸い味噌にぎりを握ってくれる。一度、母ちゃんに握ってもらったが、同じ米と味噌を使っているのに、まったく違う食べ物だった。
ばあちゃんの味噌にぎりには、「うまい、まずい」を超越した心のやすらぎがあった。
そのばあちゃんが、かずを助け出すヒントを持っているかも知れない。
とんちゃんや早苗も、早くと言うように僕をにらんで、せっついた。
(うん、わかってるよ。今、話すよ)
二人に目で合図を送ると、ばあちゃんに向き直り切り出した。
「ねえ、ばあちゃん。実は、今僕たち困ったことになってるんだ。ばあちゃん、助けてくれないか?」
すると、ばあちゃんは縫い物の手を止め、こちらに向き直り、眼鏡越しに怪訝な表情をした。
「えっ、助けるって、こんな年寄りに何もできやしないよ」
「いや、それが、ばあちゃんだけが頼りなんだよ」
「ふん、そうなのかい。じゃあ、話してごらんよ」
そう言われて、僕がこれまでのことを一切包み隠さず話した。所々で、早苗が訂正したり、付けたしをしてくれたので、大まかなところは、伝わったと思った。
ばあちゃんは、眼鏡を前掛けの布で拭くと、ため息をついた。
「不思議なことがあるもんだね」
「そりゃあ、かず君は生きているよ」
「だって、その話し、そのとおりだもの」
「でも、あの二人が琥珀の仏像を探していたなんてね…」
「驚いたよ」
「ああ、わかったよ。ばあちゃんの知っとることは、何でも話してあげる」
「琥珀の仏像のこともね」
「でも、不思議なもんだね。これで、本当に琥珀の観音様が見つかれば、私は本望だよ」「もう、すっかりあきらめていたからね」
「康之、私からもお願いだ。仏像を見つけて、かず君を助けておやり…」
ばあちゃんは、少し遠くを見るような目をしていた。その目には、うっすらと涙がにじんでいたのを僕は見逃さなかった。
これからの話しは、ばあちゃんの話しである。
『あの仏像はね。あんたたちの夢に出てきた話しの通りさ。岡田家の先祖である源一郎が、残していった物さ。
源一郎は、戦国時代前の田舎の領主でね。このあたりでは、一角の武将だったそうだ。しかし、仙台の伊達政宗に敗れて、源一郎は戦いで命を落とし、小さな城であった大崎城も陥落、岡田一族は、滅亡したのさ。
この大崎城は、今でも大崎基地跡の裏山に大崎城跡という石碑が建っているよ。もう、何も残ってはいないがね。少しばかりの石垣と建物の礎石なんかがあるかね。
これは、言い伝えだから嘘か真か分からないけれど、大崎城は、「琥珀の城」とも言われていたそうだよ。何でも、源一郎が若いころ、兵法を学んだ天狗から「琥珀の仏像」をもらったという話しでね。
この琥珀の霊力は、それを持つ人にのみ力を発揮するという言い伝えがあり、源一郎は、その力によってこの城を築き、領地を治めたということさ。
伊達政宗は、当初、その話を人伝に聞き、源一郎に家来になるよう勧めたそうだが、源一郎は、これを拒み「小なりとも一国一城の主。奪いたければ正々堂々、戦いの場で決着をつけようぞ!」と言い放って、大野ヶ原で戦ったそうだ。
無論、数百騎の源一郎と数倍の兵力を持つ正宗とでは、力があまりにも違いすぎる。
城が落城する直前に、正宗は、「決着がついたからには、わしの家来となり、琥珀の仏像を持ってまいれ」と軍師を城に送ったそうだが、源一郎は、これを拒み城に火を放って、一族とともに自害して果てたそうだ。酷いことよ。
その中には、幼い子どもや女たちも多く含まれており、源一郎は「女、子どもは城を出よ」と命じたそうだが、「奴婢として売られるよりは、お供させてほしい」と懇願され、一緒に自害したそうだ。
もちろん、「琥珀の仏像」も一緒にな。
正宗も源一郎とその一族を哀れみ、円教寺に頼み、一族を弔ったそうだ。
円教寺は、ほら、今の護国神社にあったんじゃが、江戸時代に廃寺になって、その仏像や位牌やらが、護国神社の敷地の奥の寺にある。これも円教寺だ。
正宗も琥珀は石だから、焼け残っているかも知れんと随分探させたそうだが、結局見つからなんで、あきらめたという話しだ。
しかしな、一族には生き残った者がおった。
それが、一番下の松姫だ。松は、まだ、三歳で一緒に殺すには忍びなかったのだろう。忍びの者であった「源助」に託して、落ち延びさせたんだ。そして、源一郎の忘れ形見の証拠として、この琥珀の仏像を持たせたと聞いとる。
源助は、忍びではあったが、既に五十歳は超えていた。五十といえば、当時としては老人であったが、修験者として全国の山々を渡り歩き、松を育てたそうだ。修験者ならば、落武者狩りに遭うこともない。
松も源助の言うことをよく聞き、美しい姫に成長した。そして、十二歳になると、この大崎の里に舞い戻り、源一郎の家来で帰農していた諸橋彦之介に預けたのさ。
諸橋は、武士を捨ててはおったが、源一郎の恩義を忘れぬ侍であったから、年老いた源助も頼る気になったのだろう。松姫を預けると、何処へともなく去って行ったそうだ。忍びは、その骸を人には見せないと言うからね。
その松姫が、諸橋の次男と結ばれて、岡田家を再興し今に至っているという話しだわ。
こんなもんでいいかね?
なに、琥珀の仏像の霊力のことか?
わかった。話してやろう。
この琥珀の仏像は、本当は観音様だ。お前たちも観音様は知っているだろう。大変慈悲深い仏様だ。知恵と優しさを司ると言われておる。
源一郎が天狗から授かったと言われているが、これだけ大きな琥珀は珍しい。それを彫ったわけだから、当時としても貴重で有難いものだったと思う。
霊力があるのかどうか、私もわからんが、言い伝えでは、松姫が熱を出したとき、源助が額に観音様を置くと、次第に熱が引いていったとか、山々を逃げていたとき、道に迷って困って観音様に祈ると、妖しく輝き道を指し示したとも言われている。
この地域も観音様のお陰で、大きな災厄には見舞われてはおらん。祠が飛ばされた台風のときは、大崎基地の滑走路があったために住宅地まで水が上がらず、大事にはならんかった。
私も困ったことがあると、観音様を抱いて一生懸命祈ったものさ。こうして、みんなが元気でいられるのも漢音様のお陰だと思う。
じいちゃんや真が戦死したのは、二人が観音様を持って行かなかったからだ。じいちゃんは、真に渡してくれと言い、真は、この家の跡取りに残していくと言って戦地に行ってしまった。でも、それも本望だと思う。
先祖の源一郎も同じだった。
この観音様を松姫に持たせて、みんな死んでいったんだから。
でも、松姫がこの観音様を大切にしてくれたから、今の幸せがあるんだと思うようにしている。
これで、ばあちゃんの話しはしまいだ…』
(そうか、観音様には、すごい霊力があった訳じゃないんだ。それを信じる人が、祈るために観音様があるんだ)
僕は、ばあちゃんの話を聞きながらそんなことを考えていた。
すると、早苗が言い出した。
「ありがとう、おばあちゃん。すごいのね、岡田の家って…」
「でも、ひとつ聞いてもいい?」
「ああ、何かね?」
ばあちゃんは、早苗に優しい笑顔を向けた。
「あのね。そうすると、おばあちゃんは、観音様は今何処にあると思う?」
「ああ、そうだね」
「私なら、大崎山に登ってみるよ」
「あそこには、岡田源一郎がおる」
「源一郎の墓は、円教寺じゃなくて、大崎山の頂上にあるんだわ。源一郎の最期を知った村人たちが、哀れんで骨を琥珀城のあった山頂に埋めたと言われておる。今でも祠が残ってるよ」
「あの源一郎なら、きっと知っとるはずだ」
三人は、顔を見合わせた。
大崎山。あの山なら、僕たちもよく登った山だ。でも、そんな伝説があったなんてこれまで聞いたことがなかった。祠も気付かなかった。
ひょっとしたら、ばあちゃんが言うように、大崎山の源一郎なら、何か教えてくれるかも知れない。
そう思って、慌てて飛び出そうとする僕たちにばあちゃんが声をかけた。
「いいか、大崎山に行く前に、基地の祠の跡と円教寺には、手を合わせて行くんだよ」
僕たちが、後ろを振り向くと、もうばあちゃんは、手を動かし縫い物を始めていた。
僕たちは、自転車に乗り、急いで滑走路に向かった。
早苗は、運動神経もいいから、自転車も速い。スカートをはいていることもお構いなく、どんどん漕いで走っていく。逆に僕たちが置いていかれそうだった。
滑走路に入っても先が長い。
爆撃機の滑走路だったので、先端までは二千mほどもあるだろう。
真夏の日差しは、コンクリートを熱し、道路を走るより、何倍も熱く感じた。
それでも僕たちは、一分一秒を惜しんで、自転車を漕いだ。
やっとの思いで、祠のあった場所に着くと、小さな石の瓶に花が生けてあった。道端に咲いている野草の花だったが、その可憐な花びらは、生けた人の思いが伝わるような優しさがあった。
(あっ、きっとばあちゃんだ!)
僕たちは、一生懸命、かずが助かるように手を合わせて拝んだ。
こんなに神様や仏様にお願いしたことがない。そのくらい、僕たちは必死だった。
「よし、次は円教寺に行こう」
そう、とんちゃんに促されてまた自転車に乗った。
ここから、三十分ほど漕ぐと円教寺である。しかし、真夏の三十分は長い。
まして、病み上がりの僕にはつらかった。ぜいぜいと喉を鳴らして、自転車を漕いだが、早苗ととんちゃんには、置いていかれてしまった。
それでも僕は、一生懸命漕いだ。
(観音様、どうか、どうか、友だちのかずを助けてやってください)
やっとの思いで円教寺にたどり着いたとき、僕は次第に気が遠くなり、その場に倒れてしまった。
遠くで、「やっちゃん、やっちゃん…」という声が聞こえるが、反応することはできなかった。暗い闇の中に引きずり込まれるような感覚で、僕はもがいていた。
でも、もがけばもがくほど、闇は深くなり、奈落の底に落ちていく自分を感じていた。
と、そのとき、冷たいものが一気に僕の顔に浴びせられた。
びくっとして意識が急速に戻った。
目を開けると、ギラギラした太陽が遮られ、その上に優しい観音様の姿を見た。
「やっちゃん…」
観音様の声が聞こえた。
「大丈夫…。やっちゃん、ごめんね」
それは、早苗の声だった。早苗は、横たわる僕の顔をじっと覗き込むようにして、冷たいハンカチを額に当ててくれていた。
早苗の顔をこんなに真近で見たことがなかった。
「おうい、これくらいでいいか?」
とんちゃんの声がした。とんちゃんは、バケツに冷たい水を汲んで来てくれた。
「ああ、もう大丈夫だ」「こっちこそ、ごめん」
僕は体を起こすと、二人に礼を言った。
「ううん。こっちこそ、やっちゃん病み上がりなのに、あんなに自転車を漕いで、私も夢中になってごめんなさい」
早苗が素直に頭を下げた。
蝉の鳴き声が聞こえるようになり、僕の意識もはっきり戻った。
僕は、二人に謝りながら護国神社の奥の円教寺に向かった。
護国神社の奥は、鬱蒼とした林になっており、その中にてお寺風の建物が見えた。
僕たちもあまりここには、入ることがなく、まさか神社の中にお寺があるとは思っていなかった。中を覗くと古い仏像が安置されているのが見えた。
(ああ、今ここに源一郎は眠っているのか)と思ったが、実際はここには位牌があるだけで、墓は、大崎山の城跡にあるということだった。
ここでも僕たちは、かずの無事を祈って手を合わせた。
そのとき、神社の神主さんが出てきて僕たちに話しかけた。
「やあ、君たち。この地域の子かね」
「は、はい、そうです」
「僕たちは、そこの大崎小学校の六年生です」と名乗った。
「そうかい。じゃあ、折角だから、そこの石碑を読んでいきなさい。この神社や寺の由緒が書いてあるから」
「はい。わかりました」
そう言うと、神主は用事でもあるのか、神社の外へと出て行った。
これから、山に登ろうと思っていたが、何かここにもヒントがあるのかも知れないと考えて、石碑を見に行くことにした。
石碑は、古く大きく、書いてある文字も漢字ばかりで僕たちには判読できなかったが、いくつかわかる漢字を読むことにした。
「ちぇっ、こんな難しいの分かるわけないよ」
とんちゃんはぼやいていたが、僕と早苗は必死になってわかる漢字を拾った。
すると、そこに見慣れた文字が見えてきた。
「ねえ、やっちゃん。ほらあそこを見て」と指差した先に、
「岡田上野介源一郎康之」
「ほら、やっちゃんの名前が書いてある!」
「あ、本当だ!」
これには僕を驚いた。僕の名前は、源一郎からいただいた名前なんだ。
「後は、あれ、琥珀城って?」
「どこ、どこ?」「ほら、真ん中下の方」
「あ、そうだ。やはり琥珀はあったんだ!」
「何か、最後に和歌みたいなものが書いてあるよ。読める?」
早苗がそうつぶやきながら、一生懸命読み出した。
「夕映えの 波間に煌く 一筋の 琥珀の仏の 加護に覚ゆる」
「そう読めるわ!」
「誰の歌だろう」
「源一郎よ。だって、下に上野って書いてあるわ」
「上野介って、なんて読むんだろう」
「こうずけのすけ、じゃない」早苗が答えた。
「ほら、忠臣蔵のお芝居で、吉良上野介って悪役が出てくるもん」「上野って、確か関東北部を指す地名よ」
(さすが、秀才。恐れ入りました)
早苗の博識は、もう小六の僕たちのレベルではなかった。
「そうか、源一郎は、山の山頂からこの歌を詠んだのよ。そして、岡田一族を守ってほしいと琥珀の仏に願ったんだわ」
早苗の解釈は的確だった。
そうか、それなら山頂でこの歌を詠んでみればいい。
そうすれば、きっと琥珀の在り処が見えてくるはずだ。
僕は、そう確信した。ひょっとしたら、ばあちゃんは知っていたのかもしれない。だから、僕たちに祠と寺に行って来い暗示をかけたんだ。
次第に陽が陰ってくる。
僕たちが、頂上に着くころには、夕陽が見えてくるはずだ。そのとき、きっと源一郎は、僕たちに何かを教えてくれるはずだ。
さて、いよいよ、大崎城跡に向かうだけである。
護国神社の裏を抜けて、石の階段を上がっていくと大崎山に通じる道に出る。
山というより、丘という程度の山だったが、周りに何もないこの辺では、一段高い場所になる。源一郎は、この頂上に城を築き、この周辺を治めたんだろう。
そんなことを考えながら、緩やかな坂道を一歩一歩歩いて行った。
先頭をとんちゃんが歩いて、後ろを早苗が歩き、僕を支えてくれた。
本当は、僕が早苗を助けてあげなきゃならないのに、こんな体で不甲斐なかったが、仕方がない。
次第に陽も西に傾いてきていた。
(ああ、もう少しだ。もう少し…)
最初は、平坦な上り坂だったが、次第に石の混じった細い急坂になった。とんちゃんに手を引かれたり、早苗にお尻を押してもらったりしながら、山道を登っていった。
普段ならば、駆け足でも登る僕だったが、今日ばかりは、体が思うように動かない。
気は焦るが、遅々として進まないようで、汗ばかりかいた。
早苗やとんちゃんも大汗をかいている。
二人とも、もう疲れているんだ。病人を支えながらの真夏の登山では、苦しいのも当たり前だった。
やっと、最後の石段にたどりついた。
三人ともに、ふうふうと荒い息を吐いて、(もうひとがんばり!)と目で頷きあった。
最後の石段も苦しかった。
神社の石段のように、数十段の長い石段は、本当の急勾配で登る者を阻止しようとする意図があった。
昔の山城の跡だから仕方がないが、源一郎が、(さあ、登って来い!)と階段の上で腕組をして待っているような錯覚を覚えた。
そして、やっと日没前に頂上にたどりついた。
「やっちゃん、着いたぞ!」
「源一郎の墓は、どこだ?」
とんちゃんが、必死に叫んでいる。日没前に見つけなければ、チャンスはもう来ない。
と、そのとき、ひとり先行していた早苗の声が聞こえた。
「ねえ、来て来て、早く!」
早苗の立っているところに着くと、そこには、小さな祠があった。
「ねえ、これじゃない?」
「滑走路にあった物と同じよ」
「ああ、そうだ。これだ!」
僕は、この祠が源一郎の墓だと悟った。
ふと見ると、そこは、山の頂上のまた先にある岩の上だった。この大崎山で一番高い場所がそこだった。
思わず、神社で詠んだ源一郎の歌を思い出した。
「夕映えの 波間にきらめく 一筋の 琥珀の仏の 加護に覚ゆる」
もう間もなく陽は落ちる。
僕たちは、山の頂から遠く西の海を眺めていた。
すると、突然、黄金色の光を見た。
いや、見たというより細い光の筋が一本、天に向かって真っ直ぐ伸びていったのである。
「あ、琥珀の光だ!」
とんちゃんが叫んだ。
それは、一瞬の光の輝きだった。
そして、その光の筋を追うように、海を見ると沈む太陽の光の中に小さな煌きがあった。
「舟だ!舟だ!」
三人が同時に叫んだ。
「かずだ!かずの舟だ!」
「かず君の舟よう!」
もう僕たちには迷いはなかった。
夢でかずが話していた小舟だ。
僕たちは、それまでの疲れも忘れて、転がるようにして山を下って行った。
(早く、大人に知らせなきゃ!)(かずを助けなくちゃ!)
その一念で、時々転びながらも「早く、早く!」と暗い山道を駆け下りた。
一番元気だったとんちゃんが、叫んだ。
「俺、駐在のところに行くから、みんなは、神社の神主さんに頼んで!」
「ああ、わかった。とんちゃん、頼んだぞ!」
そう言うと、とんちゃんは、さらに加速して闇の中に消えていった。
僕と早苗は、息を切らしながら神社の社務所に飛び込んだ。
「神主さん、神主さん!」「舟が、かずがいます!」「助けてください!」
二人とも泣きながら、叫び続けた。
(もう夜になる。今、助けないと、二度と助けられない!)
その思いが強く、うまく言葉にならなかった。
しかし、僕たちの必死の訴えが功を奏したのか、周りの大人たちが続々と社務所に集まってきた。
「なんだ、なんだ…?」という大勢の声が聞こえた。
外からは、パトカーや消防自動車のサイレンが聞こえてきた。
(やったな、とんちゃん!)
「まあ、まあ、水でも飲んで…」
「そんなに泥んこになって、どうしたんじゃ?」「血も出ておるぞ」
神主さんは、そう言いながらも、社務所に集まった大人たちに、
「この子たちの友だちに何かあったようじゃ。みんな浜の方に向かってもらえんか?」
大人たちは、「そう言えば、行方不明の子どもがあったな?」「そのことと関係があるのか?」などと言いながら、サイレンの鳴る方角に向かって行った。
「神主さん、僕たちも浜に向かいます。ありがとうございました」
「まあ、まあ、まず傷の手当てが先じゃ」
「君らの友だちは、もう大丈夫じゃ。みんなが助けに行ったでな…」と暗くなった浜の方を眺めていた。
傷の手当てが終わると、僕たちも社務所を出て、浜の方を見てみた。
すると、たくさんのパトカーや消防車が出動し、漁船が灯りをつけて出港していくのが見えた。
(ああ、とんちゃんが頑張ってくれたんだ)
(かず、元気で戻ってこいよ)と、思わず浜の方角に手を合わせた。
隣を見ると、早苗の頬にも涙の筋がすーっと光るのが見えた。琥珀の光の筋のような綺麗な涙だった。
かずは、漁船に救助され無事に浜に待機していた救急車に乗せられ、市民病院に搬送された。
一週間も行方不明だったわりに脱水症状も少なく、比較的元気だったようである。
ただ、意識が朦朧としており、まだはっきりと話しができないようだった。
その手には、琥珀の仏像をしっかりと握っていたので、翌日の地方新聞には、大きな見出しでかずの生還が取り上げられていた。
「行方不明の小学生、無事に救出!」
「不思議?手にしっかりと握られた琥珀の仏像!」
そして、記事が掲載された。
│ 八月五日から行方不明になっていた、大崎市内小学校男児(十一歳)が、十二日│
│午後八時ころ、大崎湾一㎞の沖で、漂流していた小舟の中で発見され、無事保護さ│
│れた。男児は、やや衰弱しており脱水症状が見られるものの、命に別状はなく、関│
│係者を安堵させている。しかし、警察当局では、一週間も海上で行方不明になった│
│者が、このような状態で発見されることは珍しく、まして子どもであったことから、│
│何らかの援助があったのではないかと、因果関係も含めて調べを進めることとして│
│いる。また、本児の手には、珍しい琥珀で作られた観音像と見られる仏像が握られ│
│ており、謎は深まるばかりである。警察では、本児の意識が回復次第、話しを聞く│
│予定にしているが、現在は絶対安静の処置が取られている。 │
それから、丸一日かずは眠り続けたが、八月十五日早朝、意識を取り戻した。
僕たちは、連絡を受けるとすぐに病室にかずを見舞った。
早苗もとんちゃんも僕も、顔や手足に包帯や絆創膏を貼っていたが、心は晴れ晴れとしていた。
病室に入ると、とんちゃんが、
「おう、かず!元気か?」
「まったく、奇跡だそうだな」「本当なら、今頃、あの世に行っとるんだぞ」
と、憎まれ口をきいた。
かずもこちらを向いて、お得意のにーっと白い歯を見せて笑っている。
体はまだ動かせないらしい。
「うん、ありがとう…」
声もかすれてしわがれていたが、脱水症状が何日も続けば、そうもなるだろう。でも、「奇跡」だということはよくわかる。
琥珀の仏像は、かずの枕元に立てられていた。
「これが、琥珀の観音様ね?」
早苗が感嘆の声を上げて。仏像をしげしげと見つめていた。
その琥珀色の透き通った神秘な輝きは、まさに神様からの贈り物という気がした。
琥珀の中には、何万年前の虫や植物などが入っているという。
(しかし、こんなに大きな琥珀の石があるんだ…)
それは、確かに自分のためだけに持っているようなものではないという気がした。
僕は、かずにあのことを訊ねてみたかった。
二人に「いいか?」と声をかけると、ふたりともこっくりと頷いた。
「なあ、かず。こんなことを聞くのもなんだが、お前、覚えているかな?」
「ん、何を?」
「お前さ、行方不明になった晩、僕ととんちゃんのところに来ただろう?」
「えっ…?」
「実は、僕たちは、お前の夢を見て、かずが生きていることが分かったんだよ」
「その、琥珀の仏像の秘密もね」
かずは、何事か考えるように天井を眺めていた。
すると、かすれた声で、
「実は、夢のことは何も覚えてないんだ」
「でも、この仏像のことは覚えている」
「これを、やっちゃんに渡さないと…って」
「それだけは、ずうっと覚えている」
「だから、仏像はやっちゃんに返すよ。もし、俺が今生きているのは、それを果たすためだって思っているんだ…」
かずは、そういうと、ゼロゼロと咳き込んだ。
側にいたかずのお母さんが、そろそろと僕たちに目で合図をした。
「かず、皆さんがこんな綺麗なお花を持ってきてくれたよ。よかったわね」
そう言って、花束をかずに見せた。
僕は、「仏像は、かずが元気になってからでいいよ」と言って、椅子から立ち上がった。
「うん…」
かずには、これから大変だった出来事を詳しく話さなければならなかった。まったく、不思議な出来事だったが、これで僕たちもひとつ成長できたような気がしていた。
病室を出ると、かずのお母さんが出てきて、礼を言った。
「今日は、本当にありがとうね」
「みんなには、かずを助けてもらって、本当に感謝しているの」
「でも、かずが夜中にうなされてうわ言を言ってたのよ」
「仏像をやっちゃんに…って」「苦しそうに、何度もそういうの」
「今度、おばちゃんたちにも聞かせてね」
そう言うと、僕たち三人に深々と頭を下げた。
(そうだ、この話しは、僕たちだけのものにしておくことはできない。みんなに聞いてもらって、あの仏像のことを知ってもらわないと…)
そんな思いがよぎっていた。
「ほんと、疲れたわね…」
帰り道、早苗がポツリと言った。でも、早苗の顔は笑顔だった。そして、今までよりももっと仲良くなった僕たち三人がいた。
「そうだ、二人とも僕のばあちゃんに会いに来ないか?」
「だって、この事件が解決したんだって、ばあちゃんの言葉からだろ?」
「ああ、そうか?」
とんちゃんが忘れていたかのように手を打った。
「うん、行こう、行こう!」早苗が促すと、僕たちは、ばあちゃんの隠居に足を速めた。
ばあちゃんの隠居部屋に着くと、ばあちゃんは、仏壇にお線香をあげ、花も新しい物に取り替えていた。
「さ、みんなもお盆だから、ご先祖様たちに手を合わせて…」
と促した。
僕たちは、挨拶もそこそこに、僕から順番に仏壇の前に座り、お線香をあげてから手を合わせ、今回のことについてお礼を言った。これまで、手を合わせることはしても、本気になってお礼を言うようなことはなかったが、源一郎、真、真治の三人のご先祖様には、現世でこんなにお世話になるとは思ってもいなかった。
「おじいちゃんたち、ありがとう」そう言葉をかけても写真の二人は、生真面目にむっつりと僕を見下ろしているだけだったが、それでも嬉しかった。
僕の次には、とんちゃん、そして早苗がお線香をあげて、手を合わせた。早苗は、何を言っているのか、ぶつぶつと口が動いていた。きっと、お礼を丁寧に言っているのだろう。
ご先祖様へのお礼が済むと、大きなおはぎが出された。ばあちゃんの作るおはぎは、格別に美味かった。一日かけて、小豆をとろとろになるまで煮込むため、一時も鍋を離れることができない。
ばあちゃんは、「根気比べだよ」と言って笑うが、僕の母ちゃんは、「忙しいから、あんこはばあちゃんにね」と最初から、お手上げだった。
お茶をすすり、最後のおはぎを口に放り込むと、早苗がばあちゃんに礼を言った。
「おばあちゃん、本当にありがとうございました」
「おばあちゃんがいなかったら、かず君は、助からなかったと思います」
すると、ばあちゃんは、
「いやいや、これもすべて仏様・ご先祖様のご加護ですよ」と言って笑った。
僕は、(本当にそうだなあ)と二人の写真を見ていると、
「まあ、いい機会だから、これを見てみなさい」
そう言って、奥から桐の箱を持ち出してきた。
中を開けると、そこには、何枚かのはがきと封書が入っていた。
「ここにね、真治がなぜ、あの仏像を持っていかなかったのか、その訳が書いてあるのよ」
それは、一通の古びた封書だった。
あて先は、おばあちゃんだ。
「どうぞ、見てみなさい」
そう促されて、茶色く変色した便箋を開いた。
少し、かび臭い匂いがしたが、そこに年月の長さを感じた。
僕が開いている側で、とんちゃんと早苗が顔を近づけてきた。一緒に読みたかったのだ
ろう。三人は、一枚一枚の便箋の文字を追った。
│ 戦略 母上様 │
│ この度、私にも出撃の命がくだりました。 │
│ これまで、幾人もの戦友を送り、遺品を整理した私にとって、やっとの│
│思いで待ち焦がれた出撃の日です。 │
│ 日本男児として恥ずかしくないよう、精一杯お国に尽くす覚悟です。 │
│ 残念ながら、未だ技量未熟なため、何ほどの戦果が挙げられるか自信は│
│ありませんが、己の肉弾をぶつけることで、ご奉公といたします。 │
│ さて、気がかりなことがひとつありましたので、お聞きください。 │
│ 父上様より私へと頂戴した我が家の家宝である「琥珀の仏像」のことで│
│すが、考えるところがありまして、持参しないことといたしました。 │
│ この仏像は、大変ご利益のある宝だと伺ってはおりますが、本来家長で│
│ある父上様がお持ちになるべきところ、私へと伝言し出征したと伺いまし│
│た。そんな父上様の温かな親心に涙をいたしました。 │
│ しかしながら、私は覚悟を決めて予科練に入隊し、この度、晴れの出撃│
│となったものです。けっして死を恐れるものではありません。 │
│ よって、鹿児島に向かう直前でしたので、家に帰る暇もなく、大崎基地│
│の祠に仏像を安置しておきました。 │
│ 母上様には、どうか、私の真意をお汲み取りいただき、未来永劫に我が│
│家と大崎の皆様の平和と安全を祈願していただきたく存じます。 │
│ 私は、その防人として出撃いたします。 │
│ 私も父上様もたとえあの世の者となろうとも、天上界より皆々様をお守│
│りしたいと願っております。 │
│ どうか、真治最後のお願いと思し召し、お聞き届けくださるようお願い│
│いたします。 │
│ 最後になりましたが、母上様、おはぎ美味しかったです。また、お盆の│
│際には、帰りますのでご用意ください。 │
│ 妹たちにも達者で暮らせとお伝えください。 │
│ さようなら │
│ 昭和二十年六月十日 出撃の日 │
│ 海軍二等飛行兵曹 岡田 真治 │
(そうか、そうだったのか)
(だから、ばあちゃんにはみんな分かっていたんだ)
(こうして、お盆に毎年時間をかけておはぎを作るのも、仏像を大事にしていたのも、みんな真治さんへの思いがあったからなんだ)
(その大切な仏像が、台風で海に流され、どこにいったか分からなくなったから、ばあちゃんは、一生懸命神様や仏様にお願いをしていたんだ)
(それが、こんな形で見つかるなんて)
僕は、もう泣いていた。涙が止まらなかった。
わずか、十九歳の真治さんが、自分のことより僕たち子孫のこと、みんなのことを考えて特攻機に乗っていったなんて。
僕の背中で早苗が泣いていた。
とんちゃんもこぶしで目をぬぐって泣いている。
みんな、心が苦しかった。こんなことがあるなんて、僕には信じられなかった。
しばらく静かな時間が過ぎた。
すると、ばあちゃんがポツリと言った。
「いいんだよ。これで…」
「真治もじいちゃんも、今この家に帰っているからね…」
「ほら、源一郎さんもね…」
そうなんだ。今日はお盆だ。先祖がみんなここに集まっているんだ。
きっと、みんなにこにこと笑顔で、ばあちゃんのおはぎを食べているんだ。
そう思うと、思わず笑顔が出てきた。もう、泣き笑いだった。
「さ、早苗ちゃんも利春君も帰って、あんたたちのご先祖さんと話しをしておいで」
と促した。
二人は、すっかり笑顔を見せ、「じゃあ、また明日…」そう言って、それぞれの家に帰っていった。
夏休みも終わりになろうとしていた八月三十日。
かずも無事に退院して、九月の始業式には学校に登校できるという話しが伝わってきた。
そろそろ、遊べるようになったようだが、宿題の追い込みでそれどころじゃない。
早苗だけが涼しそうな顔をして、僕の家に顔を出す。
あの事件以来、しょっちゅう来ては、ばあちゃんや母ちゃん、最後には聡子とまで遊んで帰る。僕はいようがいまいが関係ないらしい。
「宿題は?」と聞くと、「終わったあ…」と暢気な返事を返してくる。
あの事件で予定が大幅に狂ってしまった僕は、暑い中、必死に日記を書いている。
とんちゃんも電話以外は、まったく遊びにも来ない。
やつもコロッケを食べながら、必死の毎日だろう。
僕としては、早苗が毎日のように来るので、気分は悪くない。(まあ、こいつとなら一生一緒にいてもいいかな)などと夢想している。
夜には、宿題がやっと終わって、ばあちゃんの部屋に行った。
「ばあちゃん。やっと終わったよ」
するとばあちゃんは、「そうかい。ご苦労様。そう言やあ、真治も中学生時分は同じようなことを言っておった」そう言って笑った。
そこで、僕は、
「ねえ、ばあちゃん。ちょっと真治さんのこと聞かせてよ」
「だって、僕のおじさんでしょ」と話しをねだった。
「そうかい。康之も少しは、戦争のことに興味を持ったようだね」
「それじゃあ、話しをしよう」
ここからは、ばあちゃんの話しである。
『真治はね、お前も知っているとおり、昭和十八年に海軍の予科練に入って、土浦航空隊というところで、飛行機乗りになる訓練をしていたんだ。十七歳のころだね。予科練に入るときも、おまえは跡取りだからと随分反対したんだが、学校に軍から募集があって、十名の志願者を出さなきゃいけないということだったんだ。真治は、まだ四年生で行かなくてもよかったんだが、剣道部で活躍していたこともあって、先生たちからも説得されたらしい。試験だけでも受けてほしいというのが、学校からの申し出だったね。結局、学校からは三十名ほどが受験して、合格したのは、真治を含めて五人だった。意外と難しい試験で成績の上位の者しか受からんかったそうだ。
海軍に合格した真治は、中学校四年修了ということで、茨城県の土浦に言ったんだわ。 まあ、あまり泣き言の言わない子だったけど、たまの休暇で帰ってときは、見違えるほどに体が引き締まり、随分、鍛えられていることはわかったね。色も真っ黒だったから。 後から聞いた話だと、飛行機に乗れずに死んだ友だちもたくさんいたそうだわ。
真治は、予科練を卒業すると、別の航空隊で訓練していたんだけど、最後のころは、一時、ここの大崎の航空隊にいたの。
あの仏像もそのときに、渡した物だよ。あの子の父親の真は、中学校の理科の教師だったんだけど、電気が専門で、昔兵隊に行ってたとき、そっちの技術も勉強していたとかで、年寄りだったのに、兵隊に取られたのさ。まさかと思ったけど、父さんは、「わかる人間が少ないから、仕方がないんだ」とあきらめて、戦地に行ってしまった。後ではがきがきたけど、硫黄島という小さな島の守備隊で、昭和二十年のはじめに全滅してしまってね。父さんも戦死したの。
その父さんが、戦地に行く前、「この仏像を真治に渡してやってくれ」って頼んで行ったから、真治にそう伝えたんだけど、あの子なりに悩んでいたんだね。父さんは、真治を死なせたくなかったんだね。でも、真治は、自分一人だけ助かろうなんて考える子ではなかった。でも、父親の気持ちも分かるし…で、仏像をこっそり、基地の祠に納めて出て行ったんだよ。まったく、あの子らしいよ。
戦後間もなく、真治の戦友という方が訪ねてくれて、出撃の様子と遺品を持ってきてくれた。私の縫ったマフラーを巻いて笑顔で出撃したと戦友さんが言ってた。真治の隊は、五人とも帰ってこなかったそうよ。みんな一緒に靖国に行ったのね。
えーっと、遺品はこの箱がそうさ。中には、真治の髪の毛と爪、飛行兵がかぶっていた夏用の帽子と眼鏡、それに下着と筆入れなんかが入っていたわ。髪の毛と爪は、お骨の代わりにお墓に入れた。まあ、古くなったけど捨てられんでね。私が死んだら、あの世であの子に返すから、一緒に燃やしておくれ。
それから、父さんね。あんたには、じいちゃんだけど。
父さんは、写真にあるように近眼でね。あまり丈夫でもなかった。兵隊にとられてどうしようと思ったけど、電気の専門家ということで仕方がなかったわ。
部隊が全滅して、何も残ってないらしく、桐の箱だけが届けられたけど、どうしようもないね。だから、お墓には、家にあった下着と眼鏡を入れてある。
父さんも何度か手紙をくれたけど、真治や家の心配ばかり書いていてね。最後まで、私たちを心配して死んだと思うよ。真治のように海の底じゃないから、いつか、骨を拾ってあげたいもんね。やっちゃん、お願いね…』
僕は時間の経つのも忘れて、ばあちゃんの話しに聞き入っていた。僕の身近な人にそんな悲しい出来事があったなんて、この事件がなければ一生知らないまま過ごしたのかも知れない。これも観音様のお導きなのだろうか。
僕の名前も康之、初代源一郎も康之。数百年が経って二人の康之が出会ったような気がした。
(僕も、初代康之に負けないように、頑張るからね…)
そっと、大崎山の方に手を合わせた。
長かった夏休みが終わり、九月一日を迎えた。
お盆過ぎから秋風が吹き、夏の終わりを実感できた。それにしてもこの夏をとおして、人間として少し成長ができた自分を感じていた。
「康之、ご飯よ…」
「はあい」
身支度を済ませて、台所に向かうと既に聡子が、ごはんを口いっぱいにほおばっていた。口の横には、お弁当のご飯粒がひとつ。
「兄ちゃん、おはよう!」
口をもごもごさせながら、声をかけるが、僕は、「ああ、おはよう」と小さく返した。
聡子は、「…」という顔をしたが、それ以上突っ込んでは来なかった。
いつもなら、「なにやってんだよ!」とか、「ばーか!」とか言い合う兄妹だったが、何となくそんな返しをするような心境でもなかった。
「あら、康之、今日は変ね」
母ちゃんが、冷やかしながらご飯をついでくれた。
「別に…。そういう訳じゃないけどね…」
そう言い返すと、聡子と母ちゃんが顔を見合わせた。
(なんだ?僕は、そんなに落ち着きがなかったかな?これでも、六年生の級長なんだがな?)と、首を捻りたいのはこっちの方だと思った。
ご飯を食べ終えると、ばあちゃんの隠居部屋に行き、仏壇の前に座って手を合わせた。
「それじゃ、ばあちゃん、行ってきます」
あの日以来、毎朝、仏壇の前に座ろうと決めていた。
「ああ、行っといで…」
ばあちゃんは、いつもの笑顔で僕を見送ってくれた。あの日のことなど、忘れたかのように、自分のペースを保っている。
後、ひと月もすれば東京オリンピックだ。東京へは行かれないかも知れないが、テレビ中継がとっても楽しみだった。
(日本女子バレーボールは、勝てるかな?東洋の魔女って言われてるけどな?)
そんなことを考えながら、ランドセルを鳴らして学校に向かった。
聡子は、さっさと友だちと一緒に先を歩いている。
聡子ももう四年生だから、僕と一緒はいやなんだろう。僕が走って通り過ぎても「ふん」とすました顔をして歩いている。まあ、こいつも少し大人になったようだ。
学校までは、一㎞ほどの道のりだったが、田んぼのあぜ道や雑木林の脇を抜け、街中に入って三百mほどで学校に出る。
街中に入ったとき、大和やの前で、とんちゃんとかずが待っていた。
「おうい、やっちゃん!」
二人が大きく手を振っていた。「ごめん、待たせたな!」そう言いながら、僕は二人に駆け寄って行った。
(ああ、また、いつもの日常が始まったんだ。そんな思いが嬉しかった)
三人で歩きながら、宿題の話しや仏像の話しなどをしていた。特にあの仏像を枕元に置いてから、体の回復も早いような気がすると、かずが言っていた。
「俺は、もうすっかり大丈夫さ!」かずは、いつものように口を大きく横に広げて笑った。「しかし、あれだなあ。ほんとにみんなの夢の中に出たのか?」「今でも不思議でしょうがないよ」
かずが首をしきりに傾げているので、僕が言った。
「いいじゃないか、そんなこと。それも観音様の思し召しさ」と明るく笑ってやった。
「そうだな、でもやっちゃんは、何か変わったよな」
とんちゃんが僕の顔を怪訝そうに覗き込んだが、変ったのはとんちゃんも一緒だった。だって、とんちゃんがいなかったら、あの救出劇は始まらなかったんだから。
とんちゃんの頑張りと勇気は、町中の賞賛の的だった。
そんなことを話しているうちに、校門の前で早苗がポツンと立っていた。
僕たちは、あの事件以来、早苗をそんなに意識することがなくなった。
まあ、一緒に頑張った同志みたいな気持ちが芽生えていたからかも知れない。
僕が、真っ先に早苗を見つけると、遠くから、声をかけた。
「おうい、早苗!なにしてるんだ?」
すると、何も知らないかずが、目を真ん丸くして僕を見た。
「えっ、や、やっちゃん。す、すごい…」
とんちゃんだけは、ニヤニヤしていた。
校門を潜る他の小学生もみんなこちらを見ていた。
もう、僕たちにはそんなことは関係ない。早苗は、早苗でしかなく、僕たちの友だちだったから。
早苗も明るい声で駆け寄ってきた。
「おはよう!」「大崎三人組は、相変わらずね」
そう言うと、
「今日から、二学期よ。級長さん、よろしくね」
と、僕の肩をポンと叩いて風のように昇降口に走っていった。
その爽やかさは、早苗の天性のものだったが、もう僕もとんちゃんもどきどきすることもなく、見送っていた。ただ一人、かずを残しては…。
この事件は、その後もしばらく尾を引き、注目は「琥珀の仏像」に集中した。
「いったい、どのくらいの価値があるんだ?」とか、
「市の文化財に指定しようか?」とか、
「歴史的にどんな価値があるのか、専門家に調べてもらおう」などである。
かずの家でも、困ったらしく、もう本人が回復したので、かずの両親がかずを連れて、ばあちゃんに仏像を返しに来た。九月三日の夜のことだった。
かずの両親は、仏壇にお線香をあげて手を合わせ、お礼を言った後、ばあちゃんに深々と頭を下げた。かずも一緒に頭を下げた。
ばあちゃんは、かずに見つけてくれたお礼と、大事にしてくれたお礼を言って、新しいノートと今流行のノック式ペンシルを贈った。かずは、驚いていたが、事前に僕がばあちゃんに聞かれて、用意していた物だった。
かずは、それに気付いて、ばあちゃんの側に座っていた僕に笑顔を見せた。
かずの父ちゃんは、
「いや、こんな畏れ多いものを我が家などで持っていると、罰が当たるような気がして、夜も眠れんです。かずもこうして、元気になりましたので、本来あるべきそちら様にお返ししようと思います。本当にお世話になり、ありがとうございました」
とお礼の口上を述べた。
それから、しばらく雑談した後、かず一家は歩いて帰っていった。
ばあちゃんは、夜遅く、父ちゃんと母ちゃん、そして僕を仏壇の部屋に呼んだ。聡子は、もう寝ていたので、明日にでも話すことにした。
ばあちゃんは、僕たちを前にこう告げた。
「みんな、今回のことは、本当に申し訳なく思っている。私が、祠の観音様をもっと大切にしておけばよかったんだ。あの台風の晩、急いで基地に向かったんだが、そのころは、風雨も激しくなり、基地には入れんかった。もうちょっと、早く気がつけば、こんな迷惑をかけることもなかったのに。本当に済まないね。
それで、この仏像は、大崎市に寄付することにした。本当は、正夫さん、あんたに許しを貰わなくちゃならないところだけど、事情を知らないあんたに言っても気の重い話しだろうから、私の一存で決めた。康之もそれでいいね。
先日、市長さんが見えたとき、その話しをしておいた。ただし、条件として、この仏像は、鑑定などせず、そのままそっとすること、大崎山の山頂にある祠に納めること、末永く大崎市で祀り、地域の皆様の平和と安全のシンボルとされること、などを言ったんじゃ。
すると、市長さんも分かってくれて、そのように取り計らうとのことだった。
まあ、そういうことで、みんな承知してください。お願いします」
そう言って、僕たちにばあちゃんは頭を下げた。
もう誰も何も言うことはなかった。
それが、一番いい方法だったのだろう。
真治さんもそう考えたから、仏像を置いて、出撃したのだから。
一年後、琥珀の観音様は、目出度く大崎山山頂の源一郎の祠に安置された。
祠も新しく造り替えられ、立派な祠になっていた。神木と地元の製鉄所で作られた祠は、まさに発展する大崎のシンボルとなった。琥珀の観音様は、円教寺ゆかりの住職と護国神社の神主の詠むお経と祝詞に送られて、鉄の祠の奥に安置された。開かれた祠の中は、金箔で覆われており、金色に輝く観音様は、これまで以上に神々しく見えた。
観音様が新しく祠に入って数日後、僕たち四人は、大崎山に登った。
みんな大崎中学校の一年生になっていた。部活動で真っ黒に日焼けした顔は、それぞれがたくましく、もう子どもの面影は少なくなっていた。
かずは、小さく機敏な体を生かし、サッカー部に、とんちゃんは、その大きな体とパワーを生かし柔道部に、早苗は、バレーボール部で頑張っていた。僕は、真治さんや源一郎に刺激されて、剣道部に入った。
まだまだ、どうなるかわからない僕たちだったが、日本は益々発展するような勢いがあった。
昭和三十九年の十月十日に開かれた東京オリンピックは、大成功を収め、日本もこれまでのメダル数を上回る大活躍を見せた。そういえば、三人が入った部活動もオリンピックで大活躍した競技だった。みんな、けっこうオリンピックに刺激を受けたらしい。
山の頂上に立つと、早苗が言った。
「あの日、西の海に琥珀色の光の柱が立ったのよね」
「覚えてる?」
「ああ、よく覚えているよ。あれが見えたから、かずがあそこにいるって、わかったんじゃないか」
「そうそう、あれは不思議な光景だったな」
三人でそんなことを話していたとき、かずが思い出したように言った。
「そうだ、俺も舟の中で、一度だけ金色の光に包まれたことがあった。あれが、そのときなのか?」
僕たち三人は、それはきっとそうだと思った。
「かず、そうだよ。この観音様は、僕たちを見守っていてくれたんだよ」
僕がそういうと、早苗が海の方角を指差した。
「ねえ、見て、ほら、あそこに虹…」
その虹は、西の海の彼方に最初は薄く、そして次第に七色を煌かせてはっきりと僕たちの目に映った。
「ああ、観音様が、私たちを励ましてくれているのよ…」
四人は、頂上の祠の脇で、海に向かって自然に手を合わせていた。
終わり
琥珀色の虹